日置の離れ (投稿27件)[1〜27]


1:あんみつさん
こんにちは
私は日置流で行射をしておりますが
現在道場に日置流の指導者の方がいらっしゃいません。
私が離れの際、時々大離れをしなさいと指導を受けます。現在は大離れが主流ですと。
日置流を習っていた時は大離れはあまり良くないと習ったと思うのですが、大離れで良いのでしょうか?

2:たぶんおやじさん
日本弓道連盟の審査や講習会を受けずに日置を修めていくか、普段は日弓連が推奨する引き方をするかどちらかではないでしょうか。
日本弓道連盟は各流派の上に乗っかって成立しています。設立当初は存続意義が問われたり
武徳会設立騒ぎがあったりしたのを当時の範士の先生方が何とか抑えて現在に至っております
日置流を納めたいと言うことは良い事だと思います。
一度、指導してもらう先生と良く話をしてみてはいかがでしょうか。
私に言わせてもらえば共存出来る出来ないは本人次第だと思います。

3:日置播磨さん
現在は大離れが主流で、しかも日弓連が大離れを奨めてますよね。

私も3年、日置流を習っています。その時に受けた指導は初心者の時は大離れで技術が上がってくる毎に離れを小さくする様に受けました。
つまり、日置流の方で技術が高いは小離れです。
小離れをなさりたいのでしたら、確かな指導者に聞かれた方が良いと思います。

私的な考えで言わせて頂きますが小離れが出来る方は大離れも出来ますが、大離れしか出来ない方は小離れは出来ないと思います。

あんみつさんの思うとおりにやればその通りに「道」がひらけると思うので何事も頑張って下さい。
最後に長文失礼しました。

4:あんみつさん
色々ご指導ありがとう御座いました。
今は、指導していただいている先生の通り
大離れでやっておきます。
チャンスがあれば浦上道場に行って指導を
受けてみようと思います。

5:インパルさん
私は高校から弓を始めて八年に成ります。
日置流印西派です。
ですが、今、通っている道場には、斜面打ち起こしの方はいません。たまに、高校で師に見て頂くのみです。そして離れは、私は小離れではないです。大離れです。
というか、昔は小離れでした、でも気がついたら大離れになってます。
僕自身、一人で引くことが多いです。浦上栄、博子範士、稲垣範士の本を読んではどうですか?自分なりに作り上げるのもいいですよ?
そしていつか望まれている浦上道場に行かれて見て下さい。
後、よく知らないけど浦上道場には支部があるみたいです。

6:紅一汐さん
私は日置流印西派浦上・稲垣系で引いております。
近くに指導者がいないので、生前の稲垣先生の射の記憶と、浦上・稲垣先生の書かれた本を参考に、空いた道場でビデオを撮ったりして自己確認しながら引いております。射の微妙な部分が解らないとき、どうやって直して良いのか解らないときは、いつも困りながら続けている現状です。
さて、離れの件ですが、日置流にも色々あります。最近知合いになった人は斜面打起しで三分の二をとらず残身で手の平が顔を向くような形です。弓手の使い方も上押しをかけた状態から照らして離すような感じに見えます。関西出身の人です。私は三分の二をとり残身で手の平が下を向くような形です。弓手は中押しでやや伏せたまま上押しをかけて離す感じです。全国ではさらに色々の日置流があると思います。
なにを言いたいのかというと、日置流といっても様々なので、「自分は日置流の何系統で、こういう射を目指している」ということを明確に持った方がいいということです。
そして「日置流」とひとくくりに語っても伝わらないということです。現に私は日置播磨さん(例えに使ってごめんなさい)のおっしゃっている事がいまひとつ理解できないのは、同じ「日置流」でもやっている事や目指す射が違うからなのではないかと思います。

7:深翠さん
日置は元来小離れだったとは聞いています。でも今まで斜面で小離れの方を見たことはありません。斜面弓引きは数が少ない上に現在では大離れが主流ですから。私も日置播磨さんの説明の通り「初心者の時は大離れで技術が上がってくる毎に離れを小さくするものだ」とも聞きました。

