射型について (投稿63件)[42〜42]


1:半平太さん [url]
前からこちらで書き込みを拝見していてよく思うのですが、特に高校生に射型に拘る人が多いような気がします。
射型を整えることはそれ程魅力的なことなのでしょうか?恐らく指導者に口酸っぱく言われ続けているのだと推測しますが、ここに何か勘違いはありませんか?

私は、射とは「基本体」「基本姿勢」「基本の動作」などを含めた「体配」と、射法八節に代表される「射技」から成り立っていると思うのです。
見た目に「射型」として映るものは、体配と射技が合わさった物であり、それは結果であって目的ではないと思うのですが。

つまり、射型を整えようとして形から入るのは大きな間違いではないかと思うのです。それに見た目の射型が良いことが「正射」であると理解している(させられている)高校生が多いような気がしてなりません。

ある範士の先生が最近仰っていたことで、「なぞる弓は引くな」という言葉がとても印象に残っています。つまり形をなぞるような射は本末転倒である、という意味だと私は理解しています。

良い射、正射とは、執り弓の姿勢を取ったときから退場するまでの行射全てを指すべきだと思うし、正しい体配への理解なしに射技、ひいては正しい射型は成り立たないと思うのですが、皆さんはどうお考えでしょうか?

是非色々なご意見を聞かせて頂きたいと思います。

42:斜面射手さん
>真尻さん

なかなか研究されているようで、その着眼には
感服します。

私は、真尻さんの理論に関しては少々異論があります。
八節の腕の動きがありえない、とのことですが、
あれは肢体方向のベクトルのみを示した図だと
私は解釈します。当然、角見の働き、馬手の
捻りや張りのベクトルも存在することでしょう。
書いてないから「無い」とするのはいかがと思います。

また、「発刊のことば」にもありますが、
一定以上の高度な内容はそれなりの識者によって
なされるべきであり、それは本ではなく実際に
教えを受けよとのことだと思います。先に挙げた
角見や馬手の働きはその高度な分野に入ると
私は思います。もちろん他の部分が程度の低い技術だとは
思いませんが。

41でけんさんが仰るように、基本的には指導者に
教えを受け、その補助として教本があるという形に
なるのではないでしょうか。まず教本ありき、では
ないと思います。

しかしながら教本を誤解して信じてやまない人が
実際にいるのは憂う事態だと思います。
弓道を習う環境の(特に師範のいない部活)徹底に
連盟が慈善的に動いてくれるといいんですが。


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