前三角と正面の合理性 (投稿49件)[1〜49]


1:黒紫さん
端的に弓構えでの話ですが、

斜面打ち起こしは歩射において合理的であることが、かつての研究で明らかになっていると聞きます。

ですが、最近の正面射法の人(ジブンも)は、「正面だとバランスが取れるから別に不利ではない。寧ろ、斜面はバランスがとりにくいから良くない」と言います。


ですが、そもそも馬手と弓手が、全く同じであることがないのは形から明らかです。

たまたま私は、正面の方は妄射な理論で語る方を多く見かけます。

私は、正面に理論的な理由が欲しいのですが、どなたか教えて貰えませんか?

「定義的にバランスが」
「実際やってみて的中に差がない」
「見た目が・健康として」

と言うのは無しでお願いします。

私は正面ですが、やはり手の内面で、またバランスはある程度の範囲内さえあれば良く、そもそも手の内が不安定なのにバランスのくそもないと思うので斜面の方が理的に生理的に適っているのではないかと考えています。

2:防人さん
私は筑波の稲垣先生の影響を受けた斜面の方にこそ妄射的な理論を語る人が多いと思うがのう…口先云々で理論を語るより試合で勝って誰もが納得する実績を残しなさい

3:紫弓さん
 論理的な答えですか。あくまで一例として考えて見ましょうか。

 では正面と斜面の大きな違いについて、考えて見ましょうか。まず、手の内を別としたら、弓構えの違いによる働きの違いに焦点があてられそうです。
 斜面の場合に肘を、押手は伸ばし馬手は曲げる動作をします。その後に打ち起こすことになりますが。この際に正面との大きな違いが出ます。

 それは、大三までの肩の移動量の違いです。ここに正面・斜面の双方のメリット・デメリットがあらわれてきます。

・大三までの動作の仕方の違いで、肩線はどうなりやすいでしょうか?
 ここから、予想を立ててみたらいかがでしょうか?


 防人さん。同意できるところはあるのですが、言葉を柔和にお願いします。

4:弓を引く人さん
>2:防人さん
→合理的な理屈が伴わないない弓であっても、中たり続ければそれだけで評価され事が一般的ですからね。才能のある射手であれば、理屈など勘で十分補えますが、大多数の射手には、弓を引かない人でも十分納得の出来る程度の理屈が必要です。弓の理屈を理解しようとしない、弓の基本特性を無視した指導者に教えられて、悲惨な目に遭っている初心者に方々には、お気の毒としか言いようがありません。

 それと、現在の弓は庶民の趣味の弓です。反論が出来ないほどの理屈を伴った弓に、物理を無視した反論を行っても、それはそれで個人の自由です。それは、個人の趣味の範囲内だから許されることなのです。ただ、他人に押しつけることは非常に問題があります。下手をすれば、その人の将来を奪ってしまう可能性があるからです。自分の信じる道を進めば良いかと・・・。

5:黒紫さん
>防人さん

一部流派の更に一部個人の批判を聞きたい訳ではないので・・・

>弓を引く人さん

「今の射は合理的だ」と皆さんがおっしゃいます。

「個人の自由」で不合理を納得して練習しようとは自分は思えません。
日々、正面の合理性を考えているつもりですが、見つかりません。
御協力願えませんか?

また、前三角での合理性もあればお願いします。

6:黒紫さん
>紫弓さん

正面だと、打ち起こし後に三分の一引きます。
その点で肩線の安定性を考えたら、斜面での打ち起こし前に開くのと差異はあるんですか?

三分の一を引く時に肩を気をつけるのであれば、肩を気をつけて打ち起こすのも違わないのではないかと考えています。

7:紫弓さん
>>肩を気をつけて打起こせば違わない。
 注意することには同意できます。何をもって、注意するかです。打越しの違いでメリットデメリットが出てきます。 
 言葉尻を捕らえて申し訳ありませんが、「肩を気をつけなければ」何が起るかに論点を移してみてはいかがでしょう。


 ちょっとしたヒントですが、
ヒント1
・馬手肩への負担は正面・斜面は全く同じですか?
ヒント2
・積極的に捻る引き方だとしたら正面・斜面どちらのほうが得策ですか?(別に議論が必要になるので、力の方向性程度に考えくた方がいいでしょうが。)

 これらが前問の肩線の安定性につながるかと思います。
 

8:黒紫さん
正面は打ち起こし直後に大三を開くので、最終的な左右の負担は同じだと思っています。
寧ろ、高く不安定な場所で開く方が不安定な気がしてなりません(手の内・肩面でも)

捻りは詰める事を考慮すれば安定的だ。と考えたのですがどうでしょうか?

