引分けで考えること (投稿13件)[1〜13]



1:金剛烈波さん
Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 7.0; Windows NT 5.1; GTB6.3; .NET CLR 2.0.50727; .NET CLR 3.0.4506.2152; .NET CLR 3.5.30729)
はじめまして。人生に余裕ができ、弓道に没頭している者です。

引分けについて質問です。


皆さん、引分けではどのようなことを考えていますか。

私はよいおさまりをつくるために、体を動かそうと考えています。
ただ、一体どの筋肉に意識を集中させ、どの程度前腕や手首の力を抜き、引分け、会での伸び合いにつなげるのか。私にはわかりません。
ご教授の程、宜しくお願い致します。

2:金剛烈波 さん
Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 7.0; Windows NT 5.1; GTB6.3; .NET CLR 2.0.50727; .NET CLR 3.0.4506.2152; .NET CLR 3.5.30729)
すみません…。

名前とタイトル、書き込む場所を間違えてしまいました。

ネットに不慣れなもので…

全く、お恥ずかしい。

3:かっチャンさん
Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 7.0; Windows NT 5.1; Trident/4.0; GTB6.3; msn Optimized IE build03;JP; .NET CLR 2.0.50727; .NET CLR 3.0.4506.2152; .NET CLR 3.5.30729; .NET CLR 1.1.4322; msn Optimized IE build03;JP)
>金剛烈波 さん

弓道教本をお持ちですか。
読んでみると、ここの先が聞きたいというところが書いてありません。
しかし、それも良いのかもしれません。

スポーツではどこどこの筋肉を意識して動いたりはしません。歩く時もそうですね。
普通歩く時に、気掛かりは有りませんし、からだのどこかに気を留めることもありません。
それで、無意識に上手に歩けるのです。
無駄な力も入りません。
もし、ムカデが自分の足の動きを意識しだしたら、動けなくなるでしょうね。

弓道の修練とは、或る意味、気掛かりを無くして、頭を空っぽにしていく過程です。
最後には、的にさえ気が向かわなくなります。
それでも、正鵠に中ってしまうのです。
私の場合は、まだ的に中っても、正鵠には及びも付きません。

意識を集中させる・気を込めると、そこに必要以上の力が働きますから、どこにも気を込めないで、無心で行射するのが良いと思います。

4:におちさん
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初心のうちなら色々と確認をしながら引くので、そういう意味では何か考えながら引くということになるでしょうが、ある程度射形も固まり、注意事項があるにしてもその数が少なくなってくると、段々と無心で引くようになると思います。
というのは、やはり邪念というか、色々雑多なことを考えていると、それが射に及ぼす影響というものもあり、特に大会や審査など「ハレ」の時に射や的中に大きく影響してしまいます。

ある程度弓歴が出来ても、射を改善している時は色々考えながら引くかも知れませんが、基本的には要所要所の確認程度にとどめるのが良いと思います。

ご質問の筋肉の使い方などは、実際に射を指導されている方にお聞きになるのが適切かと思います。具体的な現象などあればご意見などできますが、非常に微妙な難しい部類の事だと思いますので。

5:金剛烈波さん
Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 7.0; Windows NT 5.1; GTB6.4; .NET CLR 2.0.50727; .NET CLR 3.0.4506.2152; .NET CLR 3.5.30729)
におちさん、かっちゃんさん、ご返信ありがとうございます。

確かにおっしゃる通りです。
阿波研造物語を拝見させていただいたのですが、その中のヘリゲルさんが呼吸法を習った際も「無心」で呼吸できるようになったとあります。
弓道とは長年の修練によって体に身に付くものであるのに、私としたことが、とんだ思い違いをしていたようです。

では、質問を変えて謹んでお聞きします。
あなた方が考える、 おさまり とはいかなるものですか。個々人によりその概念が異なるのは重々承知しています。弓道に深く精通したあなた方一人一人の意見を聞き、参考にしたいと思っているのです。

ちなみに、私の考える おさまり とは、力みを入れずに体全体で伸び合うことができ、かつ力の充足のある状態かと。

6:かっチャンさん
Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 7.0; Windows NT 5.1; Trident/4.0; GTB6.4; msn Optimized IE build03;JP; .NET CLR 2.0.50727; .NET CLR 3.0.4506.2152; .NET CLR 3.5.30729; .NET CLR 1.1.4322; msn Optimized IE build03;JP)
おさまりという言葉では考えたことがありませんが・・・。
そうですね、「もう、これ以上行き場が無い。成仏するしかない状態です。」
それが、離れの瞬間、私にとっては実質的な会ということです。
かつては、現代のような弱弓ではありませんでしたから、筋骨による弓力の支えを崩してまで伸び合うことも、離れで小細工も出来ませんでした。
言い換えれば、おさまりとは十文字で構成された、横線と縦線の最大の伸張による限界点でしょうね。
その結果、弓と矢とからだが2枚の紙のようにぴったりとくっついた状態です。
多くの射手は、横線が伸びても、縦線が伸びていませんね。
縦線の伸びが更に横線の伸びに繋がります。
十文字に伸びて、十文字に離れ、十文字の残身が現われます。
これらが、おさまりの要件と結果、そして、その確認になると思います。

7:会長GOダレさん
Mozilla/5.0 (Macintosh; U; PPC Mac OS X 10_4_11; ja-jp) AppleWebKit/531.21.8 (KHTML, like Gecko) Version/4.0.4 Safari/531.21.10
金剛烈波さん、お久しぶりです!

