大学弓道は中たればいい? (投稿25件)[1〜25]


1:もってぃさん
題の通りです。リーグなど、団体を組むにあたって大事なのはただ中たることなのでしょうか?団体内の信頼関係や射形の善し悪しは関係ないのでしょうか?前からの疑問だったのですが真剣に悩むに至っています。皆さんの考えをお聞かせください。

2:今年から斜面さん
中ればいいなんて大学は二流三流の大学に過ぎないでしょう 本当に強い大学日本一を目指す大学ではたとえ20射皆中を出そうともそれが目先の中りに固執した射技のともあわない中りであれば許されないでしょう それは大学だけにかかわらずどの世界でも同じです

3:斜面見習いさん
弓道の試合では大半が的中で決まる以上勝つには中てなきゃ話になりません。
これは「勝つ」ことを前提に考えていれば高校、大学、一般問わず同じだと思います。
もし、試合形式が的中ではなく射の評価だけなら全く逆になっていると思われます。
しかし、優勝する大学はもちろん、射が優秀な大学に贈られる賞を獲る大学は決勝に残る的中を出しています(僕が見てきた中で)
強い大学のイメージで大学弓道は中てなきゃいけないと思われがちですが実際にはそうでもないです。
弓道に対していろんな考えがありますからどれが正しくてどれが間違いなんてのはないです。
まずはスレ主さんの大学が弓道に対してどんな姿勢なのかを聞いたり話し合えばいいのでは?

4:とーらさん
私は大学在学中は中ればいい,勝てばいいと思っていました。しかし,今は違います。信頼できる人間関係作りが大切だと実感しました。
私の出身校のことですが・・・。
人間関係のよい代は卒業後もよく集まって,弓や部活の話で盛り上がり,人間関係は崩れません。そのなかでたった一度だけでも結果が残った試合があれば,懐かしい共通の思い出になっています。
中りに固執していた代は卒業後ばらばらで連絡も取れない状況になっていることが多いようです。チームの心がまとまっていなければ,中って勝ってもそのときだけの喜びになっているような気がします。卒業してしまえば優勝という栄華も印象として残らなくなっているようです。

5:もってぃさん
現在、自分の所属する部では正射を基盤にして的中をだすことを義務に出来るようにという流れで統一されつつあります。今年は新入部員も多く、これからというところなのですが、去年は部員が少ない時期でなかなか厳しくできなかった面もあり反省に尽きます。やはりあまりにも射形や普段の練習態度等が悪い(?)場合は遠慮なしに切り捨ててしまいたいというのが今の考えです。上記の言い方はかなり悪いですがそれくらい切羽つまったというか、ある域で限界に達しそうです。

6:Aries ◆KYUDO7p2さん
>射形の善し悪しは関係ないのでしょうか

大学のトップレベルで求められる中りを追求すれば、
必然的に正射と呼ばれるものに近づくように思います。
いわゆる中て射で到達できるのは的中率8割くらいではないでしょうか。
強い学校は、たいてい射もうまいです。
やはり、中てるためには射技が必要でしょう。

もし、もってぃさんのおっしゃる射形がただ見た目が綺麗なことなら、それはあまり意味がないとは思いますが。

>団体内の信頼関係

「○○の後ろだとやる気が出ない」とか、
「後ろで○○が引いてると思うと落ち着かない」
と言ったようなことなのでしょうか?
だとしたらあまりに次元が低いように思います。
中学や高校ではそう言ったことも考慮して立を決めるという話を聞きますが、
大学の代表として試合に出る以上、個人的な好き嫌いはおいて、部の一員として共に試合に臨むのが当然だと考えます。

7:もってぃさん
射については綺麗さだけ求めるようにはならないよう日々的中するのに必要なことも実践しています。今はふだんの部内がまったく統一されていないのが当面の課題となっています。試合の立順を決めるのは自分ではなく主将なのでそこのところはAriesさんのいうように次元の低いことにはなってはいないと思われます。しかし普段から好き勝手にされていて試合だけはまとまれと言うのはあまりに無理があるので部と立とを団体内の、というようにくくらせてもらいました。

8:Aries ◆KYUDO7p2さん
そう言う意味での部内のまとまりが無いのは深刻な事態ですね。
もってぃさんがこちらで相談なさっているのもわかります。

ちょっとずれるのですが、よくこの掲示板であがる話に、「○的の役割とは」というのがありますよね。
例えば、大前は初矢を中てなければならないとか。
しかし、選手として試合に出る以上は託された矢を全て中てなければならないのは当然です。
そう考えれば、試合に於いては信頼関係というのはあまり関係ないのではないかと思います。
信頼していたらやる気が出て、的中も上がり、そうでなければ逆というのは、技術の不足を精神論にすり替えているのではないでしょうか。

