きれいな射について語りましょう (投稿46件)[1〜46]


1:北のたてはさん
きれいな射景について語り合いましょう。皆さんはどのような射景がきれいとおもいますか?

2:青鸞さん [url]
きれいというか私が理想としているのは弓道読本の唐沢先生の背面射型ですね。
いつかあんな射をしてみたいなと思います。

3:北のたてはさん
最近の地区大会や県大会でずば抜けてきれいだ!という射をする方はすくないですね。どうしても、当りが皆1番大切だとおもいがちです。実際大切ですけど・・・でも、射がきれいな方が当てればさすが!というかんじがします。それとは逆にいわゆる"当て射"という射をする人は、やはりよい印象がつきませんよね。

4:pmさん
綺麗な射の見方(?)を聞きたいのですが、会のときに少し肘が下がっているほうが綺麗だと思うのか肘が水平になっているほうが綺麗だと思うのかどっちなんですかね?

それともやっぱり好みで変わるのですかね?

5:みっちょむさん
綺麗な射というと、背筋が伸びて動ぜず、弓手・馬手が矢筋にしっかり伸びている射が綺麗なんではないでしょうか?
ボクは、肘は水平より若干斜め後ろに折れている方が好きです。
って、やっぱり個人的な好みとなってしまうんでしょうかねぇ・・・

6:北のたてはさん
やっぱり好みは人それぞれなんですかね?基礎的な五重十文字ができている人は、やっぱりきれいに見えます。

7:ジャオさん
 体の中心から開いて、力まず流れるような射が好みです。
会の形よりも残心、弓倒しの方が気になります。

8:天龍さん
きれいな射形で、ほれぼれする人はいますね。
皆若い人で、高校か大学生です。年配の熟練者をきれいとは言わないと思います。

その第一条件は、何と言ってもその人の体つきで、身長があり細身で、道着の着こなしの良さは絶対条件、一定以上の美形である必要があります。
射形で意外と大事なのは、顔向けの美しさで無理なくきちんと回っていることが相当印象に影響します。
会までは各所の水平、直角が保たれ、無駄な動きを排除してスッキリ納めます。
そこまで行くと既に観客の目を引いているので、十分持ってから緩まず離す。
中らなくても見てる人は、「いいね。」と思っているので、残身を正確に決める。
中りは良いに越したことはないですが、人はひいき目に見てくれるので、平均レベルで良いんじゃないでしょうか。

9:ASさん
少し気になったので…
当て射についてどの様にお考えかはわかりませんが、
上記のように「よい印象が〜」と書かれていることに少し思うことがありました。
射の善し悪しの基準は人それぞれだと思いますので、
その射にどれほどの努力をし、どれほどの完成度まで到達しているかを見ることこそが重要だと思います。
まぁこの意見も私の考えなので押しつけるわけではありませんが、
もし自分が、悩みながら考えながら、
射を組み立てたのに「当て射」の一言で言われたりすると
辛いので少し書き込んでみました。
つまり、他人の射がどのような射でもまず受けとめるところから入ってみませんか?
と言いたかったわけです。

10:弓吉さん
実際当て射は良くないですよ。確かに努力して確立した射ではあると思います。しかし、的中を求める指導を受ければ、当て射になってしまうのです。高校生や大学生は学校によって「射形」を究めてるところ、「的中」を究めてるところはあると思います。その学校の指導方針ですから。それは仕方のないことです。


ただ、やはり当て射は正しくない。インチキ弓道で勝っても誰も褒めてはくれません。射において大切なのは力の運用であり、それを正しく行なうための形が射形なのです。


強い弓を引いてても弱い弓を引いてるように…
弱い弓を引いてても強い弓を引いてるように…
それが射の妙味です。妙味とは、「なんでそんなことができるの?」という驚きを言います。



綺麗射形について語り出したら、切りがありません。しかし、そんな細かいことはいいのです。見た人が感動する…そんな射が引ければ、まさに現代弓道の理想と言えるでしょう。

11:匿名さん
『魅せる射』ですね
射形がきれいなのと上手いのは別ですからね
射形がきれいでなおかつあたる魅せる射をしたかった
引退した人間の戯言です

12:北のたてはさん
射がきれいな人っていうのは才能でもあるんですかね?それとも、日々の努力でよりきれいになれますか?

