学生さんたちへ (投稿85件)[1〜85]


1:vickyさん [url]
はじめまして。皆さんのお話を拝見させていただき、いろいろと勉強なさっているんだなと、感心しきりです。ただ、一言お願いします。

弓は、心で引いてください。

弓は、古来より武道として今日まで発展してきました。

道具も様々なものが研究され、素晴らしいものが作られています。

しかし、どんな道具も、使う人の心がけで大きく変わってしまうと思うのです。

確かに知識は必要です。頭でっかちになる前に心を磨いてください。お願いします。
偉そうなことを申し上げてすみません。

2:初心者さん
>弓は、古来より武道として今日まで発展してきました。

 「武道」が成立したのは、明治時代に入ってからではないかと?

3:初心者さん
 とても大事なことを書かれているようには感じるのですが、唐突な内容のために、御意見の意図をはかりかねています。具体的には、どのような問題点があるとお考えなのでしょう?

4:ケロロンさん
↑あなたみたいな態度を取ることが問題かと思いますよ?

5:弓暦四年目四回生さん
初めましてvickyさん
学生弓道をもうすぐ引退する弓暦四年目四回生と申します

私は、学生弓道引退後もできれば弓道を続けたいと思っております。
この四年間で心を磨けたどうかは分かりませんが、弓道を通して様々なものを得られたと思います。

私は未熟者ですのでvickyさんの仰る「心で引く」ということの本質を捉えることはできません。「心で引く」とはどういうことかを自分に問いかけながらこれからも稽古に励みたいと思います。

お気遣いありがとうございました。

6:けんたろさん
学生さんたちを弁護しますが、なにも学生さんに限った話ではないですよね。
一般の射手でも(いやむしろ一般の方が)心の修養、弓の”修練”として捕らえられていない人がいくらでもいますね。
学生さんたちへ、という括り方は如何なものかと思います。

ですが、vickyさんの仰る事は全くその通りと思います。こちらの書き込みをひとつの契機にできる人が多い事を祈ります。

7:弓旅人さん
ちょっと脱線してしまいますが、学生さんたちへ、弓道に対する心構えや姿勢などを、語れるほど真面目に、弓道に取り組めているかが、分かりませんので、心構えや姿勢については、おいておいて、学生さんにたいしてメッセージとして、卒業後も弓道を続けて下さい。と言いたいです。私も高校時代に弓道を始めて、卒業後弓道をやめました。でも、3年後弓道を再開しました。再開して感じた事があります、それは、「弓道ってやっぱりいいなぁ。」と感じました。今では、仕事の都合上、休日にしか弓を引くことはできませんが、たまに休日に弓が引けない事があります。その日は休日じゃないくらい不満な日になってしまいます。弓道のない人生は、人生ではない。と言っても良いくらい、弓道は自分にとって大切な物となりました。こんなに素晴らしい物を、学生時代だけでやめてしまっては、もったいないです。実際に私の地域でも、学生時代に弓道を始めて、社会人になっても続ける人は、ほんの数人で寂しく感じます。まぁ、確かに社会人になれば、仕事が忙しく弓道の時間が、取れないかもしれませんが、社会人になっても、どうか弓道を続けて下さい。きっと、素晴らしい日々になりますから。長文・乱文しました。

8:vickyさん [url]
このスレを見ていただいた方、返信をしていただいた方、すべての方に感謝、お礼を申し上げるとともに、私からの返信がなかったことのお詫びを申し上げます。        
私は随分遅くから、弓の道に入りました。  
そして感じたことは、なぜもっと早くに出逢えなかったのかと思いました。  

今回あえて、学生さんたちへ とよびかけたのは、彼らが羨ましかったからです。    
こんなにも素晴らしい世界に若くから関われた事の良き出会いを、大切にして欲しい、できれば、生涯の宝と精進していただけたらとお節介にも思ったからです。

特に他意はございません。

私とてまだまだ未熟者。師匠にならいこれからも精進・修練あるのみです。

一緒に頑張りましょう。

私の技術不足で、何回書き直しても、受け付けてもらえず、長文を諦めて簡略化したことによりごかいをうけた、もしくは意図が伝わらなかったとすれば、ひとえにお詫び申し上げます。皆さん、有難うございました。

9:vickyさん [url]
すんなり入ったので、もうひとつメッセ−ジを。

>初心者様
ご指摘のとおりです。お恥ずかしい・・・

10:vickyさん [url]
>初心者様
具体的な問題点といわれましても・・・
私は自身学生弓道の経験がないのでなんともお答えのしようがありません。しかし、別スレで見て思ったのは、弓道の経験・知識があり、なおかつ指導者として適切な方が不在のなかで部活が行われているといった事実でしょうか。

>けんたろ様
ありがとうございます。私の伝えたかったことのほとんどです。嬉しかったです。
己の国語力のなさを反省しております。

学生さんたちの意見も聞きたかったですね。
悩み多き年頃でしょうに・・・

11:vickyさん [url]
>弓旅人様
ご返信ありがとうございます。
そのとおりです。一人でも多くの弓人が育つことを切に願います。お忙しい中弓を続けていらっしゃるとのこと、大変ですが、頑張ってください!

12:学生へきるさん
心で引くとはどうやって引くのですか?貴方は心で引いているのでしょうから説明して頂けませんか?
その他貴方の仰られた事の意味意図が全くわかりません。

弓道と言った所で所詮的スポーツである和弓をそんなに神聖なものにしたいのですか?と誤解してしまいそうになります。どうか説明の方をお願いします。気になって眠れません。

13:vickyさん [url]
>へきる様
ねむれませんか・・・。困りましたね。
さきほどから一生懸命応えるべく、書き込みをしているのですが、エラ−してしまいます。
また、明日にでも頑張って書き込みしてみますので今晩は堪忍してください。
PCは、店にあるので自宅ではないんですよ。
帰らねばなりません。ごめんなさい。
明日、必ず、もう何度でもやってみます。

14:vickyさん [url]
>へきる様
今帰ろうとして気がつきました。明日、店休みでした・・・・(涙)ごめんなさいね。

続きは月曜日ということで・・・
ご堪忍ください。

15:ちゅんさん
 私は高校弓道出身で、かなりのブランクの後、一般の道場で弓道を再開したものです。
 具体的な事例がないので、推測でしか話せませんが、確かに社会人から見ると、審査などで見かける学生の体配はぎこちなく、粗雑に見えてしまう面はあります。ただ、高校レベルでは、弓道をきちんと教えられる先生がどれだけいるでしょうか。うち高校では、教えを受けられる指導者を持てませんでした。練習時間にも限りがあるため、座射の練習はほとんど出来ませんでした。体配を疎かにしているというよりも、体配をきちんと恒常的に練習できる環境になかったと思います。それをもって心が伴っていないと言われるのは、少々心外な感じです。
 武道を神聖視し、心の修養、人間形成の道と捉える方は案外多いですが、それは最終目標であって、形から入っても、業から入っても、どちらが正しいというものでもないと私は思います。
 体配名人と呼ばれる方々は、とかく学生弓道を低く見る傾向にあるようですが、学生の持つ技術は、社会人から見るとすさまじいものがあります。試合というただ一度限りの場で、当たり前のように的中を出すためには、気の遠くなるほどの矢数、研ぎ澄まされた技術、高い集中力が要求されます。業から入ったとしても、そこに至るまでの努力こそが、ある意味では修行といえないでしょうか。
 精神や心をあまりに強調されると、だったら、何も弓ではなく、座禅か小笠原礼法を学べばいいのではと、ちょっと反発を覚える高校弓道出身者の一意見です。
 長文失礼致しました

