手首のきりと角見 (投稿42件)[1〜42]


1:求道人さん
初めて投稿します。
僕は高校2年で、高校で弓道を始めました。

最近、角見を意識し出したのですが、離れで手首をきってしまい、残心で手首が曲がってしまいます。
やはりこれは修正した方がいいのでしょうか?

後、出来れば正しい角見を教えて欲しいのですが。

よろしくお願いします。

2:弓有さん [url]
>最近、角見を意識し出したのですが、離れで手首をきってしまい、
>残心で手首が曲がってしまいます。
>やはりこれは修正した方がいいのでしょうか?
残身で手首が必要以上に左へ折れるのでしたら、修正した方がよいでしょうね。

角見は『意識して弓の右端を押す力』では無い!と思っています。

会では拇指先が少し右方向に向いていると思います。
離れて残身ではその拇指の方向が的に真っ直ぐ向く意識で(会で)両肩の力を矢筋方向(真っ直ぐ)に離れを出す練習をしたら良いと思います。

3:求道人さん
ありがとうございます。
僕達の部活は指導者もおらず、先輩方から教わったことを実践しているのですが、どうしても手の内が上手くできません。
特に角見がしっかりかかっているのかが気になります。角見をうまくかけるためのコツがあれば教えて欲しいのですが。

4:直心使い ◆AbKQhXTEさん
>角見をうまくかけるためのコツがあれば教えて欲しいのですが。
会で手首が真っ直ぐになっている状態を維持して的に向かって弓手を伸ばすイメージを持ち続けることに尽きると思います。
>最近、角見を意識し出したのですが、離れで手首をきってしまい、残心で手首が曲がってしまいます。
もしかしたら会での手の内の入り方が正しくないのかも知れません。会で弓手の手首は真っ直ぐになっていますか??そうじゃないと手首を曲げるように振り込まないと離せないと思います。これができて会でしっかり弓手の張りがあれば自然と角見もしっかりと利いてくれますよ。

5:求道人さん
ありがとうございました。少し手首が入ってなかったようです。これから、これらのアドバイスを参考に練習して生きたいと思います。

6:求道人さん
過去スレを見ると、角見は弓手を的の方向に押し込むとあったので今僕はそこに意識をおいて練習に励んでいます。
そこで、手首のきりと的の方向に押し込むという2つの違いがいまいちよくわかりません。
弓道経験が浅いので、あまり良い質問ではないかもしれませんが、よろしくお願いします。

7:弓有さん [url]
>求道人さん
>過去スレを見ると、角見は弓手を的の方向に押し込むとあったので今僕はそこに意識をおいて練習に励んでいます。
二ヶ月前に、角見を意識して行なわないほうが良いと申し上げました弓有です。

>>2
>>角見は『意識して弓の右端を押す力』では無い!と思っています。
文章表現が的確でないために意図とすることが伝わってないようですね。

求道人さんの射法は武射系統(斜面打ち起し)ですか?正面打ち起こしだと思ってお話します。

角見の働きがないと矢所が前(的の右)に飛びますが、それを修正して矢を真っ直ぐに飛ばす働きが角見の働きであることは間違いのないことです。
ですが角見を意識して弓の右角を親指の付け根(第二関節)で押してしまう離れですと、離れを手先の力で離すようになったりして、残心で手首が折れ曲がってしまたりします。これは手の内が弓を握り過ぎている場合に起こりやすいです。

手の内は弓を握るのではなく、なるべく小さく手の内を整えて虎口(拇指と人差指のあいだ)で弓を受けますが、親指が曲がるように弓を握っていては虎口で弓力を受けられませんので指先の力を抜いて手首にある親指関節の手根骨を的方向に押し出すようにします(拇指が反るように伸びる)。

会では、肩根の力を意識して使います。
その肩根が浮き上がらないように真下に押し下げて、肩からの力を矢筋通りの方向に押しながら手首の親指根(手根骨)まで、その力を(水が高い所から低き所に流れるように)流しながら的へ押して行きます。
離れと同時に残身では弓をしっかりと握りますが、親指が的に向かって伸びていて腕と一直線になっています。手首は折れていません。

長文となりましたが言いたいことは、
弓の張顔は弦が入りきになるように出来ていますので、そこへ(その位置へ)戻るように離れで弦が復元すればよしとするだけのことです。
意識的に弓を返してはいけませんよ!ってことです。

8:弓を引く人さん
「弓手の手首が折れる 」で書き込みました。
http://ecoecoman.com/kyudo/bbs200906tec/2007122912455713.html
「 何故角見を行わなければならないのか?から考えていけば、残心での手首の折れなどは別にどーでもいい話です。
 発射時に矢の飛行軌道上に弓の右角が入ってしまうので、矢の飛行の邪魔をしないが為に角見を働かせます(矢の運動エネルギーを増幅させる働きもありあます)。ここでは弓の右角を如何に待避させるかに重点をおいて考えれば、残心での手首の折れなどさほど気にならないと思うのです。
 少々極論ですが、手首が折れずに角見を働かせることは不可能です。逆に手首が折れずに弓の右角を待避させる(古人は矢道を開けると表現していた)方法があれば教えて欲しいと思います。」

>離れて残身ではその拇指の方向が的に真っ直ぐ向く意識で
→親指(ベクトルの向き)を的方向に向けると、手関節は絶対に時計の反対回りに開いてしまいます。発射瞬間にベクトルを的に向ける事を無視した、手首だけ折る技術との違いが分からないのであれば、どんな議論も不毛ですね。

ちなみに残心で手首が折れていることを不可としている方々は、発射時に開いてしまった手関節を瞬間的に戻してますね。高速度で撮影すれば一目瞭然です。角見の余勢をそのまま自然にまかして形に残しておられる方との残心の違いがここで生じます。

和弓を用いる以上、正面・斜面などで色分けせずに、発射時に矢が弓の右半分に接触してしまう現実がありますから、発射時には内竹左側を中心にして時計の反対方向に捻り、弓の右半分を矢の飛行軌道から待避させる事が必要になります。

>両肩の力を矢筋方向(真っ直ぐ)に離れを出す
→人間の関節は伸びません。伸ばすと故障します。弓道でいう肩関節は球関節、弓道でいう手関節は楕円関節です。ベクトルを矢筋に向けたいのであれば、各関節を回転させなければなりません。関節に回転を加えない矢筋の伸びは人間モデルであればあり得ません。人間は真っ直ぐという運動が非常に苦手で、様々な関節の回転運動を駆使して直線的な力を生み出していることを忘れてはならないと思います。

