日置流印西派について (投稿91件)[1〜91]


1:イヌワシさん
弓道上達BOOKという本を買ったら日置流印西派の射が書いてありました。
その射で学校で練習していたら、怒られてしまいました。なんか、本には手首を後に返すと書いてあったんですが、学校ではそんなことしたら矢がへんなとこに行くだろうがと言われましたが、実際手首とは返していいものなのでしょうか?
誰か教えてください

2:みっちょむさん
イヌワシさん、こんばんは。
自分もその本を持っています。
過去スレ、「手の内 on 弓道誌2007.3」を見てもらえばいいと思いますよ^^
自分も勉強になりました。

3:でんきちさん
実は、その・・・。小生も、恥ずかしながらも買ってしまいました。
興味あって・・・。
オールカラーで見やすいな、と。

手首返してる写真の残心、肥後蘇山でやったところ、弦が返ってしまい、阿蘇山の怒りに触れました・・・。痛かったです。
日置流印西派の射を修練してない「にわか者」が迂闊にやると危険だな、と勉強に成りました。

4:深翠さん
そりゃ怒られるでしょう。
手首を振れば的の9時方向に矢が流れます。おおよそどのような流派でも手首を返すのは駄目でしょう。

日置流印西派の射に関して言えば、
弓構えでの羽引きは押取節まで。
打ち越しはほとんど引き分けず、そのまま打ち起こす。

打ち起こした位置(大三)では、馬手の手首から先は顔の面より前に出て、馬手との距離は額の髪の毛の生え際から45度の方向に拳一つか一つ半。

弓手の親指は残身では真直ぐ的を指す。

弓手の位置は会と残身では拳一つ分しか動いてはいけない。

馬手の(地面からの)高さは会と残身では同じ。

とこんな感じです。

5:kurichaさん
>>イヌワシ様
「弓道上達BOOK」・・・日弓連の教本1巻との違いを調べ上げるには面白い本ですね。私も一度この本を読みましたが、「こういった考えもある」という程度にしております。

6:前三さん
手首を返す。
ということについて、誤解があると思います。残心の形とかを見ると、どうしても振っているとか見えてしまうんですかね?

僕は、流派の門人ではありませんが、「弓道上達Book」の射法を引けるように稽古しています。残心で、手首が折れていますが、(折れ方が足りないくらい)矢が弓手を通過する瞬間は、折れていません。そのあたりの高速分解写真とかあの本に載っていたらよかったですね。

7:匿名さん
自分は特に手首を折ろうとしているわけではないですが残身では折れています
むしろ どのように力をかければ手首が折れないんでしょうか?
自分は弓の右角を押しているのだから折れて当然と思っています 過去に先輩や顧問に指摘されましたが今ではこれで通っていますけど

8:イヌワシさん
ということは、あれは自分で故意にやるものではなく、自然と返るものだったんですね?

9:☆さん
そうかと思います

10:kurichaさん
>>イヌワシ様
あなたが初心者であり、この先、日弓連の審査で段位を取得していくもの・・・という前提で、参考にされる本を換えた方が良いと思います。

11:深翠さん
前三さん
野球でバッターがバットを振ってボールが当たった瞬間、
バッターはバットを振っていないと言えますか?

弓手を振っている瞬間を捕らえ矢が弓手を通過する瞬間は、
手首が折れてないから弓手を振っていないとは詭弁ですよ。
哲学にある「飛ぶ矢は止まっている」と同じです。

弓手を振るとは文字通り「振る」です。
振ってタイミングを合わせて中てるから「振る」なんです。
それを会と残身の状態を見比べ振ったか?振っていないか?を判断するのです。

日置流印西派の教えに離れで弓手を振ることが許される範囲は、
会で的の前を指していた親指が残身では的を挿す位置までとなっています。
つまり親指1本くらいの範囲。見ていてほとんど変わりがない。

だからこそ不動の射と呼ばれ多くの弓道家が憧れ目指すのです。

と言いつつ私もついつい振ってしまい、未だ木鶏足りえずです。

12:弓を引く人さん
>日置流印西派の教えに離れで弓手を振ることが許される範囲は、
>会で的の前を指していた親指が残身では的を挿す位置までとなっています。

これは、力の働かせ方を説いたモノですね。また、手首を振った時点で、恐らく矢は失速してしまうと思います。
日置流印西派の巨人といわれた、浦上栄先生の残心を見てから書き込んだ方が良かったですね。いつの時代から角見と手首を振ることが混同視されるようになったのでしょうか?恐らく、角見と手首を振ることの違いが分かっていないだけだと思われます。現代弓道特有の技術の流行廃れがこの問題に大きく関与しているのでしょう。

角見は、弓手を締めて親指を的方向に突っ込むことで間違いないと思います。矢が弦から離れてかなり的方向へ飛行してから弓返りが始まり、その弓返りのエネルギーと角見の余勢で手首が外側に振れてしまいます。あくまでも振れてしまうものです。

>野球でバッターがバットを振ってボールが当たった瞬間、
>バッターはバットを振っていないと言えますか?
→角見の働きとバッティングを関連づけることこそまさに詭弁と思います。

13:前三さん
深翠さん。
「弓手を振る」と残心で、弓手の位置が「会」の位置から移動しているは、違うと思います。
前にもどこかのスレで書きましたが、「弓手を振る」というのは、矢が発射される前、もしくは発射されいる(弓手の上を矢が通過している)時点で弓手の位置を変えること。と定義した方が、よくありませんか?

>日置流印西派の教えに離れで弓手を振ることが許される範囲は、

この記述は、誤解を招くような気がします。

>野球でバッターがバットを振ってボールが当たった瞬間、
>バッターはバットを振っていないと言えますか?

>弓手を振っている瞬間を捕らえ矢が弓手を通過する瞬間は、
>手首が折れてないから弓手を振っていないとは詭弁ですよ。
>哲学にある「飛ぶ矢は止まっている」と同じです


詭弁とは、またきつい言葉を投げられてしまいましたね。
バッティングと角見の働きを比較できるのかという気もしますが、こういう考えはどうでしょう?
(その前に用語の定義、、
詰合・・「会に入った瞬間」
伸合・・詰合からヤゴロまでの押し引きをしている状態
ヤゴロ・・離れの瞬間 離れなければいけない瞬間)

構えている位置から、ボールに中るまでの瞬間は、詰合からヤゴロにむけて力を充実させている時期

ボールが当たった瞬間がヤゴロ、角見を効かす。そういえば、バッティングでもこの瞬間は小指を締めるんじゃないかな?

で、その余勢でフォロースルーがある。弓手の移動および手首が外に折れる。
ボールを前に飛ばすからと、フォロースルーは、ピッチャー方向にはとりませんよね。
これは詭弁かも??

14:前三さん
>日置流印西派の教えに離れで弓手を振ることが許される範囲は、
>会で的の前を指していた親指が残身では的を挿す位置までとなっています。
>つまり親指1本くらいの範囲。見ていてほとんど変わりがない。

僕が現状理解している教えでは、4寸8寸の離れということで、弓手は4寸ですから12cmくらいは後下斜めに移動すると思います。
僕が、実践しよう・理解したいと努めているのは、岡山系〜浦上先生〜稲垣先生の系統です。最近、他の系統の印西派では、また違う射法をされてるのかもしれないというのを知りました。


「角見を効かす」ことの一面を、矢が弓手を通過するときに、弓の左内角を中心点として弓の右内角を開いて矢が弓に摺れず、的方向に直進できるようにする。と考えれば、親指付け根の力の方向は直進ではなく、円周を描いていると考えます。とすると、その余勢で残心では、手首が折れると理解しています。


最後に、僕は日置流印西派の門人ではなく、学生時代に稽古した引き方および書物で、現在は指導者もなく稽古している状態です。ですので、余計に理論等が気になりますが、僕の拙い理解と書き込みで、流派門人の方にご迷惑をおかけするのを恐れています。間違った理解・浅い理解をご指摘・訂正いただければ嬉しく思います。

15:深翠さん
浦上栄先生の弟子である故範士八段森川勝先生は自著「射法と実践」で残身の具体的な条件をあげ
「母指はよく伸び、手首は前後上下に屈しない。」と述べています。

また角見に関して手の内では
「角見の働きは虎口の皮のねじれを握りこんだまま、手首を真直ぐに矢筋に押します。
当然のことながら母指根と虎口に一番負担が掛かりますが、弓を捻ろうと思うから、
誤った用い方をします。例えば角見を意識する余り、手首まで力を入れて後方へ屈するもの、
あるいは母指でねじ込もうとして、手首がねじれ掌根から弓が離れるものさえ見られます。」

角見とは伸び合い詰め合いの結果生ずるもので、その力の方向は的に向かって真直ぐです。
角見の働きを強くするにはもっと伸びろ!であり、もっと弓を捻れ!(振れ!)ではないのです。

会では弓に対して手首が真っ直ぐ、かつ母指と人差し指の根が弓と直角であること。
この状態で弓手を手先ではなく肩から的に押し出すのですから、残身では弓手の親指先が
真っ直ぐ的を指し、かつ的に向かって伸びるため最初に述べた森川勝先生の残身になります。

つまり残身で手首が外側に振れてよいのは親指先が的に向かって伸びる形までであり、
それ以上、手首が後方へ屈しているのは角見の余勢ではなく「振った」ことになります。
本当の意味での角見の余勢は強ければ強いほど親指先が的に向かってぐぐぐっと伸びます。

