打ち切りについて (投稿30件)[1〜30]


1:今年から斜面さん
みなさんは弓返りをあえてさせない、『打ち切り』をどう思いますか? 私個人としては好き嫌いで言えば嫌いではありませんが、せっかく働いた角見の力を殺してしまうのではないかと思います

2:S.Sさん
自分は今、打ち切りですが何がいいのか分からないまま半ば強引に打ち切りにしました…笑。ただ自分なりに考えるには弦が返らずに真っすぐに弦がいくから、狙いどおり矢が飛ぶんじゃないかな?と思います。そのためにはそれに見合った勝手が必要だと思う。

3:デビさん
>弦が返らずに真っすぐに弦がいくから、狙いどおり矢が飛ぶんじゃないかな?

弓の真ん中に穴が開いているアーチェリーならそうなるはずです。でも矢を弓の脇から射る和弓では、矢を弓に側面から打ち付けるだけになるでしょう。
極端な入木のモノならまっすぐかなぁ。


打ち切りも良いかと思いますが、手とか打ちそうで。。痛そうだから弓返りしたほうが良いなぁと思います。
あと、こう緩やかに引いて鋭い矢が出る感じの緩急に弓道の美しさを見出しているので、ガチガチに力を入れている感じがする打ち切りには美を感じません。

4:可児さん
>>打ち切り*肯定*
せっかくなので、打ち切りに関して肯定的な見方もしてみたいと思いました。残身で矢擦籐を握っている方がいらっしゃいます。確かに弦は返っているのですが。。言わずもがなですね。
私は初心の打ち切りは良いと考えています。打ち切りがあってその先に弓返りではないでしょうか。手首が後ろ的に折れてまで作る弓返しは私は好きではありません。。

5:紫弓さん
本来の打ち切りは馬上や堅物射ぬきに使うようにし脈どころを打つようにするみたいです。よって鞆(洋弓で言うアームレスト)が必要になります。確か手の内も俗に言う固定しやすい糞握りの手の内に近い覚えがあります。
もし的前で打ち切りに近いのをするならば私は普通の手の内で受け渡しから会までねじる角度だけ戻せばよいかとおもいます。そうしないと前に矢が飛びますし、、。
弓返りと打ち切りで的中に変化ない為好みですね。私としては先々に羽の減りや麦粒篦を使うのを考えたらまず正しい手の内の弓返りを勧めたいですね。その上で打ち切りをやれば良いかと思います。

6:射楽斎Uさん
「弓返り」のする手の内と、「打ち切り」の手の内では、かりにまったく形が同じでも「力の運用」が違います。
たしかに、それだけ「弓返り」する手の内はむずかしいのですが、だからといって「打ち切り」の手の内を続ければその働きが身についてしまいますし、瞬間の働きですから、のちのち正しい「弓返り」のする手の内に変えて行くのは、より困難になってきます。
確かに発達段階の問題はありますが、「初心者は打ち切りでいいよ」という指導者は、上記の理由で残念ながら私は信用できません。
どこも犠牲にせず、最初から「弓返り」するような手の内とその力の働きを指導してゆくのが指導者の良心と思っております。
やむなく「打ち切り」で行射させているとしても、最短期間で卒業させる工夫をしてほしいと思っております。

考え方の相違ですが、不快な思いをされた方もおいでかもしれません。

「弓返り」とはいえ、自然に弓が返るようになるまで待つのではなく、理論と練習方法を示し、十分な訓練による鋭い離れと回転軸を狂わさぬ「弓返り」のなかから生まれる真の的中を指導したく思っております。
正しく「弓返り」する手の内は、「まめ」や「たこ」もできず、拇指内側が割れることもありません。
生徒たちに痛い思いや辛い思いをさせない指導も大切だと思っております。

7:可児さん
>>打ち切りの認識
についてそもそも私が何か間違っているのかもと思いました。柴弓様が書かれている内容と異なっているからです。
打ち切りというよりも、離れの瞬間にじゃんけんのグーからパーにかえてまたグーにい戻すのはよろしくなくて、一番良いのはぐーのまま、力を締め戻して弓返りする手の内かと思っています。私の考えていた打ち切りはこの際のグーのまま、離れをすることで、弓は90度だけ返ります。(本当の打ち切りは脈筋を打たないようにアームレストということは、20度くらいしか返らないってことでしょうか?)
打ち切りというよりも、締め戻しのない手の内が基本かなぁ?と思っています。