13:深翠さん
礼記射義に「これ以って徳行を観るべし。」とあるように射からはその人の性格や人間としての心のレベルの高さ深さなどが読み取れます。そのため昔の武士は自らの射を馬鹿にされるのをとても嫌がりました。刀が武士の魂ならば、弓は武士の鏡でしょうか?私は綺麗な射とは形ばかりではなく射品、射格のある射だと思います。

早気、もたれ、馬手離れ、三味線、上離れ、引き千切り、ゆるみ、二段離れ、弓手や馬手が下がったり上がったり、弓手の手首を振ったり、手を開いたり、小手先で押したり、肩が上がったり下がったり動いたり…等々。悪癖には限りありませんが、これらには到底射品、射格があるとは思えません。

射品、射格のある射…それは終始一貫、凛として不動の射だと思います。
心、気、体が一つになり全身全霊から生まれてくる射。そんな射が最も綺麗な射だと思います。

14:日置播磨さん
綺麗な射形は人、流派の考えで変わってきますよね〜。

私は現在弓道会に入って弓を引いていますが、考えは大学〔日置流〕のままやらせて貰っています。
そこで、理想の射形について話すと「当て射やな」と言われました。

「当てる為に弓を引いている射」と「弓道をやっていて当てる射」の違いはあると思います〔ちなめに私は後者です〕。

確かに弓を引いて当てたいですが、武道をやる以上形も気をつけてやりたいですね。これも人、流派の考えで変わってくるとおもいます

15:山吹色さん
中て射というのは弓返りさせないにつきます。そうでなければ中て射ではありません。と思います。

そして、きれいな射というのは会で五十十文字ができていれば、引きそのものはきれいに見えると思います。
が、八部の詰ができていなければきれいな離れ、残心はできず、そのため矢飛びにも影響し、的中が悪くなる。と思います。

だから自分の中では、五十十文字と八部の詰を極めた人全てがきれいな射をする人になります。
美感は人それぞれと言いますが、教士や藩士の先生の射を観て、きれいな射じゃないと言う人は普通いません。あとは感性の問題ですね。

的中重視の試合にのみ言及しますが、高校生や大学生というのは、限られた期間内で結果を残さなければいけません。そのため中てに走らざるをえないんです。だから、たとえインチキ中てであっても、大きな試合ですばらしい的中を出して結果を出した人は、賞賛されるべきだと思います。

16:北のたてはさん
高校生で五十十文字ができている人はどのくらいいるんですかね?自分は福岡県出身ですが県大会はともかく地区大会では三十十文字ができている人も少なく、射景のことを考えて練習に取り組んでいる人もいるかもしれませんが、やはり自分からみて射がきれいな人は少ないです。

17:笹岡 ◆mRq5DITcさん [url]
そもそも綺麗な射が良いか悪いかという問題もあるんですよね。
汚い射は論外ですが、真・善・美を揃えた射を考えるとき、果たしてそれが『綺麗』という言葉で形容できるかどうか疑問です。

18:北のたてはさん
そういわれてみればそうですよね、確かに綺麗という言葉だけでは言い表すのは難しいですよね。

自分は顧問のコーチに「きれいな射を心がければ必ず当りはついてくる」という指導を受けたんですが、自分の射が果たして綺麗で当たっているのか、それとも当たる射なのか自分の射を見る機会がないのでわかりません。

19:みっちょむさん
北のたてはさん
自分の射を見ることは、とても大事なことです。ビデオに撮って見ることをお勧めします。
友人に携帯で撮ってもらってはどうでしょう?
自分が引いているときには気が付かない射型の癖とかがよくわかります。

