勝つ事しか見えてない先生について (投稿16件)[1〜16]


1:万緑さん
はじめまして
初スレッドたててみました。高校三年でもう引退しましたが、後輩達が心配で部活を見に行って見ると、元気がないから、気になって聞いてみると「先生は勝つ事しか見えてない」というのを聞いて、「何かあったのか?」と聞くと、先生の質問で、「勝つ気がある奴は立て!!」というので立たない後輩がいて、その後輩は辞めさせられたのです。けど、それだけでやる気がないと判断するのは間違っていると思いました。
勝つ事が人を切り離して、手に入る物なのでしょうか?
長文になってしまってすみません。御意見お願いします。

2:鮭紅さん
僕も基本あなたの考えに賛成ですね。あなたの先生がおっしゃった「勝つ」が「試合で好成績を出して優勝なり入賞なりする」と言うことを指すと言う前提で話を進めますが。

そもそも、弓道の本質は自己の鍛錬にあると思います。その鍛錬の過程で「通過点」として試合があるのであって、あくまで試合のためではなく自分のために弓を引くべきだと思います。ですから、僕も目標や通過点として「試合」を意識はしますが、他の方法で自己を鍛錬できる人は「試合」を意識する必要はないはずです。ですから、「試合で勝つ気がない」=「やる気がない、克己心がない」と言うのはまちがいなのかなと思いますね。

3:DEWさん
「勝つ気が無い」ということは「的に中てる気が無い」ということとイコールですよね。「的に中てる気が無い」というのは「射技の向上に努める気が無い」ということとイコールですよね。「射技の向上に努める気が無い」というのは「やる気がない」というのとほとんど同じことではないでしょうか?
万緑さんの高校がどのくらいのレベルなのかは存じませんが、勝つ気がある奴は立てと言われて立たないでいる人がいることで部全体の士気が下がりますよね。弓道とは何かと問われると難しい問題ではありますが、高校の弓道とは少なくとも競技であるので最初から勝負を捨てるような輩がいたのでは困るわけです。勝負にこだわらない弓道をしたいならば一般でやるのがいいでしょう。

4:万緑さん
ありがとうございます!
「やる気がない」の見方が増えてうれしいです!
レベルは、予選を前の代までは勝ち抜けていましたが、自分の代は予選は団体も個人も通過していません。
確かに、向上心がなければ部活動全体の指揮が下がると思います。けど、実際は、おかしいかも知れないけれど、その後輩が辞めさせられたせいで部活動全体の指揮が下がりました。
その後輩に向上心がないと言われると、時々弱音を口に出しますが、何とかやろう、という向上心は見えてきます。技術だけの向上心だけでは部の足を引っ張るのでしょうか?

5:銀鏡さん
少なくとも、勝ちたい人だけの方が効率はいいかもしれません。ただし、部の目標が「試合に勝つ」という場合の話です。
「みんなで楽しく弓を引く」が目標なら部の足を引っ張る事はないでしょう。

「勝ちたい」=「中てたい」と先生は考えているのですね。
そして、万緑さんは「技術を向上させたい」も「中てたい」につながり、やめさせる必要はないのではないか、ということでしょうか?
「勝つ気がない」=「中てる気がない」は成立しないと思います。的に向かって引いているのだから、中てたいとは思っているでしょう。でも、「中てたい」と「勝ちたい」は少し違うと思います。
正射必中という言葉がありますが、正射で中てたいと思っている人は「勝利」にこだわらないかもしれません。
「技術の向上」→「中りが向上」→「試合に勝つ」これが成立しません。
先生は「無様でも中てて勝ちたい」と思っている部員を残したかったのでしょう。

先生の気持ちは分かりますが、やめさせる必要はないかと思います。
選手にしなければいいだけの話ですから。

ただ、たまに「中てたい」と思っていない部員もみかけます。何が魅力で毎日練習しているのか疑問に思います。
「中てたい」とも「勝ちたい」とも思わず「上手くなりたい」と思っているようなのですが私には「???」です。
指導も困ります。「中らなくていい」なら「上手くならなくていい」と思うんですが・・・

