あて射 (投稿49件)[1〜49]


1:スランプさん
大会にでるとよく思うんですが、何であんな射形で中るの!?って思うような射形が多々見られます。自分はそういう射形の人に負けると本当に悔しいです。まぁ負けるのは自分が弱いからですが。
自分の高校は正射必中がモットーなので、あたっても射形がおかしければ真の中りではない、的な考え方で部活をやってます。いくら皆中しようと、射形がダメなら大会に出しません。顧問は居ません。この考え方を何年も引き継いで今に至ります。
何ヵ月か前に大会にでて、駄目でした。優勝した人は押手はしっかりしてましたが、他は射形、体はい共にはっきり言って微妙でした。器の小さい自分は
「あて射じゃないか、あんな射形が優勝なのか?あんな射形で優勝できるのか?あれでいいのか?」
などと思っていました。納得がいきませんでした。そして、今まで費やしてきた努力がなんか無駄だった様な気さえしてきました。高校の三年間で弓道を極めるのは無理だとよく聞きます。だからといってあたればいいのでしょうか?高校の弓道はやっぱそんなもんなんでしょうか?

2:弓を引く人さん
>スランプさん

>正射必中がモットーなので、あたっても射形がおかしければ真の中りではない
確かにごもっともな意見です。
しかし、射型が良くて的に中らないのは、どうお考えでしょうか?
正射必中とは、理に適った射は必ず中るという言葉ですが、どこにも射型が良ければ必ず中るとは書いていないですね。

結局、見た目は×だが何故か中る人は、何処か一部でも理に適った射(限局すれば「離れ」)をしているはずです。そうでなければ的に中るはずがありません。
見た目×でも中る人の賞味期限は大概しれてますが、高校生という短い期間では、試合でも好成績のままで終えることがあります。

結論から言えば、他人は他人。自分は自分。
自分の信念を貫けばそれで良いのではないでしょうか?
真の中りに拘れば、他人のことなど眼中に入らないはずです。弓道をするに上で、死ぬまで的だけ見ていることは難しいことですが・・・。

3:斜面見習いさん
と、逆にスレ主さんに聞きたいですね。試合や大会に於いては中たりが全て。
中たるにはそれなりの理由があるわけです。形全てを真似しろとは言いませんがその何故中たるか理由を考えないのですか? 良いところを盗んで自分のものにできたらそれでまた自分の射が良くなると思うのですが。 少なくとも中たりという一部分の中ではそのスレ主さんが否定する射形の方が正射なのではと思います。 いくら形が悪くても試合で中てるのは難しく努力してると思われます。 努力なくして中たりは有り得ません。
僕は他人の射を否定する人が正射云々言える立場かなと思います。 仮にスレ主さんが試合で勝ったとします。 それを否定されたらどうですか?

4:はとさん
こういう考え方もできないでしょうか?これが正しいとは言いませんが。http://www.iris.dti.ne.jp/~k-ohkura/kyudo/boss31.html

5:スランプさん
自分の眼から見て、あて射に見えても、あたってるということは、何かしらよい点があると言うことで、そしてそれに見合うだけの努力をしているということです。その点は否定できません。しかしだからといって納得するわけでもありません。ちょっとそれるかもしれませんが・自分の考えでは、体はいきちんとやることは、弓を引く上では当然のことで、弓を引くうえで体はいを適当にやっている人が努力していると言っても、そういう所ができてないと、なんか自分としては、その努力にいまいち説得力を感じません。自分がその人の射を否定したのは、自分の考える、弓を引く上での心構え的なものに、その人の射が当てはまっていなかったからです。あて射を否定するのも自分の勝手な考えです。
自分は弓道は的に中るのが全てだとは思いません。礼射?の精神が大切だと思います。それあってこその弓道だと思います。なので、その人の努力は自分の考える意味での努力とは違うものに感じました。どちらの努力が正しいという考え方をしていたわけではなかったのですが、自分の価値観でその人の射を見てたので、納得がいかなかったんだと思います。自分に他人の射をとやかく言う権利はありませんし、そこまで上手だとも思っていませんが、いままで自分の考える価値観での努力をしてきた自分にとって、あて射というものが邪道に感じられて、自分のいう弓道に当てはまらない思うものは認めないという考え方をしてるんだと思います。うまくまとまりませんがそんな感じです。

6:甚さん
スランプ様のご意見には凄く共感できます。もちろん弓を引く目的は人それぞれ、例えば大会で勝つためだったり精神を鍛えたり、なのだと言うことは分かっているんです。そして大会で勝つために弓を引いていらっしゃる人は、斜面見習い様の仰るとおり相当の努力をしていると思います。
けれど学生弓道(主に大学弓道)が一般の方々に疎まれているのは、中り一辺倒の考えによるものだと聞きました。矢を的に『中てる』のではなく、弓を引いた結果によって『中
たる』のが本質なのである、と。
競技として勝敗をつけるモノであるが故に、中りが最初に来てしまうのは仕方のないことだと思いますが、やはり私は馬手を固めて角見で押し出して『中てる』という引き方は好きになれません。
試合で勝っても『中りだけ』と陰口を言われてしまうのは悲しいですよね?