16:明鏡止水 ◆IDFFcYqcさん
この手の話題や論議は・・・どうなのかなぁ〜と思ってしまいます。

勿論、最初の問題提起は正論だし、一つの大きな目標であるでしょう。

でも、其れは各個人個人の考え方や捉え方に因ることではないのでしょうか?
他人に斯く在るべし!とか、斯様にすべし!とか決め付けるべきことなのでしょうか?
(特にこのようなネット掲示板で不特定多数に対して・・・。また、学生と云う風に名指しをして・・・。)

ひと夫々に価値観や考え方が違って然るべきではないでしょうか。


>vickyさま
>こんなにも素晴らしい世界に若くから関われた事の良き出会いを、大切にして欲しい、できれば、生涯の宝と精進していただけたらとお節介にも思ったからです。
はい、ハッキリ云って仰る通りに‘お節介’であり、大きなお世話だろうと思います。(失礼を承知で申し上げればね。)

>心を磨く
このことは稽古を続けた過程の於ける「結果」や「賜物」で在るべきで、仰るような其れを得るべく弓を引くのは少し趣旨が違うような気が致しませんか?

学生時代に、とことん的中や勝敗に拘った弓を引く一時期があっても、個人的には何ら問題はない気がしております。
(だからと云って、心が磨かれない・・・とは云い切れないと思われませんか?)

>弓は、心で引いてください。

17:vickyさん [url]
最初に申し上げます。見ていただいた方すべてに感謝いたします。そして、誤解をうけるであろう文章表現をしてしまったことの、お詫びを申し上げます。皆様のおっしゃることはもっともです。羨ましいがゆえに、こんな発言を公けの場でしてしまったことを後悔しています。どうか、ご容赦・ご堪忍ください。これからは己の精進を一生懸命考え、実践していきます。

18:烏龍茶さん
つまり、学生はまだまだ未熟な人が多いということですね。体配はどうでもよい!あたればそれで誰も文句は言えないの世界です…。
あてるためだけなら、弓道ではないんですけどね…

弓術研究に近いのかと。

まぁそれも弓道を知るための練習の一種ですが。

あえて否定はしません。

しかし、そのような方々はあてる以上のことを期待できないでしょう…

19:へきるさん
中る以上のことができない?弓道を舐めてるのですか?馬鹿にしてるのか?それ以上に何を求めて弓引いてるんだよ

当たり前に中り、貫通力高く、それを繰り返すことのレベルの高さを貴方は知っているのか?

20:烏龍茶さん
まず初めに、みなさんが大体持っていらっしゃる弓道教本に書いてあることを前提として捉えてください。
私は勝手ながら、真善美をモットーに弓道を行ってますが!何か?

ある一部?、いや大部分の学生?インカレなどを見ていても射法八節の残身すらまともに取れない…
離れ→弓倒しに見えます。これは私の主観です。
みなさんがどう感じてるかはわかりませんが。

また、高校生の方がより基本に則り、技術こそは学生に劣りますが、射法八節をしっかりやろうという気持ちが現れています。

この現実をどう理解なされますか?

大会でも審査でも関係なく、私は体配や射法は確実に行うという気持ちで弓道に取り組むのが当然と考えております。


それに気付けない人は、
あたりだけの弓になる。

それに気付いた人は、
あたりの中に風格やら美しさなどが備わってくるものですよ。


ただそれだけです。

21:へきるさん
一巻の最後の図解(笑)やA先生が肯定した件を後にB先生が否定している、その他矛盾を指摘すればきりがない「弓道教本が前提なんですね。
仏教か何かの言葉を無理矢理弓道に当てはめて神聖なものに近付けようとする真善美をモットーに

22:へきるさん
一巻の最後の図解(笑)やA先生が肯定した件を後にB先生が否定している、その他矛盾を指摘すればきりがない「弓道教本」が「前提」なんですね。
仏教か何かの言葉を無理矢理弓道に当てはめて神聖なものに近付けようとする「真善美」を「モットー」に弓道を行っているんですね。

モットーも何も根拠も概念も人に物言えるだけのものじゃないよ、聞いて恥ずかしい。その上で「何か?」と言われてるんですよね。嗚呼恥ずかしいwwww
全日本弓道連盟という宗教の信者ですか?それともただの弓道コスプレ?コスプレイヤーさんでいらっしゃいますか?wwwwww

みなさんがどう感じているかわからないようなことならいちいち書かなくていいですよwwwwwハッキリもの申してくださいwwwwww射法八節について仰られたいことはわかりますが。

>この現実をどう理解なされますか?

体配は意味がわかった上でしっかりやればいい、わからないなら別にやらなくてもいい。学生ならどっちでもいい。

>大会でも審査でも…

そんな当たり前の事をビシっと突きつけられても困ります。当たり前のこと言わないでください。親指辛いです。

>ただそれだけです。
わかりました!!つまり貴方はあたりの中に風格や美しさをかもしだす射をする弓道を押されているんですね!!

そうですかーでもそれなら茶道や華道と何らかわりないですよね。悲しいです。こんな腐った考えで弓道やってる人がもっと沢山居るんだと思うととても悲しいです。

あと投稿ミスしたのも悲しいです。デビさん消してくれると嬉しいです。

23:烏龍茶さん
へきるさん面白いですね。もちろん私はそれを理解している上で書いていますよ。
私と同じように思う人。へきるさんのように思う人。どちらが正しいかなど、このスレを読む人それぞれです。

反対する人もいれば賛成する人もいますよ。

私はへきるさんに理解してもらえるとは思っていませんから。

以上です。

24:へきるさん
私は理解するよ。
土俵が違う、同じ服着て同じ道具持ってても種類が違う人達が居るって。

でも初めに貴方が浅はかにも「中るだけの弓」なんて言ってこっち側を下げすんだりするからこうなる。

お互いの立場わかってます?

25:みっちょむさん
>へきるさま
そう熱くなっている時点で、半分は言い負かされていますよ。
「中てる」だけの弓でいいじゃないですか。
スポーツとしての学生弓道なんですから。

同じ形の道具とはいえ、グラス・カーボン弓、ジュラやカーボン製の矢(道具として正確で均一に近い製品)を主に使い何本中てるかという競技人たちと、竹製の弓矢を使い武道としての弓を引く人たちと同列に考えてはいけません。
同じ道場で行っていても、和弓とアーチェリーほどの差があるとは思いませんか?
大会で高得点をねらう事と、和服を着て礼射を行うことは同じ事とは思えませんがいかがでしょう?
それをきっと理解していながらも、食いつくのは学生としてらしいと言えばらしいのでしょうが、少々謙虚さが無いように思えます。
へきるさんはこのままの思いで弓を引き続けて良いと思いますよ?がんばっているのですから。その思いは充分に伝わっています。

あと十年ほど弓を引き続ければ自ずとわかる事だと思いますが、老婆心で書き込んでしまいました。

明鏡止水さんもかかれていますが、大人げないことです。(自分を含めて)

26:明鏡止水 ◆IDFFcYqcさん
>烏龍茶さま
いや、だから其れは貴方ご自身のお考えであって、へきるさまには彼なり考え方が在る・・・と云うことでしょ。
どうして其のことを理解為さったり、認めたり出来ないのでしょうか?

