五部の詰、四部の離れについて。
(投稿18件)[1〜18]


1:印西さん
今この二つでかなり悩み苦しんでいます。
どなたか、ご教授していただけないでしょうか

2:真尻さん
失礼ですが、どういう点でお悩みでしょうか?

五部の詰、四部の離れについての解説が教本に載っていますが、私はこの解説は3つがけの引き方の解説であって、4つがけには厳密には参考になったとしてもあてはまらないと思います。

3:るんさん
>印西さんへ
>この二つ・・悩み
わたしてきには、陰陽からして高度なのかなと思っておりますが、

○何が目的で、何がお悩みなのですか。(^_^;)

4:印西さん
日置流の印西派で三ツカケ使用です。言葉足らずでしたね(・_・;)すいません
厳密に言えば、すべてに近いです…。
両肩両肘胸の中筋左右手の内の詰、楔を打つような感覚、などです。

5:斜面射手さん
全くわからない、ということはそもそも
詰め合いに移る準備ができていないという
ことではないでしょうか?となると、見直すのは
詰めではなく、引き分け以前の部分になると
思います。

6:るんさん
>4:印西さんへ
>厳密に言えば、すべてに近いです…。
まいりましてございまする。m(_ _)m

7:印西さん
返信をしたのが昼休みで疲れていたため、うまく文が浮かびませんでした。すいません。厳密に今まで自分が行っていた五部の詰四部の離れです。とう骨と尺骨を重ねさんとう筋を締めて肘を締める手首はかえす。勝手は下弦をとる。これをするために円相から二つの骨を重ね、十文字を崩さないように打ち起こし三分の二をとる。縦横のバランスが合わせ縦を利かせる。
肘は時計周りに締め、手首びは逆周りに締める。こうすることでとう骨と尺骨が重なり、下筋が利き角見が働くようにしています。勝手も下弦を引くことで下筋が利く。肩の線をきれいに伸ばしています。丹田に力をためパッと離れるのを待っています
これであっていると思いますか?

8:道民さん
 五部の詰の内、両腕の四つの詰は締め楔であるので、その方法で印西さんが締まるのであれば、問題は無いと思います。ただ胸の楔に関しては、割り楔なので、ただ離れを待つのでは、働きが弱いのではないでしょうか?

 ただ、それ以前の問題として五部の詰・四部の離れは竹林派のものであり、印西派の射法に会うとは思わないですが

9:印西さん
では、どうしたらよいのでしょう。竹林流のものとは初めて聞きました

10:るんさん
>丹田に力をため
→丹田に??(気?)
そうすると、うんと単純に無理を承知で、ない頭をひねって文字的にあらわすと、なんとなく四というよりも、もうちょっと紫(これも含まれているのでしょうが)の意味合いを含めているのかなぁ〜と感じます。(微妙な意味合いですね、離れのトリガーとするということなのかなぁ?)

>パッと離れるのを待っています
→待って??(離れまでの心気?)
→例えば、出るのををちょっと待てと度合いを計って制御している?その逆?もっと別?なんだろう?
→そのようにして、印西さんの思うようなパッという離れとなっているのでしょうか?

どうにも、理解力が乏しいもので・・。

11:印西さん
るんさんいろいろ考えていただきありがとうございます!道民さんがおっしゃられるように印西派には合わないと思いますか?

12:真尻さん
私はそうは思いませんよ。

自分の弓道は、最初は流派から入るとは思いますが最後は自分で作り上げるものだと思うので、いいところは取り入れたらいいと思います。自分の骨格にあった自分の弓道ですから、それもいいのではないかと考えます。

実際の話として、私は待つのではなく、懐のふくらみのイメージで胸を開く事から離れを出す部分と出る部分の狭間で離れを出すといいかなと考えます。なんにせよ、この部分に関しては学ぶべき所が多く生かせる部分が多いと思います。うまく取り入れた方が得だと思いますよ。

13:るんさん
まぁ、桜湯でもいかがでしょうか。(色、香りなど楽しみながら)

