射徳会について教えてください! (投稿6件)[1〜6]


1:日本人さん
射徳会について知っているかたはいらっしゃいますか?確か、日弓連の前の会なんですよね?

2:るんさん
>日弓連の前の会
大日本武徳會ではなくてですか?

近代弓道史(とでもいうのかな?)
が解ると新たな発見があるかも知れませんね。

3:葵使いさん
一応そういう言葉があるようですねえ・・・
http://www.google.co.jp/search?hl=ja&ie=UTF-8&oe=utf-8&c2coff=1&q=%22%E5%B0%84%E5%BE%B3%E4%BC%9A%22&btnG=Google+%E6%A4%9C%E7%B4%A2&lr=lang_ja
しかし・・・2件か・・・。

4:梅さん
 大日本武徳会は現在の日弓連よりも大規模な組織であり、弓道人口も多かったと考えられます。昭和六年(一九三一)の時点で東三省には百十六万人の日本人が居住していました。昭和七年以降、日本人は更に増えます。また、朝鮮半島全域が日本の支配下にありました。各地に進出した企業、軍、付属の病院などには弓道部があり、かなり盛んだったようです。特に軍隊では武道が盛んであり、わたしが先生から聞いた話では軍艦に弓を持ち込み、手製の巻藁で練習したりしていたそうです。他にも大先生の自伝や弓道誌で軍隊に入ったのが弓道を始めたきっかけという内容をよくみかけます。弓道が現在よりも公的に奨励されていたことは事実のようです。 
また、政治的影響力という点でも大日本武徳会は日弓連より大きな存在だったようです。 
例えば、右翼的官僚として知られる平沼騏一郎などが関わっていたのは有名です。また、千葉胤次範士は宮中に仕え、戦中は体制翼賛会総務局長を務めていました。他にも弓道家が市長を務めたり、会社の重役であるという話はいくらでも出てきます。こうした、背景があるゆえに戦後の弓道は再出発を余儀無くされ、ようやく現在の形にまで持ち直したというところでしょう。このように武徳会のことは断片的に推測することしかできません。より詳細に活動実態や組織について知りたければ自分で一次資料を読むしかないと思います。しかし、これからは国際化のために武徳会や日弓連の功罪を再評価することも必要でしょう。個人的には大先生方ご存命のうちに多くの証言を記録して残して欲しいと思います。そして、国際武道大学あたりで、近代弓道史学の分野を開拓して欲しいですね。

5:だめ学生さん
手元にあまり資料がないので記憶にたよって書きます。間違いがあったらすいません。
日本射徳会は長谷部慶助氏の創った組織だったと思います。氏は本多利実の門下で、日本五人男と呼ばれた
有名な射手のうちの一人。
「日弓連の前の会」は大日本武徳会、でしょう。
弓道だけでなく剣道柔道などの武道とも一体となった組織で(範士等の称号や段位のシステムが同じなのはこのため)、総裁は皇族、都道府県支部長は各知事というように、政治的な性格も持っていたようです。
梅さんの書かれているように、このような組織的性格と、戦時中軍国主義化に武道が大きく関係した経緯から戦後GHQの指令で解体されました。
その後、今の全日本弓道連盟が出来るまでの組織については最近の弓道誌に書かれていたと思いますので
そちらをご覧になると良いと思います。

武徳会の時代でもそれに属さない弓道人や、別組織は
結構あったようです。(余談ですが学生は、武徳会何するものぞ、という雰囲気だったそうです。)

6:日本人さん
みなさん、ありがとうございます!とても興味深い組織のようですね!弓を学ぶにあたり、歴史的な背景も学ぶのは大切な気がします。


ホーム > 弓道座談会 > 2005/09まで > 射徳会について教えてください! (投稿6件)[1〜6]

(c)デビール田中 : 問い合わせ