学生の射形 (投稿59件)[1〜59]


1:比呂さん
 私の高校では射形にかなりこだわってます(会があまりない人が多いですが・・・)的中もそれなりにあり、県の強豪校とも言われています。
 そんな高校ですが、中てることだけを考えず、射形を第一に考えてるのですが、よく射形がメチャメチャで的中を出してくる高校があります、あげくの果てには「○○高校は射形だけだし・・・」とか言われる始末・・・。
 自分としては非常に腹立たしいというか、邪道だと思うんですがみなさんは射形や体配を気にせず的中だけを求める高校についてどう思いますか?

2:み〜さん
私はそのような学校は…嫌いです。
私自身早気でよく中てていたのであまり説得力はないのですが、現役時代に全国大会へ出て、他県の学校の試合風景を見ており、早気についてはなんだか恥ずかしいような、みっともないような気がしました。それと同じように、県内の試合で射型のあまりよろしくない高校を見てもなんだかみっともないような気がします。
私の場合、射型が綺麗で的中がない場合には不思議でなりません。射型は綺麗に越したことはないと思います。
印象が全く変わってきます。

…ただ見た目だけが美しい射というのも微妙ですがね(^^;)

3:翔さん [url]
もし本当に其の高校が中りだけを求めているのなら私も好きにはなれないですね。

だけど、的中が続くというのなら射が良くも悪くも安定しているという事なんじゃないでしょうか?
そんな意味では必ずしも的中だけを追い求めているわけではないと思うのですが・・・・。
もちろん悪いまま安定しっぱなしではいけないと思いますが。

まさかきちんとした指導者の方が矢が前に飛ぶ人に初めから『前に飛ぶ分後ろ狙って中てなさい』と指導される事はないと思うのですよ。
(そのような方がいらっしゃられたらかなりショックです。。)


でも観てる方としてはやっぱり正しい射で中っている方が見てても気持ちがいいですよね。
綺麗なのに中っていないと、自分を棚に上げて“見た目だけなのかな”なんて失礼な事を思ってしまいます。

4:秋桜さん
僕もそのような学校は嫌いですね。
現に僕は大学弓道のほとんどが的中のみで、それが嫌だったため地元の弓道会に所属しています。
どんなにあたっても会がなかったり残身がなかったりすると正直変ですね。的中するだけなら正直簡単ではないでしょうか?
基本の射形を保持しつつ的中するのがいいですね。的中は結果であって綺麗な形を出すのがいいと思います。

5:はやさん
あたりにこだわるにしても、射形にこだわるにしても、一生懸命努力する姿勢が大切ではないでしょうか?また他を批判するよりも、自分は自分でいいでしょう。周りばかり気にならないように、もっと頑張ってみてください…。

6:デビさん
>>1 比呂さん
みんなに「嫌いだ」って同意してもらえれば満足ですか? 

あなたの学校が射型にこだわるのと同じくらい、相手の学校は中りにこだわっているのではありませんか?
相手が「「○○高校は射形だけだし・・・」と言われているコトに対し「××高校は中りだけだし・・・」と言いたいに過ぎません。(直接書いてはいませんが、そういうことでしょう)同じレベルで喧嘩しても無駄です。

「射型だけだ」と言われても結構、こだわりがあるのなら何を言われても関係ないじゃないですか。言われて腹立たしいと感じるということは所詮大して射型にこだわっていないのですよ。

私は中りだけの学校も嫌いでもないですし、駄目とも思いません。きっとその学校の生徒さんも中るために一生懸命練習しているでしょう。悪いところは目立ちますが、良いところを探して参考にしましょう。

感情論だけの質問は進展がありません(同じ土俵で無駄な争いをするだけ)。控えていただけると助かります。

7:今年から斜面さん
テビさんにはいつも感服しますね(^-^) 中りだけ 射型だけ おおいにけっこう しかしせっかくやるなら誰にもけち付けられないよう、どっちも身につけないと

8:比呂さん
 ただ単純に言うと「学生の弓道は中りさえすればいいのか?」ということで、学生弓道の意義を考えたかっただけです
 高校弓道ではどんな射形でも中れば勝てます、しかしそうだと〔弓道〕ではなく〔的当てゲーム〕のような気がしてならなかったので書き込ませていただきました。

 デビさん、すみませんでしたm(_ _)m

9:デビさん
了解。ちょっと最初のコメントからはその趣旨が見出せませんでした。次回は最初にそのコメントをよろしく。

比呂さんはメチャメチャな射では勝てないと考えているのであれば、自分たちの射を信じて、綺麗な射で証明するようがんばってください。何を言われようと気にしない気にしない。

