半眼について (投稿16件)[1〜16]


1:アチャチャさん
半眼の意味が少し判りました。

人の顕在意識には、一定の許容量があり、特に弓などの場合は、的と的付け等の視覚に神経が集中する為、他の感覚器が受ける刺激は顕在化し難いのだろう、と思われます。

半眼にすることで、視覚からの刺激を強制的に半減させれば、その余地に他の感覚器からの情報が顕在化してくるのでしょう。

道具と体と心が一体となるためには、むしろ視覚からの刺激を最小限に抑えた方が、良いように思われます。

そこで、古来から言われているのが、半眼という目の使い方なのでしょう。

今日、我が家の巻き藁前で、目を閉じて弓を引いて、それを実感しました。

皆さんは如何でしょうか。
ご意見やご感想をお聞かせ頂ければ、幸いです。

2:六連星さん
私は射が崩れた時によく目を閉じて感覚だけで引いてます
筋肉の負荷など目を閉じるとわかりやすいですよ

3:アチャチャさん
六連星さん 、有り難う御座います。

私は昨日、初めて目を閉じて射を行いました。

その第一射目で、離れ(離しでしたが)の瞬間の弓返りと手の内の様子が、ハッキリと感じられました。

今後も六連星さんがおっしゃるような筋骨の働き等、この方法で探っていきたい、と思います。

4:年老いた、初心者さん
 驚きました。勉強不足は反省しなければならない点ですが、弓道に半眼というのがあったのですね。

 半眼とは、一点を凝視するのではなく、ぼんやりと見る感じにする。そうする事により、余計な視覚を抑えられ射に集中しやすくなるそうですね。

 以前、「狙いの焦点」のCでお尋ねしたかったのはこのことだと思います。半眼で的を見ている方のご意見、お聞きできれば幸いです。

5:六連星さん
追加しときます
的前で引いて会で目を開けた時にいつもの狙いと同じかどうかも確認するといいですよ

6:光点師さん
宮本武蔵『五輪書』水之巻より
「観見二つの事、観の目つよく、見の目よわく、遠き所を近く見、ちかき所を遠く見る事、兵法の専也。」

的を「見る」「狙う」 それは的にとらわれるということ。
会では矢筋に伸合い、その伸合う矢筋の延長線上に“何となく”的を「観る」、そしてあとは潜在意識に任せる。それが狙いの極意なのだと思います。

7:アチャチャさん
年老いた、初心者さん、六連星さん、光点師さん、たくさんのご意見を頂き嬉しく思います。

みなさん、異口同音に的付けについて、言及されているように感じます。

私の場合は、足踏みの段階で、的付けとしています。

つまり、矢先と的の中心を結ぶ飛行曲線に対して平方に矢を飛ばせば、その曲線との距離が最大18センチまでは、的中する筈です。

ですから、的付けは足踏みを特に慎重に行い、正直な胴作りによって、足踏み・腰・肩の線と同方向で、常に同じ高さに矢が飛ぶよう心掛けています。

しかし、初心者ですので、遠い道のりには間違い有りません。

8:アチャチャさん
アチャチャです。

半眼についての続きを書かせて頂きます。

弓道は立禅という言葉を聞いたことがあります。

座禅を組む時には、普通は目を閉じます。
それは、心が深く静かになるための一助のように思われます。

弓道でも、よく無になれと言われますが、無が目的ではなく、最大限のエネルギーを生み出して矢を放つ為に無になるのでしょう。

つまり、無駄なものを削ぎ取ってこそ射に三昧し、最大の力が出せるということでしょうか。

しかし、心を深く静かにしていくと、目を開けたままでも、視界に映る映像が劣化してくるのです。

恐らくは、聴覚の志向性にあるように、見ようと志向しなければ、見えている映像の必要性が薄れて、脳の自動的な省エネ対策が働き、映像がその分劣化するのだろう、と思われます。

