OBが・・・ (投稿13件)[1〜13]


1:黒い心さん
先日OBの方に練習に来ていただいた時、
「射型は崩してもいい。高校生のうちは中らないとダメなのだから中てるためのずるさを持つべきだ」
と言われました。

OB曰く我流の射型でも中てる奴は中るし、先生の指導も聞いていなかったそうです。

でも自分はそうは思いません。正射を目指すべきだと思います。

それとも高校生の内は中てることを重視するべきなのでしょうか?

皆さんの意見を聴かせていただけたら嬉しいです。 

2:黒紫さん
私見ですが、

極端にぐちゃぐちゃした射をしたり等のさじ加減を考慮に入れれば、「中てる事に手段を選ばないで欲しい」と思います。


恐らくOBの先輩は、「形だけに惑わされないで欲しい」と言う意味で言ったのだと思います。

3:scarletさん
好意的に解釈すれば黒紫さんのようになりますが、やっぱり随分無責任だなと感じます。
そのOBの方が正式に指導に招かれたのなら話は変わりますが。
先生の方針はどうなのですか?
個人的には本物を追いかけて欲しいです。
見せかけだけじゃなくね。

4:okashimaさん
「射型は崩してもいい」の部分の解釈に困りますが。

正射を求めて修練するならば、スランプや弓道の方向性に迷ったときに、名人の射を参考にしたり本を読んだりすることで問題は解決されるでしょうが、
我流では主に自分の感覚を頼りにしているので、
名人の射を参考に・・・というふうにはなかなかいかないと思います。


高校のうちは中てを重視するべきかについてですが、
大会を楽しみたいなら一考してもいいのではないでしょうか。
ただ、学生でなく一般で引くときに弊害が生じるのは明らかです。

5:ジーザスさん
>正射を目指すべきだと思います。
>それとも高校生の内は中てることを重視するべきなのでしょうか?

矛盾する内容では無いので、両方とも重視して良いのでは。
私は「高校生のうちは・・」とか、そういった指導はしたく有りません。

6:六連星さん
ただ中てるだけの射でなにが面白いのでしょうか?
弓道はキレイな射形で的中を得るから面白いと思うのですが。
中てるだけ、試合に勝ちたいだけなら弓道をやる意味がないと思います。

7:けんたろさん
正射を目指すべきだと思いますよ〜。
OBの方がどの位弓道を理解しているかわかりませんが、”先生の指導を聞かない”、という姿勢自体が弓を引く人間としてどうか?と思いますね。

正射の方が中りますよ。

8:天龍さん
的中にはシビアな気持ちが絶対必要です。
的枠をたたいても強引に内側に押し込む、その強いハートであり、そこに自分の練習に対する強い理念が生まれます。

僕は「正射必中」だから的中にとらわれないとか、「キレイ」な射形を目指していればいつか中りはついてくるとか,のんきに構えている人が時々います。
1〜2年後には後輩の中から実力者が出て、気がつくと自分のはるか先を走っている。それでも相変わらずマイペースで、先生の助言や友人の指摘をもらって、末節の修正のみに終始し、漠然と日々の練習を続けているのです。

「自分の射は、どうしたら中る」この一点だと思います。

そのOBの発言は、多少乱暴な表現ながらそこを突き詰めろと言っているはずです。

9:明鏡止水 ◆IDFFcYqcさん
>六連星さま
>ただ中てるだけの射でなにが面白いのでしょうか?
其れは一面からだけの見方であって、面白い!と考えながら引かれている方々もいらっしゃってもおかしくはないのでは・・・。

>中てるだけ、試合に勝ちたいだけなら弓道をやる意味がないと思います。
此れに付いても、試合に勝つことだけが目標だ!って方がいらっしゃっても構わないかも知れませんね。

何れにしても、ひと夫々の価値観や考え方によることでしょうから、一概に決め付けることもないと思いますよ。


>黒い心さま
>でも自分はそうは思いません。正射を目指すべきだと思います。
ご自身が其のように思うのであれば、其の途を突き詰めて行かれれば宜しいと思います。

>高校生の内は中てることを重視するべきなのでしょうか?
別に高校生であるとか、大学生であるとか、一般社会人であるとか・・・区別する必要が在るのでしょうか。

「的中」はどのような時でも、目標として保持し続けねばならぬものだろうと思います。

「正射」にしか言及なさっていらっしゃいませんが「必中」に付いては置き去りですか?

10:元 ◆ntlC4wAIさん
「的中に拘り正射を疎かにする」=「目先の欲にかられ心を失う」
という事だと思ってます。

「美しい射を目指し的中を軽んずる」=「心清く、品行悪く」

弓を引くのは己の肉体。矢は肉体が引いた弓から放たれるもの。的中は則ち射を現すものである。
と考えると的中と射、どちがら大切か?という問いは自ずと出るかと思います。
いやぁ…歳重ねてくるとだんだん重く感じてきますね、こういうのは。

11:EXIAさん
>元 ◆ntlC4wAIさん

正射が確固たるものとして理解できていて、明確な目標としてもてているのであれば、射を大切にすることで正しく成長できると思います。

ただ・・・。高校生で(むしろ若い人で?)、本当に正射とはこういうものだと、正しく理解できているとことは少ないのではないでしょうか。もちろん、教本などを元に、ある程度の方向はつかめるでしょうが、自分に都合がいい解釈が挟まる余地が多々あると思います。

さて、正射必中が真であるとすれば、
中った→正射かもしれない(そうでない可能性ももちろんある)
外れた→正射ではあり得ない
ということに、論理的にはなります。
的否によって、自分の射が正射たる可能性があるかを簡単に判定できるということです。

「射型は崩してもいい」というのは、自分の独りよがりな正射のイメージにとらわれて、そのまま中らない射型を良しとするなという意味だと解釈すると、若いうちは的中を求めろというのは、必ずしも間違ったことだとは思わないです。
むしろ、未熟な(=正射を正しく理解しているとは言い難い)くせに、「自分は中らないが、中っているあいつより射型はきれいなので、自分の方が正しい」というような意見(正直、この掲示板にはこういう人が多いです)よりよほど健全だと思います。

まぁ、だいぶそのOBさんに好意的に解釈した場合ですが・・・。(単に、先生のいうことなんて聞かなくても、適当にやっていれば活躍できたと自慢したいだけと取る方が、この場合は自然ですね)

だらだらと書きましたが、結論としていいたいのは、「大して中らない射は、いい射とは言い難い」ということを、素直に受け入れた方が若いうちの成長につながるということです。

12:松竹梅さん
しばしば正しい射と中たる射についての論議をここで見うけますが、自分は中たる射を追求していくと最終的に正射に行き着くと思います。
むしろその中たる射を追求していく過程がないと本当の正射は理解出来ないと思います。
なのでひたすらにどうすれば外れる要素を無くせるかを追求していくのが一番だと思いますよ。

13:セキさん
自分もEXIAさんや松竹梅さんと同様に、中てることから正射を模索すべきと思います。

体型や骨格の違いにより正射なんてものはやや人それぞれになってしまうでしょう。
それなのに理想上の正射を延々と追い続けてるだけでは、
ただ正射という言葉を隠れ蓑にして、中らない言い訳をしてるだけだと思います。

人にはそれぞれ良いところや中る理由があると思います。
それをきちんと理解し、継続して出せるようにし、
その過程で無駄や無理をなくし、安定させることで完成するのが正射必中だと思うのです。

形を取り繕ってる最中に的中のコツが見えてくるのを待つよりは合理的だし、
団体戦などに出たいなら中りは欲しいのではないかと思い、個人的な考えながら書かせて頂きました。


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