「弓と禅」について (投稿21件)[1〜21]



1:ヨネさん
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「弓と禅」を昔読んだのですが、最近になり弓と禅とは関係ないんじゃないか?と考えるようになりました。色々考え方はあるのでしょうが、座禅をしないのに弓と禅を結びつけるのは少し難しいように思います。一応、自分なりに禅については調べて見たのですが。
みなさまの考えを聞いてみたいのですが。

2:ryuzoudouさん
Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 8.0; Windows NT 5.1; Trident/4.0; .NET CLR 1.1.4322; .NET CLR 2.0.50727; .NET CLR 3.0.04506.30; .NET CLR 3.0.4506.2152; .NET CLR 3.5.30729; MDDR)
「禅という名の日本丸」
ttp://www.amazon.co.jp/%E7%A6%85%E3%81%A8%E3%81%84%E3%81%86%E5%90%8D%E3%81%AE%E6%97%A5%E6%9C%AC%E4%B8%B8-%E5%B1%B1%E7%94%B0-%E5%A5%A8%E6%B2%BB/dp/4335551010

参考になるかもです。

この本についての、私のブログ記事です。
ttp://blogs.yahoo.co.jp/ryuzoudou/29811667.html

3:大魔神さん
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ヨネさん へ
 禅=座禅では無いはずですので座禅の有無は判断基準に関係無いのでは?

4:ヨネさん
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>>ryuzoudouさん
「禅という名の日本丸」とりあえず本を注文して見ます。


>>大魔神さん
弓の話からはずれて申し訳ないのですが、確かにそういう考え方もあるのかもしれません。京極さんの小説では禅の始まりは仏陀からと書かれていたので、座禅をしなくても禅と呼んでいいのかもしれません。しかし、一般的に禅は達磨から始まっているという認識だと思います。そうなると座禅を基本的な修行にするのが普通だと思います。ま、それは置いといて、阿波先生が禅をしていたとしてもいいのですが、普通に弓道している人は別に禅とは関係ないですよね。

つまり「弓道と禅は基本的には関係ない。しかし、一部の人は弓道と禅を結びつけて修行している」というのが正確な感じがします。
ですが、「弓と禅」を読んだ方(特に外国の方)は弓道をやっている人はみんな禅的思想をしていると思ってしまうのではないでしょうか。

5:ヨネさん
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連続で投稿すいません。

阿波先生の経歴調べたので。
先生が和漢学んだのは大忍寺で浄土宗。
日置竹林の竹林坊は天台密教(確か座禅も修行にあったけど禅宗ではありません)。なので阿波先生が学んだのは独学になりますね。独学で本を読んだだけで禅宗と呼んでよいものか。阿波先生自体は禅について強調して語ってないのでヘリゲルの方が積極的に禅的な所を探した結果があの本になったのかも知れませんね。

なぜこういうスレ立てたかというと以前外国の方が「弓道をやりたい」というのでしばらく練習していたのですが、「弓と禅」のような神秘的なものを求めていたのにそういうのが無くてガッカリしていた事があったので。アップルのジョブズが「弓と禅」を読んでいたと新聞の広告にのっていました。それを機会に弓に興味を持つ人もいるんじゃないかと思って立ててみました。

禅寺で弓を引く修行とかあれば嬉しいのですが。

6:養心さん [url]
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北鎌倉の円覚寺(禅寺)に三人立ちの弓道場があったと記憶しています。

坐禅と弓道の(立禅)は似て否なるものとは思いますが、坐禅に通じるものと思います。

7:ヨネさん
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>>養心さん
貴重な情報ありがとうございます。
時間に余裕があれば円覚寺に行ってみたいと思います。

弓と座禅は親和性高そうなんで、実際に両方やってみたら何かわかるのかも知れませんね。

8:コテハン考え中さん
Mozilla/5.0 (Windows; U; Windows NT 5.1; ja; rv:1.9.2.24) Gecko/20111103 Firefox/3.6.24 ( .NET CLR 3.5.30729)
弓と禅: 中西 政次 の方かと何となく思ってましたが、ヘリゲルの方ですね。

