真尻さん教えてください! (投稿100件)[1〜100]


1:佐久間さん
名指しで申し訳ありません。

チャットのログで
「引いて矢の初速から的に到達するまでのイメージが弓返りが終わる瞬間までにどうあるのかという点を重視して、描いている理想のイメージの軌跡のルートとの誤差をうめていきます。

と書いてありましたが、これについて解説お願いします。

2: さん
質問です。

弓のバランスを意識する手の内を考えたときに、最も重要なのは手の内の部分ですか?

3:半平太さん
>>2
質問をする時くらい名前入れましょうよ。マナーですよ。

4:真尻さん
>>1
自分の矢飛びを判断する時に、視覚からくるスピードで判断したらいけません。それは、違う道場などで引く場合にまわりの風景が変わったり、昼と夜でも見た目のスピードが変わるからです。
では、何で飛びのスピードを判断すると適切なのかというと、「離れ」「弓返りが終わる」「的に届く音」の3つの要素で判断します。これらで飛びをイメージできていれば、試合会場で飛びが遅く感じて無意識に引きすぎて射を壊すようなミスや、いつも夜練習していて試合が昼だったから飛びが遅く見えて引きすぎたといったミスを防ぐ事ができます。
その状態で、スピードではなく飛んでいく矢の軌跡を考えます。軌跡は毎回見ているものなので無意識に覚えていますよね?それの誤差を矢のバランスを変えて現在一番適切な状態にしていくのんです。こちらは、いつも引いている道場でやる事なので、風景が変わることはありませんから、視覚からの情報で行っていい調整です。

5:真尻さん
>>3
確かにそうですね。マナーは守りましょう。

>>2
手の内について、貴方が攻める手の内なのか、受ける手の内なのかを考えないといけません。どちらも共通しているのが、天文筋の小指側の端(なんていうんですかね?)の使い方でしょう。
そして、ここからが両者の大きな違いですが攻める方は親指の付け根の手のひらの筋肉、受けるほうは3本の指の使い方がポイントになってきます。どちらも使うのですが、意識するポイントが若干違います。これらを使うことでバランスが意識できると思いますよ。

6:真尻さん
また、何かあったら言って下さい。
次回はマナーを守りましょうね

7:匿名さん
別スレでお書きされてましたが、200射19*中も中ててしまう自分の中に「俺はこんなにも中たってスゴイんじゃないか?」と自惚れることはありませんか?また、その高い的中を生み出す一番の要素はどこにあると思いますか?

8:真尻さん
真尻です。

自分よりも上もいる事ですし、自分自身は弓道の真理を追いかけている、勉強中の身なので自惚れする事はありません。真理とは、絶対の部分です。射について、中らない時があったらそうなるべくしてなった訳でどこかに必ず理由があるんです。それを応用して考えていくと、中る事にも理由があって、つきつめていくと中る射があります。

それは、筋力が落ちるのは生理的作用としてしかたないと思うところがありますが、それ以外の要素を考えていくと弓を引かなくても絶対に変わらない中る射がある筈です。最近は月に2回程しか引く時間がありませんが、9割は必ず中ります。だんだんその境地に至ってきたような気がします。

最近気がついてきたのが、中る射には無駄がないんです。無駄な筋肉、意識は必要ないという事です。簡単な事です。無駄な力で弓は握らない。ここで肩を上げる、下げるというような問答はなく、自然に上がる部分で引く。狙いがどうだという問答はなく、自然に3重十文字、5重十文字が合っていて会に収まれば目をつぶっても、的の正面に立っていれば必ず中る。中る為に必要な最短距離だと思います。

その為には道具が必要になってきます。道具はバランスがよくないといけません。弓にしても弦にしても矢にしてもです。自分が無意識の境地で引いたときに中らないと意味がないからです。悪いバランスの弓を引いたりすると、バランスをとることに意識が傾き、およそ無意識に境地で引けません。だから、道具についてはいつも細心の注意を払います。

高い的中を生み出す要素は、毎日弓を持たないでも弓を引いている事だと思います。生活そのものに私の弓同観があるのも事実ですし、弓道やらないと弓道がうまくならないのは嘘です。そういう新しい感覚は生活のどこかにありますし、例えばコップを何気なく握った時の触った感じが弓でもっとも理想的な強さかもしれません。常に五感を開いたような状態で体に対して起こるすべての事が弓道に生かせないかと無意識に考えています。普通に弓を引いていても普通で終わりますからね。

9:半平太さん [url]
うんうん、深い。(T_T)
今までもすごい人だと思っていましたが、やっぱりです。
特に「高い的中を生み出す要素は、毎日弓を持たないでも弓を引いている事だと思います。・・・体に対して起こるすべての事が弓道に生かせないかと無意識に考えています。」の部分は、私の理想です。

そういうことを言う人、実践している人がいるということ自体が嬉しいです!自分はまだ全然出来ていませんが、自分も頑張らねば、という元気をもらえます。
自分もいつかそうなりたいです(^-^*)

10:暇さえあれば弓さん
いくら高的中を出しつづけても自分に少しも自惚れない。日頃も弓道に生かせる事を無意識に考える。これが真実であれば、とてもスゴイことですね!私はまだまだ日常生活から弓道に生かせることを考えながら行動してますが、無意識にはできません。日頃の修練の成果ですね。脱帽しました。頑張って下さい。

11:佐久間さん
遅れましたがありがとうございました。
名前ないのも私でした。失礼しました。

12:歩く弓の武者さん
書に曰くの部分での「鉄石相剋して火の出ずる事急なり」の文が、伝書父母の巻及び中央の巻では第四位にあり、「金体白色西半月」が中央の巻では第五位にありますが、なぜ第四位と第五位を即ちという言葉で繋ぎ、同一として言い換えているのですか?もしご存知でしたら教えて下さい。

13:道民さん
 この言葉は竹林派のものだということはご存じだと思います。
 それで、その始祖である竹林坊如成が、著述の中で「「鉄石相克して・・・」の上にある第五位の位には至れなかった」と述べていることから、竹林派では鉄石・・・が最高位になっています。それゆえ最高位同士を結びつけたという点でなんら矛盾は生じません。

14:真尻さん
>>13
道民さんありがとうございます。

私は、自分の究極を求めているので本等で知識は得ない主義なので、弓道の歴史や説法などは苦手です。
将来的に自分の射が円熟したらそのような知識を得ようと考えています。それまでは自分は技術的な面で中るという事について、一本一本真摯にうけとめる覚悟で修行します。

15:中村さん
前どこかのスレで、グラス弓にも寿命があるみたいなことが書いてあった気がしますが、どのくらいなんですか?キロ数はどのくらい落ちるもんですか?

16:真尻さん
グラスの寿命ですが、キロ数だけで考えるとかなりもちますよ。弓や保存環境、矢数によりますが、8年以上は大丈夫だと思います。

しかし、私が言う寿命というのは上下のバランス、弓の反り、弦の入りといった要素、すなわち総じて言うと何もしないで中るというベストの状態という意味で、先日は直心系が4年、その他の弓が2年くらいという表現をしました。

しかし、この年数も射手のレベルが高いともっと伸びます。竹弓が射手がうまいと育つという話は聞いたことあると思いますが、グラスの弓も育ちます。中る人が引く弓は中るようになっていきます。逆に下手は人が引くと、中らないようになっていきます。自分の弓がどうかと思うときは、本当の意味で弓道がわかっていて、うまい人に引いてもらえばバランスなどをチェックしてもらえます。自分では癖などあるのでわからない世界です。

17:中村さん
返信ありがとうございます。
癖がつくのは、よくしりませんでした。また知識が増えました。ありがとうございます。

失礼ですが、真尻さんは、何段なのでしょうか?さしつかえなければ教えてください。

18:真尻さん
23歳の時5段取りましたよ。
審査はそれ以来うけていません。

19:三平太さん
審査とは何ですか?昇段審査は真尻さんにとってどんな位置付けとしてとらえられていますか?私は現在、参段なのですが四年程審査を受けていません。周りからは受ければ合格するよ!と言われますが、癖が直らず自分で納得できていないので遠慮しています。しかし、挑戦する前向きさは大事ですのでこんな考えではいけないのかなぁと最近考えています。一つの意見としてお考えを教えていただけますか?