10:葵使いさん
「的中てゲーム」も弓道の本質の一つなんだけどなあ。と。

11:麻子さん
弓道を武道と考えるかスポーツとして考えているかの違いではないでしょうか。
教本第一巻にも「的中だけが目標ならそれは弓術であり」とあります。やはり「道」とつくのですから、的中のみを求めるのは日本の歩んできた弓道とは違う気がします。比呂さんの言いたい事はそうゆいことだと私は思いました。

しかし、的中のみを求める所があるのも学生弓道ではしょうがないと思います。例えば野球で高校球児が甲子園を目指す。学生弓道も同じではないでしょうか。やはり試合、大会に勝つには的中が全てなのですから。

12:しまのさん
的当てゲームをしてる人たちに的中で負けないように弓道を頑張って下さい。負けてるうちは何を言われても文句は言えません。臥薪嘗胆です。

13:半平太さん
的を狙って矢を放つ以上中ったほうが良い。
安定して中てる為には理に適った射形が良い。
人の悪口は言わぬが良い。
「発して中らざる時は、即ち己に勝つものを怨みず、返ってこれを己に求むるのみ」ですね。

14:深夜の独り言さん
弓道に限りませんが道のつくものは10年20年で大成するものではないのですから。高校生なら若干三年,長くて六年くらいでしょうか?弓道を始めて○年の人が試合・大会に出れば○年の射で勝負するしかないのです。
指導者の有無にも因りますが,「射形がメチャメチャで的中を出してくる高校」の生徒の射だって,誠を尽くした結果でその時点で精一杯の射なのではないでしょうか?決して射形を軽視しているわけでも,完全なる的中主義でもないと思います。

私自身恥ずかしながら弓道を始めて1〜2年の生意気盛りのときは,部員(特に自分と同じもしくは自分以上的中がある人)の射の批判をしました。的中のある人への羨望も少なからずあったからだと思います。
歳が経つにつれ,また弓道の修練を積むほどに,他の人の射が「その人の一所懸命」というのを私に伝えます。この先弓道を続ければ今よりもさらに他人の射から学ぶことが多くなりそうです。

15:にっしーさん
試合って、一発真剣勝負!結果が全ての世界、そこには何の言い訳も挟む余地は無し。だから面白い。
学生の時くらい、中りにこだわれる時期って他には無いと思うのは・・・私だけ?

中りの感覚(曖昧かな?)って、財産だと思う。
体配は練習すれば出来るようになる。射形も練習して行けばある程度は整ってくると思う。
ある種の中て(的中)の感覚みたいなものは、矢数を引く中で身に付く特別な物だと思う。
この感覚って、射形がどうとかそういうのじゃなくて・・
説明しづらい。

学生の武道としては、
礼儀正しくて、相手を思いやる気持ちを持てて、部活と勉強の両立が出来てれば学生武道としては成功です。
と、思うのはやっぱり私だけ??
でも、ニュースに出る成人式みたいには、ならないと思うんだけどなー。

16:ひなさん
私もそういう学校はどうかと思います。
それに弓道はもちろん、スポーツ全てにおいて礼儀を重んじる物だと思うので、他校に向かってそのような事を言う人の気しれません。
学生だから射形なんて、どうでもいいとかそう云う考えの人はそれでいいんですが、射形を美しくし頑張っている人に対して口を出すべきではないと思います。
むしろ見習うべきだと思うのに・・・
なんだか弓道人で、そういう人がいるのは何だか悲しいですね。

17:葵使いさん
それでネットで悪口言っていればまあ、お互い様ですね。

と、上の方に書いてあるわけですが如何でしょうか。

18:ACEさん
「心技体」ご存知ですよね?型が悪くても中る人は「技」があり、少なくともどこかに優れたものがある、と自分は思っています。
そのような人でもいずれは射型を求めるはずです。射型にこだわり、今現在は的中も求める比呂さんのように…。進む道は違えど、目指すものは「心技体」の完成。すなわち「正射必中」ではないでしょうか?中りをもって射型を求める。射型をもって的中を求める。この違いだと思います。長い目で見てみましょう。最も、自分も学生の分際でこのようなことが言える立場ではないでしょうが…(笑)「○○高校は射型も的中も素晴らしい」と言われるように精進しましょう。そういう高校があると自分ももっとがんばらなくては、と思ってしまいます☆
長文且つわけの分からないレス、失礼しました。

19:ひなさん
葵使い さんへなんですが、これは悪口ではなく私個人の意見なんですけど。悪口と思われるのは心外です。
言葉足らずだったのでしょうか。
それと
「「的中てゲーム」も弓道の本質の一つなんだけどなあ。」
そうでしょうか。確かに大会などは的中数で競いますが、それが弓道の本質だとは思えません。
射形が整っており、弓道の心を理解していれば、おのずと的中が上がると思うのではないでよしょうか。