>弓の張顔は弦が入りきになるように出来ていますので、そこへ(その位置へ)戻るように離れで弦が復元すればよしとするだけのことです。
→矢が飛行するときに弓幹部と接触しなくらい入木にしてるのですか?発射した瞬間に首が折れてしまいそうで恐ろしいですね。ただ、そのような弓であれば弓を捻る技術:角見は必要ありません。弦で体を傷つけるかも知れませんが・・・。


ただ、一言言わせて頂きたいのですが、角見を意識しなくて良いという発言には到底賛成出来ません。角見の強さで、弦が矢を押す時間に違いが出てくることをご存じですか?角見が弱い射手は弦が肘関節辺りで矢と分離します。その後は空筈になりますから「ばしゃん」と弦が関板を叩きます。角見が中程度であれば弦が丁度張り顔の位置で矢と分離します。上級者ともなれば角見で矢を押し切りますから、弦と矢は張り顔より更に進行して分離します。矢押しの時間が長ければ長いほど矢のスピード・威力(貫通力)が増すのです。また、中級以上の角見でなければ弦音も発生せず。ただ弦が関板を叩く音のみとなります。「中れば矢の威力など関係無い」と仰るのであればそれはそれで納得出来ます。

9:麩さん
>弓有さん
>弓を引く人さん

どっちでもいいし、どちらも使い分けれるし、
どちらも牽制しながら否定するような事でもない。

ちなみに手首を折らずに角見を押す方法もあるけど
(試しにやってみただけなので、正しいかどうか知らん)

10:弓を引く人さん
>麩さん

>どちらも牽制しながら否定するような事でもない。
→正しいと思っていることは正しいと発言し、誤っているなと感じるところは反論する。別に良いんじゃないですか?これで議論が深まり、お互いに様々な事を発見することが出来ます。反論し合うことは勉強になって良いと思いませんか?

>ちなみに手首を折らずに角見を押す方法もあるけど
→麩さんの仰る「角見」とは如何なるモノなのでしょうか?手首が動かないのであれば、体のどの部位が動くのでしょうか?手首が不動であれば「振り」と思われますし・・・。伺いたいものです。

11:手心さん
手首を折らずに角見を利かす方法は確かに存在します。基本的な押し方は弓有さんの説明の通り、だが手の内についての考え方や構造がまるで違う。見ただけでは真似できません。ただ手の内を明かせなどとは出来ない相談ですね。

昔から手の内は明かしてはならぬとなっているはず。それに弓の右角を単純に押して残身で手首が折れる手の内なんて明かさずとも見ればわかりますよ。

矛盾すると思いませんか?書籍では手の内を、卵中、鵜の首とか言って握り込まないよう述べているのに、角見を利かすために伸び合って弓の右角を押せば、押すほどに指先に力が入り弓を握り込んでしまう。爪の色も白化するし、離れの瞬間は締めろとあるのに伸び合いや詰め合いだけで握ってしまうのだから…。

12:弓を引く人さん
>手心さん
 当方は貴方に手の内を尋ねた記憶がございません。しかも、当方は弓有さんの説明に対して反論したまでで、「基本的な押し方は弓有さんの説明の通り」「ただ手の内を明かせなどとは出来ない相談ですね。」と仰られても、具体的な体の働きや関節の動きの説明を省きベクトルの向きだけを示されても話になりません。
 そもそも、当方の投稿に対して反論するのであれば、最低限ご自分の理屈・考えを発言するべきです。出来ない相談であれば黙っていれば良いのです。先の投稿は単なる独り言の吐露にしかすぎませんよ。

 それと、当方の投稿(8番)に「何故角見を行わなければならないのか?から考えていけば、残心での手首の折れなどは別にどーでもいい話です。」と書いている通り、角見さえ効かせられるのであれば、手首が折れる折れないなんて小さいことだと思っています。角見は手首を折る事であると発言した覚えはありませんし、結果的に折れてしまうとずっと発言しています。はっきり言えば、手首の折れていない(残心までに修正している射手も含む)上級の射手を見たことがありません。逆にどうしてそこまでして手首の折れを、残心で修正してまで気にしているのかを知りたいくらいです。また、角見の定義は「弓の右半分が矢の飛行上邪魔になるので待避させる事」で一致しているのでしょうか?この定義が違うのであれば、何を話し合っても意味がありません。

>それに弓の右角を単純に押して残身で手首が折れる手の内なんて明かさずとも見ればわかりますよ。
→この一文だけで、手心さんの見識を推し量ることが出来ました。ひょっとすると、角見の定義が異なっている可能性があります。

13:手心さん
>当方は貴方に手の内を尋ねた記憶がございません
確かに、ただ手の内を聞かれる弓道家の立場を述べたまで。奥義を軽々しくも他人に話すのは恥だと思いますが…。
>具体的な間接の動き…
それこそ手の内を明かす事です。貴殿も一介の弓道家ならば軽々しくも手の内を明かすような事はするなと教わりませんでしたか?

>角見さえ効かせられるのであれば、手首が折れる折れないなんて小さいことだとだ…結果的に折れてしまう
折れてしまうのはそのように引いているからです。手首が折れる弊害を考えたことがありますか?このような射をしている人の後方から的着けを見れば、必ず的の前に的着けしています。前に的着けし手首が折れる(振る)事で矢の軌道を修正しているからです。的の中心を真っ直ぐ狙っていない。弓の狙いをそのままライフル銃に置き換えれば的の前に着弾しますよ。そのような的を正しく狙わない射を果たして正射と呼べるのでしょうか?

貴殿もそうしているのでしょう?ご自分で判断できないなら人に見てもらい正しい的着けでその射をすればいい。貴殿の矢は全て的の後方の安土を射抜くことになるでしょう。これの何処が小さい事なんでしょうか?

正しい的着けで中る技だからこそ、人はその射に魅了し感動するのです。的を正しく狙わない射に何の感動が湧こう?中て射だと言われる理由がそこにあるのですから。

手首の折れない上級の射手を見たことがない?見ている世界が小さいのです。ご自分の脚で歩いて見て下さい必ずいます。もし全弓連で見つからなければ、全弓連に所属していない古流の弓術で探すといいでしょう。そのような流派は沢山あります。ひょっとしてその中に残っているかも知れません。
だが例え技を知り理屈を知り稽古を積んでも身に付くかどうか?それほど難しい技です。

それと手首を折らずに角見を利かせても弓返りはします。むしろ弓を握り込まないので弓との抵抗が小さくなり回転が速くなる。その分矢勢が増します。手を修正するのと違い残身で弓がずり落ちません。手の内の働かせ方が違うのです。特に見えない部分での働かせ方が大きく作用し、これだけは師弟の間柄でも決して教えてはもらえないでしょう。

