那須与一の手の内 (投稿20件)[1〜20]


1:GMIIさん
弓道人なら知らぬ者のない、かの有名な那須与一の手の内って、どんなものだったのでしょうね。

合戦時の絵では押し手にも完全に手を覆ってしまうような手袋をしていますし。小生にはさっぱり分かりません。今とても興味があります。

どなたかご存知の方、それに関するインターネットのサイトをご存知の方など、いらっしゃったらお教え下さい。

また、この話に興味がある方、いらっしゃたら、ご想像で構わないので、ご意見等お寄せ下さい。

宜しくお願い致します。

2:越後さん
昔の戦場では連射できるように手にクスネ等を塗って弓返りしないようにしていたらしいですよ。

後、騎乗して射ったのでもしかしたら小笠原流じゃないんですか?(時代がズレている気がしますけど(^^;))

3:GMIIさん
そういえば、小笠原流の騎射専用の弓手カケと馬手カケを見たことがあります。堅帽子のない簡略的なものでした。小笠原流の騎射の手の内に、那須与一の手の内のヒントがあるのでしょうかね?

4:GMIIさん
>昔の戦場では連射できるように手にクスネ等を塗って弓返りしないようにしていたらしいですよ。

そうなんですか。面白い話ですね。

小生の指導者だった先生が「次の矢を早く番えるために、弓返りを握って強制的に90°に止めるのが、戦場での射だ。」と云っていましたが、それと似ていますね。

5:越後さん
当時の武将は騎乗して弓を射る攻撃が主体だった(自分の古典の先生いわく…)
らしいですから、ただでさえ足場が安定しない+矢が自分飛んでくるのにGMUさんみたいに
720度も弓返りしたら大変ですよね(^^;)

ところで疑問に思ったのですが
昔の武士は皆30キロを普通に引いていた
と聞いたのですが
30キロもの弓力がある弓の弓返りを握って止めるなんて可能なんですか?

6:だめ学生(もう社会人) ◆zPJ1SiMQさん
合戦絵巻などで射手の手の内を観察すると、ほぼ全てが人差し指まで握ったべた押しになっていますのでそうしたものだったのでしょう。
後三年合戦絵詞の一場面、(http://commons.wikimedia.org/wiki/Image:Kyujutsu09.jpg
北野天神縁起絵巻で菅原道真が弓を引く場面
http://ja.wikipedia.org/wiki/画像:Kyujutsu06.jpg)
などがネット上で見られるわかりやすい例でかと。

また本多利実の著作に、栗原柳庵という故実家に古流弓術を習った話がありましたが、手の内は上記と同じように、わしづかみでべた押しと書いてあったと記憶しています。

小笠原流と言っても、現在の小笠原流は徳川吉宗の時代に復興されたもので、技術的には日置流を基礎としているので、用具はともかく技術はあまり参考にならないと思います。

7:チューハイさん
手薬煉(てぐすね)を引くの言葉がありますが、手にクスネをつけるのは滑り止め、つまり現在の筆粉の代わりであり、弓返りを止めるためのものではないと思います。

また、弓返りとは元々、練習での遊びでやっていたものなので、実戦ではしなかったと聞いています(弓返りに実戦上の効果が何かありますか?)。

「次の矢を早く引くため」との解釈がありますが、矢というのはそんなに連射するものでしょうか?自動小銃ではないのですから。当時の武士が箙に持っていた矢はそんなに連射できるほどの本数ではないように思います(すいません絵画等でみたイメージです)。

以上、感覚で申しました。

8:越後さん
確か矢数は24本が基本だったような

これだけ那須与一は有名ですけど、学問上では存在が証明できていないのですよね(泣)

9:越後さん
すいません

実在が証明できないです。

10:テル・ア・ライさん
確か織田信長さんが鉄砲を戦場で使う前までの戦国時代では、足軽さんが戦いの中心で弓矢が戦闘の主要な武器だったそうですから、矢の装備する本数はかなり増えたのではないですか…?

11:GMIIさん
>また、弓返りとは元々、練習での遊びでやっていたものなので、実戦ではしなかったと聞いています(弓返りに実戦上の効果が何かありますか?)。

確かに何の利益もありませんね。

>「次の矢を早く引くため」との解釈がありますが、矢というのはそんなに連射するものでしょうか?自動小銃ではないのですから。

しかし、「あの武将をやっつけるぞ。」と思い、矢で狙い撃ちした結果、「しまった。やり損ねた。早く次の矢を放たねば。」という場面はありそうで、自動小銃並ではなくても、2〜3発は早打ちする場面がありそうな気が致しますが。あくまで、想像です・・・。

12:GMIIさん
>GMUさんみたいに
720度も弓返りしたら大変ですよね(^^;)

あいた〜〜〜。
そんなこと云いましたっけ?
これ、小生の秘伝の裏芸なんですよね。
やると周りの人が喜ぶんですよ。
これで隠し芸ではなくなってしまったようです。

13:GMIIさん
だめ学生(もう社会人) ◆zPJ1SiMQさん

写真のご紹介など、ありがとうございます。
確かにわしづかみですね。どのようにして矢を直進させていたのでしょう?角見のような発想は当時はなかったのでしょうか?