20:真尻さん
私は審査にはそもそも興味がありません。こんな事を言うと、審査を目指している人に失礼かもしれませんが、失礼を承知して私が考えている事を述べたいと思います。

弓道の段位の取り方は他の武道なども含めた段位に比べると異質だと思います。例えば、柔道だと相手と戦って勝てば段位が取れますし、卓球にも段位があって全国大会とか行ってベスト8とか入ると段がとれます。他にもいろいろありますが、剣道は弓道とにていますね。

それで、弓道の2本の矢を引いて行う弓道のやり方ですが、弓道は的と自分があって自分との戦いと言っておきながら、結局は認定するのは他人です。しかも、同じ射手が別の会場で一週間後に受けたらうかったりすることもあります。つまり、一回目は失敗しても二回目でどうにかなったという事です。私は高校時代から戦う弓道を信念にやってきています。小さい頃からテニスで留学、全国制覇と戦ってきたからそういう覇気でやってきた部分が大きいのですが、先ほどの二回目に受かったその射手は一度死んでいるんです。それで二回目が受かった・・・勝負の世界に次はありません。そこの部分が一番審査が私が受け入れることができない部分です。大学時代はこう思いました。「チームメイトに認めてもらう方が、審査委員の人に認めてもらうよりもはるかに難しい」と。だから、他人に認めてもらう弓道をやるのであれば、審査ではなくもっと身近に大事な事があると思っていました。

21:真尻さん
それともうひとつ審査について嫌になった出来事がありました。チャットでも書きましたがこんな事ありました。

私がとある町道場に行った時の話です。
そこは、使用料を払えば誰でも使う事ができ、出張中だったのもあり、軽く引こうと思ってやってきました。

しかし、やはりよそ者なので引いていると影で「中っているけどあの射はなんだ」とか「ちょっと早いね」とか「射が若いよ」などこそこそ話が聞こえてきます。その中で一番偉そうな人が私の所に来て「ん?君は何段かもっているのかね?」と聞いてきました。ちょっとむかつきましたが「5段です」と答えるとそれから皆さんの接し方や見る目が変わりました。「こういうのを手のひらを返したように」と言うんだろうなと実感した瞬間です。

「やっぱりすごいね」「あの若さでよく引けているな」「ちょっと教えてもらおうかな」など人っていうのはいい気なものです。先ほどの偉そうな人は一番そこで段が高かったらしく、「私は錬士6段だよ」と聞いて欲しかったらしく一生懸命私と話をしてその話にもっていこうと努力されていました。射を見たのですが、相当たいしたことありませんでした。私の見た目が厳しいのかもしれませんが。

その人はいきなり来た私が5段で、8〜9割平気で中てていたのもあって皆私に注目している皆さんの様子が面白くなかったのでしょう。だから一生懸命錬士6段と主張してきたんでしょうが、本質はここなのかな?と考えました。

22:真尻さん
まわりもそうですが、その時言われた言葉で「(美術館で)子供はまず絵を見る、大人は絵の横にある作者名を見てから絵を見る」という言葉が印象に残りました。その人たちは、私が段位を言うまで私を見ようとしなかったでしょう。じゃ、段位を言ってから私を見るようになったということは、段位を見て私を見ていないのではないか?そう考えるとますます段位に対する気持ちがなくなっていきました。

私も三平太さん同様に、いろいろな人から錬士や6段は取れるよと言われています。しかし、本当に興味が私にはありません。

実は、5段取ったのは自分の為ではないんです。大学時代に、地元の高校の子を休みの間を利用したりして教えていました。高校生レベルですから、私も教えることができていて、その子も順調に中るようになっていきました。夏に帰った時、高校に行って教えようとしたら、その子が「先生に、二段程度しかもっていない人に教えてもらうとまわりに対して恥ずかしいからやめなさい」と言われたので、もう教えてもらうことができません。といってきました。高校時代に2段しか取っていなかったのでそれ以上受けていなかったのですが、それが悔しくて、その子の為にと思い頑張って大学時代4段、卒業してすぐに5段を取りました。今その子は一般で引いていますけど、今でも仲良く引いています。自分の名誉の為ではなく、人の為に取った段位というのは恥ずかしい話ですがこんな人もここにいます。

いつの日か、私も段を取る事に何か考え方が変われば取る事になるのかな・・・

23:涙さん
今、真尻さんのチャットのログを見させていただきました。私はもう終わった高校時代一生懸命中てようとしていましたが、書き込み呼んでスポーツに過ぎなかったんだなと涙がでてきました。また、趣味の弓道ではなく、本当の戦う弓道を本気でやりたくなりました。大学では弓道を部活でやらないつもりでしたが、今日部活を見学してきます。そして、入部したいと思います。いいきっかけありがとうございました。
他の人は意味がわからないと思うので、ログをはりつけておきます。

07Jun/11:14
[真尻] よく、平常心とかいいますけど。それは中っている状態で言える事で中らない状態で平常心はないと考えます。中らないうちは欲があってもいいんじゃないかなと
[真尻] 武士道ですからね。やはり
[真尻] 戦国時代に弓で楽しむ事なんかしてなかったでしょうし、新しい考え方だと思います<弓好き
[真尻] 四半的は弓好きの延長から出来たんでしょうけどね
[真尻] 生きるか死ぬかの境目で生きるんですよ。簡単に言えば<武士道
[真尻] だから、その一本にどこまで命を注げるかが弓道ではないかと思います。その部分を、弓好きで競技以外の部分で行っていればりっぱな武道家だと思います。
[真尻] 試合に出る=選手タイプとは違いますね。
[「」=9] 例えば?<競技以外の部分
[真尻] 戦う相手は自分であって、試合みたいに見た目で戦う部分がなくても戦えると思うんですよ
[真尻] だから、体配で一手引くといっても戦うかどうかは自分の気持ちしだいであって、そこで戦う姿勢ができていれば武道だと思います。
[真尻] もし、今日一手しか引かないという審査があったら、朝起きたときから、いや前の日からそれにむかって精神的な部分をもっていくでしょうし
[真尻] 朝、家を出る前に靴がならんでいなくてそれをしっててならべないでいくのは、自分自身に隙ができます。だからそういう所から戦っているとおもうんですよ
[真尻] 自分が、引く一本で戦う姿勢であるなら道場にいる間、また生活に妥協はできないと思います。
[真尻] 生活に妥協がある人は、本当の意味で弓を引くときに妥協があると思います。
[真尻] ここが、私が考える弓道の楽しさではないかと思う部分です
[真尻] 弓道をスポーツで捕らえている人は、ここまで考えていませんよね?試合で中っていても武道ではありません。

24:涙さん
段に関して、皆がそういう人ばかりではないと思います。それと、人の為に段をとるというのは恥ずかしい事ではないと思いますよ。少なくとも私はそう思います。

25:凛さん
初めてこのサイトを発見した日から真尻さんはスゴイ人だと、勝手に自分が弓道を続ける理由に真尻さんのような人になると決めていました。僕が弓道にのめり込む6度目のきっかけです。僕は高校2年から初めて今まで一度しか審査を受けた事がありません。現在3級です。一般の道場でも引いているのですが、僕を見る人の目は大きく分けて2つあります。それはまだ弓道暦1年なら8割程度の的中はあっても所詮こんなもんだろうと、だから3級なのだという人の目と、1年でよくここまで安定した的中を出せるものだと褒めてくれる人の目です。前者は高段者の高齢者、後者は20代から30代くらいの方々で段位は前者に劣るような人たちです。僕の目から見れば明らかに後者のほうが素晴らしい射手です。

26:凛さん
こんなの事を言うのは大変失礼かと思いますが、前者の方々は他人の射を否定する事しか知らないように思えます。僕は骨格上生まれたころから左手に特徴があります。どう頑張っても骨の形からして真直ぐに伸ばすことができないのです。前者は必ずそれについて指摘し「君の的中は中りではなく当たりだ」と僕の射を否定することしかしません。しかし後者の方々はいい部分を見つけた上で「ここがこうだからこうしてみたら?」と提案してくれます。だから僕は後者の方々は好きですが前者の方々は好きになれません。真尻さんは断然後者の方々の気がします。

27:真尻さん
>>26
仕方がないことだと思います。
真善美という事がよく言われますが、誰もが認める美というのは力の使い方も見た目も完璧である状態です。力の美については努力でどうにでもなりますが、見た目の美については、たまたまめぐりあった体格、骨格、そして道具が備わっていないと達成できないものです。医者の診断書があれば立射での審査も可能となっていますが、それは3段(地方によっては2段)までの話でそれ以上は座射になるので望めません。(もしかしたらできるのかもしれませんが、見た事ありません。知識不足かも・・・)

つまり、凛さんには厳しい言い方かもしれませんが、最終的に高段位というのは恵まれた弓道的勝ち組しか得られないものです。

しかし、的に対する中り外れは皆に平等に与えられます。だから凛さんには、審査は最終的に諦めるところまで行っても、常に的と自分を同じ距離において、試合だけではなく戦う心を忘れないで欲しいです。つねに28m、変わるのは自分だけです。そこに戦いの場を求めてください。

頑張って!!!