>どちらが正しいかなど、このスレを読む人それぞれです。
うーん「正しい」などと云うこと自体が「正しくない」ことのような気がするのですが・・・ね。

>真善美をモットーに弓道を行ってますが!何か?
はい、其のことに対して誰も口出しを致しませんし異論も唱えません。
でも、ご自身が「何か?」と開き直られるのであれば、へきるさまの主張為さる貫中久に対しても、尊重してさしあげることが筋だし礼儀であると思われますが、如何でしょう。

>この現実をどう理解なされますか?
どう・・・と云われましても、物事の一つの側面や都合の好い事象しかご覧になっていないとしか申し上げられませんが・・・。

だって、大学生の中にも(貴方さまの仰るような)正しい射法八節や体配を目指して稽古実践されている処もあるだろうし、高校生の中にもとんでもない射技や体配を為さる処もいっぱいありはしませんか。
(貴方さまの解釈は、学生=大学生=⇒悪い!と云う論理展開に感じられますよね。)

>学生はまだまだ未熟な人が多いということですね。
其の様なことは解り切ったことでしょう。
弓道を始めて僅か一二年〜数年間な訳じゃないですか。

其処に「試合」と云うものが在って、決まった期限が在り、出場出来得る限られた人数がある訳で・・・学生さん達は其の未熟な状態の中で「結果」を求めて練習るならば、ある程度無理をしたり眼を瞑ったりしなければならない部分が出ても仕方がないと僕は思います。

学生と云う一時期を経た後、また次のより高い射技の目標や正しい体配、そして更なる高段位を目指して稽古を積んでいけば宜しいだけだと思うのです。
(何も初心者に近い学生の内から、全てを大人と同じに完璧に・・と云うことを求める必要が在るのかなぁ。)

27:烏龍茶さん
そもそもこのスレ事態がそれぞれ皆さんの主観になるので、あまり相手の意見をそのまま尊重出来ない部分はあります。

しかたないのでは?

私はスレ主さんの書き出しについて、こんなことが具体例になればと思い、書き込みをしてみただけですので。

しかし、ここまで論議が熱くなられるとは…

くだらないのでやめましょう。

28:総見さん
>烏龍茶さん

私はくだらなくないと思います。
むしろおもしろいと思いました。
考え方は人それぞれですし、個人的な価値観に関する弓道談議もいろんな方の意見を聞けていいことだと思います。自分の視野も広がりますしね。

私なんかはずっと傍観しておりましたが、なるほどそういう考え方もあるのかぁ、といろいろ物思いに耽らせていただきました笑

29:kurichaさん
>>何も初心者に近い学生の内から、全てを大人と同じに完璧に・・と云うことを求める必要が在るのかなぁ

ないですよ。中てっこの時期を通り過ぎてから体配含めてキッチリとやる。それでいいんじゃないのかな〜・・・ 私はそれこそ理想の形だと思いますが。 
弓道を通して「一生懸命になっている学生を評価する」ような人間になりたいですね。

ただ、あまりにも態度の悪い学生は良く注意しちゃいますが・・・(同じ道場内で稽古しているもので)

30:へきるさん
私と烏龍茶さんどちらが正しいかなんてないですよね?その上で烏龍茶さんが自分の弓道が一番正しいと思っていても問題ないですよね?

しかしそれを基準に他人の弓道見下してあたかも自分が正解であると言わんばかりに「正しいか正しくないかは人それぞれ」とまる投げ?面倒くさくなって「くだらない」の一言で一方的にお開き?貴方様は素晴らしい人格の持ち主ですね。現実世界でもそんな風に振る舞っているのですか?

31:けんたろさん
”立場が違うから理解しあえない”では、発展は望めないと思います。

烏龍茶さん
是非、北海道へいらっしゃい。
インカレを見て落胆されているなら、
一風違う学生弓道がありますよ。
だからあたらねぇのだと言われるとへこみますがねwww

書くまでも無いことだとは思いますが、確認のために。
スポーツとしての弓道、中貫久を主題にした弓道でも、体配をないがしろに考えている、という話ではないですよね?

学生は意味がわからないなら、やらなくてよい、というのは乱暴だと思います。
言ってみれば体配は実利的な部分に加えて、それぞれに定められたマナーという側面もあると思います。

例えば、バスに乗るとしますね。
バスに乗る目的は、目的地につくこと。
目的地につきさえすれば、バスにどんな乗り方をしてもよい、という事はないと思います。
マナーは自己の利益の為のものではありません。
試合でも周りのためにすることです。
私も学生弓道の経験者ですが、弓を引く上でそういう意識があってもよい、と思います。

熱くなっても言葉遣いは気をつけましょう。

32:紫弓さん
 確かに、中ればいいんだと態度を露にする方もいますが、良くも悪くもここは好みだと思います。
 皆様は、学生弓道にどのような事を求めているのでしょうか?
 比較的情報が少ない学生さんだと苦心して練習されているかと思います。更には一般との隔たりを持つ顧問によって違った体配を教わり、本人達が納得できない内に審査を落とされる例もあります。
 少なからず、環境に左右されやすいとは思います。なので、的中も体配もとなるときっちりやるとなると、気づける気づけないも運の問題が出てくるでしょう。

 私は、比較的初心者の内に一般に移っていたので、大人とご一緒させていただきました。こんな選択もあります。 
 学生時代にやれる事は的中だけではないでしょう。どちらかと言えば、後悔しない選択を考えらればいいのではないでしょうか?

33:でんきちさん
へきるさま。

>私と烏龍茶さんどちらが正しいかなんてないですよね?

との事でしたが、私も今すぐに何が正しいかなんて答えを急ぐ必要はないと思います。

少し話しそれて恐れ多いですが、私は弓道のほか少々、無外流明思派居合道で刀を振って稽古しています・・・。

ある日、指導員や先生に
「この先、私たちと違う指導法や意見、想いを持つ指導員と出会っても、受け入れながら鍛錬してください。各々、ニュアンスや指導・考え・助言の仕方は違えども、それは途中経過のことで、内伝・奥伝・奥義と上を目指していくうちに、どこかで、お互いが いずれ出会います。考え方・思いが、それぞれ違ってもです。」
と言われました。

脱線して恐縮ですが、これを聞いて弓道でも同じ事が言えるのでは?と思いますた・・・。
確かに日々、このサイトでは色々な議論がなされていますが、考え方・思いが違えども、弓の道を歩いていくうちに、どこかで お互い違っていたと思ったのに、いつの日か道の途中でバッタリ出会うと思うのです・・・。
ですので、へきるさまが思うように答えを、今無理ぐり求めず今のままで良いと思います。

