会での骨 (投稿5件)[1〜5]



1:凛として弓道さん
KDDI-CA3C UP.Browser/6.2_7.2.7.1.K.2.232 (GUI) MMP/2.0
以前、教士七段の先生に会では何をしているのですか?と質問したことがあります。

ちなみにその先生は会が15秒以上あります。

先生は「会では池に波紋が広がるように澄ます」と言っていました。

私はなんとなく意味はわかりますが、具体的に言うとなると難しいです。

この意味を具体的に何を表しているか教えて下さい。

2:弦禰さん
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お応えとして適当かどうかわ解りませんが、人それぞれの受け止め方、夫々の考え方があって好いのでは?

人により、射や課題により、実際に考えることや遣ろうとすることも異なると思います。


>会では何をしているのですか?
先生との間柄にもよりますが、ある意味「失礼」な質問だと言えるし、またある意味では「恥ずかしい」質問かも知れません。

>具体的に…
それも人それぞれだし、それを求めて行くことこそが「稽古」ではないのでしょうかね。

でも、それは何故先生に問わないのでしょうか。

3:におちさん
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会は「保ち」とも言いますが、より洗練されると「澄まし」と言います。
その教七の先生はこの澄ましの境地に至っておられるのです。

これはより心理的な問題でもあり、具体的にどう会得するのかといった説明は難しいことだと思います。
弓歴を重ね、称号を拝受できるあたりから分かってくるのでは無いでしょうか。

行射の時にあれこれ考えているうちは、「澄まし」の会は分からないと思います。

4:弦禰さん
Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 7.0; Windows NT 5.1; Trident/4.0; GTB6; .NET CLR 1.1.4322)
>行射の時にあれこれ考えているうち…
勿論、「澄まし」の境地に至ることは素晴らしいことだろうし、大いなる目標の一つだろうと思います。

ただ、何も考えずに引いていたらその境地に‥と言うことも可能性は低い訳で、それに至る稽古の行程に於いては、色々考えることも必要だろうし、考えながら稽古しなければ身に付かないこともあろうたと思うのです。

特に、今回は「会では」となっていますから「詰合」まで含まれるので、尚更悟りの境地に到るまでは、色々考えることも多そうです。

まだまだ未熟者の独言ですが…。

5:におちさん
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>4:弦禰さん
自分が言おうとしていることは、自分も含め未熟者は会のみならず行射であれこれ考えているので、「澄まし」の境地が分からないが、その教七の先生はその境地に至っている。
なので、その境地に至っていない物が「澄まし」について具体的に語ることは出来ないし、同じ立場の人が聞いたところで具体的に理解は出来ないであろうという事です。

もちろんその境地に至るまでの途上では、行射においてあれこれ考えなくてはなりません。精進を重ねた結果、あれこれ考えることもなくなり、「澄まし」の境地が分かるようになるのだと思います。


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