最近の道具について感じること。 (投稿12件)[1〜12]


1:道具の番人さん
最近とみに感じるのですが、最近の弓道の道具は意味がわからないものが多いように感じます。例えば、弓と矢筒をくっつけるバンドの文字にしても、昔は「一射絶命」とか「真善美」とか無地だったと思います。この前、見てビックリしたのは、「花鳥風月」と言うものがありました。「花鳥風月」は弓道とどう関係しているのでしょうか?四字熟語なら何でもいいなら「喧嘩上等」でも「夜露死苦」でも極論を言うといいと思います。
級道具を作って生業にしている弓具店の方にもう少し考えて物を作っていただきたいと切に思います。皆さんはどのように感じていますか? 

2:道具の万人さん
誤字を発見しました。下から二行目は級道具ではなく、弓道具です。 すみません。

3:ヒヨコV3さん
需要と供給の問題でしょうかね。
商売だから仕方ないと思います。

4:雁金さん
花鳥風月とはspend one's life in communion with natureという意味なので、自然の素材(弓・矢・ゆがけ)を使いその趣を楽しむという意味では弓巻きや矢筒のバンドに「花鳥風月」と書いてあってもおかしくはないのではないでしょうか?

5:ゆるみ離れさん
道具の番人様
確かに仰るとおりです。バンドの文字はよく分かりませんが、「弓道リ○ちゃん人形」とかを見ると、いかにも商売至上主義という感じがして不快でなりません。ただ、
@弓具店さんも商売人としてやっていかねば食べていけない
A決してメジャーとは言えない弓道は、競技人口の減少が顕著である
Bそうなれば、これまでになかった新商品で新しい弓引きを開拓していかないとやっていけない
といった事を思うと、弓具店さんも心ならずもそういった商品を取り扱わざるを得ないのではないか、という気がします。

例えば、なぎなたには「リズムなぎなた」という新体操のようなパフォーマンスがあります。以前なぎなたをやっている知人にこの事をどう思うか問い質したところ、実に辛そうな顔をされてしまいました。武道としての本質を見失わないことと、少子高齢化の時代に合って衣鉢を継いでくれる人をどう育てていくかの両立・・・弓道に限らず、どの武道でも直面している問題ではないでしょうか、

6:道具の番人さん
みなさんどうもありがとうございました。
確かに商売としてやっているのでしょうがないのもわかっています。
しかし、例えば矢についても、竹矢で何万円もするような矢で、羽が曲がって付いていたり、重心の位置が全然あっていなかったり、のばりがよわかったり、片張りがあっていたりするような物も、悲しいかな、多く、見かけることがあります。
そのような矢で練習する事は、正しい矢飛びの判断ができなくなり、しいては正しい射と言う物自体の判断基準が解らなくなるという恐れもあります。
やはり、職人なのですから、売れれば良いと言うことではなく、先人が築き、伝えて来た技と心をつなぎ、正しい道具が何処でも手に入るようにして欲しいと切に願います。
正しい道具を使うから、正しい射をすれば、正しく的に中るのだと私は思います。
正しく引いても正しく飛ばない矢を使ったり、正しい体の使い方をしても離れが出ない構造のゆがけでは、正しい射技は身につきません。それ程道具は射と密接な関係にあると思います。
バンドの文字については、私の知識不足でした。勉強になりました。ありがとうございます。

7:ヒヨコV3さん
スレ主さんは実際にそういう道具を見た時に弓具店主もしくは矢師の方に意見、質問しましたか?
まずはそういった事をしてから皆様の意見を聞くならわかりますが。
もし、質問したなら弓具店主、矢師の方は何とおっしゃられてましたか?
今回の書き込み方だと、弓具店全てが粗悪品を売ってる、と受けとられる恐れがありますしただの文句だけにも聞こえます。
未使用の道具に不具合があればそれは店、製造者に責任ありますが、きちんと対処(交換、終了等)してくださればそれは問題ではないと思います。
また、正しい道具を見極める力や道具の正しい使い方も大事だと思います。
いくら正しい道具、正しい引き方をしても射手本人が道具を扱えなかったら意味ないように思います。
私見ですがユガケはその製造者の意図があるので射手と製造者の考え方が違えば使いこなせないのは言うまでもないと思います。
僕自身、自分の引き方にユガケを無理に合わすのではなく、ユガケに合わせて引いてます。

