基本とは違うのに… (投稿47件)[1〜47]


1:ヤパンさん
高校2年のヤパンです


自分の県の某高校では
弓道の基本に逆らった射をしている高校があるのです。
例えば、大三で弓をてらしたり、むりやり尻をだしたりなど…



しかし、その高校は県トップを争う程の強豪校です。
これはいったいどういう事なのでしょうか…
(-"-;)

2:黒紫さん
射の理想は別として、射の完成の過程とは人によって千差万別です。
その過程で射が崩れる人がいるのは仕方がない事でしょう。

弓道をやる者として助言出来るのは、「少なからずとも的中がない以上は基本が出来てるとは言えない」と言う事です。

基本の理念はともかく。彼等の長所を見つける事が出来れば、その「強い理由」も理解出来ると信じています。

3:ティラミスさん
ようは「押手の勢いを勝手が邪魔していないか」ですよね☆
弓を照らそうが、引いてる途中で胴造りを動かそうが、それは「そうすると真っ直ぐ引きにくい、安定しにくい」と言うだけで「(力の作用上)真っ直ぐ引けない、安定しない」と言うことではないですよね(-_☆)

おそらく、かなぁりの矢数をこなしているのではないかと…

4:もつなべさん
極論を言えば、どんな引き方をしても中る所(狙い)はあります。競技としての弓道の要点は「いかにして同じこと繰り返しできるか」なので、どんな射でも同じことが繰り返せるのならば正しいとされている弓道と離れていても的中を出すことは可能だと思います。

5:麩さん
>大三で弓をてらしたり、むりやり尻をだしたり

それ、本多の流れじゃね?
本多の源流に近い方は、肩を後ろに引くのでそんな感じ

6:天龍さん
その高校の指導をしている先生の思想が良く表れていると思います。
選手の極端な癖は、チーム全体に共通しているのではなく、各人それぞれに皆違うと思います。
と言うことは、選手個々の状況に応じた指導をしているのは間違いありません。
引き取りやすい大三、馬手の取れが軽く出やすい胴造り、部員個々の体格などにあわせて教えています。格好が良いか悪いかは関係ありません。
また、中りを憶えて来た選手は、多少癖があっても的中の障害にならない限りそのままにします。
その結果他校の人が見ると唖然とする射形の強豪チームが出現するわけです。
部員達は、先輩達の輝かしい成績を知っているので、外部の評価には動じません。
もちろん指導する先生は他校の陰口など全く気にしません。「悔しかったら中てろ」といったところでしょう。

7:遥頂さん
天龍様の最後の一言がすべてを物語ってますね。

的中だけで弓道を語るのが良いと思わないのであれば、
そのような高校が試合で活躍していても別に構わないではないですか。
たとえ試合結果で負けていても、弓道人としての自分は決して負けたわけではないと、
自信を持てる筈ですし、自然とそう思えるはずです。

そう思えずに、文句を言いたくなってしまうというのは、
なんだかんだと言って、的中のみで弓引きとしての良し悪しを判断してしまう、
ヤパン様の意識の奥底が見えてしまっている気がします。


的中のみで物を語るのを良しとしないのであれば、平然と
「まあ、そんな人達も居るよね。」で過ぎる話です。

的中のみで語りたいのであれば、何より前に、
自分が的中で上を行く努力をしなければなりません。
その際は、的中で語るわけですから「射形が…」なんて言ってはいけませんね。

8:ヤパンさん
そうなのですか、
1人1人違う指導をするとは指導力が無いとなかなかできる事ではないですね。
自分の高校では不可能ですね。^^;


自分の周りでは
某高校は中てるだけだ
と非難する人が多いのですので
今回、質問させて頂いたのですが
やはり
結果を残しているので
なにも言えませんね。




しかし、それでは何のための教本や審査があるのでしょうか??(^^;)

9:聖鳥さん
弓道は、自分1人ですべて動作が完結している競技です。従って、自分が弓を正しく引いているうちは、矢は的芯から外れる要素はありません。いくら見た目が整っていても、的から頻繁に外れる射は、ただ形だけの射なのだと思っています。従って…

>某高校は中てるだけだと非難する

…ことが、宜しいこととは思えません。
少なくとも、自分より中ってる人の射は、"その時点では"自分の射よりも良い射をしている、ということのはずです。
(ただ、見た目が綺麗な方が、その後の努力による伸びは遥かに大きいとは思いますが。)

