射型について (投稿63件)[20〜20]


1:半平太さん [url]
前からこちらで書き込みを拝見していてよく思うのですが、特に高校生に射型に拘る人が多いような気がします。
射型を整えることはそれ程魅力的なことなのでしょうか?恐らく指導者に口酸っぱく言われ続けているのだと推測しますが、ここに何か勘違いはありませんか?

私は、射とは「基本体」「基本姿勢」「基本の動作」などを含めた「体配」と、射法八節に代表される「射技」から成り立っていると思うのです。
見た目に「射型」として映るものは、体配と射技が合わさった物であり、それは結果であって目的ではないと思うのですが。

つまり、射型を整えようとして形から入るのは大きな間違いではないかと思うのです。それに見た目の射型が良いことが「正射」であると理解している(させられている)高校生が多いような気がしてなりません。

ある範士の先生が最近仰っていたことで、「なぞる弓は引くな」という言葉がとても印象に残っています。つまり形をなぞるような射は本末転倒である、という意味だと私は理解しています。

良い射、正射とは、執り弓の姿勢を取ったときから退場するまでの行射全てを指すべきだと思うし、正しい体配への理解なしに射技、ひいては正しい射型は成り立たないと思うのですが、皆さんはどうお考えでしょうか?

是非色々なご意見を聞かせて頂きたいと思います。

20:にっしーさん
これに似た話題って良く議論されますね。
教本を皆何も疑わずに皆やっているのでしょうか?
私は、疑ったことがあります。
それは、無知だかなのでしょうか?
的中のみを追い求めた時期もあります。
それは本当に邪道な事なんでしょうか?
私にとっては、とても大事な時期だったように思えます。

正射って何でしょうね。
弓道の弓は、神様が創った訳ではない。
人間が、しかも日本人が作った物。
もし、世の中に自分一人しか弓を引く物がいなければ、
自分が上手いか下手かも判らない、いや考えもしないかもしれません。
沢山の人が、最良の道具を作り、
また最良の使い方を考え、今の弓道というものが出来た。
そう考えると、正射って何なのか見えてくる気がします。
人間は、何においても向上心を無くしてしまってはいけない気がします。
それは、勝負に勝つことだったり、何かを成し遂げることだったりし、何かを目指ざすこと。
そういう人は、射形だけに満足したり、中りだけに満足したりはしないと思うのです。
その先の正射を目指すのではないでしょうか。
そして、そういう人は正射に辿り着く事は無いと思います。
きっと、常に上を目指すのではないでしょうか?
正射とは、常に向上心を持つという先人達からの
戒めの言葉に思えます。
正射とは、辿り着く物では無く目指す物だと、
私個人は現在思っております。
長々と失礼しました。


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