研造さんの弓 (投稿10件)[1〜10]


1:novuさん
疑問なのです。
阿波研造先生のご愛用の弓の「銘」はどなたのものだったのでしょう?
“剛弓”を引かれていたのは有名な話ですが、こと「銘」については聞いたことがありません。
“弘法筆を選ばず”ということでどんな弓でも引きこなされたのでしょうか?
しかし、今でも剛弓を打てる弓師さんはそうもいらしゃらず、当時はどうだったのでしょう?
梅路見鸞先生が「金子城康」の弓を愛用されていたということを、こちらの書き込みで見たことがあります。
阿波研造先生のお気に入りの逸品、ご存じないですか?

2:たぶんおやじさん
阿波研造の弓ですか、考えたことも無かったですねえ。

今でも剛弓を打てる弓師さんはそうもいらしゃらず、当時はどうだったのでしょう?

弓具の師曰く、武徳会で初段は26KG前後引くとと言う話でしたから、現在の強弓はざらに在ったのではないでしょうか。
魚住範士十段も始めて渡された弓は五分八厘と言う話でした。
今の引き方では強弓=怪我の元

宮城県の人なら判らないかなあ。
どなたかいらっしゃいませんか?

3:ポン酢ファンさん
話に水を差して申し訳ありませんが、

>武徳会で初段は26KG前後引くとと言う話でしたから

私の手元にある資料では、武徳会の初段は現在の日弓連の三段程度に当たるとの記載があり、たぶんおやじさんはよくご存知でおっしゃってらっしゃるのでしょうが、このことを時代考証なく「初段」と言う事だけで判断すると、とんでもない間違いになる可能性も。

故魚住文衛範士の事を書かれていて思い出しましたが、昔の弓道誌に今村範士も最初に渡された弓は18キロだったと回想されていたのを記憶しています。

また5分8厘という分厚での弓力を推し量ることは、竹弓じたい構成材料の組み合わせで、大きく弓力がブレます。ゆえに分厚だけを判断材料で語るのは危険かと思います。

それにしても阿波研造先生の使用された弓、作者や使用など私も非常に気になるところです。

4:花火さん
スレ違いかもしれませんが、阿波先生の矢なら現物を見たことがあります。信じられないぐらい太いです。あれを飛ばす弓なら相当の強さだろう、と思います。

5:たぶんおやじさん
>武徳会で初段は26KG前後引くとと言う話でしたから

70年前の旧制中学ではそんなものだそうですよ。
その人の父上は寸弓を引いていたそうです。
本にも載ってますから間違いないでしょう。

旧制津中学の弓術部の練習風景の写真を見せてもらいましたが分のある弓を使用してます。

阿波範士は江戸末の生まれですからそれより強いのは当然かと思われます。

6:元 ◆ntlC4wAIさん
>今の引き方では強弓=怪我の元
なぜこのような事になってしまったのでしょうか?
常々気になっているところであります。。

7:ポン酢ファンさん
>寸弓!

にわかに信じがたいですが、引かれた人がいてもおかしくはないですね。
外竹キレや折れるといった破損が多そう・・・。

昭和52年の弓道誌に関口源太先生の弓術談に
「戊辰前に8分の強弓を引きました者は、戊辰前、旧幕方には多くの御家来がありましたが、10名とはございますまい。あるいは諸藩を含めてもそう余計はないのです」

と書かれているのが納得のいくところなのですが・・・、この語っている先生自身が、9才で弓を始めて13才で6分5厘を引いて、その後天覧で寸弓を引かれた方ですので、昔の修練度合いは今とは比べ物にならないなあ、と思う次第です。

>今の引き方では強弓=怪我の元

私は強い弓がすべてだ、という考えをもっているわけでもなんでもないのですが、中途半端に強い弓は、手先で引くことが出来てしまい、身体に負担を与えるような形でも引けてしまうのが怪我の元となる原因かと思います。
腰をしっかり定めないと引きこめないような強さであれば、むしろ肩肘の怪我は減るのではないかと。

私を含め、強い弓への対処法を知らなさ過ぎるのが怪我の原因かと思います。

脱線しました。

8:たぶんおやじさん
今の引き方では強弓=怪我の元

戦前の書籍や武徳会の人からによれば
引き分けは富士の裾野を描け
会で馬手は担ぐ
勢いのある伸びと言う感じです。

現在は大きく引く
馬手は納めて張りを維持して
じっくり伸びて離れる

この差が怪我の元と述べた要因です。


阿波範士と安沢範士と神前範士が引いている動画を見ると大三の作り方が現在とぜんぜん違います。
驚きました。
今でも離れは一級です。
他のスレッドで流派と言うスレッドと被りますが、60年間で誰でも引き易いものになったんでしょうか。

9:novuさん
>皆様

スレ趣旨がずれてきました。「研造さんの弓」、ご存知の方、ご教授ください。

しかし、こちらも興味あります。
阿波範士、安沢範士、神永範士の動画、私も見たことあります。あれは衝撃でした。明らかに日弓連の推奨するものとは異なりますね。
どっちが“骨法”として正しいのでしょうかね。

印象として、見た目の美しさに重きを置いているのと、弓道の真髄を極めようとしているのとの違いのようにも思いました。
私は後者だなぁ。

10:小坊主さん
霊箭という研造先生の伝記には『寸弓(厚さ約30ミリ)の重籐弓でどこかの神社の奉納弓を手に入れたものらしかった』と書かれていますが銘までは書かれていないようです。


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