すみません、長々と自分の愚痴を書いてしまいました。

6:明鏡止水 ◆IDFFcYqcさん
初めまして、万緑さま。

先ず考えねばならないことは、書き込みの内容が一方の側、即ち後輩さん達だけの見方や考え方や言い分にのみ負っている・・と云うことですね。

物事を冷静に判断する為には、両者の言い分に耳を傾けること、両者の考えを聞いたうえで中立な立場で判断せねばならないこと・・・は云うまでもないはずです。
今回のお話が此れに当たるかは解りませんが、どうしても自分達の話をするには私情や欲目や正当性などが加わりがちなものですね。

当然ですが、もう片方(勿論、顧問の先生側ですね)のご意見や意図をよく伺うことが必要不可欠なことだと思います。
要するに、現状に付いて顧問の先生とよくお話をするってことですよ。
(其れがなければ、推測を基にした議論にしかならないはずです。)

ところで・・・此処ででみなさま方のご意見を賜った上で、万緑さまはその後どう為さるおつもりなのでしょうね。
1.辞めさせられた方を部に復帰させたい。
2.(書き込み内容のような)部の(悪しき?!)現状を打破し変革したい。
3.部員全員とこの件に関して話し合いを持ちたい。
4.上記の考えを踏まえたうえで、先生と話し合いを持ちたい。
5.ただ、顧問の先生のお考えが、おかしい!間違っている!・・ことを確認するだけ。

最後に、引退なさった三年生の方々の部でのお立場ですね・・いまだに‘責任を持って’発言や行動出来る立場にあるのか・・・と云う問題です。
後輩方にとっては(引退の如何に係わらず)先輩は絶対的な存在のはずです。
今回、貴方が部に顔を出されて後輩方からお話を伺った〜〜(多分)加えて貴方ご自身の印象やお考えも述べられた・・・と思います。
これ等のことが、此れからの部や後輩さん達に及ぼす影響について、お考えが及んでいるのかどうか……です。

7:万緑さん
たくさんの御意見ありがとうございます
確か一方的な意見でした。はじめまして、明鏡止水さん、あなたのいう通りだと思います。自分は、後輩が復帰してくれる事を願っています
やはり、先輩の自分が口を出してはいけないと思いました
後輩達は後輩達でがんばってくれる事願っています
此処を見てくださった鮭紅さん、DEWさん、銀鏡さん、明鏡止水さん、御意見ありがとうございます。
生かせるように助言をしてみます
ぐちゃぐちゃな文ですがお礼申し上げます

8:スティッチさん
皆様、弓道の最高目標は言えますか?
教本などの書物より知識を得られた方はお分かりでしょう。本来の弓道最高目標は真善美であります。その過程の中で試合という。自己の実力を計るものがあります。弓道への情熱イコール試合に勝つというのは少しばかり本来の目標から外れると思われます。あくまでも弓道の最高目標は真善美。弓道教本に記してあるように、勝ちにいく、的に中てるなどという考えが真善美に到達するのかは皆様各個人で考えられてください。
勝ちへの執念が醜い物となったとき、弓道の道から外れることになります。それをお忘れなく。戦後弓術という武が、弓道という広く国民に愛されるスポーツとなったわけであります。弓術という身体の技術のみの考えから、内面的な人格の育成・形成などという内面的な要素を含んだ弓道というスポーツに移行したわけです。その先生は弓道教本をお読みにはなっておられるのでしょうか?私にはあまりに無知な方に思えます。基本的な弓道への考えは弓道教本第一巻に記載してあります。

9:明鏡止水 ◆IDFFcYqcさん
>スティッチさま
部(活)の目標(目的)=弓道の(最高)目標、とは限らないケースが在り得るのでは・・・?

一つの小さな団体やグループ毎の、指導者や内部での‘決め事’としての物としてですね。
其れ等は、個々に任された問題だろうと思うのです。
ただ勝ちたい!中てたい!!と思うグループは、其れにとことん拘れば好いだろうし、同様に他の目標も当然在るはずでしょうね。
其れ等は並立並存と云う形ではあっても、其れを外から批判したり否定することは、あまり意味を為さないのではなかろうかと思っております。

例えとして適当かどうか解りませんが、試合に於いて優勝したチームを、正射では無い!中て射である!〜〜弓道の正道から外れている!!・・などと批判や否定をすること‘意義’や‘意味’ですね。。。

・・・と云っても、僕自身は其のことが100%正当化されたり、生徒の為に好いことだとは思っていないことは最後に申し加えておきましょう。

10:nasiさん
残念な事実としてスレ主様の世代が弱かった。だから顧問の方は部活の建て直しをする必要があると感じた。だからその1歩目として部員の意思を確認したが、どうも勝利という方向に部活を向けるときにその意思を感じられない方がいたので、その意思を明確化するために今回の方は粛清されたのでしょうか?

