指導論 (投稿18件)[1〜18]
- 1:葵使いさん (2004/09/05(Sun)00:10:57, ID:KVGCmfA [25175])
- 早気の人間に「早い」と言う。
硬くなっている/力んでいる人間に「力を抜け」と言う。
中らない人間に「中てろ」と言う。
これは「指導」でしょうか?
早いのは本人だってわかってます。
知りたいのはそれを治す方法です。
精神論より技術を。
あなたの過去の栄光よりもわたしの明日の一勝を。
弓道は、特に学生生徒は、初心者でなくなれば多かれ少なかれ指導者たることを求められます。
願わくば、文句と指導を取り違えない指導者となって欲しい。
皆さんの考える、または受けた良い指導を教えてください。
- 2:デビさん (2004/09/05(Sun)00:19:24, ID:QOwXRLs [25177])
- 「お、この間より少し良くなったな」というさり気ない褒め言葉。
欠点は第三者からでも直ぐに気づくのですが、些細な進歩は日頃から見ていただいている師匠ににのみわかっていただけていると思います。「そう、そこを気をつけているんです」というポイントを褒められると本当にありがたい。
「結構見ていただいているのだなぁ」という感謝の気持ちもあり、やる気につながります。
- 3:夏原さん (2004/09/05(Sun)00:41:06, ID:Rk5jaLM [25180])
- お二方のご意見にボクは賛成です。
今、早気で悩んでいますが、確かに色々な人から「早い」と言われます。ボクら指導を受ける側の考えとしては葵使いさんのおっしゃるとおり、「いや、早いのは分かってるんだからどうやって直すの」という考えを持つのが一般的ですよね。
こんなこと言うのは生意気に思えて仕方ありませんが、指導者さんは「癖を直す為にはどういう射であるべきか」の、例えば早気で、「持つ努力をしろ」ではなく「長く持つ為にこういう事をしろ」という「方針」を示してほしいと思っています。
そしてデビさんのお言葉を抜粋させて頂きますが、「お、この間より少し良くなったな」というさり気ない褒め言葉。
これは本当に些細な事ですがとても嬉しいものです。自分の癖を見て頂いてるんだと思えますし、なにより自分の癖が改善に向かっていると思うと尚更気持ち良いですよね。
ボクも友達に指導する時は、今挙げたこと(ほとんどお二方の御意見ですが)に気をつけて指導を行うようにしています。こういう所にも指導の良し悪しが分かれてくるとボクは考えます。
- 4:マロンさん (2004/09/05(Sun)01:23:06, ID:UrNZ7NA [25185])
- こんばんは。一般で引いています。
今、早気ではありませんが、悪癖で悪戦苦闘中です。その悪癖をよく注意されます。それが良くない事は自分が一番よく解っていて、とても悩んでいます。
私が知りたいのは、葵使いさんが書かれているのと同じで、その治し方です。
こうしろ、ああしろ、と言われますが、具体的に、どのようにすれば良いのかは、何もありません。一番知りたい事なのに...
反対に、「気にしなくって良いから、もっと楽しく引きなさい」って言って下さる先生もいます。
先生ではありませんが、その個人個人に応じて、教えてくれる先輩がいます。
その人は、ここがこうだから、こう言う風にすると良い。とか、ここの筋肉を使うと、こうなるから、肩が収まる。とかとても具体的です。それと、とてもさり気なく褒めてくれるんです。デビさん、夏原さんの意見に賛成です。
私は、その人に教えてもらうのが一番
解りやすく、安心して指導を受ける事が出来ます。私自身、その先輩のようになれたらと思います。
その先輩自身も、違う悪癖で悩んでいるようです。でも誰に聞いてもこの癖は、治す事は出来ないと、一人でがんばっているようです。
- 5:てらてらさん (2004/09/05(Sun)05:55:53, ID:bF89nDg [25190])
- みなさんおっしゃるように、やはり的確に誉められるのは嬉しいし、やる気が出ますよね。
講習会でかけてもらった誉め言葉を、次の試合や審査の時も頭で繰り返しながら行射したらよい結果を得られた、ということがありました。
「いいよいいよ、そのまま力まない。」とか「のびてのびて」なんて、たいした言葉じゃないけれども、その講習会でうまくいったといういい感触がよみがえるような気がしました。