28:真尻さん
医者の診断書の話は足が悪い人の例です。言葉が抜けていました。

29:零さん
すみませんがバイアスカーボンとゆう弓の材質を見つけたのですが真尻さん知ってますか??もし知っていればその特性など詳しく教えていただけないでしょうか??お願いします。

30:真尻さん
>>29
店の人に聞いてみましたか?

31:半平太さん
真尻さんこんばんは。少し失礼なことを書きますがお許しください。
とある町道場で「ん?君は何段か持っているのかね?」と訊かれた時、何故そう訊かれたか考えてみたことはありますか?
真尻さんの技術論や道具(グラス弓や弦)に対する知識はいつも素晴らしいと思い、尊敬もしていますが、同時に体配についての記述が見られないのが気になっていました。
もしあなたが五段の射をしていれば、少なくとも上の様な質問はありえないと思いますが、どうでしょうか?
また、それと関連することですが、審査に対する疑問は分からないではないですが、他人(この場合は上記の錬士六段の先生と思われる方やその町道場の会員の方)を馬鹿にするような書き方は武道家としてどうかと思います。
私は今参段ですが、どこに出ても少なくとも参段に見られる射はしているつもりです。
重ねて失礼をお詫びします。

32:デビさん
デビ@管理人モードです。

真尻さんの書き込みはとても勉強になりますね。しかし、真尻さんに何でもかんでも聞けば良いってわけじゃありません。

個人的な弓道感や、そういった話を名指しで聞くのはしょうがないかも知れません。(もちろん、プライベートな話はデリケートに扱ってください)
ただ、自分で調べられることは自分で調べるべきですし、個人を限定せずに答えられる話は一般的に聞いてもらえませんか?

真尻さんは好意で答えてもらっているに過ぎません。
な〜んか、放って置くと真尻さんに負荷がかかりすぎて申し訳なさ爆発。

まずは自分で出来るレベルで一生懸命調べるなり研究するなりする。それでもわからない場合や、意見を求める場合に掲示板で聞くなり、師匠に話を求めるなりする。

これは質問する側の礼儀だと思います。弓道を通じて色々学んでいるかと思いますが、ここでも活かせてもらえると良いかと思います。

33:真尻さん
>>31
体配に関しては弓道の基本ですので、常にやっている事です。体配ができているかどうかは他人の目なのでわかりませんが、自分自身は常に妥協は許さない覚悟でやっています。実際審査で一度も落ちたことがないので、審査がその評価されるポイントであるなら、おそらく5段の体配、気の配り、流れ、そういった要素はできていると思われます。この掲示板は自分のすべてを語れる場所ではありません。だから、別に意図があって体配の話をしていないのではありません。

>>32
お心遣い、ありがとうございます。

34:デビ@普通の発言さん
昇段を何度も受けてる派の人です。

私の場合は審査は生き死にの場所ではなく、昇段審査を受ける度に少しは進歩している感もあります。

>弓道は的と自分があって自分との戦いと言っておきながら、結局は認定するのは他人です。

私は「誰かに認定なり客観的に見てもらって自分の位置を確認したい。一生懸命練習しているけどどれくらいうまくなったか?の尺度がほしい。少しはほめて貰いたい。」ってな軟弱な気持ちがあります。

甘えももちろんありますが、人間臭い本音であると思っています。

>>21
あたりの話を読んで思ったのは2つの側面。
もちろん1つ目は「地元の人たちは段位崇拝主義者で本当の実力を見れないのか」という落胆。後もう一つは「真尻さんの実力を認めてくれないコトに対する苛立ち」です。後者はまぁ、私の毒舌ですが。

何が言いたいかというと、折角地元の方との交流があったのだから「相手も認めてあげて、楽しくやればよいのになぁ」という思いです。
最初から拒絶せず、良い点のみ吸収し、可能なら真尻さんの考えを広めてくれば良いのになぁ。っと感じました。(もちろん、子供じゃないので表面上仲良くやってきたと思いますが)

ここら辺は、学生弓道で熱く過ごした人が一般弓道に入って感じるギャップなんだと思います。多くの考えを認める強さってのも有りなんじゃないでしょうか。

俺って軟弱者っとよく思います。弓道サイトを運営しているのに技術的な話が全然できない。

35:真尻さん
>>34
お返事ありがとうございます。

>誰かに認定なり客観的に見てもらって自分の位置を確認したい。一生懸命練習しているけどどれくらいうまくなったか?の尺度がほしい。少しはほめて貰いたい

例の錬士の方は、その道場の他の方から聞いた話によると、錬士、6段を取る頃は全国を回って週末の度に審査を受けていたという話でした。そこまではいいのですが、受かった後は段位が自分より下の者を絶対に認めない、自分が上で絶対に正しいから話しを聞けとばかりに、指導、考え方を押し付けてきていたそうです。だから、他の人もあの人に大きな口をたたかせないように上を目指そうという、なんというか名誉欲の争いといいますかそんな所があったそうです。デビさんのような考え方で審査受けるのはどちらが正しいのでしょうね?正直私にはわかりません。

>何が言いたいかというと、折角地元の方との交流があったのだから「相手も認めてあげて、楽しくやればよいのになぁ」という思いです。

私は自分で言うのもなんですが、人見知りしない性格で、誰とでも仲良くするタイプです。だから相手を否定から入る事はしません。出張先でよく違う道場で引かせてもらったりします。だから、様々な出会いを体験してきました。その中で道場で仲間に入るきっかけが段位の話です。ま、弓道家誰でもが共通している話題だからという事もあるとは思いますが。一般で引かれる方って、まずは段位なんでしょうか?押し手がまっすぐ押せない子が上で書き込んでいましたが、その人を見るのが先かなと思うんで・・・これも私にはよくわかりません。5段の射は5段の人しかできないのでしょうか?

上の例の人たちとは、今では仲良くしてもらっています。私が来て、錬士の方も段位だけが実力じゃない事が理解できたらしく(先日飲み会で言われていました。)、今では段位とか関係無しに接してくれるいい方です。他の方も言われていましたが、その人との弓道論の対話が、以前の押し付けから本当に議論になってきたという事です。相手の話が聞けないとただの押し付けですからね。

上の2点について、みなさんはどう考えられますか?私は審査に対するこの部分の考え方がどうしても未熟でわからないのです。

36:涙さん
私はどちらかといえば、名誉欲です。これは自分自身が欲しいだけで、誰かに自慢したいとかそういうのはありません。

5段の射は5段の人しかできないのでしょうかという問いには正直私も疑問を感じます。よく言われるセリフなんですが、骨格等の問題があっても2段までは取れると思うので、「2段の射をしなさい」というのはいいですが、「5段の射をしなさい」というのは差別用語のような感じもあります。もともと、この言葉は段位絶対主義の中でやっている人同士の集団で、誰かが審査で受かったときに、上の人が戒めで言う言葉であって、これを乱用するのはいかがなものかと考えます。

以上、私の意見です。

P.S
昨日、大学の部活の方見学に行きました。今週中にでも入部してきます。

37:お姉さんさん
個人的な考えですが、称号・段位があろうがなかろうが、立派な方はいらっしゃいます。審査を受ける受けないは個人の自由なので、その心情を理解したいとは特に思いません。高段者の方はそれだけ長く弓道してきたって事ですから、その部分は敬うに値します。(その間に人間性を高めたかどうかは別にして)低段者を認めないとか馬鹿にするなどは、心のお勉強がまだまだ出来てない証拠です。今後に期待するだけです。
人を魅了する射というものが出来ればよいなぁと思います。
そのような射は自分にとっても納得出来るものだと思えるのではないでしょうか?
なんの参考にもならない意見で申し訳ない。

