中てる 中る (投稿17件)[1〜17]


1:九州の弓道馬鹿さん
よく 「中てようとするな」と言われます、頭ではわかってるつもりです、中てようとすれば自分の欲に負けて形が崩れたり、早気になったり良くないことはわかってます …わかってるつもりですが、自分の中でどうしてもまだ 「心から 中てたいと思うなら、中てたいと思う気持ちが無いと 駄目なんじゃないか」という気持ちも捨て切れません、皆さんは、どうですか?

2:竹ぐしさん
高1の頃同じような事を言われた記憶があります。
確かに、難しいことですし、結構矛盾した考え方だと思います。
でも、高3になるころ、その意味がはっきりではないにしろわかったような気がしてきたんです。
自分の中では1つ1つの動作をしっかりやる事ではないかと思います。
わかりにくい意見ですみません。

3:ドラゴンさん
自分の場合は当てたいという雑念を別の雑念で消しました。例えば試合のとき、「皆中したらかっこいいよな」みたいな感じで引いていました。心の中を無にして引いている人を自分は知りませんし、いるのならあってみたいです。

4:あまっちさん
正しく引けば中るしそうでなければ・・・
それだけでしょう。
自分の中を見つめてね・・・
狙うのは的であって的でなし。
「狙わなきゃだめ、狙っちゃだめ」
この言葉って本当に正しいですよね。
むずかしいな〜(^^ゞ

5:じゅりさん
あるテレビ番組で野球の話題のとき、とある選手が言った言葉
「無心でバッターボックスで立ったら打てた」
どのスポーツでも変わらないのでは?
後は「中てよう」とするというよりは、「成功させよう」として引いてみてはどうでしょう。成功すれば中りますよね。

6:鳴弓さん
自分は『無心』とは、自分の心の中に潜む、的中に対する恐怖・不安・焦りを捨てることだと考えています。具体的には『中らなかったら…、中るだろうか…』などの雑念です。それは結果的に射の乱れも招きます。雑念を捨てるには『中ててやる』という執念も必要ではないかと思います。しかしあくまで『中てたい』という欲ではなく『中ててやる』という強い執念…。それは自分の道しるべ(集中力)となり、雑念をも寄せ付けない正射をもたらすこともあります。自分は、この執念のおかげで、ここぞという時にいつも以上の結果を出すことができました。

7:ゆうすけさん
中れ中れと思う前に自分の射型のことを考えたほうがいいのでは。会のとき狙いがいつもと同じか、射位に入る前に気をつけようと思っていたことはできているか、などです。そうすると会も長くなるし中てる事だけに気を取られないのでかなり良くなると思います

8:九州の弓道馬鹿さん
ずっと 自分の中で
 執念=∞雑念
 無心=∞無欲
このように考えてました、それよりも今 自分に何が足りないのか、射型は何処が悪いのか もっと自分を見つめ直そう それから 自分を知ろうと思いました、先生からも注意があり反省と同時に発見もありました。 

9:ココロさん
 的に中てる以上に引く矢を全部星に詰めるという気持ちで引けば多少ずれても的ぐらいには中ります。中るを意識するよりも中てるが中るに変化したときが本物だと思います。

10:九州の弓道馬鹿さん
そうなんですよね! …そうなんですが、自分はまだまだ未熟で どうしても焦ってしまい、自分を見失い当てる≠ノなり中る≠ノ中々なりません(泣) 

11:九州の弓道馬鹿さん
自分が的中率少ないの書き込むことを忘れてました、半矢くらいですねぇ 

12:笹岡 ◆mRq5DITcさん [url]
中てようとして中るなら苦労はしねえ・・・。
とはいえ、我々が何のために練習しているのかといえば、大雑把に言うと確実な的中のため。射形も的中も完璧になどと欲ばかりかいていても上手くいきませんから、ただ純粋に的中を追い求めるのもアリです。
そこで射が崩れたり、早気になったりするのは別問題です。早気になったり射を崩したりしている時点で、的中から遠ざかり始めているわけですから。。

