最近の弓道 (投稿12件)[1〜12]


1:sunlightさん
うちの先生がよく
最近の弓道の教え方はかわって弓手も妻手も下がらない
という趣旨のお話をされるのですが
私はその内容ではなく、どうしてそう考え方がかわるのかが不思議でなりません
教本第四巻ではほとんどの先生方の弓手は下がっておられます
それは昔の射法だとおっしゃられます
昔と今で弓道の何が変わったと言うのでしょうか?
私は疑問でなりません

2:大学目指す者さん
ただ最近の弓道の流行りがそうゆうのだからじゃないでしょうかね?

ちなみに私の射は他人から見てもらったら弓手と勝手が肩と平行になっているそうです。
私一個人の意見ですが手は下がるものだと考えております。

3:凛々さん
ここ15年くらいの間に八段になった人の射をみると私はある方向に変化(私は進化だと思っていますが)しています。それは大雑把に言えば大離れの究極の姿に向かっていると思います。その流れは流行という以上のものと思います。

4:弓を引く人さん
>sunlightさん

→我々下々のモノは中央の流行廃れに振り回されて・・・。射技にしても、体配にしてもしかり。見た目の流行廃れは現代弓道の大きな特徴です。

先ずは自己の弓射に対する理念を定め、中央がどんな方向に動こうとも、理念を実現させる為の技術は不変(ちょっと語弊があるかな?)なので、その理念実現の為に稽古に励めばよいのです。弓道の目標は何なのか?段位ですか?違いますね。自己実現の為では無いですか?自分が納得しないことを延々繰り返す時間がもったいないと思いませんか?弓道に注ぎ込める時間は限られているのですから。

5:i-shotさん
正射必中と言いながら正射の基準が変わっていくのは滑稽ですね.
教本には,「射の眼目は自然の理を動作の上に表現すること」と書いてあります.自然の働きを弓矢に求めるか身体に求めるかで射も若干変化するような気がします.実利の射であった昔の射法から,体育としての弓道に変わってきたのでしょうか.
上手く融合できれば一番良いと思うのですが.

6:えりさん
正射はいつの時代も変わってないでしょうよ。
流派ごと指導者ごとに変わってくるだけ。その数で流行廃りも決まってくると思います。

7:弓人さん
割り込み失礼します
そもそも正射ってあるんですかね?
流派は数多くあるでしょうけど必中の人がいないので正射自体が存在しないのではないですか?

8:sunlightさん
私の道場の先生は息使いを重視しておられます
確かに息使いは大切だと思います
ただ私は先生のおっしゃるように
息使いの正しい射は射品がでるので射型より重視するという考え方に同意できません
私の考えを述べたところ
それは間違っていると言われました

正しいのはどちらなのでしょう
私はいくら息使いが出来ていても射型が汚ければ無意味ととらえるのですが・・・

9:弓引き社会人さん
>sunlightさん
その指導されている方の射型が「汚い」と聞こえますよ?
射には正しい息づかいが欠かせないと思うのですが?

10:sunlightさん
欠かせないのは事実だと思います
ただ、息づかいしか達成されていない射形に射品は宿るのかという疑問です。

11:m@sterさん
正しいか正しくないかと言う単純な問題ではないと思います。息遣いを重視することは、やはい、射全体の流れに気を配るということでそれにはやはりある程度の射型への気配りが必要な気がします。また、射型を重視しても最終的には息遣いがどうしても絡んできます。ようは、その人によって具体的な練習要素は異なっても求める「正射」は同じなのではないでしょうか。息遣いから正射を求めるか、射型から正射を求めるか、その違いなのではないでしょうか?むしろ先生とsunlightさんと考えに違いがあって当たり前で、また、自分と違う考えに触れることはもしかしたら自分の気づかない何かに触れることを可能にしてくれるかもしれません。あと、「正射必中」とは僕は個人的考えとして「正射ならば必ず中る」であり、「必ず中たるならば正射である」ではないと思います。正射はその人その人で具体的な技術としての相違はあり、一見して正射が移ろいゆくものに見えますが、その境地は共通した不変の境地である、そう僕は思います。

12:m@sterさん
やはい→やはり です。申し訳ございません。


ホーム > 弓道座談会 > 2009/06まで 技術・体配編 > 最近の弓道 (投稿12件)[1〜12]

(c)デビール田中 : 問い合わせ