38:弓眠童子(PC)さん [url]
なんか、技術論から段位の話に完全に転化してますね。
俺も段位は特に気にしていません。段位はその段級審査を受けたその瞬間の実力しか表してないと思うんです。真尻さんの言うように自分との勝負で認めてるのが他人・・・!って気持ちもあります♪
自分自身、この前参段審査に落ちました。でも、なんで受からなかったんだ!というより、弐段認許された時とは違い射型が崩れていて、体配もぐちゃぐちゃ。これじゃあ、弐段を受けてたら間違いなく二段も落とされていただろう・・・もしかしたら、初段すら?(一応弐中しているから・・・でも、的中による認許なんて・・・)というほどひどい射型でした。しかも、それがただの緊張じゃなく、どちらかといえば普段の射型だったんです。
ですから、今、弓道弐段を持っていますが今の自分の実力がおせじにも弐段とはいえないんです。・・・ちょっとヒガミにも聞こえるかもしれませんが(ヒガミも入ってると思いますが)それは自分だけに当てはまるものじゃないと思うんです。だから、もし誰かに俺○段なんだぜ!って言われても、結局、それで?で終わってしまうんですよねェ〜
でも、俺は優柔不断なんで真尻サンのように俺は俺が正しいと思う道を行く!みたいなカッコいいことできないんですよ。もし、受かったらカッケぇな俺!みたいな軽い気持ちなんです♪あと、自分の弓は精神内の創造なんで他の人みたいに完全なる無を求めていないんですよ。むしろ、雑をうまく使って精神内で自分の芸術を創る。それには”ある程度の無”という土台が必要。何かを創るとしてもそこにある程度のまっさらさが無いと何も創れない、自分のイメージするものが表現できないんだ。(←初心者が何を言ってんでしょうね)
これから、引退後は受験が控えているんで今後、自分の弓の道はどうなるか分かりませんが、再開する時はまず初段の腕前より下だろうなァ

39:中村さん
僕の教えてもらってる先生はとてもうまいです。段位は四段ですが六段七段といわれてもじゅうぶん通用する射をしています。
他にも、五段くらいかなと思い、聞いてみたところ、なんと初段でした。
あえて段位を気にしないでやっている人もいます。

…ってなんか自分でもよくわからないことを書き込んでしまいました。意味わかんなかったらしいません。

40:中村さん
訂正
しいませんじゃなくてすいません。でした。とにかく段位をもたなくても立派な射をする人はいると言いたかったんです。

41:春樹さん
誰でも段位を取れば自慢したくなると思います。段位がなくてもいい射手はいるというのは奇麗事で、どんなスポーツ、武道にも弱者と強者がいるのは当然でしょう。求道している以上、誰もが「もしあなたが五段の射をしていれば、少なくとも上の様な質問はありえないと思います」という事を言いたいのではないでしょうか。

42:通りすがりさん
高段者だと自慢して何になるんでしょう?
私が感じるのは、例えようが悪いかもしれませんが『弱いヤツほどよく吠える』です。
人にはそれぞれの考えや目標がありますから、お互いを認め合い、尊重し合う事が大切なのではないでしょうか。

43:半平太さん
>33
真尻さん、体配のことお答え頂き有難うございます。それを聞いて安心しました。それで真尻さんの段位を見抜けなかったのならその人の見る目が無かったのでしょうね。

>段位について
私は今参段と書きましたが、自分は参段を誇りに思ってもいないし、恥じてもいません。なぜならば、いずれにしろそれは通過点でしかないからです。例えば中学生が自分の年齢を恥じたりすることが無いように。
自分のゴールは、いつのことかは分かりませんが、全日本選手権での優勝です。だから人の段位を羨ましく思ったりひがんだりすることはありません。
真摯に弓道を追及し続ければ、時が経つに連れておのずと段位称号は付いてくるものだと思っています(もちろん審査を受けなければ昇段しませんが)。

躍起になって昇段を目指しても、人前で引けばその人がどんな弓を引くのかは一目瞭然ですので肩書きなど何の意味もないですからね。

しかしながら、高レベルの大会や選手権などに出場する為に昇段する必要は大いに感じています。参段では参加資格の無いことって結構多いですものね。

ところでこれらには全て日弓連の枠組みの中で弓道を志すという前提があるということは銘記しなければなりませんね。
どこの団体にも所属せず、自分の道を究めるために弓道をしているのなら段位は関係ないでしょうし、流派には流派の免許がありますから日弓連の段位はそれ程意味がないかも知れません。

私は段位についてそんなふうに考えてます。

44:真尻さん
皆さん、いろいろ書いてくれてありがとうございます。「真尻さん教えてください!」のスレッドなのに私が教えてもらっていますね(笑)

審査については人それぞれという事がよくわかりました。段位は今自分にとって、名詞代わりかもしれませんが、いずれそれ以上の価値を見つけ出し、興味が出てきたら受けようと思います。

45:中村さん
真尻さん、話題が審査から変わりますが…
弓返りをしたあと弓はどのくらい落ちますか?弓の質量分多少落ちるものだと考えていました。実際どうなのでしょうか?
ちなみに、僕は中指が籐の一番下にまでいかないのですが、やはり少しだけ落ちている感じがします。

このスレで審査についても色々考えさせられました。僕はまだ弐段で、的中も7割くらいです。今は自己の向上のひとつの目標(通過点)として審査を考えてます。秋の参段審査を受けようと思います。

46:真尻さん
重量が重たい弓を使うとやはり落ちやすいと思います。あと、返りがゆっくりの弓も落ちやすいです。
だから、どのくらいという目安は人それぞれだと思うのですが、私が直心1の16kgで、鷲羽の矢を引いて親指半分くらいです。白鳥の矢を引いて親指一本くらいです。
参考にどうぞ

47:中村さん
矢の羽によって違うとはしりませんでした。できれば、なぜ羽により違いが生じるか教えていただけますか?

48:真尻さん
イメージを変えないといけないからです。鷲系、白鳥(水鳥系)は飛ばし方が根本的に違うのでそうなります。鷲は飛ばす意識、水鳥は飛んでいく意識で引かないと持ち味が出ません。一番だめな使い方が、水鳥で飛ばす意識を強く出す事です。飛ぶには飛ぶのですが、羽根が弱いのですぐに羽がぼろぼろになって寿命を迎えます。

49:中村さん
羽による違いをそこまで知りませんでした。真尻さんのおかげでまたひとつ勉強になりました。ありがとうございます。

50:印西さん
自分の知識不足を感じます。
お聞きしたいことがあります。
左肩根の使い方と前開後閉について教えていただけないでしょうか。
自分なりの解釈は前開後閉は肩胛骨を背骨下方に向かい締め続けることかなと感じています。

51:真尻さん
http://ecoecoman.com/kyudo/bbs200509/2004060103315710.html

の24番目のばるたんさんが書かれていたのが、肩の使い方は参考になるかと思います。

離れには6種類あると思います。

断(たちきる)
破(わる)
殺(ころす)

拂(はらう)
訣(わかれる)
無(何もない)

大きくわけて2系統、それぞれの下にあるものが究極と考えます。私は殺さない離れなので、無を目指しています。今はまだ訣の離れです。

印西さんの肩甲骨の寄せ方は破の離れが出やすいと思います。やりかたはそれもありだというだけで、ある程度のレベルを超えると何が正解かはありません。自分の離れの究極を見極め、自分を解放するための射の運行を行う事が大事だと思います。

52:佐久間隆さん
6種類の離れに興味があります。引用先を教えてください。よろしくお願いします

53:葵使いさん
引用元?

