なぜ正面打ち起こしが多くなったのか? (投稿35件)[1〜35]


1:とある弓引きさん
たまたま外人から質問を受け、戸惑ってしまったので皆さんの意見を聞いてみたいと思います。

日本の弓はなぜ体の正面高くに打ち起こして弓を引くのかと聞かれました。昔からそうなのかと聞かれたので、歩射は昔は体の前斜め上に一度に打ち起こしていた(いわゆる斜面)と言うと、そしたらなぜ今は正面の方が多いのかと聞かれました。
よく考えると明治ー昭和初期あたりで大きな変革があり、そこで変わったのはわかるのですが、それまではほとんどの方が斜面打ち起こしをしていたと思います。
それがなぜ、急に斜面の射手が少なくなったのでしょうか?

2:黒紫さん
色々な理由が重なって衰退したと思います。

@日置当流の衰退(明治維新による徳川の衰退)
A江戸近辺の流行
B本多流の出現
C財界・連盟の弓道家の殆ど本多流門人
D徴集においての本多流の基本方針と日置一派の方針の差
E戦術としての弓道が価値がなくなった。
F世界大戦時に「武道」と言う枠組みでの愛国心を広めようとした際に礼法が重視された。(礼法の素晴らしい小笠原流も)
G均等射法の発生
H連盟発足当時にあった日置への弾圧



他諸々あるのかもしれませんし、上記の中には微々たる影響だったものもありますが、一般的にはこのような内容だと思います。

3:とある弓引きさん
なるほど。よくわかりました。
小笠原流も歩射の時は斜面打ち起こしの方法があると聞きました。

ここからは私の質問ですが、なぜ連盟や財界の多くを本多流の人がしめたのでしょうか?
これはやはり東京大学出身者が多いことが関係しているのでしょうか??

4:黒紫さん
「小笠原にも斜面はある」というのはあくまでも「ある」だけですので…実際の使用具合はご存知の通りです。


一概には言えませんが、やはり東京大学出も関係あるかもしれません。
それよりも「本多系統の人達が連盟発足の中心だった」というのは要因に大きいと思います。

5:仙治さん
弓道日本第五号に詳しい記事が載ってました。

6:とある弓引きさんさん
黒紫さん非常に参考になります。
ありがとうございます。

弓道日本5号も見てみます

そう考えると昔のやり方を残していくという観点からみた、伝統ということを考えると、今我々がやっているものというのは100年ほど前にできたやり方をやっているわけなので、弓道は伝統的なものなのかと尋ねられるとはっきり答えられないですね。

様々な変革があったけど、日本の弓をまだ残している、という観点から見ると伝統なのかもしれませんが。

7:チューハイさん
弓道は伝統的なものではないです。戦後に作られたものです。全日本弓道連盟も戦後に作られた団体ですから。

正面打ち起こしが増えたのも、実戦とはかけ離れた弓道において、より楽に弓を引く事を主眼にした結果と思われます。

8:とある弓引きさん
楽に引く・・・というのはどうなんでしょうか?
最初に始めたやり方や、人それぞれの感じ方で変わってくると思いますが。

楽してるんですかね?

気になって調べてみたり読んでみたりしましたが、正面が多くなったのは弓道連盟内での政治的な要素の方が大きい気がしてきました。

9:チューハイさん
舌足らずで失礼しました。楽というのは、より合理的にという意味です。古来の弓術やその伝統を守ろうとすると、目的の違う現代弓道において無理が生じるのではと思ったからです。

ある老先生の話では、「実戦では敵を視野に入れつつ弓を引くので、弓は前方(道場では的の方向)で引くしかない。しかし弓手の体力を消耗させる為、合理的ではない」とのこと。弓手を鍛えれば済むことかもしれませんが、正面で引けば引き分け初めまで弓手を温存できるので、それを合理的(楽)と思いました。

とある弓引きさんの仰る、連盟内の政治的な要素は関係すると思います。今でも人が変わると方針が変わることがありますので。

10:とある弓引きさん
そのある老先生のお話には少し疑問を持ちます。
なぜ敵の方向(的の方向)で弓を引くと弓手の体力を消耗するのでしょうか?
むしろ手の内を最初から作っておいて、それを動かさずに引いている方がよっぽどか体力を消耗しないし、弓手も温存できると思うのですが。