しかし、試合で引く矢を託されたものと考え、立に入れなかった人の分も自分が中てるという気持ちは、全く部や他の部員に対して愛着が無いのであれば起きませんよね。
書き込みを拝見する限り、もってぃさんの部はこの状態なのではないかと感じます。でしたら、「なぜ部活をやるのか。なぜ試合をやるのか」という辺りから、部内のコンセンサスを作ることが必要なのではないでしょうか。
それまでは、必死に頑張って中てるのであれば、射形は二の次にしてしまった方が、気持ちがまとまるのではないかと思います。

9:新 ◆vYPHjde2さん
大学弓道は中たればいい?という問いは、中れば何をしてもいいような感じに聞こえますね。自分は、大学にしても、一般にしても、弓を引き、的をねらっている以上あたらなければいけないと考えています。
どんな人でも、的には中りたいですよね。射型を正しくする目的も、中りの為です。どちらにしても、中らなくてもよいという射はありません。あるとしたら、自分自身の甘えです。もってぃさんは射型と的中は別と考えているのでしょうか?
中る為には、技術力のみで賄えますが、中て続ける為には、体力と精神力も備わっていなければいけません。しかしどんなに中て続けれたとしても、皆中がかかった一本、勝負が決まる一本等のプレッシャーには、それだけでは難しいです。欲、焦、臆、侮などが出て来やすいからです。それに打ち勝つ為には人格者でなければいけません。

10:シンさん
先日、全関を拝見しに行きました。個人決勝(特に男子)中ってる人でも射法八節が出来ていない人が多かったと思います。あれを見てしまったら大学生の弓道は中りだけと思われるのも仕方がないような気がします。一部の行動によって全体の評価が下がってしまうのは非常に残念なことです。

11:かしゅ〜なっつ さん
>10
話しはズレますが…
彼らは必死になって優勝を狙ってやっているんです。ふざけているわけでなく、必死になってやっているんですから、そういう事を言ってはいけませんよ。そもそも、迷惑になるような事をしなければ周りの評価を気にする必要は無いと思うのですが、いかがでしょうか?やはり試合ですので最終的には的中しなければいけないわけです。

さて、本題に戻りますが私はAriesさんと同じ考えです。中て射ではたいてい、ここ一番という場面で通用しませんしね。

12:月さん
>シンさま

かしゅ〜なっつさまの仰るとおり、大学弓道で勝ちを狙う人たちは・・・特にI部など上になればなるほど、いよいよ勝たなければならない状況になるわけですよ。
・・・とは言え当方そこまで強い大学でないので、I部の方々の方針などはさっぱりわかりませんけれども。

それでも、彼らが目標のために必死に頑張っているのは間違いないわけです。


まあ、そうこうしていくうちに大学弓道界に癖のある射形の人が増え、そうした理由から一般から疎まれる、という事実は否定できないんですよね。
ただ、大学弓道でしか出来ないもの、味わえないものがあるのも事実だと私は思いますです。

13:かしゅ〜なっつ さん
自分の大学は都学T部で、勝負に於いて必ず勝つことを目的としておりますが、ただ中ればいいというわけではありません。あくまでも、『中る射』ではなく『外さない射』を作りあげるため、流派の教えにそって日々真剣に稽古をしております。そうすると必然的に整った射になっていくものです。自分の部は試合で高的中が出ていても、自分のやることが出来ていなければ怒られますし、次回の試合で使ってもらえないこともあります。

>月さま
そうですね!大学弓道でしか味わえないもの、たくさんありますよね!

14:斜面見習いさん
見方が違えば捉らえ方も変わります。
自分の物差しで射を評価するのはどうかと思います。
もし自分が懸命にやっていて自分の射を批判されたらどうですか?
体配について。
各大学により入退場様々です。
座ったまま射位に入る大学もいれば座射ではなく立ち膝での待機の大学もありました。どれが良くてどれが悪いなんてのはないと思います。これが大学弓道だと思います。
ただ、それを一般にそのままもっていき周りの迷惑を考えない人が一部に居ます。的中はすごくてもそういった態度が大学弓道の印象を悪くしているわけです。