「神話としての弓と禅」という論文があります。「禅という名の日本丸」の著者でもある山田奨治先生の論文です。私は「禅という名の日本丸」は未読なのですが、関連した内容だと思います。「禅という名の日本丸」が届くまでに目を通してみてもよいと思い紹介させていただきます。
グーグル検索で該当論文のページが出てきますので、ページ内のView/Openをクリックすれば読めます。国際日本文化研究センター内のページです。

過去ログにもヘリゲルの話がありましたね。
朝日新聞『ヘリゲルに再び脚光』
http://ecoecoman.com/kyudo/bbs200906oth/2007020706044972.html
内で、sainomiさんが別の論文を紹介されていました。これは知らなかったのでこれから読んでみます。

弓と禅的なものを結び付けようとすれば可能だと思います。実際結び付けられて広がっている一面があると思います。可能か不可能かという設問よりは、それが何を目的にしているのかという点がより重要だと私は思います。

9:ヨネさん
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>>コテハン考え中さん
ありがとうございます。読んでみたいと思います。
まだ全部は読めていませんが、自分と同じ考えの人もやはりいるみたいですね。少し嬉しいです。

実はここ数年、弓から遠ざかっていたのですが、弓道連盟としてはどう考えているのでしょうか?もしわかればどなたかお願いします。

あと禅学んでいる方に聞いたら弓を引く事で「悟り」を得る可能性はあるそうです。でも、普通に引いていても「悟れる」ものでもないのでしょうね。

10:1さん
削除されました。

11:コテハン考え中さん
DoCoMo/2.0 N706i2(c100;TC;W24H16)
弓道連盟としては、と考えるなら、弓道教本一巻にそれを求めるのが妥当と私は考えました。
ヨネさんは読んでみてどう思いますか?

まだ論文を全て読んでいないので、読み終えたらまた書き込みしたく思います。

12:コテハン考え中さん
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遅くなりましたが書いてみました。

阿波範士の言葉を拾うと
「東洋における、自然をとおして自己を見、自然をみる認識の仕方は、最後の階梯として、自然と自己との一致融合、所謂天地一枚自得自立という境に到らねばならぬ。これが禅の悟道だろう。而してこれに至るまでを、心のみをせめてゆくのが禅の思索であって、心と身とをせめてゆくのが射の修養である」(『阿波研造 大いなる射の道の教』265頁)」
「一切の迷見煩悩を切断して、本然の自己を完全に発見する努力、これを弓をとおして為さんとする」(同263頁)
「修養法として、心と身との統一融和したものを求むるとき、射の道が、極めて深く発達した姿を見せてくれるのである。」(同264頁)
とあります。弓は教育の手段である、禅よりも優れた修養法であるという主張が読み取れます。

それをヘリゲルがどう学び解釈し書いて広まったかという点に関しては話がぶれるので今回触れません。

「弓が禅と関係あるか」という回答ではないですが、目標設定次第でお互いに関連ができることはあるということは伝わるだろうと思います。

13:大魔神さん
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コテハン考え中さん
 私は、
1.道場の掃除整備は皆で行う
2.矢取も交替で行う
という点が禅に通じるものがあると考えます。

14:コテハン考え中さん
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大魔神さん
「弓を通して仏が見えるものなら見てみたい」と昔思っていたこともありましたが、最近そういう思索をすることがなくなってしまいました。
一切悉有仏性という考えがありますし、様々なものに禅を見出せるのは良いことだと思います。
私がお世話になっている道場でもあまり気取ったところがなくそういう感じです。

15:kanzukasaさん
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こんにちは、ヨネさん。

 禅を悟った禅坊主が、空に浮いたり、透視をしたり、物を動かしたりというような特殊な能力を身につけたり、
禅の悟りで、国を動かしたり政治を導いたりするわけでもありません。
そもそも「禅」とはなんなのか、まずそれが解決できていなければ、「弓道」との接点が見つかりません。

