魅力的な〜 (投稿11件)[1〜11]


1:ピコさん
みなさんは弓道の何に魅力を感じてますか?私は高校時代ライバルよりただ的中が上がるよう、切磋琢磨したものでしたが、大学ではそんな射は捨てて社会人の射をするよう言われました。弓道で綺麗な射をすることの大切さはわかっているつもりですが、なんだか魅力が半減した気分です。高校時代の熱い気持ちもすっかり冷めてしまいました。また申し訳ないですが、的中主義は駄目とかいろいろと思う方もいると思いますが、あくまでも弓道の魅力についてのみ、みなさんに聞いてみたいです。よろしくお願いします。

2:肥後さん
今晩は
なかなか鋭い悩みをお持ちですね???
難しいなぁ〜
私は思うに
やはりいつの時も切磋琢磨しながら弓道をしているその弓人ではないでしょうか?
ピコさんも魅力的だと思います。
学生時代は競技の為、中り中心に努力されて、それは幾つもの好結果をだされてたことでしょう。またそれなりの努力をされたと思います。ピコさんの周りの方々は貴方に羨望の眼差しを持ってらっしゃると思います。弓道の完成に向かって行く姿。その姿は魅力的と言えないでしょうか?中てつづける事は難しいですよね。私の弓友に国体で2連覇しました。その彼の努力には頭が下がりました。また、弓友と呼べる相手というのが嬉しいです。そして弓人がここには沢山集まってきてあ〜でもない、こうでもないと悩みながら書きこしてる姿。みんな弓道バカなんだなって思って参加してる自分も弓道バカなんですよね。(笑う)なんか的外れみたいですね。あ〜だから中らないのか!
でも私は日々そう思っております。
長々と申し訳ありません。
気分外されたらお許しください。

3:サリー☆さん
弓道は他のスポーツと違い他人を傷つけることのないすばらしいスポーツだと思っています、自分が中て続ければ(外さなければ)かならず勝てる競技です。私は試合のとき中ればというより、外さなければ勝てると自分に言い聞かします。と言っても的中高くないですけど(汗 私は的中重視の射を練習してたつもりはなく自分なりの正射必中を目指して怒ったり、泣いたり、笑ったりの楽しい毎日でした。高段者の方から見れば私を含め学生などの射は当て射かもしれません、(もう引退しました)確かに的中重視の人もいますが悪いことではないと思うし、たった数年で完璧な射をするのは無理でしょう。だからこそ弓道は魅力的なのだから…人の目や意見は気になるし、聞いたり取り入れたりすることは大切ですが、人それぞれ自分の射を貫き通す、それが正射じゃないでしょうか?そうじゃなければ楽しくないですよ。私は私、あなたはあなたなんですから。あと肥後弓人さんの考え方というか、意見とても感動しました!この書き込みでどれだけの人の気持ちが救われたか。変な言い方や嫌な思いをさせてしまっていたらすいません。でわ!

4:くるみさん
今日は。
ピコさん、はじめまして。とっても大事だと思う事で、悩んでいますね。自分も悩みます。

的中率向上を目標に掲げつづけるのは、決して悪い事ではないですし、弓道の1つの魅力だと思います。
でも、綺麗な射を見ていて飽きる事はありますか?
的中するのも見ていて気持ちいですが、射があまりに崩れているのは、決して誉められるものではありません。
それに、的中だけを目指していくと、早気などの最悪な症状になる可能性があります。
けれど、綺麗な射を目指して練習すれば、そんなことには早々なりません。

だから、今は綺麗な射を目指してみてはどうでしょうか?
的中主義も大いに結構。
けれど、どうか片隅にでも良いから、正射という言葉も置いておいてあげて下さい。

『正射必中』『真善美』自分の弓道で大好きな言葉達です。

5:麦粒さん
私が思う理想の射は綺麗で中る射です。的中だけでもなく、綺麗な射だけでもありません。

今までが的中主義、大学では社会人の射をするように言われた→どちらも大事なことだと思います。今までの射を捨ててというよりは、今の的中を維持して綺麗に中るように目指せということではないですか?今までの的中主義+正射。目指す範囲が広がったと思うと今まで以上に魅力を感じてワクワクしませんか?