私見ですが、深く静かな心境に達した射手にとっては、半眼は必要ないかも知れません。

9:光点師さん
>座禅を組む時には、普通は目を閉じます。
>それは、心が深く静かになるための一助のように思われます。

座禅では目は閉じません。半眼です。

なぜ「木魚」なのか?
魚には瞼がなく、眠るときも目を閉じません。座禅をはじめ、仏教修行での瞑想中に、修行者が睡魔に襲われ眠ること(上瞼が落ちてくる)を戒めるために木魚なのだ、と聞いたことがあります。

あとこれは私見ですが、
目を閉じての稽古、的をたてない稽古は絶対にやってはならないと思っています。
視界の中に的という誘惑が存在する、という状況も含めて弓道だと考えているからです。
そしてその誘惑の克服には、方便としての稽古法や近道は存在せず、ただひたすらその状況の中に身を置き稽古するしかない、と思っています。

あの、批判とかそういうことではありませんので・・・。あくまでも私の弓道観です。

10:アチャチャさん
光点師さん、有り難う御座います。

座禅を組む時は、半眼にするのが一般的ですね。
私の認識不足です。

私は相には囚われないで、自室では横になって目を閉じたり、職場など人の居る所では目を普通に開け立ったまま(座)禅をしてしまいます。
お寺できちんと座禅をする人の姿を見た時に、観察不足で目は閉じて行うものだと、勘違いしたようです。

以前聞いたことのある木魚のお話も思い出しました。

さて、光点師さんの投稿内容についてですが、「視界の中に的という誘惑が存在する、という状況も含めて弓道」・・・この表現の示唆する内容には、深い趣を感じます。

的が見え、時に的付けがくるっても中りを意識して小細工をしない。
会までに積み重ねてきた通りに、離れを待つ不動心が肝要というように理解致します。
このような捉え方でほぼ正しいのであれば、私も光点師さんの姿勢に賛成です。

ただ、先の投稿で書き込んだように、半眼も鍛錬の度合いによっては必要がなくなることもある、と思います。
普通に目を開けていても、半眼と同様な心的状況になるからです。

また、目を閉じていても、足踏みの段階で体全体を使って的付けをすることになり、的と自己という現前とした世界での関係性を忘れず、射が行えます。

この時視界の中に的は無いのですが、中てようという誘惑を抑えきれないのであれば、目を閉じたままでも的を探りだそうと、押手が動き出すことでしょう。

しかし、ここからは心眼でしょうが、目を閉じていても的は現前として、自己の構える方向に見えるのです。

今まで述べてきたことは、全くの私見ですが、目を閉じても開けても、また半眼でも良い、その人のその時に合う射をすれば良い、というのが私の考えです。

長くなりましたが、光点師さんや皆さんと弓のお話が出来たことは、とても嬉しいです。
これからも、よろしくお願いいたします。

11:アチャチャさん
半眼に関連してです。

弓道は的を射抜くのですが、わざわざ半眼にするわけです。
ここが、面白いと思います。

弓道に限らず、どんなスポーツでも一生懸命練習することは、善しとされていますね。

しかし、私はそうではありませんし、そうでもあります。

つまり、我が家では何時でも弓を引けれるのですが、弓を引くのを時々我慢します。
弓を引いたときの疑問点をジックリと弓を引かずに考えます。

やがて、私なりの答えが出るのを待ってから、弓を手にします。
そして、その一点を射で確かめ、また新たな疑問を抱えます。

弓を引くというのは、まさに自己意識を高めることです。
当たらないのは、自分の責任だからです。

私の場合、あまり練習ばかりしていると、つい射によって射のことしか考えなくなります。

今は、射によって自己を見つめよう、と思っています。
その為には、弓を引かない時間が大切です。

12:アチャチャさん
半眼については、これまでにその考えを述べましたが、今回は関連として、的付けについて書き込もう、と思います。

現在の考えでは、直接的には足踏みの段階から会に至るまで、体が自然に的に反応して、狙いを付けずとも的を正確に射抜く。

これは、勿論目標です。

13:光点師さん
少々長いので、連続投稿になりますが、その1、その2に分けます。

その1

ターゲットアーチェリーで一時代を築いた米国リック・マッキニーの著した指導書
『The Simple Art of Winning』の「エイミング」の項より抜粋

===抜粋はじめ===
アメリカでは、エイミングはいつも大きな論争の種となってきた。動いているもの、
つまりサイトピンに焦点を合わせるのがよいというコーチと、射ちたいものに焦点
を合わせるべきだというコーチがいる。また、少数派としては、焦点を行ったり来
たりするべきだというコーチもいる。・・・・

