自分の弓道の半生を書き綴るスレッド (投稿24件)[1〜24]


1:黒鷲さん
高校に入ったとき「楽な運動系のスポーツをやろう」と弓道部に入部、一ヶ月で筋トレがつらくなり先輩(後に部長)に退部届けを出すが励まされ食いとどまる。六月辺り型が崩れ合言葉は「中ればいい」となるが全然中らない。夏休みに入る前OBの先輩が部活に来て弓を引いているのを見てあまりの綺麗さに感動する。その先輩にくっついて夏休みは毎日神社、週単位で弓道教室に通い弓を引き指導してもらう。そのせいもあってか的中は少しずつ上がっていき二年生になる頃には部内でトップ5に入る。三年生に混じり団体で県大会に出場し予選を絶望的な的中数で通過し準々決勝、準決勝、そしてついに決勝まで来てしまい一本差で優勝。あまりの嬉しさにOBの先輩にそのことを伝えると「おめでとう、だけどもう会う事はない」と告げられ弓をやめたことを知る。悲しみのあまり早気になる。それでも総体では団体一位、個人三位、特別賞(金的)を取る。早気がピークになる。数週間後にはまた県大会、一ヵ月後には中国大会。そして今頭を抱えてこんなスレを立ててみている。

2:チャットによくいる黒鷲さん
私と同じ名前ですわ(笑
いや〜何とも複雑
私はこのスレの黒鷲さんとは別人なので
え?それだけかって?
ええ、それだけです(笑
スレと関係ありませんが
では〜

3:なんじゃまんさん
2年前の4月友達と3人で何となく入部。数年前に共学に変わったためか初の男子部員となる。先輩に可愛いがられる。1年の秋の県大会で創部初の男子団体出場を無惨な結果で果たす。その次の日、1人道場から消え去る。それに連れてもう1人も幽霊部員に。女子だけの環境に孤立。全射皆中しないと個人では勝てないという現実に絶望する。それでも頑張ろうと、様々な教本を借りたり買ったりし、読み漁り始める。努力と忍耐の甲斐あってか、的中も部内でトップになったりもした。2年の秋、大学生の大会が偶然近所で開催。興味本位で見学に行き、別世界を見て感動。その次の月、弐段を受験。緩み、早気、0中でも合格し審査員の目に失望する。もう昇段は目指さないと誓う。審査会場で他地区の見知らぬ人から、1人でも頑張れと励ましの言葉をもらう。その後の市民大会でもまた見知らぬオッサンに励まされる。2年の終わりには女子ともほぼ慣れ、同じ地区にも友達が増える。さんざん緩みに悩まされてきたが、高3になった途端治る。
現在、的中は8割どまりだが型は最高潮を向かえる。「試合で勝った負けたは時の運。それより弓道で何を得るかが大切」というある先生の言葉の意味もわかりかけ、あと引退までの2週間を感慨深く過ごしている。