それとあまり烏龍茶さまを責めないで下さい。基本的に今まで私が出会った弓をたしなめる方は、真面目な方・熱き想いをその胸に秘めている人が多いです。純粋ゆえに、弓道が好きだから、思わず筆を執って、このスレに投稿したと、小生は思うのです。

ですのできっと烏龍茶さまも弓を愛し純粋で
熱き想いをどこかに秘めていると思うデス。

ですので、もしまだ へきるさまが納得できない部分があっても、烏龍茶さまの意見もあると、解放・許してあげてください。

「人は許す事で 許される」

と小生思いますデスよ。へきるさまも烏龍茶さまも小生、すごく日々考え修練していると思います。お二方のこれからの更なる成長・健闘・御顕達を祈っているデス。

34:ぺっちゃんこさん
横から失礼します。

>1
たとえそれがどんな正しいことだとしても、不特定多数にいきなり強制する姿勢には反発したくなりますよ。

35:龍齋さん
私も遅くながらどうしてもと思い書きます。


最近致る所である批判ですが、人をいきなり指摘する事自体に失礼があると考えています。

道端でいきなり注意されれば戸惑うでしょう。しかも、皆様の言う通り正しさに明確性のない事です。頭にもくるでしょう。


師弟若しくはそれに近い関係でなければ、例えいかに上段であろうが非常識です。

一般の方は格上ではない。学生にも体配の意味を知らない人が少なからずいる。
だからと言って年数が長いだとか段が高い程度の事では
人を批判していいとは限らないと思います。

36:鮭色さん
とりあえず学生だからとバカにする高段者(笑)の方たちが非常に多いスポーツだと思いますね、弓道は。
まぁそういう人の発言は表ではそうですねーとか言ってますけど心では別に上手くないじゃんとか思ってますよ学生は。
何でもかんでも年が上、段位が上だからって言うこと聞くとは思わないで頂きたいですね。ここのスレ主もいきなり何を言いたくてスレを立てたんだか。

37:浪速のロッキーさん
私も横から失礼します。

つまりスレ主の方は若い世代の方々にも、もっと弓を知って、楽しんで頂きたいという事が伝えたかったのだと思います。もちろん若い方でも大勢の方が熟年者の何倍も研究している方もいます。
中には興奮されているかたも大勢いらっしゃいますが、ちょっと話が脱線して、ご自分の弓道観とそぐわない書き込みを見てそうなってしまったのだと思います。

でもこれはよいことだと思います。色んな弓の種類、射癖等があれば考え方だって様々であると思います。なので気持ちが昂ってしまうほど、自身の弓に対してとても誇りに思ってらっしゃるのだと思います。

一般=体配重視
学生=的中重視

っとよく言われますが、これも個人個人の偏見だと思いますので、あまり強く公で口に出されないほうがよろしいかと思います。体配も的中も重要ですし。

..というように脱線してしまうとスレ主の方が困ってしまうと思うので、ここは穏便にお互いにこれからも弓道を頑張っていくということで一息いれましょう

38:グレーテスト本田さん
的中率を求める者の意見です
中らなくて殴られる経験がありますか?試合を決める矢を抜いて泣いたことがありますか?
試合の悔しさで夜中に何度も目が覚めたことがありますか?
体配は大切です
疎かにしていいものでは無いです
射形も大切です
体配をきちんと取れば心の落ち着きも生まれるでしょう
中てるためにムダを省いていけば正射に近づくでしょう
一つ一つは流れで理解していくものです
幸い私が地元の道場に行っても「学生は中てなきゃいけないから体配や射品射格は卒業してから少しずつやればいい」と理解ある方しかいませんので私は恵まれていると思います
物事は順序ですほとんどの方は最初は的にとらわれると思います、一般で始められた方は直ぐに周りがそうでないことを知り方針をかえることでしょう
学生は中てなきゃ話になりません射品射格を求めて一般に移る人もいます
学生での短期間で形を残したいと思う純粋である気持ちをわざわざ否定する事はないと思います
学生出身で射品射格を身につけたいと思い一般でも弓を続ける人がいるならそれで構わないと思います

以上長い乱雑文すみませんでした

39:けんたろさん
15年経っても、学生時代の悔しい試合の夢を見て、眼が覚める者ですが、それでも、体配が後でいい、というのは、極端だなぁ、と感じます。
そう言えば、逆に体配が悪くて、殴られたこともありますな。

的中率を求めながら、体配もきちんとやろうというのは、矛盾するんでしょうか?
なぜ分けようとするのか、そもそもよくわからないんですよね?

40:斬新さん
スレ主さんの気持ち十分理解できますが私は段位や経験により目標や考え方も変化すると思います。私は学生弓道出身で学生時代は一般に対し本スレ同様に批判してました。学生の「的中重視」賛成です。しかし一般は「体配重視」勘違いです。段位が上がるにつれて全てを求められるものです。心技体の調和のある射(当然的中も)は素晴らしいものです。学生さんそういう射手に巡り会うと少しだけ考え方変わりますよ。

41:ちゅんさん
しばらく見ない間に、結構盛り上がっていたんですね。何か体配と射技を切り離して、どちらか一方のみを重視してるような議論になっていますが、誰も片方だけでいいとは思っていないと思いますが。スレ主さんはご納得頂けたようですが、最初の切り出しがあまりにも心に偏重していたので、射技を磨いていくのも修業のうちと書いただけです。当たりを追求していくと、そのうち当たりの質に目が行くようになります。たとえ当たっても納得いかない射では、当たりを追求している人も、やはり満足しないと思います。射品を重視している人の、おまえらのやっていることは次元が低い的な発言に、議論が曲げられているようです。でも、このての失礼な発言って多いし、当てるためにひたすら頑張って練習している人には、聞き流せないものですよね。

42:sunlightさん
弓道が多面的要素を持っている限り
この論争は終わらないんでしょうね
でも結局は
自分の出した答えが正解だと思います
他人に認められる正解と
そうでない正解がありますが
自分が信じれるならそれが正解なんではないんでしょうか

自分の正解を信じれるなら
他人の正解も認めてみましょうね

43:天龍さん
弓道に限らず、学生スポーツの選手は、一般の愛好者を一段低く見ているのは確かです。
そして自分達の所属する学連のリーグ戦に比べて、国体を一般愛好者の親睦大会程度の評価しかしていません。
また、学生スポーツ出身者は、一般から始めた人々を、たとえ上級者であろうと「素人」と思っているのです。
この驚くべきプライドの高さは、一般愛好者から見ると理不尽この上ないことですが、人の心理なのでどうしようもありません。

スレ主さんは、一生活者として弓道という趣味に出会い、その魅力に感動したあまりに、つい素直な気持ちを述べられたと思います。
ところが、学生達は、ひたすら弓を引き続ける弓道部に身を置いて忙しく学生生活を送り、その中で、本気になって喧嘩をし、涙を流して苦悩し、裸の付き合いを通して相互の敬意を育み生涯の友を得るのです。
その熱さは、一般道場のスレ主さんの遠く及ばぬ世界なのです。
その彼らに「弓は心で引いてください」と言えば、やはり言わずもがなの感を免れませんね。

44:DEWさん
>国体を一般愛好者の親睦大会程度の評価

弓道に限ってはこれは絶対にあり得ないでしょう。
特にレベルが高ければ高いだけ国体のハードルの高さを理解してる人間が多いはずですが。
そんな考えの学生どこ探したっていないと思いますよ。

45:長年ヒゲ ◆wb6KGcUAさん
>43
えらく決め付けた物言いをされてらっしゃる

一つに括ってしまうには些か規模の大きすぎる話だと私は思えてならないのですが

学生の気持ちを代弁されているとしてもそこまで断言されるのはやはり天竜さん自身がそう考えたておられるからでしょうか

思い込み、理解、決め付け、誤解、どれなのでしょう?いや複数でしょうか?