8:るんさん
>今年から斜面さん
>『打ち切り』
>せっかく働いた角見の力を殺してしまう
・すみません、今年から斜面さんの仰る角見とは、どのようなものなのでしょうか。
・目的にもよると思うのですが、何を想定した場合なのでしょうか。

9:紫弓さん
打ち切りは手にくすねを塗り握り込み(一般射技からみてですが)固定する為弓の回転は少なくして手首を打つと考えています。

可児さんが考える弓返りの角度は正に私が示した方法で起きる働きですね。私は小指の基関節の締めによるブレーキで調節できると考えます。

10:ポン酢ファンさん
>紫弓さん
>本来の打ち切りは馬上や堅物射ぬきに使うようにし脈どころを打つようにするみたいです。
>打ち切りは手にくすねを塗り握り込み(一般射技からみてですが)固定する為弓の回転は少なくして手首を打つと考えています。

騎射・通し矢は想像できるのですが、堅物射貫きも打ち切りだったのですか・・・勉強になります

このことについて少々質問があるのですが、
打ち切り射法の場合、押手の手の内にくすね塗りこむというのは、手袋状の押手カケをしているという前提条件の元という解釈でいいのでしょうか?
また塗りこむ部位はどこに塗るのでしょうか?

よろしければ、ご教授お願いします

11:今年から斜面さん
私の考える角見とは簡単な話が小指の締めと共に弓を捻り、弓が返る事、または弓返りのスピードをあげることにより弦の返りが早くなるのではと考えています また一般的には弓返りは向こう弦がもっとも的中的には理にかなっていると聞くので、そう考えるとやはり向こう弦に満たない弓返りをする打ち切りは角見を含む手の内の効果を殺してしまうのではとかんがえます

12:紫弓さん
整理してないので知る範囲で書くならば。押し手懸つける場合もつけない場合もあるようです。ただ情報が口伝や二次、三次文献で曖昧なのではっきり言い切れませんね。いろいろ調べたい物です。(^-^)

13:けんさん
知識・技術ともに未熟者なので書き込むのもいかがなものかと思いますが…。
私がうかがったところでは、打ち切り射法を否定するのは使い分けが出来ないからだそうです。流鏑馬だけでなく、宮中における鳴弦の儀においても、打ち切りでおこなうそうです。
弓返りするようでは弓の力を最大限矢に伝えることにはならないからだったと思います。
弓返りの角度についても、その時代によって正しいとするものは異なってるそうです。
ただ、うかがったのがちょっと前のことなので記憶違いかもしれませんが。

14:射楽斎Uさん
少し悲しくなりました。
いささか、伝聞で繰り広げられる論理のおよぼす結果を恐れます。
引き絞った弓に蓄えられたエネルギーは、矢の運動エネルギーと弓の(併進)運動エネルギーに分配されます。
その後、弓の運動エネルギーを放散するために弓返りと弓の振動及び弦音に分散されます。
すなわち、弓返りのために矢に分配されるエネルギーが減少することは無いのです。すなわち、弓返りをおさえることによって矢勢をますことはないのです。
むしろ、弓返りがきちんと確立されなかった時代のしきたりが、形としてあるいは心理的な価値観として残ったのです。
少し、熱くなってしまいましたが、日置弾正政次が当時の他の名手よりぬきんでていたのは、確かな的中とその矢勢に加えて、持満をよくしたことと弓返りが鋭かったことでした。
我々は、よほどよく見据えてかからねばなりません。
さらに言えば、小的15間(28m近的競技)に関しては、現代弓道は過去の弓道を大きく凌駕して、ものすごい勢いで進化しています。

15:可児さん
>>伝聞で繰り広げられる論理
パソコン通信やインターネットが発達したおかげで、どれだけ斯界に伝聞推定のことがらが蔓延しているかがわかってすばらしい、と思ってしまいました。大切なのは、わかったふりをしたまま間違えたことを伝えていく前に、間違いに気づき、正す。ではないですか?間違えていることにすら気付く事の出来なかった以前に比べればよい環境が現代にはありますね(間違えている本人が言うと説得力ありませんが)
とうでしょうか?