20:ひなさん
最後の一文
「思うのですが」に。

21:斜面見習いさん
個人の考えとかあるでしょうか? 聞き手にとってそう感じれば悪口になってしまうのが事実でしょうね! また大会とか試合では中ててナンボの世界でしょうね。 確かに礼儀は必要(当たり前)。 しかし、大会でいくら綺麗でも中てなければ周りは認めてくれませんよ。 あの学校は射型だけだ!と悪口いう人間もその人に対して文句を此処で書いている人間も僕から見れば同じですよ。 ていうか文句あるなら此処で書かずに言ってきた本人や学校に直接言えば?と言いたい。

22:弦太さん
たしかに僕もそういうのは嫌いですね。
ですが僕だったらその悔しさをバネにして頑張りますね!比呂さん学校も頑張ってください!!そしてギャフンと言わせてやれぇ!!!!

23:ピコさん
射型が綺麗でもきたなくても当たりは当たりです。社会人はともかく学生の間は三年間しかありません。当てなければ選手にも選ばれません。これが現実です。まぁ、射型が綺麗でなければ当て続けることもできないと思いますが…。

24:ひなさん
比呂さんは他校の人に不快感を覚え、ここに来ている皆さんにこういう学校はどう思いますか?と意見を述べただけで、ここで文句を言っているようには感じられませんでしたが斜面見習いさん、どうでしょう。
それと悪口と聞き取る方にも問題があるのでは?
他の皆さんはどう思いますか?
私の我がまま(自己中心的な考え)なんでしょうか。

とにかく比呂さんには、これからも弓道を頑張り射形を大切にしていってもらいたいです。

25:斜面射手さん
アドバイスはいいですけど。
もう、水掛け論みたいなのはやめましょう。

26:デビさん
意見と悪口は表裏一体。「私はXXさんを馬鹿だと思う」という意見も有りですか? もちろん無しです。悪意があると読み取れればそれは悪口だととられます。「イエイエ、それには悪意は無いんですよ」と言っても信用されないでしょう。

このスレッドは私が >>6 で釘を刺したように、最初の書き出しが感情的な書き込みですから、そういった感情論に走りやすい話です。感情論の多くは何も生み出しません。意見だ、悪口だって話はどうでも良い話で本論ではありません。

もし議論を進めたいのなら
>>8 で比呂さんがきちんと再定義していただいたように
>「学生の弓道は中りさえすればいいのか?」という
> ことで、学生弓道の意義を考えたかっただけです

という学生弓道の意義というポイントで話を進めていただきたいと思います。よろしく

27:くすねさん
「中りさえすればいいのか?」
これはちょっと極論過ぎますが、中らなければ何も言えないのも学生弓道だと思います。

28:義智さん
ちょっとごめんなさい。毎度長文でお馴染みの義智です。

より実践的(実戦的)な射を真剣に勉強、練習されている方もいらっしゃると思います。人知を超えた的中の先に見えるものもあると思います。
的中するだけなら簡単?そんな事は無いでしょう。その気持ちは実戦流派の方々や、アーチェリー選手に対する侮辱だと思います。
「的当てゲーム」という言葉は、どこか相手を挑発してますし、失礼な気がします。本当に中る人達がゲーム感覚で練習しているとは思えません。

何より、的中にこだわらないというのは、中らない事に対する言い訳に聞こえたりする事があります。
私もにっしーさんと同じで、もっと的中にもこだわっていいと思います。野球でいうなら「父さんは昔、甲子園にいったんだ。」というように、全国大会に出場する事、またどんな大会でも優勝する事は自分に対する自信につながり、その後の人生においても大切なものとなると思います。

しかし、的中より礼儀作法が大事といいながら、礼儀が出来ている人は稀は気がします。悪意のある批判、愚痴、文句、言い訳、感情論は感心しませんね。比呂さんはメアドを公開している時点で、自分の発言にきちんと責任を持っていると思います。素晴らしい。

29:ひなさん
義智さんの意見に凄く共感しました。
そして私の意見はただの感情論でしたね。すみません。

この場で改めて「中る」の奥深さを身にしみることが出来ました。あと「中る」と「射形」は別々のモノではなくて同じモノの様に感じてきたのですが、皆さんはどうですか?

