なぜ? (投稿17件)[1〜17]


1:ズタボロさん
なぜ中学、高校、大学では最終的にあてていかなければならないのでしょうか?自分は見て楽しむ弓道をしたいのですが、自分は高校生であてを意識しなければ部員にいろいろ言われます。高校生である限りみんなと一緒のあててこそ弓道という考えをもたなければならないのでしょうか?そもそも、なぜ弓道はあてて勝負をするんでしょうか?地道に正射必中に近づいていけば的中もでてくるでしょうし、型はいろいろありますが的中はその型で引いた後にでるおまけのようなものではないのでしょうか?

2:雁金さん
色々は意見があるとは思いますが。。。

的に当ててこその弓道ではないでしょうか?

如何に正確に深く標的に矢を当てることを追求
することこそが究極の目標だと自分は思っています。

正射必中→確実な的中(必中)を得るための、
正しい射(正射)だと思うのですが。。。。
もちろん、正しい射をすれば必ず当たるという
のを否定するつもりはありませんが、
的中は「おまけ」ではないと思っています。

>自分は見て楽しむ弓道をしたいのですが
果たして、的に当たらない弓を見ている人が
楽しいと思えるでしょうか?

3:マテラッツィーさん
ズタボロさんはそんなすばらしい意見を持っているなら部員の人達に主張すればいーと思いますよ。
たとえ理解されなくてもムリに的中主義にならなくて一人でその道を突き進めばいーんじゃない?

4:nasiさん
集団の目標と個人の目標が食い違っていることに対するジレンマでしょうか?

個人的にどのような考えで弓道をされても良いと思います。自分としてはこういった考えがあるというのは真に良いことです。ただしスレ主様が集団に所属し活動する以上はそうも行かない部分が出てくるのではないでしょうか?

集団としての目標を達するために構成員が同じベクトルを向くというのは結構大事なことです。また集団に所属するとは集団の目標に対して同じように向き合う義務も時にはあります(例えばそれが部活の死活に関わる目標、大学なら1部昇格とか残留とか、高校ならインターハイ連続出場等の的中を伴うものであれば、自分だけ別方向に向いていれば仲間からは白い目で見られるかもしれません。)。

無論これは所属する集団の性質とも関わる問題で、部活内で個人目標による住み分けが出来ている(大人数の部活に見られますが)のであれば、最低限度の部活の方針(これが的に中てろならどうにもなりませんが・・・)に従って、個人としての思考には相当の自由がある所もあるでしょう。しかし仮に少数精鋭主義で目標がガチガチに決められて、そこに向かって突き進んで行くような集団だと異質な考え方は認められにくい傾向はあるかもしれません。

結論から言えば見た目も極めて中てれば良い、それが一番良いのではないでしょうか?部活の目標がどうも的中にあるようですので、そこから逃げ出すことが可能か否かはご自身で一番わかることかと思います。ただ違う道から部活の目標に対してのアプローチを見せて、実行できていれば仲間から色々言われないと思います。論より証拠です。

何故学生が中てなければならないか?と考えることも一興ですが、何故正しい射を思考するスレ主様が他人から中てろ言われる程度しか中らないのか?そういった部分を考えられたほうが建設的ではないでしょうか?同じ高校生でも綺麗で中たる(スレ主様のいう正射ではないかもしれませんが)方はたくさんいます。

5:ぬふぬふさん
私は趣味っつーか遊びで弓道をやっています。 みんなでワイワイガヤガヤやるのが好きです。だからといってふざけてやっている訳ではなく真面目に真剣に遊んでいます。 そんな私が勝ちを狙うチームの選手として選ばれたり、タマに支部や県代表に選ばれたりします。 名誉な事ですがはっきり言って(以下自粛)
ズタボロさんもこんなノリでいいんじゃないですか? 周りから何をいわれても自分の肥やしにならないのは排除して自分のためになる事は受け入れ自分の道を造り進んで行く。 結果が良ければ正解だし駄目なら他人で無く全て自分が悪い。こんな心構えで弓道を楽しんで下さい。 ただ、あまりにも周りとかけなれた事をやっているとただのワガママになります。 周りと調和してこそ楽しむ弓道です。

6:弦枕さん
ズタボロ様へ
大学では、おおまかに弓道と学生弓道と二つに分かれる意見があります。
前者は一般的な美しさを求めるもの、後者は競技にて強さを求めるものと私は考えています。もちろん人それぞれ違う意見はあるでしょうが。
高校がどちらに属すると言うのは、部の傾向、指導者の意向などによりますが、試合の頻度から考えますと、学生弓道に近い部分が多いです。

試合とは競技です。弓道には「ナギナタ」や「空手」のような型の部がありませんから、実質的な的中数で競うことになります。
人生に一度しかない高校部活。勝つためには「数」が必要で、チームとしては一人でも強い選手が欲しいと思うのは普通だと思います。しかも、限られた時間、実質2年という短いスパンで、ただ「地道」だけでは不安になるのも仕方ないのかもしれません。

