集中 (投稿6件)[1〜6]
- 1:はやさん (2004/07/17(Sat)20:37:11, ID:gzcb97A [19984])
- 会にはいって雑念がはいって、離すきっかけがつかめません。みなさんは、会にはいった時、どうやって集中していますか?
- 2:けんたろ〜さん (2004/07/18(Sun)09:55:02, ID:EkMT7jo [20008])
- 「何も考えず離れる(離す)」のが極意なんだそうです。
また、本当に集中、無心になって離れるのは上級者しかできないと思います。
あんまり考えず素直に離れるのがよいでしょう(^_^)。
- 3:麦粒さん (2004/07/20(Tue)02:42:51, ID:qau1ayw [20183])
- “無心”になる前に“一心”を目指しましょう!会に入ってしっかり伸びているかなどの確認事項を見つけておいて、それだけをしっかりやる・・・ってのはどうでしょうか?
- 4:笹岡さん [url] (2004/07/20(Tue)23:37:13, ID:6EGvRPY [20226])
- ひたすら中てることだけを考えてみてはいかがでしょうか。
「中て気」などと言って敬遠されがちですが、中て気のない射などありませんし、中て気を利用して的を射るのが弓道だと思います。(と、偉そうなことを書けるほど中ってませんが)
- 5:syouさん (2004/07/21(Wed)01:14:01, ID:LuIVSy. [20230])
- 具体的に雑念とは何でしょうか。
中てることに関しては雑念だと思いませんが。
無念無想は無理だと範士の方もおっしゃってますよ。一応参考までに載せておきますね。
著作権に引っかかるとやなので秘密と言うことで。
「理想の離れなどを口にする人は、真に弓を語る人ではないとさえ思っている。理想は高尚だし言葉は美しいから、外部の人に語るにはよいが、そんなに上等に説明せずとも、一挙一動がすでに自然に美的の構成になっているのだから、現実のままの心理を述べてよいはずである。放すでなくて離れる、無念無想で離れる─というのではなくて会に入って充実の頂点、照尺がピッタリ合うた時、強く大きくの表現にまで、心を配って有念有想に、意識的に放して中てるというのが、どうして悪いのだろう。今時の理屈で固まった若い人たちには、かく説明してこそ、昭和の弓法なのではないだろうか。」(弓道教本第三巻一八四頁)
- 6:syouさん (2004/07/21(Wed)01:15:29, ID:LuIVSy. [20231])
- もう一つありました。
「実際問題としては、離れは決して無意識の間に生まれるのではなく意識して弦を放すのである。つまり会の時、心身合一がなった瞬間、心の命令によって弦を放すものである。無意識や無念無想の離れは、人である以上あり得ない事であろう。みな意識的の離れであると信ずるものである。」(弓道教本第三巻一八三頁)
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