理想の射 (投稿28件)[1〜28]


1:高校生弓引きさん
こんにちは高校生弓引きです。
私は理想の射を求めて毎日練習しているのですが中々近づけません。
その理想の射とは
離したときに矢だけが動いていくような射
なのですが皆様理解していただけるでしょうか?
説明が大変下手くそなのですが要するに離したときに矢だけがスーッと動いていくような射なんです。
その射に近づくにはどのようにすればよいのでしょうか?
未熟者なので全くわかりません。
下手くそな文章ですが理解いただけた方のご指導をお願いいたします。

2:焔さん

要するに、身体が微動だにしない射ということですか?

3:高校生弓引きさん
返信ありがとうございます。
誰にも相手にされないかと思いました。
そういうことになります。

4:環 ◆1HBuO8jIさん
目標を持って練習している、それはとても良いことだと思います。

しかし、それが自分のレベルを大きく上回り、到達する道のりが見えなければ、只の理想論に過ぎません。

まずあなたが自分の射を何処まで把握しているかだと思います。

理想に近付けない、と言いますが、何処がどう駄目なのか、その原因は何処にあるのか、ちょっと考えてみて下さい。

これだけの情報では、何を聞かれているのかさっぱりです。

5:焔さん

ただ単純に、身体の動かない射を目指すと言うのであれば、三重十文字をしっかり意識してみてください。

6:高校生弓引きさん
皆さん返信ありがとうございます。
自分の射と理想の射はまだすごく離れていると思います。
三重十文字を強くするには筋トレだけではダメですよね?

7:天龍さん
着眼点は良いと思います。
高校生弓引きさん は、離した時矢だけがスーと動いてゆくような射を見たことがあるのだと思います。しかも高校生の。
力感はあるが力みのない会があり、そのままの延長から静かな離れが出る。勢いをつけて離す気配など一切ない、惚れ惚れするような完成度を持った高校生は確かにいますね。まさに射を単純化できているのですが、そんな初心者はなかなかいません。
初心者指導に優れたノウハウを持った先生と、特別センスの高い生徒がいて、教科書通りの指導をそのまま吸収して行けた時、そういう選手が生まれるのでしょう。1〜2年の間にすんなりそのレベルに到達し、特別に苦悩するような壁もなかったのではないでしょうか。無駄なものを溜め込むこともなかったわけです。
はっきりしているのは、私たち凡人は無駄なものがドンドン溜まってしまうということ。それらを一つ一つ地道に消化してゆくしかないということです。
だからこそ、道は遠いというわけです。

8:高校生弓引きさん
天龍さん。
返信ありがとうございます。天龍さんの言う通りです。ご理解いただけて本当に嬉しいです。
たしかにいらないことがたまっている気がします。
これから頑張ってみるしかないですね。

9:焔さん

筋トレも大事ですが、やはり最終的には自分の身体の感覚になるのではないでしょうか?
自分一人では、身体のズレはわかりません。なので、仲間の方などに見ていただくなどして、きちんとした三重十文字の感覚を身体で覚えてしまえば良いと思います。
時間はかかりますが、数をこなしていけば、自然と身体は覚えてくれます。正しい十文字が自然と出来るようになるまでは、しっかり意識して引いてみて下さい。

10:高校生弓引きさん
焔さん。
返信ありがとうございます。
明日から感覚をもっと大事にして練習したいと思います。
ありがとうございました。

11:高校生弓引きさん
もう一つ質問よろしいでしょうか?
三重十文字を意識するときに、腰の真上に肩をもってくるってのはイメージしやすいのですが足と腰はどのようなイメージで重ねたらよいのでしょうか?
例えばかかとの真上とか土踏まずの真上とかいろいろあると思います。
初歩的な質問ですみませんが教えて下さい。