20:クレイドルさん
こんばんは。

僕の学校では全員が正射に向けて取り組んでいます。

まず真剣に考えて頂きたいのは、中りさえすれば、それは良い射とは限らないという事。
射法八節を遵守し、見た目にも整った射が良いと思います。
だから、中りというのは気にしません。
見取り稽古をする・ケータイのムービー等で自分の射を写してもらう。など、練習方法は様々です。そうして、自分の射の癖を早期発見し、美しく整った射が出来るように頑張りましょう。
中りは、あんまり考えない方が良いです。

21:さぼてんさん
>中りさえすれば、それは良い射とは限らないという事。

人それぞれ意見はあると思いますが、私は中りは大前提だと思います。
見た目にも整った射ができていても、中りがないならば良い射とはいえないのではないでしょうか??

もちろん中たればそれでよしというわけではありません。
『中てる射』より『中たる射』の方が良い射だと考えています。

22:クレイドルさん
正直なところ、弓を引くにあたって中りとは切っても切り離せないものですよね。
整った射で中るのが一番良いですが、そうはいかない時は確かにあります。

あくまで個人の考えですが、中りが大前提というのは自分の中では存在しません。整った射が出来れば、中りは自然と付いて来るものだと信じています。
だから「中る射」だけでなく、それにプラスして「見た目にも整い、かつ中る射」が出来るようにしたいですね。

23:愁さん
浅知恵にはなりますが、私の戯言を。

日弓連の教本によりますと
弓道の最高目標は、「真・善・美」だと
掲げられてましたよね?
それで、真なるものは、善をもち、
    また真ならば、自然に美である。

との解説だっと思います。

そこで疑問に当たるのは、最高目標の原点である、「真」とは何なのでしょうか?
これを正射と捕らえたとします。
するとその正射とは一体何なのか?これを誰かが目撃し、または記述し、大衆に分かるように表現されたものなのでしょうか?
なので、そもそも「正射」ということの存在自体が怪しくなるではないかと思うのですが、どうでしょうか? 

24:DEWさん
正射って一つのものではないですよね。
ものすごく大まかに分けて少なくとも日置、小笠原、本多があります。
本多にしても小笠原をプラスした日弓連式のものもあれば、生弓会のような純粋なものもあれば、どこぞの大学で細々と続く亜流もあるわけで。日置だって〜派は山ほどあるわけで。

「正射」とは何かと考えた時、その「何か」が具体的になればなるほどそれは間違いであると私は考えます。

骨格だって体型だって違うし、使ってる道具だって違う。特にカケなんて最たるもので、弦枕の角度、帽子の長さ、控えの硬さ、全部が全部同じように引けるはずは断じてありません。十人十色それぞれの正射があるはずです。

弓の冴え・弦音・的中を追い求めていくことが弓道=求道です。射形は付属品です。形がぐっちゃぐちゃでも私はこの三要素さえ満たしていればいいと思います。人は中て弓だと笑うでしょうが。
ただ射形は付属品ではありますが、結果として美しいものです。→「また真ならば、自然に美である。」結局ぐっちゃぐちゃということはほとんどないんですけどね。理に適っているから中るんです。

余談ですが私は中て射とは中らない人のことを言ってます。少なくとも半年間以上を通して1日20射以上かつ7割以上を最低ラインで中ってる人はどんな射形でも中て射とは思ってません。

25:三陸。さん
いきなり失礼します。

弓道も日本の文化ですから、日本独特の言葉にできない何とも言い難いものが存在するのではないでしょうか?