7:斜面見習いさん
ただ、自分の価値観(理想や考え方等)と違うから弓道じゃないみたいな言い方をするのはどうかと言いたいわけです。スレ主さんたちの気持ちもわかりますよ。 でも納得しないからと言って否定して良い理由にはなりません。 納得しようがしまいが現実なのですから狭い見方は止めて頂きたいものですね。 僕から見れば中てるだけの人も綺麗だけな人も同じです。 自分は正射だ、なんて口だけではいくらでも言えますから。 むしろ周りの目を気にせず形が変であろうとも努力してる方が僕は正射だなと感じますけどね。
自分が正しいと思うなら自分の練習を信じて頑張るしかないのでは? 努力が無駄…みたいな事を言ってるうちは正射なんて言葉出して欲しくないのが本音ですね。 自分の道を信じて頑張ってください。

8:讃岐仙人掌さん
あて射とはどういう射のことをいうのでしょうか?中るけど見かけ上美しくない射のことを仰っているのでしょうか?
スランプさまとしては、中りばかりに固執していて射形がよくない人が的中をだし、優勝することに疑問を抱いているわけですよね。

弓道に対する考え方は人それぞれですので他人の考え、射を否定するのは如何かと思います。
射というものは的を狙いながら行っているわけですよね?なので自分の射形ばかりに囚われて中りを意識しないのでは魂のこもっていない射になるのではないでしょうか?なので僕としては中りに固執するのもイイと思いますが・・・

またその人も優勝するくらいですのでその射は絶対にイイところがあるはずです。他人の射を否定せず、その射を評価して、イイところを自分のものにすべきじゃないでしょうか?

9:弓遊び。さん
>スランプさん
不躾で申し訳有りませんが質問させて頂きたく思います。
お考えになっておられる『正射』と『あて射』との境界線はどこ(何)でしょうか?
私の文章読解能力が悪い(低い)せいか良くわからないのです。
宜しくお願いします。

10:T・Tさん
非常にきつい言い方になるかもしれませんが、自分の考えを述べます。
「正射必中がモットー」とはどのような意味ですか?良く弓道部員は自分の部活の特徴を言う時にそう言いますが、それの真意とはなんですか?、「正射必中がモットーにして的中を追い求めている」ではありませんか?
「押手はしっかりしてましたが、他は射形、体はい共にはっきり言って微妙でした。」それが判ってるなら別に悔しがらなくても良いじゃないですか。「自分の方が弓道としては上。人殺しの道具としての的中て技術は向こうのほうが上。」そう思えば。
「あて射じゃないか、あんな射形が優勝なのか?あんな射形で優勝できるのか?あれでいいのか?」そうですよ。「あんな射型」が「優勝」なんですよ。弓道の試合というのは。的中しか見ない弓道の試合というのは中てた者が勝つのです。それを知った上で試合に出ているのですから、その優勝者に文句を言ってはいけませんよ。どうしても納得がいかなければ射型も見てくれる射会に出るべきです。審査などはその一つだと思いますが。
最初の繰り返しになりますが、高校の弓道部のほとんどは試合に勝つことを目標として練習してると思います。スランプさんの高校もそうだと思います。でなければ試合で「中て射」に負けて悔しがりませんよ。つまり言い方を変えれば、「正射必中がモットーにして的中を追い求めている」んですよ。
それをどのようなアプローチで達成していくか、ですよ。もし負けるのが気に入らなければそんな試合には出なければ良い。もしくは自分も中てることだけ考えれば良い。どちらも嫌ならより一層研鑽を積んでスランプさんのいう「正射必中」で的中を出せば良い。そういう事です。
試合という場に出て、勝敗で物事を語っている時点で「射形の人に負けると本当に悔しい」等というのは敗者の言い訳にしかならないんですよ。
かく言う自分も射型で見れば自分より下手な、体配や普段の態度では明らかに弓道人らしからぬ人に試合で負けたことが何度も有りますが、別にその人に疑問は持ちませんよ。当然のことですから。自分が弓「道」人としてまだまだ未熟だった。それだけのことですよ。