4:熊本人さん
何で君は弓道部に入ったの?聞かれても全く思い出せません、、、。何ででしょう??僕が聞きたいくらいですな(笑
初めて何も持たずに八節をしたときの感想『これ何??こんなことやってて俺弓引けんの?』多分うちの部のやろうどもって大体こう思ってるんじゃないすかね?(笑)ゴム弓を引いた感想『これきちい、、、。だりいなぁ』でもやめると言うことは少しも考えてませんでした。今考えると不思議な話です。その後近所の某高校記念大会(何の記念か不明)にてめちゃめちゃ可愛い人発見!!!
しかし一つ上の人だと知り意気消沈、、、。
試合で活躍したら話せるかも、などと友達と夢見心地。この辺からッすね、真面目すぎるほどにゴム弓引いてました
。弓を本格的に引き始めると夏休みは馬鹿みたいに練習しました。その後練習では中るが試合で中らないから駄目的状態が続きました。しかし二年になってすぐにあった市の大会で初めて試合で納得のいく結果(個人競射8連中個人優勝)総体メンバーに選ばれ、総体では団体4位個人二位
何となく試合で中てる感覚をつかみました。その後九州大会個人6位、インターハイ決勝競射3本目外し(ベスト15)
にて僕の最初の夏が終わり、自分たちの代、初の公式戦、新人戦で団体県二位、九州新人戦はSG館と共に団体4位タイ、僕は10射8中、友達(親友、チームの落ち)が10射皆中個人二位を獲る、11月終了、、、、。
だんだん自分の射が見えなくなりだし、スランプ、、、。
8、9割有った的中は4,5割まで落ち、ほんとに苦しみました。もともと中て射な僕なだけに、もう終わりカナ
などと思ってました。その後、総体メンバーを選ぶとき落ちのやつがダイブ考慮してくれたらしく大前で登録。
正直嬉しかったしやるっきゃねぇって思いました。
そして、、、今日の僕の的中56射49中
スランプは脱出しました。今度の土日県総体です
もう一度今度は仲間と共にインハイに行きます。

5:エセアーチャーさん
みなさんのを見ていたら自分も書きたくなったので・・・
中学ではソフトテニス部だったもののテニス部の練習を見ながら、やっぱりテニスは自分に向いてないと悟る。隣でやってた弓道部を見てこの競技こそ自分に向いていると直感で感じ入部。ゴム弓を引いていた5月ごろにすでにアーチェリーのサイトを徘徊し始める(なんで和弓は棒のままなんだとたまに思いながら)
実際に弓を引き始めたら異常なまでに弓力を上げることにはまりだしスピード狂になる(夏には20キロ、秋には24キロを引く)。下手くそなくせにそんな強い弓を無理に引いていたので肩の関節が痛くなってそれまでの考えを捨て「的に中ればどれだけ矢を遅くとばしても関係ない」といい始め24キロから一気に13キロまで弓を弱くする。このころもたれになってしまって的に中るのは本当に珍しいという状況が続く。
さらにこの1年の冬に初めて実際にアーチェリーの弓を引く(クリッカーを使ったわけでもないのにいつのまにか和弓のもたれもこれのおかげで治るww)
2年生になって先輩たちももうすぐ引退ということで一緒に頑張る(このころの練習試合は今考えても一番おもしろかった)県総体では団体は1本足りなくて(その一本が落ちの自分が外したせいというのが非常に痛い)ベスト16に入らずそこで負ける。個人では8射7中で準決勝に進んだものの2中こいて落ちる。
2年生の夏、現在までで一番中った(練習でだけど)時期だった。初めてコンパウンドを購入、弓具トラブルで射てない日々が続いてイライラする(汗
秋の新人戦は春より練習の調子が良かったのに個人8射5中で惨敗・・・
現在の状況は、最後の県総体に向けて練習中です。
アーチェリーの方は高校にいる間は試合には出ないようにしようかと思っていたのですが待ちきれなくてこないだから出ていますwwこっちもまだ試合もありますし上の大会にいけるように調整しています。

・・・なんかまとまりのない長文駄文になってしまいました(汗

6:T・Tさん
中学に入り、これまでやっていた水泳とは違うものを始めようと思い、弓道部に見学に行く。何回か見学に行くうちに入部しなければ申し訳ない気になりそのまま入部する。
中高一貫校であったため、大学受験の高三を除く五年間を弓道漬けで過ごす。途中、弐段審査に落ち、少し弓道が嫌になる。強い仲間に恵まれ、彼らの陰に隠れて華々しい活躍もできないまま高校弓道部を引退する。
一年の浪人後、希望の大学に入り弓道部に入る。高校の時に取り損ねた弐段を取り少し浮かれたり、国体一次予選を通過してまた浮かれたり、弽を紛失してかなり沈んだりしながら現在に至る。
現在は、大学から弓道を始めた同級生が自分を追い抜いてゆくのに焦りを感じつつ、新しい弽と奮闘中。大学二年生。