とにかく比呂さんには「中る」「射形」両方を大切にしていって欲しいと思います。
それと、他校の人が何を言っても気にしないで自分の弓道をして欲しいです。

30:義智さん
何の為に射形にこだわるのでしょうか?
長くてイヤという方は最後の辺りだけでも読んでくださいm(__)m

いや、私の通っていた高校もキレイな射形にこだわっていました。
でも、何の為に……。
正しい射は中る→正しい射は美しい→だから、キレイな射は中る。…最初と最後で少しずれている気がしますが、
結局私は的中の為に射形にこだわっていたのか?
あるいは、射形が汚いと周りから非難されるから?
両方でしょう。。

私はギターを弾きます。エリック・クラプトン、ヴァン・へイレン、ジミ・ヘンドリックス…彼らの演奏フォームはキレイというより個性的。誰にも真似は出来ないという点で、「正しい」フォームとは離れているかもしれない。しかし人々の心を捉えて離さない。

美とは何か?美しい射形とはこだわって出すものではなく、人の内面から自然と現れるものだと思います。
引き分けや会、離れがどうこうというのは、キレイな射。
周りを気にせず、ただひたむきに練習をし、的に向かい懸命に弓を引き絞るその姿こそが美しいのでしょう。
中る学校は個性的な射形かもしれない。しかし、必死に弓を引く姿は美しいと思ます。

私が母校でしていた射は美しい射ではなかった。あたりさわりのない、ただ人から注意されないためだけの、ただキレイなだけの射でした。人目ばかりを気にして的を見なかったのです。弓に気持ちを傾けなかったのです。
キレイな射の的中の低さはおそらくここではないでしょうか。フォームを気にするあまり、根本的な事がおろそかになってはいないでしょうか?
誤解を恐れていうなら、キレイな射も人間関係において重要だとは思います。

31:義智さん
>ひなさん
共感して頂けてありがとうございます。私も過去の発言で、反省しなければならない部分が沢山あります。それにしても、自分の非を認めるというのは、とても辛い事ですよね。

>「中る」と「射形」は別々のモノではなくて同じモノの様に感じてきたのですが。
私は的中と射形はあまり関係ない気がします。それは学生弓道が証明しているかとおもいます。これが現実ではないでしょうか。日本人は見た目にこだわる民族です。射形をキレイにするというのは、的中のためというより、嗜好によるものかもしれません。
でもホントの所はわかりません。日本一的中する射を見たことないので…上手く答えられなくてすみません。

32:斜面見習いさん
的中と射型ですが、これが正しい!と言うのは無いと思います。
学生弓道という短い時間(三〜四年)では、両立した射はなかなかできないでしょうし。 また、これが間違いというのも無いと思います(言い方悪いですが) 各個人、学校により取り組み方が違うのですから。 ただ、違う視点から言うと、何も知らない一般の方が弓道の試合を見た場合、的当てゲーム(ゲームという表現はよくないですが)と思います。 理由は何も分からないから射型が綺麗ともわからないし、スコアのみで判断するからです。

33:虎鉄さん
「美しい射」と「キレイな射」についての内容に感動しました!キレイな射というものは、人に見せる力はあるけれど、人を魅せる力はあまりない。だけど、美しい射には、人を魅せる力がある!的中を考えず、格好だけ取り繕うとしたって、それは仮初めの射なのですね。しかし、弓道においては的中を考えることは邪とされます。でも、邪とされる的中に対する欲とは身体からにじみでるものであって、内に秘めたる闘志たる的中に対する思い、は必要ではないでしょうか。こんなこと言うと批判をあびるかもしれませんが、正直な気持ちです。

34:電さん
私は的中と射形は関係すると思います。
関係がないのなら「正射必中」なんて言葉はできないでしょう。

そもそも射形というものがなぜ出来たかを考えれば、
弓を引いて的を狙うという弓道の大原則がある以上、
的中を得やすい技術として考えられていったはずだと思います。

そんな射形が何故美しいと言われるのかと言えば、
「機能美」だと思います。
外見的にも、中に伝わる力の働き的にも、
一つの目的の為に洗練されたものには、
自ずと機能美が備わって来ると思います。

例えば、スポーツカーなどは走行の為にああいう形状になるわけですが、
(フェラーリの空力デザインなどがわかりやすいかと)
走りの為に洗練されたデザインは正に機能美ですよね。

弓道の射形もそういったものではないでしょうか。
的中を得る為に技術が洗練され、それが機能美として認識される。
そう私は思っています。

>義智さん
>でもホントの所はわかりません。
>日本一的中する射を見たことないので…

私大学生の頃は一応全国でもトップレベルの大学に所属しておりましたが、
学生といえども、最も中る部類の人間は、
(4年間通じて試合で9割以上中り続けるような人間、一時期だけ中ったような人間や練習だけ中る人間は含まない)
やはり基本に則った綺麗な射形の人ばかりですよ。
会も長く、離れも力強さやキレがあります。

