あなたの知ってる弓道達人伝 (投稿3件)[1〜3]


1:ネオさん
中国の戦国時代、楚に仕えた養由基という
人物はまさに弓の達人。

あるとき、数千人の大観衆の中で、柳の葉を射ることになった。
養由基は百歩(135m)離れたところから、矢を百発放ち百発命中させた。
もともと、飛び道具(鉄砲や弓)が全部命中することを百発百中というのだが、この言葉の起源が養由基からきている。

伝説はこれだけではない。

弓の手入れをしていただけで猿が泣き叫んだという(※「猿号擁柱」)。
激しく人間離れした名人である。コレだけの名人を我らが楚王が登用しないワケがなく、、
楚の国で最強の武人として認められた。養由基は荘王の車右に就任。
以降、快進撃を続ける荘王の覇権確立に尽力したり、共王の為に奮戦したり、
必殺の弓矢で大活躍しまくったのだった。

2:ネオさん
大島光義。

美濃の人。永正5年1508年生まれ慶長9年1604年没すごい長寿。年代的に応仁の乱から戦国、織豊、江戸幕府成立まで生きた。13歳の時敵を射殺、鉄砲と戦って勝つ。樹の後ろに隠れた敵兵を、樹を貫いてその首にあてた。敵方は、その弓勢に感じて、樹と首を一緒に切って、矢を抜かず光義のもとへ送ったという。信長、秀吉の弓大将。1万2千石の大名。関ヶ原では東軍で参加、家康から1万8千石を賜る。 弓1本で小さいながら大名になった弓の達人です。

3:ネオさん
李広

弓の名手であり、ある日狩りに出かけて虎をめがけて矢を放った。しかしそれは虎ではなく大きな石であり、李広の矢はその石に刺さっていた。その後李広は何度となくその大石に矢を放ったが一度も刺さることがなかった。


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