9:弓を引く人さん
>5:黒紫さん
>「今の射は合理的だ」と皆さんがおっしゃいます。
→何を以て合理的であるかを、とことん聞いてみて下さい。

>日々、正面の合理性を考えているつもりですが、見つかりません。
>「定義的にバランスが」「実際やってみて的中に差がない」「見た目が・健康として」
→これらが詭弁(言い過ぎか・・・)であると気が付いてしまった以上、新たな正面の合理性を見つけるとなると、かなり難儀してしまうと思います。ただ、合理的ではない弓を引いても何ら問題はありません。あくまでも、現在の弓道は庶民の趣味であるからです。
 日置流系統における、正面の発生過程を調べればある程度あきらめがつくかも知れませんよ。明治末期〜大正期にかけて、斜面は古いモノであると決めつけ、正面は新時代的であり、左右のバランスに優れ、健康的で体育的であり、文部省の某氏が全国の教育機関で普及させた経緯もあって、爆発的に普及した「流行弓」でした。

>また、前三角での合理性もあればお願いします。
→先ず、唯一弓を直接操作出来るポイントは「弓手」です。その弓手を有効に作動させる為の下準備が「手の内」です。その手の内を完成させるのは弓構えの時です。その点、正面では大三において手の内を整えますから、その点で考えれば不利になると思います。手の内など見なくとも稽古量でカバー出来ると仰る方がいると思いますが、目視下で手の内を構築出来ない不利を認めたことになります。
 元来日本の弓は、目的に適った矢の飛行を実現させる為に、弓や弦にどのような力を掛けなければならないのか?それを実行するには体をどの様に動かさなければならないのか?その動作はどの様な構えが適当なのか?と、入場から1つ1つ理屈があると言われています。ただ、本来の小笠原流であれば、歩射(正面打上げだけでは無く、左段に構えたりもする)・騎射においても理屈があるはずです。

 逆説的に考えていくと合理性が見えてくると思います。目標は何か?「真善美」では逆説的に考えることが出来ません。やはり「中貫久・貫中久」、「飛貫中」で無ければ議論が始まらないかと・・・。でも、趣味の世界だから、そこまで難しく考えなくても良いのではないでしょうか?どうしても合理性を見いだしたいのであれば、それは自己に自問自答し続けるしかないのかな?

10:黒紫さん
>弓を引く人さん

有難うございます。

自分では、ある程度の歴史勉強・理論の問題について考えた上でどうしても分からなく皆様の力をお借りしたいと思い書き込ませて貰いました。

解答だとつまり、やはり正面では斜面に比べて合理性がないけども、現代の弓道は「趣味の範囲内程度」と言う考えで収まるしかないのでしょうか?




自分は、浅学ですが弓道を趣味の範囲であれ研究を頑張っていきたいと思っています。
なので、正面の歩射における僅かな利点でもあればご教授お願いします。

11:紅一入さん
打起と肩線の関係について
 斜面の場合、押し開きから打ち起こす過程で肩線が不安定になりやすいです。
 前三角の弓構から弓をそのままに真直ぐ持ち上げると、普通に肩線は開いてしまいます。
 私の場合も、試行錯誤の繰り返しで、肩線を開かずに打起こせるかな、と思ったのはつい最近です。
 正面の方を見ると、肩線が狂わなさそうでいいな、といつも思います。

以下、斜面の日置流印西派浦上稲垣系(以下、当系)から見た感想です
正面の方を見ると
・ 肩線が狂わなさそうでいいな
・ 物見を維持しやすそうでいいな
・ 大三からの引き取りが楽そうでいいな
・・・当系の引き取りは随分エネルギーが要るように思います。
・ 上押しの形がキツくて離れにくそう(角見利かせにくそう)
・・・当系は中押しから離で上押し(角見利かせ易い)
・ あんなに低い所からどうやって離すんだろう→ホドくように離すから問題なし
・・・当系は捻ったまま離すので頬付高いことが必要
・ 角見利かせにくくて前矢になりそう→勝手ホドくように離すから問題なし
・ 矢勢が出ないような感じ→その分引取りが楽で強い弓が引ける。
・・・当系は矢勢は出るが、強い弓は引けない。
共通しているのは道具と十文字くらいで、まったく違うことをしているのだな、と感じます。
正面の射法には、肩線や物見など、引く人の体から見た合理性が感じられます。
斜面(当系)には、手の内や捻りなど、道具の特性から見た合理性が感じられます。
どちらもすばらしいと思いますよ。

12:弓を引く人さん
>11:紅一入さん
>正面の射法には、肩線や物見など、引く人の体から見た合理性が感じられます。
→なるほど!!その考え方がありましたね。
まあ、どの様な矢の飛行を狙っているかはうやむやになってますが・・・。

