正射必中て何だろう? (投稿40件)[1〜40]


1:まりもさん
本当に正射をすれば中るのだろうか?

全日本弓道選手権大会では、県代表選手が行射をして、審判員に点数をつけてもらい、一次予選、二次予選と、決勝戦に進みます。しかし得点が多くても(最高得点者でも)半矢以上中てなくては、予選通過しません。

日本での最高の先生方が審判員となって、体配や基本の動作、射法八節を見て点数をつけます。いわゆる正射を見ます。県代表ならば私たちよりもいつも正射を行っているだろうし、高得点が出るでしょう。

でもこの大会で点数が上位になっていても、半矢切っていれば、予選通過しません。そんな選手が何人かいます。他の選手より正射を行っていても中らないと言うことです。ということは、正射を行うと必中というのはあるのだろうか?

2:道民さん
それはベストとベターの差ではないでしょうか?

3:ゆーさん
正射じゃないって事では? というより、誰しも完璧な射なんて会得できてないと思いますよ?(中て射、正射) だって、十段の先生でも、矢渡し外れる場合もあるのですから。 皆、目標は違えど己の中の正射を目指して日々頑張ってるのだと思いますよ。例え、射が荒くて的中が良い場合でも、それはその人が求めるモノが違うのだから否定はできないでしょうし。

4:熊本人さん
射だけで正射は決まらないって事じゃないんですか?僕もよく分かりませんが、正射必中は確かなことだと思いますよ!本当に大切な場で中てられなかったということは、やはり気持ちの上での何かがまだ足りていなかったとか、色んな事が考えられると思いますが、正射と言うには射以外の面で何かが足りなかったと言うことになるのではないのでしょうか。中てるべきところで当然のごとく中てられるという力も正射には必要なのだと僕は解釈しました(^^)

5:梅さん
の思想は100本引いて99本抜くことになってもそれが最高の射を求めた結果であり、120点の射が1回でもできるなら60点70点の射で妥協して中るよりいいというものだと解釈してます。つまり60〜70点(多少の問題点を内包している)でも中るところをあえて難しい120点の射を目指すから相対的に的中は下がる。その中で完成度の高い射を誰よりも安定して続けられる人が優勝するから名実共に日本一なのでしょう。4射皆中予選落ち、半矢で最高得点と言うのは半矢の中により完成度の高い射があり、皆中にはなかったということだと思います。高得点の1中予選落ちと

6:梅さん
というのは確かにその1本の完成度は高いし抜いたのも惜しいけどその射はまだあなたに十分身についたとはいえませんねという意味での予選落ちだと思います。この辺、一般の見解も分かれるところで「決勝を採点制にすべきか的中制にすべきか」という形で論議されているようです。ただ、いえることは的中率の世界である学生に選手権を引き合いに出して正射でも中ってないじゃないかというような議論はあまり意味がないかと思います。

7:まりもさん
正射って本当に難しいものなのですね。

皆さんの書き込みを見てて、前年度の優勝者で、高得点を出しても、的中不足で予選落ち。まだまだ正射に到達していないと言うことかな? いつになったら正射に到達して必中になるのかな?あーーーー難しくなってきた。

8:某大学OBさん
今のところ、弓は競技として成立していないというように見えますね
 フギィヤや体操ののように審判の採点で決まるものなのでしょうか 
 私は、ボクシングのように結果としてはっきり出る点は認めて、その後に採点があるべきではと思います
 正射必中といいながら当たらない弓を引いていることへの言い訳のように思えるのですが

9:半平太さん
まずは全日本選手権に足を運び、自分の目でしっかり見学してきてください。
見もせず記録だけでどうこう言うのは間違っています。
選手権優勝者の射を一度見れば、中らない弓を引いているかどうか分かるでしょう。

10:射楽斎Uさん
梅さんの言うとおりです。
そして、半平太さんのように、肉眼で生の大会を見てきてください。
空論ではないのです。
わたしも、20年来VTRを担いで通い詰めました。
そこで発見した世界の深さ・広さは、むしろ解説などしたくはないほどの世界です。
そして、自分があの舞台に立ち一箭に全霊を賭ける。
あの舞台でしかありえない世界があるのです。
私は、三度出場しましたが、あの世界以上の世界はありません。
どんなに、旅費・宿泊費をかけても十二分に元の取れる収穫があります。
前向きに、挑戦してください。