46:元学生さん
なかなか面白い意見です。
天龍さんのコメントは真実でありながら全てではないです。しかし、社会人から見て非常に目立つのも確かで、一見すると全ての学生がそう考えているように感じるからスレ主の意見が出てきて当然かと。

でもね、天龍さんのおっしゃる学生さんは学生の期間しかいないんです。というか、その考えのままで社会人で続けようとすると、当然衝突が起こるわけで、日弓連と対立している方も実際におられます。

学生だからそれを受け入れる学連があり、仲間がいて学生弓道として成立しているのです。
私は、スレ主さまが学生さんに言いたい気持ちは察しますが、卒業して弓道を続ける上で自然と理解できあえるものなので、そんなに学生さんに求めなくてもいいんじゃないでしょうか。

>その熱さは、一般道場のスレ主さんの遠く及ばぬ世界なのです。
この意見は同感です。学生さんは卒業すれば一般愛好者と同じ立場になれますが、一般愛好者の皆さんが学生さんのように熱くなることはできませんから、この経験なしに理解してあげるのは難しそうですね。

47:烏龍茶さん
このスレ面白いですね。
現在学生の立場の私から言わせていただくと、大きく分類すれば、高校弓道には高校弓道の良さがあり!学生弓道には学生弓道の良さがあり!一般弓道には一般弓道の良さがあるのではないかと思いますよ。学生が一般を見下す?仕方ないですよ。一般が学生を見下す?仕方ないですよ。
しかし体配・射技に関して、確かに学生弓道はあまりにもゆるい気はします…
例にあげるとすれば…「俺踊れるよ!」とか結構学生内では聞きますし。たぶん学生の大半は『踊り』をご存知かと…
私がもし高校弓道時代で踊りという行為をしたら、部活が休部になってしまうほど衝撃な出来事になるでしょうね…それが大会ならよっぽど。しかし、学生弓道では大半は許されています。これはおかしい!(特に一般の方々)と言われればそれまでですが、これがきっと武道ではなくSports感を追求した学生弓道の良さの一つなのだと思います。しかしその中でも、私は学生弓道スタイルに反し『射技・体配動作』一つ一つを完璧とはいえませんが、しっかりこなす!という気持ちで取り組んでいますがね。
まぁスレを読んでいて、体配・射技・的中を別々に考えて稽古を積むことも一つの効果的手段であるとわかりましたが。

48:百夜 ◆WR1hQljoさん
学生弓道は的中至上主義、一般弓道は体配偏重という傾向があるのは事実かも知れません。しかし、「学生=的中・射技」「一般=体配」などという風に一般化することに何の意味があるのでしょうか。まるで学生・一般の双方が対極に位置することが自然な状態であるかのように論じることに大変違和感を感じます。
>>37:浪速のロッキーさん >>39:けんたろさん >>42:sunlightさん
のレスに共感を覚えました。

>>1:vickyさんの投稿についてですが、読み方によってはvickyさんが学生弓道を高く評価されていないようにも捉えられるかも知れません。けれどもそうではなくて、vickyさんご自身が弓を引かれる中で体験した弓道の素晴らしさを、学生弓引きにも同じように体験して欲しいという親切心から投稿をされたのだと、私は感じました。学生という短い期間だからこそ経験できるであろう、より濃密な時間をすごして欲しいがために、あえて学生に限定して呼びかけたのだろうと。

49:たぶんおやじさん
学生弓道は4年間だけ的中の為の技術を追求する

一般は仕事の合間に練習する。

かの、石岡久夫先生曰く
「若い筋肉は中る」

自分らの立場で誠を尽くせばいいのじゃないのかなあ

50:明鏡止水 ◆IDFFcYqcさん
ふと眼に留まったのですが、地域・大会カテの「福岡県高校選抜大会」と云うスレですが………。

51:ちゅんさん
 >体配・射技に関して、確かに学生弓道はあまりにもゆるい気はします…
 同感ですね。いくら的中を追うといっても、最低限守るべき線はあると思います。主観によって変わるので、強制は出来ませんが・・・。

 >その熱さは、一般道場のスレ主さんの遠く及ばぬ世界なのです。
 共感しますね。代表選手の座を懸けて、互いに競い合っていたころの熱さに比べると、一般の道場ではやはりぬるく感じますね。まあ、仕事を犠牲にして、弓道にどっぷりと漬かるなんて、社会人には無理ですからね。

 >学生スポーツの選手は、一般の愛好者を一段低く見ている
 >社会人から見て非常に目立つのも確か
 言われるまで気付きませんでしたが、無自覚の内にそのような意識はあったかも知れませんね。冷や汗ものです。射技に関しては、一般から始めた人はそう簡単には追い付けませんしね。

 読んでていろいろ為になります。

52:アチャチャさん
横レスです。

立場や年齢で括れないところはあるでしょうね。
各人が何を目的に弓を引いているかにかかっているような気が致します。

道場や練習場では、最低限怪我をしないとか、他者の練習を邪魔しないなどのことが守られていれば、求められてアドバイスはしても、強制的に何かを押し付けるのは、控えた方が良いかもしれません。

確かに指導者の言葉は金言でしょうが、いろんな考えで弓を引く人を受け入れて、各人の可能性を認めることも大切だ、と思います。

ただ、このスレがここまで過熱するということは、それだけ各人の弓に寄せる思いが、熱いということではないのでしょうか。

私自身は、もう一度弓を引く意味を問いただしてみようと、思います。

53:へきるさん
あげ

54:へきるさん
あげ

55:はははさん
まぁいいや、私は最近、大学の弓道部を引退しました。
入門は中学のときに一般の道場でした。
教えて下さっていた先生たちが大好きでした。

高校のときは高校の道場で、一般の方々と同様に”中たるだけが弓道じゃない”と信じてやってきました。

大学に入って、中てる人たちを見て思いました”うわぁ、、、無くねぇ?”と。
でも半年後、中りを伸ばすために色々やってる自分が、、、
やっぱ中れば楽しいですし。
頭数は居たんですけど、中る人が少なくて、調子悪くても自分が中らないとチームに迷惑がかかりますし。
でも2年時ののインカレで中央大学、日本大学、法政大学、桜美林、、、ようは上手くて中ててて上手い人達見て思いましたよ”俺無駄なことしかしてこなかったんじゃね?”と。
そこから基本に忠実に、と思ってやってました。
なので、このスレに書き込んだほぼ全ての人達の考えをしたことがあります、、、多分。