この先今年の敗北を繰り返さないために、建て直すという方向に進んでいくのではないかと思います。その結果として昨年とは違う効率的に勝つためのやり方に部活が動くのかと思います。その中においては今回辞めさせられてしまった部員の方にとっては耐え難いようなことが起こるかもしれません。

今回意思確認し勝ちたいと思った選手達には顧問の方は「最初に意思確認をした時に君達は勝ちたいと意思を示した。だからこの辛い練習をしている。初心を思い出せ、また昨年のように負けたいのか?」と聞かれるかもしれません。そんな時に意思確認の時に立たなかった方が「立たなかったから関係ないや、まあ好きに言っていてください。」となってしまうと組織の士気は著しく低下するかもしれません。そしてそういった積み重ねは指導者・被指導者の関係のみならず生徒間、例えば部長的性格の生徒とそういった自分の弓道をしたい生徒との軋轢を生み、互いの不幸となる可能性が高いと思われます。

先に辞めさせられたほうが幸せな場合もあります。この後の組織の変革についていけず部活の中で存在が薄くなり、歯牙にもかけられず最悪の場合自尊心を傷つけられる可能性があるのなら、悪い人(この場合は顧問の方)に逆らって自尊心を保ったまま辞めさせらるのは言い方は悪いですが格好良い辞めさせられ方かと思いますし、顧問の方とすれば今後の互いの不幸を軽減するための処置の一環に思えてなりません。

何も失わずに勝つことを行うのは至難の技です。勝つために変革をするときには大なり小なり何を失います。それが何かにもよりますけれど今回は人を失った、その失うものが許容範囲内で収まることを望みますが、スレ主様がおそれられている通りに傷口が広がり、バランスが崩れれば戦う前に空中分解して消えていくでしょう。それこそ勝利を志向する集団には最悪の不幸に思えます。

11:nasiさん
もう1つ仮に辞めさせた顧問の方が独断専行著しい暴君型の指導者であったとします。

こういった時には指導者が最悪だ、辞めされた部員は可哀想な被害者ということになるのですが、構成員をその一存で辞めさせるだけの権力を与えたのは一体誰か?ということを考えないとなりません。(最初から暴君であったら人はついてこず部活は成立しないでしょう。)

暴君的な措置を講じる指導者個人の潜在的資質に問題はあっても、そんな指導者にそれだけの権力・権限を集中させた人間がいるわけであって、それは残念ながら今までの部員達ということになります(スレ主様も含まれるかもしれません)。

いきなりその日から権力を一手に握り暴君的措置を行うわけではないでしょうから(それなら必ず反抗が起こるでしょう)、物事の複線には必ずそれに至る道がありまして、こういった指導者の権力が不当に肥大化するようなケースの多くは、部活を構成し本来運営しなければならない部員が、自分達で考えることや工夫して色々な意味で強くなること、部活として人間教育の場であることの意味を些細な努力によって保持させず、指導者にほとんど委ねて表面上楽をしてきたことのツケではないかとも思います。

今回のケースはある日突然部活に勝ちたいか否かという最後通牒が突き付けられ、ある部員個人があおりを受けたように見えますが、はたしてどうであったか?その最終的伏線は部活の衰弱にあり、スレ主様達の敗北で決定付けられたのではないか?敗北という結果そのものは仕方なしにしても、練習の仕方など過程がもはや許容できないものとなっていたのでは?と私は思います。

ひどい言い方になりますが、今回の辞めさせた指導者の影には今までの部員の積み重ねがありまして、その辞めさせられた部員の方はOB・OGの放漫によってクビにされたとも言い換えられます。

こういった書き込みを見るたびに自主自立すると言うことの本当の意味での難しさというものを感じずにはいられません。

12:もぐさん
大会にでるなら、誰だって勝ちたいじゃないですか。顧問の方は部員を勝たせてあげたいのかと思います。それで、部員の中に一人でも強い意志の無い部員がいてはダメかと…。 私も、勝つ気がないのはやる気がないと、受けとめてしまいます。勝ちたいという思いがなきゃ、なんのための練習なのでしょうか。

