射型について (投稿63件)[40〜40]


1:半平太さん [url]
前からこちらで書き込みを拝見していてよく思うのですが、特に高校生に射型に拘る人が多いような気がします。
射型を整えることはそれ程魅力的なことなのでしょうか?恐らく指導者に口酸っぱく言われ続けているのだと推測しますが、ここに何か勘違いはありませんか?

私は、射とは「基本体」「基本姿勢」「基本の動作」などを含めた「体配」と、射法八節に代表される「射技」から成り立っていると思うのです。
見た目に「射型」として映るものは、体配と射技が合わさった物であり、それは結果であって目的ではないと思うのですが。

つまり、射型を整えようとして形から入るのは大きな間違いではないかと思うのです。それに見た目の射型が良いことが「正射」であると理解している(させられている)高校生が多いような気がしてなりません。

ある範士の先生が最近仰っていたことで、「なぞる弓は引くな」という言葉がとても印象に残っています。つまり形をなぞるような射は本末転倒である、という意味だと私は理解しています。

良い射、正射とは、執り弓の姿勢を取ったときから退場するまでの行射全てを指すべきだと思うし、正しい体配への理解なしに射技、ひいては正しい射型は成り立たないと思うのですが、皆さんはどうお考えでしょうか?

是非色々なご意見を聞かせて頂きたいと思います。

40:るんさん
>37:真尻さん
真尻さん返信どうもありがとうございます。
あの図(補正116頁ですね)が間違いではなく、一巻のあの場所に図として載せるのが間違い→ということでしたか。(^_^)

あと、
説明はあのままですよ。ということですが、
>35で
「二、弓と押し手の手の内」と書いてあります。残身で下に押してが動くという事は「上下左右に十分に伸びあい・・」という文を八節図ではやっていないという事になります。もし十分に伸びあっているならば、押し手が下がる事はありません。

と説明されておられます。ということは、五重十文字(弓と押し手の手の内)を形成していれば、押し手が下がる事はありえないということでしょうか。→ということは、逆から考えると五重十文字(弓と押し手の手の内)とは直角を意味するものなのでしょうか。
どうもにぶいもので、申し訳ないのですが、ここをもう一度教えてくださいませ。(^_^;)

>38:凛さん
凛さんの5段の先生のお話は目がテンになりました。(ホントに〜ってなもんです)
その先生に聞いてみたいものです。
的の絵は第一巻より、人を加えたねらいの図・説明は、改訂版、改訂補正、補正に載っていますが(補正では119〜120頁)「・・的の中心点をを見通して定めるのが原則である。」と書いてあり、原則であり絶対ではないのでありませんかと。

一巻の原則の意味合いは、(以下は私の習いの一部です)
弓の狙いはすべての場合を一様に規定し説明する事は難しく、図の如く右目と弓の左側の線が頬についた矢の線と十五間先の的の中心の表面であえばよいのですが、人毎に頬の形も違い弓の幅も違うのだから、このような事はまずまれな事で、頬についた矢から右目までと、弓の幅と、的までの距離という3つの要素だけでもねらいは非常に複雑になります。しかし、実際さらに狙いに影響するのは、弓の村、弓の調子、矢の重さ、矢弓弦の釣合、左右腕の釣合〜〜〜弓の伏照、矢を引いた長さ等々と際限なくあるので、一応「原則」に従って狙い、修練をつむ間に体得してゆく外はないものでありその方法は、後ろから他人に弦が矢の正中を割って的の中心についているかを見てもらうもの。だから、教本では「原則である。」として記載しているのではないでしょうかと?

→古来の教えを絶対・・
古来の教えっていうのは、各流派とても合理的、幅広いものと感じています。半月が絶対という古来の教えというのは、私は聞いたことがありません。(私が知らないだけかな?)

>工夫のある射をしていきたい
素晴らしいじゃありませんか!!
私も勉強中ですが、
どうぞがんばってくださいませ。(^o^)


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