ん〜、印西さんの目的がはっきりとつかめません。その中でのお話です。(パッと離れるというのが目的なのかな→もっと深いような気がしますし、なにを悩まれているのかが、迷います)

私の拝見した印西派の方は、ある方はするどい離れ、ある方は軽妙な離れです。この方々に共通しているのは、年齢こそ違え、見事な引き納まり(矢束ぴったり矢摺籐)、離れにためらいなどありません。いずれも素晴らしいものでした。

実にするすると引かれる軽妙な離れの、ある方に弦をとっていただいた事がありますが、(大指が短めのカケで)特にあう、あわないというのは、私は感じません。(私がにぶいだけ、解釈が違うだけかな?)

五部の詰、四部の離れについては、それぞれの解釈があるかと思いますが、まずは、印西さんがそれを目指すならそれでよいのではと思います。(私が習ったのは弦音からでした。こちらから判断されてみるというのもありかも知れませんね)

緑も色濃くなってきましたね。
悩みの弓はちょっとおいといて、緑を楽しみながら引いてみるのもよいとは思いません?(^_^)

14:印西さん
るんさん>目的と言うか、うまく言えませんが、自分のなかでは詰合いをし続けることによって離れがでるのではないかと、考えてます。

15:印西さん
るんさん>目的と言うか、うまく言えませんが、自分のなかでは詰合いをし続けることによって離れがでるのではないかと、考えてます。
真尻さん>懐の膨らみのイメージで胸を開く事と言うことは弓構えからですか?

16:道民さん
>真尻さん
 ある流派で引いている方が、それとは違う流派の教えを良いからといって取り入れるのは、流派の教えが濁るもとです。それは流派弓道をやっている方々の宿命だと私は思います。故稲垣範士も「離れの時期」だったかという講演を本にしたものに同様のことを述べられていました。その観点からすると特定の流派に属さずに引くことのメリットがありますね。

>印西さん
 ちょっと調べてみますので、もう少しお時間をください

17:真尻さん
>>16
確かにそうかもしれません。
しかし、私のような考え方の人がいたから、流派が派生して分かれていったという歴史もあります。
剣の道で、ある流派に生まれた子供がいて、その子を子供時代に違う流派の人の弟子入りをさせ、大人になってその子が帰ってきて自分の流派を教えるという話を聞いたことがあります。
流派を守るのではなく、流派を進化させるのも担い手の仕事のひとつではないでしょうか。弓道における流派の発達はいつの頃からか止まっています。そこが気になる所です。

道民さんはどう考えますか?

18:るんさん
>詰合いをし続けることによって離れがでるのではないかと、考えてます。

言葉で表すならば、詰合伸合やごろ→離れに至るとういうことでしょうか。そうならば、全くその通りと思います。

ただ、文を拝見する限りではどうも受動的な感じを受けてしまいます(気)。離れを求めている(?)のは印西さん、離れをだすのも印西さんですね。技術からいえばすでに規矩に則る射をしているということなのでしょうが、それには気というものが、とても大事と思います(いまさらですが)。

竹林だけではありませんが解説書は、仏教・密教(?)からの言葉が多く用いられていますね。(私はお坊さんではありませんが、どうも日本独自のもののようですね)なぜでしょうか、外見ばかりではなく、密なるもの、深淵なるものをあらわすことができるからだろうと思っています。

現実にはなかなか表しにくい部分も書かれておりますね
(もちろん読み手によってその意味合いは異なります)。
もう一度ゆっくり読みかえしてはどうでしょう。とんでもないヒントがあるかも知れません。

あと、技術面からいえば、自分ではよいと思っていてもそうではない時があります。別の様式ですが、ある時、どうにもならいことがありました。そこで、ある方に弦をとっていただいたのです。引きもニ分不足しておりました(なさけなや)しかし、私にとっては驚くほどちがう引き様に感じました。

悩まれていらっしゃるようですが、こころはほがらか、すっきりと青空でいきましょう。きっと解決されることと思います!!

印西さんの求める答えと違うとは思いますし、弓が好きなだけ、勉強中の私ですが何かのご参考になればと書きました。


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