>残心での手首の折れなどは別にどーでもいい話です。…角見さえ効かせられるのであれば、手首が折れる折れないなんて小さいことだと思っています。
私もこの一文で貴殿の技量を推し量ることが出来ました。

14:弓を引く人さん
>手心さん
貴方の仰る角見とは弓をどうしたいのでしょうか?私は「発射時に矢の飛行軌道上に弓の右角が入ってしまうので、矢の飛行の邪魔をしないが為」という前提の元に話をしています。手心さんがこれに異議を唱えるのであれば、そもそも話し合うことが無理です。先ずは前提条件を揃えなくてはなりません。

また、和弓とライフル銃を同列で語ることに違和感を感じませんか?洋弓であれば分からない話でもありません。私はこの一文を見ただけで気が遠くなりました・・・。

>このような射をしている人の後方から的着けを見れば、必ず的の前に的着けしています。
→見ている世界が小さいのですね。ご自分の脚で歩いて見て下さい必ず正しく的着けしている方がいます。もし全弓連で見つからなければ、全弓連に所属していない古流の弓術で探すといいでしょう。そのような流派は沢山あります。ひょっとしてその中に残っているかも知れません。

手心さんは現実を直視して下さい。自分の理屈に凝り固まらず柔軟な姿勢を持って、もっと目をこらして射を観察して下さい。発射刹那時間の角見の働きと手首を振ることの違い。残心を見るのではなく、発射刹那時間の力の働きをみて下さい。見ようとしていないのではありませんか?貴方が理想としている射を行う射手の高速度撮影をオススメします。

私は貴方と技術論で話をしようとしているのではありません。角見とは結局弓をどうしたいのか?弓本位で話をしたいのです。先にも申しましたが、貴方に手の内の技術論を問うた覚えがありません。様々な技術論を議論し合うことも楽しい事ですが、角見の定義が違うのであれば、無駄な時間を浪費するに過ぎません。

「狙い所に矢を飛ばすには弓の右半分が邪魔になる」という和弓の基本特性。このハードルをクリアして、正しい的着けで的心に鋭く命中させることが出来るのであれば、残心での手首の折れなど別にどーでも良い話です。

15:麩さん
ああ、また論争してる
手の内において角見を押す押さないは、どちらでもいいし
手首が折れるのも必ずしも悪い訳じゃないでしょ

悪いとされるのは離れにおいて、ぶれたり弛んだりする事
あと、できれば自分の手を痛める事は避けたい
そんだけの事です、関節は伸びないと書かれてますが、基本的にはそのとうり、弛みさえしなければ矢勢はでます
角見を押すのも弛まない為の手段でしょう
もし角見の力で弓を廻してるのなら、手首を逃がした所で弦は前の方に進み、矢は蛇行してしまうんじゃないかね

よく手の内は捻れとか、上押しを入れろとか、角見を押せとか、紅葉重ねで手幅をせまくとかいわれるけど
私は捻って崩してる人には「捻らなくていい」と言うし
上押しで崩してる人には「掌心をあてろ」というし
角見を押して離れで三指が弛んでたら「角見は忘れよう」
手幅をせまくしすぎてたら「しっかり握ろう」
そういうことでしょ。
捻れ、上押し、角見、手幅をせまく
いずれも正しいが、捻って上押して角見押しまくって手幅をせまくした良くない手の内が多いのも事実
手首が折れて弛んでる人が多いから、気をつけろってことでしょ
手の内の工夫は個人のものだから、色々考えて良いレベルで個性が出せればいいんじゃないかな

16:DEWさん
"折れる"っていうのはどこからが折れてどこからが折れてないのか、なんかその認識の違いがありそうな気が。

私的には弓手のY字が残心では小文字のy(親指の外側の線と手首の線が一直線)になるくらいがちょうどいいと思ってやってます。

弓を引く人さん的にはyが折れている状態、手心さん的にはyは折れていない状態、そんな違いありませんかね?
的外れだったら申し訳ございません。。


文系な私ですが・・・あと一つ。
「発射時に矢の飛行軌道上に弓の右角が入ってしまうので、矢の飛行の邪魔をしない」
ということが起きているとしたら、矢はしなることなくまっすぐに飛んでいるのかなと想像するのですが・・・。
弓の右角=プレッシャーポイント(でしたっけ?)ですよね。これがないと矢の蛇行運動はしないような気がするのですが。

17:手心さん
弓を引く人さんは弓の右角を押すことでしか角見は達成できない。右角を押すから手首が折れる(振る)のは当然だと思っていますね?もっと手の構造と手の内を研究することです。手品のネタをばらせば何でもないことばかりでしょう?常識に囚われないことです。

さて和弓とライフル銃の話しですが、それは貴殿の射技での的着けを説いたまで。どうです図星でしょう?的は正しく真っ直ぐ狙ってこそ正射だ。それとも貴殿は和弓は狙いが違って当然だと信じているのですか?だから手首が折れる事は所詮手先だけの小さい事。だから無視してもいい、どうでもいい事だと思っているのでしょう。
いいですか?小さい事だと考えるから誤った考えが起こるのです。その手を貴殿の身体全体に置き変えて考えなさい。最初、的の前に身体が向かっていたものが、離れの瞬間に動き(流れ)だし、その途中で矢を放ち、残身で止まった時には身体が的の後ろに向かっている。これって「踊り」ですよね?つまり貴殿の手の内は踊っているのですよ。

離れで身体が流れるのは初心者に見られるものだ、それが腕に代わり、手先に代わる。貴殿のレベルは今はここだ。あと一歩の処まで来ているのだよ。そこで終わりにせず、その先を目指して努力することだ。
的着けを正しく真っ直ぐに狙うようにするだけでも、射は変わります。正しい狙いが正しい射を作るのです。見識を広めて射技を深めれば必ず出来ますよ。不動の射が。

18:紅一入さん
弓を引く人さんと手心さん

 おそらく懸手の離れ方が違うのでしょう。
 私は、残身で懸手の甲が上を向くように離す流派ですが、たまに失敗して懸手の甲が後ろを向くように離してしまうことがあります、このとき矢は後ろに外れ、体は弓手につられて的方向に開いてしまいます。「懸手がホドケてしまった」状態ですが、手心さんのおっしゃっている「流れる」状態は、この状態かと思います。
 この懸手のまま、弓手をあまり捻り切らずに的方向に伸ばすように離せば、体は流れる事なく矢は的に行きます。これが手心さんの頭にある射かと思います。
 また一方、この弓手のまま、懸手の甲が上を向くように捻り切れば、これも体は流れる事なく矢は的に行きます。

 懸手を捻り切れば矢は前に行き、捻らずホドケば矢は後ろに行きます。
 懸手を捻り切る流派の方は、弓手も残身で手首が折れるほど捻り切らないと矢が前に行ってしまいます。