私が思うのは一般の方には時間があって、学生には時間がないということ。
噂なので実際のところはわかりませんが、強豪校は日に200も300も引いていると、、、体配とってきっちりやってたら物理的に無理な数字ですよ。
でもそんな奴らに勝ちたいと思うんですよね(^^;
私も含め一部の学生は、親不孝にも授業サボってまで練習しました。
でもやっぱ最低限単位とらないといけないから、最大引けても一日に250が限界でした。
でもそんだけやって気づいたんですけど、うちには250引いてる間指導してくれる人居ないんです。
多分多くの大学、特に国立大学は継続的に長時間指導して下さる人は居ないです。
なかなか勝てないんですよ。
練習の質は、十分だったと思います。
でも勝てないんですよ。
自分では上げられない練習の質なんで。
それでも勝ちたいんですよ(^^;

56:はははさん
まぁ苦しい話は良いとして、弓道を通して成長できればどんな道も正しい。
体配でも射技、的中でもどちらでも良いと思います。
正射と一緒で、様々な正しさがある。
弓道教本を弓道の世界だけで理解するのはもったいないかなぁと思います。
他を認めないと井の中の蛙です。
弓道を通して人格形成ってやつにまんまと引っかかってみては?(^^;
人に優しく、自分に厳しく、、、

ただ、私個人の意見としては別に一般がどうとか、学生がどうとか関係なく、確実にその一本を中てるため自分の中の迷い、悔いをなくすためにいろんなことを完璧にしていくんだと思います。
体配は見せるために磨く訳じゃないですし、中りは自分が納得するために出す訳ですし。学生は勝たないといけません。

いろんな正射を認めましょう!
、、、的なね(^^;

ただ、弓道やめちゃう人が多いのは確かに悲しいですよね。

57:OOさん
全くもって同感です!
射技体配についての意見が一般の方々と違う事を理由に、弓から離れていく学生上級者の方々を見るとホント悲しいですね。

58:武奘さん
少々懐かしいスレッドを持ち出してすみません。

食い違いや建前はそれぞれにあるのは事実ですし、それらが原因で弓道から離れていく方がいらっしゃるのも、また事実です。
それが虚しいとか哀しいなどと、人ごとのように、知ったかぶりに感じることもあります。
弓道の多面性というか、風呂敷の大きさを面白くも残念にも思います。
これらは最近スレッドを、旧座談会から大まかに読み返して感じましたが。

個に重きが置かれているような弓道ですが、弓を引く人にとっての共通理解と言うか、共通的な見解のようなものはないのでしょうか。

皆様のご意見をお聞かせください。

補足的に書きますが、私がよくやる哲学的な考えや複雑な精神論、技術偏重的な考えにはなって欲しくないな、という希望もほんの少しあります。

59:パパンプさん [url]
弓は危険な物であるといったことはどの方でも共通して理解していることではないでしょうか(危機管理を怠れば大事故につながる恐れが高いということです)?武奘さんが伺いたい事とは少し論点がずれてしまっているかもしれませんが…。

それと上手くなるために練習をするということくらいですかね…。下手になりたくて練習する方はいらっしゃらないかと思いますから…。

これぐらいしか思いつかなかったです…。

60:武奘さん
なるほど。
危険性や上達への意識は、共通的であるかも知れません。


実際私の考えに実像がある訳ではないので偉そうなことは言えませんが、弓を彎いて的を射貫くことが結果的に起こるとしても、的を狙うかどうかですら意見が分かれると思うのです。
何を以って弓道なのか。こんなことなのかな、と思ったりもしますが。哲学っぽいので却下ですね。

人によっては的中競技かも知れませんし、美学かも知れません。もしかしたら人間形成かも知れませんね。

私自身何を言いたいのか良く分かりませんが、弓を彎く方達がバラバラになることだけは、なって欲しくないと思います。

61:副委員長さん
「弓を彎く方達がバラバラになることだけは、なって欲しくないと思います。」
全く同感です。
私は、学生弓道の経験はありませんが、中りは特に求めず(人並みには中る程度)、体配は審査で落とされない程度で、射技のみをひたすら求め弓を引いております。
人それぞれ、時期的に色々な目的を持って弓を引く事が普通だと思いますので、学生が中りのみを求めるのもアリだと思います。

62:パパンプさん [url]
僕自身ほんの数年しか弓を引いていないのでご年配の方々の意見に比べ考えが薄っぺらいのですが、「上手くなりたい」と思って稽古している以上、年齢や引いている環境に関わらずお互いの意見が尊重されるようになればいいなぁと思います。

やっぱり楽しく弓を引けるのが一番だと思いますから!

63:天龍さん
弓道の社会的環境を考えた時、「恵まれているなあ」と思います。このことは、全ての弓人が共有すべき認識だと思っています。

弓道はマイナースポーツだと皆が思っていたら、いつの間にか高校の弓道人口は全てのスポーツの中でもトップクラスにまで押し上げられているそうです。
国内どこに住んでも、公営の弓道場は一応あると思います。つぶしの利かない特殊な施設で、部外者からは贅沢だと言われそうですが。
それに、全弓連の組織がおおむね良くできていて、統率力、指導力共に優れており、それゆえに段位の認定の公正さと権威、信頼度も高いと思います。段位に興味がない、と言う人もいますが、高段者、称号者に対する敬意は持っています。それがなければ、自分が取り組んでいる弓道という土俵を否定することになるからです。
プロがいない世界ということは、道具以外に大きな費用が要らないということ、習い事では珍しいと思います。
誇り高いアマチュアリズムが徹底しているというのは、弓道の最大の美点だと思っています。

64:則天さん
副委員長さん、中りを求めず、射技のみを求めているとのお話ですが、副委員長さんにとって射技とは何なのでしょうか?

見た目のきれいさのことですか?

私は、射技とは的を射抜く技術であると考えますので、射技を追求するなら中りは必然的に求められるものだと思いますが…

65:武奘さん
>>61 副委員長さま
ご賛同と解釈致しまして、まずお礼を申し上げます。
時期によって求めるものが違うということは、ぼんやりと理解しているつもりです。学生が一様に中りをのみを求めているとは思いませんが、その占めている割合は多いかと私も思います。

>>62 パパンプさま
お恥ずかしながら私も弓歴は数年です。
何を以て上達とするのかは違えども、向上心や究めを求める心などは共通していようものかな、と私は考えています。どちらにせよ、弓道が嫌いな方はいらっしゃらないでしょう。

>>63 天龍さま
確かにそれらのことは、大いに感謝と敬いを致したいものです。頼んでいない,教え魔などと厳しい事ばかり考えずに、妥協と謙遜をしつつ敬意と礼を思うのも善い、と思います。
私としては、この環境であまり困らないからこその、精神性やこだわりが持てるのかな、と思います。

>>64 則天さま
失礼を致します。弓道には、中りを第一に求めずとも中る美学、というのもあるのかなと私は考えたりもしますが、いかがでしょうか。
それこそ前記した通り、個に重きを置くものが弓道かと思いますので、それぞれに考えがあることは寧ろ特徴かな、とも思っています。的を狙うか否かですら考えが分かれるようですので、なんとも難しいものです。
横から大変失礼を致しました。