まぁ、それだけ中る人間も大学生の中でも一握りですが(苦笑)
(多分全国に20人いるかいないか程度)

35:電さん
あ・・・、自分で見返して誤解を受けそうな一文があったので訂正を(苦笑)

>的中を得る為に技術が洗練され、それが機能美として認識される。

的中を得る為に、技術の向上・開発があり、
結果として、射形というものが考え出され、
さらに長い時間を経て様々な人の手で技術が洗練され、
それが見た人にとって美しいと認識されるようになり、
美しい・上手い射形が中ると言われるのは、
それが機能美であるが故ではないのか、
という事です。

36:葵使いさん
一晩のうちに大体話がまとまってしまったようです。
一応、いくらか私の意見を書いておこうと思います。
繰り返しにしかならないかもしれませんが。

「的中てゲーム」と弓道の本質について。
もちろんこれは弓道の「本質」全てではありえません。
が、その一つではあると思っています。言葉が悪いですけどね。的中を目指すと言い換えましょうか。
端的に言えば的中が必要ないのなら、的を掛ける必要もありません。射流しでもしていればいいんです。

我々の行う射法と言うものは、すべからく的中の為に最適化を繰り返して形成されてきました。決して「引いている形」を作るためではありません。
体配もまた、呼吸や精神状態を制御するためのものです。

「射形を整えた。すると中った。」
それではその射形は何を目指して整えていけばいいのでしょうか。
先人の射でしょうか。師の教えでしょうか。
教わるままに整える射で弓道という道を自ら歩んでいると言えるのでしょうか。
的中は考えず、まずキレイな射を。というのはそういうことのように思えます。
的中を目指すからこそ師に教えを請い、合理的な形を目指しているのではないのでしょうか。

的中だけを考えていては、畢竟行き詰まります。
それは誰でもわかること。
そして的中のことを考えなければ、やはり先は見えないのだと思います。

もうちょっと続きます。

37:葵使いさん
中て射の射手よりも中らない射手がいるのなら、
それは表面がキレイだとしても、弓と矢を扱うという点においては精神面も含め、
確実に前者よりも非合理的な射です。
これは断定させていただきます。

武道であれスポーツであれ、我々が行っているそれを極めようとする姿勢になんら変わりはありません。礼儀作法ですら究極的には体配をよく行う為のものだということが出来ます。
弓と矢を通じて精神修養をしたい、と考えるひとに取っても、その肝心の弓と矢をおろそかにして精神を修めることはできないでしょう。

私たちは、「的中主義者」と「射形重視派」とで争いをしているわけではなく、
皆弓道を向上しようとしているのであって
全ての他人は必ず私たちの師であるはずです。

弓道を極めるのに学生の数年では短いのは当然ですが、
果たして一生を費やしたところで道を極めた人間は未だ現れていないようです。
まだムリだから、学生だからこの辺で、と妥協しても始まりません。
学生生徒も一般も立場はみな同じはず。

がんばりましょう。

38:義智さん
あーうー、葵使いさんと似たような考えに至ったようです。けっこうかぶります。ごめんなさい。。

>電さん
レスありがとうございます。

【機能美】機能本位で余分な飾りもない所から感じられる美しさ。
これを的中本位で余分な飾りもない所から感じられる美しさ、と言い換える事はできないでしょうか。

そこですみません、もう一つ知りたい事があるのですが、的中を追及した結果、射形がキレイになったのか。それとも、キレイな射形を追求した結果中るようになったのか、という事です。

これは私の仮説なので違ってたらごめんなさい。
中る人は射形がキレイ、だから射形がキレイだと中る、という逆説は成り立たないと思うのです。
なにより、中る人は会が長いから、会を長くすれば中る、射形を整えさえすれば中るのだ、といった安易な考え方は少し危険な気がするのです。正射=キレイな射なのではなく、キレイな射形は正射の要素の一つにすぎない。真に機能的な物は美しいのであって、美しいものが機能的、というわけではないのではと。
つまり、電さんの大学では、的中のみをとことん追及した結果、無駄のないキレイな射になったのではないか、と考えてみました。

スポーツカーは確かに機能美だと、私も思います。
しかし、野球のメジャーリーガーはどこかクセがありますし、クセのある射でも中る方はいらっしゃいます。
ちょっと分からなかったので、機能美という言葉は人間にも言えると仮定して、考えをまとめてみました。

39:電さん
>義智さん

私も似たような考え方ですよ。
ちなみに引き合いに出したのは、
私の大学ではなく、そういう高レベルの大学の中の、
さらに高レベルの人間限定です(苦笑)