ゴールの存在しないもの、そんな気もしてきます。

26:前三さん
このスレッドのような会話は、好きなんですが、射形、中て射、中りを前提にしないという場合距離感がつかめなくて戸惑いを覚えます。
コミュニケーション・プラットフォームがあればと思います。

射形とは?
1.会の形
2.離れ・残身を含む

中て射という言葉を使われる方々の中て射の中りとは?
射形(ここでは会の形および離れ)が見た目にあまりよろしくない射手がいます
さて、何中から中て射?(試合での的中)
1.8/8
2.7/8
3.6/8
4.5/8

中りを前提としない方々の許せる中りのレベルは?(4割未満だと中りを前提としないなどという以前の問題でしょうから)

僕自身の基準は
射形・・・離れ・残身を含む
中て射・・存在しない
中りを前提としない稽古・・・ありえない(重度の射癖矯正中以外)
です。

27:天龍さん
私も「中て射」という言葉を使う方に、本当に中て射というものを見たことがあるのか、どれくらい中るのか教えていただきたいです。
そして、そんなに中る射のどこがけしからんのか解説して欲しいです。

28:たぶんおやじさん
>正射とは
骨格に従い、理に適った癖の無く品格が有る射

>中て射
的中に拘って品格を感じられない射

中る中らないではないと高段者は
説明すると思いますよ。

>射形・・・離れ・残身を含む
含む含まないではないと思うのですが
射法八節は基本ですから・・・

執り弓の姿勢から立つ歩くまで精進するところは尽きません。

29:佐為さん
体躯になかった射、理にかなった射。
これが則ち美しいとは言い切れないと思いますが、逆に見た目が美しくても理にかなってるとは限らないと思います。

30:みっちょむさん
横から失礼します。
「中る」「中てる」は、弓道をやる中で避けられない議論なのでしょうね。そういう議論は好きです。(笑)
ですが、基本である「真善美」について誤解している人が多いことには、驚かされます。
「真善美」とはなんですか?
真とは、正確さ正しさ。また、欺かないこと。
善とは、道理・道徳にかなうこと。
美とは、姿・形・が正しく充実していること。
さて・・・
自分を含め弓の道に、哲学的なこの命題を、本当に射法に求めているのでしょうか?
的を狙い、的中を求め、自ら射を研究し、実践する。その姿を自分たちに映し出すことで、先達が弓の道を作り上げて来たのです。
その結果が、今の弓道に生きているのです。
その中に自分を置くことで、求める正射があるのではないでしょうか?
「中る」「中てる」ではなく、的のど真ん中を射抜く射法があり、その射法を自分に具現する。
それが、正射です。そのために毎日の訓練があり、悩みがあり、挫折もあるのです。
正射を求める中で、矢は的を外すかもしれません。
必中を求めても、的を外すかもしれません。
それを一喜一憂することなく、原因を真摯に自分の射法に求めて、次の目標を目指す。弓の道はそこにあるのだと思いませんか?
長文・乱文、失礼しました。

31:前三さん
中りは大前提にくると思います

もし、8割5分も中らない射を
>骨格に従い、理に適った癖の無く品格が有る射
と見えるのであれば、射を見る目において、足りないところがあると考えるべきでしょう。中らないのには理由があり、それを見抜いていないからです。

僕は、試合等で9割以上中る方で、妙な射をする方というのを寡聞にして見たことがないのですが、
もし、
>的中に拘って品格を感じられない射
をすると思われる方が、貴方(たぶんおやじ様のことではありません。一般論です)より的中があるのなら、射のどこかの部分において、貴方より、正射に近いものを持っておられるのでしょうから、「中て射」などと斬ってしまわずに、勉強させていただく目でみてはどうでしょう。その方より、中るようになれば、品格を感じない技術的な理由もわかるようになると思います。

32:元 ◆ntlC4wAIさん
・射品はあるけど中らない=どこかが足りていない
・体配はガタガタだけど高的中率=中る原因がある

当たり前過ぎる程正論ですが、一事をもって万事と成す事なかれ。です。
極論を言えば弓を逆さまに握っても中りは中り。それで千射皆中でも出来ればある意味で達人とも言えるでしょう。

>品格を感じない技術的な理由もわかるようになると思います。
そもそも『品』とはなんでしょう?何故に射に『品』を求めるのか。
的中とは何か?『品』が先か、『的中』が先か?