54:真尻さん
>>52
私の師匠との対話と、私の弓道の経験から得た答えです。この先に両方が結びつく離れが存在すると思います。それが、名人伝に出てくる不射之射だと思います。


リンク:青空文庫「名人伝」
http://www.aozora.gr.jp/cards/000119/files/621_14498.html

ちなにみ、青空文庫は著作権がきれた作品が多くただでよめるので、弓道関係なしにおすすめです。有名な名作が沢山ありますよ。

>>53
まあまあ(^^;;
http://www.flowerlounge.com/archives/000161.html
の文章を読むと、引用元が正しいようですね

55:ヒロさん
突然に話しを変えてしまって申し訳ないのですが、僕は今勝手の在り方について悩んでいます。今まで勝手については手首が立っている以外に指導された経験がないのですが、一般の所属している団体のある方にバランスのイイ射をしているが、勝手の在り方がなっていないといわれました。僕には意味がわからずどのようなことなのか尋ねると、自分で工夫するのが気味の信念ではないのか?と言われ困り果ててしまいました。自分で気付いたのは親指が内側に曲がっている、つまり人差し指中指に必要以上の力が加わっていることまでは気付いたのです。しかし、力を抜くと手首が起き、力をいれると親指が的を向かないと言った状況です。誰に聞いても打開策が浮かびません。上手く勝手を整えるにはどのような練習をすればよいのでしょうか?

56:真尻さん
まず、その団体の方の人は確かな人なのでしょうか?

学生さんかどうかわかりませんが、今所属している所以外から射を学んできた時は要注意です。弓道はどんなに頑張っても、悪い所は常にあるものです。だから、下手なうちに20箇所悪い所があったとして、その中の一箇所を指摘するのは誰でもできますが、その一箇所がその射手にとって一番今治すべきかどうかはわかりません。物事には順序があって、それらを今所属している先生が管理してくれていると思うのです。そういう風に考えると、外部の人の意見は、おそらく悪いんでしょうが気にしないのも大事です。

それらをふまえた上だとして話を進めます。いかがでしょうか?
それでも聞きたいのであれば、以下の事を教えてください。

・3つがけですか?
・「親指が内側に曲がっている、つまり人差し指中指に必要以上の力が加わっていることまでは気付いたのです。」それは会の状態の話ですか?
・「力を抜くと手首が起き」のイメージがわきません。もう少し詳しくお願いします。
・かけで軽くとりかけたイメージを作った場合、親指の先端の位置はどこにきますか?
・かけの中は親指をそらせる引き方ですか?

57:ヒロさん
なるほどと納得しました。確かに悪い部分は誰でもあるものですね。その方が確かな人なのか分かりませんが、よくいろんな方を指導していて指導者的役割をしておられる方です。僕はこの射(勝手)で自分のタイミングで離れが出れば7〜9割の的中はでます。少しでも向上の余地があるのなら直したいと思っています。もしかしたら、この悩みが誰かの治さなければならないクセであるのかも知れないので打開策を知っておきたいのでお願いします。
・僕が使用しているのは3つがけです
・大三から引き分けに移行するときから親指が内側を向いていました
・指先の力を抜こうとすると手の甲が天井ではなく後方(勝手肘側)を向いていますのです。
・やはり多少は内側を向きますが一つ前の的をむいているような感じです。
・かけのなかでは親指をそらせて引いています。
言葉足らずや理解力不足で申し訳ありません

58:橋本さん
>>56

>学生さんかどうかわかりませんが、今所属している所以外から射を学 んできた時は要注意です。弓道はどんなに頑張っても、悪い所は常に あるものです。だから、下手なうちに20箇所悪い所があったとして、そ の中の一箇所を指摘するのは誰でもできますが、その一箇所がその射 手にとって一番今治すべきかどうかはわかりません。物事には順序が あって、それらを今所属している先生が管理してくれていると思うのです。そういう風に考えると、外部の人の意見は、おそらく悪いんでしょう が気にしないのも大事です。

これまた、共感しました。
私もこの掲示板で技術を得ようとしていました。しかし、この文章を読んで考えてみると、私が先生がいながらここで学ぼうとしている事は先生に対する失礼な事だなと思いました。
教えてもらうというのは正しい事だけではないと思います。実際、先生は私がここで聞いてきた事を「今はまだ気にしないでいい」と言って教えてくれない事もあります。それでまた気になってここで聞いてしまいます。でも、それは私にはまだ時期ではないという事をいいたいのであって、私に意地悪で教えてくれないのではないんだなと、今本当の意味がわかりました。

先生がいながら、ここにきていろいろ聞いている人もたくさんいるかと思います。皆さんもそう思いませんか?

59:弓を志す男さん
そう思いませんか?とは何を指しているのでしょうか?座談会での発言は参考にするのはいいと思いますが…。やはり、直接指導してもらうのが一番だと感じます。ここで聞いたことを解釈を間違えておぼえてしまうケースもなきにしもあらずですから。

60:佐久間隆さん
教え手が折角その射手について成長の道筋をたててやってくれているのに、他から学んできた正しいけど必要ないことを簡単に受け入れると教え手はやる気なくしますね。本当に失礼に値すると思います。

師匠に弟子入りしているのに浮気ばかりしているようでしたら、昔だったら破門です。

高校生はこの真尻さんの話しわかりますかね?自分が初心者の子を教える担当になったとして、ゴム弓からきっちり教えていてやっと的前で引けたという感動の翌日に、その子がどこからか「弓返りしないと1人前じゃないと言われたからその練習やってます」と勝手にやってたらどう思いますか?

この話しは先生がいる人は覚えておかないといけない事です。いつまでも信頼関係がきずけません

61:ヒロさん
偏に失礼だと思うのはどうでしょうか?僕は高2から弓道を始めました。指導されたことはほとんどありません。その年に入った後輩は最初付きっ切りで指導してもらっていました。その後も僕がどんなに不調でも見てくれる人はいませんでした。それでも多少なり結果かは残したつもりです。僕が言いたいのはそんな人は何から学べばよいのかということです?教本や他人の射から自分に欠けているものを探して練習して工夫して、それでも解決できないときには誰かを頼る時があるのです。確かに失礼かもしれませんが更に上を目指す人にとって一人の指導者から全てを吸収するのではなくたくさんの意見が聞きたいからこの場を利用している。そう言う人もいるのではないでしょうか?一人の指導者の指導を受けていれば極められるとは限らないのではないでしょうか?僕は外部の人の意見を聞き過ぎなのかもしれません。しかし、もう外部の人からしか意見を聞けない立場になってしまったのです。高校の部活を引退してもそれでも弓道を続けていきたいし、自分の射を自分なりに極めてみたいのです。尋ねた身でこんな偉そうな発言をして申し訳ありません。失礼かもしれないと納得しても聞いていまう僕は間違っているのでしょうか?向上の仕方は人それぞれだと思っていたので堪えますね。
真尻さん、この場で僕が打開策を見つけようとしているのが間違いだとお考えになるのならどうぞそうご指摘ください。本当に尋ねた身でありながらのこの失礼な発言を大変申し訳なく思います。

62:真尻さん
みなさん、いろいろ言われていますが順に考えて見ましょう。
この掲示板での射的な指導をどう考えるかです。

自分に教えてくれる先生がいる場合に大事なのは佐久間隆さんが言われる事です。先生の事を信頼できなてもついていく事で、先生のレベルまでは到達できます。それ以上になると難しいですが、そこまでまずは上がるのが大事だと思います。よくこの掲示板を見てみると、初心者で先輩に聞いたらいいじゃないかという書き込みがあるのが目につきます。私にしてみると、ここで聞く事に疑問を感じます。最初は近くにいる人から多くを学ぶ方が、ここでの知識で頭だけ大きくなるよりいいと思います。ゴム弓の例はまさに私がいいたいことそのままです。師弟関係とはそういうものです。

先生を信頼できない、教えてくれる人がいない人はヒロさんが言われるように、何でもいいからと藁をもつかむ気持ちでこの掲示板に臨んでいるでしょう。ただ、気をつけないといけないのが、文章だけのやりとりなので弓を志す男さんが言われる事を肝に銘じておかないとなりません。私でも自分がやれば簡単な事を、書くとなると伝えるのが難しいと考えますし、もしかしたら実際合っていないのでその人に合っていない事も考えられます。先生がいるのに、ここで射的なものを聞く行為をやるのであれば私は自分の中で一切の先生に対する教えてもらう感情を捨てないといけないと思います。特に試合がある高校生、大学生は両方に逃げ道があると最後の最後の大事な一本に迷いが出ます。ハイリスクハイリターンですね。