13:弓を引く人さん
>10:黒紫さん
>解答だとつまり、やはり正面では斜面に比べて合理性がないけども、現代の弓道は「趣味の範囲内程度」と言う考えで収まるしかないのでしょうか?
→正面をされている方からすれば、ちょっとキツイ言葉だと思いますが、紅一入さん曰く、「正面の射法には、肩線や物見など、引く人の体から見た合理性が感じられます。」の考え方はなるほどなと思いました。となるとやはり、バランスや体育的・健康的という文言が入って来るのでしょうか。

 しかし、物事を考える上で、「引く人の体から見た合理性」は、道具を生かす技術がどうしても枝葉になるような気がして、なかなかうーん、難しいですね。

14:紫弓さん
 どうも狙っていたことを、紅一入さんが、書き込まれたようですね。ありがたい限りです。
 その通りですね。肩の移動の違いに論点が来るはずです。
 既に引き分けてきている状態で打起すのだから、正面より打起しの力を使うことにより馬手肩への負担が大きくなり、大三にて肩が上がっている状態に陥りやすくなります。それを抑える為に捻りを行い、肘の架け橋を作り肩根を下ろさせ、肘を肩腺になるような会に持っていくことになります。
 ここが斜面で強い弓を引かせられない理由の一つですね。(久しぶりにこの論点を聞きましたね。)

 捻ることによって肩根が既に決まった動作が出来る状態にあります。なので、余裕がないのです。弓手の固定し易さがここにあるでしょう。(メリットデメリットがここらへんにあります。)


 正面で思うことを書いてみましょうか。
・肩で遊びやすい。
・手の内で遊びやすい。
・積極的に捻らなくても引ける。(≒強い弓が引ける。)
 ここらから、ただ正面・斜面の違いだけを考察することが出来なくなってきます。

>>道具と十文字が共通
ここらは、私と意見が分かれます。
・道具を無視できる引き方。
・引き方を無視できる道具。 
この論点が必要になります。(体系化の必要な点の一つになるかと思います。)

 論理性はそれぞれの引き方によって作られることに成ります。それを度返しすれば、どんな引き方も否定できるし賛成も出来る事になります。何を持って作り上げていくかが問題です。

15:前三さん
大三からの引き取りが楽そうとか、勝手をほどいて離すとか、強い弓を引けるとかは、斜面と正面の違いではなく、歩射と堂射の差異と思います。

教本の射法に大きな影響を与えたと思われる、本多流は、尾州竹林江戸系からの派生ですから、いらっしゃるかどうかわかりませんが、斜面で打ち起こす尾州竹林江戸系と大三以降の射法は変わらないと思うのですが、、。

ですので、問題は、手の内を見て調えた方が有利なのか、それとも頭上で滑らせながら調えた方が有利なのか、という点。

そして、もうひとつが、現代の的前競技において、歩射系の技法が有利か堂射系の技法が有利なのかという点と思います。斜面と一口にいっても色々ありますし、正面で打ち起こしている方でも、弓を捻り、馬手を捻る方もおられるようですので。

手の内については、明らかに見て調える方が有利と思いますが、正面で打ち起こしてから射の運行をしたほうが有利という理屈がもしあれば、左前方で手の内を調え、その後左ひじを曲げて正面に戻し打ち起こすなんて新射法も考えられるかもしれないですね。

小的前は、もともと歩射の稽古のためのものですから、歩射系の技術が本来のものかもしれませんが、堂射も相当な的中率が求められ、実際凄まじいまでの記録もあるようですから、的中に関しては甲乙つけがたいと思います。

貫についても、堂射の技法ですと剛弓が引けそうですので、甲乙つけがたいかもしれませんね。

ですので、現代では、出会いの問題もあると思いますが、自分の技法がどの流れをくんでいるかを考えつつ、好みで選択すればよいかと思います。

16:黒紫さん
>>紅一入さん・弓を引く人さん

肩だけでここまで理論が…凄いです。


>>紫弓さん

あの・・三度の質問ですが、捻って決まった道に引き分ける事はやりやすいと判断しては駄目なのでしょうか?
余裕があるというよりは
逆に遊び過ぎて引きが安定しないのかなと気になりまして・・


>>前三さん

自分も文献でですが、堂射と歩射の違いと知りました。

新射法と言われたやり方ですが、範士の方がやられているのを見た事があります!一名だけだったので流派か分かりませんが…

17:麩さん
正面から見た正面の弱点
比較的楽に引けるので引き過ぎになりやすい(俺を含めてw
故に前離れになる人が多そう
比較的楽に引けるので引取の軌道が個人差がでやすい
手繰りもなりやすい
堂射風の手の内なら作りやすいが、日置で言う所の小的用の手の内を作ろうとして、うまくいかず豆でガタガタな掌にしてしまう人が多い

18:紫弓さん
>>捻って決まった道に引き分ける事はやりやすいと判断しては駄目なのでしょうか?
「はい、そうです。」とは一筋縄に言いがたいでしょう。

 正面斜面を別にして、捻ることのデメリットはなんでしょう。
(余裕がない→決まったことが出来る→?)