合理的、合理的でないというのはないと思います。もし一番合理的であるとしたら、その論から言うと弓手を鍛えて日置流の引き方(前上に打ち起こして引く)、というのが一番敵(的)に当てるのに合理的ということになる気がしますが。

11:紅一入さん
私は斜面で引いているのですが、正面は肩のラインが狂いにくくて合理的な感じがしていました。
先日、正面の方に教えてもらってやってみたのですが、正直「アレレ」な感じで「とても無理だな」と思いました。「みなさん良くやってるなあ」というのが感想です。

で、正直「アレレ」な箇所を書いてみます。
○弓構・・・左手首は曲げず、右手首は曲げていたら、矢は前を向きますよね。矢を体と平行にするため弓手を外から掴むと今度は天紋筋が浮きます。
○打起・・・右手首を曲げるのがキツい。カケをしているとすごく不自然。左手首も上を向かないようにするのがキツい。矢は、左は真っ直ぐの拳の上に、右は曲げた拳の中程にあるのだから、両肩両肘をそろえると矢は前上を向きますよね。斜面は左右の拳の位置から自然に「水流れ」になるのですが、正面の「水流れ」はなんか無理がある感じでした。
○大三・・・意外と肩のラインを維持するのが難しい。手の内はなんとかなるが、天紋筋があぶない感じで、上押しの形をつくるのが難しい。
○引分・・・大三がキマっていると楽な感じでした。強い弓が引けるのはこのせいかな。
○会・・・・弓手絞らない、馬手捻らない、じゃ何するの、って感じで離れが出にくい。
なんていうか、かゆい所に手が届かないような離れになりました。

正直言って、あまり合理的な感じはしませんでした。斜面とくらべてかなり難しい感じがしました。

12:麩さん
>紅一入さん
それはよくいる一見正面だけど、正面か斜面かよくわからない人の特徴そのままですねw

13:紅一入さん
>麩さん
正面の初心者の方に多いですね。
スムーズに引き取れるようになるには、結構修練が必要かな、と思いました。
そのかわり、うまく大三が決まるようになると会・離れが安定するように思います。
日置の場合、射の構成が自然なぶん、引き取りに自由度があり、詰合・伸合にウェイトがかかります。そのかわり、詰合・伸合のある離れには冴えがあります。
会の安定を求めるなら正面、離れの冴えを求めるなら日置、といったところかなと思います。
現代では、弓は「見せてナンボ」なので、正面の安定した会に分があるように思います。

14:とある弓引きさん
>現代では、弓は「見せてナンボ」なので、正面の安定した会に分があるように思います。

なるほど。これはかなり的を得た意見だなと思いました。

またひとつ疑問に思ったことがあるので、質問させていただきます。
紅一入さんのおっしゃっている
>引分・・・大三がキマっていると楽な感じでした。強い弓が引けるのはこのせいかな。

と、よく正面で引いた方が強い弓が引ける、という話を聞きます。これがいまいち納得できません。弓が強いと手の内を回転させている正面の方が、むしろ最初から手の内を作っている斜面にくらべて、難しいのではないのかと思うからです。
大三が決まっていればということですが、斜面においても打ち起こしが決まっていれば、同様のことが言えるのではないでしょうか?

15:紅一入さん
>とある弓引きさん
大三は(たまたまやってみただけですが)背面の締めを伴う感じがありました。斜面(・・の中で私のやっている系ですが)では打起でそのような力は使いません。背面を締めるのは強いて言えば伸合の時。そこが違うかな、と思いました。

16:とある斜面弓引きさん
>紅一入さん
>11,13 から
>会・・・・弓手絞らない、馬手捻らない、じゃ何するの、って感じで離れが出にくい。
なんていうか、かゆい所に手が届かないような離れになりました。
>日置の場合、射の構成が自然なぶん、引き取りに自由度があり、詰合・伸合にウェイトがかかります。そのかわり、詰合・伸合のある離れには冴えがあります。
会の安定を求めるなら正面、離れの冴えを求めるなら日置、といったところかなと思います。