12:焔さん

胴造りでの、身体の重心を置く位置を考えると、土踏まずの数センチ程前(親指の方向)になると思います。
重心の上に腰が来るようにすれば意識しやすいと思います。

13:高校生弓引きさん
焔さん。
細かく教えていただいてくださってありがとうございました。

14:焔さん

少しでもお役に立ててなによりです。
頑張って下さい。

15:カッちゃんさん
スレッドに示された射が、レスを重ねていくにつれて、自然な離れの射に思えてきました。
自然な離れはエレガントでソウルフルな射です。

僕にはもうひとつ、スパークリングでパワフルな射があります。
離れの膨大な弓力をからだ全体を使って、弓手ではね返します。弓返りも矢勢も目を見張るものがあります。残身は、特に弓手に力強さが出ます。ただ、今のところ有為の射です。

将来は、この二つの射の完成度を高め、審査などで使い分けてみるのも面白そうです。
また、僕自身の理想の射としては、この二つの射を統合することです。
離れの軽さに鋭さを備えて、それが無為で行えたら、・・・夢ですね。

自分が理想と思えるような射のイメージを持つことは、的中と同じくらい大切だ、と思われます。

16:ふらふわさん
>カッちゃんさん
2通りの射をやる意味はどこにあるのでしょうか?

また、何故、審査のような重要な場所でその2通りをやる必要があるのでしょうか?

スパークリングでパワフルな射、これが何かは分かりませんが、これって意図する離れですよね。これをずっと否定されていたのに、何でまたここにきて、これも出来るとおっしゃっているのでしょうか。


その点に非常に矛盾を感じてしまいました。

17:かっチャンさん
ふらふわさん

審査では普段の自分の射を出し切ることでしょうし、目指しているものを表現することも大切だ、と考えています。将来的には二つの射の統合ですが、現状ではそれらのそれぞれに魅力を感じています。よって、一手、2度のチャンスを有効に使って、自分の射を演出することもありでしょう。

基本的には審査を受動的に採点されるものと考えますが、自分の射で審査の先生方に問いかける、或いは考え込んでもらうような能動的な受審もしたいです。

僕は学生時代もそうでしたが、解答欄に決まり切った模範解答ばかりでは面白くも何とも無いのです。まあ、生徒が先生を変えるというチャンスもありですし、ありましたね。

合格したり・得点したり・的中したりよりも、大切だと思えるものが僕にはあるので、そうするのでしょうね。

ところで、僕は有為の射を否定はしていません。ただ、スレッドにそって無為の射を語っただけです。むしろ、射の可能性として多様性を肯定しています。

18:ふらふわさん
>かっチャンさん
私は、自然の離れは、意図的な離れが昇華したものと考えてますので、射の方向性は常に一つであり、修練の方向性も一つだと思っています。


ですので、かっチャンさんの意見は分かりませんでしたが、説明して頂いてありがとうございました。

19:とある弓術部員さん
横から失礼します。
自然な離れについての意見ではありませんが…。

私も目標を、理想をもってそれに近づこうとするのは素晴らしいと思います。

しかし、初心者から一気にそこまでたどり着くのは難しいのではないかと思います。

初心者には初心者なりの引き方があり、それが出来るようになってから、次の段階へステップアップしていく、というような。
↑私の知り合いで弓道を長くやってる方に言われ、共感したのですが。

例えば初心者のうちは、打ち起しを高めにとり、大三を体に近めにとる…など。
その方が引きやすいと思います。

まぁ、正攻法でない、と言われればそれまでなのですが。

20:1さん
削除されました。

21:かっチャンさん
理想の射に辿り着くことは、至難の業ですね。
しかし、最善の射ならいつでも出来ます。

next oneを物語る方には、理想は有っても最善はありません。this oneにかけてこそ、理想に近似できるのですね。

この辺りが、射が本物かどうか・・・手慰みに弓を取るのか、弓道なのかの分かれ道です。
理想は追い続けるもので、最善はまさに今為す事でしょうね。

22:響と弦音さん
>かっチャンさん
最善を尽くすのは、至難の技であり、多数の後悔が生まれました。
かっチャンさんのように、常に最善の射をするにはどうしたらいいですか?