射を評価する見かたとして次のことが挙げられます。
「射も綺麗でなくて中りもない」
「射は綺麗でないが中りがある」
「射は綺麗だが中りがない」
「射も綺麗で中りもある」
ピコさんはどれが一番魅力的だと思いますか?

6:ピコさん
みなさん様々な意見ありがとうございました。
→麦粒さんへ。それは、「射も綺麗で、中りもある」ものが良いとおもいます。が、私は今のところそこに魅力を感じないんです。もっと言うと、中っても何も感じないんです。…私、なんだか弓人として終ってますね…。
当分は綺麗な射を目指して弓道していきたいと思います。弓道は好きですし、続けていきたいですが、すこし残念です。私は当たろうが、当たらないだろうが、綺麗だろうが、汚かろうが、みんなで頑張っていく過程が良かったと思います。その空気が今思うと魅力的でした。学生弓道の良いところだと思います。(話しそれました。すいません)それが今は無くてこの様なスレを立ててみました。目標が無いと何事も続けられないと思うので。

7:麦粒さん
>6 ピコさんへ
そういえば私も大学に入ってから1年間ほどは高校時代みたいに熱くはなく、ただ意味もなく弓を引いているだけの時期がありました。それでも続けていたのは弓が好きだったからなんですよね。好きだからこそ今のままでは納得がいかない。
自分の場合は、数ヶ月経って気がついたらモチベーションが上がってましたけど、1コ上が代替わりして環境が変わったからだと思います。
一定期間、今とは違った環境に身を置いてみるのはどうですか?大学ではなく、一般の方に交じって弓を引いてみるとか。

8:遥さん
大学で「社会人の射をしろ」といわれるなんて珍しいですねぇ。
自分にとって大学弓道って的中至上主義的なイメージがあるもので…。

ピコさんにとって高校時代は、
仲間と共に熱く弓道をすることに魅力を感じていたということですよね。
だったら大学でも新しい仲間と、同じ事をすればいいじゃないですか。
目標が試合での勝利であれ、審査での合格であれ、
同じ部の仲間と一緒に同じ目標を目指していけばいいと思います。
熱く!!!

9:真尻さん
>>6
>中っても何も感じないんです。…私、なんだか弓人として終ってますね…。

私も中っても何も感じませんよ。
中る事に慣れる所から始まって、それを超えた部分にくるとそのような感情を超えます。その感情を超えないと、中った事で起こる喜び、悲しみ、怒りがおこりますので弓道でもっとも必要な平常心という状態が達成できません。逆に一本引いて中って喜んでいるのは、まだまだ未熟な状態です。

中島敦の「名人伝」(青空文庫)
http://www.aozora.gr.jp/cards/000119/files/621_14498.html

これを読んでください。私が言っている事がよく書かれている名作です。

10:熊本人さん
どんな人でもやり方によっては楽しいと思えると断言できるくらいの楽しみ方の多さですかね
結局楽しくなければ弓じゃないって感じです。
(パクリ?)

11:肥後さん
せっかく話がまとまってるのに・・・
お節介ですけど聞いて下さい。
ある国体選手の話ですけど
●的の中心ばかりに中る人にどうしたらそんなに星に中るんですか?と尋ねたら
ただそこを狙ってるからと言われました。
●また、ある人はその一本一本を大切に引かないともったいないと言われました。
私はこの話を聞いてこの二人はそれなりに
完成された人たちなんだなと思いました。
おそらくこの方達は100%完璧ではないと言われると思います。
さり気無く・驕らず・謙遜・・・
そしてまだまだ、この日本の中に沢山凄い方達がいると思います。
この話を聞いて、私も頑張ろうと思いました。一本一本大切に引こうと・自分が悔やまないよう。
私は単純(アホ)だからすぐ影響受けるんです!
ピコさん! お互い弓人(ゆみびと)として悔いの無い弓道をしていきましょう。
なんかダサい文書を長々書いてすみません。
では


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