66:ちゅんさん
 あらぁまた懐かしいスレが復活してること・・・。

 共通認識ですか。難しいですね・・・。礼法を重んじる小笠原、射技を重んじる日置。弓が表芸であった武士の時代から、すでに様々な認識の違いがあったと思われます。ましてや、現代においては尚更個々人で考え方、弓道への接し方は異なると思います。

 正射と言えども、先生によって微妙に異なるものもあるし、我流を正射として押し付ける人もいるし。でも当人にとってはそれが正射であったりするし・・・。

 共通認識というより、互いの考え方を否定しない共通理解が欲しいですね。

67:武奘さん
>>66 ちゅんさま
互いの考えを否定しない共通理解、大変善いと思います。
弓道の風呂敷が大きいのは事実としてそれを受け止めて、みんな同じ弓道だからといって一足飛びに包括せずに、違うものもあるから尊重し合いましょう、とでも言いましょうか。

ただ単純に、弓を彎く者同士いがみ合うなどしないのが至高かな、と思う次第です。さらに実力や雰囲気を高めあえたら、言うことありません。

68:則天さん
武奘さん

ご忠告痛み入ります。

ただ、一応お断りしておきますが、私は何も的を狙わない立場を否定するつもりはありませんし、中りを美徳としない立場も大いに結構だと思っております。

私も弓の価値観、射技には多様性が認められるべきで(成り立ちが多様ですから)、射法や価値観が固定的になっていくのを憂慮しております。
ですから、全弓連には日本の弓道を包括的に発展させてゆく取り組みをしてもらいたいなと思っております。(流派の継承保存など。)
例えば、流行り廃れのある大離れや小離れを、どちらかでなければならないとしてしまう全弓連の方針は、少し残念に思っています。全てを認めていたらきりがないのは確かですが、伝統的に存在する価値や射法を排斥する必要はないと思うのです。

さて、そこで私が副委員長様に伺いたいのは、的中、体配共に求めず、射技だけを求めるという立場のその射技とは何ぞやということであります。
何を以て射技とし、何を以て射技上達の指標とするのかということを伺いたいのです。

中りは美徳云々の前に、少なくとも射技を評価する上での客観的要素であると思うのです。(私は貫中久≒射技だと考えていますが。)美しさのようなものは、主観的な判断基準であって人それぞれ受け取り方が異なりますが、的中とは中り外れとして厳然と現れる結果であります。

美しさやその他の要素に対して的中を下位に置く理由が私には判然としていないのです。

まあそれも各々の思想次第と言ってしまえばそれまでですが…

69:武奘さん
>>68 則天さま
忠告と受け取って頂きました事、少々申し訳なく思います。
私も単に質問を意図したつもりでして、言葉足らず・駄文、失礼致しました。


次いでこの場を借りて少々話をさせて頂きますと、私は各々の思想次第という考え自体を、少々残念に思うのです。
割り切るのは非常に簡単な事なのですが、私は哲学をかじっている性分、相対的であって欲しいという希望が少なからずあるのです。みんな弓道家なのですから。
失礼致しました。

70:則天さん
武奘さん

相対的というのは、自分の価値観を絶対視して他の価値観を「異質」として無視してしまうのではなくて、全ての思想、価値観を等価のものとして尊重する、というくらいの意味として解釈すればよろしいでしょうか?

たしかに他を認めるのは、非常に大切ですね。

しかし弓の価値観においてそれが難しいのは、それぞれが「タブー」だと考えることが衝突しあうからでしょう。

礼に重点を置く立場から見れば的中を最高価値として体配などは二の次と考える学生弓道は「礼を軽んずる中てっこ」に映り、逆に徹底的に的中にこだわる立場から見れば、中たりにあまりこだわらず礼儀作法を重視する人々は「中たりもしないのに形ばかり仰々しいお遊戯」に映るでしょう。

極端すぎる例ではありますが。

弓に対する価値観の問題が難しいのは、そういう部分だと思います。

71:武奘さん
私もそれは非常に難しいことであると思います。

これでも哲学的にならないように努力していますので、私的に少々難しくあまり上手くは表現できないのですが、ご容赦ください。

認め合う,衝突し合う、私からすればこれらも決して良いことではないのです。

私が言いたいのは『相対(relative)』ですが、他との関係において存在する,関係あっての妥当、このようなことです。要するに自己同一性を持たないということでして、則天さまの例に合わせる努力をしますと、“こっちの立場”や“向こうの立場”ではなく、的中や技術あっての礼や体配であり、礼や体配あっての的中や技術であり、それらがまとまっての弓道ではないだろうか、と。これら一定の関係や状況があるからこそ妥当するものが、弓道であるような気が致します。

自分の立場や考えを自立させ、孤立化や確立化を図るから、認め合わざるを得ない,衝突もどうしようもない、という状況に陥ってしまうのかな、と考えた次第です。

72:ちゅんさん
 何か性善説、性悪説を聞くようです。

 多様性を持つものに規定を加えること自体が既に主観と言う気がします。

 礼法と射技両方を兼ね備えてこその弓道。この意見に反対はしませんが、これが弓道であると考えること自体が、全くの主観ではないでしょうか。
 武道に憧れて弓道を始めた人、競技性に惹かれて始めた人。動機によって重んじる物にも違いが出るのは、ある意味仕方がないのではないでしょうか。いずれも長い年月の稽古を重ねるうちに、それぞれの目標も重なってくると思いますが、上達段階に於いて目標を統一するのは無理に近いかと。
 技術よりも精神性を上に置きたがる日本人の特性と、技術によって勝敗が決定する競技方式の矛盾は、解消する術はないのではないでしょうか。競技に精神性を導入すると、主観が入り込みますし。

 多様性こそが弓道と言う認識、寛容とでも申しましょうか、これがもっと浸透することを願っています。これも主観ですが・・・。

73:武奘さん
自分の考えという点で、主観であると言うことは否定することができません。恐らく考えとは怏々として主観的でしょう。

さて、礼法と射技両方を兼ね備えてこその弓道、この点に関しましては自身納得致しますが、私の意見と受け取って頂くには訂正が必要です。
備えるというよりは、私の文にある通りまさに「関係している」という言葉の方が私の考えに近いのです。
もちろん弓を彎き始めるにあたっての動機や重んじるもの、目標などは個々人異なって当然のことと思います。統一などほぼ不可能に近い。その上、競技性や精神性の矛盾を解消する、などということはまず無理でしょう。

この際主観や客観論は省きますが、例えば礼法を重んじるとして、その大成を目的としましょう。意識上あるいは性質上、的中などの射技の面は度外視されていることでしょう(違う場合も考えられますが、ここはシンプルに二元論で)。しかし弓を彎く以上、矢が飛んで的に、あるいは安土に到達するということは避けられません。両者の「関係」を解くことはできないのです。彎くこと(射技)も、動作上乗り越えねばならないことは、同様に明白です。

