正射必中 (投稿13件)[1〜13]


1:一膳飯さん
試合まであと3日くらいしかありません。そんななか親切にも友人が指導してくれてるんですが、どう考えても自分と相性が合いません。自分はもう自分流のやり方ですでに皆中〜2中はいくんですがその人の指導では全然感覚が違いすぎて中るどころか矢所も定まりません。その友人は「正射必中だ」と言いますがそこまでこだわる必要があるのでしょうか?さすがに中ればいいとまでは思ってませんが試合までの期間が期間なんでもう自分の射で固めようと思うんですがどういったものなのでしょうか?いいアドバイスをお願い致します

2:無影心月さん
弓にいつわりは通じません、ただ真を尽くすのみです

自分を甘やかさずに、己を律して、弓の稽古に励んでください

3:夏さん
未熟者ですので、受け流していただいてもかまいません。


試合が近いから、自分のやり方でとりあえずはやりたい。
それも一つの方法ですよね。



でも、それって何というか気持ち的に弱くなりませんか?
もちろん、そんな人ばかりではないと思います。
ただ、正射必中の為に友達が指導してくれるからそれに応えようと一生懸命練習する。
これを続ければ、自ずと的中はついてくると思いますし、何より自分の中に強く達成感が残ると思います。

私事ですが、顧問の先生との会話の中で
『記録に残る試合と記憶に残る試合は同じだと思うか?』
と聞かれた事がありました。

このことについて考えてみてもらえませんか?
私としては、どんなに時間をかけて練習しても記録は残せない時がある。でも、記憶は残せる。
逆に、短時間の練習で記録が残った。でも、記憶に残るのは結果のみ。
そのような解釈をしました。

少し余計な話でしたが、やはり試合も大切ですが、長い目で見たとき、私は友達の指導を受ける方がよいのではないかと考えます。

最初に述べたとおり、私自身未熟ですので、考えが足りない面が多々あると思いますが御了承ください。

4:鮭色さん
合わないんだったら適当に聞き流すと良いよ
弓道のやり方なんて人それぞれだよ

5:明鏡止水 ◆IDFFcYqcさん
一膳飯さまにとって、また所属の集団(学校)にとっての試合の位置付けがどのようなものであるのか?
・単に日々の個人的な練習の成果を見たり確認するだけのものなのか
・集団としての練習の第一目標であるのか

6:kurichaさん
顧問の先生には相談されましたか?

7:とおりすがりさん
やさしい友人のアドバイスを試合直前に受けなくては成らない必然性はなんでしょうか。

射は見た目だけでなく内面の感覚も大事。
心と体と技術が一致してはじめて正射に迎えるのに、個々に違う心を無視した友人の指導は単なる見た目がきれいな踊りでしかない。

試合直前で焦る心があるなら、正射必中に対して心技体の乱れをどう思うか聞いて、心技体の一致なしに正射必中がありえるかお話ししてはどうでしょうか。

8:天龍さん
例えば、他人の所有する機械装置を修理してやるといって分解し始めた人がいるとして、その人は、どんなにバラしても最後には完全に組み立て直せるだけの自信があるはずです。それだけその機械に精通しているということです。
人に物を教えるということは、非常に神聖な行為で、大変な責任が伴います。部員同士ではそんな技量ももなければ、責任も負えません。
中っている友人の射を、試合前に、まあ任せておけと改造し始めるとは、理解に苦しみます。大変な越権行為と言えます。それは指導者の領分であり、部員同士の助言は、あくまでも単発的なものに限られるはずではないでしょうか。
本件は、私たちの道場に日常的にあり得る問題であり、各自が自らの立場と力量、踏み込める他人の領域の限界を常に銘記しておかねばならない、重要な命題だと感じました。

9:kurichaさん
まあ、いわゆる「教え魔」というやつですね。私自身、常にそうならないように気をつけています。
嫌われるしね〜・・・

10:百夜 ◆WR1hQljoさん
どうしても納得いかないのでしたら、部の指導者や、指導の上手なもしくは自分にあった指導のできる仲間に見てもらうように頼むといいかも知れません。