16:ポン酢ファンさん
>紫弓さん
ご回答ありがとうございます
それでまた疑問がわくのですが、素手に直接クスネを塗る場合があるのですか?クスネは熱してかなり高温にならないと溶けないのですが・・・

>けんさん
宮中で行われる鳴弦の儀だけでなく、道場開きで行われる鳴弦の儀でも打ち切り?で行われます
これは矢を番えないのでここで言われているものとは異なるかと思います

>射楽斎Uさん
おっしゃることはわかります。今日では騎射を除いて打ち切りで引くようなことはまずもってない、かと思ってます。その中で堂前射法の伝承や堅物射貫きの伝承をされている方がいるのかと思い、向学のためあえて質問させていだだきました
ただ的前射法が現在のほうが進化しているというのは、どうなんでしょうか?
江戸時代の弓引きである侍は、武芸を磨くことが仕事の職業軍人です。百発百中の弓名人が今以上にいたことでしょう・・・もちろん中りだけではないですが。また先達の教えがあるからこそ射術が衰えずに済んでいると思ってます。進化といえば聞こえはいいですが、「紋切り型になっているかもしれない」という心配が付きまとうのは私だけでしょうか?

17:弦煙さん
 >射楽斎Uさん
 むしろ、弓返りがきちんと確立されなかった時代のしきたりが、形としてあるいは心理的な価値観として残ったのです。

 とありますが、弓返りをさせないのは船中・儀式・大事の時であり、これは目的として万が一にも弓を取り落としてはならない時です。日置弾正が弓返りの早いことが記述されているのなら、その時代の人は基本的に弓返りの内容が分かっていたということではないでしょうか。

 あと、これは表現として誤解を受けないかどうか心配ですが、弓の弓返りは、拳銃での「薬きょう」が飛ぶのと同じだと思います。どちらも弾が飛び出した後、矢が発射された後の現象です。
 礼儀、実利、その他混在が多い現代弓道では議論が議論を呼びそうですが・・・。

18:弓遊びさん
言われてみてなるほどと思いました。
弓返りとブロー・バックは使う道具の違いはありますが、作用は似通っていると思います。
標的に正確に的中させる、標的を正確に貫通させるためには、標的に弓力(爆発力)を的確に流さなければ達成できないのではないでしょうか?
ここで論ぜられている打ち切りにしても、何らかの手法(?)により、標的に対して正確に力を流しているものではないか?
と私は思いますが、皆さん如何でしょうか?

19:るんさん
>11:今年から斜面さん
>弓返りのスピード・・弦の返りが早く
つまりは、矢勢?
>向こう弦がもっとも的中的には理にかなっていると聞く
つまりは、的中?
・初めに『打ち切り』と聞いて、矢継早や馬上といったところを連想しました。『打ち切り』って、目的(用途?)によるんじゃあないのかなと思っています。
・手の内という事を考えますと、私の先生は、角見の働き?という言葉ではなく、手の内の働きという言葉を使っていましたので、角見とはなにかを未だに知りません。
角見は、かつて印西派の方にご教示いただいたのみであります。ですから、もしかしたら今年から斜面さんとは異なる手の内かも知れませんので(例えば同じ小指の締め(としておきましょう)でも今年から斜面さんと少し違うかも知れない)、トンチンカンな場合はご容赦願います。

・今年から斜面さんの仰る向こう弦、かつて習った打ち切り、そして弓返り、これで鉄板を試した事がありますが、私の腕では、使った厚さのせいか枚数に差はありませんでした。(上手な方ならば、差はあったかも知れませんね。でも、私は下手だったたのしょう。もっとも、バケツ位の薄い鉄板を数多く使ったならば差は解ったかも知れません)
・弓返りの速度ですが、これはその方の稽古の具合で差がある思います。

・角見の働きというのでしょうか、手の内の働きというのでしょうか、どちらにしても、矢勢・的中を求めている事は同様と思います。現在の十五間近的・三十間遠的で考えますと、『打ち切り』は、したい人はしてもよいのだけれども、特にしなくてもよいんじゃあないのかなあ?と考えます。

・好き嫌いは、考えた事もありません。
もっとも、『打ち切り』の方が自分には向いていて矢勢がでるという方はいらっしゃるかも知れませんね。

わたしなりの考えでした。

20:るんさん
19:
(誤)私は下手だったたのしょう。
(正)私は下手だった。
→まるで、今は上手みたいだけど、やっぱり今もヘタクソです。

○ところで、今年から斜面さんは、『打ち切り』と『弓返り』で矢勢の差はあるのですか?

