変な質問(;^_^A (投稿44件)[1〜44]


1:芥川さん
ありえない話ですが・・・会が全くないけど絶対どんなことがあっても中人と、会はそこそこだけど的中が微妙な人どっちがましだと思います?←興味翻意で聞いたんで否定とかバカにするようなことはしないでください↓↓↓↓↓

2:弓太郎さん
会はそこそこだけど的中が微妙な人がいいと思います。八節には会が入ってるのに会が全く無いのはちょっと変かも・・・

3:芥川さん
やはり八節が重要って事ですね。参考になります。

4:ナリスさん
僕は試合では勝にいきたいので中る人がいいなぁ

5:弓太郎さん
自分は早気は嫌だな。何か見ている側でも危ない感じがするし・・・

6:芥川さん
ナリスサンみたいな意見もありますよね。参考になります。

7:ダービッツさん
絶対中るんなら早気でもいいですね。

8:弓遊びさん
おもしろい企画だと思います。

私は前者です。
会が全く無いけど必ず的中する人です。

私なりの理由は、何かしら的中させるためのコツを会得している。
つまり、体内での力の使い方が理にかなっている。
と思うからです。

しかし現実には、そのような人にお目にかかったことはありません。

9:芥川さん
先輩に聞いた話だと昔のOBにそれに近い人がいたらしいです。普通の的に60以上連中させ小的になっても30連中したらしいです。

10:弓遊びさん
>芥川さん


実在の御方とは…
驚きです。

11:芥川さん
自分も初め聞いたときそんな人いるわけないと思いましたが他の人も言っていたのでびっくりしました。

12:斜面見習い ◆Zgn84GbEさん
会がなくても中たる方ですね。           理由として中たる為の力の働き(使い方)ができているからです。       会は無いよりあった方が良いですが中たらない会は意味が無いように思います。

13:匿名さん
日本一に早気はいない 中つづけるために、勝ち続けるためには会はなくてはならない 早気は絶対にぱっと出でおわる 間違いない

14:ナリスさん
早気で強い人なら俺の先輩にいるし指導者なんて口まで持ってこずに高校時代は全国大会3度も行ったらしい。ちなみにその先輩は2年連続で国大選手に選ばれてて、去年は総合で準優勝だったかをしていました。早気で中る人はスゴイんですよ。会をもたずに中るというこは会をもてばどれくらい外さずにすむんでしょうね

15:黒好きさん
理解できてない人がいるみたいですが「会」が無いから中る訳ですよね、用は「鋭い矢が出て尚且つ中るポイント」がそこにある訳ですから しかも刹那で
会なしで中る人は大体押しがきまっていると思います、引き分けから離れまでが良い意味で「繋がって」いてどことなく鋭いです

私の知り合いの話ですが少しさせていただきます
何十年も前の話ですが大学の弓道部の同期に大学一年目にして出場した大会という大会で優勝しまくったという方が居たそうです、彼は的の1つ半前を狙い頬に矢がついた途端に弓手を思い切り後ろに振りこみ中てていたそうです
その方はそのとき「弓道なんて楽勝」とまで言われていました

そしてそれから数年経ったある日、彼の的中は本当に突然ぷつりと途切れました

持てない会、つかない頬付け、振り込む押手、的にはかすりもしなかったそうです
その後彼は大会に出ることも無く一生懸命射を治し現在八段を取られています
しかし八段になった今でさえ会は「三秒」しかありません
年をとっても一緒に弓を引いていた私が会を持ちすぎて離れで前に緩んでしまうので「思い切って早く離れてみようか」と言った途端その方は怒鳴りました
「お前だって見て解っているだろう、僕がどれだけ辛い思いをしてきているか」

この話は私の通っている道場の方から聞きました
私も会なしで8割程度的中させていたので感覚はわかります、だから解ります 会なしは必ずいつか「燃え尽き」ます
学生弓道でなら一躍ヒーローでしょうが、私はもうあんな弓引きたくは無いです。

16:蒼嶺さん
別のスレッドにも投稿させて頂きましたが、会は持つものではなく、尚且つ、耐えるものでは無いのですよ...充実さえしていれば、長短は関係ないのでは...そういう意味で会が長い短いで、早気や持たれの定義は立証されないのですから。