 ヨネさんのご質問である「弓道と禅」の関係について、どれだけ掘り下がるか楽しみにしていました一人です。
私は、昭和初期の梅路武禅道場で弓道を教えていた梅路見鸞の内弟子である、先生の元で弓道を学んだ者です。
先生はご存命されておられますが、近年老衰が進行し静かな余生の日々を送られています。
 梅路見鸞の教えを守り、言い換えれば「禅」を通して、表舞台に出ることなく、自らを売ることなく、ご自宅の弓道場にて
静かに弓を執る日々を過ごされて居られました。
 私は仕事の都合で、先生の元を離れざるを得なかったのですが、道場には偶に顔を出しています。
先生より伝えられた梅路見鸞との生活の日々や歴史は、表に出ている弓道界歴史と異なっている
部分も多く、弓道界は「阿波研造」に傾き英雄化してしまった向きがありますが、梅路見鸞とのやりとりは阿波研造の大きな助けとなった筈です。
実際、梅路見鸞は25歳にして禅の印可を受け、中津藩の麒麟児として幼少より武道を始め様々な英才教育を受け、様々な武道に精通し、
その武道の中で「弓道は禅を体現するのに最も適している」と、弓道を生涯の伴侶としたようです。
 梅路見鸞はなぜ「禅」と「弓道」を結びつけたのか? との疑問が生じますが、「禅」のもつ特質と、「弓」の持つ特質を利用して日本の国を良くしようと考えて居たようです。
弓道を普及し、禅の悟りに通じる道を開くことができれば、日本人の昇華、日本の進展に繋がると本気で考えていたようです。
 それ故、当時日本武徳界の個々が好き勝手の許される中、あえて流派を立てることなく「武禅」という雑誌を梅路武禅道場にて発刊し、
各道場に無料配布し、弓道の掘り下げと弓道の根幹部分の統一化を促す行動を行っています。

16:kanzukasaさん
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 長くなりましたが、「禅」は弓道は疎か人間の行動全てに影響を及ぼすものです。
かつてオイゲンヘリゲルは「哲学の実践」を日本人が会得しているとして、弓道を挙げ「禅」をヨーロッパに知らしめています。
そう、「座禅」とは違い弓道ではその結果として「射に成功し、的を得る」という実践と答えを得ることができる特異が存しています。
 その方法には、私たちが日頃固着している「ああしろ」「こうしろ」「こうしよう」「こうだろう」という思い込みや「癖」が邪魔して、拘れば拘るほど囚われて答えから遠ざかる経験を重ねています。
「正面打起」と「射法八節」という最もこれを実現しやすい環境と、先達の英知を知る私たち弓引きが、ヨーロッパや世界の弓道に「的中てゲーム・スポーツ」と呼ばれるのは、私は悔しく思います。
 私も一人の弓引きとして、また日本人として、先達の切り開いた極致を体現し、行き詰まりのない弓道を探求したく過ごしています。
 「禅」は仏教用語ではありますが、「座禅」=「禅」=「宗教」ではありません。 日々生活するすべての行動に「禅」が存在しています。
その場の情報に流され自己を失い結果をも変えたり、自分の勝手な思い込み等が邪魔して、素直にものを受け取れなくなっている自分を捨てることによって、世の中のささいな争いの原因を除き、より良い人間関係、人間社会を形成する手段として大いに取り組むべき、要素だと私は思います。

 私の先生の言葉に「言詮にとらわれず、他人との比をみず、巧拙を意図せず、私意を弄せず、一途に己を尽くすを射の本分とす」があります。
これは、禅に通じ弓道だけではなく人間の生活そのものに置き換えても意をなす言葉として私は常に頭の片隅に置いています。

17:しらべさんさん
Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 8.0; Windows NT 5.1; Trident/4.0; .NET CLR 1.0.3705; .NET CLR 1.1.4322; .NET CLR 2.0.50727; .NET CLR 3.0.4506.2152; .NET CLR 3.5.30729; YTB730; ver:2.05606)
>座禅をしないのに弓と禅を結びつけるのは少し難しいように思います。

どっちも精神を統一して集中するという点、自己と向き合うという点ででは同じ。

18:1さん
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19:1さん
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20:1さん
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21:1さん
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Re:「弓と禅」について
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