自分の射と我流 (投稿17件)[1〜17]


1:NOBさん [url]
一般で弓を始めてから、時々考えることがあります。
中ってナンボの学生時代とはちがって、中ってもかなり射に関して否定的な意見も聞いたりしています。
地連の講習会とかでも中る人でも「あそこがこう、これはどう」とかいろいろ口やかましく言われるそうです。
まあ、これはだいたい想像がついたことですが…

ただ、私の考えとしては、教本の射の通りの指導をしている今のありかたが「?」な時もあるんです。
人によってそれぞれ体格も違うし、骨格も違うし、その人にあった引き方を指導したりするのも必要かと思います。

私も先輩や先生方に指導して頂いて、その時に指摘されたことをベースにして練習しています。
ですけど、あくまでもそれはベースとしてで、ある程度は自分の体格や骨格、手の長さ、足の長さや指の長さなどを考慮して、足踏みの広さや大三の取り方なんかを自分の間合いを取り入れて、今の練習を行っています。

それは端から見れば「我流」の一言で片付けられてしまうことが多々あります。
ただ私はそれを自分の射として考えています。
学生時代はそのスタンスである程度の実績を作ったと言う自負もあります。でも今はその「我流」の一言であたかも邪道のように片付けられてしまうのがどうも納得いかない時があります。

まあ、私は練習の目標を的中と試合においているのでそうそう気にすることは無いとは思うのですけど、どうもその辺の「中るけど射がねえ…」と脇から聞こえてくる声に気になってしまって練習に身が入らない時もあるんです。

まあ、だからと言って自分の射を直す気は無いので気になることが未熟だとは思うんですけど…

皆さんは「自分の射」に自信を持っておられますか?
変なことを聞いて申し訳ありません。
ほとんど愚痴になってしまってお見苦しい投稿になって申し訳ありません。

2:斜面射手さん
いますね、そういうかたがた。
とりあえず、自分は自分の射に満足していない風な
雰囲気をかもし出しておけばあまり文句も
いわれないかと。

個人的には、満足な射ができたことが数えるほどしかないので、
それが毎回出せるようになるように練習していってます。将来うまくなる自信はあります。

3:空人さん
自分の射に自信を持っていないと試合でなんか勝てませんよ,自信が試合での緊張を解いてくれるんですから…まぁこれはあくまで自分の考え方ですから

4:半平太さん
勿論試合では中れば結果オーライですけど、講習会などでは将来のことを考えて指導していると思うので、そのとき中ったか外れたかで指導内容が変わるほうがおかしいと思います。
逆に、講習会に参加してただ誉められて帰って来てしまったら勿体無いですよ(笑

骨格や体型で違うこともあるし、考え方によってもひき方の答えは一つじゃないと思います。前にこの掲示板でどなたかが仰っていましたが、「直せるのは射癖、直らないのは持ち味」らしいです。全弓連にもそれくらいの懐の深さはあると思うのですが。

あと、我流は他人に応用しにくいという弱点があると思います。そういう意味でも講習会で一般に通用する理論や射法を学ぶのは為になると思います。

自分の射に自信は・・・あまり無いですね。でも斜面射手さんと同じで将来上手くなると信じて練習してます。

5:Y.K.さん
自分の射に自信はあまりないです。
自分は一人稽古が多いのですが、そうすると
どうしても自分勝手に引いてしまって変な癖が出てきてしまいます。

教本の内容は、あえて言わせてもらえば
昔の射士の汗と努力の結晶なわけですから、その内容は
すごいものだと思い、十分に習うべきものでしょう。

中っても射が悪いと言われることは残念ですが、
せっかく客観的な意見をもらうことができるので
これまた十分に習うものがあるのではないでしょうか。

6:NOBさん [url]
みなさんのご意見ありがたく思っております。
もちろん私も教本の射に不満を持っているわけで無く、基礎を習って、それをふまえた上で今の練習をしています。
基本となる射がまずありき、それを自分なりに昇華させて今の射を引いているわけですから、イヤらしいくらい自分の射には自信を持っているんです。