さて、ヒロさんの射について考えてみました。
単純に、親指の方向が内側に曲がったカケか、それとも親指が折れていませんか?
控えの部分をもって、親指がぐらぐらするようだったら折れています。
それともうひとつとりかけの時に、中指の端からどのくらい親指が出ていますか?
人指し指にも力が入っていますか?親指にしっかりついていますか?
とりかけの仕方が悪いような気もします。

63:幸成さん
僕は先にも書きましたが先生に指導してもらったことがほとんどありません。どんなに不調でも。僕は特別指導しなくても自分でなんとか出来るであろうを信用されていたのではないかと考えるようになりました。実際に先生とよく話す部員は似たような表現を前に僕にしましたので。佐久間さん、真尻さんが仰る事を肝に銘じておきたいと思います。

ぐらぐらしないので折れていないように思います。中指の端が丁度親指の指先にあるような感じです。人差し指にも力が入っています。親指から人差し指・中指が離れる事はありません。
とりかけですか・・・。ありがとうございました。また教本・自分の理想に近い方の射を研究して自分のものにしたいと思います。

64:真尻さん
3つがけで大事な事は、帽子の先端を中指を使って押さえる事で、大三から引き始めに引き分けの方向性を肘に向かって出してあげないといけないということです。だから、人差し指も力が入っているようだと親指の側面を押さえる事となり、親指が内側を向いてしますと思います。それでは、肘に対して引けません。

だから、とりかけの時から中指で先端を押さえると肘に向かった力がかかるイメージで捉える事が大切です。もちろん、会まで同じイメージです。ただ、会では親指が弦でもっていかれるので、それが外れないように中指で押さえるという作用が働きます。お解りですか?この作用が親指が弓の求めている方に対して、もっといえば的に対しての方向を表します。

では、人差し指の役割は何かというと中級者までは中指と同様の動きを与えることで力強さを増す役割という事です。だから、中指と同じ形をさせてかまわないです。つまりは親指に人差し指は必ずしもつかないでいいということです。

上級では人差し指をどう使うかは
http://ecoecoman.com/kyudo/bbs200509/2004032809054111.html
の40番あたりから先を見てください。一度書きました。

これでわからない事があれば、この先はメールをくれたらお教えしますよ。

65:ヒロさん
大変詳しいご解説ありがとうございました。僕にはまだまだ身に着けられないレベルの内容でした。また僕は『会で押し手は動かないように』の押しです。その点からも僕はまだまだですね・・・。会で伸びるとは何ぞや?と言う状況です。どのような射が伸びのある射なのかも分からないような。弓返りもしませんので手の内も未熟です。まだまだ精進しなければなりません。身に着けられないにしても、真尻さんに指導していただいたことが出来るように意識して練習したいと思います。いつか『中り、外れが自分の中で意味をなさない』のレベルまで昇り詰めたいと思います。

66:ならさん
では控えをばねのように使って、控えが折れていたりしている射はおかしいということですか?いままで、いろいろな人をみてきて3つがけで手繰っている射の人はだいたい皆共通してそういう風に控えがなっているような気がします。

67:ヒロさん
僕の発言がおかしかったのでしょうか?僕の発言へのご指摘なら控えとは何を指しているのかが分からないので『控えが折れていたりしている射はおかしいということですか?』の意味が分かりません。仮に分かったとしてもそのような射がおかしいと指摘した覚えもありませんし・・・。もしそのように思われたのなら僕の表現の間違いです。大変申し訳ありませんでした。他人の射を否定する気など毛頭ございませんので。

68:真尻さん
>>67
ならさんは>>64の私の3つがけの使い方について指摘されたのではないでしょうか?
そうだと話の流れがわかりますが・・・

69:真尻さん
>では控えをばねのように使って、控えが折れていたりしている射はおかしいということですか?いままで、いろいろな人をみてきて3つがけで手繰っている射の人はだいたい皆共通してそういう風に控えがなっているような気がします。

これを書くと、結構な人がショックを受けるので書きたくないですが・・・

違うかけがあったとします。それで同じ射ができない事は未熟な事でしょうか?

答えはNOです。違うかけなら離れや引き方が変わって当然なんです。だからそのかけのもつ最高の一射を常に出せるようになるために練習するわけです。どんなかけでも3つがけなら基本は一緒で最終的な部分(力の集まる点、かけ口の形、控えの形、親指の向きなど)で射が変わります。3つがけがまともにある程度一定に引けるようになると、他の3つがけを引いてこれは中るかけだとか中らないかけだとかわかるようになります。究極までいくと、そのかけが持っている引き方は一通りです。それ以外があるということはどこかでかけが無理しています。

70:真尻さん
よく「他の人のかけを引いたらいけない」といわれますが、それは癖がうつるからという意味で、ある程度かけ通りに引ける(かけが持っている引き方が純粋にできる事)ようになると、そのかけを自分が引いたからといって壊す事がなくなるので他人のかけを引いても大丈夫です。別の解釈からいうと自分の手の内を見せないと同様の意味もあるんでしょうけど。

さて、これをもう少し応用していくと先ほどの答えが出ます。
控えをばねのように使うという事を考えて見ます。ばねの捕らえ方にもよると思いますが、上の例のばねとしての使い方は、控えが折れるという使い方です。言われる通り、たいていの手繰る人の控えは折れているか曲がっています。つまり、買った時にかけ師が意図している引き方をしていないという事です。3つがけは肘に向かって引くのは基本です。私が見た9割以上のかけがそのようにできています。中にはひかえが意図したのか、間違ったのか、不良品なのかわかりませんが肘が下の方向に入るかけもあります。そういうかけでない限り、3つがけで手繰って引く事はやったら控えが折れます。もうひとつ補足を入れると、肘が下に入るかけで手繰って引いている人に、手繰っている事を指摘して治させる事はおかしいことです。そのかけではそういう引き方なのですから。もちろん、技量がまだまだでそういうかけでないのに手繰っている人の方が多いんですけどね。とにかく、買ったかけに対して素直に引ける技量をもつ事が控えを折らないコツです。

じゃ、控えは何の為にあるのか?それは一定で引くためです。高いかけになればなるほど、控えが硬く厚くなっていきます。初心者のかけ(安いかけ)はそんなに硬くない・・つまり、どんなにでも引けるようにできているのです。初心者の段階で、かけの通りに引く事は不可能です。だから、ある程度自由度があって肘の動かし方や勝手の使い方、ひねり方などが練習しやすいようにできているんです。

しかし、私の理想とする引き方では控えが絶対に折れるという人もいるでしょう。その人は控えがないかけを引くといいです。絶対に控えは折れません。しかし、控えの形を利用しないで引いているので引く安定性は低いでしょう。

何が正しいのか理解して道具を使うのが大切です。

71:某大学生さん
>>64
http://ecoecoman.com/kyudo/bbs200509/2004032809054111.html

のアドレスがリンクされていません。
何というスレッドなんでしょうか?とても興味があるので教えて頂けると幸いです。

72:中村さん
弓に対して、握力が弱いという事はありませんか?弓力が強いのに握力が弱いと握りこみます。

と真尻さんの書き込みがあったのですが、握力は、どのように関係するのでしょうか。解説をしてもらえないでしょうか。

73:真尻さん
>>71
ひのくに翔美弦・響き・弓神…
というスレッドになります。アドレスが変わったようです。

http://ecoecoman.com/kyudo/bbs200509/2004032809054111.html

74:真尻さん
>>72
人間の体の動きで考えてみると、もし手のひらの力を全く入れない状態で虎口の部分に弓が食い込んできたとき(つまり、大三から引き分けにかけて弓の力が徐々に大きくなってきたとき)反射的に力が大きくなればなるほど握りこんでくると思います。だから全く力を入れない状態では逆に力が入ってしまうのです。

逆に、最初から力を入れすぎると途中で弓の力が大きくなってきたに動かなくなり(余裕がなくなり)緩めないといけなくなります。緩めて締めてを繰り返す人もいます。

だから、適度に握力がないと適度な力で手の内を作れないのです。よく、手の内は握力はいらないといいますがあれは必要以上の握力はいらないという意味で、まったくいらないわけではありません。強い弓になればなるほど、強い弓を弱い弓のように扱える握力が理想的だと言えます。

なんというか、握力が強い人の手を弱い人が必死で握っても、握力が強い人が握り返さずともとも痛くないのと同じで、握力が強いからといって弓を力強く握りこむという話ではありません。

75:真尻さん
あれ?顔が選んだのと違うのが出る・・?