しかし矢にはきちんと羽が付いていますね。

離れの時に、手首で弓を振り込んだり、矢が矢擦藤に派手にこすっていても標的の後ろを狙って、練習の矢数で的中率を上げていたのでしょうか?そんな感じで、それぞれ今現在よりずっと原始的に口伝によって技を身につけていったのでしょうか?分からないことだらけですね。

14:うさぎさん
連射っていうとこんな感じかなぁ?
http://jp.youtube.com/watch?v=bSxuQ5ahRJ4

15:無極さん
勝手にネット上等で詳しく述べる訳にはいきませんが、小笠原流では騎射・歩射共に弓返りをさせない事が多々あります。蟇目等の大事な儀式の時は特に意識して止めなくてはなりません。弓が返ってしまうと、失となるので大変です。

16:kurichaさん
この時代の弓って30〜40kgなんて弱弓ではないと思うんですよね。

それこそ、60〜70kgはあったんじゃないでしょうか?

とすると、かな〜り分厚い弓のはず・・・
マトモに手の内なんて作れたんでしょうか?

別に手の内ができて無くてもそれに合わせて狙いをかえれば一定の矢所は望めますので・・・

17:越後さん
この時代、弓術に求められたのは殺傷力ですから中った時のダメージ・矢勢・的中を求めると自然と60キロぐらいの弓になるんですね。(^-^)

弓が分厚いから手の内はベタ押しで鷲掴み
だと話が繋がりますね。
後、戦場では遠的以上の距離から敵の頭を狙うので矢が上に飛ぶベタ押しにしたのではないのですか?

18:GMIIさん
>14:うさぎさん

貴重な動画の紹介、ありがとうございます。私的に想像していた連射はそんな感じです。もうちょっと早く連射、ですかね。

19:GMIIさん
皆様、いろいろなご意見をお聞かせしていただいて感謝しております。

さて、論がいろいろ出たところで、それらを実際にやってみました。小生の行く道場へいつもの時間に行って、ご年配の方がおられると、わしづかみ手の内?射法などやろうもんなら、みっちりとご指導されてしまいそうなので(^^;)、誰も居そうもない平日の午前中に時間を作って、道場で一人であることを確認して、実射してみました。

まず、いつもの体配と手の内で弓返りを90度で止めるのをやってみました。ちなみに弓力は33キロです。

猛烈に痛かったです。弓返りへの慣性を素手の手の平でブレーキをかけることになりますが、この慣性が以外に大きいのか?手の平が擦れて猛烈に痛かったです。布一枚でいいので、手袋が必要だと思いました。

20:GMIIさん
続きですが、平日の道場一人での、隠れ実験の報告をいたします。

わしづかみ手の内?射法をやりました。いろいろやりまして、結論から申し上げますと、「肝心要は伸び合いだ!」です。

話をするととても長くなります。(でも長いです。)簡略に申し上げますと、手の内の云々を細かく考えず、わしづかみで離れをやっても的中します。わしづかみなので、当然弓返りはしません。90度にも達しません。弦は、矢をつがえた時の角度と同じ角度で止まってしまいます。しかし、的中するのです。当て矢ではありません。きちん普通の手の内の射の時と同じ狙いで当たるんです。異なるのは、矢勢が多少落ちるのと、弦音の冴えがなくなるだけです。

これは、33キロの弓と20キロの弓で試しました。

まず20キロの弓ですが、わしづかみ状態を離れの時に完全に維持することを意識して撃つと、ご想像の通り、矢が派手に矢擦り藤を擦って(面も擦りました。痛かったです。)前に大きくはずれました。しかし、その前の射では、多少無意識に弓を捻っていたみたいなのです。ごく自然に矢をつがえて的を狙うと、わしづかみでも多少捻る動きが入ってしまいますよね?それが効いたみたいで、わしづかみ状態を離れの時に完全に維持することを強く意識して撃たないと、的中してしまうのです。

この同様な効果は33キロになると、さらに顕著でした。面白いように的中します。どうやらこの時は、わしづかみながらでも、無意識のうちに弓の右側半分の部分を押していたようです。それで弓力が少しだけ自然に回転するモーメントを生じていたようです。これも、わしづかみ状態を離れの時に完全に維持することを強く意識して撃ったら、矢が派手に前に飛びました。

何だか面白くなって、どんどんやっていくうちに、ぐっと強く会から離れへ伸び合いをすることに集中した時にわしづかみでも的中することが分かってきました。そこで、「肝心要は伸び合いだ!」となったのです。

以上をまとめると、わしづかみでも、20キロの弓の場合ほんの少しでも捻りの力が入っているだけで的中し、33キロの弓では捻らずとも弓の右側半分の部分を押しているだけで的中することが分かりました。要はしっかりした伸び合いが肝心で、離れの時緩みが無い事。そんな感じの結論に、小生は至りました。

それと共に、小生を含め多くの方が肝心な技術として考えている「手の内」って、的中に必要な技術としては、一体何なんだろう・・・?と云う、巨大な疑問に達してしまいました。異なるのは、矢勢が多少落ちるのと、弦音の冴えがなくなるだけなんです。まるでパンドラの箱を開けてしまったような感じが致します。


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