13:万緑さん
たくさんの返信ありがとうございます。
読んでいて、心にグサグサ刺さるように、思い当たる事ばかりでした。はっきり言えば僕らの世代はとても弱いです。いつも怠けたようにやり、先生の怒鳴り声がとぶ毎日、その声がウザイという人ばかりで、弓道が好きな自分はなんとも思わなかった。けど今思うとこの時に自分が注意すればよかったのです。
話しは変わりますが、先生が暴君かと言われると、そうではなく、急にそうなったような感じで、生徒に勝つ可能性がある、と押し付けるような感じになっているのです
乱文失礼しました。

14:元 ◆ntlC4wAIさん
>万緑さん
後輩や弓道部の事を想うのであれば、引退した万緑さんに出来る事は「口出し」ではなく、後輩と顧問の先生との間で橋渡しをする事ではないでしょうか。
先生の考えを聞き、後輩の気持ちを聞き、双方にお互いの言う事を上手く伝える事で、先生と後輩との意気のギャップを調整する事が解決に繋がるのではないかと思います。

15:DEWさん
真善美という高みを目指して弓道をしているのならばそれ相応の反論ができたようにも思えますが・・・。
真善美の「真」とは偽りの無い射はどうあるべきかという真実の探求であり、弓における真実とは弓の冴え・弦音・的中により立証されるものです。
よって「真」を求めるならば必然的に的中を求めることになります(的中を求めている者全てが真を求めているわけではないことを付け加えておきます)。もしも本当に真善美を目指しているのであれば、的中を求めるはずです。もしも、的中は貪欲に求めるが試合で勝とうとは思わない、という考え方ならば試合に出る必要は無いですよね。それならば学校の部活動に所属する必要はないわけです。
話が少しずれましたが、要は中てよう(変な意味でなく)としないということは上手くなろうとしていないということなんです。

話を主題に戻しますが・・・
勝つ気がある奴は立てといわれ立った生徒もいると仮定しての話ですが、それでも立たなかったということは確固たる意思があったということ。要するに勝利にこだわらないのではなく勝利したくないと受け取られてもおかしくない行動を取ったわけです(実際はそうでなくとも)。勝利したくないというのはやる気がないを通り越して問題があるように思います。
人を切り離して勝利が手に入るかどうかですが、勝つ気が無い者を辞めさせることで勝利への意識は高まると思います。それが自主的に勝利を目指す理想的な方向なのか勝利を強制されるような好ましくない方向なのかはわかりませんけど。

余談ですが、どうも私には先生がそこまで勝利にこだわっているようには思えません。というよりも選手があまりにも勝利にこだわらなさ過ぎるという方が正しい可能性すら感じます。

16:銀鏡さん
>中てよう(変な意味でなく)としないということは上手くなろうとしていないということなんです
そうとも限らないのでは?
私は正射必中という言葉を誤解か正解かは分かりませんが、「正射が出来るようになれば必ず中る事」と思い込んでいました。正射が出来るようになるには時間がかかるだろうから、中りにはこだわらない。ですが上手くなって正射必中できるようになりたいと思っていましたよ。
今、中るようになりたいか、いずれ中るようになりたいかの違いだと思います。

そんな考えなので、みんなは何故勝ちたいと思うのか、すごく謎でした。今でも謎です。
そこに何があるんだろう?
負けず嫌いな人が勝ちたいと思うのはなぜですかね?

>万緑さん
高校では顧問は射の指導だけでなく心の指導もするものだと思います。
勝利へのこだわりは、勝利した時にしか味わえない「何か」があるからだと思っています。
顧問がそれを伝えることが出来れば、「勝ってみたい」と部員が思うようになるかもしれません。

ヤル気のない部員にいかにヤル気を出させるか?
勝ちたいと思っていない部員にいかにして勝ちたいと思わせるか?
これが顧問の力量ではないでしょうか。

「ヤル気のない奴は止めろ。」一番簡単な方法を顧問の先生は選んだのだと思います。
負けず嫌いな奴ばかりだったら、指導はやりやすいでしょうね・・・。
あおれば頑張りますから。

負けず嫌いではない部員に勝ちたいと思わせるのはどうすればできるのか。
ただいま研究中です。


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