何故早気はダメなのか。 (投稿18件)[1〜18]


1:弓らぶ さん
このスレでもよく話題にのぼる早気について私も伺いたいことが有ります。
どうやって早気を直すか というスレはたっても何故早気がダメなのかというスレはあまり(?)ない気がします。
ここで、みなさまが考える早気ではダメな理由をお教え下さい。特に早気だと中らなくなる(それならもし中たるならいいのかという話になりますよね)というもの以外について伺いたいです。
ちなみに私の意見は、会がないとかっこが悪いので早気はダメだと思っています。もっと深いしっかりとした意見を持ちたく書き込ませて頂きました。宜しくお願いします。

2:響さん
私のなかでの早気の定義は「会が2秒以下」としています。
早気の人は狙いを気にしないで感覚的に引いて離しているのがほとんどです。そういう人は練習でよく中っていても、大会ではそれほど的中しないものです。つまり早気の人は大会の雰囲気に飲まれてしまい崩れやすいのです、だから早気はよくないのです。

3:平気流さん
どうなんでしょう?自分の思うに射法八説が関係してくるのではないでしょうか つまり八説がキチンとできて「弓道」となる。ただ中てるだけのものは単の「的当て」であると思っています。あと会がないと安定しないという事もあると思います。やはりレベルの高い大会になるほど早気の人が上位いないのは事実です

4:ゆるみ離れ ◆rBQWtf4.さん
引分けから会に至り、両手両肩胸の五部の詰めを完成させ、なおかつそこからじりじりと伸合っていき、持満(終局的には自満)の末に矢を発する。そこに射の見所があり、また的中の要がある。早気はここに至るまでに矢を放してしまうため、当然弓と人との戦いも無ければ丹田の爆発から生まれる矢勢も無い。のみならず、的付けする余裕が無いから、安定した的中も無い。

「会がないとかっこが悪い」「大会ではそれほど的中しない」とのお考えを私自分の言葉でまとめたものです。

5:弓道部員Kさん
わたしもゆるみ離れさんと同じ意見です。会ではやはり詰め合い、伸び合いが非常に重要だと思います。ただ、教本第二巻にもありましたが、詰め合い、伸び合いが二秒ほどでできるのならそれでよい、みたいなことがかかれていました。秒数はあまり関係ないのではないかと考えます。

6:デビ ◆5h7.ceJYさん
意図的に会を持たない人もいますし、速射の競技もあるわけで、早気がだめと言う訳ではないでしょう。
「早気"しか"出来ない」のがだめなのでしょう。

「自分としては5秒程度の会が理想」としておいて実際は0秒で離すというのは、自己をコントロール出来ていないと判断される(判断する)ために否と見られるのではないでしょうか。弓道って自分との戦いですから。

7:ゆるみ離れ ◆rBQWtf4.さん
>早気がだめと言う訳ではない
教本を始めとする弓道の書物には概ね「早気は形及び詰合いが整わないうちに離れるので、勿論形と心とが正しく会する余裕がないから、射の主体性を欠くゆえに会がない(教本2巻P141)」という具合に、否定しているものが殆どです。もしくは、仰る所の「早気」は、会が短い、という事でしょうか?

>速射の競技
射流しなどは存じてますが、初めて伺いました。どのような協議内容なのか、お教え下さい。

8:デビ ◆5h7.ceJYさん
>否定しているものが殆どです。もしくは、仰る所の「早気」は、会が短い、という事でしょうか?

そうですね。「会が短い」として文章を書いています。

>速射の競技

三十三間堂の通し矢であったり、薩摩日置の腰矢などを想定していました。現代の"競技"では無いですね。失礼しました。

ここからは脱線および想像です。
空手など今でも実戦と型がありますが、弓道は型として緩やかな射があるのみです。弓道の元祖は戦であり、戦の飛び道具が鉄砲に変わった後は三十三間堂の通し矢な訳です。全てにおいて速射が基礎だったと考えます。本来それが弓道における実戦であったのでは無いでしょうか?
そして、型の練習として現在の緩やかな射が行われ、いつしか「実戦」が無くなっていった。。
実戦の際、チャンスの前に矢を放つことや、チャンスになっても矢が放てないのでは問題であるために、自在にコントロール出来るべきであるために「早気」を否とした。

そんな事考えながら書いてました。
(背景の無い文章ですのであしからず)