11:あすまさん
射楽斎U さんは出場されたのですか!!?
私は県の予選に出ているだけで…
でも私の所属県の予選は点数制で行っていて、一昨々年でしたか、自分の点数を見る事ができ愕然としました。
普段より体配に倍以上の気を使ったのに体配の点数は下から数番目、逆に射技では自分では納得いかなかったのに上から数番目。
県予選とはいえ、あの雰囲気の中で自分の100%の射をするなんてかなり難儀ですよね。全日本となれば尚更。
その年は前年全日本で入賞された方が県予選落ち。(的中不足)入賞経験者の方とかは特にプレッシャーかかるんでしょうね。そのプレッシャーをはねのけてこそ!なんでしょうが。

まりもさん、私見ですが俗に言う正射(必中)を100%とすれば、99%の射をしても外れる可能性が有ります。
50%の射をしても当たる時もあります。
数字だけの結果でどうのこうのは言えませんよ。特に全日本選手権は。

12:紫弓さん
私自身行きたくても時間が合わず行けなく話やビデオでしか実際は分からないのですがのやはり実力のある先生のようです。(^_^)
幸い私の通う道場に入賞された先生が在籍されてた方を含め数名おります。全ての面で本当に素晴らしい先生はいるのだと驚かされています。先生に近付けるように頑張りたいところです。(^_^)
射楽斉Uさんすごいですね。驚きです。(^_^)
私も早くて十年遅くて三十年後には出場できるよう夢は大きくもってます。

正射必中の例になればといいのですが。引けば最初から当たっているからそれに徹しろと言われます。もちろんしっかり射技教わります。何とも面白い話で私が知っている哲学のゼノンの飛ぶ矢は飛ばないと言う話(空間の中に物があることは認知しても運動は否定する→だから空間を点と一まとめにするから当たっている)と同じレベルの事を言われます。弓道もそう考えられるほどになりたいですね。(^_^)
正射必中を目指しがんばりましょう。(^_^)

13:某大学OBさん
言葉が足りづ申し訳ありません
前出のような不明な部分が出てくる競技は成立しないのではと書いたまでです
「正射必中」これは永遠のテーマだと思っています
 このレスが、続くことはいいことだと思っています、すばらしい射をする方に対して何も私は言うつもりはありません、周りを魅了するような射を見さして頂いたことはありますし、学生の射においても、強い人はしっかりとした射を引いています、当て射だけで99.…%中らないでしょう
 私としては、弓道は採点競技(射形の)で良いかどうかをこのレスで話してはと思ったままです
 横レスでしょうか、すみません

14:紫弓さん
射技はしっかり教わっているのは前提としたのですが極端な例を出しすぎましたね。こんな考えもあるんだと軽くながして下さいませ。すみません。
採点制については私はある程度的中を考慮しつつ採点制を支持する方です。しかし場合によって、二中者より束外の方が良いことがあっても良いかと思います。
あたりについては物理バランスが全てなので当たりの条件が続けば良いだけであんな射で、、、というのもありえます。
採点はいかにバランスの条件が正しく続き、いかに綺麗かによるかと思います。その中に体配も含まれています。
全日本選手権大会の採点は一通りの射を知っている先生が優劣が着かないように工夫して採点なされているようです。フィギアとは似ているかも知れませんね。(^_^)
まず実物を見ましょう採点制を含めても世界観がかなり変わるとおもいます。(^_^)
学生でしっかり引いている方と参加される先生の違いが射だけでもおぼろけに見えて来る筈です。ビデオでも何が違うのかがはっきり魅せているのが分かります。(^_^)

15:まりもさん
まりもです。皆さんの書き込みを見て考えました。
全日本選手権に出場されている射手は、正射を行っているように見えるし、当然行っているでしょう。

でも選手たちは、正射をしていると感じていないかも。まだまだ正射を目指しているので無いかと。俗に言う正射という高い壁を越えると、より高い壁にぶち当たる。その壁を越えてもまだまだ先には、より高い壁が待ち受ける。そんな気持ちでいるのでは。