7:T・Tさん
漢字で「ゆがけ」が出ません。「弽」は「ゆがけ」です。

8:1さん
削除されました。

9:半平太さん [url]
始めは静観するつもりでしたが面白そうなので。
中学入学と同時に弓術部に入部。動機は、今考えてみると子供のころから銀球鉄砲遊びやロケット花火遊びが好きだったから・・・というかなり不純なもの(笑

弓術部ではかなり和気藹々とした雰囲気の中、姉妹校に比べてかなり軟弱で弱っちかった部で打倒姉妹校!を目標に練習した。
あまり良く覚えていないが、早咲きだった気がします。2年生の6月に姉妹校との新人戦で20射16中し、念願の団体勝利を手にする。その年の都大会では個人・団体ダブル優勝を果たし、成績的にピークを迎える。その後はかなり伸び悩みつつも、そのまま中学を卒業。

高校でも何の疑問も持たずに弓術部に入部。一応期待されつつ、1年の秋にベストメンバーとして県の新人戦に出場。しかし、グレートな先輩の足を引っ張り準優勝に留まりかなり寒い雰囲気を味わう。
高校2年の夏休みに交換プログラムでハワイに1ヶ月ホームステイし、かなりあちらの文化にかぶれ、弓道への熱意がやや冷める。
2年秋の全国選抜県予選でもベストメンバーとして臨んだが、こちらも運悪く準優勝に留まる。
その後、冬を越え春シーズンの前まではかなり好調を維持。100射会では83中で優勝。
しかし、その後崩れて最後の春のシーズンを棒に振り、インターハイメンバーからも外れ不遇の時を過ごし、ややグレる(汗
結局仲間はインターハイ県予選を勝ち上がれず、反省会で親友であった主将の涙を見て大きく反省、まじめに練習し、春シーズン最後の対校戦で9割(20射18中)を出せたのが嬉しかった。

以上中学高校時代の記憶でした(^^ その後のことはHPで綴っているので省略。

10:班長さん
おもしろそうなので参加してみたり・・・(^▽^;)
家に一番近い高校に運良く入学。部紹介で、先輩の射というか弓具にみとれ、簡単そうに見えたのでなんとなく入部。実際弓を引くようになり、ゴム弓とのギャップに驚く。その後、1年の時は正練には行くものの、自主練になるといつの間にか消える生活を繰り返す(笑)2年の県総体では予選8射6中をギリA通過し5位入賞。その後東北大会にも出場し入賞を果たす。それからは徐々に下り坂の一途をたどり、自己ベストを何度か更新しながらも安定せず、途中、アーチェリーに逃げたくなったが、思いとどまり現在にいたる(苦笑)そして最近の口癖が「ドンマイ」な自分。県総体に向けて頑張るぞぉ〜

11:真尻さん
私も半生書きました。

小さい頃からテニスの英才教育を受け、アメリカでテニス留学。そして小学校の時にジュニアの大会で全国ベスト4、そして中学校の時についに全国優勝を果たしました。高校に入り、テニス部の人は大変よろこんだらしいという話を後になって聞いたのですが、入った部活はなぜか弓道部・・・親との約束で、中学校終わったら好きにしていいと言われていたので新しい事始めました。単にはかまがかっこよかったからなんですけどね。

最初はゴム弓での練習。非常に面白くない。うちの高校はゴム弓が切れたらよく練習した証拠という事で的前が引けるという伝統があり、ばれないように自分で傷をつけたものです(笑)

1年の秋に、初段とって段位には興味がなくなりあとは試合で活躍するだけと、毎日遅くまで練習しました。2年の春から引退までチームの不動の落ちとして君臨。3中はぜったいにきらないように頑張っていました。