弓を射つとき、的に焦点を合わせれば、普通、アーチャーはリングまたはピンを自
動的に難なく中心に見つけることができる。これは、見ているものの真ん中に意識
を集中させるという潜在意識を利用したものだ。つまり、人間の本質において、
意識的に狙う必要はなく、当てたいと思うところを見るだけでいいということに
なる。・・・・

グッドショットには、間断のない流れが必要である。つまり、クリッカーが切れる
までのフルドローでは、ピンを的の中心の周りに浮かせ、遊ばせておくのがベスト
だということだ。・・・・

その2に続く

14:光点師さん
その2

とにかく、エイミングは潜在意識に任せること。やらなければならないのは、最初
にピンを的の中心に近づけておくことだけなのだ。そうすれば、後のことは潜在意
識が喜んで引き受けてくれるし、どうすればよいかを示してくれる。

 いろいろなチャンピオン質問すればわかってもらえると思うが、彼らは自然に任
せてエイミングにそんなに気を使わないと言うはずだ。なかには、自分がどんな
エイミングをしているのかさえ言えないチャンピオンもいるかもしれない。「知ら
ない間に、そうなっていた」というように。それこそ、潜在意識がどれほど役立つ
かの証明であろう。
===抜粋終わり===

リック・マッキニー 1953年10月生まれ
1977、1983、1985年 世界選手権(ターゲット)優勝
1975、1979年 同大会第2位
1984年 ロスアンゼルスオリンピック 銀メダル


「狙う、狙う、狙う、狙う・・・」「キッチリ狙うぞ」などと思わないことが
大切な様です。
それどころか、「どうやって狙おうか?」「狙いはどうするのか?」と思い悩むこ
と自体が、もうすでに「狙い」に執拗に執着しているということになるといえるかも
しれません。

長文失礼いたしました。

15:光点師さん
少々長いので、連続投稿になりますが、その1、その2に分けます。

その1

ターゲットアーチェリーで一時代を築いた米国リック・マッキニーの著した指導書
『The Simple Art of Winning』の「エイミング」の項より抜粋

===抜粋はじめ===
アメリカでは、エイミングはいつも大きな論争の種となってきた。動いているもの、
つまりサイトピンに焦点を合わせるのがよいというコーチと、射ちたいものに焦点
を合わせるべきだというコーチがいる。また、少数派としては、焦点を行ったり来
たりするべきだというコーチもいる。・・・・

弓を射つとき、的に焦点を合わせれば、普通、アーチャーはリングまたはピンを自
動的に難なく中心に見つけることができる。これは、見ているものの真ん中に意識
を集中させるという潜在意識を利用したものだ。つまり、人間の本質において、
意識的に狙う必要はなく、当てたいと思うところを見るだけでいいということに
なる。・・・・

グッドショットには、間断のない流れが必要である。つまり、クリッカーが切れる
までのフルドローでは、ピンを的の中心の周りに浮かせ、遊ばせておくのがベスト
だということだ。・・・・

その2に続く

16:アチャチャさん
光点師さん、こんにちは。

潜在意識ですか、そうありたいですね。

実は道教の仙学というものに、潜在意識やその下の無意識を開発するプログラムがあるようです。

五輪砕から辿り着いたのですが、真言密教も超能力ですが、こちらの方は仙人ですから、すごそうです。

私は以前から、呼吸と共に顕在意識を消し去る感覚を体験してきているので、宇宙との一体感、虚無、又は心に仏を向かいいれる等について、弓を引きながら、探ってみます。

光点師さん、とても勉強になりました。


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