 懸手に違いがあるのを置いておいて、弓手のみを議論しても仕方のない事です。

 流派によってどちらもあるので、それぞれの弓手を目指せばいいのではないかと思います。
 
 ただ、弓手も懸手も捻り切って離れたときの矢勢はとても気持ちが良いですよ。

19:手心さん
弓手の手の動きで生ずる矢の流れを勝手の捻りで相殺するって?と言うより勝手を捻って矢の軌道が変わるの?昔から捻りを加えるのは下弦を取るため、つまり矢勢を増させる為だと聞いている。捻りすぎて箟が矢摺籐に当たって矢の軌道が変わっているだけじゃないの?矢摺籐が削れてない?それに弓摺羽だって相当削れているはずだ。

それと残身で勝手の甲が上を向くのは何も射面だけではない、正面にもある。いやあると言うよりその時代の流行だ。昔、これが流行ったと聞く。

>弓手も懸手も捻り切って離れたときの矢勢はとても気持ちが良いですよ。
紅一入さんお言葉を返すようで申し訳ないが、その射方では手先を捻る(振る)為にどうしても弓を握らなくてはいけない。これが弓の回転を殺し矢勢に負荷をかける。その証拠に紅一入さんの手には弓との摩擦でできた豆かタコがあるはずだ。

それにその射方は、学生が短期間で手の内の本当の使い方を覚えるのは難しいので、擬似的に角見を利かせた射を体験させるために考案されたと聞いています。そのうえ手先に頼るので胸の中筋から割れる射ができないとも。これがその射方の限界なんです。

20:弓を引く人さん
>DEWさん
>弓を引く人さん的にはyが折れている状態、手心さん的にはyは折れていない状態、そんな違いありませんかね?
→全くとはいいませんが、私はその通りです。もう少し折れてしまう人も居ると思います。関節の柔軟さには個人差もあり、発射刹那時間には母指球筋近位側を的方向に向けますので、親指先は的より後ろに向いていると思います。手先だけでは到底行えない動作ですが、ついつい手先の話に収束しますので、誤解を生じているのではと思います。

>弓の右角=プレッシャーポイント(でしたっけ?)ですよね。これがないと矢の蛇行運動はしないような気がするのですが。
→弦と弦枕が分離して弦が矢筈に急激な加速度を与えるのですが、矢は慣性の法則で静止状態を維持しようとします。そこでシャフトにしなりが発生して飛行時に蛇行運動が発生します。これは角見云々ではなく洋弓でも発生することですから致し方ないことかと・・・。その弓に適したスパインを洋弓のように厳密に算出すれば面白いと思います。矢に対して徐々に加速度を与えていけばしなりは発生しないと思いますが、和弓であれ洋弓であれ無理ですよね。

また、角見働きに寄って後追い的に弓の復元力以上の加速度を矢に与えていきますから、弦と矢筈の分離ポイントも変動して、矢押しの時間が変化します。強く鋭い角見が、早く強い貫通力を持つ矢を繰り出す由縁です。

21:弓を引く人さん
>手心さん
貴方が終始議論から逃げている点を指摘します。
・和弓に何も力を加えずに発射すれば矢は狙い所より前方に飛んでしまう。
・弓の右半分が矢の飛行上邪魔(矢と弓が接触する)になるので、狙い所に矢を飛ばすには弓の右半分を飛行軌道上から逃がす事が必須である。つまり角見の働きが必要になる。

手心さんも角見という言葉を用いますが、手心さんの仰る「角見」は弓幹部がどの様に動くのでしょうか?私は体や手先の技術論を問うているのではありません。私は弓本位で話がしたいだけなのです。技術論は千差万別で別に良いのですが、矢を狙い所に飛ばすには弓幹部の右半分が動かない限り無理なのです。目には見えない力を掛ける不動の射でも一向に構いませんが、目に見えない力で弓幹部をどの様に動かすか?これだけを知りたいのです。

>和弓とライフル銃の話しですが、それは貴殿の射技での的着けを説いたまで。どうです図星でしょう?
→貴方の自信はどこから溢れてくるのでしょうか?図星ではありません。残念でした。稽古毎に1回は正しい狙いをつけてもらうように教えられています。しかし、盲信と言われても仕方ない言動ですね。驚きと同時に・・・。

>離れの瞬間に動き(流れ)だし、その途中で矢を放ち、残身で止まった時には身体が的の後ろに向かっている。これって「踊り」ですよね?つまり貴殿の手の内は踊っているのですよ。
→人間が直線的な力を発揮するには、様々な関節を複合的に動作(回転)させる必要があります。矢筋に力を発揮させても不動を維持するということは、両拳は体の前方に留まり、拳は肩より上に留まる事を言うのでしょうか?もしこれが維持出来ていないのであれば、貴方の仰る「踊り」ですね。都合のよい理屈のように思います。

>正しい射・不動の射
→曖昧なんですよね・・・。不動の射を若人が表面だけを読み取りどれだけ苦労しているか・・・。手首が絶対に折れては駄目。拳も肩より上に留まる。その行為が矢飛びにどの様な利点があるのか?具体的に説明が出来ていない。弦と矢が分離した後の姿勢に拘り、射を硬縮させて居るように思います。発射刹那時間に躯幹部・両拳が矢筋に動いていれば、残心では両拳は体の横へ開き肩の高さ辺りに落ち着くはず。残心に多少の相違があっても結構。よっぽど生き生きとした射になると思います。不動の射を公言するのであれば、もっと丁寧に説明する必要がるでしょう。

>古流の弓術
→貴方は安易に古流の弓術と仰いましたが、まさか維新後に出来た流派ではないでしょうね?確認しておきます。また、その古流は何流何派で歩射・騎射・堂射のどれを行っているときに「不動の射」を用いているのでしょうか?明確なご回答をお願いします。出来ないのであれば、安易に古流や弓術なんて言葉を用いるべきではありません。

22:弓を引く人さん
>紅一入さん
>懸手を捻り切れば矢は前に行き、捻らずホドケば矢は後ろに行きます。
 懸手を捻り切る流派の方は、弓手も残身で手首が折れるほど捻り切らないと矢が前に行ってしまいます。
→うーん、仰るとおりかも?・・・っん!?
 ただ、右手の離し方によって弦の復元軌道が変わったのかな?何処かで論文を読みましたが忘れてしまいました。弦の復元軌道に大きく関与しているのはやはり左手だと思います。確かに、矢筋に離したとしても左右の相互作用により矢所の違いが生じても何ら不思議な事ではありませんし、人体の構造上左手で弓を押し捻るのであれば、右肘にもそれに応じた捻りを加えない限りバランスがとれませんからね。
 左手だけで論ずる所の限界でしょうか?以前もこの様なスレッドがあり盛り上がってましたね。左右の力のかけ方も確かに考慮すべきですね。私には議論の範囲が広がり深くなりすぎるので手に負えません。だから、弓から見た矢飛びと狙いについて限定して話そうと思っていましたが、無視され続けて現在平行線を辿っています。