 薬と似たもので効果もあれば毒にもなる。この点を忘れずに論理的な答えを見つけるべきです。答えは出ているようですが、指導する際の理由付けが、裏を読まれたら破綻する可能性もあるし、肉付きや骨格によっては怪我を招きかねないと考えているのです。


 どんな引き方にも良し悪しがあります。その点を説明した上であれば納得するでしょう。私の本音は甲乙つけるより、好みを薦められる力を身につけて欲しいと考えています。

19:紅一入さん
紫弓さん
 稲垣先生は両肩を下げたまま打起こせとおっしゃり、自らもそうされていました。私はまだ真似できません。真似しようとすると肩線が不安定になります。しかたなく右肩を決めて上げることで肩線を真直ぐに打起こしています。
 稲垣先生はむしろ三分の二でピタリと肩線を決め、紫弓さんいわくの捻り系の引き分けに持っていっていたように思います。
 推測ですが、竹林系でなくて三分の二を取らない斜面の方は右肩を決めて上げているように思います。だとすれば、三分の二の意義が従来の弦道の確認とは違って見えてくるように思います。ほんとうにただの推測ですが、三分の二を取る意義は肩に無理をかけずに捻り系の引き分けをすることにあるのかもしれません。紫弓さんいわくの毒を薬に変える特効薬だったらいいのですが・・・
 いずれにせよ、考えの幅を拡げていただき感謝いたします。

前三さん
 竹林系の知識がなくて無視してしまいました。竹林系は日置流の遠矢射法に特化し、再び小的前へと進化したのでしょう。
 竹林系は斜面ですが、打起での肘の使い方に特徴があり、肩線が狂いにくいというか、ある意味正面に近いような印象がありますが、写真でしか見たことがないのでよく解りません。

20:通りすがりさん
スレ主さんが最初に無しでと言っているけど、正面の弓構え〜把引きは、肩関節の障害予防には優れていると思う。
把引きの動作の方向を考えると、斜面よりは正面の方が引き分け時の肩関節の負担は小さい。
これが逆に引き分けの不安定につながり易いが、関節の固まっていない中学生や、とかく矢数をかけやすい学生のことを考えると健康の問題を簡単に無しでとは言えないとは思う。
別に斜面がケガし易いという意味ではなくあくまでも指導者次第ではあるが、無知や無茶からくる障害の可能性がより低いという事。

21:前三さん
本多流の大三」=「尾州竹林の打起し」と理解していましたが、違うのでしょうか?=ならば、引き分け時の負担も=と思います。

教本記載の大三と本多流の大三の違いはあるのでしょうか?

手の内の調え方ですが、本多流の方のHP
http://www.ne.jp/asahi/kk/asaarasi/3-3-0.html
を見ると、正面打起しから大三への移行で手の内を調える事についての優位点を述べておられます。個人的には異論もありますが、そこは譲っても、大方の正面系の射手は、(特に初心レベル)手の内の働き以前の形の形成で苦労されているようです。少なくとも、手の内の修行過程においては、正面打起しの発生により技術的に後退していると思います。

ので、尾州竹林の打起しと現状行われている大三が同じなら、正面で打ち起こして、大三に移行する際に手の内を調えることの優位性が証明されなければ、正面打起しの意味がかなり難しいとは思います。

とはいえ、現状の連盟流は、本多流、または小笠原流とも違うようですし、本多流を嚆矢とする正面打起しの功罪は、流派の壁を崩した、射手それぞれにフレキシブルな射法の構築を開放した、というところにあるのではないかと思います。ただ、僕には、それが功なのか罪なのかは判断がつきません。

堂射系の射法と歩射系の射法の選択はまた違う観点があると思います、、。

22:黒紫さん
多くの皆さん、有難うございます。

参考になることが沢山あります。

端的な言い方なので伝わらないかと思いますが、

「技術」として、

・中り続けるに適した技術(飛貫中・中貫久)

として正面の長所は何なのでしょうか?(斜面と比較して)