3年になって、部長として今年はインターハイ行きたいと考えていました。しかし、チームメイトは仲がいいわけでもなく、ばらばら。諦めそうに何度もなりましたが、「仲がいいチームが強いチームとは限らないよ」という中学校時代のテニスの恩師にアドバイスを頂き、お互いが仲良くないけど試合に関して・・つまり的中に関してだけは信頼ができるチームを目標にまとめていきました。勝ちたいという気持ちに例外がないので、無条件にまとまる事ができました。結果としてインターハイに行くことができてよかったと思います。インターハイの結果は、チームメイトが二人全部外したので予選落ち。でもいい思い出でした。高校時代の部長として人をまとめて結果を出すという事の試行錯誤は私の人間的な成長になりました。

12:真尻さん
大学に入って弓道を続けました。予選も通っていない私にセレクションで来てくれという大学もあったのは事実ですが、普通に入試で入りました。大学は王座という試合があって、それに向かって頑張っていました。結果として、団体でのタイトルは全日本大会の入賞くらいしかありませんでしたが、非常によい経験となりました。高校時代と何が違ったかというと、やはり的中率の高さと個人よりも団体で結果を残す楽しさ、つらさに尽きると思います。大学に来て、自分の一本が自分の一本ではない弓道がある事を経験できたのは非常に私にとって大きかったです。チームメイトと練習したり、結果に落ち込んだり、喧嘩をしたり、酒を飲んで騒いだり・・・すべての経験がかけがえのない宝物となりました。

大学時代に4段とってましたので、一般で引くようになったすぐの審査で5段をとりました。その時23歳。それから、一般道場で引いていたのですが物足りなさをずっと感じていました。勝負というものが存在しなかったからだと思います。何度も弓道をやめようと思いました。そんな時私は俗に言う達人と出会いました。近所に自宅に小さい弓道場を持っている方がいて、ふとした時に一度引かせてもらおうとそのお宅に行ったのがきっかけでした。その帰りには弟子入りしていました。ちょっと中っている自分に満足していた自分の未熟さに涙が出ました。師匠は無級なのですが、弓道の真理を知っていました。師匠は私より中るのはもちろんですが、私が引いている一本一本の心境の動きをすべて読まれてしまいます。そんな師匠と出会い、また弓道の虜となりました。厳しい練習、ありえない練習も沢山させれました。外して的枠正座もさせられました。身も心もぼろぼろになりながらの練習です。先日師匠と勝負した時に200射195中という過去最高を出しましたが、師匠は197中。まだまだ修行が足りません・・・しかし最近は師匠が認めてくれてきたので、対等に話せるようになってきました。師匠のもと修行中です。

13:仙さん
中学のときはサッカーをやっていたが、弓道がかっこいいと思って入部。一年のときは自分だけでなく学年が帰宅部状態。歴史や環境が無いせいか…先輩との仲も当然悪くなる。一年の一月、試合で友達が「このままじゃやばいよ」と呟いたのを聞き、心入れ替える。高段者の方に電話をし素直に気持ちを伝え何度もお願いした結果教えていただける事になった。それが一年二月。先輩達が引退し、さぁこれからというとき部長に就任。ますます気合いが入る。だがいきなり〔弓道部〕になることは難しかった。悩んで泣いた日もあった。部長としての変な意地から中りに走り早気になる。
そして一年が経つ。総体の予選も通過できず残り一試合。やるしかない。