教本や審査は、「的紙により多くの穴を開ける技術」以上のものを求めているのだと思います。審査基準で言えば、四段からは「的中確実」の域に達していなければ貰えませんよね?
的中で言えば8割や9割ではなく10割、矢飛びは鋭く、見るものを感動させる射を…逆に、そのような射でなければ、(例え9割を切らない的中を出していたとしても)百発百中の域には達せない、と思っています。

…というのは、自分の考えですが(^^;)

まぁ、どんな射であれある程度以上の的中が出ているということは、やはりどこか非常に上手い部分がある訳で、そういうところを見つけて学んでいけば、どんどん上達していくのかなぁ、と。難しいですけどね(^^;)

10:元学生さん
同じようなスレッドが毎年いくつか出てきますが、どれも目に付く悪癖にばかり気をとられて、その射がなぜ当たって自分よりどこが優れているのかという点を見ることができない「当たる」ことに対するひがみでないでしょうか。

極論を言えば、競技規則上、違反が無ければなにをしてもいいとも言えます。しかし、規則に書かれていない紳士協定のような不文律が東洋的思想としてあるとは思います。
その不文律を乱す射をするとこのような非難が多々ありますね。

オリンピックの柔道がその最たるもので、不文律を守るためにルールが厳格化されてます。
弓道そのものは、的中だけでなく体配を含め道として人生を豊かにする要素があり、競技が全てではないことが教本にはかかれてます。競技の中にその道としての要素(体配や射形の美しさ)を求めるなら、全日本選手権のような得点制のルールでないと非難すること自体が、自分の狭量さを示しているに過ぎないと思います。

審査は、教本に則った射法、射技、射格、射品、体配、知識などが各段位の求めるレベルまで、備わっているか評価いただき、自己の到達した技量を推し量る術であって、的中のみを評価する競技と違って、より多彩な評価項目をもったものでないでしょうか。

>某高校は中てるだけだと非難する
気持ちはわかりますが、彼らの努力や精神的強さが簡単にまねられないものだとわかっているのかな?
「中てるだけ」がいかに難しいかは、誰もが知っていて苦労しているのに、それを実現する技術の見た目にとらわれ、本当に当たる本質を見抜けないのは、寂しいことです。

11:むしゃくさん
うちの県にも似たような高校がありますので、ヤパンさんの気持ちはすごくわかります。私も全く納得がいかないです。しかもその気持ちが単なる負け惜しみとしか取られないのが誠に残念です。

しかし皆様がとても良い回答をして下さっていますね。私もなるべく考えを改めようと努めてみます。…が、やはり、納得できない、悔しいですよね〜。この気持ちはどうしようもないものだと思います。
なので、次の試合では絶対勝ってみせます!!!!
俺だってめちゃくちゃ努力したんだから!!!

12:明鏡止水 ◆IDFFcYqcさん
>ヤパンさま
>1人1人違う指導をするとは指導力が無いとなかなかできる事ではないですね。
此れって、ごく普通のことで当り前のことじゃないですか。
取り立てて云うべき問題でもないように思えるのですが・・・。

ではヤパンさま(の学校)は、指導に付いてどのようにお考えになられていて、どの様な指導をなさっているのでしょうね?


一つの想像で申しますが、なにやら一つの見た目綺麗な決まり型を、全ての人に押し付けて(型に嵌め込んで)……中らなくしてしまっている!?そんな風景が目に浮かんでしまうのです。

13:ヤパンさん
確かに明鏡止水様の
おっしゃる通り
顧問の先生は
全ての部員の射を同じにしようとしています
(^^;)

自分も7割8割ほど中っていましたが
顧問の先生に射をいじられてしまって、今では2割まで落ち込みました。




弓道を初めて一年足らずの若輩者が目上の顧問にこういう事を思ってはならないとわかってますが
正直な所、顧問の先生は有段者なのですが、
段位に射が追いついて無いと思います。
それに指導も他の人から聞いた話を理解せずそのまま言っているだけですし( ̄□ ̄;)!!


信頼できる先生が学校に居ません(>_<)

14:ちゅんさん
 ちょっと前にどこかのスレでこの話題は議論したような・・・。

>弓道の基本に逆らった射をしている高校があるのです。

 射法八節とは何でしょうか?先人たちが確実な的中を得るために、研究研鑽を積み重ねた知識の結晶ではないでしょうか?理にかなった射法は、無駄がないからこそ美しいと私も思います。ただ、先人たちは美しさを求めて射法の研鑽を積んできたのでしょうか。

 小笠原流を絶対とすれば、日置流は異質な射法であり、体配もかなり違います。小笠原を神聖視し、日置流を邪道と非難するする人がいるでしょうか。もちろん我流の引き方に賛同するつもりはありませんが、教本から外れた引き方で中っている人を、あんな引き方でなどと非難する人を見ると、日置流は邪道だのような、他を認めようとしない頑迷さを感じてしまいます。