11:スランプさん
別に自分の目指している射が正射だと言いたいわけではありません。ましてや自分の射が正射だとも思っていません。だから掲示板で色んな人の意見が聞きたくて、書き込んでいるんです。ただ自分は自分なりに自分の考える弓道をしているだけです。自分の努力が無駄になった気がしたと書いたのは、体配を適当にやってる様な人に、負けたのがショックだったからです。
それに自分の考えは、今まで弓道をやってきて、色んな人に指導されて、色んな人の射を見てきての考えです。狭い見解だとは思いません。
それにご存じのように考え方は人それぞれです。誰かの意見に賛成する人もいれば、もちろんそれを否定する人も居ると思うんですが。自分が正しいことを言ってると言うわけではないですが、否定することを悪いことだとは思いません。

12:ヒロさん
自分の眼から見て、あて射に見えても、あたってるということは、何かしらよい点があると言うことで、そしてそれに見合うだけの努力をしているということです。その点は否定できません。
と仰ってるのに、納得できないなんてワガママですね。それならば、貴方が優勝すればイイじゃないですか?貴方の眼から見て否定できない程の良い点と努力が見られたのでしょう?それは否定しないのですよね。

僕は現役時代腰を痛めていたので、帯を腰で巻き袴が普通の人より下で着ているような感じでした。ある大会で個人で勝ちました。その頃早気でとても手本となる射ではありませんでした。表彰も閉会式も終わった後でふと『あんな格好、あんな射で勝てるんだって』と聞こえました。
しかし、人ごみに紛れていてどこの誰か分かりませんでした。悲しい気持ちにもなりましたが、面と向かって言えない負け犬の足掻きと思って気にもしませんでした。否定する人物に勝てない貴方の射は何なの?と言ってあげたかったです。誰でも影では優勝者をボロクソに言えるのです。面と向かって言えない事なら言わないでイイじゃないですか。
では、自分が否定する射に勝てない貴方のその射は何なんですか?って言われますよ。

13:スランプさん
はっきり言って自分の独断と偏見です。自分が見て思ったのが中て射だと考えました。もちろん教本に、どこからが正射でどこからがあて射かなんて明確な境界線が書いてあるわけではありません。書いてあったとしても、結局あて射かどうか判断するのは自分です。なので自分が中て射だと思ったのは、他人から見れば全然中て射ではなく、見る人によっては完璧だと思う人も居るかも知れません。自分のコトを棚に上げて、他人を否定して、自分の射を少しでも良いものと理解してもらおうと、自分の射の非を認めまいとしているだけかも知れません。それを判断するのも皆さんですが。
じゃあ、中て射って何だよ!!
と言われると自分はまだ未熟なので、はっきりと答えることはできないと思います。
だったら何故その優勝した人を中て射だと思ったのかというと、残心が無く、体配、入退場が適当で、その姿が射を一本一本大切に引いてないように見えたからです。
なので自分のなかにはっきりした中て射の定義があるわけではありません。

14:亀さん
>スランプさん

そう思うなら、こういうところで書かなくても自分の中で解決すれば良いと思うのですが。

と、冷たい書き方をしましたが。
私もかつて、あなたと同じ考えを持っていた時がありました。
しかし、弓道が他人と「競う」ことはあっても「戦う」ことが無い武道である以上、他人のことを気にしても仕方無いことに気づいたので、この考えはやめました。
イライラすると中たらないですし(笑)
自分の弓道観・姿勢にプライドを持つことは大事だと思いますよ。
あなたの考える崇高なる射を実践して、努力を実らせることができるよう頑張ってください。

ただ、中たりだけで勝敗が決まる大会に敗れたことで無駄になる努力は努力とは言えないと思いますが。

15:斜面見習いさん
勝手に名前を変えないでほしいですね! 他の方の意見を聞きたいのならばもう少し書き方を考えてみては如何ですか?
否定してもいいと考えてるならば他の方の意見を聞く必要はないでしょうね。
自分と考えが合わないから否定するんですからね…。

16:スランプさん
努力がなんか無駄だった様な、と書いたのは自分が負けてショックだったからで、その程度の努力だったと書きたかったワケではありません。紛らわしかったらすみません。
自分が言うのも安っぽいかもしれませんが、弓道だけは頑張っているつもりです。負けたのは頑張りが足りないからですが。

17:弓遊び。さん
>スランプさん
お答え頂き有難う御座居ます。
スランプさんなりに、思い、感じた部分だったのですね。
そのような考え方は、私は好きです。

スレ内容について…
否定も肯定も私はしません。
ご自分だけの境界線、他人には絶対理解できないものですよね!
これからも大事にして欲しく思います。

18:スランプさん
名前を間違えたのは誤ります。すみませんでした。
自分の文章力が足りなくて、うまく伝わってないようですが、自分は、人と人とが意見が合わないのは多々あることだと思っています。その中でお互いに意見を出しあって、話し合う意味での「それは違うんじゃないか?」と言うような意味での否定だと言いたくて書きました。