14:1さん
削除されました。

15:凛さん
閲覧で済ませておこうと思ったのですが、みなさまの経緯を読んでいるうちに書きたくなったので・・・

中学時代兄弟の影響で野球部に入部。1年生大会でスタメン出場。3打数2安打の結果を残すが1回戦敗退。2年になって先輩が引退し自分達の代になってからスタメンを死守。しかし、秋の中体連の前に練習試合でデッドボールを避けようと思い切り腰をひねりその時に腰と背骨の境の骨が削れ絶対安静を余儀なくされる。その間に仲間の方が上手くなりスタメン落ち。ベンチメンバーになる。そのままケガが完治せず引退。現在も後遺症あり。高校に入って1年間部活に入らずただボーっと過ごす日々。2年になり唯一の弓道部の男子から後一人入れば団体戦にでれるから入ってくれと言われ2年から弓道部に入部。負けず嫌いの性格から部一の射手になろうと必死に練習。その甲斐あってかその後の大会で何度か入賞を果たす。他校の先生に誉められさらにやる気を出して頑張る。現在に至る。中りに走りすぎて早気になるが的中率は相変わらず8割〜9割をキープ。部のみんなは最後の総体と緊張して気負っているが自分は一般でも引いていくので楽に引き好調をキープ。少年国体、青年国体の出場を目標に頑張る日々。
真尻さんに質問なのですが、真尻さんくらい高等な技術の射てなら当然かと思いますが、国体の選手ですか?もしくはでしたか?

16:お母やんさん
中学時代に弓道にあこがれ、反対を押し切って弓道部のある高校へ入学。
一番乗りで入部し、八節の練習に明け暮れる。センスは良かった様で八節のテストも一発合格するだろうと部長からのお墨付きがあったのにもかかわらず、違う先輩に落とされ、その先輩のお気に入りの子が受かって不服に思う。このとき『絶対に一番上手くなってやる!』と心に誓う。
一年の県秋季大会に一年生ながらに友達が団体で出場。私も同じくらいの的中と射形だったのに先生の好みで決められ先生に幻滅。この子が使用していた弓では遠的では届かないという理由で、当時一年では強い弓だった私のと勝手に交換。限りなく腹が立ったものの、心配してくれていた先輩方が新しい弓を渡してくれる。ここから、強い弓への執着が始まる。
一年で選抜大会の団体の落ち前になり、国体の一次予選も難なく通過。二年に上がる頃に先生が転任。何丁か弓を進呈してくれた中に直心1カーボン12Kgを発見!使ってやろうと思っていたのに先生はまたもや(前述の)お気に入りの子のために買ったから、みたいな事をいい私はつかえず・・
二年になり不動の大前となる。(実は一年から大前だったが;)女子の先輩がほとんど来なくなってしまい、必然的に一軍へ。夏に部長になり部を引っ張る存在になり、一年生の教育に翻弄される。運悪く末っ子ワガママっこ達が集まり、気に食わない事があるとすぐ態度に出したり言う事しないので爆発・ブチきれる。県秋季大会で団体3位になり、近畿大会のチケットを手に入れる。近畿では運よく予選を通過し、運よくトーナメントを勝ち進み結果準優勝を果たす。この頃絶頂期で外す気がしないくらいだった。

17:お母やんさん
三年になると貫禄と言うか、どの大会も予選は通過して当たり前になり、地区大会の団体も入賞が当たり前になってきた。しかし・・県総体個人の思いもしない一回戦敗退・・久しぶりに泣いた。翌日奇跡は訪れる。団体予選をトップで通過。去年まで予選も通過できないくらいだったのに。皆優勝したかのように喜んだ。翌日決勝戦。的中を気にせず、高いテンションを保ったまままさかの優勝。15年ぶりのことで、新聞にも載って信じられなかった。それから二週間後の国体最終予選では、初日は雨のため遠的が中止になり、近的プラス12射で32射行われ、25中をたたき出しトップに躍り出る。翌日の遠的で20射4中とヤバイ的中でも近的20射12中が補ってくれてなんとか72射41中でタイ1位で国体候補選手になる。
インターハイでは、長崎についた頃から徐々に調子が悪くなり、4射0中。自分の弱さを悔やんだ。
国体の近畿ブロック予選は、めずらしく遠的がよく中り8射6中、近的8射5中。国体マジックでどちらも一位になってないのに0・5点差で優勝!静岡国体のチケットをつかむ。
国体は、はつらつとした気持ちでのぞむ。本番は近的8射3中でみんなの足をひっぱる。遠的では5・3・0・5、0・9・3・10と合計35点だったが、どちらも予選落ちで高校弓道人生がおわる。