8:道具の番人さん
私の場合は、弓暦が長いためか、高段者や称号者の知り合いが多く、かわいがっていただいているため、先生方の道具を見せていただく機会が多く、そのときに、どこの矢はどのような矢なのか、どこのゆがけはどのようなゆがけなのかを見せていただいています。幸いにもたいていの弓具店の道具は見ることができました。そのため、自分の理論に(弓具屋に幼少期より通い、職人に教えてもらった道具の理論)あわない道具を作っている店には、行かないので、いくつかの道具屋さんでしか道具をかわないようにしています。そのため、そのような道具を売っている店には行かないため、お店の方に意見をしたことはありません。弓についても同じで、知人の弓師に弓の見方などを教えていただき、また、江戸時代などの弓も何張も拝見する機会を得て、自分なりの弓に対する理論を作ることができているため、弓師さんに意見する場面は得ていません。(自分の支持する弓師には意見を交換させていただいています。)
そのため、知識はかたよっている可能性は否定できません。
しかし、弓道は同じような道具を昔から使い、理論的には、正しい射をすると矢はまっすぐに飛ぶから、的に中るいう理論は射法が変わってもかわらない絶対的な理論であると信じています。そうでなければ、昔の先生方の射を否定することになりかねません。
このような理論のもと、現在の道具を見ると将来どのようになってしまうのか不安であるので、このようなスレッドを立てて、皆さんの意見をお聞かせさせていただいたしだいです。また、そのようなご意見をお聞かせいただくことで、自分の考えている道具の知識について、見直す機会を得たいと思いました。
愚痴といえば愚痴ですが、同じように感じている方、また、違った見方をする方の意見をお聞かせいただいて、勉強をしたかったのでこのようなスレッドを立てたのです。
皆さん、貴重なご意見をありがとうございました。また、貴重なご意見をお聞かせいただくことをお願いします。
長文になり、すみませんでした。

9:弓遊び ◆.t4dJfuUさん
・弓具の変化。

基本的な事は何も変わっていないようですね。
例)弓に弦を掛け矢を番えて矢を飛ばす。等…
その他では素材の変化や混合化。それくらいしか思いつきません。
景気や需要度に関係しているのかもしれませんが、後の弓道を見通した感のある文章が弓道教本第一巻に記してあったように思います。


・キャラクター商品などの多様化。

時代のニーズかな?
なんて思っております。
柄入りの下カケ、リカちゃん人形キーホルダー(かな?良くわからんとです)携帯ストラップ等。
私が若い頃、想像もできなかった商品です。

10:サイコロさん
高2の若造ではありますが思うところがあったのでレスさせて頂きます。


商売主義と言うとどうも悪いイメージしか無いように聞こえますが商品が発売される=利益の見込みが少なからずある=それだけ弓道が一般に浸透している・させようとしてる
とみればそこまで悪くないんじゃないかなと思います(我ながら多少無理のある理屈だとも思いますが…)
ただ『弓道』だけじゃ需要も限られるから『弓道+リ〇ちゃん』で売ったりしてますけど
少なくとも商売だから仕方ない、の一言で終わらすにはもったいない話題だと思います

又、話を戻してしまいますけど四字熟語に関しても個人的には弓道に関連していなくてもいいと思っています。
それだけ各人の趣味が入る余地があるということです。

確かに武道精神論からみればそんなもの必要ないかもしれません
ですが「自分は武道のひとつとして弓道をしている」よりも「自分は趣味で弓道やってます」と言った方がしっくりくる人が多数いるのは紛れもなく事実ですしそういう人は今後も増えていくでしょう。
その時に地味な(←かなりの語弊アリ)弓具ではなくパーソナリティを出したくなるのは人の性でしょう。
握り皮なんかはいい例だと思うのですが

先人達を否定するつもりはありませんが弓道も今、礼の中にも楽しみを見つける時代です。
礼を失しては本末転倒ですが広く「遊び心」を受け入れるべきだと思います。


長く内容のまとまっていない文章でしたが最後まで読んで下さってありがとうございます

11:元 ◆ntlC4wAIさん
例えば握り皮の模様等に見られる「江戸小紋」
これは江戸時代の大衆文化が産んだ当時の流行モノですね。
今は「伝統」として残っているものでも、当時は結構“イキ”なオシャレモノだったりなかったりします。
それらは勝ち蜻蛉しかり、様々なゲン担ぎや、言葉遊びから産まれたものもあり、
調べて行けばなかなかどうして、昔の風俗、オシャレ“センス”に感心するばかり。
イマドキ商品を開発する事に異は申しませんが、あまりに安直なモノはどうかと思いますが、如何でしょうか。
仮にも弓具を専門に扱う店が、その由来や風俗を考えて出して欲しいと私は思ってなりません。

矢の質の低下等、弓具の工作精度の低下はつまり職人の技術低下。これはイマドキ商品より危ぶまなければならない事でしょうね。

12:ゆるみ離れさん
サイコロ様
失礼ながら10代の方にしては大変しっかりした意見をお持ちで、感服いたしました。

ただ、「広く遊び心を受け入れるべきだ」という点に、一言申し上げたいと思います。
※以下、かなりの長文です。ケータイでは見辛いでしょうが、ご容赦下さい。

新商品を開発し、遊びの部分をアピールする事で新しい弓道人口が増える、という考えは確かに正論です。ただ、その遊びの部分を本質と誤解し、弓道を単なる射的と思う人が増えるのではないか、という点を危惧いたします。

スポーツとしての弓道は確かに中ててなんぼのものです。しかし、高的中を誇り、礼節を嘲笑する人は決して良くは言われません。
サイコロ様も、後輩の皆さんに指導をされる立場にあると思いますが、この「遊び」はあくまで弓道の一面に過ぎず、その奥にある「真善美」の世界こそが本質であることを教えてあげてください。

弓道教本4巻で、中野慶吉先生が書かれた、箱根道場での研修会に関する一文をぜひお読み下さい。多くの先生方がその先輩方から受け継ぎ、後進に託されようとしたものは、実に重いものです。


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