15:くま五郎さん
自分の場合は中りを中心に組んでいました。
選手みんなが高校から経験者でしたので個人の持ち味を生かしつつ的中を伸ばす個性のある練習をやってきました。選手配置は基本的に大前・落前・落はポイントゲッター 2的・3的はセーブ って感じで 全関とか5人立ちとかは連中意識で練習し、リーグ戦は相手心理戦踏まえて1軍選手を1の立で相手を圧倒させ2軍は2の立で1の立の波に乗らせてあげるような感じで的中を上げて行きました 強ければ自然と周りから上手いって言われるんです。ちなみに自分の時は 3部リーグにいましたが団体全関2位 全日3位射技優秀取りました。8人で130/160中ペース出していました。

16:もってぃさん
中たればなにをしてもいいという流れになりすぎてなかなか修正ができなくなっているんです。それは試合以前の問題ですよね?練習を休んで飲み会に行ったり、休みがないと文句を言ったり、…去年部員が少ない時期だったため強く言うことも出来ず事態はかなり深刻です。そういう輩は試合に出る資格はないと考えていますがやはりこのような状態は次元が低いとみなされても仕方ないですよね?
外さない射、自分も日々意識して鍛練しています。

17:チーコ ◆c1MUh/PUさん
>10 シンさま
私も「関選」を観戦しました。仰るとおり「男子個人戦の決勝」での射、態度は褒められたものではなかったです。確かに「中ればいい」「その為に必死で練習して、試合に臨んでいるのだから、他人がとやかく言うことはない。」という意見も有るとは思いますが、強い学校ほど注目を集めているのですから、模範となるような弓(中り、体配、態度)を目指して欲しいと思います。

18:Aries ◆KYUDO7p2さん
一つ疑問なのですが、もってぃさんが問題視されている方達はそもそも中るのですか?

弓道をやる理由は、他のなにをするにしても同じことですが、究極的には自分自身の、個人的な満足を得ることだと思います。
ただ、団体戦と個人戦ではその満足を得るプロセスに違いがあると思います。

個人戦では、自分で引いた結果が、そのまま自分の心に帰ってくるわけですから、中りよりも射形を重視して、「抜いたけど良い離れが出来たから満足」と言ったこともあり得ます。また、逆にどんな射形でもいいから中てて、的中から満足を得ることもあり得ます。そして、それを他の人が、「あんな射は弓道の真体からかけ離れている」と批判することもまた自由です。
個人競技としての弓道は、その人の価値観に合ったやり方で満足を得るためのものであるといえます。
個人戦の論理では、射技も的中もそれぞれ問題なく目的たり得るわけです。

しかし、団体の論理はそれとは違うでしょう。
団体の選手は、もちろん自分自身の的中や射技から満足を得ることも出来ますが、それ以上に団体への貢献から満足を得るものではないでしょうか。自分が満足の行く射をできればそれで良いというのであれば、わざわざ団体戦をやる意義は乏しいからです。
つまり、団体戦に於ける個々の選手の目的は、「満足のいく射をすること」ではなく「高的中を出すこと」にあると言えます。もちろん、そのための手段として、「正射」は最上のものであると考えられるので、的中の追求は同時に射技の向上を伴うものです。
要するに、団体戦に於いては的中の方が目的としてふさわしいと考えます。
しかしながら、簡単には「正射」を体現出来ないことは事実です。となれば、ここで選択が必要になります。すなわち、「どんな射でも中てる」ことを是とするか非とするかを決めることです。
これを決めるには、団体全体の合意が必要だと思います。踊ってでも中てるという姿勢は団体の勝利に貢献するものですから、これを正義とすることも出来るでしょう。また、皆がそれで満足ならば、みんなできれいに引いて、的中が低くてもよしとすることも出来るでしょう。しかしどちらにせよ不満は生じうるものですから、しっかりと部の姿勢を定めることが必要ではないでしょうか。

19:Aries ◆KYUDO7p2さん
私個人の考えをいいますと、「正射必中」であるからには、「中らないけどきれいな射」は絶対に正射ではありません。一方、「きれいではないがほぼ皆中できる射」は正射であり得るわけです。「正射」自体がどのようなものであるかは、少なくとも教本などではかなりおおざっぱに輪郭が示されているにすぎないので、「正射」というのはある幅のある概念だと考えるからです。

ようやく最初の問、つまりもってぃさんの部で「中たればなにをしてもいい」という人たちは中るのか? との質問の話に入ります。

もし、「ほぼ百発百中」というのであれば、もしかしたらもってぃさんの正射の観念が間違っているのかもしれません。その人達の射が正射であるという可能性を検討してみてください。そして、その人達を利用して昇格しましょう。おそらく、その人達のやる気のなさは、自校を含めたリーグ全体のレベルの低さに起因するように思うので、周りのレベルが上がれば、自ずから問題は解決します。

