会の時・・・ (投稿12件)[1〜12]


1:涼さん
皆さんは会の時何を考えてますか?無心といいますが、それは本当に可能なのでしょうか。

2:弓道整復師さん
仏教の話になりますが、無心とは心がなくなるのでなく、己で無いものを無くす心と聞き及んでいます。一心不乱とも似ているような気もしますね

3:涼さん
ということは、例えばどんな心ですか?中てようとする心でしょうか

4:美砂さん
私の場合は秒数を数えたり、狙いの事とか考えてます!

5:黒好きさん
全身を一つに統一する心(表現が下手ですいません)ではないですか?無と言うか一つと言うか一枚と言うか
どういったことを考えているのかと言われるとやはり無なのでしょうが「何か有があって無(無心)になる」と言う風に考えています

6:道民さん
 弓道整復師さんに対抗して、私も仏教(とくに密教系)での無心について述べましょう。
 たぶん弓道整復師さんがお聞きになったのは顕教系の教えでしょうが、密教系での無心は、「あまねく心を配る」ということ、つまりはすべてに心が行き渡っているので、動揺する余地がない。ということを表しています。
 その象徴として太陽があり、さらにそれを象徴化したのが、本尊であらせらる大日如来さまです。
 そのような考えから発生した日置流の教えが、大日の準といわれるものです(胴造りの分野に区分される)。またそれと矛盾するようですが、一分三界というものがあります。これは的心以外には心を動かすなといったような意味ですが、その整合性については、なんとなくはわかるのですが、言葉には言い表せません。

 それで結局会で何を考えるかというと、体のそれぞれの部分について意識をおくようにしています。また当然的にも意識を送っています。

7:涼さん
とても参考になります。全身…そんな意識ありませんでした。明日からまた試してみます。まだまだ意見待ってます。

8:射楽斎U ◆5aoi8gEMさん
とてもとても興味があります。
私の県の、全日本選手権で優勝している大先輩でさえ、他人が「会」で何を思い描いているのか、頭の中にマイクを仕込んでその叫びを聞いてみたい、とよく言っています。
永遠の、尽きない興味だと思います。
そして、これは初心者でも低段者でも、あるいは高段者でも、本当に知りたい世界だと思いますので、レス上げしておきます。

9:閃さん
詳しくはわかりませんが、スポーツの用語?でZONEなるものがあります。
選手が極限に集中している状態のことだったとおもいますが、
野球選手で「球が止まって見える」というもの、
F1選手で「走るべき道が光っている」というものなどの事例がそれです。
競技という観点からみた弓道での「無心」はこれと同じようなことだと思います。

自分にはそこまでのレベルはまだまだ遠すぎますが。。。

10:外道さん
本当に興味深いお話ですね。
本多流サイトを見ていて、大日の準という言葉を目にし、これは密教系仏教が底辺にあるな、と思ってましたが、やはり本家日置流から受け継がれた教えだったのですね。
(実は密教と顕教の教えの違いはよく知りません。・・・汗)
私は不可分とは言いながら、心技体の心の部分に大変興味があります。その方面の話題でまた道民さんが投稿されるのを楽しみにしています。
私の会の時ですが、私は雑念を消すことはできませんから、ひとえに肚を注視し、雑念に関わらず受け流す様に稽古しています。

11:きまぐれさん
「ゾーン」「フロー」「無我夢中」「無心」「一心不乱」といった言葉で表される極限に集中した状態では頭と心と体が高次元に一致して信じられない位の能力の発揮がされるといわれています。

これらの極限状態でも人間は何も考えていないわけではなくて、自分の考えていることを純粋に体の動きにリンクさせて、もちうるべき最大の能力を発揮させている若しくは発揮できている状態だといえます。よって必ず何かを考え感じているはずで何も考えないということはないでしょう。

12:弓道整復師さん
返信が遅れ申訳ありません、3の「ということは、例えばどんな心ですか?中てようとする心でしょうか」ですが、私の見解は中てようとする心持ちでなく、中る為の心持ちかと思っています。中るために自分に何ができるのか、何をすれば中るのか、自分の中と周囲との和合などを目標に己でないモノを無くす事を目標にしております。
6の道民さん、個人的な返信をお許しください。一言お礼を申し上げたかったのです。とても参考になりました、ありがとうございます。
長文・乱文失礼致しました



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