 美しさを競いたいならば、己の道をひたすら進めばよいし、的中を競いたいなら、負け犬の遠吠えのような泣き言を言わず、正々堂々と的中の世界で競えばよろしいのではないでしょうか。的中で負けたから、射型という違う土俵で相手を下に見ようなど、あまりに情けないことだと私は思いますが・・・。ましてや、顧問を素人扱いして、あたかも指導が悪い的な発言はいかがなものでしょうか。

 ヤパン様の初めの意見では、教本の射型が絶対であり、それ以外の射型を認めない立場のように感じますが、それであれば射型は一つであり、全員の射を同じにしようとする顧問の方針は、あなたの理想と一致していませんか?
 因みに私の考え方は、全員を同じ射にするという考え方とは相容れないので、誤解のなきよう。

 矢数をかけて、的中で相手と競えるよう、あと1年頑張ってください。

15:百夜 ◆WR1hQljoさん
他校の射に対する批判に始まり、次はご自身の先生に対する不満・批判ですか・・・
レスをつけてくださっている方々たくさんいらっしゃいますが、しっかりと読まれてるのでしょうか。どの方々も熱心にレスをつけてくださっていますが、ヤパンさんの心にはあまり届いていないようでとても残念に思います。

>自分も7割8割ほど中っていましたが
>顧問の先生に射をいじられてしまって、今では2割まで落ち込みました。
こんなことをおっしゃっているうちは上達はのぞめないでしょう。

>信頼できる先生が学校に居ません(>_<)
ならば先生をクビにするか、ご自身が退部されるか、どちらを選ばれますか。信頼は双方が互いに努力をしなければ築けるものではありません。

ご自身の的中がふるわないからと誰かのあら探しばかりをしていては、それこそ中身のない弓になってしまいますよ。

16:天龍さん
>ヤパンさん
弓道は見るものではなくやるものです。
「実践」が武道の本旨です。周りの状況ばかり見回していてどうしますか。
県内にこういう強豪校いる。顧問の先生はこういう指導をしてくださる。その他あなたの周囲の状況全てが今の弓道環境なのです。
これから何十年も続く弓道人生において、それはめまぐるしく変化してゆくことでしょう。
しかし、あなたの射は、あなただけのものであり、あなたがこれからずっと育ててゆかなければなりません。変化する周囲に責任を問うことなど出来ません。
そういう長い目で見れば、その強豪校もあなたが首を傾げている顧問の指導も、弓道一年目においてあなたが出会った、貴重な弓道環境であるはずですよね。

17:明鏡止水 ◆IDFFcYqcさん
>先生に射をいじられてしまって……(的中が)落ち込みました。
よく耳にする(大人でも・・)言葉ですが、此れは取りも直さず自らが未熟で在ることを公言していることに等しいと考えねばなりませんね。

射癖や悪い処の指摘を受けて直すには、多少の引き辛さや的中の落ち込みは、至極当然のことと考えて行動せねばならないと思うのです。
(問題点が大きかったり、根幹に係わることであれば尚更です。)

(一つの例を挙げれば、会がない状態で幾ら高的中の連続を誇っていようとも、個人的には的中が無くなろうが「早気」になってしまう前に指摘して、必ず直すべきだと考えています。)

射を直す段階で落ちた「的中」は、自分で射を修正し・・其れを身に付けた・・・次の段階に於いて、自らがまた追い求めなければならない問題です。

射を直す(直される)こと=他人が中るようにしてくれる・・と云うことでは無いのですよ。
(強いて云えば、正しい射の状態を教えてくれることにより、中り易い状態を教えてくれる・・・と云った感じでしょうか。)

>審査
個人的にはただ「自分」の為にある・・・と考えています。
他人と比べる為のものでは無いはずですよ。

先日の審査前講習〜審査でのお話ですが、ヤパンさま同様に「講習会でボロボロにされた!」と云って帰ってみえた方がいらっしゃいました。
そして、帰ってから一週間で、また固有の射に戻されて・・的中も中る様に戻されました。

審査の結果は申し上げなくてもお解りだと思います。

講師の先生方は、射をボロボロにするためでも、中らなくするためでもなく・・・「合格」を期されてご指導を下さっているはずですから・・・。
(誤解のないように申し上げますが、教わったこと全てを・・今直ぐに・・・などと申している訳では在りませんよ。
納得した上で・・選択して・・自分の今の引き方の中に取り込んで行く気持ちが必要だろうと思うのです。)

18:ジャオさん
 別に悔しいと思ったりあの射はどうだろう?あそこは中てるだけというのはその人の自由ですし、そういう射をしている人がいても危険でなく周りの迷惑や邪魔になっていなければこれも自由だと思います。
 大事なのは自分や仲間はどうなのか?だと思います。悔しかったのなら、自分達に何が足りなかったのか、今なにをするべきなのか?を考えて実行すれば良いと思います。悔しいとか中てたいと思うだけで中るならみんな中ってますよ。中るために、射をよくするために体を動かして努力するのみ!
 