19:アンパンさん
いきなり発言して申し訳ありません。
でも、自分も今日ある大会に出場してきたのですが、確かに、自分よりも射形が良いとはいえない人が入賞していて非常に悔しい思いをしました。
なので、スランプさんの勝ちたい・中てたいという気持ちはとてもよく分かりますし「正射必中」のモットーで射をすることも大切だと思います。
ですが、正射必中という言葉には「正しい射は必ずあたる」という意味が込められているのではないかと思います。
相手の射形が悪くても自分は正しい射で命中させるという気持ちが大切なのではないかと思います。
それに、自分の射形に自信があるのなら
段位の獲得を目指すという大会で優勝するということと同じくらい大切なことがあるのではないかなと読ませていただいてそう感じました。
自分はこれからも「正射必中」の気持ちを忘れずに射をしていきたいと思います。

20:ネコさん
そもそも正射とは・・・漢字の意味から言えば
正しい射ですよね。正しい射とは誰が正しいって決めるんですかね?

21:スランプさん
やはりなんだかんだ言っても、弓道は自分との勝負。例えば自分が偏見を持って優勝した人に、お前のは中て射だからやめてくれ、と言ったとしても、自分に何の変化があるわけでもなく、ましてや入賞できるわけでもありません。やはり自分に勝つ事が大事だと思いました。
大したことない奴が立てた大したことないスレなんで気にしないでください。

何が正しい射なのか、自分にはわかりません。今までの自分なら、教本に書いてある事を忠実にこなす射だと答えてたと思いますが、それだけではないと思います。よくわかりませんが。
自分は弓道についてじっくり話したいと思っていましたが、あいにく学校には教えてくれる先生はいません。なので掲示板ではありましたが今日の話はとても充実したものに感じました。ありがとうございました。

22:新さん
スランプさんは体配を軽視している人が優勝する事に納得いかないみたいですが、弓道教本に示されている「礼記射技」を読まれた事はありますか?人間が常に行わなければならない精神的重要性「仁・義・礼・智・信」の五つがわかりやすく表現してある大切な教えです。射は、人としての最高を求めての道。だから射は正しさを自分に求めるのです。自分が正しく射たつもりでも、それで的中を得る事が出来ない場合には、自分に勝った人を怨むことなく、的中を得なかった自分自身の心や射技を反省しなければなりません。こうして正しい事が自然に出来るような自分自身を作るように、自分自身を鍛えなければならない」と礼記射技の後半に説かれています。
射手の射を行う態度や姿勢や射そのものを観ることにより、その人の人柄や人徳を観る事が出来ますが、それはその人の考え方です。基本の通り正しい事を自分に求めて、そうなるまで我慢をしながら努力をし、その上で矢を発する。その放した結果が的中を得ずとも、それは正しく射れなかった自分を反省しなければならない。射は正しく射れば必ずあたるもの。何時も正しい心で、正しく射る事を努力しなければならない。常にそういう気持ちで修練すれば、「あて射」だの「正射」だのと他人の事を気にすることはないですよ。

23:dipperさん
>スランプさん
そうやって悩むのも「弓道」の一部だと思います。
立派に弓道なさっているようですね。誰もがぶつかる難題です。
これからもお互い精進して参りましょう!

24:デリコォさん
「弓道」と言っても考え方は人それぞれなんですよね…このスレを見て改めて思いました。
大会では、いくら射形が悪く見えるような人がいても、8射8中をしたら優勝なんですよ。競技としての「弓道」では、やはり的中で順位を決めるものです。いくら綺麗な射をしても1本も中らなければ負けなんですよ。

私もスランプさんのような事を考えている時期がありました。けど…きりがないですよ!!ただ私は、貫禄のある射ができて、的中も良い選手になろうと努力しています。他人に「あて射」なんて言われるのは嫌ですからね…。

