日置弾正忠政次について (投稿6件)[1〜6]


1:弓曳童子さん
皆さんはじめまして!私は日置流を学んでいるものです。機会があって流祖・日置弾正について調べてみると、諸説がたくさんあり、とても興味深い人物であると感じました。
そこで皆さんが知っている日置弾正の説や、皆さんが独自に考えた日置弾正の人物像などを語りませんか?

2:防人さん
日置の源流という本によれば吉田家の系譜に日置弾正の正体は2代目の吉田重賢で自ら考案した射に自信がなく敢えて一代前に日置弾正と保険を置き、自分は正しく伝授できなかった事にしたと記載されているらしいが、だとしたら日置弾正の弟で竹林派の流祖という日置弥左衛門範次の方が個人的には気になります。

3:たぶんおやじさん
>日置弾正の正体は2代目の吉田重賢・・・

竜王町に竹林坊如正について尋ねたことが有るのですが如正は伝説の人で・・・

吉田氏は出生地と言うことで今でも祭りが有るそうです。

吉田氏は源姓で吉田郷に住んだからでつまり主家の庶流か分家ですが竹林坊は北村の出身らしい・・つまり、土豪か何かの家柄で出自が定かでない。

吉田堂宝以前の弓削などの姓も吉田郷の周りにあります。
そうなると、大和や伊賀の出自の日置弾正はちょっと離れているかなと思います。

日置弥左衛門範次も存在が疑われたり不思議ですよね。
日置弾正にしろ日置弥左衛門にしろ資料が少ないですよね。

4:防人さん
>竹林坊は北村の出身らしい・・つまり、土豪か何かの家柄で出自が定かでない。
日置弾正の名について吉田家では「日本に置いて正に弾ける」という意味を込めたとあります。余談ですがこの事から日置吉田流の射は斜面であることよりも弾ける様な射であることが本来の主観だったのかも知れません。

日置弥左衛門範次については何もありませんね。竹林派の射を見るに日置吉田流の斜面と正面を取り合わせたように思えます。日置弾正が架空の人物なら日置弥左衛門範次は合作と揶揄されるのを避けるために作り上げられた人物なのかも知れません。

竹林派は正面に構え斜めに引き分けながら打ち起こすため、斜面のように予め手の内を決めて打ち起こすものでも、正面のように縦横の十文字の線を決めてから引き分けるものでもありません。技の習得が難しいのか、紀州竹林派のように斜面に引き分けてから打ち起こす流派と、本多流のように正面に打ち起す流派が新たに発生しています。

5:たぶんおやじさん
>日置吉田流の射は斜面であることよりも弾ける様な射であることが本来の主観だったのかも知れません。

歩射なんだから斜面は当然です。

>吉田堂宝×→吉田道宝○

6:通りすがりの的ハリさん
吉田家はまだ,竜王町近郊に存在しますよ

弓の伝承は途絶えているようですが・・・・

記録は残ってるみたいですよ


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