18:紫音さん
高校入学と同時に弓道部の存在を知る。入部。きつい…。頑張る。一年生男女合わせて十四人のなか一番に弓を引かせてもらう。一番に的前に上がる。しかし的中は二番。ライバルを見付ける。
八月。デビュー戦にて八射三中。先生に誉められ浮かれる。
九月。地区大会にて再び八射三中。まぁまぁな戦力になる。
十二月。初皆中。
年は明け無事進級する。四月。地区大会にてコテンパンにやられる。悔しさをバネにひたすら練習。
五月上旬。合宿にて皆中を二回出す(八射皆中にあらず)。
現在。県総体に向けて猛練習中。
半分以上省略してしまいましたがもっと壮絶です。

19:印西さん
中学時代柔道部に居たが、左鎖骨骨折しため高校では違う部に入ろうと思う。高校入学部活紹介で先輩の袴姿に憧れ入部。基礎練習でも楽しい日々。巻き藁で離れること出来ず悩むが離れた!的前デビュー一日に二、三本中ればよい方だった。先輩達が少なかった為、一年生から高校総体県予選出場12射0中それでも緊張しなかった。新チームになり初めての新人戦にて度肝抜かれる後のライバルになるチームが一年生チームで二年生チームに勝ち優勝。悔しかった。どんどん早気に染まる。一年生大会にて個人戦で三位決定戦で負ける(十人近く居た)選抜予選で8射一中師匠に車に乗るなと怒られる。ショゲる。進級し、最初の大会、地元の大会で二位入賞嬉しかった。

20:印西さん
師匠が違う高校に移られショゲる二年生の高校総体が近づく、県大会でもそこそこ中るようになる。入賞は出来ず、いつも外から見ていていつか決勝に…と闘志を燃やす。総体前日チーム練にて12射皆中で浮かれる。当日ガタ崩れ‥先輩との最後の試合で、役にたたなかった。夏休み人の三倍練習をする事を誓う。一日一〇〇射以上。結果、他校の練習試合で、先生に褒められる嬉しかったが、浮かれなかった新人戦まできっちり練習。新人戦当日腹痛に悩ませられながらも、10射9中で射詰で優勝。団体も予選通過したがリーグ全敗。ほかの地元の大会でも入賞選抜は調整不足のためだめだった。三年生になり一年生が見学に来た一週間程の見学らしい。一週間一年生の前で12射皆中連発!何とか部員を確保不動の大前になり春季大会12射11中単独三位。高校総体前またも12射皆中したのでわざと一本抜く。本番個人戦団体ともに通過。個人戦三位で、九州大会出場決定後一本に泣く。団体も全敗一本差で‥‥長くなるのでこの辺で‥‥。掛け替えのない友達ライバルができました

21:暇さえあれば弓さん
中学時代、どの部活に入ろうか迷いながらあちこち見学していたところ、元気な弓道部女子先輩に誘われ、体験入部という形で入部させられる。いきなり射法八節を憶えさせられ、気づくと入部という形になっていた。1年の秋に初めて昇段審査を受けるが、落ちの退場の仕方が分からず入り口から退場してしまう…。んで私だけ5級。2年の終わりまではろくに練習もせず、道場の裏でバレーボールとかして遊んでいたところ、生徒指導の先生に見つかり顧問にチクられる。竹刀で叩かれ説教を食らい、反省し目が覚める。3年の全国通信大会県予選で個人優勝し、全国で個人3位に入賞する。また、全国練成大会にも出場するが、予選落ち。最後の審査で初段を認許し、気持ちの良い卒業をする。その後、名門弓道部のある高校に進学し、一年のインハイ県予選で個人2位となり、栃木インハイに出場。しかし予選落ち。その後、数々の県予選で優勝し、3月の選抜大会に出場。団体3位と技能優秀賞になる。2年のインハイ県予選で優勝し、富山インハイに出場。団体3位となる。その後、弓を18`に変えて射を崩し、3年の引退までレギュラーにはなれず…。卒業。大学時代は入賞を挙げるとすれば、西日本で2位、九州で2位、全日本でベスト8、九州で個人優勝と最優秀射士賞を獲る。現在、一般弓道で修練中。自分の射が納得いかず、四段を受けるか悩んで早、5年経つ。一番うれしいこと:高校の弓道部の男子が現在10年連続インハイ出場でそのスタートが当時2年だった頃の出場からだということ。残念なこと:高校の高名が数年前に変わったこと。振り返ってみて、何が大切か?やっぱり心ですね!