ついでですが、メジャーリーガーを引き合いに出すのはどうなんでしょう?(笑)
野球の場合はタイミングを外したり、
どこに来るかわからない球に対処したり、
クセが逆に武器にもなりえる世界ですし、
機能美という意味での比較対照としてはどうかと(苦笑)

40:道民さん
 鳥の模型は空を飛べますか?動力がなければ飛べないですよね。つまり働きがあっての形であり、射形からアプローチしようと思うならば、形を作った後になぜその形になるのかを検討する必要があると思います。たとえば大三を拳だけで形づくったとして、そこから手先の力を抜いて、上腕や肘の張りだけで維持する練習をするとか

41:義智さん
的中を求めれば、射形はキレイになるのではと、書きました。
で、今度は視点を変えて考えてみると、射形から整えていくというのは、変なクセをつけないですむという点で、後々が楽かもしれません。

学校の話を飛び出して、的中と射形の話になってしまいました。すみません。
弓道にも色んなやり方があります。全ての学校が射形を重視するというふうに、画一的になってしまうのは弓道界の衰退を招くおそれもあると思います。考え方が違うからこそ見習える部分があると思います。
的中を求めている人は、不思議と周りから叩かれます。だから、掲示板でもなかなか的中を求めた世界の話を聞くことができません。それはさびしい事だと思います。

的中だけを求める学校についてどう思うかという事ですが、確かにみんな同じ考えなら、争いも無く平和かもしれない。でも、皆同じ考えを持つことはありえない。
だからこそ、的中や射形だけでなく、考え方の違う相手をむやみに馬鹿にしたりしないよう、相手を思いやる気持ちなども持って欲しいと思います。

42:弓道大好きさん
個人的な意見を述べさせてもらいます。
昔弓道はその人の「人格」を見るひとつのモノサシだったそうです。

私も最近まで知りませんでしたが…道場などに飾ってある
「礼記射義」の文章はほんの1部で、中には政府の要人や地方の
行政官が主宰する射会の事なども書かれているそうです。

そこには、正しい礼が出来るかどうかを「勤務評定」される場であった
と書かれているらしく、民を公平正大に取り仕切る事が出来るかどうか、
尊敬・敬愛・互譲・思い遣り等の仁の心を持っているかどうかが、
その射会や宴会などを通して評価されたそうです。
「礼」にも、失礼・無礼・虚礼など色々あると聞きました。

弓道の本質が「中てる事」だと私は思っていません。

私もまだまだ未熟者ですし、他人に意見を押しつける気もありません。
ただ、同じ的中でも「質」…という意味で考えると、
「五段階の的中」があると言われます。それは十文字にもあるそうです。

形がキレイなのに中らないのは、見かけではわからない
力のバランスや伸び合いなど…
どこかに悪いところがあるからだと思います。
正しい力で無理なく引いた射形は、
「意識しなくても美しい」と私は思っています。
そんな姿を目指して、私は弓を引いていきたいと思います。

結論を書きます。
学生弓道が「中り」さえあれば良しとされ、
生徒も疑う事無く従っていく世界なのだとしたら…
「私は学生時代に弓道を始めなくて良かった」としみじみ思います。

43:熊本人さん
僕等はおもいっきり的中重視ですよ!批判もかなり受けますね。でも気にしてないです。僕等の座右の銘は中てれば官軍!邪道と言われたっていいです!射型がきたないってことくらい自分達が一番知ってるんですよ。でもこれだけはわかってほしいんです。射が汚くて中たるところはどんなに射型がきたなくてもそれなりに中たる理由があるから中たるんですよ!だからそういう高校を見て何がよくてそんなに中たるのか、理由を探してみてください。きっとただ認めないだけよりはいいことがあると思います

44:半平太さん
中りも射形も、どちらだけで良いということはなくどちらも必要なはずですよ。
今手元にありませんが、教本の1巻で故宇野要三郎範士が、確か「弓道の要諦」と言って以下のことを仰っています。(細かい表現は違っていると思います。教本で確かめて下さい)

1.射技、射形の修得
2.正しい体配の修得
3.射品、射格の練磨
4.人格の形成

中りも射形も、1番目にあたると思いますが、大きな目で見れば弓道の入り口であり、また最後まで追及すべきものでもあり、どちらも必要です。
同時に弓道というものは、形や中りだけはないということも心に留めて頂きたいと思います。

私は今まで沢山の素晴らしい射を拝見しましたが、それは射形だけでなく入場から退場までの全ての動き、また射手の発する気といった見えない物全てが射だと思います。

これまで高校生の部活ということで皆さんポイントを絞って仰っているのだと思いますが(私も前のレスではそういう前提で書きました)弓道とはもっと奥の深いものだと思います。
結論としては、中りも大事、射形も大事、またその二つだけでも足りませんということです。