私は小離れをしようとは思いませんが日置流の原点に還って小離れを習得するのもいいんじゃないですか?伝統を守るということで。現在の大離れの射法も未来で見なおす時が来るかも知れません。その時古来の射法が必ず必要となるでしょう。温故知新。頑張って下さい。

紅一汐さん、浦上系と稲垣系では射が大きく異なり、もはや別系統の射になっていますね。稲垣系では残身で弓手馬手とも肩のラインを越えて下がり何よりも弓手の手首を振って返します。
浦上では残身で弓手馬手とも下がるのを良しとしません。できる限り会と同じ高さ。離れで馬手の肩が動いたり肘が下がったりするのも駄目。弓手も残身で親指が的方向を指す程度で手首を振って返すことはありません。弓手の肘は同じく会では起てます。でも残身での馬手拳は天を向くというより離れで捻ったり返したりせずに会の形のままを持って来ます。

8:前三さん
深翠さん
お願いですから、遠州系・摂津系印西派と岡山系の印西派とごっちゃに語るのはやめていただけますか?

深翠さんのおっしゃっている射法は、森川先生という方のご本に拠っていらっしゃるんですよね。系統をたどると明らかに遠州系の修行をされた方ですので、浦上同門会に所属されていたとしても、射法は遠州系の影響を受けておられたのではないでしょうか?

この件、ご理解いただけますでしょうか?

9:深翠さん
前三さん残念ながら遠州系などとは関係ないです。森川先生の本は読みましたが教わってもいません。指示をうけたのは私の師匠からだけではなく沢山の浦上の先生方や師家からです。何もご存じないようなので正直に言います。

浦上サイドでは「稲垣系は誤った解釈をして本来の日置とは違うことをしている。東京周辺では勝手な日置流が流行りもはやどうすることもできない。いずれ日置(浦上)の本場は東京から代わるだろう。」また「浦上は稲垣系とは一切関わりません」とも

これは私の言葉ではありません。
師家が嘆くほど稲垣系は変っているのです。
前三さんこれで分かってもらえましたか?

10:弓を引く人さん
>深翠さん

割合弓歴が浅いと推測しましたが、如何でしょうか?稲垣先生と浦上同門会についての経緯や事実など余りご存じではないようですね。あと、一つ言いますが、日置流印西派岡山系の源は徳山師家であり、浦上同門会系や浦上ー稲垣系の印西派は、そもそも派生であることをお忘れ無く。例え、浦上同門会が浦上ー稲垣系の射に対し疑問を投げかけたとしても、何の問題がありますか?その逆もしかり。もし、浦上同門会が徳山師家に苦言を呈すのであれば、大問題だと思います。

風説を流布してみたり、浦上同門会の看板を汚すことをいい加減止めたらどうですか?かなり自信たっぷりの文面ですが、一々反応していたらきりがないほど・・・ですよ。

>師家が嘆くほど稲垣系は変っているのです。
これは、浦上直師や浦上博子範士の言と捉えて、宜しいでしょうか?

>森川先生の本は読みましたが教わってもいません。
と言いながら、金科玉条のように引用いていた人物は誰でしたっけ?私は、科学的・生理学的に根拠のない技術論は無視しています。

11:あんみつさん
皆様
日置流への熱い思いありがとうございます。
これからも大好きな日置流を続けて行こうと
思っております。
 これからも皆様色々教えてください。
宜しくお願いします。