弓手絞る絞らない、馬手捻る捻らないなどは「斜面打起しだからそうなるのではなく射手自身の意思でやること」ですよね。

これでは「斜面打起しと正面打起し」の話ではなく、「正面打起し日置と『打起し以外の技術』」の話になってしまっています。

現在、「斜面打起しは弓手を絞って馬手は捻って引き、正面打起しでは弓手は絞らず馬手も捻らず引く」などというようなイメージが結構多数の人に定着してしまっているように思いますが、これはいずれ何とかしないといけない重大なことだと思います。

下手すると斜面打起しで引く人がいなくなってしまう原因になりかねません。
現に、紅一入さんの書き込みを見て「正面より斜面の方がいい」と思ってしまった方が少なからずいると思います。

17:紅一入さん
>とある斜面弓引きさん
ごめんなさい。書き方に正確性を欠いていました。
正面を体験した感想から、正面を理解したかっただけです。正面にも合理的でなく習熟に頼る部分があるように思えたからです。
いちいち、「斜面・日置(・・の中で私のやっている系ですが)」
こう書かないと正確じゃないのでした。
実際は斜面にもいろいろありますので、絞る捻るはいちがいに言えません。

それから、強い弓の話ですが、矢尺の半分を引いて背面を締めることは、強い弓を引ける要素として考えられると思います。斜面でも竹林系の打起はこういう感じですよね。竹林系は強弓を引くと聞いています。

18:初心者さん
本多流の流れの正面射法は、合理的、非合理的以前に(本多利実翁の言う)体育的なものだと思っていましたが違うのですか?

左右両方を均等に使って、筋骨の発達を促し、体を壮健にし...云々というような。

この当時は、柔道の発展期とも重なり、武術的な側面から、教育的、体育的な側面が強調されるようになった時代と認識しております。また武道の伝承が大学や師範学校などが中心になっていったことも大きいように思います。(柔道、空手などは特に)

その点で弓道も同様にその時代性から逃れえず、体育的な側面での射法の整理がなされたものと思います。

私見ですので、ご批判賜りたく存じます。

19:弓を引く人さん
>18:初心者さん

>左右両方を均等
→弓を押し、弦を引き、左右とも全く別の力の働かせ方で物理的に離すのですから、早々左右均等とはいきません。躯幹部においては成立すると思いますが・・・。

>筋骨の発達を促し、体を壮健にし...
→どんな流派の弓でも当てはまりますね。斜面打起しは片方に偏ると公言する方がいますが、全く根拠がありません。正面の弓は左右シンメトリーな動きをしますか?躯幹部の話であれば、どんな弓でも中から外に押し出す力を用いると思いますが。

>武術的な側面から、教育的、体育的な側面が強調される
→教育的?体育的?具体的に教えて頂きたいと思います。確かに教育関係では文部省の役人をされていた本多流の幹部の方が、教育現場を本多流に統一する動きを取っていたことは事実です。また、東大が本多流だったことも正面が流行する一因となった事も見逃せないと思います

>体育的な側面
→どの様な側面でしょうか?

正面が多数派になった理由は、古いモノを排し新しいモノを採り入れた時流と、東大が本多流であったこと、文部省の役人に本多流の幹部がいたこと、多くの人が正面で引いていたからという答えに収まってくると思います。

20:紅一入さん
正面が多数派になった理由として・・・
○正面は左右均等で合理的だから→弓を引く人さんや私の検証の通り根拠がない。
○教育的、体育的な側面を強調→あたりまえですがまったく根拠がない。

つまり、理由ではなく、経緯なのでしょうね。廃仏毀釈などのように偏った西洋化の時代に、また敗戦で武道が弾圧された時代に、弓道を保持するため先人が努力された結果、いびつな状態で生き残っているのでしょう。
現状では、初心者教室はほとんど正面で行われています。はじめて弓に接する人は、ほんの一部地域かほんの一部の大学を除いてほとんど自動的に正面で教わるのです。

むしろ私が疑問に感じるのは、自動的に教わる「○○流でない正面」のことです。
正面でも斜面でも○○流であれば、それぞれ別々の一貫した考え方を持っています。使う筋肉も異なります。何か悩めば、必ず答えがあります。それぞれに長い歴史を持っているからです。
「○○流でない正面」の場合、一貫した考え方がないように思います。たまたま教える先生のそれぞれ個人の考え方で教えてしまっている。その先生も「○○流でない正面」だった場合、その教えには歴史も根拠もなく、ただの自己流だったりするわけです。
正面も、小笠原なら小笠原、本多なら本多と、しっかり色分けして教える体制があれば、それぞれ行き詰まったときに調べる方法もあるように思います。
正面・斜面にかかわらず弓を引く人それぞれが「○○流○○派で習っています」と言えて、審査も受けられる体制があったらいいな、と思います。