45:粋人さん
私も一言述べてみたいと思います。
弓道へのアプローチはどういう方向性が合っても良いと
思います。
この学校ではこの方針で、考え方で進めていく。
この弓道会ではこの方向性で、または流派で進める。
その方向性を一にしてメンバーが努力していく。
そして的中重視でも、射形重視でも両方でも
その集団の方針次第で頑張っていくのが一番ではないかと。
だいたい、弓道というものがこういう方向を目指さなくては
いけませんなどと教義的なものはやはり
じぶんでなにが重要かわからない人にわかりやすいように
決めたことなのだろうなと感じます。

その集団の方向性というか作戦を考えて修正しながら
いろんな勉強をしながらやっていくのが
本来だろうなと思います。

46:道民さん
 礼記射義についての話が出たので、述べさせていただきます。教本の文章は、弓道大好きさんが述べたとおり一部でしかありません。そして残された文章には、天子が主催する射会の様子が書かれているのも弓道大好きさんが書いたとおりだと思います。しかし一番大事な部分が欠けています。
 それはこの射会が天子が臣下を抜擢する方法についての部分です。実際に原文を読んでいただければ判っていただけると思いますが、一番重視されたのは的中です。的に中れば抜擢され、領地も増えます。しかし的を外すと領地は没収、その身は罪人として処罰させられるのです。そのなごりで日本でも江戸時代大名達の事を諸侯と呼びました。諸侯の「侯」は「的」という意味です。
 もちろんその前後動作(弓道でいう体配)も大切にされたとは思いますが、それ以上の評価を的中に与えていたという原文の意味を損なってはならないと私は考えます。

47:練心魂さん
学生の一人としてここを見てかなり考えさせていただきました。
僕の高校は両立を目指しています。試合のメンバーを決める時も的中のみではなく射形もある程度整っていないと選ばれません。
その理由は先生曰く、緊張するとよほどしっかり自分の射を覚えていない限りはいつも通りの射はできない、きれいな射ならばわからなくなっても、きれいな射形を目指せばいつも通りになる…だそうです。
うまく伝えられませんが…。
でも実際に、僕の周りの射形のいい人は練習でも試合でも安定した的中をしています。
「的中がよくきれいな射」
結局は弓道をしているほぼ全ての人がこれをめざしていますよね。経験が薄い学生時代はどちらかに偏っても仕方ないでしょうが、「射形重視」「的中重視」という様にどちらかを重視すると、少し遠回りになってしまうのではないかな?というのが僕の考えです。
若輩者故、言葉などがいたらないところがありましたらすみません。

48:1さん
削除されました。

49:麻子さん
私は「中て射」というものがあると思います。やたら中る人っていますよね?ですがそれはちゃんと中るべくして中っているのです。力の流れが正しければ中るのです。ですがそれを「正射」とは言わない場合もあるでしょう。
「正射」とは先人が築いてきて辿り着いた一番良いとされている射の事です。それを目指してやっていれば時間がかかるかもしれませんが「正射必中」に辿り着くのでしょう。
しかし手っ取り早く中るために中てる射形をする人もいます。それを正しくないとは言いませんが、中らないから射が汚いと言われるのが我慢なりません。

50:塩ビさん
中て射は本当に酷い人は酷いですよ。
射位から離れで足が浮くのに離れを変な方向に切ってプラマイゼロにして中てたり、
会に入って後ろを向き、肘を入れてから狙って離れる、
一見してすぐ解るほど立ち札の完全に後ろに立って中てる、
などどう見ても中らないけど射型重視の射より汚いです。
確かに中らない射にはどこか欠陥がありますが、汚いとは絶対違います。
弓は中ってこそ弓だと思いますが、真っ直ぐ速い矢飛びで中らなくては弓の意味がありません。
もし射型がよく半矢ほどしか中らない射手と、八割ほど中る中て射の射手が
的の距離を変えて的中を競ったらどうでしょう。
多分射型のいい射手はそんなに中らないもののそれなりには中るでしょう。
反対に中て射の射手は急に的中が下がると思います。
中て射の射手は速い矢を飛ばすことが出来ないため矢が落ちます。
また普段真っ直ぐ狙っていないため狙いが違うからです。
結局、中て射の射手は金的競技では強い選手であっても良い弓は引けないと思います。

51:弓道大好きさん
道民さん、
まだまだ勉強不足なので、足りない知識を補ってもらえる
意見には感謝します。ありがとうございました。

そこで改めて考えたのですが、

一番重視された「的中」が欲しくて「狙い」を替えたりする
人がいたかもしれません。だから昔から、射手の「射を行う態度」や
「姿勢」や「射そのもの」を観ることによって、その人の人柄や
人徳を観れたのでははないか…という事です。