実質、審査でも高段になってくると、正射必中なのでしょう、的中を当たり前に求められてきます。
高段など関係なく、やはり弓道は、美しさと強さ、両方を追及するものだと私は考えます。

長々と書きましたが、ズタボロ様のような見方は必要ですが、どちらかなど言うことなく、射形と的中を両立を考える事をお勧めします。
「きれいな射で安定した的中を、チームを助けたい」と、奇麗事ではなく部員に伝えていけば、軋轢もなくなると思います。
是非、長く弓道を続け、正射必中を目指してください。

7:ズタボロさん
>>2 的に中らない弓を人見ていて楽しいかと言われたら、否定はできないですが、しかし、弓を引いているその人の型が綺麗であれば楽しいんではないかと思います。しかも、絶対中らないわけでもないので肯定も否定もできないとおもいます。

8:明鏡止水 ◆IDFFcYqcさん
>ズタボロさま
>自分は見て楽しむ弓道をしたい
はい、目標や目的はひとそれぞれで、色々な考え方が在って然るべきだと思います。

ただ、一つ伺いたいことは・・・「誰が」見るのかと云う問題です。
誰が見て楽しい弓であるのか……ですね。

また、「何を」見て楽しむのかと云う問題もあるはずです。
此れは本質から離れるかも知れませんが、「見ること」と「引くこと」とどちらが楽しいのか!と云う問いも在るかもしれません。

ズタボロさまは、いま現在何が一体楽しいとお考えでしょうか?
また、他人が引いている処を見て、どう云う点が楽しいと考えられますでしょうか。
何処を楽しいと受け取ることが出来るのでしょう。

>弓を引いているその人の型が綺麗であれば楽しいんではないか
当然ですが、受け取り方や感性はひとそれぞれでしょうね。

>なぜ中学、高校、大学では・・・
学生だけではないと思うのですよ。
一般に於いて、貴方が重要視なさる正射必中を目指し、「型」を判断される審査に於いても、的中は大きな要素には違い在りませんよ。

9:聖鳥さん
もし、数年という短い期間の間に得られる9割「程度」の的中ではなく、本物の射型から得られる本物の的中を一生かけて求めたいのなら、「阿波研造物語」を読んでみると良いかもしれませんよ。近くの図書館に月刊「武道」誌がおいてあれば、連載記事があるはずです。連載期間は…すみません、忘れてしまいました(^^;

ただ、的に狙いをつけている(故意に狙いを外さない)という前提で、正しい射で発射した矢が的を外れることはあり得ない、的から外れるのは射に不正があるからだ、ということは間違いなく言えることですね。

10:T・Tさん
ズタボロ様の仰る所の目指す射は、
いわゆるところの「中て射」に対する「型射」であると思います。

すなわち、まず形を整え、そこに的中が伴っていく
という考えと、
まず少なからず中りがあり、それを向上させる事を目的射技を磨く、と。
どちらも目指す山頂は同じであり、
お互いにどちらが優れているとも劣るとも言えるものではありません。

 ただし、
今、ズタボロさんがここで仰るという事は、
的中を重視する相手方の意見を理解せず、
一方的に己の意見を固持して譲らない、
恥ずべき行為であるということを覚えておいてください。

さらに高校生という事で少々早い気もしますが、
もう一つ言っておきます。私としてはこちらが重要ですが。
例え高校の部活であれ、そこは一つのコミュニティであり、
そこには確固たるローカルルールが存在します。
そこに所属するからにはそれに従うというのが社会であり、
それを変えたければ、一旦は既存のそれに従った上で、
道理を整えた上で行わなければなりません。
大会というのは的中を競う場であり、
それのために短期間で成績を出すために
的中にこだわる事をルールとして指導を行う部活は
決しておかしい事ではなく、
それに一旦従う事もなく一方的に不満をもらす行為は
一つの社会に生きる者としての筋道が立っていない行為だと知っておいて下さい。

11:元学生さん
当てを意識しないと部員にいろいろ言われるということは、そこにズタボロ様へ対する期待がある表れでないでしょうか。

綺麗な型をめざしておられる様なので、その価値について周囲の部員も否定はしてないと思います。しかし、そこに当てることへの執念や思いに欠けていることを咎められている気がします。当てることへの執念が全て当て射になるわけでなく、他の意見でもあるように、型と的中は両立するもので目指す頂点は同じです。どちらも欠くことができないことをご理解ください。

どうしても型と的中の両立が受け入れられないなら、そもそもなぜ部という集団に属したのでしょうか。部である以上、一つの目標に向かって行動することが求められるのは当然で、それを否定するのは部に所属することを否定することと同じです。