私が見ている正射と、選手たちが目指している正射では、壁の高さが違うのでは。私がまだ見ることも感じることも出来ない高い壁があるのでしょうね。

私も一つ壁を超え、もう一つ壁にぶち当たり、選手たちと同じ正射と言う壁を見たいと思います。そこには必中があるのでは。

16:るんさん
競技とはちょっとずれますが、

あるところに目があまりよろしくない方がいらっしゃいました。当然、的はよく見えません。その方は、あまり的前には立たなかったようです。ある時、射礼をされたそうです。束中だったそうです。

また、ある方は(この方も若い頃はそれなり)高齢になり、目がよろしくない状態になり的中は落ちましたが、昔、ある方に言われた教えを思い出し、感ずるところがあり、それからは、かえってさわやかな冴えのある的芯に向かう矢がでるようになったとの事です。

私の思っている正射必中はこのような感じです。
しかし、弓が好きでなだけ、まだ門の前にようやく立っているだけの私です。(ある時、個人を十段としたら、今ののお前はどうなんじゃと云われた事を思い出しました)
m(_ _)m

17:にっしーさん
いろいろな意見があって面白いですね。
私も前々から、選手権の射の採点には疑問がありました。
昔、高校1年の頃に市民大会という小さな大会で、
一般の高段者が高校生より外すのを見て、
愕然とした記憶があります。
私はその時、段位に興味が無くなりました。
私は基本的には、中らない射は認めない立場です。
正射必中や中貫久・真善美と言った、最終目標を掲げるのならば、採点されるような射は的中することが必然と思います。
でなければ、武道ではなく遊技になってしまうのでは?
高校入学から7年後に一般で筑波大出身の稲垣源次郎先生の教えを受けた人に出会いました。
その先生は、「弓は中らなければ意味が無い」。
その人は、有言実行者でした。
その頃その先生は高齢であった為、12キロの弓を引いて、
学生たちより低い軌道で遠的を的中させたそうです。
その筑波大出身の人は学生時代、一度も先生の外す所を見たこと無いそうです。
残念ながら、その人はこの世にいらっしゃらないので、
実際に会って御話を聞くことはかないません。
私はその人の話に共感し、高段者にもそういう人がいた事を知り段位を取ることを決意しました。
昔の人は、教え子に「1日100射では上手くも下手にもならない、それ以上射て初めて上達する」と教えたそうです。
そのような、先人達が築いてきた弓の技術を、
なかなか練習することが困難な現代に、
射形での採点など何の意味があるのか疑問に思います。
私は、射形はどうでもいいとは思いません。
それはこの10年近く弓を引いて、十分に思い知る経験をしたからです。
試合などの大舞台は、弓の技術だけではなく精神力の強さも試される舞台だと思っています。
射形で高得点を貰って的中しない精神力の弱い人と、
射形で得点が低く的中する精神力の強い人との優劣を決めるこの大会に、残念ながら意義を見出せません。
私は、この選手権という特殊な大会については、
肯定的立場と否定的立場の人がいていいと思います。
これが、他のスポーツとは違う弓道ならではの、
珍しいケースだと思いませんか?

18:半平太さん
>昔の人は、教え子に「1日100射では上手くも下手にもならない、それ以上射て初めて上達する」と教えたそうです。

私は、選手権で入賞される方が外すのは、実際仕事や弓道関係の公務で忙しすぎてご自身の練習をする時間があまり取れないからだと思います。

勿論そういうのは言い訳だと言われそうですが、時間的に1日100射引ける人はどれ程いるのでしょうか?

