“二つのセンス” (投稿11件)[1〜11]


1:矢まがたさん
以前に【センスとは…】のスレッドを立てた矢まがたです。たくさんの意見をありがとうございました。さて、今回もうひとつ自分が深く考えていることなのですが、弓道の世界では中たる人と中たらない人、射が綺麗な人と言い方は悪いですが射が汚い人、中たりも良く射も綺麗な人、そしてその逆もいますよね?それで自分は最近、いわゆる中たりに関してのセンスに欠けている気がするのです。気がすると言うのはおかしな発言かもしれませんが。射に関しては自分自身、並より上をいっている自信もあり他人からもわりかしいい射をしていると言われますが、その割に中たりに関しては並以下と言えます。もちろん狙いが悪いなんていう単純なものではありません。そこでもう一度みなさんの意見をお聞かせください?“中たるセンス”と“射型の綺麗なセンス”の【二つのセンス】についてどう思いますか?

2:デビさん
矢まがたさんは、「自分の中りが悪いのはセンスのせいだ」というコトがわかれば納得ですか?

前回の「センスとは…?」を読んで、私としてはとても勉強になり「なるほど、やっぱ才能の下支えのある人でも、結局人並み以上の努力が必要だな」と感じました。

http://ecoecoman.com/kyudo/bbs200509/2004062220200812.html

で、そんな話は置いといて、結局、努力以前の“中たるセンス”と“射型の綺麗なセンス”の話ですか…。正直、がっかりです。52もの熱い返信があったのに…、前のスレッド読んでますか?

>射に関しては自分自身、並より上をいっている自信もあり他人からもわりかしいい射をしていると言われます

厳しい言い方ですが、上記の様に慢心し、「努力しても勝てない何か(センス)があるんだ、だから自分は中らないんだ」と思っていませんか?

型だけじゃない、何か自分に足りないものをセンス以外に求めても良いのではないでしょうか。

たまには厳しく書いてみましたが、がんばってみてください。

3:1さん
削除されました。

4:斜面射手さん
要は押せてないんでしょう。
もう少し頑張ってみてください。

5:くるみさん
デビ様の意見に激しく賛成です。

正直こういう言い方はかなりきついですが、センスがあるなしの前に、矢まがたさんは本気の努力をしたことはあるのでしょうか?
自分にセンスがないとどうして言い切れるのでしょうか?
弓道は何十年もやって、初めてセンスの有無が分かると思います。
矢まがたさんが、現在何歳なのかは、正直分かりませんが、若いのであれば自分の力を見限るのは良くないと思います。
自分もまだまだ未熟者で、歳も若いですが、日々弓道の精進を続けています。

自分にセンスが無いと思うのではなく、センスを探してみてはどうでしょうか?
自分の良いところを探して、見つかったら自分を誉めてあげてください。
そういうのも、センスではないでしょうか?

6:ヒロさん
厳しい発言続きで大変恐縮なのですが、デビさん、斜面射手さん、くるみさん、みなさんの言うとおりだと思いますよ。
『努力に勝る天才はなし』自分の信念です。
センス云々でやってる人には限界があります。
努力してきた人が勝つハズです。
しかし、センスもあり努力もする人にはセンスで劣る人は勝てないかもしれません。

僕が思うに、
中るセンスがない=同じ射を続ける事ができない
それをセンスがないと思う。・・・メンタルが弱いのではないですか?
もっと他校からも認められるくらいの努力をしたらどうですか?
僕は少なからず、顧問、部員、OB、練習試合をする他校の方々からは努力していると言われるだけはやりました。それでも、自分は努力が足りないと思い練習に練習を重ねましたけどね。

7:ひいらぎさん
私はセンスのあるなしがもし存在するのなら多分「ない」方の人間かもしれません、弓を引き始めた頃は先輩方にも見捨てられ射型は無茶苦茶でした。悔しくて休みの日は神社に行き朝八時から夕方五時まで弓を引き続けていました。冬の日は虎口がひび割れ血が出ました、それでも弓を引きました。正直得たものは早気だけだったかもしれません、でも一つ一つ射の悪いところを直していったつもりです。団体で県大会で優勝できました、優勝候補の強豪校に一本差で勝ちました。私は今までの練習のことを思い出して泣いてしまいました、うまくいかないときもあった、左腕を弦で払って真っ青にしたり押手も勝手も緩み癖がついたり頭をはらったりしながらでも一生懸命練習してきたことが今やっと形となって現れたんだと思いました。
私にはセンスはないと思います、でも私にセンスがあったとしても決して頼るつもりはありません。努力することはやる気があれば誰だってできます。

8:熊本人さん
センスって人それぞれ必ずもってるものだと思います。
センス=個性だと思うんですよ。
例えば素直な人間は人から教わったことを素直に受け止め素直な弓を引くし、面白い人は自分の考えたアイディアをどんどん弓に取り入れるでしょう。どのスポーツもそうだけどセンスって言うのは身体能力云々ではなく確かにそれも大事かもしれないけど、もっと柔軟に考えるなら個性につながるんじゃないかって思うわけです。だからセンスなんてものは誰でも持ってるでしょう。ただそれを活かせるかどうかはその人次第だし、活かすためにはもちろん自分はどんな人間なのかをよく知っておくべきだと思うんです。だから弓を引いて、誰よりも練習してその中で自分を見つめることで自分のセンスは自ずと見えてくるのでは?

9:笹岡さん [url]
 前スレを読んでいない初心者が書くのも変ですが。
>射に関しては自分自身、並より上をいっている自信もあり他人からもわりかしいい射をしている・・・
 なぜ、的中が並以下なのに自分の射に自信を持てるのです?
 「中る」ということは中るための射形ができているから成るものであり、見掛け倒しの射で成るものではありません。
 そもそも、中るということをセンスという言葉に置き換えている時点で、中てるために努力をしている人に対して失礼だとは思いませんか?
 よい射形と高い的中を切り離して考えるべきではありません。
 ある人が、自分より見た目の悪い射をして自分より中てていたとしたら、その人は自分よりもよい射をしていると考えるべきだと思います。
 私なら、自分がその人より中っていない時点で、自分はその人より「中たるセンス」も「射型の綺麗なセンス」もないと考えます。

10:葵使いさん
そんなにみんなでいじめなくても。
>3あたりで終わりにしては。

11:デビさん
ごめん、私の書き込みがまずかったですね。
葵使いさんのご指摘どおりです。厳しい言葉の連鎖を招いてしまいましたね。

すみませんが、ここらでお開きにさせてください。矢まがたさんも、チョッピリは参考にがんばってくださいね。


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