正射。。。 (投稿15件)[1〜15]


1:しばさん
私は、今大学で弓道をしているのですが、大体のひとは、射型が汚くても中ってればあまり口出ししません。私はそんなのおかしいと思うんです。
中りも勝つためには必要ですが、そのために射型をおろそかにしているのを見ているのが嫌で...。また、射型がおかしいのに中ってるのも納得できません。
こんな風に考えるのはおかしいんでしゃうか?長々とすいません↓みなさんどうおもいますか?

2:はしっちさん
私たちの学校ではこないだ(四月だけど・・・)顧問がかわりました。前の顧問の先生は、射型が汚くても中りが多い人を中心にチーム編成していましたが、新しい顧問の先生はたとえ中りが少ない人でも射型が綺麗な人を出します。私は、やっぱり射型が汚い人を選手として出すよりかは、中りが少なくても射型が綺麗な人が的中率が良くなっていくとおもいます。長くてすいません。

3:清流さん
大会とは何か?という所ですね。ちなみに、大学弓道のほとんどの場合、大会(試合)=勝負=勝つためのもの、ですから、あてなければならないので必然的にあたる人が選手になります。それに、厳しいことを言ってしまいますが、綺麗な射形=正射ではありません。綺麗でも、あたらなければそれは中身のない見せ掛けの射になるからです。

4:しばさん
清流さん>>
もちろんきれいな射型が正射ではありません。私が言いたいのは汚い射で中てて中ってるからと言って指導しないのはおかしいのではないかと言う事です。あと、きれいな射がみせかけとは限らないと私は信じていますが(笑)

5:槻弓さん
例え一時あたりが出たとしても、射が乱れていては的中もいずれ乱れてくると思います。しかし、「正射必中」という言葉もありますし、射は綺麗でもあたらないという人も珍しいですね・・・

6:Ariesさん
「正射必中」言うまでもなく、正しい射をしていれば、必ず中ると言うことです。
さらに、「逆は真ならず」と続きますね。
必中する射が正射とは限らないということですね。

さて、このことを前提に、しばさんのおっしゃる綺麗だけど中らない射と、汚くても中る射を評価してみたいと思います。

正射必中と言うことは、必中は正射であると言うための必要条件であると言うことです。
逆は真ならずということで、
それは十分条件では無いということもいえます。

何が言いたいのかと言えば、
中らない射は絶対的に正射ではあり得ませんが、
中る射は正射である可能性があるといえます。

結局、中らない射はどんなに綺麗であっても、中る射よりも正射から遠いのではないでしょうか?

蛇足ですが、都学の一部校は中りはもちろんのこと、大抵射もかなりうまいですよ。
的中を重視するのも、射形を重視するのも、方法論の違いにすぎないのではないかと思えてきます。

7:斜面見習いさん
弓道している人が皆正射を目指してるわけではないと思います。自分の考えにあわないから他人の射を非難するのはどうかと思います。それが 間違いと思うなら自分の射を磨き皆に納得させればいいだけの話です。 また自分より中たるならどうやって中ててるかとか自分より射形が綺麗ならどうやったら綺麗になるかとかを見て盗めばいいと思います。手とり足とり教えてもらうだけでは上達しません。頑張ってくださいm(__)m

8:しまのさん
大学弓道はそんなもんですよ。ただ、射型を気にするなら自分の射型を気にすればいいだけで他人に自分の考えを押しつけるのはやめたほうがいいですよ。中る人はたくさんいますが射型がきれいで中る人はすごくかっこいいですよ。

9:しまのさん
大学弓道はそんなもんですよ。ただ、射型を気にするなら自分の射型を気にすればいいだけで他人に自分の考えを押しつけるのはやめたほうがいいですね。中る人はたくさんいますが射型がきれいで中る人はすごくかっこいいですよ。

10:しまのさん
ダブりました

11:1さん
削除されました。

12:翔さん
私はそのような人にも必ず其の人の射の中に中る理由があると考えています。
Ariesさんも仰っていますが、中る射は正射である可能性が中らない射よりは高く、どんなに綺麗な射であっても中らなければ中る射よりも正射から遠いと考えるからです。(あとちょっとなのに・・・と思う事はありますけど)
見た目に汚い射形でも其の人が其の人なりに努力して、勝つ為・中てる為に考え抜いて得た(身につけた)射形なら、私は簡単には否定できません。
確かに射形を無視して中ればいいというような考えには私も賛成できませんが、人それぞれ求めるものは違うと思うので其れを押し付けるのはよくないと思います。
人の射形を否定するのは簡単ですが、それよりも其処から自分の為になる事を一つでも多く吸収した方が為になるのではないでしょうか。

13:あさおさん
私も射形がめちゃくちゃなのに中るのはどうも納得いきません・・・;
それは「中てる弓道」になっていると思うんです。
たしかに試合とかは中ってなんぼですが、中りにばかりこだわってしまうのは道をそれてるからただの『弓』じゃぁないでしょうか?(と似たような言葉が本にあったんですが・・・笑)
正射すれば中てようと思わなくても自然と矢は的に飛んで行く。と顧問の先生も口癖のように言ってるし。

けど人それぞれですから、射形が汚い人にあれこれ言いたくてもぐっと我慢です(笑)

14:熊本人さん
正射必中って、言うけれど僕には正射は分かりません。具体的にいうと正射って何でしょう?
これ分かる人って多分なかなかいないんじゃないでしょうか?
八節君のやってる行射が正射だとしたら、
それだけが正解ですか?
それだけじゃないでしょう?
結局のところ正射なんちゅうのは
ものすごく抽象的なものでしか僕の目には映らないです。
だからとりあえずは、中りを求めるんですよ、僕は。もちろんとことんです。そこから何かを得ようと決めたから。審査だって受けませんでした。僕なりの考えがあるから。
それがいつか正射につながるんだと思ったんで。別に汚い中る射でも綺麗な中らない射でもどっちでも良いと思いますよ?どっちも人それぞれの正射を抽象的なものから具体的なものに変えてくれるはずです、と考えました。

15:しばさん
みなさんたくさんの意見ありがとうございます。私の書き方が良くなく、考えを押し付けているようにとられていて、大変申し訳ありませんでした。人それぞれと言うことでしょう。自分の射を磨こうと思います。


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