21:とある弓引きさんさん
久しぶりに見るとレスが多く驚きました。

最初に友人の外人から質問を受けて・・・という書き込みをしたところから繋がるのですが、私もその友人も、「左右均等に弓を引く」という考え自体がまったく理解できません。

弓を引く以上、均等に筋肉を使うなんていうことはありえないと思うからです。
正面でも、前に打ち起こして、結局は左に動かして(いわゆる大三の位置)いるわけですから。

体育的というのがすごく気になります。
よろしければどんなものなのか教えていただきたいです。
体育的というのは合理的でなければならないと思います。

ちなみにまた一つ聞きたいのですが、正面に打ち起こして大三に移行する過程で、弓が強い場合、手を回転させるときに手首を傷めたりしないのでしょうか?
修練したとしても、弓が強いとその分手を回転させるのに力がいると思います。
弓が強くなればなるほど、その力が必要になり、筋を痛めそうなイメージがあるのですが、いかがでしょうか?

22:紫弓さん
 前に書いたことあるのですが、私は現在の連盟の射法制定の先生方が集まった道場の流れと書きました。当時の考えからすると武徳会時代をまとめたと聞いています。あくまで流派ではなく連盟としての弓道八節と考えています。この時に中間射法を書き示さなかった所にもしかしたら経緯が隠されているのではと私は考えています。(私は中間射法をやった事により怪我する部分がありえると考えています。)ただ、この部分を聞く事がありますが、もっと研究されるべき部分かもしれません。
 私は道具の使い方で決めるべきとは考えています。ただ、実際問題何を元に考えるべきか分らずになんとなく「矢筋に自然に」とバランスを取れた物を良しとする部分があるかもしれません。すると、そうしやすい道具と射が出来たと言うのが現状だと思います。
 私としては斜面も正面も一緒に出来る環境が整えばいいと思っていたりします。

23:環 ◆1HBuO8jIさん
正面が広まったのは>2の理由で十分かと.

少し本題からずれますが.

>均等に筋肉を使うなんていうことはありえないと思うからです。

ありえないと考えるのは早計かと.
厳密には均等は不可能でしょうが,少なくとも正面ではメインで使う筋肉が左右で一緒な以上,均等に使っていると考えても差し支えないんではないでしょうか?(斜面のことはわかりません)

>正面に打ち起こして大三に移行する過程で、弓が強い場合、手を回転させるときに手首を傷めたりしないのでしょうか?

では斜面では傷めないのですか?

上でやるか,下でやるかの違いだと思いますが・・・.


もともと,片方の考え方でもう片方の射を理解しようとするのが間違っているのではないでしょうか?
一部の斜面と正面で,頬付けの位置が違ったり,かけの使い方が違ったりするのですから.

24:弓を引く人さん
>22:紫弓さん
→射法八節を制定した経緯は、ウィキペディアの弓道のノートで議論されています。長文になりそうなので誘導だけ・・・。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8E%E3%83%BC%E3%83%88:%E5%BC%93%E9%81%93#.E5.B0.84.E6.B3.95.E5.85.AB.E7.AF.80.E3.81.AB.E3.81.A4.E3.81.84.E3.81.A6

>23:環 ◆1HBuO8jIさん
>少なくとも正面ではメインで使う筋肉が左右で一緒な以上
→科学的で具体的な指摘しなければ議論は始まりません。メインで使う筋肉とは何処の筋肉ですか?上腕から手先までの筋肉系は左右で全く異なった力の働かせ方で弓を押し弦を引きます。前にも書きましたが、躯幹部は中心部から左右に押し出すような力の働かせ方をしますが、正面も斜面も関係ありません。

>では斜面では傷めないのですか?上でやるか,下でやるかの違いだと思いますが・・・.
→正面打起しは打起しと引き分け間に、弓の圧力下でしかも見ていない状態で、左手関節の回転運動を伴った手の内の形成をしなければなりませんが、斜面打起しは弓の大きな圧力がかかる前(打起し前)に左手関節の回転運動無しに手の内を定めます。この違いを指摘しているのだと思います。上と下という発想とは別次元です。

