目的 (投稿13件)[1〜13]


1:あわわけんぞうさん
阿波研三の言う、目的のない弓道って、どうやってやればいいのですか。どなたか、アドバイスを。競技会に参加しない、審査を受けない、とかですか。

2:scarletさん
目的のない弓道がどんなものかは分かりませんが、その前にもっと大事なことを忘れてませんか?
他人の名前を間違えたり親しくない人の敬称を略すのは失礼ですよ。
ハンドルネームももう少し考えられませんか?

3:アチャチャさん
あわわけんぞうさんへ

私は阿波研三さんのことを良く知りませんが、人がどうして何かをやろうとするのか、また、どうして、何かから避けようとするのかは少々分かります。

人の志向性はその対象に快感を受けるからであり、不快を受ければ回避行動を執ります。

もし、あわわけんぞうさんが,弓道をする時に直接的な行動の動機であり目的でもある快感さえ求めないのであれば、弓道はしないはずです。

そのことは、阿波さんであろうと、同様です。

自分の心を観るという事は非常に難しいことで、52歳の私でもごく最近分かりかけてきたところです。

自己実現という言葉がありますが、誰かに勝とうとかではなく、自分らしさを磨いていくという意味です。
焦らずに自分らしさを築いていくことが、大切なように思われます。

初対面で、スレッドの意図することではなく、自分の所信を述べたことを、深くお詫び申し上げます。

4:遥頂さん
弓具・設備の方にも全く同じ投稿がされてましたね。
当初そちらに返信してしまったのですが、
こちらの方が分類上も適するようですね。
全く同じ内容ですがレスを付けておきます。


この場合の目標というのは今直面している物では無いと思います。
果たして自分の弓道はどの形になったときに完成するのか。
という最終的な意味ではないでしょうか。

例えば、十段を取ったら完成だとか、
全国規模の大会で優勝できたら思い残すことは無いとか、
そういった意味合いじゃないかな?と思います。

ゴールを決めた弓道じゃ面白くないという感じではないでしょうか。


追伸
アチャチャさんへ
自分の所信を述べていて投稿者様へのレスとなっていないと
御自身で理解されて居るのでしたら
もう少し自重されてはいかがでしょうか?
他のスレッド等を見てもそう思うことが多々あります。

5:アチャチャさん
遥頂さんへ
ご指名を頂きました。

さて、こちらはデビール田中さんのサイトだと承知いたしておりますが、遥頂さんは管理人さんのおつもりでしょうか。

私にこの手のお話が必要な場合は、管理人さんより正式な要望なり対処が下されるものと、考えております。

ここに参加されている一個人の感想をもって、サイトを代表されるような発言は認められません。

ちなみに、メッセージ2に書かれた方も私と同様に、質問の趣旨に沿った内容ではありません。
メッセージ2〜4は、三人三様の内容です。
人の受け止め方とは、そのようなものです。
ただ、私もscarletさんも、質問に答えてはいなくても、真摯に応えてはいると思います。

更に、ネット上とは言え、初対面の私に参加を制限するような内容を書くのであれば、あわわけんぞうさんへの投稿の追伸として記述するのは、礼を失すること極まりの無いことです。

もう一つ、雑談の方の私の立てたスレッドにご意見が有るのでしたら、どうぞいらして下さい。

追伸
私の住む辺りでは、前もって予定をしていて友人宅を訪れたときでも、「おじゃまいたします。」と挨拶をし、返り際には「失礼致します。」と更に挨拶をするのです。
たとえ、おじゃまも失礼をしていなくてもです。

お詫びは、初対面のあわわけんぞうさんへの
挨拶のことばです。

スレッドには、真摯に応えたつもりです。

追伸2
遥頂さんは、目標と書かれていますが、あわわけんぞうさんは目的と記されています。

6:ぬふぬふさん
>競技会に参加しない、審査を受けない
競技会を目標に練習をしたり審査を意識した練習をしたりしなければいいんじゃないですか?
大会の為に当てる練習・審査の為に受かる練習を特別にするのではなく日々同じ練習をすれば目的はなくなると思います。

7:あわわけんぞうさん
阿波研三は阿波研造の間違いでした。ハンドルネームの、あわわけんぞう、も自分でもどうかと思いました。お詫びします。私は阿波範士の「弓と禅」を読んで、弓道を始めました。阿波範士の教えはすぐに結果にあらわれました。しかし、唯一、わからない部分が「正しい弓道には、意図や目的はありませんぞ。」という言葉でした。もしも、みんなさんの中に同じ疑問をもっているひとがいるなら是非意見をお聞きしたいと思って、投稿しました。いままで読んだどの本よりも参考になりました。有難うございました。

8:遥頂さん
確かに、私は管理人でも何でもありません。
まぁ提言をしたつもりです。命令して従わせようなんて思ってませんよ。

あと、追伸が失礼だと言われましても、
ここの主題は「目的のない弓道」ですからねぇ…
アチャチャさんの態度への提言は追伸が適当じゃないですかね?