だから、僕自身が指導する場合も、出来るだけその生徒のいいポイントを見つけて、誉めたい、と思っています。欠点を指摘するときには、出来るだけ具体的に、「こうだから、こうなっている、だから、こうしろ。」と話したい…のですが、指導力不足か「最後は気合いだー!」とかって言っちゃうんだよなぁ。
- 6:斜面射手さん (2004/09/05(Sun)10:43:13, ID:KLzK7wI [25203])
- 指導論ということで、一連の話とはズレるんですが・・・
練習をすればするほど、自分が人様に指導するということが
おこがましく思えてきます。教えるという行為は自分が
弓を引く以上に難しいことですね。
- 7:おじんさん (2004/09/05(Sun)13:18:11, ID:1L1qg3Y [25213])
- とても難しい問題ですよね。僕は高校・大学と師範のついていない学校だったこともあり、後輩や同期生、先輩にも指導をしたりしていました。のべ人数にすると軽く50人以上は見てきましたが、やはり弓道は骨法だということを念頭に置いて射を見ることが大前提だと思います。
勿論各個人ごとに骨格も体躯も違いますから、一様に同じ指導なんてできません。肩も入り易い人もいれば抜けやすい人もいます。それぞれ相手の骨格・筋力などを理解し、自分でも試した上で、各個人に合った内容を必ず理由を説明した上で指導しないとダメだと思います。そしてその理由にはきちんと根拠が無くてはならない。だから、弓道の指導にあたる人は、弓道が骨法であり力学であることを理解していて、科学的かつ論理的な説明をできなければならないと思っています。
ダメなところを指摘するだけなら誰でも出来ますし、誰もそんなことは望んでいないですよね。
通り一辺倒ではなく、相手の体のことや、気持ちのことなどを配慮した上で、押し付けにならないようにヒントを与えると言うか、僕はこう思うよという位の助言にとどめるのがいいと思います。
それで後日成果があったなら、また指導して下さいってことになるわけですから、押し付けは単なるエゴイズムであって、指導者失格だと思いますよ。
- 8:マロンさん (2004/09/05(Sun)13:34:37, ID:UrNZ7NA [25214])
- こんにちは。
上に書いた先輩って、おじんさんがおっしゃっているように、個人の骨格、体格を考えて、力学、理由等々ちゃんと説明してくれるんです。だからとても解りやすい。信頼できるんです。
たまに自分も人に質問されるんですが、難しい。何をどのように教えてあげれば良いのか.....
- 9:おじんさん (2004/09/05(Sun)23:57:37, ID:ygTACw. [25258])
- 僕の経験からすると、指導って最初から出来る人はいないと思います。そして、人から指導方法を教わったとしても、その通り上手く指導なんてできないでしょう。
結局、指導力というのは、自分が汗を流して学び、獲得した経験値からしか生まれてこないものだと思っています。
指導力をつけたいなら、一夜漬けのような便利な方法は無いと思います。本で読んだり他人から聞いただけの無責任な知識で他人を指導しようなんてありえないと僕は思いますし、そんな事では自分の指導に責任が持てませんよね。指導するということは相手のあることですから、責任のとれないことはすべきではないと思うんです。
そう考えると、まずは他人の射を常に観察すること。そして他人の射と自分の射の差を見つけて、それに疑問を持ち、実際に真似でも何でもしてみて、何故その人はそうしているのか、それは良いのか悪いのか、自分には合うのか合わないのか、常に納得いくまで検証する癖をつけると、必然的に練習量も増えます。別に誰よりも上手くなる必要は無いと思います。でも、誰よりも自分のものとして理解した内容は多くないと、指導はできませんよね。だから僕が学生だった頃には誰よりも練習量を増やし、いろんな知識や技術を身につけようと努力したつもりでした。ま、ただ単に弓道が好きでバカみたいに練習してただけかもしれないですが…(笑)。
しかし、言うのは簡単ですが、自分の練習をしながら他人の射の真似練習のようなことまで真剣にやるわけですから、単純に考えても練習量は倍になります。結構大変ですよ。
ま、どこまでやるかやらないかはそれぞれの事情も色々あるでしょうから、あまり自分の体に無理を強いるのも良くないとは思いますが、とにかくまずは他人の射を興味を持って観察することが指導力をつけるための第一歩ではないかと僕は思います。
- 10:和佐さん (2004/09/06(Mon)06:54:43, ID:fLPc546 [25274])