>片方の考え方でもう片方の射を理解しようとするのが間違っているのではないでしょうか?
→正面打起しの方に多く見受けられる言動ですね。少なくとも此処で登場されている方々は公平にお話しされているように思いましたが・・・。

25:弓を引く人さん
(補足:ウィキ弓道ノートより抜粋)
八節を制定した本来の目的は、現代弓道講座一巻で村上久範士は仰っています。

『弓道教本の制定にあたっては、古流・古法を無視するのではなく、それはそれとしての特徴を十分発揮できるよう、その伝統を生かしつつ現代の弓道人の参考資料ともなり、弓道界の基盤層に習射の基準ともなり、指針となるものを提供し、現在および将来の発展に寄与することを念願したものである。』

『弓道の理念を明らかにし、射法については弓道八節を詳細に解明し、問題の「打起し」の方法は、正面、斜面の伝統を生かして統一することをやめ、「足踏み」も二つの方法を認め、流派の特徴を生かした。ただ、弓射を行う場合の前後の諸動作すなわち体配は、礼法を主体としてきた小笠原流の作法・動作を採入れ、各流派の長所も加味してあらたに「基本とその動作」を制定した。これは弓道史上初めてのことで、高く評価された。』

『(弓道要則の混乱をふまえて)正面打起しにせよ、斜面打起しにせよ、いずれも根拠のある合理的射法であり、特徴をもつものであって統一すべきでものではないとの結論によったもの。』

26:環 ◆1HBuO8jIさん
〉弓を引く人さん
上腕では左右とも終始上腕三頭筋をメインで使うと考えています。
前腕では伸筋群をメインで使うと考えています。
手に関しては浅指・深指屈筋(これは前腕の筋ですが)、母指内転筋、母指・小指対立筋を使うと考えています。

このなかでも、上腕三頭筋がもっともメインで働くので、左右は大体均等だと思うのです。

逆に質問ですが、左右別の力の使い方とはどういったものでしょうか。捻りの意識や上押しの掛け方等に相当するのですか?

後、大三に移行するさい、手首は回転をほとんどしないと思うのですが…。もちろん、無理に回して入れようとすれば痛めると思います。

私自身、正面しかならった事がなく、斜面の考え方を良く知らないので何とも言えないのですが…。

27:紅一入さん
〉環 ◆1HBuO8jIさん
斜面・日置(・・の中で私のやっている系ですが)では、左右ともみなさんより上腕では一つ上側の、前腕では一つ外側の筋肉を使うようです。弓を伏せる力と懸手を捻り広げる力が拮抗する感じです。

28:紅一入さん
外圧の制約があるわけでもない、むしろ歴史ある伝統が評価される時代に、いびつなままで中途半端な射法を推奨している必要はないと思います。
希望ばかり言っていてもしかたないので、具体策。大改革の夢物語です。

1、日弓連は流派を尊重し、一定の移行期間を定め、以後流派によらない射法を廃止する旨を宣言する。体配は流派のものを尊重するが、共通体配を定め大会・審査等の流派混在時の使用に寄与する。
2、各流派は、家元制度でなく開かれた組織を作り、弓人の登録・発掘に努めるとともに、指導体制や連絡体制を整備する。また、研究組織を作り、伝書・口伝・故事の調査・研究に努め、科学的な検証も行うものとする。
3、日弓連は、連絡会組織を作り、各流派を監督・指導し、各流派の平準的運営を維持する。
4、日弓連は、流派混在の審査体制を整備する。
5、流派に属さない弓人は、それぞれ好みの流派を選択し、登録して指導を受ける。
6、各流派は、弓人の現在段位の検証を行い、合格者を追認する。追認が得られるまで対外活動を禁止する。
7、弓人の流派間の異動は自由とし、日弓連はそれを保証する。
8、体制が整備されたことが確認された時点で、日弓連は流派に登録しない弓人の大会・審査への出場を禁止する。
9、公営弓道場の使用は団体利用時以外は自由とし、流派に関わらず利用できるものとする。その際の指導は常識の範囲とし、危険防止・利用方法・礼儀作法・流派共通の部分・見た目の指摘はむしろ推奨し、利用者間の親善に寄与することとする。
10、弓道教室・学校における指導は、原則として指導者の流派によるものとする。すでに他の流派を学んでいる生徒については、流派変更を希望しない場合は共通体配および常識の範囲とする。
11、「弓道教本」は改訂する。基本編・共通射礼体配編・射法編とし、射法編は各流派が責任を持って監修したものの合本とする。