23:紫弓さん
 面白そうなのでちょっと思いついた事を書き込んでみます。
 私個人としては、手首を折らない手の内を考えていますのでどっちでもいいと言うより、最低限自分の手の内は説明できればと思っています。矢が弓の右側に当たるのを防ぐのは前提ですね。
「手首を折るな」と言われる所以は角見で矢を逃す以前に矢が暴れる事を危惧してと言うのが根本な気がします。

 私なら拇指の曲げる曲げないと小指の爪揃えをするか否かを論点にします。
 拇指が曲がる事に対しては、全く曲がらないと言うのは、皮の付き方の問題も出てくるので道具を選ばないと難しいでしょう。拇指が曲がれば離れでのびようとします、それに比例して反動も変わるでしょう。
 ただ、円を押そうとしているのだから、小指を揃えて拇指をまげてバランスを取る方が順序としては手早いでしょう。
 個人的に拇指を曲げないで小指を逃す方法を選んでいます。理由は強弓対策と拇指を曲げた事による手首の折れ対策ですね。残身で明らかな違いが出てきます。

 拇指を曲げた事によって離れで反動を逃す事によって手首を振るか、曲げずに反動を回転運動に逃すかの選択だと思います。
 実に、手心さんの言われる弓手が本当に不動だと個人的には空転の要素があるように思います。どの様な解説となるでしょうか。

 紅一入さんの仰る点は本当に良く考えてしまいます。捻るが故のメリットとデメリット。道具も選ばないといけないのでしょうがその熟成された射は統一性を感じます。私も負けじと捻らずとも梨割の離れを目指したいと思います。
 
>>弓から見た矢飛びと狙い
 弓を引く人さんのこれは楽しみにしたいですね。意外に踏み込めない点の一つだと思います。

 駄文だったかもしれませんが参考になれば幸いです。

24:鏡さん
こんにちは。はじめまして。少し落ち着きませんか><
揚げ足取りになってしまっているような気がします。
落ち着けばもっといい議論になると思うのですが・・・。

ここからは別の内容になりますが、
個人的には手心さんの射の捉え方(=考え方)に賛同しており、もう少しお話を弾ませてほしいところです。

25:紅一入さん
手心さん

>昔から捻りを加えるのは下弦を取るため

 これは引取段階での話。私が書いたのは離れでの捻りの話です。

>その時代の流行だ。昔、これが流行ったと聞く。

 射の根幹の事なので、流行でできるものではないと私は思いますが。 

>捻りすぎて箟が矢摺籐に当たって矢の軌道が変わっているだけじゃないの?矢摺籐が削れてない?それに弓摺羽だって相当削れているはずだ。

 おそらく、弦の軌道に影響が生じるのだと思います。矢摺籐も弓摺羽も削れない方だと思っています。

>その射方では手先を捻る(振る)為にどうしても弓を握らなくてはいけない。これが弓の回転を殺し矢勢に負荷をかける。

 離れで弓を握らなければ、弓の下鉾の復元力を減衰して矢勢を殺してしまうのではありませんか。弓を握らない弓の回転っていわゆる「弓返し」としか思えませんが。

>そのうえ手先に頼るので胸の中筋から割れる射ができない

 懸手を捻り切ることにより、胸の中筋から割ることができると思っています。

・・・いずれにしても、流派によって射の根幹が違うのですから、「やってみたら解りますよ」としか言えないですが、せめて「両方の考え方がある」という認識は持って欲しいと思います。

26:DEWさん
>20:弓を引く人さん
返信ありがとうございます。。
なるほど。
慣性の法則によるところが大きいのですね。

27:手心さん
勿論私の射法でも角見はありますし、弓の右側が矢の軌道からそれます。角見の出させ方が違うだけです。
それと私も昔は弓の右角を押し込む射法をしていました。矢勢はありますが矢摺籐は削られ、弓摺羽は痛み1年も経たずに交換ばかり。

先日NHKで放送した弓の番組で弓を引く人さんと同じ射法を見ました。角見君と呼ばれる機械ですが角見ありとなしの映像をよく見比べると、角見ありでは黄金色のフックの付いた円盤が弦の下で回転して弦を払い、弓に当らないよう矢の軌道を変えているように見えました。角見なしではその装置は作動していません。だとすれば此れは本当の角見ではありません。

それと高速度撮影で撮った学生の射は明らかに筈の手前のシャフトが弓に当って矢の軌道が変わっていました。角見を利かせば弓の右角に当らないんでしょう?矛盾していますね?では何故当るのですか?答えは簡単だ当てているからですよ。

結論から言えば弓手を折(振)れば矢は的の後方に流れる。それをに勝手を捻る事で矢を弓に当て軌道を変えて真直ぐに飛ばしているのです。

ですから弓を引く人さんの言う真直ぐ狙って中ると言うのは勝手を捻る事で矢が矢摺籐に当り軌道を修正していると思います。その証拠に矢摺籐が削れ弓摺羽が短く磨耗しているはずだ。いかがですか?

28:手心さん
では話せる範囲で一つだけ明かします。「裏筋」を使います。念の為これだけでは出来ません。
すると弓の右角を押し切らずとも、まるでゼンマイばねが弾け飛ぶように弓が自ずと回転するのです。少しの伸びあいだけで弓が弓返りしようとするため、指先は十分な引き尺が取れるまで回転を抑える形になります。軽く抑えるだけで良いので握らずにすむ分けです。離は手を締めるように力を加えます。弓が弾けるように回転するので手首を振らずにすむのです。ですから弓がほとんどずり落ちません。この回転する速度ですが手で押し切るより速いので矢勢が鋭くなります。

この技術は聞いても教えてもらえませんでした。「盗んで考えろ」と言われビデオを撮り、何度も試行錯誤した結果です。見えない核心部分だけが判らず何年もかかりました。できてから気づいたのですが、古書にはその鍵となる言葉がありました。その言葉は今では別の意味として使われています。

29:ユタカですさん
>古書にはその鍵となる言葉がありました。その言葉は今では別の意味として使われています。

>28:手心さん

横から失礼致します。

とても興味があるので不躾で失礼とは思いますが、お尋ねします。

それは、星野勘左が書いた「中学之書の註?」に解説している「鵜の首」のことですか?