でもはっきり言って、中ればいいのなら1日100射以上引けば、ある程度以上の人なら殆ど外さなくなるでしょう。

私は、語弊を恐れずに言えば一般の弓引きの気構えとして1週間引けなくても8割中る弓を目指すのが現実的だと思います。その為の正射必中だと思っています。

19:半平太さん
筑波大学の先生が仰った「弓は中らなければ意味が無い」というのは勿論正しいと思います。それは中貫久の最も基本的な要素ですので。(中らなければ貫通出来ない。中らなければ続いても意味が無い)

その先生の仰った真意は解りませんが、中ることは前提で、その上で射品や射格、もしくは射境と言われるものを追究していくのが弓道であり、全日本選手権で評価されている部分だと思います。

にっしーさんが仰った「射形で高得点を貰って的中しない精神力の弱い人と、射形で得点が低く的中する精神力の強い人」という部分は賛同できません。
強い精神力、心気の充実が伴わなければ本当に美しい射形は現れませんし、精神力が強くなくてもバランスが良ければ中るものは中ります。

本当にいい射を見れば、弓道を志す人間ならば必ず伝わるであろう絶対的な良さ、美しさ、力強さがあります。そこを感じて頂きたかったので、先のレス9では、まずは全日本選手権に足を運び、自分の目でしっかり見学してきてくださいと書きました。

20:斜面見習いさん
己が目指す事であり、他人から否定されたり、するモノではないと思います。 にっしーさんがどれだけ偉い方かは知りませんが、弓道をしてる人全てが同じ考えではないので、遊技だ!などと言えるのでしょうか? そういった中らない人をバカにしたような言い方だけは許しがたいですね。 有名な十段の先生方でも、外す時は外します! 射(道)を完成させるために皆頑張ってるのだと思いますけど。ああいった台詞は射を完成し、絶対100%中たる人が言えるのだと思います。 先生の言葉を借りてあなたが言う事ではありませんね。

21:にっしーさん
大変よい話を頂きました。
ありがとうございます。
機会があれば私も、見学に行きたいと思います。

また、残念ながら的中を伴わない射は意味が無いという、
考え方は変わりません。
もし、そのような考え方を持った尊敬できる人に、
出会えば変わるかもしれませんが・・・。
私自身、的中はバランスや練習量だけで身に付くと思っていないからです。
今まで試合に対して本気で取り組んできて、
勝ち負けは、すべて実力でのみの結果だと実感したからです。
だから、これからも的中にはこだわっていきますし、
的中の伴わない射形の採点に関しては、
受け入れられません。
それは、私が見出した弓道を続ける意味だからです。

補足しますが、
私は半平太さんの意見はそれはそれで、
弓をする意味になっていると思います。
私と半平太さんの弓へのアプローチの仕方が違うだけだと思います。
また、それも間違い無く弓道ではないですか?

22:ゆんゆんさん
そう思うのなら『遊技』と言う言葉、撤回していただけません? あなたの書いてる事は矛盾多すぎですよー。

23:ゆんゆんさん
全日本の大会ですが、 あくまで優勝する人は両方備わってると思います(射型・的中) 予選というのはあくまでふるいをかけているのだと思います。大会なのだから!
人それぞれだと思いますが同じ弓道をしてるのだからお互い頑張っていきましょう!

24:射楽斎Uさん
 いささか誤解を恐れますが・・・。
 私は、全日本選手権に臨むにあたって、私の描いている弓道をどこまで体現することができて、それを現代の達人達がどう評価してくれるか、を最大のテーマとして取り組んできました。
 「射形」という言葉は、このレベルでは意味をなしません。射の根幹は、外に現れる「かたち」ではないのです。
 骨格をどう生かすかという意味で「骨法」の完成度はとても大切です。そして、もう一つのキーワードは「力の運用」の妙味です。この2つの完成度の高さがすべてです。 そして、その母体である「精神の作用」の完成度と安定度を総合して判定しているのが全日本選手権大会と思っています。
 あたらない射は無意味です・・・私もそう思ってきました。
 しかし、全身全霊を傾けて、より高度の世界を追いかけてきた時、わずかのミスをカバーして的中した射に、達成感はありません。不足があったことは自分が一番よくわかっているのです。おのれの未熟に対する、忸怩たる悔恨に苦しむばかりです。
 同様に、刻々と充ちてくる会の熟成過程の中から、万全の手応えで離れた射が、思いに反してはずれてしまったとき、私はやはり自分の未熟を思い、「なぜだ?」との疑念を持ちながらも、一箭に全霊をかけ得た自分に対し、いっときの慰安の思いが浮かぶのも禁じ得ません。
 審査員の先生方は、その世界を評価しているものと思っています。
 確かに、あまり差の出ない採点かも知れませんが、参加者にとっては、十分理解できる採点と思っていますし、それだけの評価だと思っております。