29:とある斜面弓引きさん
なぜ現在存在している流派のやり方以外はすべて「中途半端」なのか全く理解できません・・・

30:般若さん
>歴史ある伝統が評価される時代に、いびつなままで中途半端な射法を推奨している必要はないと思います。
>各流派は、家元制度でなく開かれた組織を作り…
歴史や文化を評価しようと掲げているのに家元制を廃ししろとは、言っている事がバラバラ。家元制も立派な歴史文化であり伝統です。それほど現在の日弓連の方針がお嫌なら脱退すれば良いと思うが…。

それに流派の射技体配に帰依させたいのなら系まで分かれた流派を、それこそ伝書・口伝・故事に則り昔の射法に統一簡素化しないと審査の実現は無理だと思います。

例えば三分の二を取る射法は近年に生まれたもの、元々はなかったのでこれを廃止し三分の二を取らない昔ながらの射法に統一するとか。

私も中途半端が理解できないし、決められた事を守らないのがよほど中途半端だと思う。

31:初心者さん
いろいろご批判ありがとうございます。
一日、考えました。ご返信遅くなり申し訳ございません。

スレッドを読みました所、19:弓を引く人さんへのご返信が、皆様全体へのご返信になると思い、書かせていただきます事、ご容赦ください。

まず、現在の日本弓道連盟が正面打ち起こしになった経緯について、皆様の共通の認識を得た方が良いと思いますが、幕末、明治まで日置系統による斜面打ち起こしが、日本の弓術界において主流であったことは、共通の認識として異論のないところと思います。(9割以上は斜面でしたでしょう)
正面は騎馬弓術としての小笠原流が徳川家指南として命脈を保っていたという事実はあるにしても。

それでは射法が正面打ち起こしとして変化するに至ったキッカケはどこにあるでしょうか。本多利実翁が日置流竹林派(もちろん斜面でありますが)から、その射法を正面に改めて射法を作ったことにあります。
斜面射法が、(射法を改良しようと考える者にとって)何らかの理由で優れていると考えられればのであれば、正面に改める理由は無いと思いますが、いかがでしょうか?

それでは、本多利実翁はなぜ、斜面を正面に変えたのでしょうか?
本多利実翁自身は、その理由について正確な所を伝えていないとの事ですが、

>利實翁は明治22 年に『弓道保存教授及演説主意(一名弓矢の手引)』を著し、弓道の再興に立ち上がりました。「品行徳行・体育・衛生」を重視したことから、嘉納治五郎(かのう・じごろう)が「体育・勝負・修心」をスローガンに講道館柔道を確立したのと並べられ評価を受けています。(東大弓術部のHPより抜粋)

ということより、体育的に弓術による心身を鍛える事を重視したのではないかということが類推出来ると思います。

私が書いた
>左右両方を均等に使って、筋骨の発達を促し、体を壮健にし...云々というような。
というのは、厳密にそうだという事ではなく正面射法における利点として巷間言われることを簡便にまとめた事に過ぎないと読み取りください。

その後、>弓術部師範の木(たかぎ・たすく)先生(大正 10 年卒)が全弓連の副会長、射法制定委員になって、射法八節に本多流の正面打起し、大三が取り入れられました。(東大弓術部のHPより抜粋)
ということですので、

ここまでで、1:とある弓引きさんの書かれている
>そしたらなぜ今は正面の方が多いのかと聞かれました。
についての回答になるのかと思います。

32:初心者さん
続きです

幕末から、明治にかけては、それぞれの地方で伝承される流派弓術が主流であったが、弓術自体が文明開化にともなって廃れていって(これは弓術に限らず、武術全般にいえる事実)
ここからは私の想像になりますが、
そのため、弓術を再興、隆盛させるために理由付けが必要であったのではないか?それが西洋的(開花的)思想である体育ということであったのではないでしょうか。折しも時代は、富国強兵、お国のために国民皆強壮健康であることが目標であったため、体育(体を強健に育てること)が弓術の正面射法の利点としてその正当性を喧伝されたのではないかと思います。