ちなみに浦上栄先生のビデオの射を拝見して書き込んでいますが、
肩から親指先まで真っ直ぐ伸びた状態の残身であり、手首は後ろに屈してはいません。

私は浦上の門弟ですが、残身で弓手が屈せば「振った」と注意をうけます。

>岡山系〜浦上先生〜稲垣先生の系統です。最近、他の系統の印西派では、また違う射法をされてるのかもしれないというのを知りました。
稲垣先生の系統は先生の活躍された年代によって射が異なるとお弟子さんから聞いています。
今では浦上の射と異なっているとも。
その違いかも知れません

16:前三さん
深翠さん
浦上先生の名著「紅葉重ね・離れの時期・弓具の見方と扱い方」平成8年に復刊された本で見ますと、45ページに浦上栄先生の残心を上方から写した写真がありますが、私には親指は的方向よりも後ろを向き、手首も最大限折れている風に見えます。

>>岡山系〜浦上先生〜稲垣先生の系統です。最近、他の系統の印西派では、また違う射法をされてるのかもしれないというのを知りました。
>稲垣先生の系統は先生の活躍された年代によって射が異なるとお弟子さんから聞いています。
>今では浦上の射と異なっているとも。
その違いかも知れません


僕は、岡山系と他系では、というつもりで書いたのですが、、、、。
深翠さんの書かれた件については、論じる立場でもありませんので、これ以上は控えます。しかし、興味のある話題ではありますので、場を替えてお話をお聞きすることが出来たらなと思います。メールを頂けましたら、ブログをお知らせいたしますので、そちらで教えていただけたらと思います。

17:弓を引く人さん
>私は浦上の門弟ですが、残身で弓手が屈せば「振った」と注意をうけます。

→恐らく本当に振ってるからじゃないですか?角見の余勢で手首が折れることと、離れでいきなり手首を振ることは全くの別次元です。
お持ちだと思いますが、「紅葉重ね・離れの時機・弓具の見方と扱い方」のP45の頭上から見た浦上栄先生の伸合い、残心の写真をもう一度良く確認してみて下さい。前から見た動画でも容易に分かると思いますが、不思議ですね。若い頃の写真や、お年を召してからの写真でも総じて同じ事が言えます。

和弓の特性上、弓の右角を押さない限り、矢は狙い所に飛んでいきません。弓の真ん中を押して狙い所に飛ばそうとするのであれば、左肩から腕を後方に振り込まない限り無理です。ですから、殊更に手首の真っ直ぐに拘る理由が分かりません。まあ、手首が折れていない様に見える射手でも、離れを高速度で撮影すれば、残心までに真っ直ぐ直しているだけのことが直ぐに分かるだろうと思います。

やはり、現代弓道特有の技術の流行廃れだけの話かと・・・。

18:前三さん
深翠さん
浦上栄先生の御著書(一部著書)で「弓道及び弓道史」という本がありますが、その中の六十箇条抜粋及び解釈の項のなか「第五十三ヶ条 弓に剣を当てる事」で押し手は前の上より後下へ斜に働くものであって的より四寸披くべきである。との記述があります。、
>つまり親指1本くらいの範囲。見ていてほとんど変わりがない。
のご理解と、差異があるように思うのですが、いかがお考えになられますか?

19:筈さん
皆さんのコメント興味を持って拝見させtいただきました。
手内の力の方向や作り方,働きについてだと思います。
ちょっと感じたことを,コメさせていただきます。
何々流だから,何々先生はこうやっていたという問題ではなく。射術の目的は何かといことだと思います。
日置流印西派にして一水軒印西が流祖になりますが,その射術を正確に伝えている人などいないと思います。歴史を見ると,その時代その時代で射術に求めていたものまた,中心となっているものが違っていました。通矢が流行していた頃はその射術ですし,居抜きを行った時はその射術です。敵前を行えばその射術になります。盛岡印西は騎射まで行い,流鏑馬まで伝えてます。岡山藩では通し矢は禁止していましたし,実子が不詳の場合には他流から養子をとって次がせたこともたびたびあります。ほとんどの流派がそうだと言えます。
射抜きのような強い矢,重い矢を発射するには,弓を強く回転させ弓の力にさらに,角見の力をプラスして,飛ばさなくてはいけないし,軽い矢で遠くに飛ばそうとするときは小指をゆるめて矢を浮かすようにしなければいけないし,手薬煉を塗って三日月手の内を作り弓返りを止めなければならない時もありました。また速射や,数を引く場合も異なってきます。
射術の目的によって手の内は異なり,使い分けなければいけないということです。
運動の技術とはその運動局面において与えられた運動課題を最も合理的に解決する方法を言います。当然目的が違えば技術は異なってきます。

純粋な射術論ではなく,組織とか権力とか信念や立場の主張になってしまうと残念ですね。

20:前三さん
筈さん
純粋な射術論のつもりだったのですが、、そう読めなかったとしたら申し訳ありませんでした。

岡山系の日置流印西派射術の中心は、歩射、槍脇で12間以上15間以内の距離で、貫・中を目的としたものですから、現代の的前競技と合致すると思います。

印西以来同じ技術か?といわれると私ではなんともいえませんが、少なくとも相当期間、小的前において実績のある技術体系と考えます。ですので今は、小的前における手の内の技術論をしているつもりでした。

その技術の体現者・伝達者のなかに浦上栄先生・稲垣先生がおられると思っておりますので、その残された射影・著述作についての理解と実技においても1/1000でもよいので近づきたいと妄想しています。

21:kurichaさん
>>前三様
親指付け根の力の方向は直進ではなく、円周を描いている

質礼いたします、ちょっと質問です。上記のようにあるのですが、となると、円周の中心はどの部分だとお考えでしょうか?

22:前三さん
kurichaさん
弓の左内角という考えではおかしいでしょうか?

23:kurichaさん
なるほど・・・私も、弓の軌道の中心は、「弓の外竹の左角」=「天紋筋」と考えます。 となると、手首が折れるのは違うのではないでしょうか?

24:マメ吉さん
みなさんのコメント拝見させていただきました。はじめましてマメ吉と申します。

私は深翠さんのおっしゃっている事に大方賛成しています。(手の内の原理だけですが)
私は以前、手首を後ろに折って手首から親指までを真っ直ぐに伸ばすような残身をしていました。またそれの方がよく角見が効くと思っていました。

しかしその後、ちゃんとした日置流印西派の先生に師事するようになった時、「それは押手を振っている」と指摘されました。
先生は押手は、深翠さんがおっしゃってたように、親指一本程度後ろに移動するだけで角見は効く、また移動する事は親指が真っ直ぐ的に向かって伸ばせた結果によるものだと、教えてくださいました。

私も浦上栄先生の著書を読ませていただきました。写真も拝見しました。たしかに手首は後ろに折れています。しかし、写真は、結構お年をめされた時のもので有るようにも感じます。年をとって今までできていた事ができなくなったと言う事もあると思います。私は浦上栄先生の若い時の射影を見た事はないので、こうとしか申せません…

長々と申し訳ありません。

25:深翠さん
筈さん>射術の目的によって手の内は異なり,使い分けなければいけないということです。
なるほどと思います。浦上栄先生は「弓道及び弓道史」で貫・中・久ではなく中・貫・久を目指すと宣言しています。これに対し稲垣先生は昔ながらの貫・中・久を目指したと聞いています。
目的が違えば射も変わりますね。

弓を引く人さん私は残身では弓手の肩から親指先までの中心線が一直線上になるように指導されています。それより後方に指先が流れれば「振った」となります。
技術的に言えば会では弓手の手先の力を抜いたまま、肩、肘を使って肩から押す。
手先で押せば振ってしまうから。

余談ですが栄先生の直弟子の方々に伺いましたが、みな残身では弓手の肩から親指先までの中心線が一直線上になるように指導を受けたと聞いています。でも中には「『今のは角見が効いたから』と言うけど、どう見ても栄先生の射を見れば振っているんだよね。僕らには振るなと指導しておいて真似すると怒られる。でもあれが天才と凡人との違いなんだろうな」

奥が深いです

26:前三さん
kurichaさん
僕は、弓の左内角(内竹)と考えますが、kurichaさんは、弓の外竹の左角とお考えなのですね。

マメ吉さん
深翠さんにもご回答いただけなかったので、再度教えてください。
浦上栄先生の御著書(一部著書)で「弓道及び弓道史」という本がありますが、その中の六十箇条抜粋及び解釈の項のなか「第五十三ヶ条 弓に剣を当てる事」で押し手は前の上より後下へ斜に働くものであって的より四寸披くべきである。との記述があります。、
>つまり親指1本くらいの範囲。見ていてほとんど変わりがない。
のご理解と、差異があるように思うのですが、いかがお考えになられますか?

お年を召されて云々の件は、射を高速写真で分解した時期でもあり考えにくいとおもいますし、自分のお考えと相違する写真を使用して著作物を発行されることは、ありえないのではないでしょうか?