斜面は「手の内」だと聞きますが、他にもあるのでしたらお願いします。

23:通りすがりさん
〉端的に

どうもスレ主さんは、二元論的な○か×かを求めているように感じられる。

また、せっかくのレスに対しても、自らが深く考えたり調べようとした回答もないし。

キツい言い方をすると、「中る弓の銘柄を教えて下さい。」といった質問と内容的には同じ。
ただ疑問を呈しているだけ。

24:黒紫さん
>通りすがりさん

未熟な返事文で申し訳ありません。

今まで此処に書かれた事に関しては、自分が既に知っていたものや、知らなかったもの多くありました。
その点で、皆様には感謝しています。

先ずが自分の質問が悪かったのかもしれませんが。

自分は「健康・見た目等という美学等を条件とせずに、最も優れた弓術」を知りたいと思い弓道に励んでいます。


その上で、かつて斜面が普通であった歩射の中で、何故、正面が発生したのか?また、それには斜面に比べた長所はないのかと模索しています。


小笠原が正面で歩射の鍛練をしていたのは「騎射の過程であったから」と自分は考えています。

しかし、現代で正面が流行している以上、それを安易に「流行射」とは言いたくはありません。


なので、周りの意見をと思い投稿しました。

25:紅一入さん
 前に書込みさせていただいた論点からいえば「引く人の体から見て合理的」すなわち「射形が整いやすい」。これは大きなメリットだと思います。
 一般でも初心者教室から始めて数週間で、みなさんきれいな射形をしていますし、コツを覚えればポンポン中てている人もいます。
 もし初心者教室が斜面だったらこうはいかないように思います。
 「流行している=参加しやすい」と考えれば、結果的に正面が合っていたということではないでしょうか。

 日置流にも騎射には正面もあったとききますが、騎射に限定していたのでしょう。小笠原流は騎射を目的に小的前でも正面で引いたのでしょう。竹林流は堂射を目的に小的前を引いたのでしょう。
 そう考えると、小的前を目的に正面で引いたのは本多流が唯一かと思いますので、本多流の影響が大きいのでしょうね。

26:紅一入さん
 技術的?なことを書き忘れました。
 よく見る一般的な正面の引き方(手の内あまり締めず上押しの形で矢筋に押し馬手は捻り切らず矢筋にポンと開く引き方)は矢筋を出しやすく(矢の邪魔をしない感じで)、中りには有利なような気がします。
 最初に見たときは弓が壊れるんじゃないかとおもいましたが、弓を壊したという話も聞かないので、射形や中りに有利なら、現代で流行するのももっともだと思っています。

27:ポン酢ファンさん
竹林、竹林と出てきますが、伝聞で書いているのですか?う〜ん・・・。

正面打ち起こしから「大三」に移行するのと、竹林の打ち起こしでは力の伝わり方は全く違います。

日置で引いている人が正面の弓構えから、無理やり日置の打ち起こしの位置まで持っていったら全く別物でしょう?

本多流が、正面に引き方変えた段階で、力の配分も全く違うものになってるでしょう。
それがいいのかどうかは私には判断しかねますが。

また竹林は、堂射の名人が多かったのは事実ですが、別に特化したわけでもないです。
尾州竹林の中で、星野系は差し矢もしたけれど、岡部系は差し矢は一切しなかった、と。

どちらが優位なのかではなく、色々ある選択肢から好きなほう引けばいいとおもうんですけどねえ・・・。習う手立てがあるんですから。

28:前三さん
ポン酢ファンさん。
すみません、本多爺が、「正面打起しの竹林派」といっておられたとのことと、形の上では、よく似ているので、21で書いた理解をしていました。

正面打起しと斜面打起しを比較する時に、正面打起しと日置流印西派などを比較すると話が混乱するので、まずは、正面打起しとその元となったと思われる尾州竹林派江戸系もしくは、堂射系の尾州竹林派の比較をした方がいいと考えました。

堂射系の射法と歩射系の射法の比較はまた別の話であり、現在では前にも書きましたが、好みの問題と僕も考えます。

前から機会があれば知りたいと思っていたのですが、星野系と岡部系では、伝わっている射法が、やはり違うのですか?違うとすると、どの段階あたりで差異が生じているのでしょうか?
興味本位の質問で申し訳ありません。

29:弓を引く人さん
突然横から失礼します。

>28:前三さん
>すみません、本多爺が・・・
→「爺」とありますが、「翁」の方が適切ではないかと思いまして・・・。ただそれだけです。

30:ポン酢ファンさん
>28:前三さん

星野系と岡部系の差については、興味がないので存じません。細かい所作の差だけではないですか?