12:深翠さん
弓を引く人さん
>これは、浦上直師や浦上博子範士の言と捉えて、宜しいでしょうか?
はいそのように伺っています。

森川先生の書籍については学ぶべきところがあります。しかし直接教わったことはないと申したまで言葉足らずでした。

>浦上同門会が浦上ー稲垣系の射に対し疑問を投げかけたとしても、何の問題がありますか?
浦上栄先生はその徳山師家から唯授一人の免許を授かっています。その下に目録、無言歌、神道の巻を納めた、いわゆる免許皆伝と呼ばれる先生達がいます。この三巻を授かって初めて日置の射を一代限り教えてよいとされています。当然これに満たない者は勝手に日置の射を教えてはいけないことになっています。
稲垣先生亡き後この三巻を持った先生が稲垣系にいますか?書籍を出版するのも師家の許しが無いとできないことを知っていますか?免許皆伝の三巻は射技だけでなく、このようなルールを教え順守する審判でもあるのです。
その三巻は日置の射を正しく理解し習得したものに与えられるもので、それに満たなければ教士八段でも授かることはできません。それほど厳粛なものです。正当な指導者がいなければ当然誤った解釈も生まれて来るものです。正す人物がいないから。そこに問題があると思います。

13:前三さん
僕の質問から、えらい発言が飛び出してしまいましたが、深翠さん、大丈夫ですか?

以前のリールの件がありますので、深翠さんの聞いたお話というのには、反応しません。また、「言われてもねぇ〜。」と言われるとつらいですから。

お願いがあります。
このスレッドの9にも書いておられますが、残心で手首が折れることの是非はここでは置いといて、深翠さんや周りの方の理論では、「振っている」ということなんでしょうが、一般的には、矢が離れていった後の動きで「振っている」とは言いません。このことを、何度も申し上げているのに、また、「振っている」とのご発言は失礼なんじゃないですか?ご一考願いたいと思います。

それから、唯授一人は、吉田姓の方に限られるはずです。特に岡山系では、厳格に守られているはずです。この件と、射術について、もう一度、周りの方にご確認されることをお勧めします。

14:深翠さん
前三さんご心配をおかけしてすみません。それとありがとうございます。
日置の目録、無言歌、神道の巻の三巻は言わば教員免許であり、弟子に継承したり新たに目録、無言歌、神道の巻を与える権限もありません。勿論新しい流派を創設する権限などもありません。それは師家のみに許される権限であり何事も師家の指示を仰ぐ事とされてています。

手首を振るというのは、残身で手首が折れる事をいいます。以前にも述べましたが、手首が折れるほど弓を振っているということです。そのため予め的の右側に狙いをずらして射ないと的の後方へ矢が流れるので的中しません。

角見とは弓の回転による遠心力を利用したものです。でも手の中で弓を回転させもので弓を回転させるために手首を振るものではありません。
その根拠は狙いがズレるからです。

手首を振らずに角見を効かせる射は、会で半月に狙いを定めた位置で弓が回転し回転が終わってから反動で腕が背中側に流れます。つまり回転している最中(離れの最中)でも狙いは元の半月の位置のままです。
しかし手首を振る射は、手首を振りはじめた時点から半月の狙いがズレて行きます。これが手首を振るということです。

手首を振らない射は腕を固定すると残身でも狙いは元の会の半月の位置と変わりません。しかし手首を振れば腕を固定しても手首が折れているので残身では変わります。これが手首を振ってはいけないという教えの回答です。

15:麩さん
>回転が終わってから反動で腕が背中側に流れます。つまり回転している最中(離れの最中)でも狙いは元の半月の位置のままです。

肉眼じゃ早すぎてわからないけど、いくらなんでもこの文章の部分は納得いかない。
腕が動かずにいられるのは、弓返りする直前まで、弦が握りの15cm(弦の高さが15cm丁度なら)に至る瞬間まででしょう。
腕が最小限うごくのは、直進しようとする弦に押されるからでしょう。

16:紅一汐さん
深翠さん
 失礼乍ら、理屈がメチャクチャになっていませんか。
 
 >手首を振るというのは、残身で手首が折れる事をいいます。以前にも述べましたが、手首が折れるほど弓を振っているということです。そのため予め的の右側に狙いをずらして射ないと的の後方へ矢が流れるので的中しません。