深翠さん
>弓手の手先の力を抜いたまま
僕らは今、岡山系の日置流印西派の手の内のお話をしているんですよね?違っていたら申し訳ありません。
もし、岡山系の日置流印西派のお話をしているのであれば、この件に関してのなにか文章なり文献なりありますでしょうか?僕なりに資料は集めたつもりなのですが、読んだことがありません。教えてください。

27:筈さん
私のコメは,最後にしたいと思います。
やはり,皆さんは,最初に形ありき,人ありき,流派ありき,〜はこうあるべきだという順番だと思います。

正確なところ,吉田流は皆同じ一族です,射術的な違いなんてほとんどないと言えるでしょう。名人がいて,その人の弟子,人の繋がりだけだと言えると思います。
その時代の人がどのような形の射術を行っていたかです。
同じ伝書が伝えられても解釈がちがいます。
ごく近いところでも,岡山徳山家の解釈と浦上家との解釈は同じ目録六十箇条で微妙に異なっています。
最初に作られたものが正確に形も変えないで何百年も伝えられる。なんてことは不可能なことだと言えるでしょう。
その時代時代の人々が工夫して改良し時代の要請にあわせて新たなものを加えながら伝えられてきたと考えるのが自然だと思います。その過程で,無くなった物も沢山あったと思います。
しかも明治維新,藩校の崩壊,幕府講武所の廃止によって,武術はほとんどすてれてしまいました。

現在のように高速度フィルムもなし,科学的な研究手法の無かった時代,正確な技術の解明や理解,説明は不可能だったといえるでしょう。見た目の感覚や,経験,各自の体験でしか表現できませんでした。
浦上先生が初めて高速度フィルムを写されたのじゃないですか。

弓手の方向や角度については,会(伸び合い)時の矢の位置,肩関節の角度,それらのバランスによります。移動距離や角度変化は力のベクトルの大きさと方向によります。

余談ですが,浦上先生は首が短くいかり肩で,頬付けが高いにもかかわらず,会では比較的,矢が肩に近い位置に納まっていました。稲垣先生は首が長く,なで肩で高い位置で収まってました。この状態で離れを出すと,当然稲垣先生の肩関節の角度変化は大きく,残身での両腕の位置は見た目に下がり気味になるでしょう。

また,弓を回転させる中心についても,何処というより,理想は,弦が矢と的を結ぶ接線上を移動することでしょう。
とすると,離れの最初と最後では,軸が移動しなければなりません。最後まで弦が矢を押し強い矢を出そうとした場合,弦と筈が分離する時点では,弓の張り顔での,はの高さ分だけ後方に移動する必要があるでしょう。
その結果,表現的には,天文筋であったり弓の左角であったりという事になるかもしれません。
伝書の教えに4寸8寸の離れというのがあり,弓手4寸(12p)はこのことから考えると理屈に合っているといえるかもしれません。

28:前三さん
筈さん
やはり「最初に形ありき,人ありき,流派ありき,〜はこうあるべきだ」だったでしょうか。

離れでは、弓の右内角を押し開いて、矢の通り道をつくってあげないといけない。そのためには弓を捻らないといけないので、残心では手首が折れていて当然。浦上先生の残心の写真も実際そうなっているではないですか。

ということを、話しているつもりだったんですが、、、。

29:弓を引く人さん
和弓の基本特性上、弓の右角を押して矢が進行するための空隙を作らない限り、絶対に前矢となります。手首が折れるとか、振るとか、親指を的に突き伸ばすとかいう以前に、これが出来ないような力の働かせ方であれば全く無意味な事をしているだけです。

さて、親指を的に突き伸ばすことは概ね皆様の意見が一致している所だと思います。射手の前方から見て親指が的に真っ直ぐに伸びている事は多くの写真から明白ですが、頭上から見た場合の親指の真っ直ぐとはどのような状態を指すのでしょうか?親指が的に向いていることを指すと思いますが、それは詰まり前腕・尺骨と親指が一直線上にあると言うことですよね。それを実現するにはどうしたって手関節が少々折れないことには絶対に無理です(実際には折れてしまうですが)。手関節はモデル的には軸関節ですから、親指を幾何学的に見て的に向かすには、手関節の軸を中心にした回転運動が無い限り実現は不可能です(あくまでも親指を的に突き伸ばす結果として手首が折れてしまうことが大前提です)。

>僕らには振るなと指導しておいて真似すると怒られる。
>でもあれが天才と凡人との違いなんだろうな
→浦上栄先生の残心は角見が効いた結果手首が折れたのであって、振っているのではありません。形だけを真似したのであれば、怒られて当然です。こんなことで思考停止している様では問題がありますよ。しかも、年のせいにするのは不謹慎です。「角見」を力の働きから考えれば、ごく当たり前の残心をとっているだけのことです。

>技術的に言えば会では弓手の手先の力を抜いたまま、肩、肘を使って肩から押す。
>手先で押せば振ってしまうから。
→和弓を操作出来る唯一の場所が弓手です。その弓手の力を抜いたまま離れを出すと言うことはどーかと思います。適度の力が必要です。これこそ「応分の力」かなと思っています。
それと一つ言っておきますが、肩関節・肘関節・手関節は的方向には伸びませんよ。すべて回転運動しかできません。その回転運動を合わせて、矢を「矢筋」に送り出す力を生み出しています。

浦上栄先生の射ばかりで論じるのもどうかと思いますが、紅葉重ね・離れの時機・弓具の見方と扱い方」のP54をご覧下さい。正面からの写真でも、角見の余勢で手首がどのように働いたか見て取れます。

Kenさんのブログから浦上栄先生の動画を見ることが出来ます。喜寿のお祝い記念で作られた映画の最後の場面です。これを振っていると言うのであれば、いくら議論をしても無駄だと思います。不毛な議論・・・。
http://blogs.yahoo.co.jp/kuroken3147/44673936.html/
稲垣源四郎先生の角見も同じく公開されています。
http://blogs.yahoo.co.jp/kuroken3147/44621164.html/

30:紅一汐さん
離れに関し、誤解が多いようなので投稿します。
皆さん離れは一直線または円弧など1つの動きと考えておられる方が多いようですが、実際は弓手拳の動きはカギ型になり、2つの動きの合体です。
まず、弓手親指の的方向への動きと同時に、筈周辺の弦が戻り、追って弓の上下が戻り、矢を送ってたるんだ弦がピンと張る瞬間(弓が張顔に戻る瞬間)があります。(・・・この位置を仮に1の残身とします。)
張顔状態で親指を直線にしただけの位置です。この時点で手の内と弓のズレはゼロ。手の内の控え程度にもよりますが、弦は大体45度位回っている状態です。
このときの弦の位置を、会のときの矢の直線上に置けば、弓把の高さを15センチとすると拳の位置は11センチ位開いた位置となります。(4寸8寸の離れ)
その後、間髪を置かず(但し決して同時ではなく)、弓の下鉾が的方向に強烈に動きます。この強烈な力によって手の内の3指がこじ開けられ、前から見たら20度位弓の下鉾が的方向に出ます。弦が一番的側にある場所を最大にしてこの力は衰えるので、3指の力で下鉾が引っ張られ弦が返ります。握りを軸に弓の重量をモーメントにした回転運動になります。この一連の動きにより拳は垂直に下がり、手首は曲がった形になります。親指は押し続けているので結局、肩から一番遠い所=肩の高さで水平な位置で拳は静止します。(・・・この位置を仮に2の残身とします。)
以上の動きに照らせば、故人の伝える事の正しさが解ります。また、浦上先生や稲垣先生の射が理に適い、いかに凄かったかも解ります。さらには近年の人の離れを誤解した間違った指導も明らかになります。
射手は、2の残身の形を気にするより、1の残身までをいかに早く鋭く親指を突き込むか、下鉾の力に対していかに強く3指を締めるか、の精進が大切だと思います。

31:深翠さん
前三さん>「第五十三ヶ条 弓に剣を当てる事」で押し手は前の上より後下へ斜に働くものであって的より四寸披くべきである。」
これは弓手の拳の位置について説明したもので1寸が約3cmとして現在で言えば会で定めた位置より拳一つ半くらいの移動することを意味しています。

弓を引く人さん>親指が的に向いていることを指すと思いますが、それは詰まり前腕・尺骨と親指が一直線上にあると言うことですよね。それを実現するにはどうしたって手関節が少々折れないことには絶対に無理です。
はいその通りです。前腕・尺骨と親指が一直線上になる程度に手関節が折れるのはOKです。しかしそれ以上弓手が返ると振るということでNGです。

弓道上達Bookでは手首が返り指先が的の後方を指しています。これは駄目です。栄先生の写真を見て私の師にたずねたところ「なぜこのような写真を載せたのかわからないけど、これはよくない写真だよ」とのことでした。

森川勝先生は自著「射法と実践」には会では弓手の親指が弓拳の中心より45度の方向を指すようにとあります。これから言えば離れで移動する指の角度は的方向に45度までで、
マメ吉さんの先生の言う「親指一本程度後ろに移動するだけ…」とはこのことです。

弓を引く人さん>浦上栄先生の残心は角見が効いた結果手首が折れたのであって、振っているのではありません。形だけを真似したのであれば、怒られて当然です。
技を覚えるとは師の技を模倣をすることから始るものです。
見取り稽古、工夫稽古、数稽古。振るように見える師の真似をした結果「それは違う」と指導されたわけで思考が停止したわではありません。弟子には残身で弓手の親指が返るような射を指導してはいないと説明したかったまで。

32:前三さん
深翠さん
了解しました。

ほんとは、もっと沢山書いたのですが、ある方からの助言もありましたし、これでやめます。
私が理想とする動画や射影を否定されては、議論する意味がないかもしれません。

浦上先生のあの動画を見て、射影を見て、それを否定される方がおられるとは思ってもみませんでした、、、。(少なくとも浦上系の方で、、)

と書いて、これだと筈さんのいわれる「人ありき,流派ありき」になるかもしれないとおもいました。(どうも頭が固い)


親指を的に突き出す方向というのは、回転運動ですから、それを途中で矢が発射された後に止めなければならない。というのがよくわかりませんが。
それを止めなくて、手首が折れ、親指が的の後方を向いても、(深翠さんがおっしゃる「振っている」ではなく、)世間一般でいわれているであろう「振っている(矢が通過する前に弓手が移動する)」ではないということを了解いただければと思います。