21:ちょめさん
>紫弓さん
>本来の打ち切りは馬上や堅物射ぬきに使うようにし脈どころを打つようにするみたいです。

とても興味があり私も調べて見たいので、ぜひソースの文献等ありましたらを教えて頂けませんでしょうか?
よろしくお願いしますm(_ _)m

「堅物射ぬき」に打ち切りを用いたと言う事で、もし実際に貫徹力に差が出るとした場合の要因を考えてみました・・・
(あくまで考えです。)

矢の発射時の様子ですが、下手な人では矢先が前や上を向いた状態の場合があります。さらに下手・上手を問わず矢が振動してしまう事は免れないと思います。
この「矢の向き・振動状況」が、矢のスピードと共に「堅物射ぬき」における結果の良否に影響を与える可能性は高いと思います。
そして、弓を返すか打ち切るかによって「矢の向き・振動状況」に影響が出るかもしれない事を考えると、堅物射ぬきに打ち切りが有効な場合がある、と言う事は簡単に否定できないと思います。肯定もできませんが。

機会があれば実験してみます!

22:可児さん
>>「堅物射ぬき」文献について
『弓道読本』(唐沢光太郎著)に記載があります。昔の射法では上押しをかけることで貫通力を上げる、とあります。理由として、和弓は握りより上よりも下が短く、握りより上八寸を「因果所」と称し、ここを強く押すことで弓の上下の力のバランスを取り、矢に貫通力を与えた。そうです。

23:可児さん
>>打ち切り
ではなくて、「上押し」を強く用いた理由でした。。申し訳ございません。m(__)m

24:紫弓さん
二十二冊揃の弓道講座です。活字で一次文献に近い専門的な弓道本の一つかと思います。一応その中の辞書から引用しました。
この図書の他の講座にも打ち切りに付いてあった気がしますが量が量なので、整理仕切れませんのであの表現になりました。申し訳ないです。


個人的には堅物射は(蹲踞しますね)下を狙いかつ、上に矢が飛びやすい強弓を使うので床を弓返りさせずに当たらないようにしたと思います。通し矢にしても水平に近い弾道を効率的に飛ばすにはその方法が浮かびます。その為上押しは支持される点になるかと思います。
但し固定している分肩への負担は強いですが、、。

ちなみにソースの文献とネット上のことでしょうか?どちらにせよ図書による、一次資料の原典に近い物を選びましょう。
よい結果ご期待します。(^-^)

25:射楽斎Uさん
>16:ポン酢ファン さん 遅くなりました。

その1 です。
>百発百中の弓名人が今以上にいた・・・、先達の教えがあるからこそ射術が衰えずに済んでいる・・・。
いずれも、そのとおりだと思います。

>「紋切り型になっているかもしれない」という心配が付きまとう・・・。
紋切り型=型どおりで自己の世界が確立していない・・・、という意味では錬士五段〜教士六段くらいまでは該当しそうですね。
次の部分が核心になろうかと思いますので、その2 に分けます。

26:射楽斎Uさん
その2 です。
>的前射法が現在のほうが進化しているというのは、どうなんでしょうか?江戸時代の弓引きである侍は、武芸を磨くことが仕事の職業軍人です。・・もちろん中りだけではないですが。私だけでしょうか?
ご指摘のとおりですが、現代弓道で職業的な武芸を鍛錬されている弓道家がいれば、同じ土俵で比較できると思いますが、現代弓道はすでに百射百中を至上としているわけでも、強弓をもって名誉としているわけでもありません。
武具としての役割も、特別な場合を除いて神器としての役割も卒業してしまった現代弓道は、その存在の思想がまったく変わってしまったのです。
古武術が見直される中、流派弓道をきちんと継承される価値観も、祭祀における射手の役割をきちんと受け継ぐ価値観も、その人の思いの中にまったく同等に評価されていいものと思います。
そんな中で、「真・善・美」をかかげた現代弓道のような思想は歴史上かつて無かったことと思います。
このような思想に至ったことに対して、私は「進化」したと表現しました。
また、具体性の欠ける「真・善・美」をどう具現化するかという課題に対して、弓道教本誕生以来51年、多くの弓道家が取組み、かつて無かった思想が次々と誕生して基本思想として定着してきています。
この発見の速さは江戸初期の流派勃興期と比較しても瞠目に値すると思っており、「ものすごい勢いで進化」していると書いたのです。
たとえば、私が一番しっくりする思想に「三貫の射」というのがあります。
深い会の中に「刻々と満ちてくる」世界を実現し、絶対的な「的中」と鋭い「矢勢」、自分自身の心を射抜く深い「喜び」と、見る者の心をも射抜く深い「感動」の射です。(「的」「自己の心」「他者の心」の3つを同時に射抜く)生半可な修練で達成できるものではありません。
このレベルの射を範示できる範士が現在たくさんおいでになっています。
彼らの射は、職業軍人の射とはまったく対極にある射ですし、祭祀をつかさどる射でもありません。
これらの思想と実現を、私は「進化」ととらえているのです。