宜しければ、お教え頂ければ幸いです。

30:弓を引く人さん
>手心さん
>勿論私の射法でも角見はありますし、弓の右側が矢の軌道からそれます。角見の出させ方が違うだけです。
→これで私の疑問点は無くなりました。また、弓幹部右側を矢の軌道からそらす技術はいくらあっても良いと思いますよ。

>先日NHKで放送した弓の番組で弓を引く人さんと同じ射法を見ました。
→・・・。実際見たこともない人の射を自分の思いこみだけで断定することは控えた方が良いですよ。勘弁して下さい。
私の目指す角見は内竹左角が回転軸の中心になるように親指の付け根辺りで内竹右角を押し切ります。これで弓と矢に間隙が生じて狙い所に矢を飛ばす事が出来ます。狙いを前にして振り込み、矢と弓の接触を誘って矢の飛行軌道を変えて的に中てても矢勢は出ないし、変な接触音もして直ぐに射の不正を実感出来ると思います。

ただ、先のテレビで紹介されていた角見マシーンですが、弓の回転軸が弓の中心(弓を輪切りにした時のど真ん中)であったように思われ、厳密に考えれば角見を精確に再現出来ていないように思えました。従って矢の飛行軌道に変化をもたらし、狙い所の少々前に着弾?しているのではないかと勝手に想像してしまいました。角見を厳密に機械的に再現させる事は至難の業であろうと思います。

>結論から言えば弓手を折(振)れば矢は的の後方に流れる。それをに勝手を捻る事で矢を弓に当て軌道を変えて真直ぐに飛ばしているのです。
→思いこみが激しすぎます。結論を出すにはまだまだ尚早である思いませんか?貴方が想像している射手を何となくイメージすることは出来ましたが、角見はあくまでも矢と弓に間隙を作り相互の接触を避け、矢を狙い所に押し出す為に行うものです。誰もがこの点では意見が一致すると思うのですが・・・。

>その証拠に矢摺籐が削れ弓摺羽が短く磨耗しているはずだ。いかがですか?
→残念ながら貴方の想像とは異なっています。この事実だけでも貴方の想像を超えているでしょう?ですから色んな世界を覗いてみて下さいとお話しさせて頂きました。閲覧している方の渋ーい表情を想像しながら敢えて書き込みを続けていますが、この議論を通じて様々な角見へのアプローチを知ることが出来て良かったんじゃないですか?

31:弓を引く人さん
>26:DEWさん
矢の蛇行運動についての補足

慣性の法則を挙げましたが、それと複合的に関与し、左右の蛇行を起こす原因である事象をうっかり忘れておりました。リリース時の弦復元軌道の微少変化によるものです。下記に紹介するSiteは洋弓をモデルにしている為、矢の蛇行は洋弓モデルとは逆に発生します。また、和弓の場合は矢こぼれを防ぐ為の力を少々加えていますので、複雑に様々な力の働きが絡んできます。

角見により弓が持つ復元力以上に推進力を矢に与えますので、確かに矢のしなり具合も強くなるのだろうと思います。

詳しくは「雑科学:弓の話」でご確認下さい。
http://hr-inoue.net/zscience/topics/bow/bow.html

32:手心さん
確かに実際見たこともない人の射を自分の思いこみだけで断定することはよくないですね。失礼しました。

でも疑問です。残身で親指が的の後ろを指す形で内竹右角を押し切ると、矢が離れの直前の位置から手首の振りに合わせて右に流れるはずです。

矢は矢枕に乗っているのですから、内竹右角を押し切る方角が的方向に一直線だと矢が流れることなく真っ直ぐに飛びますし、残身も親指が的を指す形で納まります。

しかし、残身で親指が的の後ろを指す形だと矢は矢枕の動きに合わせて流れます。それを捻りで調整するのですから飛びながら弓に当たって軌道が変わるか、若しくは初めから弓に矢を押し当て矢摺籐をこすりながら軌道を変えて飛んでいるとしか思えません。

何れにせよ、矢摺籐が摩擦で削れでいれば矢が接触して軌道が変わっている証拠です。弓を引く人さんの言う弓と矢に間隙が生じて狙い所に矢を飛ばす事が出来るのでしたら、矢摺籐が削れることはありません。

>角見を厳密に機械的に再現させる事は至難の業であろうと思います。
あの実験は怪しいですね。それに何処かの大学の先生が語っているシーン。弓が逆さに立てかけています弓道家なら絶対にしない。本当に弓のことを研究しているのでしょうか?

ユタカですさん、この手の内は弓を握らないので卵中や鵜の首と例えたような握り方になります。それと手をすぼめて回転軸を小さくしないと矢所が乱れます。意図的に弓の右角を押して回転させるのとは違い、自ずから回転してしまうからです。本の名前は判りません。古い本から引用したものを読んだだけです。

33:弓を引く人さん
>手心さん
各関節(主に肩関節や手関節)から生まれる力を合成した矢筋方向のベクトルは、内竹右角を押し切る力(角見)となります。ただ「会」状態での矢筋に直線的な力を永続的に出し続ける(発射〜発射後)ことは不可能で、瞬発的な力の発揮が限界だと思います。内竹左角を回転中心とした弓の回転運動を起こして弓と矢に間隙を作り、弦が矢を押し出す刹那時間、最低限合成ベクトルは「会」状態での矢筋に一致しなければなりません。しかし、弦と矢分離後の左手に注目すると、最大限の力で押し切っていますので(力を留めていない)左肩は会の状態よりも開き、拇指球筋を矢筋に押し伸ばす為に手関節も開き(残心を見て「手首を折っている」と表現するのはこのときの状態だけを観察しているのでは?)、丁度体や肩の横くらいに左の拳が位置すると思います。右拳に関しては「会」状態の矢筋に一致させることが肝要だと思います。

ですから、角見の余勢(「会」での親指先の位置から、離れで親指先を的の後ろに向ける力のかけ方ではない)で親指先が的の後ろを向いても一向に構わないと思います。拇指球筋を最大限的に突っ込んでみて下さい。私は体が硬いので親指先は的心と後ろ縁の真ん中くらいを向いています。関節の柔らかい人は的より後ろを向いてしまうこともあり得るでしょう。ここで重要なことは親指先ではなくて、拇指球筋が如何に矢筋に伸びて内竹左角を中心とした回転運動を起こして弓と矢に間隙を作るかということです。親指先は何の仕事もしません。残心での親指先の向きで射の優劣を語ることに違和感を覚えています。

>矢摺籐をこすりながら軌道を変えて飛んでいる
→弦と矢が分離するまでは、確実に矢筋方向に合成された直線的な力を掛けているはずですし、「角見はその場で効かす」と指導されていると思いますよ。修行の進み具合によるものが大きいのでしょう。角見の根本目的である弓と矢の接触を防ぎ狙い所に飛ばす事を忘れるはずがありません。