22:嵯峨無さん
みなさんのよんでたら書いてみたくなったので。

小学4年から中学卒業まで剣道に明け暮れる。一応弐段をとる。
高校入学、クラスの友達と弓道部とアーチェリー部を見学。
剣道に飽きたのと、先輩の袴姿に憧れて弓道部に入部。そのころ新入部員男子三名。女子七名。次の日、筋トレをきついと思う。八節練習開始。
インターハイの県大会、三年の先輩が22射21中(射詰め含め)(しかもうろ覚え)で優勝。全国大会出場。それを見て憧れが次第に高まってゆく。
七月に巻き藁に入り、耳を打ち、腫れる。八月に初的前。2射0中。次の日、初的中!九月の新人戦、団体で二年生に混じって一年から三人選ばれ、無残な結果に終わる。十月、初皆中!やる気がみなぎってくる。十二月、納射で2射2中。いい締めくくりだった。
一月、射初め。これも2射2中。始まりも絶好調。
二月から三月、極度のスランプに陥る。1週間に5本中ればいい方だった。
進級して四月、未だスランプから抜け出せず、苦労する。新入生が16人くらい入る。
可愛い子を発見!
四月も半ばスランプの原因が「ゆるみ」だと初めて気づく。
そこからは、的中率がかなりupして早気になる。
インターハイ地区予選では早気にもかかわらず、8射5中。
惜しくもあと一本で県大会行きを逃す。次の日の団体戦。
最初の立ち皆中したものの、残り二立ち、早気がピークに達し、鼻くらいで離してしまう。残念ながら団体も一本で泣いた。
そして今。早気と戦いながらも次なる試合に向けて、
がんばっている。

細かすぎるところもあって、分かりづらくなりました。すみませんm(__)m

23:六条さん
高校入学当初、テニス部に入ろうと見学に行くが、何故かそこは経験射オンリーの修羅場だったため入部を断念。そのかわり前々から興味があった弓道部に入部。あまりのボロさのため、遠くからは物置小屋にしか見えない道場で筋トレに励む。この頃からすでにサボり癖あり。八月、既にほとんどの人が的前での練習に移行するが、今だに巻き藁練習しか認められず…最後は近づく審査の練習の為に温情で的前へ。ちょっと悲しい…。十月、試合の選手に選ばれなかったのでサボり癖が発動。当日も選手以外の一年男子全員応援に行かず。翌日、先輩に呼び出される。

24:六条さん
こっぴどくしぼられた後、部長から「お前達はダイヤモンドの原石だっ!」と諭される。その言葉に感銘を受けるが、心は入れ代わらず…。一月、オレ以上にサボってた友人が先に初皆中を果たす。これで皆中未経験者は自分一人になる。悔しさと皆中達成のため弓道にのめり込む。四月、新入部員が入るぎりぎり一週間前に初皆中を達成する。その頃には的中が格段に上がる。五月、総体に唯一二年でAチームに入る。補欠だが。確かに的中は上がったが…先月初皆中をした自分としてはこれでいいのだろうかと思い悩む今日この頃。恐らく出番はないだろうが…


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