 

19:ちゅんさん
 アッハッハッハ。私のぼやき、しっかり記憶されてしまっているかも。汗顔汗顔!恥ずかしい限りです・・・。

20:明鏡止水 ◆IDFFcYqcさん
>ちゅんさま
かえって薮蛇だったかも・・・。
書き込みがなければ解りませんでしたよ。

21:むしゃくさん
どうして皆様、ヤパンさんの気持ちがわからいのでしょうか?ヤパンさんの意見に頷くだけでは、何の解決にもならないことは解ってますが、そんなにヤパンさんを責めるようなことを書かれても、簡単に「ああ、そうか」と意見が変わるはずはないでしょう

22:流れさん
ただの愚痴なら書き込むなって話だし馴れ合いを求めるのも変でしょう
その納得出来ない気持ちをどう昇華するかってことをみなさんはアドバイスされているのではないのですか?

23:明鏡止水 ◆IDFFcYqcさん
>むしゃくさま
>簡単に「ああ、そうか」と意見が変わるはずはないでしょう
はい、だからジャオさまも仰っているように、ヤパンさまの仰るようなことを考えることも自由な訳で・・無理して変えて貰う必要もないのです。

従って、もう一方の基本に逆らった射をしたり、所謂中て射と云うものをすることも自由な訳だし、其れも自己責任なのですよ。
(其れで高校時代に結果を残し弓道生活を終えるも好し、高校時代の射癖や悪癖を抱えながら先に苦労するのも全てご本人の問題でしょう。)


考えてみて下さい、弓道の試合は相手校と実際に弓を射合って勝負する訳では無いですよね。
互いに動かない自分自身の的と対峙し的中を競う訳ですから、要は自分自身との戦いだ!と受け止めなければならないのではないですか?

其処で中らない・・と云うことは、相手以前に自分自身との戦いに先ず負けているとは考えられませんか。

相手高や相手の射云々をとやかく云おうとするのは、この問題点をウヤムヤにしようとしたり、自己責任を避けて通ろうと云う考えによるものに他ならないように思えます。


ヤパンさまもむしゃくさまも、試合結果に納得出来ないのであれば、試合後に基本の八節に沿わない射をしている!ズルをして中てている!・・と一度納得出来るまで抗議をなさってみては如何でしょう。

24:むしゃくさん
…なんだか結局、平行線ですけどね。

25:ちゅんさん
 私も高校弓道出身です。負ける悔しさは実際に体験して、分かっているつもりです。確かに言わんとしていることは理解できますが、それに賛同することは出来ません。

 正射を目指して練習を積み重ねていく。それは正しいことだと思うし、それを否定するつもりは毛頭ありません。ただし、正射を目指すと高言している人に時々見られる、他人の射を認めない傲慢さは賛同しかねます。
 正射必中はご存知だと思いますが、逆に言えば、必中しない正射など存在しないということです。果たして必中の域に達した上で、他人の射を批判しているのでしょうか。必中しない(正射が出来ていない)者が、他人の射を批判することに疑問を感じてしまいます。正射を目指していることと、正射を実践していることとは違います。

 勝負には負けた、でも射型なら勝っている。感情は分かりますが、必中できなかった時点で、本当に射型で勝っていたのか疑問です。

 負けようと思って試合に出る人などほとんどいません。勝つために皆努力して試合に臨んでいるのです。これだけ自分は努力した。でも負けた。次に勝つためにはどうすればいいのか?これが普通の思考ではないでしょうか。
 自分は負けた。あいつらの射型は汚いのに納得いかない。このような思考では、次の試合に勝てるわけないでしょう。

 勝負をする以上は、負けは負けで素直に認めて、次の勝利に結びつく敗北にして欲しいと心から祈っております。
 

26:むしゃくさん
そもそも高校生の弓道で的中を越えたところで試合を考えられる人は極稀なのでは?と思います。
結局試合は的中だけで決まりますから。ならば高尚な精神の域に達し得るはずのない高校の二年間で皆様の言うような考え方は未熟ゆえ私にはできません。