僕の言う振ると深翠さんのいう振るの意味が違うと思うんですが、ああこれを詭弁といわれたんでしたね。

でも、こんなことは技術の話ですから、高速カメラなりコンピューターでお互いの是とする技術を解析できればいいですね。手首が折れるのを是とする論文は読んだことがありますが、それに反論する論文はまだ読んだことないです。

30にコメントされている紅一汐さんの内容にも非常に興味があります。論文がありましたら教えて頂ければと思います。
ああ、全然やめてなかった(^^;

33:前三さん
紅一汐さん
紅一汐さんのコメント内容ですと、矢が弦からはなれる時には、拳は移動しているんですか?
想像していたのとは違うなぁ??もう少し詳しく解説をお願いできないでしょうか。

34:紅一汐さん
30では「離れの動き」を書こうと思ったのですが、書くことが多すぎて要約版になってしまいました。
私は日置流印西派浦上稲垣系で学んでおります。近くに指導者がおられないため時折ビデオを撮ったりして研究しています。離れの瞬間をコマ送りで見ると数コマしか撮れませんが、毎回微妙に違ったポイントが撮れるので、総合すれば1つの連続状態を想定することができます。私は未熟なので参考にならないか、と思い、愛読の書籍と照らしてみると、離れの動き自体は一致しているようです。
 書籍とは、浦上栄先生「紅葉重ね・離れの時期・弓具の見方と扱い方」 文章や古伝
      浦上博子先生「型の完成にむかって」 栄先生の離れ高速分解写真
      稲垣先生「絵説弓道」、または「やさしく教える弓道教本」例の細かい高速図解
コマ送りで見て気付く事としては、
      弓や弦は箇所毎にバラバラに(但し一定の順序で)戻ること
      弓の下鉾の威力が凄いこと
      離れの方向と収まった残身の位置の違い
矢を送る瞬間、弓の下鉾が本当に異様に膨らんでいるところや、矢を送った直後、弓の上下が戻りピンと張顔に戻る直前、弦がフニャフニャと波打っているところなど、特におもしろいです。

さて、テーマの「手首折れ」の件ですが、
(仮称)1の残身においては、離れの親指押しと上押しにより手首と親指付根を結ぶ線が上腕と真っ直ぐになり、この段階では手首が折れているとは言えません。
(仮称)2の残身に至る過程で、親指が伸び続けようとする力と、下鉾を押さえつつ締めようとする3指の力との、それぞれの力の軸が弓の幅だけズレ(弓の回転の中心が左内角であるため)るため、手首が少し下がり、折れたような形で収まる。というのが私の考えです。
もちろん、離れで手首を振ることとは全く違う動きです。

日置流印西派においては、このような親指を強く突き込み3指を締めて上押しをかける弓手と、捻ったまま捻り切る勝手との連動により、速くて強い矢を送ることができるのだと思います。
同じ弓手で他流のように捻りをほどいて離したら、矢はとてつもなく後ろに飛ぶでしょう。
また、他流のような始めから上押しの手の内では、離れの弓手動作ができず、矢はとてつもなく前に飛ぶでしょう。
このように、弓射は相互関連性を持ち一貫性のあるものなので、部分部分を他流の人が論ずるのは無意味かつ危険なことと考えます。

35:紅一汐さん
前三さん
コメントが前後になり申し訳ありません。
矢が弦からはなれるとき、それは(当たり前ですが)あまりに一瞬のことです。親指は弓の右内角を左内角を中心に(回転ではない・・・私はドアを開くように、と思っています)強く押しているので、拳も開くのですが、矢はあまりにも一瞬で行ってしまいます。言い換えれば、(仮称)1の残身への過程のどこかで矢がはなれていくという感じです。
熟達し、弓手の動きが矢よりも速ければ、(仮称)1の残身の位置で弦が矢を押すこと(いわゆる「弓のわかれ」もっと押す「3寸のわかれ」)が可能なのだと思います。

36:深翠さん
前三さん写真を見れば私も迷いました。でも栄先生の直弟子の先生方は栄先生から弓手の親指は的方向を指すように指導を受けたようです。確かに角見とは回転運動です。しかし「残身の意味合いを考えれば必要以上に回転を加えない」という事ではないでしょうか?

以前にも書きましたが角見とは無理に回転を与えて作るもではありません。会では既に弓手の皮が弓に巻き付いているので無理に回転を与えなくても、それ相応に角見が働いています。ここから弓の外角を的に向かって単純に押して行けば、手の皮の巻き込みと弓力に比例して角見は強く作用します。無理に弓を捻る(回転させる)必要はないのです。

離れでは親指が会の位置から45度の角度で的方向に移動して止まります。これは会で弓拳の中心から45度の方向を指していた親指が的に向かって伸びた結果であり、的に向かって単純に押し(伸び)続ける限り親指は的方向を指して止まります。無理に回転を止めているわではないのです。

もし角見を出すため弓に回転運動を与えるように押せば手首は後方に振れ、合わせて親指も後方を指すように返るでしょう。この時の残身での親指は的ではなく手の甲側に伸び(回転)ます。これが「振る」ということです。

残身とは離れた後でもなお的に向かって(天地四方に向かって)押し(伸び)続けるもの。弓手の手先だけが例外として的から外れ後方に伸びるわけでありません。

矢の発射位置はどちらも親指が的を指す以前に発射されるでしょう。ただ浦上栄先生がそれ以前は五味七道だった弓術に新たに残身を付け加え射法八節とした弓道の残身の意味から言えば、どちらの射がよりかなっているかは分かると思います。

37:前三さん
深翠さん
>確かに角見とは回転運動です

>的に向かって単純に押し(伸び)続ける限り親指は的方向を指して止まります

は、僕には矛盾しているように読めてしまいます。

回転運動をしている親指が的を向いて止まったから、振っていない、それ以上に回転したから、振っているというのも言葉としておかしく思えてしまいます。申し訳ありません。
が、深翠さんのようなお考えの方がいらっしゃることは理解しました。

ただ
>矢の発射位置はどちらも親指が的を指す以前に発射されるでしょう

と仰っておられるように(僕は親指が的を向いたときに弦と筈が離れるのが理想とおもっていますが)弦と筈が離れた後の動きで矢の方向性に影響を与えることはないと思いますので、残心で親指が的の後方を指そうとも、4でコメントされたように、「振ったがゆえに9時方向にはずれる」わけではないということも判っていただけたらなと思います。

僕は、浦上先生が、ご自分のお考えと異なった射影を著書に掲載される方ではないと思いますし、弓を捻るように指導されてきて、拙い射のなかでも、たまにきちんと捻れたと実感出来る時は、忠に中り、矢のささりもよいようです。そして弓を捻って角見を効かせた場合は、残心で手首がおれるのは必然と考えますので、僕はこの方法で弓を引いていきたいと思います。
 射術論とかほとんどする機会がありませんでしたので、考え方は違ったようですが、これはこれで実は楽しかったりしました。ブログでは拙い動画なんぞも公開していたりしますので、またお話しする機会があればなとも思います。ありがとうございました。

38:弓を引く人さん
>深翠さん

>的に向かって単純に押し(伸び)続ける限り親指は的方向を指して止まります。無理に回転を止めているわではないのです。
→何度も書いていますが、角見は弓の右角を押して矢を真っ直ぐ飛行させるための空隙を作る動作です。親指の付け根を真っ直ぐ的へ押し出して行いますが、手関節は的方向へは伸びませんので、手関節を軸にした回転運動が副次的に必ず発生し、矢を送り出した後に余勢で手首が折れてしまいます。手首の折れが気になる人は、弦と矢が分離して手首が折れた後に修正を加え、残心では親指が的に向いた状態を作っています。動画をコマ送りで確認すれば一目瞭然です。

また、親指一本分とか、45度とか言う話が出ていますが、これこそ手先に拘り型に囚われた「手先離れ」と思います。親指の付け根を瞬発的に的方向(瞬間的なベクトルの向き)へ最大限に押し出しきれば、胸・肩・体が大きく開いて親指が後ろに開くとは考えられませんか?

>栄先生の写真を見て私の師にたずねたところ「なぜこのような写真を載せたのかわからないけど、これはよくない写真だよ」とのことでした。
→どうして「師」に尋ねたのですか?弓と角見の力学的な相互作用を科学的に分解して、自分で考えることが出来ないのですか?師の言うことは咀嚼もせずに取り入れているのですか?手首が折れない事で矢飛びにどのような影響があるのですか?疑問にも思わないのですか?

