会での伸合い (投稿9件)[1〜9]


1:真善美さん
会で伸合いをするとき
左右に伸びたら
いいんですか?
それとも肩甲骨を
ゆっくり合わせるという
事ですか?

詳しく教えてください

2:未熟さん
>肩胛骨をゆっくり合わせる
 これは詰め合いでする事だと思います。

 私は伸合は身体全体を使って弓からかかる圧力(?)を力まずにまっすぐ押し返すことだと思っています。

3:珍奇男さん
教本では左右に張るのは詰合に含まれてますね。
伸合は心気の働きのようです。
個人的には会までの力の働き(詰合)を変えないように、変なことをしないようにするのが伸合かななんて感じてます。

4:真善美さん

お二人とも
ありがとうございます
参考にさせて
いただきます

5:紅一入さん
「心気の働き」で伸び合う・・・なんかあやしい表現ですね。
日置流では、胸弦・頬付・狙いが所定の位置に付き、所定の矢尺を引き納めた状態を詰合といい、詰合からさらに矢尺を伸ばし続け(引く矢束の伸合)、もう押し引きできない一番強く張り合う瞬間(=ヤゴロ)に至って離す。熟練すれば、矢尺を伸ばさなくても同じ効果が得られる(引かぬ矢束の伸合)としています。
教本は日置流の「詰合」「伸合」の概念を取り込み、「会」の構成要素のように記述してしまい、一方で「会」は究極の状態を持続するような説明をしてしまっています。「伸合で矢尺を引くならば伸合う前は会ではない」などというピンボケな論議になるのでしょう。(「詰合はヤゴロではない=当たり前」と同じような・・・でもヤゴロは瞬間であり、ヤゴロの持続などありえないのですが)
「詰合」「伸合」「ヤゴロ」「離れ」の一連の概念が解りやすいのに、「会=持続する」というあいまいな概念と混ぜられると、わけがわからなくなります。しょうがないので、矢尺を伸ばさないで伸合う「心気の働き」で埋め合わせをしたのでしょう。

6:紅一入さん
連投すいません。
「心気の働き」が何故あやしいと感じるか、考えました。
一般に、何か目に見える技をかけるときに「心気の働き」を伴う、これが普通です。
「心気の働き」それ自体が技であることは、一般にはありえません。「超能力」とか「宗教」の世界にはあるかもしれません。

7:天龍さん
>紅一入さん
全弓連が教本を編纂した際、指導用語を統一するのに相当な苦心があっただろうと想像できます。
長い歴史がある各流派の指導用語を、言葉は悪いが、寄せ集めたわけですが、それぞれに語感というものがあり、元々の解釈、用法と少し違いが出てきたようですね。
しかし、一旦教本に載せて、教本なりの解説を添えた以上は、その解釈で押し通さねばなりません。元々の流派で使っていた意味合いと違う、と言い始めたら混乱するのは当たり前で教本そのものの権威にかかわります。
流派の継承者の道場に籍を置く人は、愛着も誇りもあるので、新興体制である弓連を軽く見るスタンスは理解できます。それは自由です。しかし、若い人と教本の用語の意味合いを考える時は、教本の解釈に徹すべきだと思います。そうであれば、「心気の働き」はあやしげだ、という指摘は自重すべきだと思います。

8:珍奇男さん
思うに流派や引き方により離れの出し方(考え方?)は違うんでしょうね。
例えば伸合を用いないとか。
会は竹林系統、詰合伸合ヤゴロは印西派の用語ですよね。
それをごっちゃにしてニュアンスも少し変わってしまっていて、それで訳分かんないことになってると。
本当に教本を作る際の苦労が偲ばれます。
打起しみたいに何通りか示せばよかったんでしょうか?
難しそうですが^^;

9:紅一入さん
>天龍さん
おっしゃる意味では、「あやしい」は不適切だったかもしれませんね。
一方、教本の中の「精神」に偏った表現はなにか受け入れ難いものを感じます。そう感じる方は結構多いと思います。教本を作った時代の空気(あるいは必要性)なのかもしれませんが・・・。

>珍奇男さん
離れの出し方=筋肉の使い方自体、何通りもあると思います。流派の場合はそれぞれに決まっているのですが、流派でない方は先生毎に何通りも指導されて大変かと思います。


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