私の考えとしては、礼法と射技両方を兼ね備えてこその弓道というような、弓道とは何ぞやという核心的な部分を説明するには至りません。今回この様なことを書き始めたのも、問題提起と質問を意図したものであるから、と自己分析していますが。
統一や解消、認識、寛容など、直接的な妥協や度外視を含めた確立化は、どうしても何かしらに否定的にならざるを得ないのではないでしょうか。
“なんとなく”という便利な言葉がありますが、意外にも方向性としては的を射た言葉だと思うのです。認識や寛容などと敢えて意識するのではなく、礼法を重んじるのならば射技はどことなく、逆もまた然りかな、と。重んじるものは違えども、度外視しているものをわざわざ否定的に見ることもないでしょう。そこに“なんとなく”の精神が隠れているのではないでしょうか。関係を切るのではなく、です。関係を絶ってそれぞれを独立させたときこそ、立場の異次元性を受け入れて
全く別のものとして見なし、認め合うことが必要になることでしょう。

私と致しましては、こんな考え方もあるのかな、程度に思っていただけると幸いですし、質問応答などでみなさんの意見などを聞けたら尚良い、と思っております。

74:天龍さん
射技、的中と体配、礼法という二つのカテゴリーの関係処理を考察されています。
ばかばかしい比喩ですが、射技的中という名のハンバーガーと体配礼法という名のハンバーガーを上皿天秤の両側に乗せる図を想像した場合、そういう乗せ方でなくとも、両者のパンだけをまとめて左側に、両者の具をまとめて右側に乗せる図もあり得るということです。
体配礼法も技術です。射技的中ももちろん技術です。理論や精神は後からついてくるという考えも成り立つくらいです。
中国の古人曰く、弟子にまず技能のみを教えたのは後々理論精神は自然に理解するから。
こういう天秤への乗せ方を考えに入れれば、両カテゴリーの関係を考察するのに、別の道筋が現れるように思います。

蛇足ですが、大学生は体配を軽んじていないと思いますよ。確かに全弓連の指導とはかけ離れていても、彼らなりに見栄えの良い、伝統を重んじた所作をチーム全員がそろえてやっています。少し投げやりな悪ぶった雰囲気は後輩が憧れる洗練された所作とも思えますけどね。

75:武奘さん
>>74 天龍さま
弓道とは、それら二つのカテゴリによる二元論にしか成り得ないのでしょうか。
個人的には、そうなって欲しくないと思うのです。私には、それぞれに対立構造があるのかどうかすら疑問なのです。
いかがでしょうか。

76:かっチャンさん
いつでしたか、小笠原さんがTVで礼法について話されていました。礼法は形式美のように見えますが、実は理に適っていて、実用でもあるのです。戸の開け閉め一つをとりましても、そうなんです・・・と説明されていました。

例えば、僕なんかの射では、入場前から退場後までの一連の動作が基本的にスペシャル・ワンパターンであれば、射に於いても気を乱すことなく行えます。また、それが次の立ちにも繋がります。半眼や瞬きをしないなどということも、至極自然な事で、的中に繋がる事を内包しているように思います。

礼法や体配、半眼など、そういったものの意味を知らなければ、射技とこれらのものが分離して見られるでしょう。

全弓連では、弓道の最高目標のようなもの・真善美や安全対策の指針なども提示しています。各自が自ら選んで所属している組織なりの指導を受けて、この問題を考えればよいのではないでしょうか。全弓連とは異なり、的は敵であって、礼は無用という場合も有るようです。

駄文、失礼致しました。

77:ちゅんさん
 今の議論の発端になっている、対立の根底をなしている認識の違い、排他的とも言える様な各個人の弓道に求めるもの、信念。それに解決の糸口となる共通認識のようなものは、残念ながら多様性を持つが故に、確立することは難しいと思います。
 ただ、武奘さんのおっしゃる「なんとなく」の考え方には共感します。

 思うに、指導体制、指導方針にも一因があるのかなと思います。射品射格を弓道初心者に力説する先生、的中など関係なく魅せる弓道を目指せと連呼する先生、小離れなど現代弓道では許されないと無理やり作り離れを強要する先生。弓道はマイナーな分、教わる方の知識が非常に足りない部分が他のスポーツに比べて大きく、他の先生の意見を聞く機会も少ない分、先生の影響力が非常に大きいです。先生の認識がそのまま団体の雰囲気となり、他の認識を受け入れない土壌を作り出しているケースもあるのではないかと思います。

78:武奘さん
どうやら弓道の二元論の対立構造は事実あるようですね。
個人的には残念に思いますが。

79:弓道人さん
そもそも、心で引いてくださいとか言うからいけないんです。


誤解を招くはずです。

80:武奘さん
その点の是非を問うのはやめましょう。
既に済んだ話です。

81:いちじくぅさん
指導者が影響するとかのまえに、指導者がいない高校とかがある問題をどうにかしてほしい。

82:必須さん
〉いちじくぅさん
はい!たしかに言えてますね。

〉80
〉既に済んだ
勝手に仕切らないようにね〜。
過去のスレに対し、新たな意見や感想を持って、また書き込んでもいいんじゃないの?

83:ちゅんさん
>指導者がいない高校とかがある問題をどうにかしてほしい。

 指導者が欲しいと言う意味か、指導者もいないような環境では弓を引くなと言う意味か、判断しかねますが。

 社会人は当然仕事を持っている以上は、学生の活動時間帯に指導に行くことは難しいですね。競技人口のあまり多くない弓道で、人に教えられる技術と見識を持ち、仕事と弓道の両立をしてしかも、学生の活動している時間帯に都合のつく人は、全く限られているのではないでしょうか。ましてや弓道を教えられる教師が学校にいるなど、偶然に近いと思います。

 指導者のいない学校の存在がなぜ問題なのか分かりませんが、現実的に指導者が不足している以上は、置かれた環境で弓を引いていくしかありません。学校ではなく一般で引く事も選択肢にありますし。

84:武奘さん
弓道の指導者というのも、どの程度の方が該当するのか、一考の余地があるように思います。
しかしながら、指導者というものの線引きや部活動の顧問と指導者の非同、指導者の配分の困難さや規模など、問題点も数多くあることでしょう。

何を以って解決となり得るのか、難しいところです。

>>82 必須さま
敢為して仕切る意図もありませんし、仕切る仕切らないなど、問題ではありません。
vicky氏は、誤解を招き得る表現をしてしまい申し訳なく思う、との意の書き込みをし、容赦を願われました。
であるならば、議論の余地があるか否かにかかわらず、その点に触れないことこそが最良ではないでしょうか。
つまるところ、今は是非を問うべき時期ではない、と考えます。

85:天龍さん
田舎の話ですが、私の地域では通学圏内10校の内9校に弓道部があります。あるということは創った教師がいる訳です。
その10校の中にある一つの進学校に元々弓道部があり、毎年出る約十人の卒業生の中の平均2〜3年に1人くらいが県内の国立の教育学部に入り、地元の高校に戻ってくるのです。彼らは数年ごとに転任して行きますが、見ていると半数ほどの高校に弓道経験者の教師がいる様子です。現在経験者の顧問がいなくても、何年か後には転任してくる可能性があるので、その間は指導者なしで耐えるしかありません。私たち地元の一般道場の練習日には、部活帰りの高校部員が誰かしら練習に来ているので、射を見てあげています。
経験者顧問がいない数年間、先輩が後輩にきちんと基礎指導をするシステムを守らねばなりません。一定の統率能力のある生徒がいる高校でないと難しいようです。


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