17:黒好きさん
>>蒼嶺様
引かぬ矢束を意識し弓と身体を近づけるという意味などでの会では?ただ中るポイントで持つという話ではないと思うのですが

あっという間に充実してしまうのは完成度が低いのでは?俗に言う浅い射というかなんというか・・・ゴール地点が違うというかスタートから違うというか(うまく文になりません、すいません)
一番最近の全国大会でも会の短い方は五位、女子は五位と二位をとられていますが私のようなぺーぺーでも一位の方などとは明らかに会での充実のレベルが違うように見えます

18:蒼嶺さん
会の充実の定義とは如何なものとお考えになられているのでしょうか?当然、お答えすることは叶わないのでしょう。客観的視点では量り得ないのですから...なぜそう言えるのでしょう?と問われたのなら、他人と自分が入れ代わり、射の感を得ることが出来ますか?出来るわけ有りません。技術論をお述べに成られては、精神論に繋がりを求めていらっしゃる...

19:黒好きさん
それでは極端な話、弓道が会0秒で通用するとお思いですか?引いている本人にしか解らない内部の感覚であろうとどれだけ満足しようと傍から見て会0秒がどう目に映るかは解りますよね?
短い会で離れの時機が来たとしてもそれはまだ成長過程な訳でありまだ射の改善の余地があるということではないのでしょうか?極端な話をすれば射癖であり治すべきなのでは?

精神論なんて私には「普段から礼儀正しく良い姿勢で・・・」のようなことしか言えません(精神論でもなんでもないですが)
宇宙も感じたことはありません

20:蒼嶺さん
このような場に及んでまで、誰もが学び得たような、弓道教本に記されている定説を述べなければならないのですか?滑稽な話です。会が0秒ってそれは会という術が成し得てないのでは...貴方が一番極論的なお考えをもっていらっしゃる...

21:黒好きさん
>>蒼嶺様
一番最初に芥川さんが書いていることを読み直してもらえますか?すいません

22:一箭有心さん
私はどちらとも言えません。実際、自分は会はあるもので、会は必要と思っているのですが、私の学校の部には早気が何人かいて、その内の一人は国体選手にまで選ばれました。だから、私の心の中で矛盾が生じているのです。会は八節の中の一つ。八節の中で必要のないものはなぃ!と教わってきて、そう信じてきて今もそう思っています。でも、早気の人は私以上に中るのです。。。
高校弓道は中りを求められています。だから、早気で100%近く中るのならそうしたいくらいです。でも、黒好きさんが言われているように、いずれ中らなくなる時がくると顧問の先生に言われたし、一般になって弓を引くとき認められないと思うとそぅできなぃんですよねぇ(^_^;)
長々と書きましたが、会は必要だと思います。でも、やっぱ私の中では葛藤が続いています。。。

23:芥川さん
ありがとうございます。なんか会話が変な方へ走ってたので困ってました。

24:遮二無二さん
どんなことがあっても強い矢を的に中てることができて、その射をずっと持続することができるのであれば、早気であろうとなんであろうとそれは賞賛を受けるべき射であると思います。
射法というものは貫徹力の高い矢を的に中て、それを持続させるための最善の法として伝えられているものと解釈しています。とすれば、早気でもその条件を満たすことができるならばそれは一つの射法として認められてもよいものです。
しかしながら、えてして早気というのは一時的に中ってもそのうち射を崩して中らなくなってしまうものでして、だからこそ様々な流派の射法においても早気は悪癖とされているのでしょう。それに貫徹力も出にくいですしね。
私は、見た目の綺麗さのための射法や弓道論は嫌いです。機能美が大事、とでも言いましょうか。
だから極端な話、上で議論がなされているような会なしの射でも中貫久を達成出来るのであれば問題はないと思います。
でも会なしでそれを達成するのは不可能だと私は思いますがね。。。