- 一般で弓をしてます。私の思う良き指導者は、1普段から私の射を見てくださる方、2頂点に近い射を知っている方、3自らがまだ競技者かつ、探求者である方、4周りの為に身を粉にされてる方。
でしょうか…。
私は良い指導者に教わっています。幸せなことだなぁ。
- 11:新さん (2004/09/06(Mon)17:10:39, ID:S.f/QVs [25297])
- よい指導者とはなんでしょうか?たしかに人の悪い所や癖をみることは簡単なことで、どれだけ人のいい所をみれるかがポイントになると思います。しかし技術論を分かりやすく教えてくれる指導者は本当にいい指導者なのでしょうか?一番大切なことはどれだけ生徒達に学ばせられるかだとおもいます。わからないからといって何でも教えてしまうことはその人にとってプラスになりません。いいことも悪いこともまず実践させて、なにが一番正しいのかを感じさせないと、ただ教えてもらった事を実践するだけだと、本当の意味が見えてこないからです。私の考える良い指導者とは、道を外れそうになった時に、適格に手を差し伸べれる人だと思います。それには技術や精神力もですが、やはり人格者でなければならないと思います。生徒のためを思って厳しく指導できる方が理想ですね。
- 12:マロンさん (2004/09/06(Mon)19:37:08, ID:UrNZ7NA [25305])
- >おじんさん はじめまして
上手な人の射をよく見て、自分の引き方と比べてみて、違うところを探しとりあえず真似してみる。
私が初心者の人に質問されたとき最後に必ず付け加える一言です。そして私がいつも心がけている事です。
人に教えるのが難しいのは、自分自身が人に教えれる程上手ではないという事と、後は、おじんさんがおっしゃている事そのままです。
>本で読んだり他人から聞いただけの...
型がちゃんと決まっていて誰が行っても同じ、体配などでしたら教えて上げられるんですけれど...
人に教えるって事は、本当に責任重大だなって感じます。
今は、自分の悪癖と奮闘中です(押し手)
- 13:きまぐれさん (2004/09/06(Mon)19:58:59, ID:zeBxG2A [25306])
- 指導は的確かつ明確が目標です。
限られた時間で練習をしていますから最悪なのは中身は無いのに話が長く、そして意味不明な抽象語が並べられることですかね。
高校生を指導させてもらっている関係上、射が発展途上な子が多いですので問題点は一つや二つではない場合もあります、ですから一番効果的でかつ効率的なポイントを指摘し、どのように直したら良いかを指導させてもらっています。このどのようにが抜けてしまうと苦労が多くなってしまうので理解するまで説明をして(このとき明確に伝わる努力はしますがまだまだです)実際にやってもらいます。その後何本か横目でみつつ、アフターケアを入れて言った事には責任を持つようにしています。
ただレベルが高くなり大会等まで時間があったりする場合は、一つの問題点に対して修正法をいく通りか説明し、自分で修正法の選択をして新しい技術を開拓してもらうこともあります。ただこの場合も時々声をかけて一緒に考えるようにしています。
指導者の理想像として自分に厳しくですかね。生徒達がいかに自発的に練習に取り組んでいてもそうやるように仕向けた責任があるので、朝は一番早くくる。あとは生徒の大会前なら飲酒はしないで早く寝て体調を整える、人に対して怒らないなどセルフコントロールを課したいですね。やはり人にあれこれ言ってやらないのは人間として卑怯ですからね。
- 14:射楽斎Uさん (2004/09/07(Tue)09:09:51, ID:26n1LVA [25348])
- 私も、高校生から同じ道場で修練している社会人の仲間達、そして県内の講習会・研修会などで後進の指導をしております。
以前どこかに書きましたが、「生徒観」「指導観」「弓道観」の検討とその更新が、指導者の力量を高め続けてくれます。
@:「生徒観」・・・生徒の体力・骨格・発達段階や意欲・理解力・吸収能力を見極める。
A:@をもとに、何をどんなプログラム・どんな表現で指導してゆくべきかという「指導観」を組み上げる。当然、意欲を高めるために多くの工夫が必要です。
また、指導が仇となってトラウマになるようなタイプや女性に対しては十分な配慮が必要ですね。
B:「弓道観」を磨きあげることは、もっとも大切なことです。綺麗な射形で安定した中りを求めるのか、深い「会」から爆発するような離れを引き出し、的も見る者の心をも射抜いてしまうような射を求めるのか。