>技を覚えるとは師の技を模倣をすることから始るものです。
→ただ、師の射はあくまでも師の射であって、見た目を模倣してもその師の射を真似ているに過ぎません。一見バラバラに見える森川範士や浦上栄範士や稲垣範士の射において、根底に流れている日置流の核を見いだせば、全ての疑問は解けるだろうと思います。森川範士の書物も持っていますが、所々首をかしげながらもそれなりに納得出来ます。
師や尊敬してしている人の射が、唯一の日置流印西派の弓ではないということを十分に理解すべきだと思います。

39:前三さん
紅一汐さん
ありがとうございました。
僕も動画をよく撮っています。まぁ、見るたんびにへこむんですが、、。

ちょっとだけイメージが湧いて来ました。出来れば、きちっと角見が効いている人の離れ時の手の内を上下左右から超高速カメラの分解写真でみたいですね。

40:紅一汐さん
前三さん
 こちらこそありがとうございます。いつも他流の方達のなかで弓を引いていますと、日置流印西派の方と射術の話ができるだけで楽しいです。

 浦上先生の本にあった古伝に、角見の働きについて「弦道あけんがためなり」とあります。よく味わうと共に、さらに研究したいと思います。


弓を引く人さん
 >矢を送り出した後に余勢で手首が折れてしまいます。
 これは日置流印西派においてはありえないと思います。なぜなら、詰合・伸合時に勝手の捻りに対抗して弓手は弓を伏せる力を使っていて、そのまま離れれば、(やってみるとお解りになると思うのですが)ある場所(親指付根まで真っ直ぐになった場所)で必ず止まり、それ以上手首が返ることはありません。
(伏せる力を使わない他流においては、ありえると思います。)
手首が返った形になるのは、あくまでその後の弓返りに伴うものと考えます。
 >その弓返りのエネルギーと角見の余勢で手首が外側に振れてしまいます。あくまでも振れてしまうものです。
この記述が正しいと私は思います。
>親指一本分とか、45度とか言う話が出ていますが、これこそ手先に拘り型に囚われた「手先離れ」と思います。
まったく同感です。
>親指の付け根を瞬発的に的方向(瞬間的なベクトルの向き)へ最大限に押し出しきれば、胸・肩・体が大きく開いて
同感です。弓手拳が4寸開くのは体の割り込みを伴った体全体の開きだと思います。

41:深翠さん
弓を引く人さん
何度もいいますが弓を回転する方向に弓の右角を押すのと、的方向に弓の右角を押すのとは違います。的方向に弓の右角を押して手首が折れるのは会から親指が的方向に移動する分だけです。マメ吉さんの「親指一本程度後ろに移動するだけで角見は効く、また移動する事は親指が真っ直ぐ的に向かって伸ばせた結果によるもの」に矛盾しません。

>手首の折れが気になる人は…
確かにそのような方もいます。そのよな方はコマ送りをせずとも一目瞭然です。手首の折れを気にせずとも正しい手の内で的方向に弓の右角を正しく押せば自ずとその位置で止まります。修正など皆無です。

>親指一本分とか、45度とか言う話が出ていますが、これこそ手先に拘り型に囚われた「手先離れ」と思います。
森川範士の自著「射法と実践」をお読みになりましたか?なければ一度ご覧下さい45度とは森川範士が説いておられるものです。

>胸・肩・体が大きく開いて親指が後ろに開くとは考えられませんか?
これこそ弓に必要以上に捻りを加えた結果だと思います。離れで弓手の甲側に手が折れるから反動で拳1つしか動いてはいけない腕も甲側に大きく流れ結果、胸・体が鳩のように開いてしまうんです。
的方向に弓の右角を押す射なら、的方向に弓を押し続けることでブレーキとなり弓手も拳1つ分で移動が止まります。胸・肩・体が大きく開いて親指が後ろに開くことはありません。

>どうして「師」に尋ねたのですか?
自ら誤った解釈をするよりも免許皆伝された直弟子の先生に正しい答えを聞くのがよいと思います。

前三さん
>僕は親指が的を向いたときに弦と筈が離れるのが理想とおもっています
弦と筈が離れた後、親指が的の後ろを指すのは必要のない回転だと思いませんか?

>「振ったがゆえに9時方向にはずれる」わけではない
タイミングを合わせて中てているから9時方向にずれていないように思うのです。

確かめるには会での的付けの位置を第三者に見てもらえば分かります。
もし振ったがゆえに9時方向にずれる射なら予め的の3時方向に狙いをつけているはずです。
回転を付けず的方向に弓の右角を押す射なら的の中心に狙いをつけなければ中りません。

42:前三さん
深翠さん
深翠さんは、親指が的を向く前に弦と矢が分離するとお考えなのですよね。ならば、
>>僕は親指が的を向いたときに弦と筈が離れるのが理想とおもっています
>弦と筈が離れた後、親指が的の後ろを指すのは必要のない回転だと思いませんか?

と仰るのは矛盾があると思われませんか?
深翠さんの理論ですと、弦と矢が分離した時点で親指が止まらないといけないので、親指が的を向く前に停止するのではないのですか?

43:前三さん
紅一汐さん
横から失礼します。
>弓を伏せる力を使っていて、そのまま離れれば、
の、「そのまま離れれば」がよくわかりません。
弓返りのエネルギーと仰いますが、手首が返るほうが、弓返りより早いと思うのですが、、すくなくとも僕の場合はそうです。(弓返りが遅いからか??)ここで、動画のURLをさらすのは怖いので(^^;よろしければメールを下さい。

44:前三さん
連投申し訳ありません。
深翠さん
浦上先生の射影についてなのですが、浦上先生ほどの方が、たとえ百万歩譲って失敗した写真を掲載されたとしても、残心に於いて成功と失敗と比較して手首が折れるまたは真直ぐとぱっと見た目で判別できるほどの違いが出るようには思えません。やはり通常の残身の形がああいうものであったと考えるほうが自然ではないでしょうか?

深翠さんは、「親指は的を向いてないといけない」という強い信念をお持ちで、色々な事象をそれに当て嵌まるように思考されているように思えます。

別のスレッドで浦上先生が「うら押し」というものを使っておられたというコメントをされていましたが、そのお考えも、今回の手首の件に関連しているのでしょうか?

45:ソバ矢さん
 私は正面の日弓連射法で引いておりますが、浦上先生の射術にあこがれを抱いている者でもあります。
 さて角見で弓の右角を押す方向ですが、稲垣先生は、的方向に押していくと講演を文字に起こした冊子(「離れの時機」というような題名だったと思います)に書かれていたように思われます。
 また弦と筈が分離する時機と押手手の内が変化していくタイミングに関しましては、浦上先生が喜寿のお祝いに撮られた映像の最後の方に手の内をアップにした映像がありますが、弦と筈が分離した後に変化していっているように見えます。またこのことは、森先生や入江先生の「弓道指導の理論と実際」という本に弦が会→残心で通る道をプロットした図が入っておりますが、それでも理解できるのではないかと思われます。
 そして手首の折れに関しては、離れで弓を伏せる方向に働かせているので、残心で手の内も伏せ気味になり、上から見るとかなり折れているように見えるだけではないでしょうか?浦上先生の射影を写真ではなく、映像で見ますと親指は真っ直ぐと的方向に向いているように思われます。

46:前三さん
ソバ矢さん
>角見で弓の右角を押す方向ですが、稲垣先生は、的方向に押していくと講演を文字に起こした冊子(「離れの時機」というような題名だったと思います)に書かれていたように思われます。

的の方に押していくということは、伸合時は、的のやや前方を向いている親指先を的方向に向けるようにということですよね。その親指先の軌跡は、円を描いていませんか?親指を的のほうに突っ込みというのは、インパクトの瞬間だと思います。そこで、いままで円を描いていた力が方向を変え指先が的のほうへ向かうというのは、不自然と思います。インパクトの後はそれまでの力の流れに沿って円を描き後方へと向かうのではないかと考えます。もちろんその指を動かす基点は手首ですので、折れていくのは必然と思うのですが、、。

おっしゃっている動画は、先に紹介されたKenさんのブログにある動画の直前の場面ですね。
それについては、今は見ることが出来ないので後で見てみます。

47:深翠さん
前三さんもうしわけない。親指が的を向く前に弦と矢が分離するかは正直分かりません。親指が的を向いたときに弦と筈が離れるとすればその後、親指が的の後ろを指すのは必要のない回転では?と言いたかったのです。親指が的を向く前に弦と矢が分離するかはどうなんでしょう?ん〜そこまで考えて引いた事がないので今度を試してみます。

>親指が的を向く前に停止するのではないのですか?
仮に親指が的を向く前に弦と矢が分離したとします。そこで回転を止めるわけではないのです。親指は的に向かって伸び続けるので親指が的に向くまでは回転します。

弓の外角を的に向かって押し続ける射は、離れで弓の外角が的に向けてバタンと倒れて止まるような感覚がします。また離れた後でも押し続けることによって弓手の移動にブレーキがかかり弓手の移動も拳一つで納まります。

これに対し弓に回転を与える射は親指をはねるようにすっと甲側に振るので、反動で弓手拳が力の方向である後方に向かい止め処なく流れて行きます。これは弓道上達BOOKの上空からの写真を見れば一目瞭然です。会での弓手拳の位置が残身では身体の横線を越えて背中側に大きく移動しています。(拳1つ分ではないでしょう?)その結果、腕・胸・肩・体が鳥が羽ばたくように開いています。

これは前三さんがあげていた浦上栄先生の著書「弓道及び弓道史」の「押し手は前の上より後下へ斜に働くものであって的より四寸披くべきである。」にある弓手の移動は離れでは拳1つ分の教義に矛盾します。

48:紅一汐さん
前三さん
>弓を伏せる力を使っていて、そのまま離れれば
 詰合・伸合で、弓手は弓を伏せる力、勝手は捻り張る力を使い、弓は真っ直ぐ立っていますよね。そのまま弓手親指の押しと上押しを加えて離れると、離れの動作にも伏せる力はそのまま加わっている、という意味です。

「手首の折れ」について
 A.詰合の手の内のまま、親指の付根を伸ばし、手の内上面を平らに伸ばしてみます。その状態で手首を左に曲げようとしても曲がらないと思います。これは「手首を折った形」ではないと思います。
 B.一方、上記の状態から、拳をそのままにして、手首だけを2〜3センチ下げてみます。この状態からは手首は左に曲がります。これは「手首を折った形」です。
 Aの形が前に書いた(仮称)1の残身・・・言い換えれば「真の残身」で、これが弓の下鉾の力と3指の動作及び弓返りの作用でBの形・・・(仮称)2の残身(・・「見かけの残身」とでも申しましょうか)で収まるメカニズムがあるのだと思います。