大学生の中にもズタボロ様と同じように考えられる方もおり、その人たちは、部に入らずに、同好会や地域の弓道会に入って学生と一線を隔してます。そこまでの覚悟がなければ、部の方針を受け入れざるを得ないと思います。

12:てぃきんりとるさん
教本の巻末には、級位・段位の条件が書いてありますが、参段は「的中やや確実な者」、四段は「的中確実な者」となっています。いくら綺麗な射型でも、中らなきゃ受からないってことですよね…

13:天龍さん
私も大学の部員で、ズタボロさんと同じ意見を言う後輩に何人か出会いました。確か、皆初心者でした。失礼ながら、同期の中で若干出遅れた感のある部員です。
弓を引いて中てたくない人はいません。立派な射形で、がんがん中ててヒーローになりたいに決まっています。
高校時代は実質二年半で、思うように的中が出ないとあせります。しかし、競技そのものの批判をしても何の解決にもなりません。愚痴など言わずひとつのことに黙々と取り組めば、必ず結果が出ます。
弓道人生始まったばかりです。

14:Y.K.さん
みなさんの説得を聞いて、これからどうすべきかはある程度見通しがついたのではないでしょうか。

ここからは自分の意見なのですが、
ズタボロさんはきっと自分のことしか見えていなかったのでしょう。若いうち初心のうちはよくあることです。
部活動は部員による自治が求められますので、個人のエゴで他の部員を困らせる行為は許されません。『自分はこうしたいのに〜』ではなくて、『チームにとってプラスになるに、自分はこう考えている』っていうやり方を新しく身に着けて実行することが、今のズタボロさんにとって急務だと思うのです。

ちょっと厳しい表現だったかもしれませんが、せっかく部活でやってるんですから、チームメイトのことも少しは考えてあげてください。

15:ズタボロさん
返信おそくなってすみませんでした。時間があまりなかったもので。みなさんの意見ありがとうございます。やはり、自分の意見を主張するのも大事なのでしょうが、今はまわりのことを考えて部活という集団として行動するほうがいいみたいですね。今後はみなさんの意見を参考にしていきたいと思います。もし、他に何か意見があるのであれば聞かせてください。この度はたくさんの意見、長文ありがとうございました。

16:あろさん
もう遅いかもしれませんが、私の意見を言わせてください。
的中は美しい型をしたおまけではありません。むしろ、弓と言うものは「何かに的中させる」事が目的だと私は考えます。

たしかに美しく、悠然とした射型は弓道をやっていく者ならば誰もが目指すもの。しかし、そんな射型をしているのに中たらないのは、その射型に「魂」が入っていないのと同じだと思います。

ズタボロさんは、「正射必中」を「綺麗な射型、見るに楽しい射型をすれば必ず中る」と思っているのでしょうか?私は正射必中は射法にかなった、合理的な引き方をすれば、必ず中ると言う意味だと解釈しています。

学生弓道が的中に重きを置くのは、試合がメインであるからです。私は中る事が出来る射手が、先生や同期生に型の良し悪しを指摘され、試行錯誤しその結果、美しい射型を手に入れていくのだと思います。
はじめから型の美しさを出発点にして弓道をすれば、本来の「美しい射型」には辿りつけないと思います。つまり的中を放棄して、射型の美だけを追求する事は、正射必中のうちには入りません。

私はそんな射型を見ても楽しくはないです。

17:けんたろさん
私はズタボロさんの仰ることは、お話としては筋が通っていると思います。
問題は周りが言っている「中てを意識する」
という意味がどういうことなのか?
一方でスタボロさんの仰る「美しい射」
という美しさの基準をどうとっておられるか、
にかかっていると思います。
私はよく教えている生徒たちに話すのですが、
”中てよう”とすることと”中て気"は違う、と考えています。
安定的に中る為に、如何に合理的に弓を引くか、というところが正射ということであって、
その方法論として教本に載っているような射技、射法が語られていると思います。
「安定して、合理的に中る為に何をしようか」と考えて行動するのが、弓道そのものであるとすれば、
中てようとすることは、意義そのものでもありますし、その芯があるからこそ、
射は美しくなるものだと思います。
”中て気”というものは、ちょっと上に飛びそうだから、下をねらおう、上押しを強めにしよう、
という小手先に手段によって、一時的に的中を得ようという、
弱い心の現われだと思います。

そのあたりをご自分の中で整理されると、
中ることと美しい射が実は不可分のものであることが、すっきりと腑に落ちてくると思います。

周りの部員の方がそのあたりをどのように思われての発言なのか、
聞いてみればよいと思われます。
意見が異なれば、話し合うことができるのが
人間の良いところですから。

教本の真善美の考えからすると、
中らないのに美しいはずが無い、
ということになりますしね。

私はたまに考えなしに正射を語る人(後輩)に説教をします(笑)


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