76:中村さん
わかりました。入れすぎず、抜きすぎずといったことでしょうか。いつも、ありがとうございます。

77:某大学生さん
>>73
ありがとうございました。ヒロさんと同じく私にはまだ理解ができませんでしたが、頑張ります。

78:弓神さん
お忙しい中申し訳ありません。
いつも真尻様の素晴らしい御意見を拝見させていただいております。
しばらく試合が無いので、弦を今まで使っていた響から真尻様オススメの龍鳴2号に変えてみました。そこでお尋ねしたいのですが、龍鳴で矢を飛ばす練習をどのようにすればよいのでしょうか?真尻様の練習されていた方法を教えて下さい。また、それによって射にどのような好影響があるのですか?

79:真尻さん
このスレッドの4で答えたようなイメージが大事になります。残心と弓返りが終わるタイミングが一致させる事を一番考えないといけません。

おすすめの練習方法といいますか、私がよくやっている練習法ですが、13kgの弓と16kgの弓を交互に引いて、どちらでも中るようにしています。これができるようになったら、龍鳴でも矢飛び、弦音がよくなると思いますよ。

好影響は、やはり硬い弦に変えた時により中る事です。デビ杯では、普段引かない飛天で的中を維持しました。普段、龍鳴で中てるという難しい事をやっているので飛天は簡単に中りました。それと、肱などにダメージが残らないのもいいと思います。硬い弦で引き続けていて、以前蓄積疲労から肱を壊した事があるのでその心配もいりません。

80:弓神さん
なるほどです!!大変有難うございます!今後の練習の参考にさせていただきます。

81:真尻さん
もうひとつ言うと、龍鳴を引いた場合に一番矢を飛ばす方法の答えがただ押すだけではなくて、いつもの弦よりもやさしく離れを出さないといけなことがわかると思います。それが龍鳴の弦としての性能を引き出す最大値です。

以前も言いましたが、にんじんのみじん切りをすばやくやるのではなくて、よく切れる包丁でトマトのスライスを小気味よくやる感じです。

これがわかるようになる事が弦の心を知る第一歩です。龍鳴が一番これをやるのが難しいと思います。ばねのように感じているうちはまだまだです。

82:弓神さん
>81
ということは、弦によって一番良い離れが異なるわけですか?それを習得するのが最も難しい弦が龍鳴というわけですか?

83:真尻さん
弓の種類、強さ、弦、かけが変わって同じ離れが正しいとは限りません。引き方は同じでも意識のとり方が変わると思います。

硬球のボールと、バレーのボールを一番遠くまで飛ばそうとするときに同じ投げ方ですか?フォームは一緒でもフィニッシュの時の位置も違いますし、投げるスピードも違いますよね?

テニスでたとえると、スマッシュとロブをあげるときは一定のフォームでも意識が違います。

このような違いが弓道でも必要になってきます。普通は同じ弓、弦、かけで練習するのが前提なのでこういった事は考えませんが、時間があるときはやっておいたほうがいいと思います。13kgの弓であてるのと16kgであてるのはどちらが簡単でしょうか?たまに13kgで私は練習しているので16kgがとても簡単に感じます。龍鳴と飛天も同じです。龍鳴で中てるのが簡単にできるようになると、飛天はより中るのです。

84:真尻さん
なぜか、選んだ顔と違うのが出る・・?

85:ヴィトン三世さん
真尻さんは弓歴何年ですか?

86:真尻さん
詳しくは言いませんが、10年以上15年以下です。
小さい頃はテニスをしていて、留学していました。ジュニア時代に全国一位になったことがありましたが、中学校で引退。その後、高校から弓道に転向しました。

87:弓神さん
龍鳴の件はありがとうございました。龍鳴が良い弦だということが身をもって分かりました。

再び申し訳ないのですが、後輩(新入生で全くの素人)の手の内の指導に苦戦しています。真尻様がどのように指導されていたか参考にさせていただけないでしょうか?

88:真尻さん
>>87
なぜか、龍鳴はいい弦なのに敬遠される傾向があります。恐らく弦音がならしにくく、矢飛びを出すのが難しいので中級者くらいのレベルの人が嫌うのが原因だと思います。安い弦を使うと不安というのも、日本人の性格上あるのかもしれません。

素人に対する手の内の指導ですか。正直難しいです。手の内で一番大事なのは、弓と友達になる事です。それがまだのようでしたら、見た目で三重十文字をいじるくらいでそれ以上深入りするのは、本人の可能性を止めてしまうことがあるのでやめた方がいいでしょう。

ある程度弓になれてきたようでしたら、本人のスポーツの経験で考えます。もし、グリップを握るような道具を使ったスポーツをやっていたのであれば、比較的早く弓返りを覚えるのが早いような気がします。

私の場合、テニスでのルーティンが相手のサーブを受ける前にラケットを回す事でした。だから弓が手の中を回るという感覚がもともとありましたので、手の内の上達が早く3日で弓返りしました。このように、その人の経験から分析して教えていくといいかと思います。水泳やっている人は引き分けの感じを知っているでしょうから、そこから教えると成長が早いです。剣道やっている人は肩バランス、使い方がうまいので、三重十文字はすぐに覚えるでしょう。ゴルフをやっている人は、間の取り方がうまいので射的に未熟でも上級者のような間の取り方ができるようになりました。

手の内の教え方ですが、弓道問わず手のひらで回すような経験をしたことがない人に回す事を教えてもピンとこないと思うので、傘を開いて握りの部分を手の内のようにして右手で下の丸い部分回して遊ばせました。これは以外にいい練習です。ゆるめるわけでもなく、締める訳でもなく回すという事が理解できやすかったようです。

なんにせよ、私は初心者を教えるのは苦手です(笑)

89:半平太さん [url]
真尻さんこんばんは。
>>83 の「13kgの弓であてるのと16kgであてるのはどちらが簡単でしょうか?たまに13kgで私は練習しているので16kgがとても簡単に感じます。」
という所ですが、私の考えとちょっと違うので伺います。

私は自分の骨格や筋力に合った弓を引くのが一番簡単というか、自然だと思うのですが、敢えて弱い弓を使って練習する意味は何でしょうか?
私は教本1巻の99ページにもあるように、『弓の抵抗力』というのは射法、射技の基本であり、弓の抵抗力と自分の筋力のバランスを無視してはいけないと思っています。
弱い弓を使って練習する場合、どこかで詰めあいを緩めたり手先を使って離れを誘発しないと離れが出ないような気がするのですが、そうではなく自分の筋力、骨格に合っている強さの弓と同じ様に引けるのですか?

90:真尻さん
>射技の基本であり、弓の抵抗力と自分の筋力のバランスを無視してはいけないと思っています。

簡単に言うと、筋力と弓の強さが比例するとした時に、筋力が無い人は強い弓は引けません。逆に筋力がある人は弱い弓が引けます。その場合、

>弱い弓を使って練習する場合、どこかで詰めあいを緩めたり手先を使って離れを誘発しないと離れが出ないような気がするのですが、そうではなく自分の筋力、骨格に合っている強さの弓と同じ様に引けるのですか?

