何かが、足りない (投稿11件)[1〜11]


1:さちょ屋。 ◆11LYqkqwさん
 先日、引退射会を終えた自分。区切りとして、今まで思っていたことを皆さんにお聞きしたいと思います。
 自分は沢山の試合に出てきました。大きな大会に出たこともあります。
 ……しかし一度たりとも、自分が居たチームは勝ったことがないのです。
 何故そうやって言えるのかと言うと、私が試合に出なくなった(入れ替わりした)途端、そのチームは優勝収め上位に入っていったからです。
 自分の所は射型を第一とし、最も重視します。射型に関しては、私はよく褒められる方で、だからこそ顧問の先生に沢山の試合に出させて頂きました。
 でも、試合はおろか、練習の時ですら一割か二割あって良いところの的中率なのです。射型がどんなに良くても的中が全く伴わないのです。
 そう思うと自分は、申し訳ないのです。
 今まで試合で一緒だったメンバーや、自分と入れ替わりになった人、上位入賞していて自分と同じチームになった人々、今まで試合に殆ど出られなかった人たちや、褒めて下さった高段者、審査員の方々に。
 「どうして試合なんかに出したんだ」「何故、初段を」などと言うつもりはありません。また、「自分はとんでもなく下手だ」と言うつもりも全くありません。
 そうやって言うことは褒めて下さった方々や、先程あげた人々を批判することになるからです。
 
 試合で泣かなかった事は殆どありません。校内射会でも、引退射会でも涙が溢れました。
 「全く中りもしない自分の何処が上手いのか」
 ずっとそう考えて引きずって来ました。自問自答を繰り返しました。
 ……誰かのせいにするつもりは断じてありません。言うなれば自分は“自己嫌悪”に陥っているのでしょうか。

 的中しない人間は本当に上手いのか、どうなのか。皆さんの意見を少しでもお聞かせ下さい。
 乱文、長文で失礼しました。

2:斜面見習いさん
巧い=綺麗なのだと思います。
見方の問題のような気がします。
極端に言うなら的中が高いのを機能美、射型が良いのを造形美とでもいいましょうか?
スレ主さんの射を否定しているわけではありませんので勘違いしないでください。            一つでも良いところがある事はすばらしい事だと思います。

3:紫弓さん
バランスです。上手い下手は高的中になるほど射型は関係なくなります。全国レベルの大会を見るとよく思います。

当たらないのに射型が良いのもやはりバランスです。ただ働きさえ覚えれば当たりの条件が出来かつ維持がし易いから良いとされるのだと思います。
やはり射型重視だと、俗に言われる中て射より直ぐには結果は現れません。明確な結果を求める学生弓なら情報が少なく、なお疑問でしょう。

ずっと一般で続けると分かりますが、射型が悪くて大会で結果をだすのと、射型が良くてだすのでは判る人の反応は大分違います。

ある意味、評価される対象だったと思ってはいかがですか?

4:中学生さん
僕は先日京都代表として明治神宮に行かせてもらいました。的中は半矢程度はありましたが、予選落ちでした。その後、クラブでもめごとを起こしてしまい、今は市立弓道場で練習しています。そこで会ったある先生に指導を受けたところ今まで気づかなかったことにたくさん気づきました。取懸けや手の内、十文字など・・・。直そうとすればするほど的中は落ちました。今は射形が少しずつ直り、
的中も出てきました。今では、もっと前に先生に指導を受け射形を見直せばよかったと思っています。だからさちょ屋さんは今の綺麗な射形を大事にしていれば、いつか必ず的中も出てくると思います。どうか、がんばってください!

5:九尾 ◆e.Z3fuuwさん
タイトルにあるように、「何かが、足りない」と感じていらっしゃるのにそれが見つからなくて、辛いのは良くわかります。

少し辛口になりますが、その原因を探るため努力をしましたか?
諦めず、毎日毎日何十射もしましたか?
自分に出来ることの全てをしたのでしょうか?

私も同じような状況になった事があります。
自分ではいつも通りなのに、何かが違うんです。
原因は…努力不足だったと思います。
部活の途中で部室にこもって友達と喋ったりしてました。
ある日、弓を引いてみると自分の体が上手く動かなくなってました。
それから3ヶ月、引き続けやっと前の射と同じようになりました。
でも、前の射に無かった癖があって…。色々苦労しました。
毎日毎日頑張ってた子は、その間にどんどん伸びていて…。

私が一番言いたい事は毎日の努力が一番大切と言う事です。
もう引退なされたそうですが、家でゴム弓を引く、筋トレをする。等の努力は出来ると思います。
これからも弓道を続けていくなら、根気を持って頑張ってください。

スレ主さんの質問から反れてしまったところが多々あります…。申し訳ありません…。

6:元学生さん
学生という限られた時間の中で成果が出せなかったことは事実でスレ主様がもっとも辛く感じている事です。
一般がどうだと言われても試合で当てられないことに変わりはないです。冷たい言葉ですが、ここで慰めの言葉は決して本人のためと私はお思いません。高段位の先生に褒められたからこそ、その射に疑問を持たず盲目的に続けてしまったのでないでしょうか。紫弓様が言われているようにバランスが当てることには必要で私が思うにバランスは指導だけでは身に付けられるものでなく、最後は自分自身で見つけるものと考えます。