歩射系と堂射系とありますが、根本的に差し矢の引き方は歩射と全く違うのはご存知かと。

尾州に残る竹林で、差し矢や小口前といった堂射のための稽古をしている、と言う話は聞いたことありません。

現在、歩射の技術しか残っていないかと思うと、寂しい限りです。

31:前三さん
弓を引く人さん
ご指摘ありがとうございます。
いや、まったくお恥ずかしい、、。
深くお詫びして訂正いたします。申し訳ございませんでした。

本多爺→本多翁

32:前三さん
ポン酢ファンさん
いろいろと教えていただいてありがとうございます。

星野系からきた、尾州竹林派江戸系を元にする本多流が堂射の技法を色濃く残しているので、星野系は、堂射の技法を主体に伝えているのかな?と思っていました。違うのですね。

昔、テレビで小口前を指導する竹林派の方をみたことがあるのも影響していたかもしれません。

33:高島俊男ファンさん
>本多爺→本多翁
 ついでに,[中て射]の32も訂正しておいたら,いかがかと。
 慇懃無礼な反論に恥ずかしい誤字があると,よけい目立ちます。どっちもどっちだなあと,読ませていただいておりました。

34:前三さん
高島俊男ファンさん
訂正しておきました。
ありがとうございます。
お恥ずかしい、、。

慇懃無礼でした?
これも、お恥ずかしい、、。

35:弓ノ介さん
>高島俊男ファン

どこ等辺が「慇懃無礼」なのか言わないのは只の荒らしと同じ位不愉快です。?
あと、するならメインの内容にも答えてあげては?

あと、多少の誤字に一々目くじら立てるとは・・

>黒紫さん

手の内面を考えれば、近い的なのだから有利なのは斜面では?

楽に強いものでも引ける=安定

とは一概には言えない??と思っています。


36:明鏡止水 ◆IDFFcYqcさん
>弓ノ介さま
>多少の誤字
「翁」と「爺」・・・此れを単なる変換間違いや誤字と捉えられますか?

>一々目くじら立てるとは・・
此れは単なる上げ足取りや、表現に対し目くじらをたてる…と云う表面的な受け止め方ではなく、本多利實翁ご本人や「本多流」を学ぶ全ての方々に対して失礼な表現ではなかろうか・・・との捉え方は出来ませんか?

37:前三さん
いや、まったくそのとおりで、再度、深くお詫びいたします。
誠に申し訳ございませんでした。

38:高島俊男ファンさん
>あと、多少の誤字に一々目くじら立てるとは・・

 弓を引く人さんからの指摘が出たので,投稿を控えたのですが,私が最初に書いた下書きを次に示しておきます。このときは,二度までも「本多爺」を使うのは,失礼ながら確信犯だと感じました。

 *************************************

 最低限の礼儀はわきまえましょう。
 自分が信奉する流派の指導者を「先生」という敬称で呼び,他派の流祖を「じじい」呼ばわりするとは何ごとですか。
 以前から,本多流の祖,本多利實氏のことを指して「本多爺」と書いているのを見かけます。当初は,親しみをこめて,そのように呼んでいる人もいるのかと思って読んでいましたが,どうもそうではないようです。親しみの関係がなければ,「爺」は蔑称になってしまいます。
 稲垣源四郎氏は,本多流のことを野狐禅弓道の新興流派と批判したそうですが,その類の下品さを感じます。ちなみに「野狐禅」とは,生かじりで,さとったつもりになってうぬぼれること(ひと),を指す仏教用語だそうです。
 失礼きわまりない。

 *************************************

39:前三さん
すいません。
二度も間違えてしまって、言い訳の仕様もないのですが、確信犯ではありません。
無知文盲とお笑いください。

誠に申し訳ございませんでした。

40:黒紫さん
沢山の御返信有難うございました。

今後、活かしていきたいと思います

41:高島俊男ファンさん
 今朝書いたときは,怒りがよみがえったので,表現が強くなりすぎました。38の「失礼ながら確信犯だと感じました」は「故意だと感じました」に換えさせてください。

42:紅一入さん
紫弓さま
 紫弓さまの書き込みの「肩の移動量」「肩への負担」「肘の架け橋」等にヒントを得て、また師匠の射を思い起こしたりして、自分なりに検証してみました。

まず、現象面
 ・右肩が真上より的側で力を受けると肩に負担がかかる。
 ・右肩が真上より的側で力を受けるのは斜面の打起で右肩を上げた場合だけである。
 ・斜面打起で右肩を上げないと、肩線が狂いやすい。

次に、方策面
 ・弓構で右肩を決めて、肩線が狂うのを防ぐ。
 ・手先だけで打起こす。(右肩を上げた打起とは明らかに違う状態)
 ・両肘で引き分け、三分の二で肘に張りを持たせる。

