大離れ (投稿17件)[1〜17]


1:もうそう日置さん
 こんにちは。高校で弓を始めて、現在大学の一年で体育会に入って弓を引いているものです。(高校の時は正面で弓を引き、大学に入ってから斜面に転向しました。)

 最近耳にしたのですが、江戸時代の射手達は離れで馬手が数cm動くだけの小離れが主流であったと聞きました。当時は完全に実戦を考えての射法だったはずですから、それが中・貫・久に優れていると多くの射手に受け入れられての小離れの繁栄だったのだと思います。

 さて、近代の弓道ですが、多くの射手は大離れです。学生の大きな大会でも自分は小離れを行う学校を見た記憶はありません。


 そこで疑問なのですが、皆さんは、なぜこれほどまでに数百年の間で大離れが行われるようになったのだとお考えですか?

 様々な意見をお聞きしたいと思います。よろしくお願いいたします。

2:明鏡止水 ◆IDFFcYqcさん
弓道教本を先ずお読みになられては如何でしょうね。


また・・・変わったことは‘離れ’だけなのでしょうか。

3:元学生さん
全日本選手権の優勝者が大離れで審査員に絶賛され一つの見本になったからとのうわさを聞いたことがあります。

よらば大樹のかげ。
しかし、小離れは大離れに劣るものなのか?
斜面と正面のように両方を認めて共存できればいいのに、現状は小離れは否定されてます。

4:二千翔さん
体の中心から技を繰る上で弓手と妻手のパワーバランス2:1(矢束)を乱さずに離れるには、やはり弓手の誘いがセオリーですが、大離れは、ほぼ意図的に妻手を伸ばしているといえ、つまり妻手離れと言えます。まぁ中には弓手で誘い離れても残身(心)に於いてこれまた意図的に妻手を伸ばす方も私は見てきました。ただ、俗に言う二段離れそのものようで見ていて無礼ながら参考とまではいきません。

5:二千翔さん
ちなみに上記は妻手に関してです。私は考えるところ本当に問題なのは、振り込みです。つまり弓手の手の内を考えた場合、矢の線を角見の線に押し出す絞りの働きを絞り利かせず、弓手全体でその線に流してしまうことにある傾向が現代では良く見られるそうです。「絞り一枚に利かす」と私は教わってきたので、あくまで主観的な意見ですが...

6:名無しさん
http://www.geocities.jp/muso_oka/nayannde.htm
参考にしてみればどうでしょうか?

7:もうそう日置さん
 皆様の書き込み大変嬉しく思います。

>明鏡止水様
 勉強不足で、申し訳ございません。もう一度弓連の教本を一巻から熟読してみようと思います。時には、きっかけがなくとも原点に返って勉強せねばなりませんね。
>元学生様
 そうなんです。自分もそこに疑問を持ってこのスレッドを立てさせていただきました。あわよくば、生意気ながら皆さんに小離れについて考えていただくきっかけになれば良いなと思いました。昔は肯定されていたものが、射法の経年変化を加味してもこれほどまでに否定されるのは少しおかしい気がしまして。。。
>二千翔様
 現代でよく見られる傾向ですか。。。確かに、振込みが流行してしまうときちんと手の内の働いた射とは圧倒的な差が矢勢に出るでしょうから、かなり問題になるでしょうね。的紙さえ破れる矢勢があればよい、現代弓道の弱点みたいなものでしょうか。堅物射抜きなんかしてみたらショックを受ける射手さん(もちろん自分も含めて)が沢山いらっしゃるかもしれませんね。
>名無し様
 とても参考になるサイトを教えていただきまして、ありがとうございます。大離れを推奨される理由が良く書かれてあり、なるほどと思いました。胸の中筋を意識したときに残心があの形になるのは、たしかに小離れの残心より理解しやすいですよね。ある方がきっかけで大離れが流行ったというのも、とても興味深く感じました。

 
 さらに疑問なのですが、弓連流の方が小離れから大離れにかわっていかれたのはなんとなく納得ができるのですが、長い伝統を持つ(鎌倉時代などからの)弓道流派の射法が変化していったのには、かなり理解に苦しむ点があります。そのあたりの変化についてご存知の方がいらっしゃっいましたら、ぜひお聞かせ願いたいと思います。

8:たぶんおやじさん
もうそう日置さん
現在使用される矢の鏃は如何なってますか?
弓の使用目的は?
弓の強さは?
引く矢束は?
鎌倉時代からこれだけ変わっています。
その分進歩したと考えるのが妥当です。
弓師に入り浸ってましたである程度はお答えできます。

9:せったちゃんさん
単純に考えると連盟の審査に通りたいからではないでしょうか。

講習会等でも連盟の教本等に書かれた事が守られるように指導されます。連盟の講習会なので当然ではありますが、連盟が弓道界を圧倒的に支配している以上、他のやり方を圧迫する事になっているのではないでしょうか。

その連盟の方針も時折変化しますので、他の選択肢も残しておいて欲しいと思っています。

10:道民改めspaっ子さん
 昔からある流派でも初心者は大離れで離れさせて、上達するに従って離れが徐々に小さくなっていくということだと思います。そこに至るには何千万といった矢数が掛かっていることでしょうね。
 そこで私が思うには、流派弓術をされているところでも離れが大きいのは、現代の矢数では昔で言う小離れのレベルまで達する人がいないというだけではないでしょうか。
 ちなみに三十三間堂の通し矢は、大離れだったと聞いたことがあります。