こういう気持ちって実際に体験してもらはないと理解してもらえないものだと思います。

なので平行線です。

27:ちゅんさん
 意図が伝わっていないようですね。
 的中で勝負をする以上は、的中以外の要素を持ち込んで(あんな汚い射型で等)、安易に自分の逃げ道を作るなと言ったつもりですが・・・。

 自分を慰める範囲であればそれも結構でしょう。ただし、それを公言するのは見苦しいと言っているのですよ。

28:遥頂さん
>>むしゃく様
たしかにその通りです。
ですから、的中のみを求めるのが正しいと判断するのが間違いでは無いと思います。
だからこそ、そこはちゃんとそういうものだという認識が重要なのではないでしょうか?

的中のみを善しとする考えかたであれば、当然ですが、このようなスレッドは立たないでしょうね。
当たらないから負けたので劣っている、ということです。

ではスレ主様は何を求めてここに書き込んだのでしょうか?ということですね。
射形が基本に則っている事が重要だと言いながら、どうしても的中に目が行ってしまっているのか、
的中だけを考えて、試合に勝つことを考えているけど、勝てなかった悔しさを、
射形という道に逃げようとしているのか。

正直どちらでもかまいませんが、
自分がどういった弓道をしているのかを正しく理解する事と、
その考え方に矛盾するような言動はしないようにしなければなりませんね。

29:遥頂さん
私が長々と打ち込んでいる間に、
ちゅん様が先に簡潔に仰って下さいましたね。
まさしくその通りに同意です。

30:流れさん
自分のことなんて誰もわからないんだ、っていう悲劇のヒロインみたいな言い方はやめてください
私も同じ経験をしていますがそんなことを言っていてもどうにもならないんです
正射を目指していたり、相手よりも射がきれいなことがそんなに偉いことなのでしょうか
自分で選んできれいで中る射を目指しているんですから、そこに到達していない自分を反省するべきだと思います

ただ、射がきれいじゃないのに中るなんてズルい!
自分たちの方が射がきれいなのに負けるなんて納得いかない!
みんなもそう思うよね!
なんてくだらない馴れ合いを期待するより練習すること勧めます

31:黒紫さん
むしゃくさんの仰る雰囲気はまるで他人を参考にする気がない様で残念です。

ただ、高校だろうが大人だろうが最後は的中がモノを言います。


私自身、高校から弓道をしていますので、そういう事を言っていた者を見かけましたが・・



そういう者程、雑な射・無礼という傾向がありました(あくまでも私の周りの人です。)

正直、私は「平行線かどうか・納得良くかどうかなんて個人の勝手でしょ。中たら文句言えば」という気持ちがしてなりません。

32:アーチャーさん
皆さんの話の中で
「言い訳で逃げている」と
ありましたが



自己満足な射で中てる事も逃げている事にならないのですか??
自他ともに認められて初めて正射と言える物ではないのですか??

33:ちゅんさん
 私事で恐縮ですが、あたれば全て善しとは考えていません。的中を追いながらも、より納得のいく射を出せるよう稽古を積んでいます。
 的中を求めながら射を完成に近づけて行くものと、形を求めながら射を完成に近づけていくものと、過程が異なるだけで、目指すものに変わりはありません。

 的中勝負である以上は、勝ち負けが生じてしまうのは仕方のないことです。ただ、負けを認めず、相手の誹謗中傷は何ら向上につながらないと申しているのです。

34:遥頂さん
>>アーチャー様
>>自己満足な射で中てる事も逃げている事にならないのですか??

私はそれは逃げだと思うので、そのような考え方は持たないようにしています。
しかし、隣の弓引きがそうである必要は無いし、それを強制する事は出来ません。
彼にとってそれは充分に正義である可能性は十二分に有るのです。

そして、的中勝負で彼に負けた時に、それを言い訳にはしてはいけないのです。
自分でその考え方を選んだ結果なのですから。

私の言う逃げとは、
自分で選んでおいて、的中だけでも負けたのが悔しくなったり、
的中で勝てなかったから、自分は的中だけに拘るだけじゃないけど…
などと、自分自身の弓道に向かう姿勢そのものをに逃げを生じる事です。

考え方次第ですが、自己満足な射で的中だけ考える射というのは、
単純に数値で優劣がつけられてしまい、
その如何なる結果のフォローもすべて自己消化しなければならない、
非常に厳しい考え方とも言えるでしょうね。

35:明鏡止水 ◆IDFFcYqcさん
>アーチャーさま
>「言い訳で逃げている」
この度の話題では、「負けたこと」「中らなかったこと」・・・からの自己逃避で在り、自分に対する言訳であるとの論理展開だと思うのです。