25:Qちゃんさん
掲示板では、スランプさんの言う「あて射」というのがどんな射型なのか、わかりませんよね。想像なんですが、最近の高校生の試合では、よく見かけるので、たぶんそれのことを言ってるんじゃないかと思います。
文章化するのは難しいのですが・・・・。
大きめの大三、平付け。がっちり固めた押手は弓をしっかり握ります。そしてスーパー上押し。手首が矢枕になるくらいというのも珍しくない。そして、捻りはあまりきかせてないようです。勝手は、打起しの時からぎっちり握り、手首をそらせ気味に大三まで移行し、会に入ったら逆にちょっとたぐり気味。たぶん親指も握り込んでいるでしょう。
離れでは、押し手はその場所でがつんと押し込んでいますが、絶対に弓返りはさせない。押し込むときもスーパー上押しなので、ゆみは末弭から思い切り倒れ込んで、本弭は体の前面に来る。弓が水平近くまで倒れ込むのも珍しくない。
勝手の離れは、おおむね下切り(下手な表現ですが)。会で親指を握り込んでいるので、離すときには「パー」をしないと離れませんが、残心(残身)の時には普通の手の様子になっています。パーのままの選手も多摩にいますが。
自然体や縦横十文字やら、あてるためなら無視というか何というか、自己流○○派(○○には学校名を入れる)とでも名乗ったらどうでしょうか、と思いたくなる射形がたくさん見られます。多いんですよ、どこに行っても。この射で次々と中てられた日には、やる気が萎えます。
でも、皆さんが書いてるように、試合だったら的中がすべてです。どんな射でも、中るまでの努力というのは並々ならぬものがあるはずですからそれを否定しようとは思いません。しかし、高校の指導者の中には「2年半で結果(的中=勝利)を出さねばならないのだから、弓道の基本をある程度無視しても構わない」という考え方の人がいるのは事実です。
スランプさんが「正射」といってるのは、このような自己流に走らず、教本に則った射形で引いているのを指すんじゃないでしょうか。

26:T・Tさん
「Qちゃん」さんへ
たしかにそうだと思います。特に高校弓道の世界においてそのような、一般に「中て射」と呼ばれるような人たちが多く居て、そういう人達が大会でちょくちょく優勝していくというのは。そして高校の中には「正射必中」をモットーとした高校も多く有ると言うことも。
しかしながら、試合に出て勝ち負けを論ずる以上それは的中勝負なのです。スランプさんご自身で言ってみえますが、スランプさんの高校も言い換えてみれば的中を追い求めている高校なんです。それが良い悪いをこの場で言うつもりはありません。一つ言うとするならば自分がかつて居た高校の弓道部、今居る大学の弓道部も共に「正射必中をモットーに的中を求める」部で、それに自分は誇りを持っているということです。
で、その形がどうであれ的中を追い求めている以上、試合での勝ち負けの内容に文句を付けてはいけないのです。いくら射型が弓道教本に似ていても、試合である限り中らなければ負けなのです。

その場に出て行きながら、射型が云々で悔しいと言い、納得できない、そんなもんなんでしょうか?と言うのは御門違いというものです。

27:kappaさん
スレが終わりつつあるようですが、読んでいたら思わず書き込みたくなりましたので・・・。
私は今大学で弓を引いています。サークルではなく体育会所属の部活なので、大学弓道の大会にも出場しています。
つい最近ですが、後輩が部を辞めてしまいました。
彼の辞めたかった理由は『中てようとしたくないから』
彼の求めるところの弓道は、まさにここで話題の『正射必中』を理想としたものだったそうで、中りを求められるのが嫌で部を去りました。
人それぞれと言えばそれまでですが、私は正しい射形だけを追い求めて『正射必中』を掲げていた彼の考え方が不思議でなりませんでした。

学生弓道(主に大学弓道)ではどこもそうだと思いますが、私たちの部では試合で勝つことを目標とし、日々練習しています。しかし俗に言う「中て射」をしているかというとそうでもありません。師範に範士の先生をお迎えしておりますし、参段、四段取得者もいるので、決してひどい射をしているわけではありません。

また、審査において参段以上は皆中が合格の最低条件であることからもわかるように、「正射」には「必中」が伴うという概念はどこに行っても同じだと思うのです。

それを理解できずに辞めてしまった彼を思い出してしまったので、書き込んでみました。

中て射が悪いとは思いません。むしろ自分の中で中りを確立している人に対しては、どんな射形だろうと憧れさえ感じます。
けれど、どうせ中るなら美しく中てたいと思う一大学生でした。

28:ちょっと失礼さん
>kappaさん
自分たちは「中て射」をしていないと思っているようですが、「試合で勝つことを目標とし」と書いてあるように、それは中て射です。
試合で勝つ=的にいかに中てるか、という事ですよね。
知らず知らずのうちに誰でも中て射になっていくものです。それが嫌で後輩がやめたのなら、別に不思議でもありませんし、それが理解できなかったという事は、自分が中て射をしている事に気づかなかったのでしょう。
kappaさんは大学生のようですが、大学までの弓道なんて誰だって中て射です。それに気づき、嫌悪する人は学生のときに弓道を続ける事をやめてしまいます。
学生の頃なんて巻き藁だけで十分なのです。下手に的前に立たせると、思春期真っ只中なため、どうしても弓道=的に中てる=カッコいい、といった構図が成り立ち、中て射にはしります。
とは言っても、ある程度精神鍛錬には技術が必要なわけで、多少は学生の時分に小手先の技とまでは行きませんが、中てる技術を学んでもいいのでは?と思っています。
その技術が無心のうちに出来るようになって初めて、精神が関与する弓道が出来始めるようになるのだと思います。

