弓道に関係のある歴史上の人物 (投稿15件)[1〜15]


1:Karinさん
弓道に関係のある歴史上の人物、知っている方居ませんか!? 
 北海道在住なので今日から夏休みなのですが、社会の宿題で「歴史上の人物1人をピックアップして調べる」というものが出まして… 資料集などでも戦で弓矢が使われていたので「実はこの人は弓が上手かった!」みたいな有名人を知っていましたら、ヒント(?)だけでも教えていただければ幸いです!!(>_<; 

2:りくぶうさん
達人・那須与一(源氏)


逸話・三本の矢(毛利)

あえてヒントだけです。

調べるてみるとよいですよ!

3:たぶんおやじさん
徳川慶喜公
何年か前に弓道誌の表紙になってました。

源為朝
謀反人だからなあ?

4:明鏡止水 ◆IDFFcYqcさん
和佐大八郎・・・星野勘左衛門

源 義家

5:射楽斎Uさん
私自身が調べたい人物ですが…。

「小笠原秀清(少斎)1547?〜1600」です。
歴史書や文学書には小笠原少斎で出てくる方が多いかもしれません。
細川家の家老で、家康が豊臣家を誘い出すために関東へ出かけたすきに、石田三成が在阪の大名の奥方を大阪城に人質として入場させようとし、ことわって攻められて死んだ細川ガラシャを介錯した弓の名手です。

吉田六左右衛門重勝(雪荷)が秀清に礼法を学んだらしく、小笠原の体配の大筋が日置流に入った最初ではないかと思われます。
推定で33歳も年下の秀清に頭を下げて古式・礼法を学んだ雪荷の人格と「日置吉田流」大成への思いの深さ。
それに応えた、若き日の秀清の清々しさ。
そして、クリスチャンであるために自害のできないガラシャを介錯し自刃した最期…、ものすごく興味があります。
また、日置流の射法論もこのとき秀清に伝えられた可能性が高く、小笠原流の「射方全書」は雪荷の射法論と大差ありません。
ついでですが、重勝は竹林坊如成と同世代で親交が深くその射法論も全てではありませんが同一文の占める割合がかなりあるようです。

多くの流派が、その勃興期に激しく交流し、その後独自の道を歩み始めた、その最初の注目すべき人物として、小笠原秀清少斎が居たように思えてならないのです。

6:ジャオさん
作家の吉川英治さんも月刊弓道に載ってましたよね

7:竹ぐしさん
ミハーなところで那須の与一。

8:弓を引く人さん
弓術天下無双 六角義賢

9:Karinさん
たくさんのご返信ありがとうございます!!!
 今のトコロ、有名シリーズ(笑)で,りくぶうさん・竹串さんの「那須与一」か、たぶんおやじさんの「徳川慶喜」にしようかと思っています。まだまだ募集中!なので、よろしくお願いします*。*+゜

10:枕流さん
”孔子”

まだ名前が挙がっていないようなので投稿します。弓における儒学精神の根幹をなす人物でしょうからね。

11:道民改めspaっ子さん
 鵺退治で有名な
 
 源頼政

はいかがでしょうか?弓の名手だけではなく、和歌の名手でもあり、源氏旗揚げの先駆的な役割を果たした武将です。竹矢の節の部分を赤く塗るのは、たしかこの方の故事によるとかだったような

12:ななきめさん
田原(俵)藤太こと藤原秀郷。平安時代の武将。竜神からの依頼を受けての大ムカデ退治(御伽草子)、平将門の乱での活躍(吾妻鏡)。あと男勝りの強弓を引いた美女、巴御前や板額かな。暑い中ですが宿題頑張って下さい。

13:重義さん
内藤正成(1528〜1604)
徳川家家臣で弓の名手。
楯越しに敵の伏兵を射殺した話あり、三本の矢で六人を射殺したという話あり、一本の矢で二人射殺した事がある。
かなりマイナーな人物ですが意外に調べたりすると面白いですよ。

他には、吉田源八郎。(1562〜1638)
近江・蒲生群の出身。弓術に優れ後(こちらの方が有名か。)一水軒印西と称し、印西弓術を起こした。豊臣秀次や結城秀康に仕え、
後、徳川家康に仕え、「大阪の役」にも参戦している。子孫は徳川家旗本となった。

とまぁ、歴史オタクぶりを発揮していますが、ちょっとした参考や興味をそそる資料になれば幸いです^^;

14:Karinさん
たくさんアイディアを出していただいたのに、ネットで調べてもなかなか出てきてくれないんです(泣)出来れば有名な(教科書等に名前だけでも出るくらい)人で、弓道の話だけでなく生涯なども調べてみたいのですが…わがままですがどこか良いサイトさんありませんか!!?(>д<。。

15:ジャオさん
ネットで調べるなら検索サイト(ヤフー、グーグルなど)で一つ一つ調べてはどうでしょう?図書館で調べてみても良いかと思います。


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