やっぱり周囲のことは気にせず今のスタンスで練習に励みたいとおもいます。

7:にっしーさん
私も学生弓道出身なもんで、同じ悩みありましたよ。
私も我流で学生時代通してきました。
よって、審査も受けずに7年間初段のままでした。
一般入ったばっかりの時は、
「学生弓道の射をいつまでもするな!」
なんて、言われた時もありました。
ひねくれ者の私は、
(文句があるなら、俺より中ててみろ)
なんて思ったことも・・・。(お恥ずかしい)
今考えると、私は井の中の蛙でした。
 
ある時、今の道場の人に言われた事があります。
「所詮、弓道の社会は階級社会。
 段取らなきゃ、何言ったって説得力が無い」
その言葉で今までの我流の射に、
しがみつく事をやめて段を取る決意をしました。
私は、
(今までの我流でやってきたことが、射を直すくらいで中りが無くなるくらいなら、そんな物は偽物だ。偽物の射なら捨ててやる)
と自分に言い聞かせてきました。
しかし、我流でやってきた事は無駄ではなかったと、段を取るたびに、中りがでるたびに実感しています。

きれいごとにしか聞こえてこなかった諸先生方の言葉に耳を傾け、意味を考えるたびに射法八節の奥深さを発見しています。
今その発見が出来るのは、学生時代にひねくれ者であったがゆえに、何でもかんでも受け入れずに納得することのみを実践して我流でやってきたからこそと今は思えます。

私は、NOBさんのような方こそが段を取り、将来称号を取って指導に携わるべきだと思います。
いつかきっと我流でやっていく事の限界を感じる時が来ると思います。
その時もし行き詰まったら、私のような考え方をしている者も中には居るということを思い出して下さい。

8:弓禅さん
弓はただ 習ひのままを 教えなば 医書ばかり読む 薬師なりけり

〜個々の体格などの条件を考えず、またその本質を知らずに教え(教本等)をそのまま教えることは、医師に例えるとただ医書だけを読んで病気を診断するのと同じで、病を治すどころかかえって害になる。〜

確かに現在の教えは先人達の努力の賜物であり、見習うことは大切です。しかしそれは先人達の射を伝えているのであって、誰にでもピッタリ当てはまるとは限りません。ですからその教えをベースに、体格等にあわせて最低限度の変更を加えることは必要であり、我流ではないと思います!

9:甲矢さん
えっと、スレの内容からそれてしまう気もするのですが、NOBさんすんません。

えー、質問です。
我流ってなんですか?
弓道をやる上で、なんでそんな区別があるのですか?
我流や邪道、すべてが弓道ではないのですか?
あと逆に、弓道における我流以外の人は何者ですか?

10:ゆうさん
私は高校生ですが、教本をもとに先生方に指導していただいています。弓は人間が歩くように、考えなくても体が覚えていてできるようなものではなく、基礎も何も知らない私のような初心者の人は教本や先生方の指導に従うべきだと思っています。しかし、みなさんが言うように人それぞれ骨格や体格が違います。だから、みんながまったく同じ射を!というのは実際のところありえないのではないでしょうか?私は当たりを求めた射が良いとは思いませんが、

11:ゆうさん
少なくとも自分の体に合った最高の射こそが正射だと思って弓を引いています。逆に教本をまねるばかりで本当に自分に合った射ができていなければ正射必中ではないのじゃないかな?とも思います。とにかく自分の信じた道に進むことが@番ですね☆あくまで私個人の考え方ですが…長くなってすいません。

12:NOBさん [url]
一見傲慢にも見れる私のスレにご丁寧なレス、涙がでるほど嬉しく思っています。

ありがとうございました。

>甲矢さん
 私が高校時代、地元の先生にこういわれました「ただ的中のみを求めること、それは弓『術』にあって弓『道』にあらず、そう言う人はアーチェリーをやってください」
 で、的中を求めて偏った射になっている、(前肩ガッチリ、小離れなど)は否定されてしまいます。
だからすべてを含めて『弓道』と言う捉え方はなかなかされないようです。
 しかし、僕の地元の会長は、会長の個人道場に行っていた時に「君は射を充実させたいか?中るようになりたいか?」と聞かれて後者を選ぶと、偏っているけど無理無く的中を伸ばせる引き方を教えてくださいました。
 こういうニーズに合わせた指導もありかな?とも考えてしまいますよね。

13:斜面射手さん
そもそも何故人は的中の良い射手のあら捜しを
したがるんでしょうか。教え子ならまだしも・・・。
心から自分のことを思ってくださり、苦渋を飲む思いで
言ってくださる方もいると思いますが、たいていは
自分より勝るものを内心快く思わないという人間の
エゴではないかと思えてしまいます。