 これで、三分の二以降に変化なく、肩の負担が少なくなったように思います。次の日の肩の上側の痛みがありません。
 強い弓も引けるかもしれませんが、矢勢は充分にでているので弱弓でもいいかな、その分、伸合に力を使おうかな、と思いました。

 三分の二の意義について明確に書かれたものは読んだことがなかったので、今回の発見は大きな収穫でした。三分の二は毒を薬に変える特効薬といってもいいのではないでしょうか。
 三分の二を創設された浦上直置先生はどのような考えで創設されたのでしょうか。今回の「斜面打起の肩への負担の軽減」はそのお考えの中に入っているのでしょうか。他の意義もあるのでしょうか。
 
 紫弓さん、斜面の一番ややこしい部分をのり越えるヒントをいただき、本当にありがとうございました。

43:元 ◆ntlC4wAIさん
もう話題終わってしまったかな?
>斜面打ち起こしは歩射において合理的であることが、かつての研究で明らかになっていると聞きます。
アカデミックな研究で出た結果は浦上-稲垣系の筑波大での研究でしたっけ?確か「射法に無駄が(今の所)見当たらない」だったような。

>「正面だとバランスが取れるから別に不利ではない。寧ろ、斜面はバランスがとりにくいから良くない」
と仰ってる方々は充分に斜面を理解した上で言ってるのでしょうか?

>11 の紅一入さんが面白そうなのでマネをして正面(日弓連)から印西派浦上系を見た真っ正直な感想を当流の方々に失礼して偏見憚らず書いてみます。

・手の内が決りやすそう
・弓構えでずっと待ってるの疲れそう
・目割り?で止めてるのは何の為だろう?
・摘むように取りかけてるようだから離れやすそう&ちょっと力んだら暴発しやすそう
・弓構えから妻手肘を納めるように会に持っていくのかな?会で肘が決まりやすそう
・頬付けが高いのに矢が型線から離れていない不思議
・最終的に真っ直ぐ引けやすそう
・遠的やりにくそう
・矢束取らないから短い弓or数キロ強い弓使えそう
・小指締め&中押し→離れで上押し=難しそう
・全体的にブレを許さない感じなので上手い人は的中率が凄そう
・教えがバッチリ決ってるようで良くも悪くも羨ましい(それに比べ日弓連流は良くも悪くも曖昧過ぎ)

モノマネで初めて斜面打ち起こしをしてみた時は、激しく違和感を覚えた記憶があります。「なんだこりゃ?」と(斜面の方々、失礼)。
で、自分が正面で良かったと思う事。

・打ち起こしが深呼吸みたいで気分良い。(打ち起こしも上手く決ると肩が何とも言えない落ち着きを持ちますので、私は)
・左右均等が意識しやすい。

そもそも正面斜面問わず、打ち起こし、大三も戦前までの頃に比べるとかなり高く広くなっているように見受けられます。
正面打ち起こしでも拳は額の高さから真横にスライドするように大三へ移行していたようで、もうこの時点ですでに骨法なりは違って来ているように思えます。

44:紅一入さん
元さん
 おもしろいですね。
 一般の道場で皆さんから言われるのと大体同じです。
 一つだけ、遠的はやりやすいです。三分の二で胴造をスライドして、あとはそのまま引けばいいわけですから。早気は早気のままですが・・・

 正面の方の射を見るのは好きです。射形がきれいで、なんかゆったりしている感じがいいですね。

45:黒紫さん
>「正面はバランスが取りやすいので不利ではない、寧ろ斜面はバランスがとりにくいので良くない」

は、正面を主に引かれている私の知人程度の人達なので理解した上での解答かまでは……すみません。

>紅一入さん

斜面は、遠的で2/3で腰を切るのですか!!?

46:紫弓さん
黒紫さん
 三分の二は引分けの動作のことですね。
ちょっと調べてみましょう。

紅一入さん
 三分の二を取る理由の議論ですか。確かに単純に確認が一回増える点はあったかと思います。

 残念ですが、本意は私には分かりませんが愚考ながら書いてみましょうか。
 竹林派の肩線と派生初期の本多流の肩線を同様に扱った場合は、三分の二への考え方が変わります。本多流の戸倉先生の「弓矢に生きる」という図書の写真どおりであれば、肩の使いに特異点が出てきます。
 斜面の場合、意図しないと右肩を決まりやすく、会で弓手が固定された形になり易くなります。先の写真ではそのようになっています、見方が分からないと俗に言われる鉄砲肩です。
 この点において、肩線をずらさない為の三分の二の意義はありそうです。
 
ただ、
・捻り続けた場合に震えが生じることがある。
 この推論を立てたら三分の二を取る必要性を感じます。
 正面と斜面では語りづらくなってきたので、捻りに関して思考を凝らして別スレッドを立てて見ます。

 その前に1つだけ率直な意見をお聞かせください。もし持っていればですが、弓道上達bookの弓手の使い方はどう思われますか?