指導者は、めざすべき弓道のあり方を常に語り続け、指さし続け、@のように生徒の実態を見極め、Aのように指導を組み上げなければなりません。
基本的には、五段〜錬士までは、葵使いさんやおじんさん・きまぐれさんの言うとおり具体的かつ親切な指導が主になろうかと思います。
でも、さらに一歩を進ませるときに、新さんが言うように、自分で学ばせることもとても大切です。
時には背中を「ど〜ん」と突き飛ばすような指導・・・いつまで人を頼っているんだ!なぜ爪で岩を削るような努力をしないんだ!自分の世界は自分で探せ!・・・というような指導も必要だと思っています。
この辺の境目が、錬士あたりでしょうか。そして、自分の足で歩き始める六段、遠くに進むべき未来が見えてくる教士、近づかない範士との距離を黙々と埋め続ける七段、一皮剥けて、山登りで言えば稜線にたどりついた八段、死ぬまで稜線を登り続ける範士・・・。
蛇足ですが、時折段位は不要というスレッドを見ます。本人の思い一つですから、一切自由ですが、以上のような取組みをすれば段位称号を誠実にクリアーして行く努力は、私は尊いと思いますし、これに代わるほど厳格な指針は今のところ無いように思っております。
(四段までは各県に任されているので、県により多少の意味合いの違いはあるかもしれません・・・。)
- 15:はやさん (2004/09/07(Tue)21:48:40, ID:JcuBkbQ [25417])
- 悪いところに気がつくとすぐ直したがる指導者は、いい指導者ではないと思います。生徒から質問されるまで、何も言わない。そのかわり、悪いところをしっかり覚えている。生徒が自主的に聞いてくるまで何も言わない。答えを簡単に与えない。生徒に考える力を育てる指導が大切だとおもいます。
- 16:おじんさん (2004/09/07(Tue)22:10:05, ID:LdRKjcM [25420])
- はやさんのおっしゃる通りだと思います。
ただ、一点付け加えるとするなら、常に射を見ていて、その人が故障するような引き方をし出した時だけは助言してあげることは必要であると思います。
そのまま引き続ければ肩を壊すとか、そういう予兆ってありますよね。
射を崩す予兆なら放置しておくのも厳しい見方をすれば本人の為にはなると思いますが、体を壊すような予兆だけはこちらが気づいた時点で矯正してあげる必要性はあると思います。
故障によって選手生命を絶たれる学生もいるわけですから、常に目を配っておくということは、その予防の為にも必要なことだと僕は思っています。
- 17:新さん (2004/09/08(Wed)00:30:52, ID:A4Flbcg [25450])
- 自我が生徒の方に確立していなければどんなにすばらしい指導者がいても分かりにくいでしょうね。ある意味で指導者と生徒が人間として対等にたっていないと…。いいかえれば自我を確立し、自分で自分の必要なものを学びはじめる時、自分になにかをもたらしてくれるものを師とすることができます。それは師範であり、同級生であり、後輩であり、親であり、本であり…。つまり生徒次第ということです。指導者とは結局、自分自身に出会わせてくれる、自分を写しだす鏡のようなもの。
しかし本当にいい先生というのは、その時にはわからないものです。
- 18:紫弓さん (2004/09/08(Wed)00:50:50, ID:/eXrm0Y [25453])
- 又、学生への指導は大まかに二つに別れているように感じます。それは弓を生涯苦労せずに続けられるように総合的に体配や射型に重点を置く指導。学生の部活動に重点に置いて的中を求める指導。実際には地連との関わりや指導者で変わるのが現状かと思います。
そういえば、癖を直して発生させるいたちごっこをしてしまうことであれば、直ぐに言う必要はあるかも知れません。この場合は弓を引く本人の自覚なので、目使い等も同じように注意が必要ですよね。
やはり弓の指導をする上では適格に一通りの全て動作を教え。後に癖についた時に、基本と原因を一度に説明し、本人の努力を見守ることが多いと思います。それは弓が毎回同じ動作をしなければいけない特性がある為です。他の競技は相手の間合いが動的であり、基本を教えた後は、場を判断して動く為毎回言う必要も出て来ますよね。
弓を知らない友人に講習会の様子を話したら、特性がある競技指導だとも言われましたね。(*^_^*)
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