25:にっしーさん
まず、遊技という表現をしたことに対しては、大会に本気で取り組んでいる方々に不愉快な思いをさせてしまいましたと思いますので、訂正させていただきます。
射楽斎Uさんから、実際に大会に出られた方からの生の声を聞かせていただき非常に勉強になりました。
そして、ここまで書いた私も責任を持って自分の考えをまとめたいと思います。

私は全弓連が主催するこの大会の主旨は解りませんが、
これだけは分ります。
全弓連は、各流派が融合し設立され多くの人々に先人達の技や思想を伝えていく目的で出来た連盟です。
全弓連が掲げる真善美、日置流印西派が掲げる中貫久、本多流が掲げる飛中貫、すいません小笠原流は忘れましたが、
そのどれをとっても的中を前提とし、それのみを目的としていない物ばかりです。
はたして、この大会がそれを伝える目的の主旨を持った大会なのでしょうか?
大会に出た射楽斎Uさんは、その先にその最終目標を見出すきっかけになったかもしれませんが、それも見た側の人たちにとって同じと言えるのでしょうか?
私は誤解を招く人も中にはいると思います。
私は採点性自体は、あっても良いと思いますが、
それは的中を伴わない物を認める事があって良いのか疑問です。
的中しなければ意味が無いと言いつつ、的中のみを戒める立場の先生方。
その意味は、弓道の最終目標がただの的中ではなく、本当の的中の先にあるという意味という教えと解釈します。
しかし、その公の場で的中しなくも点数を付ける。
矛盾と不信感を感じずにはいられません。
私は、その中で中貫久・飛中貫という考え方を知り、その解り易さと奥深さを知り、共感しました。
そう、全弓連に疑問を感じ、その流派に疑問を感じなかったのです。
そういう意味では、私は反全弓連派なのかもしれません。

私は残念ながら、先生と呼ぶ人は居ても師匠と呼べる方に出会った事はありません。
この考え方は、いろんな環境に身を置いて悩んだり苦しんだ結果の私個人的の考え方ですが、筋は通して居るつもりです。
そのほかの考え方があり、反論される方もいらっしゃると思いますが、偉い先生だからとか弓道暦が浅いとかで優劣をつけることは致しません。
私が共感し納得できる考え方があれば素直に受け止めるつもりです。
また最初に書き込みをされたまりもさんには、
少々失礼だったと思います。
いろいろと私の書いた文章に語弊があった為、反義を呼んでしまったようでご迷惑をかけました。
このような書き込みは、自分で投稿するべきことでしたので、これにて最後とさせて頂きます。

26:半平太さん
あなたの的中に拘る心意気をもう少し聞かせて頂きたいですね。
新スレ期待してますよ

27:カケるんるんさん
言いたい事言って肝心のあなたの的中というものについて述べてませんよ? 散々否定して、自分の意見は中貫久とか、そういった言葉でしか表さないのはおかしいですよ。 それで最後は逃げですか?
的中全てといいますけど、それはどんな的中でしょいか? 蹴り込みばかりで皆中。 すばらしいですか? そもそも本当に中たる人は射も綺麗ですよ。 本当に中たるというのは試合だけでなく毎日平均的に中てる事ですよ。 射が汚くて平均的に中たるわけないです。

28:正射必殺さん
あれだけ全日を否定するからにはあなたは日々皆中なのですよね? 実力もないのにああいった書き込みはとんでもないと思います。 あなたの考えは否定しませんが、あのような事を書くのはどうかと思います。 そこまで不審に思うなら全日に出てみてくださいよ。 そういう実力もない(納得いかないから出ない)のに知った風な言い方はやめてほしいですね。 悲しくなりますから

29:しまのさん
正射までいかなくとも、綺麗な射をする人はやはり中りもでてると思います。自分的にはかなり中りは重要なんですが、目先の中りしか見えないような射はかっこ悪いので好きではありません。自分の納得のいく意見しか聞かないのであれば我流に等しいかと。自分の納得いかないことが真実であることもあると思います。自分の意見を貫くのも大切だと思いますが謙虚になることも大切だと思います。全日本の採点制が気にいらないのならどうすればいいとお考えですか?