>自己満足な射で中てる事も逃げている事にならないのですか??
所謂「正射」に対し真っ向勝負を挑まないと云う意味では、此れも一つの「逃避」とも云えるでかもしれまが、今回の話題と並べて論ぜられるものでは無いのでは?・・・と考えます。

また、今回のケースでは、自己満足な(綺麗な)射で「中らない!」=負けた・・と考えられないですか。


>私事で恐縮ですが、あたれば全て善しとは考えていません。的中を追いながらも、より納得のいく射を出せるよう稽古を積んでいます。
抵抗なさっている方々には大変に失礼かと存じますが、人生や弓道の先輩であろうちゅんさまに、此処まで云って戴かなければ解らない・・納得されない(まだ納得出来ていないのかも知れませんが・・!?)・・・此れは同じ弓道人として少々恥ずべきことではないかと思うのです。

36:百夜 ◆WR1hQljoさん
>結局試合は的中だけで決まりますから。ならば高尚な精神の域に達し得るはずのない高校の二年間で皆様の言うような考え方は未熟ゆえ私にはできません。

>こういう気持ちって実際に体験してもらはないと理解してもらえないものだと思います。

>なので平行線です。

全ての方が学生弓道出身者ではないでしょうが、皆さん「悔しい気持ち」は理解されていると思いますよ。努力すればその全てが成果につながるというわけではないですし、むしろ報われない努力のほうが多いかもしれません。
成果がにつながらなかったのは自身の努力が足りなかったか、努力の仕方が悪かったのでしょう。試合などで自分よりも成果を挙げた者に関する非難や愚痴をここでこぼしている間に、その勝者はさらに次の試合に向けて努力を続けています。そうすると、次も負けるのは必然です。
「悔しい気持ち」があるのなら、その気持ちを愚痴と言う形で消化するのではなくて、更なる努力の動機付けへと昇華させるのが最善の方法だと思います。

37:ティラミスさん
ずいぶん盛り上がってますね…じゃあ私も一言。

主さまはもう来ていないみたいですが↓↓同じようなことを思っている人の愚痴には「(射形が)あれでいいなら、自分も中るし勝てるよ笑」てニュアンスが含まれているような気がします。でも「射形は二の次でいいから、次の試合で優勝しよう」と自分で決めて、実際に絶対絶対絶っっっ対勝つ自信のある人は、これも絶対いないでしょーね(=_=;)
私は小中とバスケ部出身ですが、どんなラフプレーをしても、反則じゃないならボールも点も取られます。でも反則は取られません(T^T)高校弓道でもたーくさんくやしー思いもしました……
愚痴ってしまうほど悔しい思いをしたくないなら、どんな手を使ってでも勝つことです。そこでこそ得るものがあります。「勝つ(中る)ってこんなに気持ちいいんだ◎♪」「あんな射形で勝(中)っても嬉しくない…」

それぞれ、頂点に立ってから初めてほんとの心境がわかると思うのです。

38:むしゃくさん
新人戦の時に負けた時からずっと悔しくて、練習を積んできました。私も愚痴を言っているだけではだめなんだとは思い、その悔しさを努力で昇華させてきたつもりです。そしてそろそろ最後の大会が始まります。
私自身の射なんて正射には程遠いものであるとわかっていますが少なくとも弓道本を読み続けでそれを目指してきました。今の的中率は相手となる高校と同じ程まであがりました。
私の考えは間違っていることは、恥ずかしいことではあるとわかっています。皆様の意見を拝見してさらにそう感じました。それを踏まえての意見です。

「どうして、明らかにその先には正射はないような射をしてくるのか。的中だけで試合を考えてしまうようにしたのは相手である」これが私の考えです。私は試合で活躍される学校の射を研究して、良いところを学んできたつもりです。しかしどうしてもその学校の射は参考にできない。
負けるつもりは毛頭ありません。私の信じてきた射で次の大会で勝ってみせるつもりです。

皆様の意見は誠に参考になりました。ありがとうございました。申し訳ないのは私の頑固さです。しかし来週に私自身の中で答がでます。

39:遥頂さん
>的中だけで試合を考えてしまうようにしたのは相手である

それは違いますね。相手ではなく、試合そのものが的中しか見ないという前提なのです。
それが受け入れられないのであれば試合には出ない方が良いでしょうね。
数は少ないですが採点制の試合や審査にいきましょう。

彼らは、短時間でその場の価値観で最高の評価を得るべく、
彼等なりに無駄を削ぎ落として(それが弓道として正しいかは別の話ですが)努力をして、
そして的中という結果を出しているのです。
的中のみを競う試合の場でその事を非難できる人は
彼等より的中で勝る人間以外には居ないはずですが?