11:もうそう日置さん
>たぶんおやじ様
 たしかにそうですね。私達の引いてる弓は、昔のヒトたちから見たら彼らの弓とはまったく違って見えるかもしれないほどの変化があるのですものね。現代では的前に立っているのを見るだけで、○○流だ。なんて判別も簡単にはできそうにありませんし。。。
>せったちゃん様
 解決してしまいました(苦)決定打は弓連ですな。お考えは、間違いないと思います。弓を引かないヒトにも客観的に分かる段位は、弓連が授けるもので、それは弓連の理想の形に近いものであるのが当然ですね。ホントに深く頷いてしまいました。総括する団体が存在する欠点を垣間見したような気になりました。


自分は、これからの弓道の更なる進化と、そこに多様性の存在を願うことにします。
 

12:もうそう日置さん
>道民改めspaっ子様
 なんだか難しいですね。となると、現代も流派は存在しているが、結局は完全なる継承は成し得なかったものが現代に残っているということになってしまうのかと。。。

13:たぶんおやじさん
私の師範は大正11年生まれでしたが、その叉先生が柴田勘十郎範士でと言う話から始めます。
その、大正生まれの師範に尾洲竹林の四巻の書の訳をお渡ししたんですが、何時から四本物体配はこんな風に決まったのか?と尋ねられました。
つまり、50年で尾洲竹林の体配が変わったというのです。私の現在の師範も最近しっかりしたことを決めたとおっしゃってました。
今日まで弓道の大本を伝えたのは各流派であり
無くなってもいませんし、これからも残ると思います。

14:道民改めspaっ子さん
>もうそう日置さん
 「完全なる継承」とはどういったニュアンスで使用されたのかわかりませんが、射形射技総て流祖のものを継承しているという意味ならば、日置流というものは存在しなくなるのではないでしょうか?といっても今私の念頭にあるのは日置弾正の肖像画(乳付けのやつです)です。頬付けの高さがこんなにまで違ったら、そこで射技や射形もかなり変わってくるでしょうし。
 弓道読本を読むと唐沢範士は、旧来の射形(骨法)に替えて自然体の射形(だいたい現在の一般的な射形かと)を主張されています。そして唐沢範士が言う旧来の射形が日置流印西派の本来のものであるならば、浦上榮範士や稲垣範士の射もそれとは違うということになると思います。
 それらをふまえると完全なる継承をしてきたことが流派であることの条件とするならば、流派というものは、名前は残っているものの、内容は流祖のものとは大違い(決して悪い意味ではありません)ということになるのではと極論ながら主張したくなります。

15:加門さん
横からお邪魔します。
唐沢範士は印西の遠州系、浦上範士はご存知のとおり印西岡山系の流れです。江戸初期にこれらの系は分派したのですが、江戸時代の閉鎖的な幕藩社会を背景に、各藩の射術は独自の改良・発展を遂げたようです。
したがって、日置弾正の射術そのものが日置流各流派に受け継がれているわけではないのですが、弾正公の教えをさらに深化・発展させ時代の要請に応えたものが各流派に受け継がれていると考えてます。
ただ、私の考えでは的前における射術の深化・発展は江戸時代すでになされており、それをいかに継承するか、または時代要請にあわせて変容させるかは流派存続の命運をかけた課題であるでしょう。
ちなみに、流派弓道を修行していますが、当然小離れで、全弓連の昇段審査は受けていません。
また、付けには三段あり、弾正公の乳付けもそのひとつで修練すべきものです。ほかにも、堅物抜き、打根(短槍のような矢)、弓槍(下鉾に付ける槍)、矢伏せ(飛んで来る矢を刀で切る術)等の修練を行いますが、命がけの稽古ですので、後継者がなかなか育たないのが現状です。後継者たらんと思う方がおられたら知らせてください。

16:千野わかめさん
 現在における各流派の意義は、流祖の射型射技をそのまま継承するものでは無く、流派毎の古式の礼法、例えば蟇目の儀、流鏑馬などの継承にあると私は思います。
全日本弓道連盟では指導していないので、伝統を継承する意味で重要と考えます。

多くの流派が誕生した時代は、強い弓を用いて会は短く、弓返りさせずに小離れで連続に射て兵を倒す方法を主に研究していたと推測されます。
現代の様に道場で的に向かって射る形式になった時に、戦国時代の射形のままで良いのかとの疑問が出てきて、射形射技の改良を行ったとしても自然の成り行きだと考えます。
射形射技は、時代背景によって変わっていくものでは無いでしょうか。

17:もうそう日置さん
 しばらく合宿で空けておりまして、返信できなかったことを先にお詫びいたします。

 この合宿のあいだにわずかではありますが勉強をし、流派についての考えがすこし改まりました。流祖の射形の完全なる複製を目指すことが流派の存在する全てではなく、彼が掲げる弓の本質に近づこうとするのが流派の重きをおくところなのかもしれません。
 当然、射礼や儀式のようなものにもその心があるから継承されるのかと思います。

 事実上、流派の外にいる自分は、今は流派弓道についてよく分かりませんが、座学にも励みながらしっかり弓を引いて弓の勉強を続けていこうと思います。


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