13:新 ◆vYPHjde2さん
弓を引いて的を狙っている以上、的を外れてもいいという射は、どんな時でもあり得ないと考えます。たしかに中りだけに執着してしまい、その他をおろそかにしてしまうのは危険ですが、『あてたい』『あたりたい』という願望は大切な気持ちだと思います。その為に皆努力し、日々稽古に励んでいるのではないのでしょうか。確かに弓道の最高目標は、試合に勝つ為ではなく、的にあてる為でもありません。しかしその最終目標へ向かうためにも、的中は絶対に外せない通過点の一つです。人それぞれの考え。的にあてようとして努力をするのもいいのではないかと思います。

14:九州の弓道馬鹿さん
的に向かって弓を引いている以上 どうしても中てたい≠ニ思う気持ちは消せません、ですから 自分は的に対して (…うーん と言うより自分に対してかな) どういう気持ちで引きたいのか・離したいのかを、もの凄く長い時間はかかりますが、ゆっくり考えていこうと思います。

15:北国人さん
突然ですみませんが、参考になれば。
上で色々な方々が書いていらっしゃるように、やはり、弓を引く上で的中と言うのは避けて通れない問題ですよね。
中てようと思うな、と言われたからと言って、じゃあ中らなくても良いや、と思って引けば良いのか、と言えばそうでもないですし。
正射必中という言葉を見ても分かるとおり、正しく引けば必ず中るものらしいです、僕には良く分かりませんが。
ただその言葉の通りだとすると、どんなに見た目が良くても外してしまえばその時点で正射ではないんですよね。
射位に入るときから中てよう中てよう、と思うのではなく、一つ一つの動作を集中してきちんと行って、最後にしっかり狙いを定めて離すようにするのも中て気と言うんでしょうか?
まぁ、そんな小難しい話を抜きにしても、どうせ引くなら中ったほうが楽しいですよね。
それが学生だったら尚更だと思います(僕も学生ですし)
射道優秀賞のような賞もありますが、それにしたってある程度の高い的中を出さなくてはもらえないわけですし、的中を求める中で形を整えていく、と言うのが(一般の方々にはなかなか分かって頂けませんが)学生らしいと言えば学生らしいのかもしれませんよね。
ただ、学生弓道と社会人の弓道は分けて語られることが多いですが、どちらも求めているものの本質は変わらないと思うので、学生の立場としては、「中てようとするな!」と頭から否定するのではなく、形を気にする上で的中もしっかり重視して指導してくれる方が増えてくれれば良いな、と思います。
何だかとりとめも無い話になってしまいましたが参考になれば幸いです。

16:きまぐれさん
私は中てたいと強く思う人間で、中てるから中るへ変化を考えたことがありますが、結論から言えば自分のあるがまま、中てるという強い気持ちを受け入れて初めて肯定的な中てるという考えが少し得られた気がします。

私にとって会を持ち、射を整えることはすべて中てるためです。そうしたほうが結果的に確実に中てられるからです。だから自分を含め似たような中てたいと強く思う生徒にはそういった面を気をつけさせます。

「中てたいと思うなら射を整え、会を持とう。それをしないのは本当に心の底から中てたいとは考えていない。楽に質の低い的中を求めて自己満足しているだけ(まさに自分)、本当の意味で中てて勝ちたいなら、人一倍中てるために必要な要素(会であり、射型)を整えよう。それができて初めて真なる中てるになる。」というのがよく言う言葉です。

やや逆説的ですがこんな考え方をしている人も私みたいにいるかもしれません。

17:九州の弓道馬鹿さん
自分がなぜこの書き込みをしたかと言うと、自分の所属している道場には 二人の先生がいて、二人とも正反対のタイプの射で自分はどちらの射も考え方も好きなんです、正反対と言うのは、一人は詰めて・詰めて・詰めて離すどちらかと言うとすえぎり<^イプ、一人は詰めて・伸びる大離れ<^イプ、教えるポイントや内容は大体同じなのですが、的中に対する考え方が正反対で一人は何が何でも中てるつもりで引け一射絶命<^イプ、一人は全体の(体配含めて)真・善・美を重視する射即人生<^イプ、どちらも間違ってないと思うのです、ですが 今 自分にはどちらが必要なのか分からず、書き込ませて頂きました、選ぶのは自分なのですが どうしても迷ってしまい、皆さんの的中に対する考え方を教えてもらいました、とても 参考になり また 励まされました、本当にありがとうございました。


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