また誤解のないように言い添えておきますが、主流である事と射法の優劣は一致しませんし、私が正面射法について歴史的に考えを述べた事と私が正面、斜面のどちらが射法として優れているかと考えるかは別の問題ですので、誤解なきようお願いいたします。

33:弓を引く人さん
>26:環 ◆1HBuO8jIさん
>上腕では左右とも終始上腕三頭筋をメインで使うと考えています。
>前腕では伸筋群をメインで使うと考えています。
手に関しては浅指・深指屈筋(これは前腕の筋ですが)、母指内転筋、母指・小指対立筋を使うと考えています。
>このなかでも、上腕三頭筋がもっともメインで働くので、左右は大体均等だと思うのです。

→色々な筋肉のお話しが出てきましたが、左右均等を誰もが認めるのは打起しまでです。それ以降は結局弓を所謂大三辺りに移行させますので、それ以降の手・肘・肩の運動量は左右で全く異なり、弓を押す弦を引くでは力の働かせ方も全く異なってきます。それぞれの関節が動いた軌跡をイメージしてみて下さい。議論するまでも無いと思いませんか。それでも上腕三頭筋をメインで左右均等と仰るのであれば、正面も斜面も左右均等と言えるのではないですか?洋弓も各民族の弓であっても左右均等。

>大三に移行するさい、手首は回転をほとんどしないと思うのですが…。
→ほとんどしないと言う事と、全くしないという事とでは意味が大きく異なります。斜面の最大の利点は目視下で手の内を完全に決めることが出来る点です。決めた後に手首を僅かでも回転させるのであれば、斜面の利点を捨てたも同然(離れの時は別)。正面弓構えの手の内で手首に全く回転を加えずに一度引いてみて下さい。手首を僅かに回転させても別に問題ないと仰るのであれば議論の余地はありません。

>31:初心者さん
→詳しく有り難うございます。仰る通りその側面もありますが、射法八節は戦後に制定されたモノですから、日本の8割方が正面の時代です。射法八節に正面・大三が盛り込まれたからという話ではないと思います。正面が大流行した大正・昭和初期に物事の核心があるのでしょう。

ここで、東大の影響力を見過ごすわけにはいきません。日本各地の英知が東大に結集して、卒業後あらゆる組織の中心になっていったり、地方の高官に赴任したり。本多流とは言いませんが、正面が日本各地に等しく伝播する用件が整っていたと思います。また、文部省に本多流の幹部がいたことも触れられていませんが、本多流・正面で日本を統一させようとした事は事実のようです。射法八節制定委員であった方の回顧録に実名で指摘されています。

一度その地方で正面が流行ってしまえば、強力な斜面の指導者(継続的な斜面の指導)がいない限り、その後は弓道団体の影響力で自動的に未来永劫正面打起しになってしまいます。そのエポックメイキングは戦後の射法八節ではなく、大正期の正面の大流行であったと言えないでしょうか?大流行の原因に初心者さんが仰った側面も当然含まれてきます。

34:仙治さん
弓道日本第五号の記事には弓道館の影響とする説が掲載されています。

35:とある弓引きさん
21で発言したことについてもう少し詳しく説明いたします。

>左右均等に使うということについて
33で弓を引く人さんがおっしゃってる通りです。結局は大三で、体の前斜め上に移行するわけですから、左右均等に使うというのは打ち起こしまでではないか?ということを言いたかったわけです。

>手首の回転について
これも33で弓を引く人さんのおっしゃっていることで、正面は弓構えで握りの左側へ手の内を作り、これを体の正面上に打ち起こして、見ないで大三へ動かしますよね。その際に手の内を回転(ずらしながら)手の内を整えると思います。このときに手首も動くと思います。この動作が弓が強いと手首を痛めないのか?ということを言いたかったのです。


各流派の技の話なども出てきており、スレッドのタイトルと話がずれてきているので、「正面の方への質問」というスレッドを新たに立てて、そちらに技術的な質問は移行させたいと思います。
最初に質問したことに戻ります。
なぜ正面が多くなったのか?これにはいろいろな要因が含まれており、一概には言えないということがわかりました。もう少し詳しいことが聞きたいので、ここのスレッドでは歴史的な内容を説明する、ということでいかがでしょうか?


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