今まで見て聞いて知識はもう十分あるはずです。あとは自分で考えてバランスとは何か見つけてください。
今の射を捨てる勇気が無ければ何も成長しないのではないでしょうか。射型ばかり気にして矢がどのように飛んでいくか考えたことはありますか?弓が発展する過程はいかに矢を飛ばして目標にあてるかの追求だったはずで、引き方はそのための手段でないかと思います。一度は自分を否定して見つめなおしてもいいと思いますよ。

7:まいこ ◆/PjGxMJcさん
私は不思議と練習より本番(試合)の時のほうが的中が上がります。
普段集中して射ることができていないんだなぁと反省しました。
他の方々よりもとてつもなく見劣りすることを言って本当に恥ずかしいのですが、
集中する事しかないと思います。練習量が少なくても強い学校はたくさんありますから!
集中して、限られた時間でも内容のある練習をすればいいのではないでしょうか・・・
私もがんばって濃い練習をするようにしたいです!

8:katsu ◆nxtRpzK6さん
さちょさんは「何かが、足りない」と書かれていますが文章を読むともう解っている様な気がします
「中らない上手な射型」という状況を抱えたまま引退まで何もせずに来てしまった事が「足りない」事ではないでしょうか?

> 「どうして試合なんかに出したんだ」「何故、初段を」などと言うつもりはありません。また、「自分はとんでもなく下手だ」と言うつもりも全くありません。
どうも、自分も含め誰も悪くないと考えている様に受け取れます
最初のうちは射型がきれいな事と的中が良い事は必ずしも表裏一体ではありません
「射がきれいと褒められるから自分の射に問題は無いはずなのに何で中らないのだろう」と思っていませんか?
射型を変えないまでも力配分等の内側を充実させる努力をしましたか?

もし間違った見方でしたら申し訳ない

9:グルービーさん
何か反発みたいですがごめんなさい、さちょ屋さんは周りに射形が汚くてキレイにしようと努力してあたってしまってた人は居ませんでしたか?本当に射形をキレイにしたい人は汚い射形のままあたるとあたればあたるほどイライラするものです、そういう人の事をさちょ屋さんは思ったことは有りますか?あなたは射形がキレイなんだからそれだけで満足とは思いませんでしたか?あなたが弓を引く理由をもう一度考え直してもらいたいです。大体射形がキレイなんだから弓連で引いてるうちに当たるようになるはずです、ですからあなたの言ってることが綺麗事にしか聞こえない、汚い射形であたるよりもキレイな射形であたらない方が断然良いと思うし第一弓道を始めたばかりのころは“射形か的中どちらかしか取れない”と言われたら絶対射形と答えたはずです!!ですから少しは射形が汚い人の事も考えて下さい!!長文すみませんでした

10:現役引退さん
私は、高校・大学と七年間弓道を続けてきました!!射形・的中ともあまり良い方ではなかったので…偉そうなことは言えませんが、私の考えを書かせてもらいます。

私は、中たりには、「技術」・「知識」・「精神」の三つのバランスが必要だと思います。どんなに射形が良くても、なぜこの射が良いのかという考えもなしに引くと、ただ矢数をかけてるだけになるし、この射は外す気がしないという人も、なんらかの理にかなってから中たっているのだと思います。高段者の方に褒められたのならば、何が良くて褒められているのかを考えたりすることも大事なのではないでしょうか。そして、一番大事なのは、強い気持ち「精神力」ではないでしょうか。始めから試合に弱いからとか、外したらチームに迷惑をかけてしまうとか考えていたら、良い結果は出ずらいと思います。自分の射に自信をもって引くことにより、何かが変わる可能性もあると思います。頑張って下さい!

長文なうえに、論点から外れているかもしれませんので、そこのところ、スイマセン!!

11:弓遊び2号さん
「中らないのは、弓ではないよ」と、私の大学時代の先生はおっしゃいました。
射形は、個人の美意識の現れで、「こうしたほうがバランス的に美しい」と思ってしまえば、どれだけでもきれいにする事ができます。しかしこれは、静止状態の美しさです。それを追い求めていると、的中はついてきません。射は、常に動いているものだからです。
では、動いているものの中にある美しさとは?ということになりますが、それは先生方の行射をみていればわかると思いますが、弓を引いている、ただそれだけに没頭している姿こそが美しいのではないでしょうか?私も含めてですが、「中らない!」という人の射は、たしかにきれいに引いてはいますが、たくさんの事を同時に「やろう」として、「できなかった、どうしよう。修正しなくては」なんて、考えているのが見えます。没頭していない射は、形が美しいだけで、中身はあまりありません。当然、的中もあまりありません。
正射は必中のはずですから、どんなに美しくても、的中しないのは正射ではありません。
必中必ずしも正射に非ず、というのも事実ですが。

的中しない人間は本当に上手いのか?との疑問をお持ちのようですが、それは贅沢な、我儘な疑問と思います。そんなことは、本当はどうでもいいことなのです。邪念を振り払って、自分の射に、足りないものは何なのか、何故中らないのか、どうすれば中るのか、稽古に没頭する事が、本当は必要だったのではないでしょうか。

厳しいかもしれませんが、これからのさちょ屋さんの頑張りに期待します。
私は、あなたは頑張れる人だと、文章から思いましたので、書かせていただきました。


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