40:ジャオさん
≫ヤバンさん
教本や審査についてですが、教本は良い射手を育て弓道の世界を発展させるための一つ道具(指針)であり、審査は今の自身の弓道を発表する場だと私は思っています。絶対教本どおりにしなさい、審査を受けなさいとはなっていませんよね?あなたは教本や審査についてどう考えていますか?

>弓道の基本とはなにか?
目標を狙い弓を引き矢を放つこと。
中るようにいろいろ工夫するのは応用でしょうから射法八節もそのなかの一つでしょうね。

>自分の周りでは某高校は中てるだけだと非難する人が多いのですので
これをさらに周りからみれば、ひどい言い方ですが「中ってもいないのになにいってるの?」となりますよ。本当に悔しいときには相手なんて関係なく自分の不甲斐なさに涙がでてきます。それくらい努力してますか?どうせならその強豪校に勝って、この射じゃ勝てない!くらい思わせなきゃ。

指導者の方についても書かれていますが、指導者が試合に出るわけじゃないですし、指導者の方にヤバンさんたちの素直な気持ちを伝えどうしたいか話されてはいかがでしょうか?

≫むしゃくさん
>私も全く納得がいかないです。
>次の試合では絶対勝ってみせます!!!!
俺だってめちゃくちゃ努力したんだから!!!
先ほど書きましたが、それじゃ勝てない!試合で勝負してるのは弓道の場合己自身となんだから。対戦相手の射がどうだろうと試合中気にならないでしょう?試合が終わって気にするのは相手じゃなくて自分の試合中のことでしょう?

>高尚な精神の域
そんなすごいことじゃない。勝ちたいならもっと貪欲に練習し、他の人の射をみて良い所は吸収し、一本の重みを知りなさい。
練習のときから一本一本に意味を持たせて引いてやったら皆さんが仰ったことがわかってくるんじゃないかな。

41:明鏡止水 ◆IDFFcYqcさん
>むしゃくさま
>どうして、明らかにその先には正射はないような射をしてくるのか。
此れは、指導者や弓を引いておられる方の自由です。
あなたが其の人や其の学校の指導者でない限りは、傍からの・・大きなお世話!要らぬ心配!でしかありませんよ。

一時期基本から外れた射、見た目悪い引き方・・をしていたからと云って、其の先終生其の引き方をする訳じゃないし、また正射をしたり目指したり出来ないと云う訳ではありませんよね。

ご本人に柔軟な思考と素直な姿勢さえあれば、大学また一般で環境や指導者が変わることにより、また新たな弓と出会うことが出来る訳ですよ。

高校時代から正射必中一直線!其れも一つだし、学生時代には中ることや勝つことに先ずは拘ってみる…此れも一つの価値観として認められませんかね?

正射必中を掲げるのは結構なのですが、でも一つ注意しなければならないのは「正射」「綺麗な射」・・・と云う独善に陥らないことだと思いますよ。
また其れを他人に押し付けない・・ことも大事なことじゃないでしょうか。

>私自身の射なんて正射には程遠いものであるとわかっていますが少なくとも弓道本を読み続けでそれを目指してきました。
何度も申し上げますが、正射に程遠い処にも「的中」は存在し得るのです。
また、教本や参考書は一つの引き方の指針であって、其れを目指したり実行することが、即「的中」と云う結果をもたらす訳では無いことを充分に承知すべきです。


試合や的中に関しては>>39で遥頂さまがご説明がされた通りだと思います。
少し補足すれば、採点制の試合や審査も結局は中らないとダメなんですけどね・・・。

42:ヤパンさん
ジャオさま

自分は今まで「教本に載っている事が全て正しい」と教えられ
教本以外の射をすると
「我流になったらそこで終わる」
と教えられてきました。

審査は今の自分の射に対する評価だと考えています。




顧問についてですが…
一回皆で顧問と話あったのですが
「俺について来なければ辞めろ」
と言われ今にいたってます。

43:紅一入さん
>ヤバンさん
 すごく単純な質問です。
 「大三で弓をてらしたり、むりやり尻をだしたりなど」は、「弓道の基本に逆らった射」なのですか?・・・だとすれば、それは教本のどこに書いてありますか?