ゴム弓を引いて離れた残身は、皆さんどうなっていますか。実際の残身より高い場所で止まり、上記Aの形になるように思うのですが・・・。
あるいは、弓返りを止めた場合の残身。下鉾の作用でゴム弓の場合より位置は下がりますが手首は折れていないと思います。
・・・余談ですが、昔は弓返りを場合により自在に止めることができていたと聞きます。弓返りを止めた場合を前提に古伝を読めば矛盾無く納得できるように思います。・・・推論です。

49:前三さん
深翠さん
親指が的方向を向くまでは、回転運動と思っておられるんですよね。ならば、46でコメントしたように、途中で力の方向が変化するのは不自然ではないですか?
深翠さんは、角見の働きとは、弓にどのような働きかけをするものだと思っておられますか?もしかすると、その辺りにお互いの認識のずれがあるかもしれませんね。

弓道上達BOOKの残身の大きさについては、あの本は、初心者・初級者向けの本ですから、大きく離れることを強調してあるのだと思います。どの本かは、今は手元に資料がないので明示できませんが、4寸以上動かなければならないと書いてあった物があったと思います。実際、初級の内はあれくらいの残身が良いと思います。
体の割り込みを理解・実感してもらうには、あれくらいでちょうどいいんじゃないでしょうか?このあたりは、指導者によって多少違いが出てくると思います。

紅一汐さん
詰合では、弓は的方向・前方にそれぞれ、傾いているのではないでしょうか?離れの瞬間に伏せるのではないと思います。
A・Bについては、すいません。まだ具体的イメージが湧きません。僕は弓返りを止めた時も、手首がおれてますけども、、、。

50:紅一汐さん
前三さん
 詰合での弓の角度は、弓手の伏せる力と勝手の捻る力(全部ではないが弓を照らす働きを含む)でつり合っていると考えます。弓手は、実際の弓の角度以上に伏せる力を使っている・・・そのまま離れで解放されると伏せる力が弓に作用する、という意味でした。
 
 手の内の上面(親指と人差し指の平面)を平らにしたまま手首を折ると、骨折すると思うのですが・・・。

51:深翠さん
>インパクトの後はそれまでの力の流れに沿って円を描き後方へと向かうのではないかと考えます。
どうして力の流れ(弓の回転)に沿う必要があるのですか?力の方向は常に的に向けてであり、力の方向を弓の回転に合わせれば離れのタイミングによっては矢は的の後ろへ流れます。

前にも書きましたが、会では手の皮を弓に絡めている事により既に相応の角見が働いています。それを強くするのは弓を引く力です。押せば押すほどに手の皮は弓に巻き込み角見の働きは大きくなります。必要以上に回転を与えずともよいわけです。必要な力とは矢が離れるまでの力。前三さんのいう親指が的に向かった瞬間です。

正確には角見とは弓の回転する力ではありません。角見の働きが弓の回転する力です。
角見とはこの弓の回転する力を利用したものです。

一つの例をします。リールの付いた釣竿で仕掛けをより遠くに飛ばすにはどうするか?振り被った釣竿を海面まで振り抜きますか?これでは錘が遠心力に負けて近くの海面に落ちるます。遠くに飛ばすには振った釣竿を45度の方向で止める。この時、錘に遠心力が加わり遠くへ飛ばすことが出来るのです。

角見もこれと同じ原理です。的方向に押し切る事で親指が的方向を指すと同時に弓の回転が止まり、同時に角見の莫大なエネルギーが矢に加わるのです。

>もちろんその指を動かす基点は手首ですので、折れていくのは必然と思うのですが
それこそ手先で押している証拠です。
浦上弘子先生は「型の完成」の本の中で身体の中心から離れるほど力を抜かなければいけないと述べています。手首が折れる射は手先で弓を回転するように押さなければできません。しかし的方向に押す射は手先ではなく肩・腕・肱を使って弓手の拳を押すような感じです。その力は「指先で豆を潰すようなもの」(それくらい小さいもの)と何れかの範士が言ったと聞いています。

52:前三さん
上のコメントでも紹介された、KenさんのBLOGSで稲垣先生の角見の動画が公開されました。
http://blogs.yahoo.co.jp/kuroken3147/46658212.html#46658212

繰り返し、繰り返し見たいと思います。

53:紅一汐さん
前三さん
 稲垣先生の動画拝見しました。ありがとうございました。
 前に書いた「(仮称)1の残身」までが映っていますね。やや弓を伏せながら親指の付根を突き込み、3指を強く締めておられます。この時点で手首は返っていない事が解ります。
 この後、弓返りと共に拳が(拳1つ分位)下がり手首が返った形で収まります。(一般的な残身の写真)

54:弓を引く人さん
>深翠さん
再度言います。
>師の射はあくまでも師の射であって、見た目を模倣してもその師の射を真似ているに過ぎません。一見バラバラに見える森川範士や浦上栄範士や稲垣範士の射において、根底に流れている日置流の核を見いだせば、全ての疑問は解けるだろうと思います。森川範士の書物も持っていますが、所々首をかしげながらもそれなりに納得出来ます。師や尊敬してしている人の射が、唯一の日置流印西派の弓ではないということを十分に理解すべきだと思います。

>森川範士の自著「射法と実践」をお読みになりましたか?なければ一度ご覧下さい45度とは森川範士が説いておられるものです。
→どのような根拠があるのでしょうかね?弦と矢が分離した後の残心の形など、個人差があり千差万別でしょう?角見は弦が矢を押している間しか意味を為しません。その刹那時間に関しては、親指を的に突っ込む事で殆どの方が異論は無いと思います。それで良いじゃないですか。

筈さんの言。
>やはり,皆さんは,最初に形ありき,人ありき,流派ありき,〜はこうあるべきだという順番だと思います。
>純粋な射術論ではなく,組織とか権力とか信念や立場の主張になってしまうと残念ですね。
→私も同感です。残念に思っている所です。

(私的立場に立っての発言)正直な感想ですが、日置当流師家・徳山勝弥太範士が唯一免許皆伝を出した浦上栄範士の射を、「なぜこのような写真を載せたのかわからないけど、これはよくない写真だよ」と仰る人が居たことに驚愕です。浦上栄先生が戦前に撮影した写真で、良くない写真を載せる理由がありません。これも、思想・信条の自由ですが・・・。

55:紅一汐さん
深翠さん
>浦上弘子先生は「型の完成」の本の中で身体の中心から離れるほど力を抜かなければいけないと述べています。手首が折れる射は手先で弓を回転するように押さなければできません。しかし的方向に押す射は手先ではなく肩・腕・肱を使って弓手の拳を押すような感じです。その力は「指先で豆を潰すようなもの」(それくらい小さいもの)と何れかの範士が言ったと聞いています。

 浦上博子先生の記述は、引取かでら詰合にかけて弓力を応分の力でバランス良く受けて伸合のゆとりを作るための記述だと読めます。「離れ」「中貫久」の項では、押手の強さを強調しておられます。「伸合いから残身まで力が連続してより強く働いていれば、離れはかえって軽くなり・・・」また、下鉾を押さえる薬指・小指の働きにも言及しておられます。
 浦上栄先生の本には、離れの心境を「必死即生、幸生即死」と喩えられ、小指の締めについては斧を振り下ろすときの小指に喩えられています。
 離れにおける弓手の手先の強さが、「指先で豆を潰すようなもの」ならば、きっと生の豆なのでしょうね。
 稲垣先生の動画を見ても、角見を押し出す強さ・3指を締める強さ・そして速さの凄さが解ると思います。

56:前三 ryuzoudouさん
深翠さん
手首が返る・返らないの議論はもういいと思うのですが、気になることがあります。
>もの)と何れかの範士が言ったと聞いています。
その範士の先生は日置流印西派の方でしょうか?

立場・流派に拘っていると思っていただきたくないのですが、僕が日置流印西派と出会
って幸運だったなと思うことがあります。それは、足踏み〜残心までそれぞれが関連し
た技術体系が組まれていることです。そして、その技術の組み合わせ方は、実績上から
もおそらく正しく理にかなったものの一つであろうということです。
和弓は、基本的に素朴な器具を使用しますので、的中ということだけを考えれば、色々
な技術があると思います。パソコンのOSでいうとDOSみたいなものでしょうか?紙を印刷
するという命令文にも沢山の書き方があるようなものでしょう。弓においても同じこと
で現在の状況では、どういう引き方を選ぶかは、極端にいうと好みの問題と言えるかも
しれません。
前打起しをされる方々のことを大変だなと思うのは、現在、完結した技術体系が一つも
見当たらないことです。行射間のそれぞれの動作は、それぞれの前後の動作と関連があ
りひとつの動作についていえば、それぞれがそれなりに正しいかもしれないが、組み
合わせた場合には、正しくなくなるということはありえます。完結した技術体系はいく
つあってもいいと思うのですが、それがひとつもないために、その組み合わせについて
各人が試行錯誤している状態であると思います。ですから僕は、前打起しで的中の高い
方を畏敬と尊敬の目で見ています。
その完結された技術体系の中に、「と何れかの範士が言ったと聞いています」というものを持ち込むのは危険ではないでしょうか?守破離とはいいますが、せっかく正しい技術体系のひとつを稽古しているのですから、守破の間は、他の技術からの輸入は控えた方が
いいと思いますし、口に出すものでもないと思います。いや、もし「離」の段階まで進
まれておられるのなら大変失礼いたしました。
それと、拘っておられる浦上栄先生が、弟子の方に残心で親指が的を向くように指導さ
れたという件ですが、その方が当時どのような射をされていたかも関係すると思いま
す。角見の方向が分かっていない状態の方に対しては、まずは親指をまっすぐ的に突き出す残心を指導されるのではないでしょうか?まだ角見の働きを理解・実感されていない
方にここまでやるんだと、手首の返しまで指導するとそれこそ振ったと誤解されてし
まいそうですので、、、。これは、推測です。