23:かっチャンさん
響と弦音さん

初めにお話ししなければならないことは、僕は常に最善の射をやっているのではありません。例えば、巻藁前を練習とし、的前を本番と分けてみます。練習では、気になる点のチェックや新たな工夫などをして、その結果を分析し、修正をしてまた試すなどのことをやります。ですから、後で反省も出てきますし、色々考えながらの射ですから、射自体は死んでいますし最善の射ではありません。

しかし、本番では、今までのことも結果のことも、何も考えずに、一心に行射します。それが最善です。最善ですから、反省も後悔もありません。たとえ結果が良くても悪くても、それがいつでも自分の実力なだけです。

最善を尽くしたつもりでも後悔を生むという事には、二つの場合が考えられます。一つには無心になって精一杯やるという最善が出来ていなかったということです。
もう一つは、自分を高く観過ぎているという事です。僕なんかは未熟ですから、最善を尽くしても、たまに的一つ分外す事もあります。つまり、頭の中に自分の射の実力が有るのではなく、射によって現れたあるがままが自分の射の実力ということです。それを受け止めるだけですね。

さて、最善の射はどうするのか、ですね。・・・何も考えず一心に、です。
日々の練習の中で、研究のための射と書道で言うところの清書のような最善の射とを分けてみては如何でしょうか。きっと、無心の射の方が的中率が上がりそうですし、試合でも練習以上の結果が出そうです。

しかし、問題点・・・僕は長い時間をかけて無心を身につけましたが、一般に無心は難しいことです。無心を求めると有心になりますから、一心(一生懸命)を心がけると良いでしょう。そして、一生懸命を心がけつつも無駄な力を排することです。
更に言えば、無心な最善の射が出来なくても、最善の射を心がけて行射すれば、有心ではあっても最善の射ということです。それも最善の射に対するあるがままの実力です。
この一射と思いを込めていくと、その極致で思いが消えうせ無心になれるのです。時間がかかりそうですが・・・。

24:響と弦音さん
>かっチャンさん
返信ありがとうございます。
理想の射は無心の射だが、身につけるのに時間がかかるので、一生懸命一射を大切にし、一心の射を身につける事が肝要なんですね。

無心の射を時間をかけて身につけたという事ですが、弓以外の何か修業が必要という事ですか?

25:響と弦音さん
>かっチャンさん
かっチャンさんの文を読み返したら、無心を身につけてるのに、最善が出来ない事があるっておかしいですよね?
どうなってるんですかね?無心を身につけてるんなら、全部それで引いて、常に全射皆中で優勝すれば良いことですよね?

26:かっチャンさん
響と弦音さん

初めにお願いしますが、ご自身の思い込みを捨てて熟読して下さい。
レス25の内容には、心当たりがありません。

最善の射とは、自分の過去を振り返って今までで一番良い射である、ということではありません。今の自分に出来る一番良い射ということですね。ですから、最善の射は客観的に良い射であるとは限りません。ただし、外れても今の自分に為し得た最良の結果にはなるでしょうが・・・。

例えば、一般的な演算記号で表した1+1=2という等式は思考の中(形而上)だけで収まりがつきますから、常に成り立ちます。ところが、弓射の場合は、射手・道具・的・射場・他者など、現実世界の中で行われるもので、常に射手の意志通りになるとは限らないのです。常に正鵠に的中させるには、不確定要素が多く、それらを射手の意志でコントロールするには限界があります。体調も常に一定ということはないのですね。つまり、自分の意志において、的中などの結果は、自己完結してはいないということです。

確認します。最善の射が的中などの結果を直接表現しているのではなく、現状で出来る一番良い射だということです。

さて、最善の射が出来ないことがあるのか、という問いですね。
どこにも、出来ないとは書いていません。研究の時には最善の射をしようとしていませんし、最善の射をこころがけて行射をし的を外しても、それもりっぱな僕の最善の射です。

27:響と弦音さん
>かっチャンさん
最善の射が出来たら私は、ほぼ外さないと思います。

無心と一心と最善と混ざっていてよく分からないですが、要は、一生懸命引いて、あたり外れは考えないのが大事という事ですかね?

28:水戸さん
一射を一捨と思うことが大事かと思います。
会で我を忘れて一意専心に伸び続ける事は理想の射に近づけるのではないかと思います。
理想の射を身につけると天にも昇る気持ちを味わえます。


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