 稲垣先生の矢乗りはきちんと的心についていましたよ。

 手首については、前の議論にもありましたが、浦上先生の離れの高速写真(博子先生の本にもありました)をよくご覧になるといいと思います。離れの瞬間から手首が開いていく事が解ると思います。

17:前三さん
深翠さん
僕が申し上げているのは、深翠さんが、その理論に心酔されているのは、承知しておりますので、仲間内でどういっていただこうと勝手ですが、こういう掲示板で「振っている=矢と弦が分離する以前に弓手の移動が生じている」と誤解を与える書き込みをしないで下さいと、お願いしているのです。

理解していただけますか???

スレッドの趣旨に戻れば、スレ主様が、もし浦上・稲垣系統の日置流印西派を稽古されているのであれば、以前も紹介されていましたが、
http://blogs.yahoo.co.jp/kuroken3147/44673936.html/

http://blogs.yahoo.co.jp/kuroken3147/46589317.html
を、参考にされればよろしいかと思います。
違う系統で、一分の離れという、ほとんど馬手の移動がない離れもあるようですが、動画では見たことないです。もし、公開されている動画があるなら僕も見てみたいですね。

18:弓を引く人さん
>深翠さん

>浦上栄先生はその徳山師家から唯授一人の免許を授かっています。
→えっ、本当ですか?徳山勝弥太師家の唯授一人は徳山文之介師だけだと思っていました。また、浦上栄範士は免許皆伝だけであると思っていました。ただ、唯授一人は身内に出す免許であり、すんなり信用することが出来ない面があります。

そして、貴方の仰る「師家」とは、浦上直師、浦上博子範士の事だと思って宜しいでしょうか?それでは、何流の師家になるのでしょうか?日置流印西派の中でも日置当流の師家は徳山師家であり、貴方の仰る師家は何流の師家になるのでしょうか?素朴な疑問です。

そして、深翠さんの技術論は時間軸を無視しており、その時々の弓と弓手の相互作用を説明出来ていないので、理屈がちぐはぐになり破綻しているように思います。自分自身で気が付きませんか?


前三さんも仰っていましたが、深翠さんの書き込みを見ていると「はらはら」してしまいます。本当に大丈夫ですか?あまりにも伝聞や想像上の話が多いですよ。お気を付け下さい。

19:初心者さん
 最初の発言の趣旨に添って書くならば,日置流の指導者がいても,流派の射法の追究と,一般の入門者が求めることが多い全弓連の昇段審査などとの折り合いをつけるために苦心して,このように言うことがあるかもしれません.

 たとえば,日置流印西派摂津系同門会の射法書(2006年印刷)を以前読んで,少し驚いた部分があります.

 「当流では,『大離れは初心者の射なり』として大離れを嫌う」.しかし,「一般の審査等で大離れを求められるのならば,その際には大離れを行えばよい」.

 「会の長短がよく問題にされるが,当流からすれば時間の長短を論ずること自体無意味なことである」.しかし,「昇段審査等を受審するには,最低数秒の会の持続が必要といわれており,・・・したがって,普段の修練においては,伸び合いに五〜六秒かけることが適当かと思われる」

 厳しい人からは流派の存在意義を問われるような記述とも言われかねませんが,初心者への普及にあたる指導者にとっては苦渋の決断か?

20:紅一入さん
初心者さん
 人生の貴重な時間を費やすのですから、あくまで自分の信じるように弓を引くべきでしょうね。ましてや、他人様に自分の信念と違うことを教えてシャアシャアとしていることは恥ずかしいことだと思います。
 大離れに関しては、色々な離れの基本になるので大事だと思います。的前(化粧前)では大離れでいいと思います。
 会の長短に関しては、「最低数秒の会の持続」は無意味だと思います。何秒持ってもヤゴロに達していなければ早く、逆に短くてもヤゴロに達していれば正しいのだと思います。