先日のTV番組を念頭に置いてお話ししていると勝手に思いこんで私の感想です。
カメラのアングルが弓と矢が接触しているように見えるで位置で撮影している事が大きいのだと思います。しかも、接触すればあんな発射音になりません。矢摺り籐が削れてましたか?私にはそのようには見えませんでしたよ。接触すれば矢色も出ますし直ぐに自覚出来るでしょう。どうしても弓と矢を接触させたいのですか?接触したときの高速度撮影のフィルムでは、矢は飛びながら殆ど横向きに成ったり、お尻をふらふらさせながらまともに飛んでいません。かなり後ろを狙わない限り的中は望めません。

>弓が逆さに立てかけています弓道家なら絶対にしない。本当に弓のことを研究しているのでしょうか?
→よく見てらっしゃいますね。筑波大学の森教授ですね。もしそのことが事実でしたら、それはNHKに責任があるのではないでしょうか?あのスタジオは森先生の道場ですか?あそこは弓道のど素人が集まっているスタジオですよ。弓道素人でも分かりやすく説明している後ろで出演者かスタッフが弓を逆に立てかけた事も森教授の責任ですか?森教授が弓をわざわざ逆に立てかけるとも思えません。収録後に気が付いたとしても「撮り直せ」といえますか?ちょっと厳しい物言いじゃありませんか?私は筑波大学の関係者ではありませんがそれは言い過ぎですよ。

34:手心さん
いえその道場ではなく、眼鏡をかけた先生のオフィスです。本能的に弓があったら目が移っちゃいますw

>私は体が硬いので親指先は的心と後ろ縁の真ん中くらいを向いています。
それは身体が硬いのではなく、正しく押しているからだと思います。
残身で親指が的の範囲に納まれば正しく押している証拠です。しかし、的を超えれば単なる振りぬきです。押し切りと振りぬきでは違いますからね。押し切れば、自然と且つ確実に親指は的の範囲で納まりますが、振りぬけば的を超えます。ですから残身を見た時にその射手が押し切ったか?振りぬいたか?がハッキリと判るのです。それに振りぬく射は絶対に胸の中筋から割れませんから。私が述べていたのはこの振りぬきです。

その押し切る射法であれば、馬手も捻り切ってはいないはず。矢こぼれしないよう矢を押さえる程度でしょう。押し切る射法は矢を的に一直線に飛ばすため、馬手を極端に捻ると弓に接触し反って進行の妨げになりますから。

35:紅一入さん
>手心さん
 懸手を捻り切ると弓と矢が接触するように書かれていますが、これは無いと思います。
 捻って矢を弓に押しつけるのは離れの前までです。離れで捻るとは手先でなくて、肘先3寸を張ったまま離れで肘を後ろ方向に突くように離します。弦枕の下側ではじくような感じになるので、離れの直後、角見の働きで弦が外側を通るのを助長するように働くと思います。
 話題の番組で、離れた矢がグネグネたわみながら飛行する動画がありましたが、離れ直後、矢は筈の近くだけが弦によって外に曲げられ、少し進み矢の中程が弓の位置を通過する頃には、たわみの第2段階で矢の前後が後ろ、矢の中央部は前に出た状態で通過します。前に話題になったCの形です。つまり、たわみが大きい程、通過点において弓と矢は離れると思えます。離れで捻り切る事は弓と矢が接触しない方向に働くと、思えるのですがどうでしょう。

 私どものことはともかくとして、私は手心さんの手の内にはすごく興味が湧きました。文章で表現できないのは解りながらも、できればもう少しヒントがいただければうれしいです。
 特に、どうやって下鉾の反発を抑えているのか、そのあたりが知りたいです。
 角見を強く押せば押す程、下鉾は強く返るので3指で必死に押さえているとやがて下鉾の反発が終わり3指が勝り強く弓返りする、と私は思っているのですが、きっと別な考え方をお持ちだと思います。


ところで、角見と矢の飛行に関して疑問な点があるのです。
 矢はグネグネたわみながら飛行して矢のノバリによってグネグネが減衰しながら的に中たる、という感じですが、いくらグネグネたわんでも両端がたわんでいる限り矢の重心は真っ直ぐ飛行しているわけです。
 離れ直後矢は筈側だけが外にたわみますから、ここで矢の重心は少し(1cm程度)外に移動しますよね。そしてそのままたわみながら飛行して狙いの1cm程度前に中たる・・・ということでいいのでしょうか?
 疑問なのは、会のときの矢の重心が1cm程度前に移動したベクトルは、その後どうなってしまうのでしょうか?どこかでそのベクトルが消去されなければ、角見を利かせば利かすほど矢は前に飛んでいってしまうことになりませんでしょうか?
 どなたか解決できる方はいらっしゃいませんでしょうか。

36:弓を引く人さん
>34:手心さん
失礼しました。早とちり・・・。

>的を超えれば単なる振りぬきです。
→拇指球筋を的に突っ込み続けると、最初は直線的に押せても、やがて手関節を回転軸にして手首が外に開いていくと思います。弦が矢を押している間はせいぜい弓と矢に間隙を生じさせる程度の動きしか出来ないと思いますが、弦と矢が分離した後は大きな目に見える動きとなり、結果的に親指先が的の後方を向いてしまう。此処でのポイントは弦と矢が分離した後に親指先が的の後方を向き始めるということです。これも振り抜きに該当するのでしょうか?私は該当しないと思っています。関節の柔軟さ、角見の鋭さ、伸合いの強さににより各々の収まり所が変化すると思います。

やはり弓と矢の接触に拘っておられますが、接触した時点でまともな矢飛びが困難となりますから、その推論はお止めになった方が宜しいかと・・・。

37:手心さん
実は矢勢を出す方法に一つにわざと矢を曲げ、その復元を利用する方法があるんです。金属シャフトのなせる技とでもいいますか実演して頂いたことがあり、その射が頭の片隅に残っていて…私にはできませんが。

>やがて手関節を回転軸にして手首が外に開いていくと思います。
いいえ押し切っているのですから手首の回転もここで終了します。発射後もそのまま伸び続けるので代わりに腕拳が流れるように拳一つ動くのです。
弓を引く人さんも残身で腕が親指の指先から確りと伸びあっているでしょう?