30:半平太さん
にっしーさん集中砲火になってしまいましたね・・・
悪い人ではないと思うので、新スレに期待しましょう

>正射必殺さん
誰かを実力がないとか決めつけるのは良くないと思います。
それに例えば1年間1本も外さない人だったら何を言ってもいいのでしょうか?

>にっしーさん
志を語るのは悪いことだとは思いません。ただ言葉は慎重に選ぶべきだと思います。
例えばあなたの「私は半平太さんの意見はそれはそれで、弓をする意味になっていると思います。」という発言は、かなり失礼ですよ(^^

31:射楽斎Uさん
激しい議論の応酬ですが、相手の実力を云々したり対案を要求したりするのは、同じ討論に参加いている者として、いささか辛くなります。
 私自身、「まりも」さんとまったく同じ疑問をもっておりましたし、「にっしー」さんのように的中の伴わない射は、射を表現する舞以上のものではないと豪語していた時期もあります。「某大学OB」さんのように競技として成立していないと、いらだったこともあります。
 でも、幸い私はそのときそのときの考えに固定されること無く変遷を続けて来ることができました。
 それは、いずれは全日本に出てみたいと思った時から、明治神宮(伊勢はちょっと遠すぎました)に通いつめたおかげと思っています。はじめはただ感動し、そのうちなんだあんなもんかという思いが頭をもたげ、とんでもないお前にできるのかと自問し、彼らとの距離感に絶望的な思いをいだきながら、いつのまにか思索が深くなってきたように思います。
 神ならぬ人が採点するのです、当然絶対だとは思いませんが、良射は的を射抜くのと同じように見る人の心をも射抜きます。
 観覧席で、何度も射抜かれながら高得点の射は間違いなく良射であると納得してきました。多少の点数の差なんかどうでもいいのです。
 制度上の問題もたしかにあると思いますが、そんなことも最近はあまり気にしなくなりました。
 このテーマは、深く広く継続性があってとてもいいテーマです。もう少し深まってゆく手助けになれば幸いです。

32:斜面射手さん
興味深いスレッドですね。

私が師から言われているのは、他人に精神論を
語っても無駄だということでした。
相手と自分の経験が違えば尚更、同じ弓歴でも
たどってきた軌跡や環境が異なるからです。
食い違う意見も出て当然。皆が同じ思想である方が
よほど不気味です。

結局答えはみなさん見えているわけですよね。
きれいなだけでも、あたるだけでも中途半端。
両方を兼ねてこそ完璧だと。

33:デビさん
原点に戻って。
「正射必中」とは「正しく引けば、必ず中るのだ」→だから正しい射が出来るように目指そう。
っという戒めの言葉だと思っています。

その言葉を「必ず中るから正しい射なのだ」と逆説でとらえるからおかしくなるのではないでしょうか?

逆にとらないで、単純に正射を目指したいですね。それに中りが伴えばなお良しです。

34:暇さん
必ずあたる射(外さない射)が正射ではないのですか?正しい射をすれば必ずあたるといいよりも、深くとれますが…。

35:ゆるゆるさん
そんな射ができますか? 外しにくい射はできても外さない射など誰ができましょう。過去の人物では無くて、言うからにはあなたができるんですよね? 空論ばかり言うのはおかしいですよ。

36:まりもさん
まりもです。皆さん活発にこの事について、発言してくれているの、うれしいです。

もしこのスレッド、私の最初の疑問の “本当に正射をすれば中るのだろうか?” でした。その例として、全日本選手権で高得点を出しても的中不足で予選落ちの例を出しました。

スレッド後半の、皆さんの直線的な書き込み大変参考になりました。この後半部分を、例に出した、高得点で予選落ちの選手が見たら、如何思うかと思いました。

けなされたり、馬鹿にされたり じゃー中てればいいんだろう。と 感じただろうか? 私には叱咤激励の様に感じるのではないだろうか。よーーし来年こそは、高得点で中てやるぞ・・・決意も新たになったのに違いありません。