29:kappaさん
>ちょっと失礼さん

ではあなたと私は違う境遇にいる人間だという事実がそこにあるだけです。

30:葵使いさん
>的にいかに中てるか
そこ否定するんだ。

31:dipperさん
引く以上、的に矢を中てる事は
避けられない目的だと思うんですが。。。

的中を求めず高尚な精神論を振りかざすだけの人こそ、
「マキワラで十分」だと思います。

32:真尻さん
>ちょっと失礼さん
失礼ですが、どの程度中りますか?
貴方の弓を引く目的は何ですか?

私は常時9割以上中るので、中る感覚を超えている部分があり、中りを追い求める事をあえて行わないでいいので、巻き藁だけで十分と言えば十分です。貴方もこの境地に至っての考え方なのでしょうか?

私はkappaさんは目的があって、弓道を行っているので立派だと思います。折角やるなら王座にまで行ってください。

33:ネコさん
・・・本来弓は人を殺す道具としての価値しか持っていなかったと思います。
しかし今はそのような時代とは比べることができないほどの価値を持ってると私は思います、

しかし昔と変わらないのは自分の狙った物に中てることです。それができなければ戦国時代は死を意味よね。
大学弓道もそれに近いものを持っています。そのような状況になれば「中てる」ことを考えます、
しかしそのような状況でも自分の修練してきたいろいろな経験を生かした射をしてると思います。
それを中て射と言うのは寂しさを感じます。

あまり文章がうまくないですが、私の考えを述べさせてもらいました。

34:S.Sさん
中て射の話になるとこういう争いが必ず出てしまいます(>_<)
これはあくまで大学弓道の話ですが、なぜ大学弓道で星的を使用しているのか?星的は中てるために作られた的です。自分も大学@年の時に正射必中が目標で、勝利至上主義の大学弓道の風潮になかなか馴染めないときがありました(>_<)しかしその時、先輩に言われたのは〜うちの大学はもともと勝利至上主義で勝ちにこだわる伝統がある!それを知ってお前も入って来ているはずだ!今の自分の目標は抜かない射形です!それに真に中てようと思えば自然に基本に至ると思います。

35:斜面見習いさん
皆さんの書き込みを見て思ったのですが正射や中て射にこだわりすぎてませんか? 僕の経験ですが弓を引くのが楽しくて無我夢中で引いててそれが結果的に試合や大会で良い成績を納めたら邪道ですかね? 今でこそいろいろ勉強してますが学生時代はそのような重い考えはしていません(無知なだけですが) こう書いたらそれは弓道じゃないだの学生の試合を舐めてるだの言われるでしょうが…。
正射じゃなかったら中て射みたいな書き込みは止めていただきたい。弓道に対する目標、思いは人それぞれ。
自分の考えを言うのは大事な事だと思いますが押し付けや否定するのは違うと思います。
精神論を偉そうに書くのならそういったことをきちんとするべきでしょうね。
何の説得力もありませんから。

36:kappaさん
>真尻さん

応援のお言葉ありがとうございます!
王座・・・現役のうちに一度は必ず出場できるよう頑張ります。

以上私事によるレスでした。すみません。

37:熊本人さん
結局インターネット上の人格ってどうにもならないほど弱いんですね。
なんか顔もなけりゃその人の射も見ること出来ないし、弓道にうまい下手ってスポーツである以上必ずあると思いますけど、そのうまい下手も判断するには難しすぎる環境なんですね。
ただ僕が思ったのは、求めるうまさとかその辺の違いが生む意見の違いなのかなって。
って既知かな(汗)
ただその人の目指すところの否定だけはしてほしくないししたくないです。でも、たとえばちょっと失礼さんの学生弓道なんてこうやってればいいみたいな言い方はイヤです。
言いたいことうまくまとまりませんが、
中て射だといわれてもその中から得るものは必ずあると思うし逆に見た目だけといわれてもその中から得るものは必ずあると思います。
射は常に進化するものだと思うし、
完成した正射なんてあるのかなとおもうけど、
弓道人口分の射が有って、人の射をけなすことは良いことだとは思いません