おさまりって難しいですよね...。
自分も今までの弓道経験の中で満足のいく射というものが出来たことがないので、

「会の時にグラグラする」、
「会で伸びようとするのに物凄く力が入ってしまう」

という感覚がいつまでたっても改善されません。
周りの仲間を見ている限り、それが正しい「会」であるとは思い辛いので...骨格や筋肉の付き方みたいな物も少なからず影響するのでしょうか...。

すいません、自分の疑問を呈するだけのコメントに成ってしまいました汗

8:かっチャンさん
Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 7.0; Windows NT 5.1; Trident/4.0; GTB6.4; msn Optimized IE build03;JP; .NET CLR 2.0.50727; .NET CLR 3.0.4506.2152; .NET CLR 3.5.30729; .NET CLR 1.1.4322; msn Optimized IE build03;JP)
お習字は、誰でも読みやすい綺麗な字を書ければ良いのだそうです。
そして、書道は自己表現で、その人にしか書けない字を書くのだそうです。
つまり、その人がその字に込めた心を表現するそうです。

上手い下手に心を奪われずに、弓を引く心を大切にしたいです。

9:金剛烈波さん
Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 7.0; Windows NT 5.1; GTB6.4; .NET CLR 2.0.50727; .NET CLR 3.0.4506.2152; .NET CLR 3.5.30729)
かっちゃんさん、返信ありがとうございます。
いやはや、おさまりを紙にたとえられるとは、さすがです。感銘を受けました。私はまだまだかすりもしない段階ですが、より精進したいものですね。

会長goダレさん、返信ありがとうございます。ええと、どこかでお会いしたことがありましたでしょうか。こちらの間違いならばすみません。最近、物忘れがめっぽう多くなってしまいまして・・・

10:狭山人さん
KDDI-CA3D UP.Browser/6.2_7.2.7.1.K.3.349 (GUI) MMP/2.0
私は高校生なので、皆様に披露できるような持論はございませんが、先輩のひとりがある範士の先生の御言葉として、
「…的に向かった時、世界には自分と的しか無くなる。(中略)引き分けるにつれ、まず弓が消える。そして会に至って矢が消える。離れては的さえその正体を失う。
…的音を聴いて初めてこちらに帰って来る。…」
やはり自分にはよく解りませんが、なんとも凄いなぁと…。

11:かっチャンさん
Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 7.0; Windows NT 5.1; Trident/4.0; GTB6.4; msn Optimized IE build03;JP; .NET CLR 2.0.50727; .NET CLR 3.0.4506.2152; .NET CLR 3.5.30729; .NET CLR 1.1.4322; msn Optimized IE build03;JP)
狭山人さん

弓道には色んな方向性が在ってよい、と思います。
そのひとつに悟りの射があります。
確かに、弓も矢もからだも的も、消えてしまうことがあります。
これは、人の認識自体・顕在意識がその最大許容量を超えた時に、
一時的に機能を失って起こります。
ちょうど、家庭で電流を使いすぎて、ブレーカが働くのと同様です。
射裡見性と言われているものです。

また、そこまでは行かなくても・顕在意識が有るままでも、無心に行う射もあります。
ただし、離れの前には、的への気の送りは無くなっています。
離れの前に、的への執着を離れていなければなりませんね。
中てるのではなく、中る・中っていた、ということです。

普通は離れと的中が結びついていますね。
この原因と結果で構成されたものは、因縁の射です。
つまり、何かをして、その結果を望むという人の煩悩・欲の現れた射ということです。
人の迷いや苦は、この因縁に囚われていることで起こります。

古来より弓道の一つの方向性に、この因縁の呪縛を断ち切ることが有りました。
この因縁を忘れ去った境地を涅槃とも言います。

「離れては的さえその正体を失う。」という表現が、気にかかったので私見を書かせていただきました。
付け加えると、私の場合は、足踏み・胴造りなどの積み重ねで狙いが整うようにしていますから、会での的付けは行っていません。
的への執着が、離れの前で消えるのか、後で消えるのかでは、全く異質な射になってしまうからです。

12:狭山人さん
KDDI-CA3D UP.Browser/6.2_7.2.7.1.K.3.349 (GUI) MMP/2.0
>かっちゃんさん。
…ふ、深いですね〜。
文中の表現はあくまで伝聞なので、あまりよくは解りませんが、「離れては」は「離れたら」ではなく「離れの前後の過程に従い」というような印象を受けました。
なんだか余計に語弊を増やしたような気がしますが、何分にも表現力に乏しいもので…。
すみません。

13:かっチャンさん
Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 7.0; Windows NT 5.1; Trident/4.0; GTB6.4; msn Optimized IE build03;JP; .NET CLR 2.0.50727; .NET CLR 3.0.4506.2152; .NET CLR 3.5.30729; .NET CLR 1.1.4322; msn Optimized IE build03;JP)
狭山人さん 、わざわざ有難う御座います。
確かに、了解しましたよ。


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