 教本の主旨から思うに、そのような事は書いてない筈です。

 私が思うに、「大三で弓をてらしたり、むりやり尻をだしたりなど」は、弓道の基本に逆らっていないと思いますよ。縦横十文字と五重十文字を満たしていれば良いのではないでしょうか?
 教本は様々な流派の存在を認めつつ、また、上達段階での創意工夫も認めつつ書かれていると思います。
 教本を拡大解釈して、狭い弓道にはめ込む考え方はいけないと思いますが・・・
 

 

44:百夜 ◆WR1hQljoさん
話の流れからは少しずれますが、弓道の教えというのは弓道教本に載っているものが全てではありません。
つまり、弓道には流派があり、その流派独特の教えと言うものがあります。弓道教本はいくつかの代表的な流派の教えを抜粋し精査し、既存のどの流派独特の教えでもないし、どの流派においても基本となる教えをまとめて発刊されたものと私は理解しています。
ものすごく簡単に言うと教本の射は「標準化された射」と見ることもできるかと思います。中庸であるからこそ教本の射は美しく、ある意味では弓射の完成形のひとつを示しているとも言えます。
教本から外れた射をすればそれは間違いかといえば、そうとは限りません。流派独特の教えと言うのは今も受け継がれているでしょう。特に強豪校の場合は指導者があるひとつの流派の下に学び、しっかりと流派の教えを受け継ぎ実践していて、その教えに根付いた指導が確立されているがために、強豪校たり得ているとも考えられます。そのような場合、その学校の選手は自分たちの射に誇りを持っていますし、「変な射」「中て射」と言われようが全く気にも留めないでしょう。自分たちは教えられたことを実践し、努力し、そして勝っているのですから。
もちろん、踊ったり体配をおろそかにして、教本から外れているというのなら、全く別の話です。
ちなみに、出尻鳩胸を実践している強豪校なら関西の大学にもありますよ。

45:ヤパンさん
そうなのですか。
今まで様々な流派があるのに何故教本があるのかと思ってましたがそのような物だったのですね。
自分は教本にとらわれた狭い見方しかできなかったみたいですね。
ですが、皆さんに理解してもらいたい事が1つあります。
自分はただ単に負けて悔しい思いだけでこのスレをたてたのではなく
この疑問を解く為に皆さんの力(知識)を借りようとしたのです。

熱心に書き込みをしてくれた皆さん、ありがとうございましたm(_ _)m
そして自分の礼儀が足りずに、不快な思いをした皆さん、すいませんでした。

46:明鏡止水 ◆IDFFcYqcさん
結局は指導の偏りも一因と云うことになりそうですね。

前にどなたかもお書きだったように、其れも含めてヤパンさまの現在の弓道環境・・・と考えるしかないと思います。

取り敢えず其れは文句を云っても替えようがないことなので、現環境下で自分なりのベストを尽くして結果を目指して行かれることをお祈り致します。


最後にもう一言だけ申し上げておきましょう。
>「我流になったらそこで終わる」
確かに言葉上は間違いではありませんよね。
ただ、「我流」と「個性」との境目はなかなか明確でないことも事実です。

また、型に嵌まった没個性の射と、長所を活かした個性的な射・・・どちらが好いのか!?此れもなかなか結論が出ない問題だろうと思います。

47:ちゅんさん
 1日来なかったら終息しちゃいましたね。私もきつい言い方で申し訳ありませんでした。

 昨日神社の射会に参加してきましたが、高校生もたくさん来ていました。指導者のいる学校と、指導者のいない学校ではやはりその違いは一目瞭然でした。
 高校のうちから指導を受けられることは、非常に恵まれた環境です。私も押し付け型の指導は時に疑問に感じますが、指導内容はきちんとメモしてあります。後になると分かるということもよくあることです。指導者に対して絶対服従ではなく、教えられたことを先ず自分の中で咀嚼して、良いところをどんどん取り入れていけばいいのではないでしょうか。言葉は悪いですが、せっかく恵まれた環境にあるなら、それを利用しない手はないですよ。もっとずるくなることも大切かも。
 因みに、昨日非常に上手いと思った高校でも、2年生と3年生ではこれも明らかに違いは一目瞭然で、2年生は似て非なる射でまだまだ発展途上の状態でした。ヤパン様、あなたにはまだ1年の時間が与えられています。まだまだ発展途上ではないですか。性急に結果を求めず、1年後の収穫のために、今はせっせと畑を耕す時期だと思います。

 私が今教えを受けている先生に教えられたことの中で、一番印象に残った言葉は、
 「常に意識していないと、自分にとって楽な引き方になる」
です。楽に感じる引き方は、往々にして甘い引き方になるもんですよ。

 負けても、「しょうがないよ」と思う人にはかける言葉はありませんが、「口惜しい」と思える人はどんどん応援したくなります。頑張ってくださいね。


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