38:笹岡さん
>熊本人さま
>人の射をけなすことは良いことだとは思いません
 ちょっと失礼さんが学生弓道をけなしたかどうかは別としても、全く同感です。

 中て射が何であるか考えることは、とても有意義だと思います。
 汚く安定性のない射で中てたいと思う人はそういないでしょうから、例え現在の射が中て射だと自覚している人でも、正射必中を目標にしたいと思うでしょう。
 その際に、正射必中と対極にある中て射(正射必中は究極の中て射とも考えられますが)が何であるか考えることは、とても自然なことです。
 しかし、このときに考えるべきなのは自分の射であり、他人の射ではありません。
 参考までに他人の射を見て学ぶことはありますが、他人の射が中て射かどうか判断する必要は全くないと思います。

39:たいさん
>熊本人さま
>結局インターネット上の人格ってどうにもならないほど弱いんですね。
なんか顔もなけりゃその人の射も見ること出来ないし、弓道にうまい下手ってスポーツである以上必ずあると思いますけど、そのうまい下手も判断するには難しすぎる環境なんですね。

全く同感です。
その人としばらく一緒に練習しないと中て射かどうかわからないと思います。

個人的に中て射とはこのように考えています。

中て射・・・その時点での的中・射型に満足し,射法・射技の向上のための努力をしない者。

やはり,一度見ただけで中て射と判断するのは危ないと思います。

40:弓遊び。さん
正射は必ず中るわけですよね?
ならば正射はあて射の一つですよね?
究極(外れない)のあて射が正射?
ということになりますよね?


射型を己が筋骨に従い無駄を省き綺麗に整える(即ち正射)目的は、安定した的中を得るために行なっているのではないでしょうか?
なぜ『正射』と言う言葉を美化したがるのですか?

41:蒼嶺さん
自分は上手いとも思ってないし、射形も良いとも思わないし、あて射の部類に入るのかなぁ.....全国大会に出させていただきましたが、それに至るまでには相当苦労しましたよ.....中てなくちゃ勝てないし.....中てましたけど.....別に自身の射を否定するの構わないけど、「言ってろ」って感じになるかなぁ.....だって自分苦労したんだし.....スレ主さんにはキツイこと言うようだけど、どんなレベルでの話しをしていらっしゃるんですか?そういった方々に失礼ですよ?それと弓遊び。さん、同意見です。

42:T・Tさん
ここまでの話の流れからは別の角度からの考え方かもしれませんが…
先日、オーストラリア人の友人が始めて日本観光に来て、自分に日本武道を何か見せてくれないかというので、自分の居る大学の弓道部に見学に連れて行きました。
そこで自分や他の部員が弓道について説明をしたのですが、その時この様な「中てるだけではなく云々〜」といった話もしました。
後になって彼が私に聞いてきたのですが
「弓道というのは、元は人殺しの道具だよね?ならばその本質は矢の力と正確さに有るんじゃない?日本ではこういった物によく形や人格・精神的要素を持たせるし、それは自分たちオーストラリアや西洋の人間が余り持たない素晴らしい物なのかも知れない。でもその為に本質である物を捨てるのは自分は納得できない。人格・精神的要素は本質である物の上に重ねられていく物じゃない?それによって外見的に本質が隠れることは有っても失われる事は有ってはいけないと思う。」
自分はこの問いに答えられません。彼のこの疑問はひょっとしたらこのスレッドの問題点の核心を別の角度から捉えてるのではないかと思い、書き込んでみました。
この友人はもう帰っていきましたが、まだ自分なりの答えを出せていません。皆様はどう思われますか?

43:斜面見習いさん
弓矢が殺人の道具と言うのなら納得できますが(弓術)。
弓道の歴史をあまり知らないので僕の勘違いかもしれませんがかなり意味合いが変わってくるような気がします。
正射も中て射も見本がありません。 個々が見本とする射はあるでしょうがその射が万人に通じるとも限りません。
外見、結果のみで判断するのはよくないと思います。

44:ヒロさん
>弓遊びさん
>射型を己が筋骨に従い無駄を省き綺麗に整える(即ち正射)目的は、安定した的中を得るために行なっているのではないでしょうか?
なぜ『正射』と言う言葉を美化したがるのですか?
に同じですね。究極の中て射が正射じゃないのかと。
自分より的中率がイイ人の射形を中て射だとか否定する気持ちがよく分かりません。僕は素直にスゴイなぁと思いますが。
悔しいと思うのはイイ事だと思うけれど、その気持ちを向ける方向が違うと思います。

>T.Tさん
非常に興味あるお話ありがとうございます。

>斜面見習さん
>正射も中て射も見本がありません。 個々が見本とする射はあるでしょうがその射が万人に通じるとも限りません。
外見、結果のみで判断するのはよくないと思います。
斜面見習さんのこの意見にも同意見です。
人の数だけ答えがあるでしょうから、何とも言えない問題かと思います。
どうしても、他の人の射を否定したければ、自分が他人から目標とされるような射で勝てばイイだけです。負けたのに勝った人の射を否定するのは筋違いかと。