37:半平太さん
まりもさん

スレ主としてのあなたの最後の意見には正直がっかりしました。
やはり斜面射主さんが言われたように、他人に精神論を語っても無駄なのですね。
人それぞれ、自分の見える弓に向かい合っていればいいのだという気がしました。
他人にあそこで引いている人が何を考えているかなんて分かるわけないですし。

38:射楽斎Uさん
まりもさんの、このストレートな疑問のぶつけ方、とても好きです。そして、みんなが新しいスレッドのほうに行ってしまいましたが、もう少しこのスレッドを残しておきたく思います。少し、頭を整理して再度投稿したいと思います。

39:射楽斎Uさん
§1 「的中の条件」は
「正しいねらい」+「ねらい通りに飛ぶ離れ」
少なくとも、後ろねらいの横滑り的中は正射じゃないですね。
§2 「正しいねらい」は
矢は物理的な弾道を描きますから、正しいねらいというのは、その弾道の接線方向を向いているということ・・・これでねらいに関してはすべてです。
§3 ねらい通りに飛ぶ離れ
@両拳が矢筋に飛び出すこと・・・離れでねらいが変化しないこと・・・物理的な表現はあえて避けます。
A角見の働きが適度に実現すること+かけ帽子の腹で弦を適度にこすりだすこと=適度のアーチェリーパラドックスの実現・・・当然適正な弓具を使用しているものと仮定します。
§4 以上の条件が安定して実現すること
これで、最低限の正射です。必ず的中します。
したがって、完全に自分のものにするために、1日100射200射を続け、まさに機械化する努力が必要です。
これも、その時代が要求した名人・達人芸だと思います。
§5 しかし、このような修練によって得られた射は「精射」とこそ言うべきで、人が実現できる限界芸術としての極限の射とは、また質を事にするものと思っております。
思い切って言えば、的中の条件だけが満たされた正しい射と言うべきでしょうか。
当然、かつての殺人弓ではなく、速射弓でもありません。
的中力・貫通力・飛翔力・安定性はやはり無視できませんし、それなしに弓道を考えることも出来ません。
弓道は、弓をもって矢を発し的を射抜くことをもって成立している大前提を忘れるわけには行かないのです。
§6 人の向上心は際限なく、全身全霊を一箭にかけた射の実現を先人達は望んでやまなかったと理解しています。
だから、体幹を存分に使った全力の離れを味わってしまった弓人たちが、柔らか帽子から堅帽子へ移行したわけだし、堂射で開発された四ツがけが的前で普通に引かれるようになったのも、この理由に過ぎません。
§7 その結果、先人達が求めたものが「一射絶命」の世界だったのだと理解しています。
§8 各流各派が、その成立時代の要求に応じた弓道理念を根幹として発展してきたように、現代においては最低限の正射から、人の限界に挑戦する弓道が大きな課題になってきたと理解しています。これは、かつての三十三間堂に挑戦していた時代と、人の思いとしては基本的に同じであると思っています。
私は皆さんのどの意見も否定しません。
しかし、現代弓道のたどり着いた姿には多くの先人達の、人生をかけた努力があり成果があり時代背景があったのです。現在の姿にいたる必然があったと、理解しています。
当然私は、近未来の弓道を模索しつづけています。
まりもさんのストレートな疑問に対して、本気で取り組んだ結果として返信します。
まりもさんはじめ、どなたかの参考になれば幸いです。
これで、個人的には新年を迎えられそうです。
皆さん、よいお年をお迎えください。

40:まりもさん
まりもです。皆さん真剣に私の疑問に答えてくれて大変有難うございます。特に「射楽斎U」 さんのコメント有難うございました。大変勉強になりました。

正射は限りなく遠いもので、近づこうとすれば離れて行き捕まえても努力を怠れば、逃げていくそんな感じです。

全日本選手権のことを引き合いに、正射と言うものを考えました。ここで最高得点をとっても2000点満点の1500点そこそこです。日本一になっても先生方が考える理想の正射には8割にも徹していないのです。だから外れる事もある。

最高点、皆中で優勝しても次の年には2000点に到達するよう努力する。これがトップクラスの選手ではないでしょうか。私も、もっともっと精進して少しでも近づきたいと思います。


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