その人の考え方や弓に対する姿勢が「射」に現れるという点では、
実際に射会へ行くと私も納得できます。

弓を引く事は人格完成に向けての修行の道だとよく聞かされます。
射は、基本の通り正しい事を自分に求めて、
我慢をしながら努力をしていくものだ…とも聞きました。

中ったからといって正しく引く事が出来たかどうかは別です。
…が、「正しい射」を自分だけで判断するのって難しいですよね。
私もまだまだ、答えを探し中です。

今の時点での意見では、
矢に要求されるのは「中貫久」だという事。

「中り」の部分に関してはともかく、
「貫通力」と「中る時期が続く」の部分を目指す為には、
安定した射形が必要になってくると思います。

私は、それぞれ考え方や価値観が違う事は当たり前だと
思っています。ただ、個人的に「芸術的な射」が好きなので…
そんな「美しい射」が見れなくなるのは寂しい事だと思います。

52:にっしーさん
あっ!弓道大好きさんと同じ意見!!

現代の弓道は昔のような戦争目的から、競技性が強くなりスポーツの要素が大きくなり、精神修行の性質から人間の育成目的が強い気がします。

当然競技となれば、的中にを優先させますからここで言う
「中て射」なる物が生まれるのでしょう。
勝負は勝つ為にするのですから。

ある流派に「中貫久」なる言葉があります。
「中」的中「貫」威力「久」持続性という意味ですが、
戦争してた頃は、中貫久が無いことは即ち自身の死を意味します。
そんな中で生み出されてきた物が現在に伝わっている射法でしょう。
現代は戦争の時代ではありませんので、競技をする上では「貫」の部分は極端に言うと必要ありません。
そういった中では、
(中りさえすれば良い)
と考える人もいるのでしょう。
私は、この3つの要素を求めようとするならば、
的中重視でも、射形重視でも最終的には同じ所に行き着くと思います。

最近こんなことを考えます。
(昔の人はどんな気持ちで修練してたのだろうか?)
きっと、自分が死なない為の練習をしてたんだろう。
そんな事を考えると、学生の試合に勝つ為の的中主義に
似てるなぁ〜。
なんて思ったりしてます。

私は学生の頃は射方八節を理解した気でいた、今は射法八節の奥深さを再認識させられた。
(この射法を本当に理解し、実践している人は何人くらいいるのだろう)
そんなことを考えてます。

個人的には、
こんなことを考えるのは後でいくらでも出来るんで、
学生時代くらい的中で頭が一杯になるくらいこだわっても良いのではないでしょうか?
試合で活躍することだけ考えても良いじゃないか。
形がどうあれ、全身全霊を賭けて勝負した者に
劣る勝るは関係無いよ。
いわゆる「中て射」といわれている人が、
将来「中て射」してるかなんてわからない。
人の考え方なんて、時と共に変るものですよね。

53:よっくんさん
学生は中りが何より大切だと思います。しかし、全国で入賞するような人たちは射型がきれいな人が多いように思います。中て射の人は中りますがやはりそんなに無茶苦茶あたるという人は少ないように思います。自分が見ただけの事なので断言はできませんが・・・。

54:1さん
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55:比呂さん
久々に来たのですがすごいですね・・・。
みなさん貴重な意見ありがとうございました。

ひなさん、すごい元気づけられました(>_<)ありがとうございましたm(_ _)m

デビさん、ご理解いただけて光栄です、はじめに変なことを書いてすみませんでした、また遅れてすみません。ありがとうございました

56:くすねさん
弓道始めて的前に立ち始めた頃、的中に一喜一憂していた時期が必ず誰しもあったはずだと私は思います。
中るうれしさを感じずして弓道を長年続けることができることができるでしょうか?
大学生時代に師匠から聞いた話ですが、的中を追い求め、初めて見えてくるものがたくさんあると言うことでした。
実際に学生時代7年間(高校大学通して)試合に勝つことだけを考え、何度も的中に伸び悩み、考えたのは八節の確認でした。

57:1さん
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58:1さん
削除されました。

59:高2さん
僕は選ばれませんでしたがたくさんの収穫がありました。最初そこは中て射の人ばかりだと感じましたがその中の大半の人にはちゃんとした理由があるんだと分かりました。引分けから会にかけてが射型にこだわっている人よりも力の配分がうまく伸合い詰合いがしっかりしていて五重十文字も出来ていました。射型が良くて中らない人はそこが欠けているんだと思いました。逆を言えば射型がいい人はこれらをもっと意識すれば中るのではないかと感じました。本当に微妙な違いだけど試合ではこれが勝負をわける大きなポイントとなることを痛いほど感じました。


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