25:黒好きさん
>>芥川さん
話を振ったような形になったのも私が先なので、スレ汚しすいませんでした
会なしで的中率100パーセントが出せたとしてもそれは一生続く訳ないですよね?続いて半年行けばいいくらいではないでしょうか。中らなくなれば射を治そうとしても治す間もなく反射的に矢が出て行くわけですからただ「早気」を克服する稽古になりますよね
会ありでまぁまぁ中る方は波はある程度あるでしょうが会でしっかりすることが出来て大きな舞台での大切な一射でもしっかり粘れるでしょう

中る点ではなく面であり面での伸びが鋭い矢勢と安定した的中率を出すことに繋がると私は考えます

26:へたれさん
今までにたくさんのすばらしい高段者がいます。皆さんに質問です。皆さんの記憶の中に早気ですばらしい射をしている人はいますか?・・・ちなみに自分のしってる中にはそのようなお方はいません。早気になった人の多くは中てたい思いが強い人が多いと思います。

27:一箭有心さん
私はそのような方をまだ見たことがありません。今まで審査や県大会レベルの試合での矢渡し・納射、一般の地方の大会でしか高段者の射をみたことがないのですが、早気で凄い!って射は見たことがありません。
私は、一般の大会で見た、会がすっごく充実してて矢飛びも良く魅力のある射が忘れられません。

28:蝉さん
私も会は持った方が良いと思います。
早気で的中率が100%なのは凄い事、しかし
それは「中てる射」なのでは??会が無くても
しっかり押し引きができ、充分に伸びあう事が
出来るなら良いと思うのですが、会が無いと
いう時点で気持ちに余裕が無いからだと思います。
射型良くて尚且つ気持ちがしっかりしている
事が「中る射」に繋がるのだと思います。

29:ダービッツさん
べつに会の長さと的中は必ずしも比例しないと思います。私の身の回りでも早気でも高的中がずっと続いている人もいますし…

30:DEWさん
全盛期の高校3年の時は早気(会2秒程度が限界)で7割超えくらい中ててましたが・・・個人的には後者かな?100射100中できる可能性が極々小さなものでも存在するからです。
(ってか会“そこそこ”で的中微妙だと全く良いとこ無い気もしますが(汗))

大学で見た同学年のインターハイ&国体出場選手の射を見て、自覚はしていたもののいかに自分が中て射であったかを痛感しました。やっぱり早気だとどうしても調子に波ができると思います。波の幅は1ヶ月程度から何年単位まで人それぞれでしょうけど・・・。要するに瞬間的な的中率は高くなっても、持続的な的中率には限界があるかと。っていうのは自分がそうだったからという根拠しかないですけど。。
大会などでも本当に優勝争い上位になると会はあるもんです。安定して中ててる人は会はあります。

自論ですが、ただ長いのがいいかというとそうでもなく、誤解を恐れずに言うならば引き分けや離れの方が重要だと思います。まぁ八節全部大切なのは言うまでもないですが。正しくない引き分けからいくら会を伸ばしたところで意味が無いですし、離れがぐちゃぐちゃでも意味が無いですよね。

31:弓遊び2号さん
「するするとん」の話が出てきます。今手元に教本がないので、記憶のみで書きますが。

昔々のある偉い先生が、「するする」と引いて「とん」と離す。的から外れない。「会」といわれるものは、見た感じではなかったそうです。いつも同じペースで「するするとん」。生涯その速さは一定だったそうです。
この話を解説していらっしゃる先生(お名前は忘れました)は、
「思うに、このするするとんの先生は、まれな例で、普通の人間は、するすると引いてとんと離していたら、いつのまにかするとんになり、すとんになる。そしてねらいもつけられなくなり、ついには弓を捨てなければならなくなる。それを防ぐ為にも、会でがんばることをしなければならない。会を持つ事は、生涯弓を引くための、貯金でもある。」
というような意味のことをかいていらっしゃいました。

というわけで、私は一生涯するするとんが出来て中るなら、そっちのほうがいいです。でも、多分だめだと思います。

32:真尻さん
私はかっこよく中てないといけない場面(審査や教え子に魅せる時等)では会を持ちますが、中て続けないといけない場面では会を持ちません。どんなに理想を語っても、会をもって精一杯の射ばかりをやりつづけても精神力が持ちません。