もし「常に7割〜8割くらい」というのであれば、おそらくもってぃさんの部の所属するリーグではかなり活躍できると思います。やはり彼らを利用して昇格しましょう。周りのレベルに太刀打ち出来なくなれば、部や射技に対する姿勢を問い直す好機になるでしょう。

「それ以下だ」というのであれば、もっと中てるために正しい射形を身につけさせましょう。だた「正射で中てろ」というのではなく、具体的に指導してやることが必要です。「中たればなにをしてもいい」というのは、逆に言えば、「中らなければ自由に出来ない」ことでもあるのですから、しっかり矯正して、戦力にしていくことが必要だと思います。

20:Aries ◆KYUDO7p2さん
長い上にまとまりが無いので整理します。
まず、団体戦に於いては「的中」自体も十分に正義たり得るし、他の価値を求めることも出来ます。個人の価値観だけで、「中るけど汚いのは嫌だ」と言うのではなく、コンセンサスを作りましょう。
「正射を基盤にして的中をだすことを義務に出来るようにという流れで統一されつつある」と言うことですが、今の状態では「二兎を追う者は一兎をも得ず」では無いでしょうか? つまり、「きれいに見える射」をしても、中らなければ怒られるし、逆に「汚いけど中る射」をして中てても評価されないということですよね? でも、両立するのはとても大変なことです。だから、どちらか一つを掲げた方が、みんなそれに向かって努力しやすいと思います。
どちらを掲げるにせよ、「正射必中」であり、そして正射とは的中を得るのに最善の方法である以上、レベルが上がれば射形を優先しようが、的中を優先しようが、同じ結果になります。

そして、「中ればなにしても良い」という人には、まず求められる中りの水準を明確にしましょう。実際に、リーグで1位になるのに必要な的中率を基準にすれば良いと思います。
達しているのであれば、まずはその人達を使って昇格を果たし、士気の向上につなげましょう。達していないのであれば、「中ってないから自由にさせない」と強く言いましょう。

私のところもですが、低レベルな弓道部は不可避的にサークル化すると思います。サッカーなどの純粋な団体競技と違い、一人いなくても精神面はともかく、実際的にはあまり支障が無いため、自分勝手が通りやすいからです。
ならば、求めることを明確にし、部全体がそれに合意して、目標の達成を「絶対の正義」と出来る状況を先ず作らなければなりません。なにをして良いのかわからないのに、ただ「真面目にやれ」「やる気を出せ」と言っても無意味です。

21:もってぃさん
ありがとうございます。中たると言っても部のなかでは上ですが、六割くらいです。自分を含め三人ほどは八割から九割弱中っていますが、大半は今年入部したばかりの者で経験者でもむらがありもう少し時間をかけないと的中が安定しない状況です。団体ではやはり的中が大事ですが、普段が中て射なので大事なところで力が入り簡単に(周りから見てですが)抜くことが多いですね。Ariesさんの返信に基づいてまずは志の同じ者と話し合い、整理をしてから当人と話し合いさらなる高みを部全体で目指せるように頑張りたいと思います。

22:律子 ◆/PjGxMJcさん
正射必中についてですが、学校名は伏せますがとある弓道で有名な高校の監督が「弓道連盟の射はあたらない」
と仰っていたのです。。。どういうことなのでしょう。。。

23:かしゅ〜なっつ さん
>22
その方は日置流の方ですか??

24:とーらさん
>22
弓道連盟の射はあたらない・・
その意味を考えると・・・
1.高校在学期間は3年間。
その中で,弓道教本に掲げてあるような基礎基本をみっちりこなす練習は時間的に無理です。的に中って楽しい!という観点から,基礎基本でも大事なところを集約し,中るコツを伝え,まず中てよう,勝とう,楽しもうの弓道だと思います。

2.その先生と弓連のお偉い先生と仲が悪い
これは生徒さんにとって最悪ですね。

3.その先生が「わしの言う事を聞けば中る!」など自分の持論が正しい,すべてだと思っている。これも生徒さんにとって,最悪ですね。

どれでしょう?

25:斜面見習いさん
その事を言っていた先生に聞くのが一番では?
ここで聞いても推測にしかならず真意は言った本人しかわからないと思います。 又聞き程度の話ならあまり書き込まない方がいいと思います(信憑性に欠ける)。


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