9:ゆるみ離れ ◆rBQWtf4.さん
>実戦と型
空手の事は存じませんが、剣道の場合、竹刀の打突部位が防具の有効部位に当たるだけでは一本と認められません。例えば相手の猛攻に耐え切れず、倒れながら苦し紛れにふるった一撃がたまたま面なり胴なりに当たったとしても、審判は旗を上げないでしょう。血なまぐさい言い方ですが、それでは「敵を切り伏せた」とは認められないからです。
また、相撲も単純に相手を土俵の外に出したり地に着かせるだけではダメで、自分が「死に体」でなく、あくまで攻めている事が必須であると聞き及んでおります。
そう考えると、現代の実戦型武道でも、意外と型を重視している面はあるような気が致します。

10:松さん
デビさんへ

管理人様の書き込みに便乗してご挨拶申し上げます。
最近書き込みを始めました松と申します。よろしくお願い致します。

最近某社会人弓道部に所属し、本格的に復帰を目指しています。そんなこんなで御サイトにたどり着き、感嘆している次第であります。

掲示板のやり取りは自分の考えをまとめるのに非常に役に立っております。ロールプレイング的問答は楽しいものです。微力ながら御サイトのお役に立てますよう尽力する所存です。

横やり失礼いたしました。

11:千野わかめさん
 お世話になっている範士の先生からお聞きした話しですが、
審査で、会が長いと審査員はどんな離れをするのだろうかと期待して見入ってしまう。
逆に会が短いと見るべき所が無いので損をしているそうです。

12:弓らぶ さん
みなさん参考になる様々な意見有難う御座います。
まだまだありましたら、宜しくお願いいたします。

13:松さん
私の場合、会こそ射の醍醐味と思っています。

会での力の使い方ひとつで、矢飛びが全く違うからです。矢飛びのいうのは単に矢勢ということだけではなく、矢の軌跡も違うのです。

ある会派では的前で的の高さにロープを張り、その下を通って中る矢こそ本当の中りだとしています。それは、矢が的前で浮き上がるような軌跡を描くことを意味しており、実際私もそのような射ができていた時期もあったのです。

いまはそれに慢心してしまい、早気になりガタガタになってしまいました。それだけに会を持てて、あんなことやこんなことができれば中るのに〜〜と悔しい思いをしています。

14:とーさん
はじめまして、とー と申します。
たまたま、イメージしている弓をキーワードに検索したところこちらを見つけました。

会の時間が短い「早気」と、会の時間が長いけれど離れが出ない「もたれ」がありますよね。
この2つは、見たところまったく違う現象ですが、実のところその状態はまったく一緒であり、表裏一体の現象だと私は考えています。

その理由はどちらも自発的に離れを生じさせないと離れないという1点にあります。

引き分けから会に至って、自ら誠を尽くした結果が「離れ」だと仮定した場合、自発的に離れを生じさせるという行為は、全く自分に対して向き合っていない(自分からリタイヤした)から、早気はダメとなるのではないでしょうか?

なので、会の時間が短いものがダメで、長いものが良いというわけではないと思います。
会は、長さではなく深さだと(抽象的だなあ...)。

弓道が立禅といわれる所以はこの辺りにあるのでと思います。

みなさん、どお思われますか?

15:あ?さん
自発的に離れを生じさせる?

早気は勝手に離れますが?
頑張っても条件反射的に出てしまう。自発的になんてコントロール出来ないですよ。

16:とーさん
あ?さん

私の周りの早気の人たちは、的前で目をつぶって(的が見えないようにして)引くと離せないようです。(普通に考えれば当たり前ですけど)

早気の人も、素引きの時は離しませんよね。

早気の場合、的にとらわれて、意識していなくても離しているのだと思います。が、離した時点で「離れ」ではなくなると思うんです。

八節でも「離し」ではなく「離れ」ですから。

この離すという行為を「自発的な離れ」って書いたつもりだったんですけど、うまく表現するって難しいですね。

17:笹岡 ◆mRq5DITcさん [url]
 自発的でない離れなんて、それこそ浅い会の結果ですよ。離れは魔法ではないのですから、いくら深い会を持っても離そうと思わない限り、もう少し言うと離すためのプロセスを踏まない限り離れません。
ここは考え方の違いでしょうから強く反論する気はありませんが、少なくとも

>的前で目をつぶって(的が見えないようにして)引くと離せないようです
 これは当て気よりも恐怖心からでしょう。早気の人でも、危ないとわかっているから素引きでは離さないのであって、当て気とはあまり関係ないと思います。素引きでも的前だと離してしまう人がいたら、少しびっくりですが。

18:弓道命さん
早気で素引きでも離してしまった人を知っているんですけど。。。


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