21:光点師さん
よく考えてみると「大離れ」「小離れ」という呼び方はあまり適当ではないと思います。
ようするに、残心で馬手肘関節がどの程度開いているかという「形」「外見」についての呼称ですから、大残心(だいざんしん)とか中残心(ちゅうざんしん)、小残心(しょうざんしん)という方が適当だと思います。

そして、射手がどういう考えで、どういうイメージ持って、どういう働きで離れを出したか、ということの「結果」が残心という形になって現れる、と考えるべきだと思います。
だから、最初に残心の形を「こうでなければならない」と決めるのは、事の本末が転倒しているように思います。

ただ逆説的ですが「○○というイメージの離れを出すために、○○の働きを使った離れを出すために、伸合いで頭の中に、その結果としての理想の残心を強くイメージし、そこへ向かって無心で伸び続ける。するとその伸び合いと残心の間のどこかで離れが出る」という考え方も出来るでしょう。著書『型の完成に向かって』の中で浦上博子範士はそのようなことをおっしゃっています。

しかしその場合でも、最重要事項は、理想の「離れ」をどう出すかであって、「残心の形」を強くイメージするのは、その理想の離れを出すための「方便」だということです。

ということで、私の言いたいことは、残心という「結果の形」は、実は離れという「主」に対して「従」の問題であり、あまりとらわれない方がよいのでは、ということです。ただ、上に書いたように「方便」として利用するのであれば、そのことをしっかりと理解した上で「残心の姿」を重視してもよいのではないでしょうか。

22:前三さん
紅一入さん
僕もその本を持っていますが、小離れを体得した者は、中離れ・大離れとも自在であるというよことで、状況にあわせて行射すればいいというニュアンスでした。紅一入さんがイメージしておられるようなことではないと思います。

さて、スレ主様も仰っておられますが、指導者がいないというか、多分、関東圏以外では、同じ射法の者が邂逅することさえ、稀ですよねぇ。たまには、同流の者同士、教えるというかチェックしあうくらいの機会は欲しいです。

僕は、関西圏だか、東海圏だか微妙なところに住んでいるのですがw、同流の方で行動範囲が重なる方がおられたら、勉強会なり研究会の合同稽古をしたいですね。

23:紅一入さん
前三さん
>僕もその本を持っていますが、

 すいません。どの本でしょうか。引用した覚えがなく、唐突だったものですから。
 でも、そういう記述があるなら、読んでみたいです。勉強不足ですいません。

24:前三さん
紅一人さん
ごめんなさい。やはり、判りにくかったですか・。
初心者さんが、引用された「日置流印西派摂津系同門会の射法書」の件です。要らぬ軋轢を生むのもどうかと思ったものですから・・・。

25:きょんさん
あんみつさん そっちで上を目指すなら大離れで良いと思いますよ。あくまでも段位取得の為と思って。

26:あんみつさん
きょんさん
アドバイスありがとう。
あんまり、派手にならない大離れもどきを
しておきます。
 とりあえず今日の指導では綺麗な射です
が、もう少し持ちなさいと指導を受けたので
okだと思います。

27:紅一入さん
前三さん
 遅くなりましたが、了解です。

 大離れ、工夫してみました。離れ時の勝手肘の後方への開き(−後ろの人を肘で突くような)の感覚を強調してみたら、いつもより離れが大きくなりました。弓手の開きも少し大きくなる感じです。
 ただ、弓手の動きが止まると、勝手の開きも止まってしまいます。弓手を鋭く納めようとする程、勝手の開きが小さくなってしまいました。稲垣先生は弓手が納まった後も勝手が動いて大きく開いていたように記憶しています。どうすればあのようにできるのか今のところ解りません。

 話は変わりますが、小離れにも、肘が下方に動く小離れと、肘が後方に動く小離れがあると思うのですが、どなたか詳しい人いらっしゃいますか?
 


ホーム > 弓道座談会 > 2009/06まで 技術・体配編 > 日置の離れ (投稿27件)[1〜27]

(c)デビール田中 : 問い合わせ