体配整い気息充実すれば、的なんて有って無いようなもの。なんて考えてしまいます。

33:さぼてんさん
>クレイドルさん
 クレイドルさんの仰る「中りを気にしない」というのは、普段自分の練習で心掛けている事という意味でしょうか??
 もし、そうであれば私は勘違いしている点がありました。私の意見は、「他の人の射を評価するときに中りを大前提にする」という意味です。申し訳ありません。


>試合等で9割以上中る方で、妙な射をする方というのを寡聞にして見たことがない

 私は9割以上中る方で、妙な射をする方というのを見たことはあります。ただ、その方の会は微動だにせず、何故その様な射ができるのかと思い、見入ってしまいました。
 勉強させてもらうという気持ちは大切ですよね。中る人は絶対何かを持っていると思います!

34:前三さん
>当たり前過ぎる程正論ですが、一事をもって万事と成す事なかれ。です。
極論を言えば弓を逆さまに握っても中りは中り。それで千射皆中でも出来ればある意味で達人とも言えるでしょう。

なにを仰りたいのかよくわかりませんが、足で弓を引いて的に中てる方もおられるようですね。

>体配整い気息充実すれば、的なんて有って無いようなもの。なんて考えてしまいます。

的に中てる技術の修練はないのでしょうか?的に中らない射は美しいですか?物理的にみても角見が効かないか、緩んでいるか、他の原因があるでしょうから美しくは見えないと思います。

射位に立ち、的と向かい合った空間で、己の持つ技術・精神を総動員して的に中てることを専一に念じる以外に何を考えるべきなのでしょう?品位?人を感動させる?邪念でしょう。結果として、その行射に見た方が品を感じたり、感動されたとしても、自ずからそれを求めて行射するのは違うような気がします。

とはいえ、僕の行射も邪念だらけなんですが、一応棚に上げました。申し訳ないです。

35:黒紫朱蒼さん
前三さんには大部分で納得です。
弓道としての成り立ちから言えば、例え現在と過去のモノと違う点はあれども「的に中たる」という事は前提でしょう。

邪念が浮かばない様に「的を気にしない」という心構えは必要ですが、「的なんてあってない物」「中りは気にしない」は的を狙う意味すらも無くしてしまう様な・・

極端な話ですが、中らない射を「綺麗」というのは所詮展示する骨董の様なモノでしかないのかと思っています。

弓道において「理に適った」とは骨格的にでもあり、それ以上に「的中」の要素が大きいものではないでしょうか?

あと、「中て射」とは、形が日弓連の射と極端に違う人の事を指す場合が実際の批判で多いと見えます。(流派を除く)

偏る事は良くないのでしょうが、矢が的に入る事が前提とされた射であればそれは礼儀のみの射よりは評価されるべきであると思います。

囚われると云う意味でなく、的を狙っていなければ、それは先ず射として呼べるのかも分かりません。

と、私は思います

36:元 ◆ntlC4wAIさん
>的に中てる技術の修練はないのでしょうか?
では『的に中たる』ってなんでしょうね?
立ち位置は同じ、的の位置も同じ、的との距離も同じ。
ちょっと上手い射手なら高校生でも暗闇のなか十二射皆中出来るくらいです。
体配と気息と矢筋が矢所と一致した場合。この「一致」をどんな大舞台でも続けられる安定した技術と精神力。
「的中」は奥深いな、と考えてしまいます。