目的と目標は間違えてましたね。
まぁ、そのまま入れ替えればすむ問題ですので、書き直しますね。


この場合の目的というのは今直面している物では無いと思います。
果たして自分の弓道はどの形になったときに完成するのか。
という最終的な意味ではないでしょうか。

例えば、十段を取ったら完成だとか、
全国規模の大会で優勝できたら思い残すことは無いとか、
そういった意味合いじゃないかな?と思います。

ゴールを決めた弓道じゃ面白くないという感じではないでしょうか。

9:scarletさん
まあここは質問所ではなくて座談会って形式ですし、失礼のない範囲だったら自由に行きませんか?

僕も>2の答えだとちょっと嫌な気分になってしまわれたかなと反省。
申し訳ございません。

さて、僕の知ってる範囲では阿波範士は「とらわれ」を嫌われたようです。
的にとらわれて、安易に結果を求めてあーしてやろう、こーしてやろうというのを戒めた言葉なのではないかと。
禅的な思想もあるんでしょうね。
禅は門外漢なので詳しくありませんが(^_^;)

10:アチャチャさん
あわわけんぞうさんへ

弓と禅ですか。
禅ならば思い当たるところがあります。

お釈迦さんが、死ぬまで最も弟子たちに語り続けたのが、因縁生起の法則だったと言われています。

つまり、全ての事態には(原)因が有ってそれに縁が作用して(結)果が生じるのだ、ということです。
例えば、種をまいて(因)、陽光がさし雨が降り虫が受粉して(縁)時が経てば、実が成る(結果)というようにです。

ところが、意図や目的を持つということは、結果を求めることで、それはまさしく欲に他なりません。
欲は叶えられれば更なる欲を生み、結局欲に振り回された生き方になります。

また、叶わなければ苦になります。

いずれにしても、意図や目的を持って弓道を行うことは、苦の循環から抜け出すことの無い苦に生きる凡夫の射となります。
これを、苦の輪廻と言い、それから抜け出すことを解脱するとか、悟りに至るとか言うのです。

では、どのような弓道が意図や目的を持たぬものなのかということですが、今することに一心になって集中するということです。
あとさきを考えずに、この一射に全てをつぎ込むということでしょう。

参考になれば、幸いです。

11:元学生さん
目的のない弓道が審査を受けないことだったら、阿波範士が範士の称号を授与されていることと矛盾しないでしょうか。

阿波範士のお言葉を理解するには、阿波範士の置かれた状況や環境をもっと知ることが大切でないでしょうか。阿波範士がいつの時点で目的のない弓道という言葉を思われたのかはっきりわかりませんが、百発百中を会得された阿波範士だからこそ言えた言葉でないでしょうか。

百発百中の境地に達したところに何かあると一心に弓道に取り組まれ(これはまさに目的のある弓道)会得した結果、そこには何も無いことを悟られたとお聞きします。一心に取り組まれえられた結果が何も無いという虚無というのでしょうか、目的を持つ意味を阿波範士なりに感じて発せられたのかなと私は思います。
かえって、あわわけんぞうさんがどこまでその境地に近づかれたかわかりませんが、目的のない弓道を知るにはまだまだやることがたくさんあるはずです。
全てをやりつくして得られるものが目的のない弓道で、そこに至るにはたくさんの目的のある弓道を会得しないと到達できない境地でないかなと思いますが、いかがでしょうか。

12:アチャチャさん
あわわけんぞうさんへ

一つ書き忘れていましたので、投稿いたします。

scarletさんが
>「とらわれ」を嫌われたようです。
と記されていましたが、私も同感です。

縁が有れば、それを大切にして、大会でも審査でも、また、他のことでもチャレンジすることは、阿波さんのお考えに沿うことだ、と思われます。

13:アチャチャさん
元学生さんに賛成です。


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