私にとって会で必要な事は、射全体の成熟と狙う行為ですが、それは意図すれば鼻から口に収まる時にできる事で、合理的に当て続ける事を考えた時、体力を会で無理に消費する事は必要ないと考えています。

ちなみに、最近一番引いたのはデビ杯決勝の時で、あの時は100射98中で会はなかったです。(26本目で一本外しましたが)

この話題は早気で、私のようにコントロールできる人間はそもそも早気とは定義されない気もしますが、一応こういう人もいるということで・・・

33:村民さん
皆さん凄くよく考えていらっしゃるので感心しました。

自分は、試合で勝ち抜いてかつ見る人をひきつける射をして、誰かに感動をもたらしたいと夢見て練習しています。自分の先生も会で伸びあい残身で伸びあい、見事な射で確実に当てられます。全関で観衆を沸かせた選手の方にも会のない人はいませんでした。自分はこのような方々を越えたくて練習しています。だから、会を持って当てることを目標にしています。

動機が単純ですみません。

34:梨沙さん
会ゎあったほうがいいです。
これだけゎ譲れませんね。

うちの顧問がよく言っていることなんですが、顧問に見てもらい、成長する気があるなら、会ゎ持てと。会のうちにのびや、角見の働きを十分にして、離れにつなげるのであって、会がなくてゎ中りゎ継続しないと。
会があって、初めて監督が手を入れられるのであって、会がなくてゎ指導がちっとも出来ずに、成長できなくなてしまいます。
成長を望まない人が会のない射をしている分にゎ問題ないんじゃないでしょうか。

35:紫弓さん
何故悪いと広まったのか考えるとまた面白いですよね。簡単にいえば時代の流れですが、、、。昔は働きさえあれば早気でなく早く離れただけと見た先生も多かったと聞いています。

早気を直すにもどの状態でも同じ離れを出せる様にしないといくら直しても違和感のせいで元に戻ります。正攻法では正しいのをそのままやらせたいですが慣れの問題で難しくなります。何時でも離れを出せる様にしてから時間的な早気を直させたいものです。大概こんな時は射型も同時になおりますが、、、。
ただ会を持たせられるだけ持たせたり、引き戻しをさせるのは、時間的には一番効果的ですが、ある程度形がまとまらないと手先弓でびくに繋がる事が多いいので私は進めていません、、。

やはり真尻さんみたいな方はいるみたいですね。骨格的に会で体力を失い易い人とそうでない人がいるので精神力ばかりは難しいですね。実戦的にはないほうがよいですが、、、。そういえば蹲で矢継早をやるのには時間的な会はありませんので悪いとは言えないように思います。
ある意味使い分けが必要だと思います。

36:真尻さん
日弓連が定めた射法には八個の節がありますが、これは日弓連が求めている理想に近づく為に必要な事です。自分にとっての射法にいくつの節が必要なのか、こう考えるのも面白いと思います。自分が弓道をやっていて宇宙を感じる瞬間(ゾーンに入る時)はやはり、30、40本連続で中った時であり、その時は会から離れがでるまでの波長を最低限に合わせて次ぎの一本が中る状態に無意識に合わせようとします。潜在的に、自分がなで肩、猿腕で体力を会で消費しやすいのを知っているからでしょう。

会というのも、一つの技です。会で得るものを引き分けで達成できるのも実力だと思います。このような考え方をしたとき、調子や初心者の調子中りの時期ではなく、会がなくて絶対に中る人がいれば、それはそれで評価できるのではないでしょうか。

37:笹岡 ◆mRq5DITcさん [url]
芥川さんが仰る「絶対中る」は、今後も継続して中ることをいうのでしょうか。
もしそうであれば、会がなくても中る方がイイです。
なぜなら、それこそ弓道の最高目標といわれる「真善美」だと思うからです。絶対の的中に勝る技などありません。
まあ、現実に100パーセント保証された的中なんてないワケですから、私も皆さんも会のある射に惹かれるんだと思います。

38:きまぐれさん
会を持たなければならいのは時代のながれなのでしょうか?例えば大昔の戦国時代等で会は必要なかったのかというとそうではなくむしろ必要だったようです。