 
元さん
 お気づきの通り、戦前と今では違いますよね。 たまたま、武徳会で引かれていた方が復帰された時に一緒させていただいたことがあります。当時の統一射法(新射法)の正面でしたが、大三の取り方が遠いのです。骨法の使い方が違うの思わされるところです。
 しかも、この新射法既存の正面・斜面に加えて、打起しにおいて肩を超える辺りから引き分けると言う、方法もあったようです。

 弓道連盟の制定の元にはこの武徳会時代の流れが大きく、教本のような表現になったと聞いております。こうなってくると、本当に好みの問題をどう勧めるかと思うところがあります。 
 本当に面白くなってきてますね。

47:ソバ矢さん
 私が思うに、斜面:肩線が後ろを向きやすく、矢束がつまりがちになる。正面:肩線が前を向きやすく、矢束は必要以上に引きがちになるような気がします。ただ斜面ではそれを補正する手段として足の裏の力のかけ方に工夫を凝らして、肩線が後ろに向くことで押手肩が負けるのを抑えているように感じます。

 勝手に浦上系が三分の二を取る理由を推測すると、それまでの岡山系では打起しが目通りの高さまでだったのを、それ以上に高くしたために引き線が変わり、従来の流派の教えを踏襲できなくなったため、三分の二を目通りの高さにして、そこから従来の教え通りに引く意図があったと思いますがいかがでしょうか?
 ただこの推測は別として、斜面でも正面でも引分けは目通りの高さを基準として、それ以前と以後で力の働かせ方が違う様な気がします。具体的に言うと、目通り以前は、打起こした位置から真横に引く。それ以後は徐々に捻りを掛けて行き、会に至るというような。こういうことを意識して引く場合、三分の二があるのはやりやすさが増して、良い結果が得られそうに思います。
 

48:紅一入さん
黒紫さん
 遠的の場合、どこで腰を切っても良いと教わりました。(正しいかどうか不明。本来の日置の遠矢がどうであったか、さらに不明です。勉強不足ですみません。)
 打起で腰を切ると・・・胴造や肩線が不安定になる。
 詰合で腰を切ると・・・体の動く余地が無いような感じ。引取から伸合に続く力が切れてしまうような感じ。
 三分の二で腰を切るのが、安定性と可動性のバランスが良いように思います。

紫弓さん
 捻りスレッド、楽しみです。色々な意見が聞けると良いですね。

>弓道上達bookの弓手の使い方
 前に「手首の返し」スレッドで取り上げられていましたね。
 正直いって、ああいう写真は本当に連続で撮っているとは思えませんので、あの射手の残身のイメージなのでは。
 とはいっても、浦上先生の上から撮した写真もかなり返った形ですね。
 私の考えでは、角見を押し切った場所(目指す残身)と実際の残身(結果の残身)とのズレがあると思います。前者は脈所が真っ直ぐ伸びて、矢の高さ。後者は手首が折れて、拳1つくらい下がります。前者の直後に弓の下側が強く的方向に出て弓が回転することが影響していると思います。

ソバ矢さん
>足の裏の力のかけ方
  工夫してみたいと思います。
>浦上系が三分の二を取る理由
  おもしろいですね。
   岡山系−−−肩が痛い
   浦上系−−−肩が痛くない
  なのかな?
  岡山系に詳しい人、いらっしゃいますか?
>斜面でも正面でも引分けは・・・
  正面の大三からの引分け前半と
  斜面の打起からの引取り前半では
  肩の位置・肘の角度が違うような・・・斜面の場合、打起こした位置から真横に引くと肘が決まってしまう件・・・もうちょっと考えます。ありがとうございました。

49:枕流さん
直置先生でしたかね打越しを高くして三分の二を取るようにしたのは・・・
先見の明でしょうかね。それがなければ日置流は今ほど残っていたかどうか。
しかし考えてみれば浦上栄先生が若いくせに弱い弓を引く・・・と陰口をたたかれたり、現代弓道が強弓を嫌うのもその所為かもしれませんね。市川先生はじめ明治初期頃までの術では打越した高さはせいぜい目の高さですものね。
余談ですが阿波先生の大三の写真が極端に少ないのもそんな影響でしょうね。個人的には至極合理的で美しい大三だと思いますが・・・(選手権ではたとえ同じ射ができる射手がいたとしても点数は出ないでしょうね)


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