試合直前になってそういう状況に陥らないようにするために、普段から仲間や指導者とうまくコミュニケーションを取っておくことが大切です。

11:明鏡止水 ◆IDFFcYqcさん
>正射必中
このことと今回の出来事とは、一先ず切り離して考えた方がよさそうです。

問題は・・・
・指導する時期の問題
 勝敗や的中に拘っている場合に於いて、其の直前に射を(無責任に)弄ってしまうことの是非です。

・誰が指導するのか
 単なる友人(同級生)が無差別に・・無理やり「指導」の名の下に、他人の射を弄ってしまうことの是非です。

・指導に対する責任の問題
 友人が「正射必中」の旗印の下になさっている現在に指導が、先ず正しくて・・適切なものであるのかどうかの問題です。
(指導が正射を真に志向しているのかどうか?
また一膳飯さまの引き方の‘好い処’を知り、其れ等に対応した指導であのか・・・と云う問題です。)

ご友人の方が「正射」を正しく捉えていらっしゃるかどうかも大きな問題だろうと思います。
他スレでもよく拝見致しますが、「正射」を単なる見た目の好い射をか、綺麗な射とか云った捉え方を為さっている方も多いようですからね。
 
 また、其の指導が目前の試合と云うものを視野に入れているのかどうかの問題です。
(試合までに射を直して、的中まで結びつける自信=責任=を持った指導であるのかどうかです。)
 ↑ 此れは、現在なされていることが、単なる一言アドバイスではなく、外部から射を直してしまう為の指導であると捉えられるからです。

12:長年ヒゲ ◆wb6KGcUAさん
結論から言うと今の射のまま試合に臨むべきでしょう

しかし、一膳飯さん貴方の中ではこの掲示板に書き込む前に心は決まっていたんじゃないですか?
心の中では決まっているが行動に移せない自分の背中を誰かに押して欲しい、誰かに自分と同じ意見を言ってもらって安心したい、どこか気持ちに後ろ盾が欲しい
質問内容を読んでいてそんな風に感じました(違っていたなら申し訳ない)

ただ、自分の事を思ってくれている友人に対して、見ず知らずの誰かもわからない人間(知り合いでも同じ)の言ったことを心の拠所にして物事を決めるのは、果してその友達に対して誠意のある行動と言えるのか?

初めに書いた通り今のままで試合に臨めばいいと思う、何か目標が近づいているのなら、その目標に応じた結果に近づくように努力すべきだから、試合が近いのなら{中り}、その中りが出るように練習しないと、

問題は友達から見て綺麗に引いているようには見えなくて、それは自分でもどこか認めているんでしょう?色々認めたくない所を見ない様にした上、どうするかまで他人に頼る気持ちが問題じゃないかと言いたい
自分とは合わないなと思いながらも「放っておいてくれ」とは言えないムゲに出来ない相手な訳でしょう、そうゆう相手に対して貴方がしていることは誠意あることなのかって事です

弓は積み重ねだから
どれ程の習熟度の射なのかは解りませんが、中りは有るけど射が綺麗ではないのならそれが今の貴方の実力なのだから、友達が見てそう言いのなら試合が終わってから直して行けば良いことなんですが、書き込みを読むとどうも目を背けている所がある様に思えて

アドバイスと言うなら、相手に正直に自分の思っている事を話して試合に集中出来る体を創りつつ、試合の後に今までしてきた事以外の事にも力を入れて弓に取り組めばいいんじゃないかな

悩み事がすっきりするだけじゃなく、相手との仲、これからの上達具合、試合への集中と良い結果は、今相手に対してどんな対応をするかだと思います

13:犀星さん
雑談のスレッドに「正射必中or必中正射」という未だ熱冷めずなスレッドがあるなぁ…


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