過去と現在と近未来を連続させて「今」のあり方を、一個人の思いのままに書いて返信とします。
耳障りな点も多かったかもしれませんが、御寛恕下さいますようお願い申し上げます。

27:射楽斎Uさん
>弦煙 さん

ブローバックの構造的仕組みに関しては詳しく分かりませんが、感覚的にしっくり納得できます。

>基本的に弓返りの内容が分かっていたということではないでしょうか
そのとおりだと思います。弦煙さんは、きっと本多系の方だと思いますので、すでにお気づきになっていると思いますが、特に雪荷派から道雪派に至っては弓返り後の弦の止まりに関して、中押し系での最新の弓返り理論に相当する記述があります。

28:弦煙さん
>射楽斎Uさん
 私は本多でも、諸派でもありません。

 私が言いたいのは、弓返りは結果であって大衆のための現代弓道において求めてするのはいかがかと思うだけです。

 一定以上厳しいもの、細かいものを望む人には必ず色々な問題が目の前に現れます。
 このスレで、一般的な答えを望むのなら、弓返りも打ち切りも構わず楽しく引いてくださいと私は言いますし、そうでなければ弓の働き、動作解析の話までしないといけないので、だれかどこかで(デビさん?w)矢が弦から離れるところまでを解析して作って欲しいとわがままを言いたいです。

 余談ですが、私の目標は弦煙の出せるような、そんな射ができる一人前の射手になることです(一人前の定義は長くなるので割愛)

29:射楽斎Uさん
>弦煙 さん

了解です。
「弓返りは結果であって大衆のための現代弓道において求めてするのはいかがかと思うだけです」に関して、私は「理論どおりに求めて、きちんと学んで正しく弓返りするもの」と考えておりますので、いささか異論もありますが・・・。

おっしゃるとおり、「弓返りも打ち切りも構わず楽しく引いてください」と言う弓道は、私もとても大切だと思います。
気になるのは、指導する立場のものが最初から「弓返り」につながらない指導をするとしたら、あるいは「弓返り」はしなくていいのだという風潮が広がるようであるなら、大変遺憾に思います。
「・・・としたら」、と仮定の形の書き方をしましたが、私としては一番の懸念なのです。

>今年から斜面さん
本題に戻ります。
返るべき弓を返さないのはよくないのではないか・・・?という意味と捉えましたが、よいでしょうか。
紆余曲折しましたが、私の結論です。
「返るべき弓が、返るように修練する」のが自然であると思っています。

30:ポン酢ファンさん
>射楽斎Uさん

私の不躾な質問に答えていただき、ありがとうございました。また本筋から脱線させるきっかけと作ってしまいまことに申し訳ありませんが、返答をさせていただきます

現代弓道が・・・と一般化され含みを持たせているところには賛同いたしかねますが、射楽斎Uさんの思想進化論はなるほど、と思いました

ただ私は、初心者・中級者・熟達者それぞれの段階において、それぞれの味で心を振るわせることができるものだと思ってます。初歩の心の美しさ、中級者の苦悩の味、熟達者の深い味わい、そのどれもが心を貫き、的を貫く可能性があるかと。
また範士の先生が体現なさるのは、その指導的立場ゆえ当然の責務なんでしょうね・・・しかしその努力は並々ならぬものかと思います。

私も「三貫の射」を体現できる境地に到達できるよう努力をせねば、と思う次第です


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