37:佐為さん
体躯になかった射、理にかなった射。
これが則ち美しいとは言い切れないと思いますが、逆に見た目が美しくても理にかなってるとは限らないと思います。

38:紅一入さん
 「綺麗な射」と結びつくのかどうか不明ですが、昔から「上手・下手」という言い方はされていたようです。
 浦上先生の本に、
「中・貫・久のそろった射手を上手という。それ以外を下手という」
と書かれていました。バッサリとした書き方が大好きです。
 つまり、「どんな場でも矢勢のある矢で中たる状態を続けている」人が上手なのです。ここには見栄えの良さや体配名人など入る隙がないのです。
 前出の「中て射」も「貫・久」がなければ上手ではない。それだけの事ではないでしょうか。

39:黒紫朱蒼さん
紅一入さん
「中・貫・久のそろった射手を上手という。それ以外を下手という」とはごもっともです。
綺麗の基準を個人で決めて批評するよりも、「上手・下手」の基準を明確にした上で見る事が重要だと感じました。

40:愁さん
なるほど
つまり、加齢により的中率の下がった
高段者の弓道は、「下手」である
という結論ですね?

41:紅一入さん
愁さん
 その場合、加齢により下手になったのだと思います。体力の低下を補う努力が不足していたのか、若い頃の射が法に適っていなかったのか、と思います。
 ご高齢になられても高的中を維持された方もいらっしゃいますよ。実際に見たのは稲垣先生です。弓を弱くされたり矢を軽いものに換えたりされていましたが、高的中を維持され、矢勢も矢取で苦労する程でした。「自分で射術の模範を示せなくなったらやめるべきだ」とおっしゃっていました。

42:山吹色さん
上手下手の基準も綺麗な射の基準も明確にできるとは思えませんが、”中・貫・久”の概念は納得できました。

的はあってないようなものという言葉がありましたが、自分はそれは弓道の究極だと受け取りました。
どういうことかというと、ある領域に達した人の射は、矢が28メートル先にある直径36センチの丸い枠内に飛ぶようになっていて、これは最早、狙いがどうとかいうのは問題ではない。だから、的はあってないようなものということになるのです。どうなんでしょうか。そういう人はいるんでしょうか?

43:山吹色さん
で、思うのですが、こういう話は必ずといっていいほど中りと射の話になるわけで、どちらが重要かと言われると、どちらも重要なわけです。
しかしながら中り重視と射重視とで二極化される傾向がよくみられます。どちらも重要であるのだから、そんなことで議論してもどこかで聞いたような意見しか出てきませんし、一応ここはきれいな射について考える所となっているので、ここは中りは他所に置いて、射のみを考えてみるのはどうでしょうか?

44:前三さん
どうも「中て射」という言葉が嫌いなので、スレ主様の趣旨と違う方向の話をしてしまい、申し訳なかったかも・・。
「会」の形に限定して、ここのリンク集にもあるKyudo Online Library Project
http://kyudo.s28.xrea.com/KOLP/
から好みの写真を推薦してもらうとか、他WEBで見れる好みの会の画像を紹介するというのはどうでしょう?

45:笹岡 ◆mRq5DITcさん [url]
ちょっと前の話で筆者に意見を求めるわけではありませんが

>的中があるのなら、射のどこかの部分において、貴方より、正射に近いものを持っておられる
これはどうでしょう。
どんなに正射から遠い射でも、同じことを繰り返せば的中率100%の射です。世の中に中らない射などありません。逆に正射でない限りどんなに正射に近い射であってもミスをすれば外す可能性はあります。
したがって、中る射が見習うべき射とは限らないと思うのです。
大会等で人の射を見て何かを学ぼうとするなら、的中を見るのではなく、その人の射自体が如何なるものかを見るべきだと思います。

46:前三さん
意見を求められたわけではありませんがw
基本に「中て射」という言葉と、その言葉を使う方に、どうなのかな?という気持ちがあるものですから・・。

その「中て射」の対象者=Aを、その方より中らない方=Bが見る場合、「中て射」と斬ってすてるのではなく、少なくともAはBよりも、同じことを繰り返して出来ているとか、射形はどうあれ力の継続ができているとか、なにかBよりもいい点はあるはずなので、そこを見るようにしたほうが良くないですか?

ということです。


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