という疑問が生じると思います。しかし考えてみてください。最初筋力がない頃は、13kgの弓で合っていた時期はあるわけです。だから、力を抜くという表現は適切ではありませんが力を使わないという引き方をすれば筋力、骨格に合っている強さの弓と同じように引けます。

この場合、力を使わないというのは本当に力を抜いてという意味ではなく、16kgを使っている人間にとって、13kgは無駄な力を省く事を意識をしないで引けるという意味です。結局、このような力の使い方を16kgの弓でもできるようになれば一番中るのですが、筋力がMAX16kgの状態で、力を使わない引き方はできません。だから、力の使い方を弱い弓で覚えたり、逆に強い弓に挑戦して16kgが無理なくひける部分まで筋力のMAX値を上げる必要があるのです。

もし、筋力に合わせて弓を交換する作業が必要ならば、練習する毎に重さをどんどん上げていく必要がでてきます。

弱い弓だと、弓のエネルギーを矢に無駄無く乗せて飛ばさないとうまく飛びません。極端に弓倒しで弓が傾いている人は、下半分を使い切れていないですし、裏筈と元筈の動きがバラバラの人は矢ではない部分でエネルギーが解放されていて矢に伝わるエネルギーが減っています。そういう人が弱い弓を引くとたいていの場合はどうやったらうまく飛ぶような手の内(弓に対する力の使い方)になるか試行錯誤するでしょう。これが手の内を覚えるという事です。

91:真尻さん
自分の筋力に合わせての弓であると、特に男性の場合は下手でも矢は飛ぶので手の内を覚えるきっかけをなくしやすいです。手の内はみかけの美しさで学ぶものではありません。実の部分からくるもので覚えるものなのです。飛ばない弓を引く方が手の内がうまくなるというのは、例えば竹弓を引いている人の方がグラスやカーボンの弓を引いている人よりも手の内がうまい人が多いというのにも表れています。同じ16kgの竹とグラスでは竹の方が手の内がうまくないと飛びません。だから無意識に竹の人は手の内がうまくなっています。グラスでも同じ事を弱い弓を引く事で行うわけです。それがわかるようになると、無駄がないような引き方に変わるので、龍鳴でも弦音、矢飛びが得られるようになるのです。

92:弓神さん
では、実際に手の内の効かせ方や角見の働きを教えるのは的前に立たせてからの方が教えやすいのですか?
また手の内の整え方(天紋筋・手の内の入れ方・締め方…など)はどのように指導されていましたか?

93:紫弓さん
まず一番最初の距離のルートの誤差は、平均二乗誤差ですか?ルートが軌道か√によって意味が多少違います。
次に竹弓より合成の方が末筈元筈間における縦振動が高いために覚えるべき単位ベクトル(力の方向)の精密性が高くなるために竹弓の方が覚えやすいのでは無いでしょうか?同類の話では胴の強い弓より船底の方が手の内が覚えやすいと言います。矢飛びにしても弓の力方向があるためにグラスの方がごまかしが効きます。もちろん弓と矢が同一条件ででしょうが。先の文だと力学系から見ると不思議が増えてきました。

あと龍鳴についてです。これは麻弦を含めて平均的に合成は音が高いと言った方が良いのですが竹弓を使用すると弓の形状づける座屈の端(弓で言えば弓筈ですね)が変わり振動が強く係ります。特に言えば首折等の関板付近が故障しやすい筈です。一般に使われる弦輪以外だと、更に違いが分かる筈です。くすねについても合成には仕込まないと馴染まない物があるのも事実です。
あとは弦音の好みかと思ってしまいますが、、。弦音は短く高くが基本ですがカンとキャンがあるようです。それも力の方向違います。私は後者の複音になり、上関板が低い弓では、関板におおよそ中心から右に渡り両方の角見により後がに跡がつきます。後者は一か所に集中する筈です。やはり手の内によるものが大きいです。真尻さんはカンのタイプですか?ともあれ理由はそんなとこでしょう。
駄文でした。

94:真尻さん
>>92
以下、私の考え方です。

手の内の作り方については、最初に教えます。働きというよりも、天文筋に合わせて小指、薬指、中指でにぎり、親指と中指は話さない、人差し指は軽く曲げるか伸ばすといった見かけからくる部分だけです。

それで、ここから本質的な働きをどう教えていくかという事ですが、「ただしい、無駄な力がない手の内は素人にとって不安定なもの」というのを前提で考えています。最初は素人にとって、ラケットなどのグリップと同じですので、どうして握り込んだらいけないのかという部分が理解できないと思います。

手の内の働きは無駄なく飛ばす為に必要なものです。だから、的前に立って実際に弓になれて手の内を教えないと、理解できにくいのではと考えます。巻き藁で弱い弓でできたとして、的前に行ったら届かない、素人はいろいろ仕始めます。それだったら、的前である程度の重さが引けるようになって、無駄を省いていく教え方のほうが短期間で効率的かなと考えます。実体験から指摘を治していくやり方なのでどうしてそうしないといけないのかが素人にとってわかりやすいのではと思います。

本当を言うと、弱い弓かで一年くらい巻き藁でじっくり練習して、手の内などの働きを覚えていくやり方が長い目でみるといいとは思うのですが、高校生は時間がないのでこのやり方をやっている所は少ないでしょう。

95:真尻さん
>>93

最初に言っておきます。私は弓道を物理的観点で考えようとはしていますが、これは自分が中てるという事に必要だからそうしているのであって、物理的に考えるのが最終的な目的ではありません。

>まず一番最初の距離のルートの誤差は、平均二乗誤差ですか?ルートが軌道か√によって意味が多少違います。

意味が違うのはわかりますが、意味が違ったからといって、中てる事に本当に意味があるのですか?私が未熟なのかもしれませんが、私は引いている途中でルートのような数式は出てきません。

手の内で大事な事は、どんな状況でも会における力の関係を手の内が理解し、それで一番矢飛びが良い状態を達成させる事です。それを理解する為に必要な事は、様々な弓を引くのが一番です。竹弓がいいというのは、私も経験上知っていますが、竹弓だけではなくいつもと違うグラス弓を引くのも手の内を覚える為に良いことです。これも私の経験です。

龍鳴の話ですが、申し訳ないですが書いている事が理解できませんでした。キャンなのかカンなのかという問いについてですが、どちらでも出す事が可能です。ただ、カンになると長期間当て続ける事が困難になっていくのであんまり好きではありません。

96:紫弓さん
もちろん物理的にみるのは手段に過ぎません。
ルートについては、どちらの意味か気になっただけですね。個人的には中たることには興味があって、中てることには興味がないと言うところです。
手の内と弓については発言を見て安心しました。はやとちりのようです、すみません。

龍鳴については、先のように悪いと言われている理由について考えてみました。しかしながら、文が下手なので伝わりにくいみたいですね、しかも言葉足らずに、間違え発見と、申し訳ないです。
後が跡がつきます。と書きましたが、゛後が゛がいりませんね
後者は一か所に集中するように跡が付きます。と書けば良かったみたいです。

確かにこの弦はどちらかと言えばキャンと鳴り易いです。また、カンとも鳴らせます。
大多数の方がカンの音を好む様なので、この弦がそのような反応を受けるかも知れません。更に合成弦がごまかしが効きやすい分避けられたのかとも推測できそうです。
今までの真尻さんの発言を拝見したところカンに近い音かなと思っていたので龍鳴で両方鳴らせるというのでなるほどと、納得しました。ちなみにカンと鳴る射は一番疲れるのは肩の特に言えば肩甲骨の下部付近ですか?

私みたいな文に付き合い頂き、ありがとうございます。

97:真尻さん
>>96

龍鳴はキャン系というのは私も思います。しかし、この弦でカンという音を出せるレベルで引ける人が少ないのが現状でしょう。

以前も書きましたが、私の極意の中で

断(たちきる)
破(わる)
殺(ころす)

拂(はらう)
訣(わかれる)
無(何もない)

というのがあって、殺系の離れになるとカンという音が出ますし、無系ならキャンという音が出ます。私は無系の離れを天性的に持っている射手なので、殺系の離れを知っていますが続ける事で体(イメージ)にダメージを与えてしまいます。無系の離れは、道具がもっているポテンシャルを最大限に発揮する離れです。龍鳴にキャンの傾向があるのでキャンが常に出ます。

補足ですが、龍鳴は竹弓には合いませんでした。

98:エセアーチャーさん
ちょっとこのスレは長くなりすぎてるようなので第二弾を立てました。
余計なお世話だったりして(汗

今後はそっちの方に書き込んでもらえるとケータイ組の人たちも読みやすいと思うのでよろしくお願いします。

99:紫弓さん
やはり龍鳴については同意見ですね。離れの考え方が実に明朗に感じましたね。
文を読む度に感心させられるばかりです。是非真尻さんの知識が広まればと思います。パート2も長く続きますように。

100:弓神さん
遅くなりましたが、真尻様ありがとうございました。またお尋ねすることがあるかもしれませんが、そのときはよろしくお願いします。第二弾でもご活躍を期待しています。


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