以前戦国時代マニアの史学部の友人が俺は早気だから戦国時代では出世出来ないと嘆いていた(?)のですが、彼がみた古文書によると早気の兵士は待ち伏せ時などの一斉射撃の際に1人だけ離れてしまい、命令無視をしてしまい奇襲を台無しにしてしまう可能性があり、団体の戦術上ものの役に立たないので出世できなかったそうです。

団体戦術こそが勝敗を分けるわけですから命令を聞きたくても、それができないような早気は弓部隊ではお払い箱、いくらあたっても使えないというのは想像に難しくありません。

ちょっと話がそれたかもしれませんがそれこそ大昔は会(ねらった所で止まる技術)は弓を扱う人間としては必要だったようです。

39:紫弓さん
は一昔前の現代においてですね。時間的早く離れるは駄目だと広まる背景に、前会長が広めたように見られている様です。確かにないよりあるほうがいいけど働きを無視してもつ様に広まったのが問題に思います。
大昔のその話しは納得ですね。そういえば陣頭をつかえないのかな?奇襲だから音はばれるし戦場の挨拶は必要ないかな、、、。

後は矢継早は何時広まったかですが、これは江戸時代の通し矢の時代とも考えられます。
横道および脱文失礼しました。

40:真尻さん
>>39
そのような事は知っている人には有名な事実ですが、まだ免疫がない人もいるので名指しは良くないかと。

しかし、トップの意見はすぐに末端まで行き渡るんだなとこの掲示板を見て思います。代表的なものとして、「弓返りはしないでよい」「的中よりも射型」、このような思想のトップがいる事で皆それが当然のように振る舞う、ある意味宗教的な部分が大きいですね。

脱線失礼しました。

41:紫弓さん
そう見られ易いと、書きましたが配慮が足りませんでした。やはり公私が明確でない話は避けるべきでしたね。以後気をつけます。

42:Sanctifyさん [url]
会については、私はあった方が良い、むしろ無ければいけないと思います(と、早気のヘタレが申し上げるのも変な話ですが(^^;)。例えばいくら過酷なトレーニングを積んだ人でも50mを1秒で走ることができる人がいないように、28m先の小さな的に確実に的中させる程に会を充実させるには、いくら早く充実させることができる人でも、最低3秒前後はかかるのではないかと思うからです。となると、仮に会無く離して高的中を出す人がいても、いつかは破綻するのかなぁ、と。まあ、自分が早気で、高的中の経験がないのでわかりませんけどね(^^;
それとは別に、もっと現実的な問題として、会を持たないで離すと言うことは毎回完璧に引分けを同じように引いてこなければならなくなります(少しでも違えば力の作用線は変化してしまうので)が、弓力は大体10kg〜20kgもあり、結構な重労働ですから、ミリ単位で正確に引分けることは、現実的に不可能かと思います。となれば、一旦会で力の作用線を安定させてから離す必要性があるのだと思います。

ところで、1つだけ質問をさせて下さい。骨格と会での体力の消費は、やはり多少の関係があるのでしょうか?私は骨折が原因で極端なさし腕なのですが(会の状態で、弓手の肘が矢の上に出てしまうぐらい)、会を秒数だけ持とうとしても、5〜6秒で腕が悲鳴を上げてしまいます。早気で普段会が持てていないから、体力がついて無くてすぐ疲れてしまうんだろうなぁ、と私は思っていたのですが、どうなのでしょうか?

43:芥川さん
矛盾してますけど自分なりには少しは関係あると思いますがあまり関係してないと思います(>_<)

44:斜面見習いさん
会が短くてもその射を常にだせるなら良いと思います(的中も)。単に会の長さが長いか短いかだけを言うなら大半が「もたれ」や「はやけ」しか居ないような気がします。よく「はやけ」の人は的にとらわれるとか言われますが的中を意識して会をもとうとする行為もまた的にとらわれてると思います。
結局は中たる会を作るのであれば長さはどうでも良いと思います。自分の感覚(タイミング)を体に覚えさせる。
暴発関係の「はやけ」が良いとは一切言ってないので勘違いしないでください。


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