「親指先が的の後方を向くのは、的に対して伸び切っていないからです。伸び合いを離れだけで終わらせるから親指が的の後ろを向くのです。残身とは離れたあとも的に向かって伸び続けるもの、だから残身なんです。」
この言葉はさる範士の方から直接指導を受けた時に聞いた言葉です。手首を振る振り抜きの射が胸の中筋から割れない理由がここにあるのです。


私の手の内ですか?えぇえ聞くの〜では、弓を引く人さんにお尋ねします。手の内を整える際に虎口の皮を巻き込みますね?何故ですか?手首を振る射ならば必要ないと思うのですが…これがヒントです。

38:ユタカですさん
>手心さん

遅くなりましたが、ご教授ありがとうございました。

39:弓を引く人さん
37:手心さん
自分の理想としている手の内・角見をどうにかものにしたいので、遣り方の異なる手の内や角見に興味が向かうほどの余裕が無い現状です。文字情報だけでも参考にとも思いましたが、どうも表現することが難しく、具体的な動きとしては教えて頂けないようですね。それはそれで仕方のない事でしょうが、「不動の射」という言葉は本当に曲者で、次から使用される場合は丁寧な説明付きでなさる方が無難と思います。表面だけをなぞり実践しようとする方が出てくる事必至です。

それと、手の内を尋ねられた方は35番の紅一入さんで、「特にどうやって下鉾の反発を抑えているのか」と問われています。私が行っている手の内・角見では下鉾の反発を上押しや小指を締めることで見た目は相殺して、その反発エネルギーを矢に乗せます。

40:紅一入さん
 前に、このスレッドで
「離れのとき、角見の働きによって矢の筈側だけが外に移動することによる矢の重心移動のベクトルがどこかで消去されないと、角見を利かせれば利かせる程矢が前に飛ぶことになるが、どうなのでしょう?」
 という疑問を問うてみたのですが、誰も反応していただけなかったので、自分なりに考えていました。一応ひとつの推論に達したので披露してみようと思います。違う考えがあれば書いていただけるとうれしいです。

 矢の飛び出しの段階をいくつかのコマに分けてみます。
@ 弦が弦枕から離れ、矢の後ろ側だけが外に(前に)移動し、矢が湾曲する状態
A 筈が顔辺りまで押され、矢は湾曲が戻り、少し後ろ向きの直線となった状態
B 筈が弓手肘近辺まで押され、矢の全体は少し後ろ向きのまま逆に湾曲した状態
C 筈が弦から離れ、弓の少し的側にあり、矢は再び湾曲が戻り、少し後ろ向きの直線の状態
D 筈が弓の1メートル位先まで進み、矢の全体が再び逆に湾曲した状態
 疑問は、@で矢を湾曲させ重心を移動させた力がなんらかで打ち消されなければ、矢はそのまま前方向に飛ぶのではないか、ということです。
 ここで推論ですが、A〜B〜Cの間は矢は少し後ろ向きの状態にあります。そして最後尾の筈を弦で押されている状態です。
 机の上に鉛筆を置いて、左の先端を少し手前になるように斜めにして、右の先端を真っ直ぐ左方向に押してみると、鉛筆の左の先端は手前に移動して斜めになろうとします。即ち、重心を手前に移動させるベクトルが発生します。
 @で外側へのベクトルが発生し、A〜B〜Cで手前へのベクトルが発生することで打ち消されて、@で外側にズレた矢の軌道はA〜B〜Cで後ろ向きに進み、Dの辺りで会のときの矢のりに復して、以後は左右に湾曲しながらも重心は移動せずに飛行する、という推論です。
 これだと、角見が利いて湾曲が大きくなっても、その分矢が後ろ向き状態で押されるので、ベクトルは相殺され、矢のりに真っ直ぐ飛ぶのではないでしょうか。
 角見が利かないと、弦が弓の幅の中に入っている分、矢は弓を擦って進み、前方向への回転とベクトルを受けて前方向に進みます。少なくとも、弦が弓の幅の中に入っている分は角見で矢の軌道をズラしてやる必要があるわけです。
 また、角見を利かさず後ろに振った場合は、タイミングと振る程度によっては弦の軌道を真っ直ぐにすることができますが、懸手でなんらかの操作をしない限り、顔や耳を打つことになるでしょう。
 以上、長文でまことにすみませんでした。

41:紫弓さん
>>角見を利かせれば利かせる程矢が前に飛ぶことになるが、どうなのでしょう?
 私も同じように思います。これは一般的に癖ですよね。緩みなどの空転している事がありそうですね。そうすると、拇指をそれ以上曲げらず、上押しを懸けるか下を狙う事により、緩まむ事によって解消するでしょう。これが一般的な癖のつけ方だと思います。小指の締めがないと言った方が適切かもしれません。

 何らかの力で変えないといけないのは一緒ですね。ここら辺は私は、先にも書きましたが、拇指を曲げるか否やと、小指を逃すか否やで判断しています。
 
 単純に角見は弓のねじれを使う事を言いますよね。それを溜める事によって、上下と握りの捻れ差で矢が前に飛ばないようにしているでしょう。
 この弓の捻れは芯材や接着剤にもよるでしょうが、今回の問題は手の内なのでパス。又、矢が硬ければ前矢が出るってのも手の内なのでパス。
 
先の分け方を書くと
 親指を巻き込みで曲げて離れでの伸びようとして俗に言う目付けを押そうとします。しかし弓の上長下短によって下が出ようとします。すると小指を揃える事によって押さえようとする。ここで、上下の矢所は変わらなくなります。この場合、既に拇指が巻き込まれて曲がっているので、角見の働きは存在するのでok。これは、ただし、拇指が曲がっているので、手首を返しやすい事がネックです。比較的近距離や弱弓にはこちらの方が有利だとは思います。
 それに対して、拇指を曲げないで行う場合には、弓が下から出ようとする特性を縦の狙いで調整します。すると、小指を逃す必要がないので複雑化しません。その代償として小指を逃している以上、残身での弓の倒れが減ります。その小指の逃しがうまくいかず指先で支えようとすると無論小指から手が開いてきます。こちらは、比較的強弓や遠くに飛ばす際にあると便利なですね。
 どちらにせよ、小指の締めによってねじれを起こさないと矢が前に飛んで行きます。拇指側部(虎口と言った方が適切かもしれませんが、、)と小指基幹節の兼合いがどうなるかですね。なので、只横方向に角見を懸けたら、前矢に出ると言うのは納得いく気がします。場合によっては弓を伏せると言う点もここにあると思います。

 又、更にに中指に拇指を乗せるか否や・離れで中指と拇指根の空間を詰めるかと言う点などで細分化が収束しそうに思います。

 私も思う所は同じですが,弓自体の方で重心や回転軸の話を考えてしまうので、手の内はこんな感じの見方で分けて考えています。

42:紫弓さん
>>小指を逃す必要がない

「小指を逃せる」です。
これは致命的でした。申し訳ない。


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