45:新さん
なかには正射を綺麗な射型と勘違いされている方がいるみたいですね。正射とは見た目のことではなく、正しく弓を射るということです。つまりあたりにつながらない射は正射とは程遠いということ。射型を綺麗にしたらいつかあたるようになると思っていると、いつまでたっても正射必中には近づけません。的に向かって弓を引いている以上、あたらなくてはいけないのです。縦横十文字、伸び・詰めをしっかり完成させて真直ぐ離すと、本来はおのずとあたるはずですが、なかなかあたりません。それは無意識のうちに欲に負け、手先や体に余分な力が加わり外しているのです。
弓はあてようとするのではなく、外さないように引かなければいけないにも関わらず、目先のあたりに惑わされたり、いつかあたるようになると考え逃げているのではいけません。弓を引く上であたりは絶対に必要なもの。そのあたりの為に何をしてもいいと考え、基本を無視することがあて射です。基本に忠実な射を心掛け、一生懸命あたる為に努力をすることはとても素晴らしいことですよ。

46:弓道初心者さん
結局、中らない射にはどこかしら問題があるという事ですよね。
私はなかなか中りません。
1日に1本中ればいい方です。
自分の射には至らないところがたくさんあるので当然の結果だと思っています。
でも、やっぱり中らないのはくやしいので、よい射ができるように努力しています。
で、何が言いたいかというと、中らない射を否定しないでほしいって事です。
「弓道をしている以上、中るのは当然」というのを聞くと、中りもしない自分の射は何なんだと思います。
よくわかんない文ですみません。

47:斜面見習いさん
言いたい事すごくわかります。 もし僕の書き方で気を悪くさせてしまったならすみませんでした。
僕は弓を引く事が弓道だと思ってます(危険行為は除く) 例えるならバッティングセンターに通ってる人全てがバッティング練習に行ってるんでしょうか?
ボクシングジムに通ってる人全てがプロボクサーになるんでしょうか? 弓道は万人ができる武道(スポーツ)ですよね? それを前提とするなら正射や中て射という考えにこだわる必要もありません。体が不自由で満足に体配できない人は弓道してるとは言えないのか? 違いますよね? 個人の理想や目標は自由です。 が、結局自分と合わないから否定する。では話にならないと言いたいんです。
的に中たらずとも弓を引くことでストレス発散になると感じる方もいますし、かっこよさや憧れで引いてる人もいます。 その事を考えたらもう少し書き方を改めれるような気がしますがどうでしょうか?

48:ぴよぴよさん
弓を引く事の目標、目的なんて人それぞれですよね。試合に勝つために引いている人もいれば老後の楽しみのために弓を始める人だっています。
私が前にいた弓道会は年齢層が高くて上手くなりたいとか中りを出したいと言うより皆と楽しく引きたい、今日も弓を引けて良かったといった雰囲気でした。もちろん試合や審査にも参加する人は少なく学生弓道に慣れていた私は団体として参加できず個人としてしか引けない事に不満を覚えていました。
仕事の転勤がありその弓道会を退会し人数も多くかなりしっかりとした指導者のいる弓道会に入りました。そこで試合での団体、個人の楽しさも緊張も、講習会の上手く出来た時の快感も出来ない辛さも味わっています。今私は学生で引いていた時より体配の面でも的中の面でも成長出来たと思っています。

かなりまとまらないのですが、目指すものがあるのならそこのフィールドで戦えばいいと思うのです。目指すフィールドの違うところで戦って負けてからここは違うと言ってもやはり負け惜しみと思われてもしょうがないのではないでしょうか。と言うことを言いたかったのです。

長文、乱文失礼しました。

49:弓道初心者さん
斜面見習いさん、私のよくわからない文の意味をわかっていただきありがとうございます。
斜面見習いさんの投稿で気を悪くしたことはないです。
ぴよぴよさんが前にいた弓道会の皆さんのように、私も中りは気にせずに弓を引く事だけを純粋に楽しめたらいいんですが、どうしても中りを気にしてしまうんです。
そして、他の人と自分を比べて勝手に落ち込んでいるんです。
他の人には「中りだけで判断しないでほしい」と思うくせに、自分は人一倍中りに執着してしまっているんです・・・。
斜面見習いさん、ぴよぴよさんレスありがとうございました。
とても参考になりました。
これからは「弓道を楽しむ」という事を目標にがんばっていこうと思います。


ホーム > 弓道座談会 > 2005/09まで > あて射 (投稿49件)[1〜49]

(c)デビール田中 : 問い合わせ