57:深翠さん
前三さんすみませんその範士の名前は忘れました。聞いたのが5年前で教えてくれた方も現在は実家に戻られお会いすることができません。またそのころは私もそこまで関心がなかったものですから…。

>角見の方向が分かっていない状態の方に対しては、まずは親指をまっすぐ的に突き出す残心を指導されるのではないでしょうか?まだ角見の働きを理解・実感されていない方にここまでやるんだと、手首の返しまで指導するとそれこそ振ったと誤解されてしまいそうですので
親指を真っ直ぐ的に突き出すように押して離れた結果、余韻で手首が少し傾くのだと思います。それをわざと振って離して同じ残身の位置に持って行こうとしたのではないでしょうか?だとしたら浦上栄先生の写真や稲垣先生の講義の話も十分納得いきます。浦上栄先生の写真を「これはよくない写真だ」と言ったのも誤解を招くから良くないと言ったのでしょう。

私たちは何でも自身で見た物を信じます。写真を見ては結果がこうだからこうなるようにするんだ、書物を読んではその時の受け止め方で解釈も違ってくる。著者が意図した事を正しく理解せずに自分なりの答えを見つけてしまうものです。また一度答えを出せば自身が見たいと思う事しか見ようとしません。やはり正しく理解するにはその流派に弟子入りし、その流派の正当な先生の資格を持つ方に直接指導を受けられるのが一番だと思います。

58:弓道キャスターさん
http://www.youtube.com/watch?v=ioIpOSnHhF0

日置流印西派の学生の弓です。場所は明治神宮至誠館。この大会は、最初に映っている山下恵が40射35中で優勝していました。2人目の名前はわかりませんが、かなりのレベルの射手です。試合結果はコチラに出ています。

http://www16.ocn.ne.jp/~togaku/FRAME.htm

59:みっちょむさん
深翠さん。
良く「見取り稽古が大事だ。」と言われますが、本当にそうだと思います。
自分の思いこみなのかも知れませんが、はじめに模範射型があり、後付で理論があるのかと思います。であるから解説が師範によって変わるのだと思いますし、特に印西派は理論的な資料が多く、研究の対象になりやすいのではないでしょうか。

弓道キャスターさん
動画の紹介ありがとうございます。
優勝した方が三分の二で視線を矢に向けていたり、会の状態で手の内に視線向けているのが気になります。二人目の方の射型は綺麗ですね。撮影者の好みなのでしょうか・・・
他の動画も見させて頂いたのですが、「上級者」というタイトルの割には、跪坐の途中でカケを気にしていたり、弓構えで肘を張っていなかったり、残身をほとんど取らず勝手も下がっている人が多く見受けられました。学生弓道に接する機会がほとんどなかったのですが、競技として合理化されているのでしょうか。
少し疑問に思いました。

60:弓道キャスターさん
1人目は2年生ですので、日置流印西派をはじめて12〜13ヶ月といったところです。2人目は大落に配されているので、恐らく4年生ですね。キャリアの差もあるのでしょう。

>「上級者」というタイトルの割には

「学生上級者」です。弓歴が浅い人間が多いです。それにしても、残身など注意すれば簡単に出来るのに・・・本当に勿体無いです。特に昨日の至誠館百射会の男子選手では、そういう人が多かったです。競技として合理化されている面は、確かにあると思います。


10年以上前の映像ですが、こういうのも、みっちょむさんの御めがねにはかないませんか?直接の面識はありませんが、彼は今でも地方で弓を引かれているようです。

http://www.youtube.com/watch?v=SIOwKw9K5lQ

61:前三さん
弓道キャスターさんが投稿していただいたんですか。いい映像をありがとうございます。


射だけの好みで言うと、僕はこの方かなぁ

http://www.youtube.com/watch?v=kemN0bRoqls

62:明鏡止水 ◆IDFFcYqcさん
>深翠さま
はじめまして、横から失礼致します。

>一つの例をします。リールの付いた釣竿で……振った釣竿を45度の方向で止める。この時、錘に遠心力が加わり遠くへ飛ばすことが出来るのです。
<51>にお書きの内容なのですが、非常に面白く興味深い喩え話ですが、このお話は栄先生(若しくは日置流印西派の先生)を起源とする‘口伝’を伝承なさった物なのでしょうか?


>栄先生の写真を見て私の師にたずねたところ「なぜこのような写真を載せたのかわからないけど、これはよくない写真だよ」とのことでした。

>>どうして「師」に尋ねたのですか?
>自ら誤った解釈をするよりも免許皆伝された直弟子の先生に正しい答えを聞くのがよいと思います。
此処で仰る深翠さまがお尋ねになられた「免許皆伝の直弟子」の先生(=師)とはどなたと考えれば宜しいのでしょうか?

稲垣先生でしょうか?


流れに乗り遅れた質問となりますが、宜しくお願い致します。

63:弓道キャスターさん
前三さんさん好みの射の方、豪快な弓ですね。法政大学でコーチ補佐をされてるようですので、今も弓は続けているのでしょう。教え子(?)の村上君は、おとといの至誠館百射会で準優勝(97中)でした。鋳型にガチッとはめ込んで押し出すような弓といった感じでしょうか。

http://www.youtube.com/watch?v=hQUH3_W1jpQ

64:いっとーさん
札弓連の春季大会で、矢渡しの際に某高校の主将が印西派で行っていました。

65:前三さん
スレ主様の趣旨とは、少々外れていきますが・・・
表題が、日置流印西派ということで、ご容赦を。
弓道キャスターさん
あの方は、今も弓をお引きなんですね。10年が経過して、どんな弓になっているか興味がありますね。

投稿、どんどん増えてますね/(~~)/
筑波発見!!もっと法政・筑波・早稲田みたいかな。
後は、岡山大(三分の二をとらない元々の岡山系印西派)静岡大(遠州系印西派らしい)京都大学(摂津系印西派らしい)あるかな、探さなきゃ。
マニアックすぎますかw?

66:深翠さん
明鏡止水さんはじめまして
釣竿の話は私が入門する以前に印西派の先生(私の師匠ではない)から教わった話です。その時その先生は何某先生から教わった話だとは言ってましたけど、栄先生だったかな?すみませんよく覚えていません。

免許皆伝とは「目録」・「無言歌」・「神道の巻」の3巻の許を受けて初めて免許皆伝と聞いています。浦上栄先生から「目録」・「無言歌」・「神道の巻」の3巻を許されたのは稲垣先生お1人りだけでなく他にもいます。私の師はその中のお1人りです。

67:前三さん
すいません。65の訂正です。
静岡大学ではなく、静岡県立大学らしいです。
静岡大学の関係者の方、申し訳ありませんでした。

68:前三さん
深翠さん
>リールの付いた釣竿で
釣竿は、釣り糸がついてますよね。その理論だと、ピッチングもフォロースルーをとらないほうがよくなりません???
リールの付いた釣竿とピッチングだとまた違ってくるんですか???

69:深翠さん
前三さん
釣竿の話は請け負いです。聞いた時分は私も印西派に入門どころか弓道習いたてで話しを聞いて「そういうものか」としか思ってもいませんでした。
ピッチングやフォロースルーと言われてもねぇ〜。

70:みっちょむさん
弓道キャスターさん。
動画の紹介、ありがとうございます。
レスが遅れてすみません。
なかなかいい目をしている方ですね。鋭さというか、迫力を感じます。
自分的には↓の方の射が綺麗で射品があるように見えて好みですね。
http://www.youtube.com/watch?v=W7f55zzRgwM&mode=related&search=

前三さん
ちょっと横やり的ですが、気になったので書き込ませて頂きます。
力の壁を作り逆のねじりを与えてエネルギーを放出すれば、効率が上がと言われています。ねじり運動の法則はいろんな運動に取り入れられています。特にイチローの振り子打法は、その最たる例です。
ピッチャーの場合、腕はあくまでもしならせる竿の先ですから、投法の中で運動を止めるのは腰です。腰の回転エネルギーを腕に効率よく伝えるために、踏み出した足の膝を体軸の内側に入れて腰の回転を止めます。こうして貯められた大きなエネルギーを、一気にボールに伝えるための体と腕のしなりです。フォロースルーのために腕を振るわけではありません。
フォロースルーは、余分なエネルギーで体を壊さないように必須なのです。竿はしなることで、壊れないように出来ています。元々、人間の体は野球のボールを早く遠くへ投げられるように作られていませんから。

話題はかなりそれましたが、振られるのは余分なエネルギーを逃がすためと考えたら如何でしょう?