14:るんさん
(ご参考まで、全くの私見です)
>1 教本の射の通りの指導をしている今のありかたが「?」
教本一巻の図解では、3つの射法が紹介されています。
教本には、各流派の方々が載っており、各々射法を解説されております。教本の射の通りの指導をしているというのならば、私はなんら異議は見当たりません。

>人によってそれぞれ体格も違うし、骨格も違うし、その人にあった引き方を指導したりするのも必要かと思います。
その通りと思います。指導者というのは、その人の性格、体格等々を見て指導するものです。例えば、骨の長さが違うのはあたり前、十人十色ですね。その考え等々なくて、どうして指導できるのでしょうか。(不思議)

>12(前肩ガッチリ、小離れなど)は否定されてしまいます。
前肩ガッチリの意味は解りませんが、小離は、小離です。例えば大離れになるように引いてきて小離風(?)にするのとは訳が違いますよね。歴史から考えたって解るでしょうに、否定の根拠を知りたいものです。

>こういうニーズに合わせた指導もありかな?とも考えてしまいますよね。
ニーズに合わせたというか、自由自在に対応できる指導であるべきと思っています。

>偏っているけど無理無く的中を伸ばせる引き方を教えてくださいました。
な〜んだ、ちゃ〜んとよい方がいらしゃるじゃないですか。

なにを目的としているかにもよると思いますが、信頼できる方の元、決して天狗になる事なく、謙虚、真摯な態度で稽古していけばよろしいのではないでしょうか。(的中っていうよりも、あんまり外さないね程度でよろしいんじゃないでしょうか)

なんとか雀というよりも、鳳を目指して見てはいかがでしょうか。

ん〜、どうもずれてかつ、一言多いですね。失礼!!

(頭ガチガチ塊より)

15:hayaさん
>自分より勝るものを内心快く思わないという人間のエゴではないかと思えてしまいます。

16:甲矢さん
↑ミスです
>自分より勝るものを内心快く思わないという人間のエゴではないかと思えてしまいます。
そう言ってしまっては、指導者の方々がかわいそうですよ(汗)


>弓『術』にあって弓『道』にあらず
それはNOBさんの地元の先生に私見であって万人に当て嵌められるモノぢゃないっすよね?なに言いたいかわからなくなってきたのでこれにて終了m(_ _)m

17:NOBさん [url]
えー、自分の投稿を読みなおして、なんか「中るけど文句言われる愚痴」みたいな投稿の内容で、すごく恥ずかしくなってしまいました。

ここで、良いわけじみたことになってしまいますが、私は自分が今決して「中る」とは思ってないです。

実際日々の記録もそう言うことを嘯くには10年早いくらいの情けないものです。
ただ、僕は単純に対象物があって、それを「狙う」競技なわけであって、やっぱりやるからにはそれを完全にはずさないようになりたいと考えています。

逆にそこにとらわれすぎて、痛い目を見たことも何度もありますし、自信過剰が井の中の蛙だったと言うことを思い知らされたこともあります。

今現在は私はまだまだ発展途上で、私が拘り、目指すことの所まではたどり着いていません。
だから、今は必死でまずはそこを目標にしています。

そこに行って見ないことにはその他のことは何も見えない気がするし、そこに行って見ないと、自分が目指している姿勢が果たして人から否定されるものなのか分からない気がするんです。

私の同級生や、私の先輩後輩で、9割5分を超える的中を誇った人たちは卒業後に弓を引いている人は誰もいません。
で、かすりもしなかった私はまずその状況を目指して練習をしています。

ひょっとしたら一生かかってもたどり着けることは無いかもしれません。
諸事情でその前に弓を引くことが出来なくなるかもしれません。
ただ、今引いている限りは、的中の多少で勝敗を決しつづけた高校、大学の7年間にやり残したことを追いかけたいと思います。
多分、何度も言うように偏って凝り固まっている私の射に対する考え方は、そこに行って見ないと絶対に変わることは無いと思うのです。

と、言うことで、今回こう言う投稿をして、皆さんのお返事をお聞きして、かなり槍玉に挙げられると思ったんですけど、すごく勇気付けられ、また、スゴク勉強になりました。
本当にありがとうございました


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