71:前三さん
深翠さん
なるほど、よく分かりました。
深翠さんは、
>釣竿の話は請け負いです。聞いた時分は私も印西派に入門どころか弓道習いたてで話しを聞いて「そういうものか」としか思ってもいませんでした。
ピッチングやフォロースルーと言われてもねぇ〜。

というものを、一つの例として出されたんですね・・・。

72:前三さん
みっちょむさん
そういうもんなのですか。ありがとうございます。僕は、釣竿には糸がついているので、先を振りぬくと糸に悪影響が出るためだと思ってました。

いや、今質問したことを後悔してるものですから、、。すいません。

73:みっちょむさん
前三さん。
いえいえ、こちらこそ出しゃばってすみません。
先日、大先輩の射を見せて頂いただき指導もして頂きました。これがまたものすごかったです。
もちろん印西派の方ではないのですが(また話がずれてしまいます)、角見をほんの少し(大三から会まで手の内が動かず親指を押し出す動きなど全くありません)離れの瞬間、弓が止まって見えました。弓返りをしたのか解らないくらい腕も手の内も動きませんし、末弭が小さくくるっと回って弓がずれないのです。
まるで、弓をそのまま会の状態に持って行ったかのような錯覚に陥ります。(弦は返っていますが・・)
自分がゆるめて弓を回す癖が付いているのを気にかけて頂き、十数分でしたがワンツーマンで指導して頂きました。
角見は、弦が返るときために必要最低限で良いし、会で親指は的を指さなくていい、残身でしっかり的を向けばよいのだと教わりました。

74:前三さん
みっちょむさん
すばらしい先輩をお持ちでよかったですね。
他の射法のことは、よくわかりませんが、きっと凄いものなのでしょうね。

僕は、残心で手首が折れ、親指が的の後を向いていても、普通の用法で言う「振っている」わけではないし、矢の方向に影響はないと思います。弓を捻る射法の場合は、残心で手首が折れるの「も」(ここは少し妥協しますw)自然な形と思います。

ということを、述べているだけです。

でも、45度云々はリリースポイントのことで、その後の竿の動きは錘の飛行には糸がついていなければ、関係ないと思うのはしつこいですか。

75:弓道キャスターさん
前三さん、岡山大の映像もってますよ。ただ、手撮りなので見づらいですが。再チェックして視聴に耐えそうなら週末にでもアップします。

確か、持ち上げるようにしながら三分の二の位置に行くようなスタイルでした。打ち起こしと三分の二が合わさった感じの。

筑波・早稲田・法政はまだまだあるので、引き続き公開していくつもりです。

76:前三さん
弓道キャスターさん
楽しみにしています。学生の弓は好きですね。中てることに純粋でいいです。ただ残心はもう少しとった方がかっこいいのにねぇ。

1980年代前半ってのは、・・あります?あの時代ビデオって少なかったからなぁ。

77:紅一汐さん
みっちょむさん
 大先輩の方はきっと素晴らしい射をされておられるのでしょうね。
 私もいつも他流の方々の中で引いていますが、何人かの方は素晴らしい射だなと思いながら拝見しています。
 しかしですよ、その方の勝手の開き方は日置流印西派とは違うでしょう?
 弓手と勝手は連動し、相互作用をします。
 会の状態から勝手をほどいて(言い方が悪いかもしれませんが・・・)離す場合は弓手はたいして開く必要はないし、開きようがないように思います。
 伏せて捻って離す日置流印西派の場合には弓手は開かなければ離れないと思います。
 残身でユガケ(変換できない)の紋所が上を向く射と、横を向く射では、弓手の使い方は同じではないと思います。
 日置流印西派の射法に他流の考え方を持ち込むのは危険だと考えますがいかがでしょう。
 

78:前三さん
深翠さん。
森川先生の件ですが、遠州系の日置流印西派を稽古された方ではないのですか?弓道人名辞典で調べた結果はそうでした。

岡山系と遠州系は技術体系に大きく違いがあります。お話が噛み合わないと思ってました。

浦上先生の門弟でいらっしゃるとのことですが、その教えをうけながら遠州系の技術書をよりどころにして混乱されませんか?

79:深翠さん
前三さん
確かに森川先生は遠州系と書物に書いてあったのを見た覚えがあります。確か浦上同門会の顧問だったから途中で岡山系に変えたのかな?
遠州系は1度だけ見たことがあります。岡山系が弓構えからそのまま打ち起こすのに対し、同じ印西派でも遠州系は尾州竹林の影響を受けたのか少し引き分けながら打ち起こすんです。岡山系に比べ打ち起こした時の構えが違うと思いました。

森川先生の影響は、なるほどあるかも知れません。でも弓道キャスターさんが投稿していただいた学生の射と浦上栄先生の射を見比べると全然違います。
栄先生の離れは中指の爪の脇を親指の腹で削るように親指が突き出てきて、そのまま残身では的方向に肩から腕、親指にかけ一直線に伸びた状態で納まっています。しかし学生の射は弓の外角を押し、手首をひょいと返すように親指が1度山なりに宙に向き。残身では手の内側が的に向かった状態で納まっています。栄先生は手首が返るような様な事は一切していません。

公開されている栄先生の射は後ろから撮ったものですが、あのビデオの直前に脇正面から撮ったものがあります。それを見れば違いは一目瞭然です。公開されないかな〜。

80:みっちょむさん
紅一汐さん
日置流印西派のスレに不適当な書き込みをしてしまったのかも知れません。申し訳ありません。
印西派の射に、別の射法を持ち込もうと言うのではありません。誤解を招く表現をしてすみませんでした。

しかし、自分が過去に手首が折れる・振れる・弓手を開くことがいけないとは、一言も書かなかったはずなんですが・・・

81:紅一汐さん
みっちょむさん
 了解です。こちらこそ、でしゃばった指摘で申し訳ありません、
 一般論ですが、弓手を語るときに勝手の違いを無視して語られることが多いように常々思っておりましたので、過剰反応してしまいました。

 ところで、日置流印西派の中にも、残身でユガケの紋所が上を向かない射をされる方をお見かけすることがあるのですが、そのような流れがあるのでしょうか。ご存知の方いらっしゃいますか。

82:深翠さん
紅一汐さん
大離れは近年になってからです。日置流印西派は元々は小離れで、むしろ大離れは悪い癖の一つに数えられたほど。

ですから残身でユガケの紋所の上や下への規定は定かではありません。その時分の流行によります。

83:前三さん
紅一汐さん
射法や残心の形を考えるときに、注意点が二つあると思います。

ひとつは、状況です。
小的前なのか、遠的系なのか?
小的前なら、馬手の甲は上を向くでしょうし、数矢、尋矢、堂射なら馬手の甲は上を向きません。また、堂射を主体に稽古してきた流れなら的前でもその射法を使用し現在に来ているかもしれません。

もう一つは系統です。
先のコメントでも触れましたが、遠州系・そこから派生した摂津系の日置流印西派があります。
82の深翠さんのコメントは多分この系統の射法です。書物を読んだ限りでは、一寸・4寸・大離れなどの離れがあり、摂津系宗家の方の大離れの射影は掌が正面を向いています。ただし、この系統では大離れはあまり好まれないようです。

あ、もう一つありますね。技量未熟により、捻って離せない。あ、僕かw

84:大前さん
横からすみません。日置流印西派とはどのような射法なのでしょうか?

85:深翠さん
前三さん
私が日置流印西派と特定したから誤解されたようですね。印西派と言うよりおおよそ和弓はみな小離れが本来の姿です。

それは戦時において矢を番える動作を極力省いたためです。
戦時では矢を射た直後に次の矢を取って射ないと命に関わるので、大離れは矢を番えるのに時間のロスが掛かるから賞賛されなかったそうです。(大して変わらないと思うんだけど…)
それで大離れは悪癖の一つとなりました。小笠原の流鏑馬などにその面影が残っています。

86:前三さん
深翠さん
腰矢組弓は大離れですけどね・・・・・。

87:紅一汐さん
前三さん
 ありがとうございます。浅学でお恥ずかしいです。大雑把に敵前は印西・堂射は竹林と理解していたものですから・・・。
 
深翠さん
 稲垣先生は逆のことをおっしゃっていました。エビラ(変換できない・・)の矢を取って番えるためには大離れでないとロスがあるとのことでした。小離れだとわざわざ腕をひっくりかえして矢を取りにいかなければなららいわけで・・・。
 流鏑馬も同じ理由で大離れなのだと思っていました。また浅学かもしれません。
 KenさんのBLOGに稲垣先生(と思われる)腰矢単身の動画が紹介されていましたのでご参考までに・・・。
 これを見て思うのは、昔の人は、敵前(これが目的なのは当たり前ですが・・)、化粧前(いわゆる的前)、遠的、堂前、馬上の弓と、また、使う矢によって射の使い分けができたとの事。的前もまともに引けない私からしたら本当に凄いとしか言いようがないです。
 
 
 

88:深翠さん
腰矢組弓は見たことがあります。大離れでした。でもそれが昔からかと言えば疑問です。引いている方はみな現在の射法によっています。

流鏑馬は実際に知り合いにいるので大離れはないと断言しています。大離れも小離れに修正させられるほど。
騎乗では大離れからエビラに矢を取りに行くと動作が大きいため時間がかかり、その間に的が過ぎてしまう。小離れからそのままエビラに手を持って行くほうが動作がスムーズになり矢が早く取れるそうです。

89:うぃうぃさん
いい加減なのですけど、流鏑馬の大離れは、馬手をきることにより体が弓手方向へ流れないようにするため(落馬防止)と、聞いたような気もします。

90:深翠さん
もう一つ忘れていました。
騎乗で大離れからエビラに矢を取りに行くと矢羽根が邪魔になる。
これは揺れる騎乗で矢羽根を掴んでしまうと羽根がもげて失矢になる事があるからで。矢を確実に取るには矢の篦(シャフト)を掴まなければならず。その点小離れは手を返すといきなり矢の篦(シャフト)に手が届き確実に矢を取る事ができるので、この点からも大離れはしない。
それに敵前で両手を広げて馬を駆けると格好の的になるし、また弓だけでなく刀を抜く必要性もあるから小離れだそうです。

91:筈さん
「腰矢組弓」は,数矢と腰矢で,射の目的が違います。
従って,使う矢も,矢を置く場所も違ってきます。取懸けも,手の内も離れも,残身も異なってきます。
見た目にはあまり変わらないでしょうが。


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